12.19
Wed
私は12年前にこの核実験場へ行きました。
今も立ち入り禁止の立て札があります。
ラスベガスから、ずーーっと砂漠の中を車で行くと、120kmも行くとあります。

まだ若いでしょ、私。12年前です。
最終処分場の候補地ヤッカ・マウンテンやユッカ・マウンテンといわれるところです。
今最終処分場、福島県内で言えば皆さんは中間貯蔵施設でですね、永久になるかもしれない、
あの貯蔵施設と同じなんです。
あれはね、絶対に中間貯蔵じゃないですから。
福島県内の汚染物質を集めた場所、それは永久貯蔵施設になります。
戦後7年目 南太平洋の空が燃え上がり
もう一回1950年代の大変な時代に戻りますと、
戦後7年目、新たな時代を迎えます。
南太平洋の空が燃え上がります。それはなにかというと、
これです。

こんどは桁違いの事を始める。
人類最初の水素爆弾
今までは原爆なんですが、これからは水爆の時代が1952年はじまりました。
だから、1000倍規模の話。100倍~1000倍のものですね。
ところが翌年ソ連がやはり水爆実験に成功します。
そういう状況の中で、アメリカは何とかしなければいけない。ということで、
翌1953年8月12日
ソ連がシベリアで初の水爆実験に成功。
これを受けて1953年12月8日
アメリカのアイゼンハワー大統領が国連総会演説で、原子力の平和利用(Atoms-for-Peace)を宣言し、
国際機関の創設を提唱した。→原子力発電の時代へ
ここから原子力発電の時代に入っていく訳ですが、
要するにこれはどうしてこんなことが行われるのか、今の流れを見ていけば皆様もお分かりのとおり、
原子力の軍事利用を隠すために生まれたのが「原子力の平和利用」演説であった。
これから人類が騙されていく
2発目の水爆
1954年3月1日
マーシャル諸島ビキニ環礁でBravoの水爆実験
これですね、凄まじいんですけれど、

これは我々はちょっと想像が出来ない。
これ、キノコ雲が100kmという直径ですからね。
さっきの原爆とはケタが違います。
きのこ雲の直径が100kmですよ、東京駅から富士山ぐらいまで。
その時ですね、ちょうど
現地ロンゲラップ島の住民が大量に被爆・被曝した。
巨大なキノコ雲が空に立ちのぼった時、
静岡県焼津漁港所属のマグロ漁船「第五福竜丸」が南太平洋に遠洋出漁中で、
マーシャル諸島ビキニ環礁東方130キロメートルの海上の近い距離にあって被爆・被曝。
大量の被ばくです。
広島・長崎と同じように直接の閃光もあったし、それから死の灰も浴びました。
この時に日本人が巻き込まれるという事件が起こった。
マグロ漁船の第五福竜丸がそのすぐ近くで、被ばくをしました。
第五福竜丸の位置を地図で書いて見ますとこういう事になります。

これぐらいの距離ですからね、
この第五福竜丸の船員たちは、直接の被ばくも受け、そして彼らの言った言葉によりますと、
「太陽が二つあった」というようなそういう閃光を浴びながら、
そして同時に大量の死の灰を浴びたと。
広島原爆1000倍の爆発力ですから、ここで水爆が爆発
これぐらいの範囲ですね、死の灰が。
この範囲が日本列島と比べると、このぐらいの距離です。

こうしてですね、この大事件が起こったんですが、しばらくして分かったんですね。
それは3月1日に実験が行われましたから、
1954年3月16日
読売新聞が第五福竜丸の水爆放射能被災ニュースをスクープ。
この日、東京築地の魚河岸で、
第五福竜丸から水揚げされたマグロから郷土の放射能を検出し、破棄された。
以後、東京と大阪の中央魚市場で多数の魚から放射能汚染が発見され、水爆マグロの恐怖が広がる。
広大な範囲が「漁業危険海域」に指定され、
そこに出漁した漁船の水揚げ魚が検査され、
実際に汚染が発見された漁船は683隻、廃棄された魚は457トンに達した。
私はこの事件を記憶しているんです。幼いながらもですね、
いわゆる放射能マグロという事件が起こりまして、
そして、水爆マグロの恐怖が日本全土に広がりまして、
当時、この第五福竜丸だけではなく、
水爆実験当時、ビキニ環礁周辺の海域で操業していた船だけで800隻以上あり、
のち、この汚染船の数はさらに増え、900隻前後であるとされる。
魚の小差分析からは、内臓の汚染が顕著であることが判明。
日本人の主なタンパク源である水産物全体に対して恐怖心を呼んだ。
食卓が警戒心と拒否反応を起こし、
魚価が半値以下に暴落して、水産業だけでなく、飲食店に大損害を与えた。
その影響は長期間に及び、マグロ漁業は壊滅的とも言える被害を受けた。
900隻もその時海洋に出ていた訳で、それがどんどん陸揚げされる。
測るとどんどんカウンターがワーッと上がる。
そして日本人全体が魚を買わなくなるというそういう時代でした。
じゃあ、この時日本人全体がどういう状態であったかというと、
日本にも放射線のいろいろな研究組織が誕生してくるんですが、
この頃はまだ日本人の意識はですね「被爆国」
「広島長崎でアメリカにやられた」という意識が非常に強かったものですから、
ICRPと並行して日本にも各種の放射線研究組織が誕生した。
戦後のの本は被爆国であったため、
1951年5月1日、
九電力体制発足と同じ日に、日本放射性同位体元素協会が設立され、
のち“原水爆実験反対運動”の先駆者として活躍し、全世界に先駆けて放射能の危険性を告発した。
この人達は非常に優れていまして、日本人を守ろうという事で放射能の研究に立ちあがるんですね。
で、ちょうど福島と杉並の太郎さん達が連携しているのと同じような形で、
1945年5月9日
東京都杉並区の主婦が中心となって原水爆禁止のための杉並協議会を結成し、
原水爆反対の巨大な署名運動が始める。
特に、福島県原町(現・南相馬市)生まれの亀井文夫監督が、
1957年にドキュメンタリー映画「世界は恐怖する 死の灰の正体」を製作し、
そこに日本の良心的な科学者が続々と登場した。
この映画の中にさきほどの日本放射性同位体元素協会の良心的な科学者が次々と登場して、
我々に教えてくれたんです。
「放射能がどんなに怖いものであるか」という事を語ってくれました。
ところがそういう時代の中でですね、ソ連が今度は原子力を発電に使うという事でスタートしまして、
1954年6月27日
ソ連が世界最初の原子力発電をおぷ人すく原子力発電所で開始した(電気出力5000kw)。
東西の軍需産業が冷戦を利用して原子力発電によるウラン・カルテルの世界的な巨大利権が動きだし、
膨大な国家予算を平和利用名目で使って暗躍を始める…
この時ですね、表向きは東西は対立しているんですが、
実際はウラン・カルテル、要するに、
「ウランを掘り出して儲けよう」という、利権では同じ目的を持っていまして、
莫大な国家予算を、アメリカはアメリカで、ソ連はソ連で、
それぞれの国で巨大な利権が動きだしまして、
それが平和利用目的でどんどん暗躍をし始める時代に入りました。
そして、そういう中で第五福竜丸の久保山愛吉さんが亡くなるんですね。
1954年9月23日
被ばくした第五福竜丸無線長の久保山愛吉さんが肝不全により40歳の若さで死亡。
「原水爆の被害者は私を最後にして欲しい」との遺言を残し、
重大事件の波紋が日本全土から世界に広がって、
12月16日には、原水爆禁止署名運動全国協議会が、
「原水爆禁止署名者が2008万1232人に達した」と発表した。
当時の人口は8800万人余りなので驚異的な人数であった。
女優の音羽信子さん達が今いる病床を訪れる中で亡くなっていきまして、
そして「被ばく者は私を最後にして欲しい」と言って、
その言葉が、日本中の人を震え上がらせまして、
たちまちのうちに原水爆禁止署名が当時の人口8800万人のうちのなんと2000万人。
こんなことは日本の歴史の、未曽有の事です。
現在で言えば3000万人規模、それだけの署名が集まって、
驚異的な原水爆禁止の運動が全世界で広まりました。
なぜか?それはですね、言うまでもありません。
我々子どもの世代が、当時癌になる死亡率が…

だって、大気中の核実験って言ったら、直接の閃光は浴びているわけじゃない。
みんな地球全体が死の灰が包んで、
日本だけで子どもたちが癌で亡くなるのが6倍も増えたんですよ。
500回を数えた原水爆の大気中の核実験で。
こういう事は忘れられていますが、私も20数年前に運動を始めたひとりですから、
昔の資料を頂きましたが、
子どもたちの歯の中のストロンチウム90とかが、ダーッ!とグラフが上がっているんです。
恐ろしい事に。
だから我々の世代はですね、おそらくですね、私たちの親の世代よりも多分早く死ぬと思います。
この世代はですね、子ども時代にみんな、大なり小なり被ばくしていますから。
我々の親の世代よりは長い気はしないだろうと私は思っていますけれども、
さて、こういうことでですね、
今 全体的な流れで大事なことは
アメリカは核兵器で世界を制覇したいという野望を抱いていましたし、
実際にそういう軍事力を持っていました。
そういう所でですね、全世界で原水爆禁止運動が広まって行ったわけですね。
当時は全世界は、こんな、今みたいにのんびりしていませんでした。
我々の時代は非常に、今言ったようにひどい時代なんですが、
反骨精神が非常に強かったです。
私は今の日本人を見ていても、
日本人だけじゃなくて全世界を見ても、つまらないんです。
「なにを考えているんだお前たちはいったい!」と言いたくなるんです。
すべての政治家に、全ての国の政治家に。
そういう思いを感じています。
当時は反骨精神を持った政治家が世界中に出てきました、いろいろな形で。
そういう人間がいま全世界を見ても誰もいないです、我々から見てね。
「世界を動かしていく」という人たちが。
だから情熱を感じないんですが、我々はそんな事で黙っちゃいられませんよ、こんな…
こんな時代をね、変えていかないと。
だからみなさんに今歴史をお話ししているんですけど、
アメリカはこういうふうに凄まじい恐ろしい事をはじめ、
ソ連も同じ事をやって、
そしてアメリカにとっては原水爆禁止運動、それからソ連の原子力発電、こういうのを見てですね、
何とか全体的にうまくコントロールしなければいけない。
かくして日本から全世界に広がる原水爆反対運動と、
ソ連の原子力発電スタート、という二つの強敵を前にして、それらを世界的にコントロールするため、
1957年10月26日、アメリカ主導のもと
国際原子力機関(International Atomic Energy Agency IAEA)が国連の自治機関として、
「原子力の平和利用を推進し、軍事転用を防止する国際機関」という名目で設立された。
そこで生まれたのが国際原子力機関。
いまこの郡山に乗り込んできたIAEAなんです!
この組織が国連の中にできまして、彼らはもちろんそれをこういういい方をする。
「原子力の平和利用を推進して、軍事転用を防止する」
「軍事転用」とはどういう事か?
これは難しい話しになりますが、要するに、
「核兵器を持っている国が増えないように」という意図です。
IAEAは、国連の軍事的な安全保障理事会に従属する組織であった。
つまり事実上、第二次世界大戦の戦勝国が(東西を問わず)
核兵器開発を独占するための国際シンジケート組織であった。
対立する米ソにとって共通項となる仮面が「原子力の平和利用」という文言だった。
国連の安全保障理事会というのは
どこかの国を非難するというとすぐに出てくるあの理事会。
これに従属する組織だったんです。
完全に独立したものじゃないんです。
アメリカ、ソ連、中国、イギリス、フランス、
みんなその安全保障理事会の軍事的な組織の従属機関なんです。
つまりこれはどういう事かと、言い換えればすぐにわかると思います。
第二次世界大戦の戦勝国なんですね、国連というのは。そもそもは。
その国連というものが東西を問わずにですね、核兵器開発を独占する。
そういう国際シンジケートとして生まれた。
だからこの世界の中では、アメリカもソビエトも共産主義も資本主義もないんです。
だからそれが一番わかりやすい、人を騙しやすい「原子力の平和利用」という文言になって行ったわけです。
そしてこの組織はね、黙っていません、ただ作ったんじゃない。
そして2年後の1959年、
全世界の健康を守る機関であるWHO(世界保健機関)が、新組織IAEAと協定を結んだ。
この協定によって、IAEAが独占的な権威と位置づけられ、
WHOは原子力の分野で独立して医学調査を実施することが禁じられた。
この時から、放射能の危険性に関して、原子力の推進機関であるIAEAが全ての実権を掌握した。
何の協定か?というとWHOというのは人類の健康を守るための組織なんですが、
そのWHOが、この原子力、「放射能に関しては口を出しちゃいけない」
とんでもない事ですけど、そういう事で医学調査を実施することを禁じるという、
それにWHOは乗ったんです!
要するに魂を売ったわけです、WHOは。
そうして原子力の推進機関のIAEAは全ての国連の中での実権を掌握して今日に至っている訳です。
IAEAの創設を主導したルイス・シュトラウスは、
マンハッタン計画の残党が集結した原子力委員会でアイゼンハワー政権時代の委員長として、
ネバダ州の待機中核実験を強行して大量の被爆者・被曝者を生みだしながら、
原子力平和利用の大宣伝に奔走した。
で、これを創設主導したルイス・シュトラウスという男は
先ほど大量に被ばく者を生みだしながら、その核実験をやったトップであって、
同時に原子力の平和利用という言葉を、二枚舌を使い分けていた男です。
この有名な男はね。
そうしてですね、今の事を観点に歴史を見ますとこういう事です。

アメリカ、ソ連、イギリス、フランス、中国と。
1960年代までにこの5カ国はですね、現在の核保有国。
公式の、公式のですよ。
他にもありますけれど、公式の保有国として全世界に権勢を誇るという事になった。
今の時代です。
この年にですね、アメリカで映画が製作されました。
1964年 中国が初の原爆実験に成功した年、
スタンリー・キューブリック監督が
「博士の異常な愛情または私はいかにして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか」を公開。
「博士の異常な愛情」のラストシーンだけみなさんに見ていただきます。59:25~
わかりました?
これ本当の全部記録ですよ、今出てきたのはね。
原爆の、原水爆の。
この歌詞がね、すばらしい曲でね、私は好きなんです。
このラストシーンね、
要するに全世界のキチガイ集団らが核戦争をやって
「地球が終わる」という、それを暗示している最後のラストシーンなんですが、
あの歌があまりにもきれいでね、「再び会いましょう」というあの歌詞があまりにも素晴らしくてね、
我々の涙が出まして最後のシーンを見たものです。

こうして、今の時代になるんですが、
もう一回戻りますと、先程の大変恐ろしい恐ろしい人体実験、プルトニウムなんかを注射した連中が、
放射能の安全基準を定めるICRPの幹部になっていくんです、この時代にね。
ハミルトンとともに1936年に白血病患者に放射性物質を静脈注射した医師ロバート・ストーンが、
放射能の安全基準を定めるICRPの幹部となり、
国連の世界保健機関(WHO)で放射能被曝問題の最高顧問となった。
さらにこれらと連動する形で、国際放射線影響委員会(UNSCEAR)が、
チェルノブイリ原発事故から現在まで、世界的な被ばく容認の組織として機能する母体となってきた。
それで、WHOでも放射能被曝の最高顧問となって、
どんどん、どんどん全世界を牛耳っていく、他にしゃべらせない。
まともな人間がいるとみんな抹殺していく。
で、国連に放射線影響委員会というのがあります。
これが、現在まで放射線の被ばくを容認する組織として機能する母体となってきました。
いろいろな組織をどんどん彼らは作ってきた。
そうしてですね、IAEAから金が出る。
これが非常に重要なんです。
要するに学者を全部買い取っていくんですね、魂を。
これ簡単な事です、学者なんてね、簡単に金で買えますから。
こうしてICRPに対する助成金は国際原子力機関(IAEA)から投入され、
さらに経済協力開発機構(OCDE)原子力機関をはじめ、
世界保健機関WHO、国際放射線防護委員会(IRPA)などの放射線学会、
イギリス、アメリカ、ヨーロッパ共同体、スウェーデン、日本、アルゼンチン、カナダなどの
各国内にある機関が拠出して、主に西側諸国が金銭的に支配し、
被ばくの安全論を普及する広告塔として機能してきた。
そして、OCDEやWHOが全部協力していく。
そしてその中に、日本も当然入ってくる訳ですが、
各国の機関が金を出してですね、そして被ばくの安全論を普及する。
つづくーー
動画はこちら↓
<1> 原子力マフィアによる被ばく強制の歴史“IAEAとICRP”
12/14広瀬隆氏郡山(内容書き出し)
今も立ち入り禁止の立て札があります。
ラスベガスから、ずーーっと砂漠の中を車で行くと、120kmも行くとあります。

まだ若いでしょ、私。12年前です。
最終処分場の候補地ヤッカ・マウンテンやユッカ・マウンテンといわれるところです。
今最終処分場、福島県内で言えば皆さんは中間貯蔵施設でですね、永久になるかもしれない、
あの貯蔵施設と同じなんです。
あれはね、絶対に中間貯蔵じゃないですから。
福島県内の汚染物質を集めた場所、それは永久貯蔵施設になります。
戦後7年目 南太平洋の空が燃え上がり
もう一回1950年代の大変な時代に戻りますと、
戦後7年目、新たな時代を迎えます。
南太平洋の空が燃え上がります。それはなにかというと、
これです。

こんどは桁違いの事を始める。
人類最初の水素爆弾
今までは原爆なんですが、これからは水爆の時代が1952年はじまりました。
だから、1000倍規模の話。100倍~1000倍のものですね。
ところが翌年ソ連がやはり水爆実験に成功します。
そういう状況の中で、アメリカは何とかしなければいけない。ということで、
翌1953年8月12日
ソ連がシベリアで初の水爆実験に成功。
これを受けて1953年12月8日
アメリカのアイゼンハワー大統領が国連総会演説で、原子力の平和利用(Atoms-for-Peace)を宣言し、
国際機関の創設を提唱した。→原子力発電の時代へ
ここから原子力発電の時代に入っていく訳ですが、
要するにこれはどうしてこんなことが行われるのか、今の流れを見ていけば皆様もお分かりのとおり、
原子力の軍事利用を隠すために生まれたのが「原子力の平和利用」演説であった。
これから人類が騙されていく
2発目の水爆
1954年3月1日
マーシャル諸島ビキニ環礁でBravoの水爆実験
これですね、凄まじいんですけれど、

これは我々はちょっと想像が出来ない。
これ、キノコ雲が100kmという直径ですからね。
さっきの原爆とはケタが違います。
きのこ雲の直径が100kmですよ、東京駅から富士山ぐらいまで。
その時ですね、ちょうど
現地ロンゲラップ島の住民が大量に被爆・被曝した。
巨大なキノコ雲が空に立ちのぼった時、
静岡県焼津漁港所属のマグロ漁船「第五福竜丸」が南太平洋に遠洋出漁中で、
マーシャル諸島ビキニ環礁東方130キロメートルの海上の近い距離にあって被爆・被曝。
大量の被ばくです。
広島・長崎と同じように直接の閃光もあったし、それから死の灰も浴びました。
この時に日本人が巻き込まれるという事件が起こった。
マグロ漁船の第五福竜丸がそのすぐ近くで、被ばくをしました。
第五福竜丸の位置を地図で書いて見ますとこういう事になります。

これぐらいの距離ですからね、
この第五福竜丸の船員たちは、直接の被ばくも受け、そして彼らの言った言葉によりますと、
「太陽が二つあった」というようなそういう閃光を浴びながら、
そして同時に大量の死の灰を浴びたと。
広島原爆1000倍の爆発力ですから、ここで水爆が爆発
これぐらいの範囲ですね、死の灰が。
この範囲が日本列島と比べると、このぐらいの距離です。


こうしてですね、この大事件が起こったんですが、しばらくして分かったんですね。
それは3月1日に実験が行われましたから、
1954年3月16日
読売新聞が第五福竜丸の水爆放射能被災ニュースをスクープ。
この日、東京築地の魚河岸で、
第五福竜丸から水揚げされたマグロから郷土の放射能を検出し、破棄された。
以後、東京と大阪の中央魚市場で多数の魚から放射能汚染が発見され、水爆マグロの恐怖が広がる。
広大な範囲が「漁業危険海域」に指定され、
そこに出漁した漁船の水揚げ魚が検査され、
実際に汚染が発見された漁船は683隻、廃棄された魚は457トンに達した。
私はこの事件を記憶しているんです。幼いながらもですね、
いわゆる放射能マグロという事件が起こりまして、
そして、水爆マグロの恐怖が日本全土に広がりまして、
当時、この第五福竜丸だけではなく、
水爆実験当時、ビキニ環礁周辺の海域で操業していた船だけで800隻以上あり、
のち、この汚染船の数はさらに増え、900隻前後であるとされる。
魚の小差分析からは、内臓の汚染が顕著であることが判明。
日本人の主なタンパク源である水産物全体に対して恐怖心を呼んだ。
食卓が警戒心と拒否反応を起こし、
魚価が半値以下に暴落して、水産業だけでなく、飲食店に大損害を与えた。
その影響は長期間に及び、マグロ漁業は壊滅的とも言える被害を受けた。
900隻もその時海洋に出ていた訳で、それがどんどん陸揚げされる。
測るとどんどんカウンターがワーッと上がる。
そして日本人全体が魚を買わなくなるというそういう時代でした。
じゃあ、この時日本人全体がどういう状態であったかというと、
日本にも放射線のいろいろな研究組織が誕生してくるんですが、
この頃はまだ日本人の意識はですね「被爆国」
「広島長崎でアメリカにやられた」という意識が非常に強かったものですから、
ICRPと並行して日本にも各種の放射線研究組織が誕生した。
戦後のの本は被爆国であったため、
1951年5月1日、
九電力体制発足と同じ日に、日本放射性同位体元素協会が設立され、
のち“原水爆実験反対運動”の先駆者として活躍し、全世界に先駆けて放射能の危険性を告発した。
この人達は非常に優れていまして、日本人を守ろうという事で放射能の研究に立ちあがるんですね。
で、ちょうど福島と杉並の太郎さん達が連携しているのと同じような形で、
1945年5月9日
東京都杉並区の主婦が中心となって原水爆禁止のための杉並協議会を結成し、
原水爆反対の巨大な署名運動が始める。
特に、福島県原町(現・南相馬市)生まれの亀井文夫監督が、
1957年にドキュメンタリー映画「世界は恐怖する 死の灰の正体」を製作し、
そこに日本の良心的な科学者が続々と登場した。
この映画の中にさきほどの日本放射性同位体元素協会の良心的な科学者が次々と登場して、
我々に教えてくれたんです。
「放射能がどんなに怖いものであるか」という事を語ってくれました。
ところがそういう時代の中でですね、ソ連が今度は原子力を発電に使うという事でスタートしまして、
1954年6月27日
ソ連が世界最初の原子力発電をおぷ人すく原子力発電所で開始した(電気出力5000kw)。
東西の軍需産業が冷戦を利用して原子力発電によるウラン・カルテルの世界的な巨大利権が動きだし、
膨大な国家予算を平和利用名目で使って暗躍を始める…
この時ですね、表向きは東西は対立しているんですが、
実際はウラン・カルテル、要するに、
「ウランを掘り出して儲けよう」という、利権では同じ目的を持っていまして、
莫大な国家予算を、アメリカはアメリカで、ソ連はソ連で、
それぞれの国で巨大な利権が動きだしまして、
それが平和利用目的でどんどん暗躍をし始める時代に入りました。
そして、そういう中で第五福竜丸の久保山愛吉さんが亡くなるんですね。
1954年9月23日
被ばくした第五福竜丸無線長の久保山愛吉さんが肝不全により40歳の若さで死亡。
「原水爆の被害者は私を最後にして欲しい」との遺言を残し、
重大事件の波紋が日本全土から世界に広がって、
12月16日には、原水爆禁止署名運動全国協議会が、
「原水爆禁止署名者が2008万1232人に達した」と発表した。
当時の人口は8800万人余りなので驚異的な人数であった。
女優の音羽信子さん達が今いる病床を訪れる中で亡くなっていきまして、
そして「被ばく者は私を最後にして欲しい」と言って、
その言葉が、日本中の人を震え上がらせまして、
たちまちのうちに原水爆禁止署名が当時の人口8800万人のうちのなんと2000万人。
こんなことは日本の歴史の、未曽有の事です。
現在で言えば3000万人規模、それだけの署名が集まって、
驚異的な原水爆禁止の運動が全世界で広まりました。
なぜか?それはですね、言うまでもありません。
我々子どもの世代が、当時癌になる死亡率が…

だって、大気中の核実験って言ったら、直接の閃光は浴びているわけじゃない。
みんな地球全体が死の灰が包んで、
日本だけで子どもたちが癌で亡くなるのが6倍も増えたんですよ。
500回を数えた原水爆の大気中の核実験で。
こういう事は忘れられていますが、私も20数年前に運動を始めたひとりですから、
昔の資料を頂きましたが、
子どもたちの歯の中のストロンチウム90とかが、ダーッ!とグラフが上がっているんです。
恐ろしい事に。
だから我々の世代はですね、おそらくですね、私たちの親の世代よりも多分早く死ぬと思います。
この世代はですね、子ども時代にみんな、大なり小なり被ばくしていますから。
我々の親の世代よりは長い気はしないだろうと私は思っていますけれども、
さて、こういうことでですね、
今 全体的な流れで大事なことは
アメリカは核兵器で世界を制覇したいという野望を抱いていましたし、
実際にそういう軍事力を持っていました。
そういう所でですね、全世界で原水爆禁止運動が広まって行ったわけですね。
当時は全世界は、こんな、今みたいにのんびりしていませんでした。
我々の時代は非常に、今言ったようにひどい時代なんですが、
反骨精神が非常に強かったです。
私は今の日本人を見ていても、
日本人だけじゃなくて全世界を見ても、つまらないんです。
「なにを考えているんだお前たちはいったい!」と言いたくなるんです。
すべての政治家に、全ての国の政治家に。
そういう思いを感じています。
当時は反骨精神を持った政治家が世界中に出てきました、いろいろな形で。
そういう人間がいま全世界を見ても誰もいないです、我々から見てね。
「世界を動かしていく」という人たちが。
だから情熱を感じないんですが、我々はそんな事で黙っちゃいられませんよ、こんな…
こんな時代をね、変えていかないと。
だからみなさんに今歴史をお話ししているんですけど、
アメリカはこういうふうに凄まじい恐ろしい事をはじめ、
ソ連も同じ事をやって、
そしてアメリカにとっては原水爆禁止運動、それからソ連の原子力発電、こういうのを見てですね、
何とか全体的にうまくコントロールしなければいけない。
かくして日本から全世界に広がる原水爆反対運動と、
ソ連の原子力発電スタート、という二つの強敵を前にして、それらを世界的にコントロールするため、
1957年10月26日、アメリカ主導のもと
国際原子力機関(International Atomic Energy Agency IAEA)が国連の自治機関として、
「原子力の平和利用を推進し、軍事転用を防止する国際機関」という名目で設立された。
そこで生まれたのが国際原子力機関。
いまこの郡山に乗り込んできたIAEAなんです!
この組織が国連の中にできまして、彼らはもちろんそれをこういういい方をする。
「原子力の平和利用を推進して、軍事転用を防止する」
「軍事転用」とはどういう事か?
これは難しい話しになりますが、要するに、
「核兵器を持っている国が増えないように」という意図です。
IAEAは、国連の軍事的な安全保障理事会に従属する組織であった。
つまり事実上、第二次世界大戦の戦勝国が(東西を問わず)
核兵器開発を独占するための国際シンジケート組織であった。
対立する米ソにとって共通項となる仮面が「原子力の平和利用」という文言だった。
国連の安全保障理事会というのは
どこかの国を非難するというとすぐに出てくるあの理事会。
これに従属する組織だったんです。
完全に独立したものじゃないんです。
アメリカ、ソ連、中国、イギリス、フランス、
みんなその安全保障理事会の軍事的な組織の従属機関なんです。
つまりこれはどういう事かと、言い換えればすぐにわかると思います。
第二次世界大戦の戦勝国なんですね、国連というのは。そもそもは。
その国連というものが東西を問わずにですね、核兵器開発を独占する。
そういう国際シンジケートとして生まれた。
だからこの世界の中では、アメリカもソビエトも共産主義も資本主義もないんです。
だからそれが一番わかりやすい、人を騙しやすい「原子力の平和利用」という文言になって行ったわけです。
そしてこの組織はね、黙っていません、ただ作ったんじゃない。
そして2年後の1959年、
全世界の健康を守る機関であるWHO(世界保健機関)が、新組織IAEAと協定を結んだ。
この協定によって、IAEAが独占的な権威と位置づけられ、
WHOは原子力の分野で独立して医学調査を実施することが禁じられた。
この時から、放射能の危険性に関して、原子力の推進機関であるIAEAが全ての実権を掌握した。
何の協定か?というとWHOというのは人類の健康を守るための組織なんですが、
そのWHOが、この原子力、「放射能に関しては口を出しちゃいけない」
とんでもない事ですけど、そういう事で医学調査を実施することを禁じるという、
それにWHOは乗ったんです!
要するに魂を売ったわけです、WHOは。
そうして原子力の推進機関のIAEAは全ての国連の中での実権を掌握して今日に至っている訳です。
IAEAの創設を主導したルイス・シュトラウスは、
マンハッタン計画の残党が集結した原子力委員会でアイゼンハワー政権時代の委員長として、
ネバダ州の待機中核実験を強行して大量の被爆者・被曝者を生みだしながら、
原子力平和利用の大宣伝に奔走した。
で、これを創設主導したルイス・シュトラウスという男は
先ほど大量に被ばく者を生みだしながら、その核実験をやったトップであって、
同時に原子力の平和利用という言葉を、二枚舌を使い分けていた男です。
この有名な男はね。
そうしてですね、今の事を観点に歴史を見ますとこういう事です。

アメリカ、ソ連、イギリス、フランス、中国と。
1960年代までにこの5カ国はですね、現在の核保有国。
公式の、公式のですよ。
他にもありますけれど、公式の保有国として全世界に権勢を誇るという事になった。
今の時代です。
この年にですね、アメリカで映画が製作されました。
1964年 中国が初の原爆実験に成功した年、
スタンリー・キューブリック監督が
「博士の異常な愛情または私はいかにして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか」を公開。
「博士の異常な愛情」のラストシーンだけみなさんに見ていただきます。59:25~
わかりました?
これ本当の全部記録ですよ、今出てきたのはね。
原爆の、原水爆の。
この歌詞がね、すばらしい曲でね、私は好きなんです。
このラストシーンね、
要するに全世界のキチガイ集団らが核戦争をやって
「地球が終わる」という、それを暗示している最後のラストシーンなんですが、
あの歌があまりにもきれいでね、「再び会いましょう」というあの歌詞があまりにも素晴らしくてね、
我々の涙が出まして最後のシーンを見たものです。

こうして、今の時代になるんですが、
もう一回戻りますと、先程の大変恐ろしい恐ろしい人体実験、プルトニウムなんかを注射した連中が、
放射能の安全基準を定めるICRPの幹部になっていくんです、この時代にね。
ハミルトンとともに1936年に白血病患者に放射性物質を静脈注射した医師ロバート・ストーンが、
放射能の安全基準を定めるICRPの幹部となり、
国連の世界保健機関(WHO)で放射能被曝問題の最高顧問となった。
さらにこれらと連動する形で、国際放射線影響委員会(UNSCEAR)が、
チェルノブイリ原発事故から現在まで、世界的な被ばく容認の組織として機能する母体となってきた。
それで、WHOでも放射能被曝の最高顧問となって、
どんどん、どんどん全世界を牛耳っていく、他にしゃべらせない。
まともな人間がいるとみんな抹殺していく。
で、国連に放射線影響委員会というのがあります。
これが、現在まで放射線の被ばくを容認する組織として機能する母体となってきました。
いろいろな組織をどんどん彼らは作ってきた。
そうしてですね、IAEAから金が出る。
これが非常に重要なんです。
要するに学者を全部買い取っていくんですね、魂を。
これ簡単な事です、学者なんてね、簡単に金で買えますから。
こうしてICRPに対する助成金は国際原子力機関(IAEA)から投入され、
さらに経済協力開発機構(OCDE)原子力機関をはじめ、
世界保健機関WHO、国際放射線防護委員会(IRPA)などの放射線学会、
イギリス、アメリカ、ヨーロッパ共同体、スウェーデン、日本、アルゼンチン、カナダなどの
各国内にある機関が拠出して、主に西側諸国が金銭的に支配し、
被ばくの安全論を普及する広告塔として機能してきた。
そして、OCDEやWHOが全部協力していく。
そしてその中に、日本も当然入ってくる訳ですが、
各国の機関が金を出してですね、そして被ばくの安全論を普及する。
つづくーー
動画はこちら↓
<1> 原子力マフィアによる被ばく強制の歴史“IAEAとICRP”
12/14広瀬隆氏郡山(内容書き出し)
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- <6>原子力発電運転開始~放射線の有効利用キャンペーン“IAEAとICRP”12/14広瀬隆氏郡山(内容書き出し)
- <5>軍事組織IAEAの正体 双子の悪魔と日本の現状 “IAEAとICRP”12/14広瀬隆氏郡山(内容書き出し)
- <4>IAEA誕生 “IAEAとICRP”12/14広瀬隆氏郡山(内容書き出し)
- <3> プルトニウム人体実験~核実験・被ばくに対して語った言葉 “IAEAとICRP”12/14広瀬隆氏郡山(内容書き出し)
- <2> 日本敗戦~東西冷戦 “IAEAとICRP”12/14広瀬隆氏郡山(内容書き出し)
- <1> 原子力マフィアによる被ばく強制の歴史“IAEAとICRP”12/14広瀬隆氏郡山(内容書き出し)
- 「IAEAが今、郡山に乗り込んで福島県民を殺そうとしているんです」広瀬隆氏12/15(文字起こし)
- 津波がくれば「逃げろ!」って叫ぶでしょ? 何故「放射能から逃げろ!」って叫ばないんですか!?広瀬隆氏10/26文科省前(内容書き出し)
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- 広瀬隆:関電が発電のプロであるなら、絶対に電力不足は起こりません「再稼動に反対する大規模集団ハンガーストライキ実施に関する記者会見」4/17(内容書き出し)
コメント
いつも貴重な情報をありがとうございます。
次期ファーストレディになる安倍昭恵さん、居酒屋経営! こだわりの店を内神田にオープン料理には徹底してこだわる。
ボードに書かれたメニューは「山口県祝島ひじき五目煮」(580円)や、「山口県産新米ととん汁セット」(980円)など、
山口県産がもりだくさん 。お米は私が下関の田んぼで作った無農薬米です」
反原発の奥様。山口県祝島と言えば30年以上上関原発に反対して映画 「ミツバチの羽音と地球の回転」..にもなったところ
お店には居ないかもしれませんが、奥様に是非日本の食料事情を聞きたいですね。
http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20121019/dms1210191548019-n1.htm
http://matome.naver.jp/odai/2135063348429730401
ボードに書かれたメニューは「山口県祝島ひじき五目煮」(580円)や、「山口県産新米ととん汁セット」(980円)など、
山口県産がもりだくさん 。お米は私が下関の田んぼで作った無農薬米です」
反原発の奥様。山口県祝島と言えば30年以上上関原発に反対して映画 「ミツバチの羽音と地球の回転」..にもなったところ
お店には居ないかもしれませんが、奥様に是非日本の食料事情を聞きたいですね。
http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20121019/dms1210191548019-n1.htm
http://matome.naver.jp/odai/2135063348429730401
いつも、情報ありがとうございます。 | 2012.12.20 01:18 | 編集
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| 2012.12.21 23:13 | 編集