「新“告示501号”を使っていない原発は古くて駄目だというのをまず認識すべき」田中三彦氏4/2原子力規制を監視する市民の会「新安全基準骨子案」の問題点を暴く(文字起こし)

2013年4月2日
「原子力規制を監視する市民の会」
アドバイザリーグループ 5人の元原発技術者が「新安全基準骨子案」の問題点を暴く
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/72000

■出席者 「原子力規制を監視する市民の会」アドバイザリーグループメンバー
 小倉志郎氏(元東芝原発技術者)
 後藤政志氏(元東芝原発設計技術者、元ストレステスト意見聴取会委員)
 滝谷紘一氏(元原子力技術者、元原子力安全委員会事務局技術参与)
 田中三彦氏(元日立原発設計技術者、元国会事故調査委員会委員)
 藤原節男氏(元三菱重工原発設計技術者、元原子力安全基盤機構検査員)


司会 菅波(すげなみ):
続いて田中三彦さん、元日立の原発設計技術者、国会事故調の委員も勤められました。
田中三彦さんからコメントを頂きたいと思います。


田中三彦:
2013040520.jpg

えっと、元日立というのは間違いですね。
私はバブコック日立という、そういう日立系の会社です。
バブコック日立呉工場というところで日立系の、
日立ブランドの原発というのは格納容器をつくっていたこともあるし、
現在も原子炉圧力容器はずっとそこでつくるという、そういう事になっております。
そこへ勤めていて、もともとここの会社は、
会社のPRするつもりは全然ないんですけれども、
この会社は事業用の火力発電所をつくる。
私は両方経験はしておりますけれども、
私は構造解析屋なものですから、福島の4号機ですか、
福島の4号機の原子炉圧力容器を、主任だったと思いますけど、として設計をいたしておりました。

で、新安全基準に対するコメントというのは、
詳しく読んでいくといろいろと腹の立つ事がいっぱいあって、
個々にはですね、実際に設計をしていない人たちの絵空事とみたいな話もあるし、
「こういうことは考えなくちゃいけないんじゃないか」と思うことはいっぱいあるんですが、
今ここではですね、その話は伏せておいて、

というのはですね、一つの矛盾があって、
「わたしには」ですよ。

「こうして下さい、ああして下さい」というコメントというのはですね、
安全基準、新安全基準を補強するという事ではあるかもしれない。
しかしそれがそのままツールとしてですね、
新安全基準のツールとして、原発の再稼働に使われるということになるとですね、
「こうして下さい、ああして下さい」という事自体に、私は非常に…え…、躊躇するものがある。


原発はですね、
今回学ばなければいけないことは、やっぱり止めるという事だと思いますね。


で、どういう原発も再稼働をしないという、
再稼働というよりも、止めていく方向に舵を切らないと、何を学んだのか分からないという。

したがって舵を切らないためのこういう基準策定というものには、根本的に反対をしているので、
「こうしなさい、ああしなさい」
「ああしてほしい、こうしてほしい」っていうコメントは、今したくないという気持ちが強いです。

にもかかわらず少し提言はしたい。
万一これが適用されていく時の事を考えての事ですが、
まず、この資料を見て下さい。3枚しかございません。
2枚目。

2013040521.jpg

新安全基準に対する提言としてですね、少なくても新「告示501号」というのがあるんですけれども、
これが1980年にようやく交付されるんですが、と、
旧耐震設計審査指針1978年制定、
で、原子力安全委員会はたぶん81年だったと思いますけれども、
81年か2年にそれを出しているんですけれども、
その双方が適用されていないような原発というのはですね、
1980年代ごろまで10数基に及ぶと思いますが、
これはですね、新安全基準適用範囲外としてもらいたい。
で、即廃炉とすべきであるというふうに思っております。

理由を次のページに説明してございます。

2013040522.jpg

たとえばですね敦賀一号と美浜一号というのはどんな原発か?って言うと、
あれは日本に原発の構造技術基準というものが存在していない時につくられているものです。
したがって、何が適用されているか?というとですね、
化学プラントとしての技術基準がそのまま使われています。

従って美浜1号機というのは、2号機に比べてですね、
たとえば原子炉圧力容器の厚さがですね、かなり違います。
厚くなっています。
なぜ厚くなっているか?というと、適用されている技術基準が違うからです。

「厚ければいい」という話では全然なくて、
いわゆる公式を使った設計手法という、
非常に伝統的なそういうやり方でつくられている原発だという事をご理解いただきたい。

この二つはですね、1970年に動きだしましたけれども
これは原発としての設計構造手法は使われていません。
そういうものに新安全基準というものを適用していくことはこれは論外です。

だからこういうものは即止めなきゃいけない。

で、福島第一が、今度原発が爆発しましたけれども、
あれの1号機というのはほぼ
あれはギリギリ新しい構造基準を使いましたけれども、
「日本が造ったものではない」という意味で言うと、
ほぼ、美浜1号、敦賀1号に並ぶ古い原発です。

それで日本に原子力発電の構造技術基準というのが出来たのは何時なのか?というと、
1970年です。
昭和45年です。
私は昭和43年に入社しているので、その頃をよく記憶しております。

そうすると、昭和45年、1970年に原発が、
まぁ、こういうふうにつくって下さいという、その技術基準。
それのことを、「告示501号」と言います。


この「告示501号」が適用されない原発というものは、
まず、美浜一号と敦賀一号なんですけれども、

じゃあ、「告示501号」というのはそれほど立派なものか?というとですね、
これはアメリカが機械メーカーに、
日本はアメリカの構造技術、設計の方法をそのまま踏襲をしていく訳ですけれど、
マネするわけですけれども、
アメリカが1963年に初めて原発用に技術基準というのを作ります。
これは、原子炉圧力容器用につくるんですが、それが1963年に初めて出てきます、アメリカで。

それをアスメントセクション3とかアスメコードセクション3とか、
専門家の方ならよくご存じだと思うんですけれども、
「それを使って設計をしろ」というのが昭和45年、1970年に初めてそれが出来るんですね。

ところがもうすでにアメリカは、
アメリカがつくって7年後の物を翻訳。
全くの翻訳です。
だから、誤訳もあると思いますし、訳して意味が分からない、
そういう非常に曖昧なまま出来たのが、その「告示501号」1970年ですね。

で、これを使って設計をしていくというような事をやるけれども、
アメリカは翌年の1971年にもう、大幅なそのアスメセクション3のリバイスをします。改定ですね。


最初1963年につくったアメリカのは、この位の厚さしかないです。1cmぐらいです。
その次にですね、1971年にはこのぐらいの厚さに変わってきます。
当然のことながら設計者の人達は、「こんなにアメリカは変わってしまったんだ」ということに驚きを禁じ得なかったんだけれども、内容が緩む事はなくて、当然アメリカの場合は中身が厳しくなっていきます。
だから溶接位置なんかも「こういうところにしてはいけませんよ」と、
「こういうところにすると検査が出来なくなるので、位置を外して下さい」とか、
そういうふうな事をいろいろ厳しく変わっていきます。

しかし日本はそれとは関係なく1980年まで
アメリカの1963年版がずーーっと延々と使われていくという事実があるんです。

当然設計者はアメリカと違うものを使ってやっているという事が分かっている訳だから、
裏ではですね、たとえば、
自主的にそれをアメリカのコードに合わせて設計をするというような事を当然やる訳ですけれども、
「法的義務はない」という事をまず知っておいていただきたいということです。

それで、ようやく1980年にアメリカの1971年だった9年遅れですね、
それをまた翻訳し、それから、この頃の日本は原子力行政、原子力技術に自信を持ち始めて、
特に79年にアメリカがですね、スリーマイルの事故を起こすということもあったので、
それで1980年にようやくですね、
アメリカの71年版というものを吸収した格好の新「告示501号」というのが出てきます。

従って、今建っている原発の中で、
新「告示501号」を使っていないような原発というのは、もう古くて駄目だというのをまず認識すべきです。


それから驚くべき話をもうひとつ。
1979年まで日本は耐震設計審査指針というものを一切持っておりません。
従って、1979年まで日本がやっていたものは独自の審査基準ですね。
そういうものを勝手に、民間を使って、アメリカの主にエルセントロとか、そういうところのカフトだとか、
そういう地震波を使ってそれで設計をしていたという、
恐ろしく耐震制度の悪い原発なんです。

したがってその、二つを考えていくと、1980年代までに建設された原発なんていうのは、
新耐震安全基準に適用するなんていうこと自体がベースがずれている。
だから、これはもうやっちゃいけないです。


それが一つ、理由がそこに書いてあって、
4番目です。
1980年に、そこまで今お話しました。

たとえばです、本当にどんな弊害が起きるか?というと、たとえば、
下から三つ目のポチのところですけれど、
たとえば、福島第一原発の非常用復水器、ICと言われているものですね。
その設計者の意図が十分に理解されていない設備が、システムが存在する可能性がある。
もうこれ、図面がないんですよ。


私はですね、これを一生けん命「どういうものか?」っていう事をしらべてですね、
アメリカからも文書を取り寄せて調べたんですけど、結局分からないです。
40年ぶりに初めて動いて、運転員が操作の仕方も分からない。
それで東京電力が「55℃/hだから止めた」なんていうのは全くのウソです。

それで、現在もすでにそれで頬かむりしているけれども、あの問題は非常に深刻です
で、私はまだこの問題をずっと調べていますけれども、

こういう古過ぎて分からないようなシステムがへばりついていたりするんですよ。
それから図面がありません。

それで、パッチワークでいろんなものを後から付けていくものですから、
当時の図面が改ざんされているんだけれども、ライディングが分からなくなっちゃっている。
それで実際、今度シビアアクシデントが起きた時に、
懐中電灯で照らして、ベントする配管を探しまわるという、そういうことがでています。


これはもう、文章の問題だとかライディングが分からない。
構造の意味も分からない。
そういうものがいくつもあるのでね、こういうものがある可能性があるので、
そういうものに適用するという事をまず除外するべきだと思います。

で、まぁ、あと当然のことながら、使用されている機器が古い
コンピューターシステムが古いかもしれない。
制御システムが古いかもしれない。
それから各設備が想定を超えて脆化していたり、
いろいろとヒビが入っていたりする老朽化の問題がある可能性がある。


だからこういうものを一つ一つ考えるんじゃなくてですね、
まず1980年代までの10数基はですね、「全部終わり」と。

で、その上で話をして欲しいというのが私の提案です。






「重大事故の敷地境界線量評価をせよ」
滝谷紘一氏4/2原子力規制を監視する市民の会「新安全基準骨子案」の問題点を暴く(文字起こし)


「『シビアアクシデントは許さない』という記述を入れるべき」
小倉志郎氏4/2原子力規制を監視する市民の会「新安全基準骨子案」の問題点を暴く(文字起こし)


「3号機燃料プールの核爆発が新安全基準には全然反映されていない」
藤原節男氏4/2原子力規制を監視する市民の会「新安全基準骨子案」の問題点を暴く(文字起こし)


「安全系設備に猶予期間を設けて運転するのは 故障した航空機をそのまま飛ばしているのと全く同じ」
後藤政志氏4/2原子力規制を監視する市民の会「新安全基準骨子案」の問題点を暴く(文字起こし)


<5年猶予問題>原子力規制を監視する市民の会4/2坂上武氏&デモクラTV4/5


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「歪んだ福一4号機の圧力容器~地震で壊れた1号機と2号機」田中三彦氏(音声&内容書き出し)


・4号機圧力容器の歪み(極秘に行った歪み直し)
・社会的倫理と会社の倫理
・国の脅しとエネルギー中毒症状
・パッシブな暮らし方
・福島の原発は「津波で壊れた」の嘘
・映画「明日が消える、どうして原発?」


あしたが消える 田中三彦氏


田中三彦氏 『あしたが消える-どうして原発?』衝撃インタビュー
原子力発電の安全性を問いかけた22年前の自主制作ドキュメンタリー映画について 
著書 『原発はなぜ危険か 元設計技師の証言』(岩波新書)

田中三彦氏 1943年栃木県生まれ。
1968年東京工業大学生産機械工学科卒業。
同年(株)バブコック日立に入社。原発の設計に従事。
1977年に退社し、以後おもに、科学および科­-学思想に関わる翻訳・執筆に従事。
中央大学非常勤講師。





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広瀬 隆×田中三彦 「津波の前に地震で配管が壊れた可能性」について

スペシャル対談 広瀬 隆×田中三彦(サイエンスライター)
東電はごまかしている!
「津波前から原発は制御不能だった」の決定的証拠

(週刊朝日 2011年11月04日号掲載) 2011年10月27日(木)配信

元原発設計者のサイエンスライター田中三彦さんは、
「福島第一原発の事故は津波で起こった。地震で原発は壊れていない」とする東京電力の公式見解に、
真っ向から異議を唱えている。
もし地震で壊れていたのなら、ほかの原発の安全性にも大きな影響を与える。
広瀬隆さんとの対談で、事故の真相に迫った。

たなか1



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映画『あしたが消える どうして原発?』特別映像田中三彦氏(内容書き出し)


映画『あしたが消える どうして原発?』特別映像



1988年6月
福島第一原発4号炉の欠陥が告発された
その欠陥は15年前の製造当時からありながら隠されていたのである。
当時直接設計に携わった元原子炉設計技師田中三彦さんは
今も運転し続ける危険性について、ついに告発に踏み切ったのである

田中三彦さん(元原子炉設計技師):
後遺症というのはどういう事なのかと言うと
原子炉圧力容器というのはこう、高さが20メートル位でですね
あの場合は5メートル半ぐらいの鉄で出来ている円筒形のものです
それが心臓部で、その核分裂が起こる
その容器を製作中にですね
それは丸くなければいけないんですね、断面が
その所が潰れてしまったという
で、潰れたというのは大げさな表現かもしれないけれども、
楕円形になっていった事は事実ですね

で、その楕円形のままだと、品物としては合格しないので
それで、中にジャッキ。
自動車を持ち上げたりするジャッキがあります。
あれと同じジャッキで、中に入れて、
それが一本200トン位まで、
200トンっていうと大きいですね。ビル一つ持ちあがっちゃうとか、そういうのを
それを数本入れましてね、
一応、丸くなおす。

その丸くなおす時にいろんな仕掛けがありまして
高い温度にしてですね、それで、直していくんですけれども、
特に、そういうジャッキが当たった部分。数カ所の鉄というのはある種の後遺症を負ったに違いない
で、その後遺症というのは、老朽化していった時になんかの形で現れてくる可能性があって
それは、必ず壊れるという事ではないかもしれないけれども、
その評価が出来ないまま当時は直したし、
評価されないまま今動いているから
そういう事は、危ないのでね。
特に、たとえば、そういう一つの老朽化現象というので機械というのは突然壊れる訳です。


ナレーション:
今年、89年1月、福島第二原発3号炉で重大な事故が起こった
再循環ポンプの重さ100キロもある部品が脱落し、ポンプ内のあちこちを傷つけ炉心に流れ込んだ。

電力会社は半年前から、そういう事故が起こりうることを知りながら運転を続けていた

田中三彦:
あの事故の一番の要因は、溶接部の溶接が悪かったとか、そういう事ではないんだと思うんですね
原因というのは、やっぱり、電力会社とか国がいつも言っている「多重防護」だとかですね、
それから、「二重三重の安全機構が働くから、原発というのは多少異常なことが起こっても大丈夫なんだ」
という事を何時も強調している
ところが、二重三重の安全機構というのがいくつか働いるんです。確かにね
アラームが鳴っているとか
中央操作室で運転をしている部屋ですね。そういう所で警報が出ていたりするんです
そういうアラームが出ているのにもかかわらずね、
最終的には人間の判断のシステムの中にそれが入らない
で、結局定期検査である1月7日に向けてですね、運転を継続していって
それで、止めてみたらばああいうことになっていたと。
機械というのは壊れる訳です。
だから、永久に壊れないように物が作られているんじゃ無くて
壊れるという事は必ずあるわけで、それは、原発というものには逃れられない事
ああいう事故を起こしてしまった事は、溶接部では無くて
アラームを無視する構造とかね、そういう電力会社の体質とか
そういう事が反映されてあそこにいったんだという事を
よく考えないといけないと思うんだけど、

どんなメーカーでもね
原発を造るというのは2年とか3年
圧力容器だけでも2年とか3年かかるんです
全プラントでは6~7年かかっているんです

この中でね、
電力会社に知られたくない事
国に知られたくない事がね、発生しないと考える方がおかしいんでね

たとえば、僕が会社に入った頃の新米の時に、比較的忘れられない話として言えばね
えー、ま、名前は出さない方がいいと思うけれど

「あそこの原発が壊れたらば、俺は、すぐ『あそこの部分だ』と、思い当るところがある」と言った作業員(技術屋)がね、
当時いましたけれどね
そういうものだと思うんですね
だから、製造部も設計部も胸に手を当ててよく考えればですね
意図的にやったかどうかはそれは別ですけれども
「病むにやまれず内緒にしておる」ですね、トラブルがあったという事は
それは無い方がおかしいんであってね

設計だって製造だってみんなそれはある

大きさの問題で言うと
福島4号は非常に大きい問題であったとは思いますけどね




「原発」考える映画 今池で来月
asahi.com 2011年09月27日

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「あしたが消える どうして原発?」から=名古屋シネマテーク提供

●22年前の記録上映

原子力発電の安全性を問いかけた22年前の自主制作ドキュメンタリー映画
「あしたが消える どうして原発?」(1989年)を、
名古屋市千種区今池1丁目の名古屋シネマテークが10月1日から上映する。
 
映画は1988年5月に朝日新聞が掲載した仙台市の主婦の投稿をきっかけに生まれた。
見出しは「『安全な』原発と父の死」。

20年にわたって原発の仕事をしていた父親を骨のがんで失い、死因と原発の関係を疑いながら、
「原発は二重三重の安全装置がある。絶対安全だ」と話していた父親を振り返る内容だった。
 
当時、チェルノブイリ原発事故から2年。
「安全神話」を問い直す必要を感じていた30代の映画プロデューサーらが、
投稿した主婦の話を軸に、自己資金で映画を撮ることを決めた。
 
宮城、福島、福井、愛媛の原発を主婦と訪ね歩き、55分の作品にまとめた。
福島第一原発の設計にかかわった技術者や、炉心近くで働く労働者のインタビューが盛り込んである。
「安全神話」をめぐる「当事者ならではの不安」を伝える仕上がりだ。
 
映画は当時、反原発を訴える市民団体などが集会で上映した。
しかし、配給ルートを持たない自主制作映画のため、幅広く公開されることはなかった。
 
制作を率先した平形則安さん(55)は
「原発の是非をみんなで考えるのが狙いだった。
結局は自分がどんなライフスタイルを選ぶかの問題なのだと思う。
足元を見つめ直す参考にしてもらえれば」と話す。
 
7日まで各日午後0時15分から上映。一般1200円。
問い合わせは名古屋シネマテーク(052・733・3959)。(佐藤雄二)



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