「子どものためによくないから、あの原発の火は全部無しに」肥田舜太郎氏3/16立川(文字起こし)

肥田先生が立川にいらしてた~♡
知らなかったのがとっても残念です。
もっとお話聞きたぁ~い。
だけど、後半6分間だけでも大変ありがたく聞かせていただきました。
Youtubeにして下さってありがとうございます。
感謝です。




肥田舜太郎さんを迎えて

2014年3月16日(土)立川柴崎学習館

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エネルギーをいつも生きる方向へ集中させていくというのは、自分の意志の力です。
だから、生きていくのにお金が足りない、
あるいは、もめごとがいっぱいあって生きるのが大変だ。
みんなそれぞれ悩みを持っている。

大体悩みの中心は人間関係、ひとつはね。
もうひとつはお金が足りない。

みんなおんなじことを考えながら
同じ原因に向かって苦しめられているんだけど
バラバラに生きているんですよ、みんな。
自分だけどうしてこんなにみじめなんだと。
自分だけがどうしてこんなに不幸なんだと。
みんな思わされている。

聞いてみればみんな同じなんです。

この中に「貯金通帳に40億円あってあと3代無駄にしても大丈夫です」っていう方がいたら手を上げて下さい。
そんな方はこの中にはいないと思う。
みんなそういう人間なんですよ、今。
こういうところに集まっているのは。
10億20憶持っている人は来ません。

だから、地球の上で今日本という国に生きている。
1番数の多い階層がみなさんと同じ人なんです。
もうちょっと悪いのが、ここにもこれなくて駅で寝たりなんかしている人が残念だけどいる。
皆さんは下は沢山いるけれど、上はそういないんです。
羨ましがっていろいろ眺めているけど、うちの中に入っていれば、みんな同じ苦しみを持っている。

だから、一番の根源は
1億4000万人という、大変な数の人間が、せまーい日本という国の中で、ひしめき合って今生きている。
どっかよその広いところで暮らしたくたってそんなところないから我慢するよりしょうがない。
山を切り開いて平地を作ったり、田んぼを広げたりしながら何とかかんとか食っていくことに苦労している。

そういう苦労している同士がお互いに喧嘩するんじゃなしに
同じ方を向いて一緒になって、「嫌な事はよしましょう」と、
子どものためによくないから、あの原発の火は全部無しにして
当分の間石油や石炭で火を起こしてもらっていいんじゃないですか。

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リニア新幹線。
ね。
なんで大阪まで30分で行かなきゃならないんだ。
そのために穴掘って、沢山の土地を潰し、
沢山のいろんな公害を起こしながらね、
あれに乗って、大阪に30分で行った。
俺はこんな幸せな人間だなんていうのは誰もいないんだ。
高いお金を出して乗って。

そういうつまらない事をしようっていうのがいっぱいいるんだ。

だから、当り前の生活を当り前に楽しくやっていける国が一番幸せなんです。
だから、どの顔をみなさん見ても、
人を落としめて自分だけがお金持ちになりたいっていうような顔はひとつもない。
なろうったって、なれないでしょ。

(笑)

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そういう意味で、今日ここで笑いながら私の話を聞いて下さった方は、
残された自分の寿命はまだ沢山あります。
私の娘と比べたって大変にある。

ひとつ、
今の、うちの中にいる自分の子どもじゃなくて、
その次の子ども次の子ども、
それがこの国に生まれてくる。
その子たちに放射線の苦しみだけは与えない。

せめてその一つだけでも、その子たちのために日本の国から全部火を消して。
つけたのは人間なんだから、消すこともできるんです。
現に今消えています。


だからせめて自分の子孫のためにね、
それぐらいの事はみんなで力を合わせてやって頂きたい。

そして、憲法の一つ一つの条文を読んで関心するんではなくて、
一つ一つを自分が実践をする。どの一つも。


憲法というのは政府を縛る法律なんです。
今の政府のでたらめな事を憲法が止める。

その憲法を「都合のいいように変えましょう」なんていう政府が出てきたら、
これは一番たちが悪い


そう思って、世界の人の鏡になる今日本の憲法を、どの1行もへこまさない。

そういう前向きな人生を歩いて、これから生まれてくるみなさんの子孫のために
日本の国から放射線という人間にとって余計なものは無くしておく。
それをみなさんのこれからの人生の目標にしていただいて、私の話を終わりたいと思います。








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「生きている間に今の原発の火を全部止めて死ぬ。 これが今生きている日本人のみなさんの責任である」10/13肥田舜太郎医師(文字起こし)

さようなら原発1000万人アクション
2013年10月13日
No Nukes Day 原発ゼロ☆統一行動
-福島を忘れるな・再稼働を許すな-




ご紹介いただきました、内科医師の肥田舜太郎です。

私が今日ここに立ってお話しするように段取りをされました理由は、
今お話があったように、始めて世界で放射線の力で人間を殺す核兵器を最初に使われた広島で、
私も被ばくをして偶然命が助かったために、
その直後から、沢山の被ばく者の方の診療をやってきました。

正直申し上げて、
広島で私がなにか治療らしい事をした患者さんでいま生き残っている方はほんのわずかしかおられません。
ほとんど、広島で私が処置をした患者さんは、ほとんど亡くなりました。
つまり医師としては何の役にも立たなかった訳です。

日本の大部分の方は広島・長崎の事をよく勉強されます。
しかし「あの二つの街の大きな被害が放射線の被害だった」という事を今すぐ思いつかれる方は
ほとんどいないんです。
大変大きな爆弾で1発で町が全部吹っ飛んだ。
沢山の人は即死をした。
そういう受け取り方を殆どの方がしています。
放射線の被害だったという事を真っ先に思いつく方はほとんどないはずなんです。

その理由は、落としたアメリカが、まだ人間が続々と死に始めているその時に、
放射線の粒を体内に取り入れたものは、入った放射線の量が非常に少ないから、全く人間には被害を与えない。

そういう発表をアメリカは戦勝国として負けた日本の国の政府にその考え方を押し付けました。

そして被爆者には
みなさんが今受けているどんな被害も、これはすべてアメリカの軍事機密である。
従って、自分の身体に今何が起こっているかという事を絶対に口外してはいけない。
人に話してはいけない。親にも言ってはいけない。
もし違反したものは厳罰に処す

次に日本の医師に対して申し上げる。
医師のみなさんは、おそらく広島長崎で被害を受けた被爆者に診療を求められることがあるだろう。
医師は患者を診療することが仕事なのだから、それは自由にやってよろしい。
ただしその結果を、記録をしたり、研究の材料として論文に書いたり、
あるいは仲間内で相談をしたり、研究をする事は一切まかりならん。
もしこれに違反した場合は厳罰に処す

こういう二つの布告をアメリカは直後にもう行っているんです。

私たちは現場で、毎日死んでいく患者さんをみながら、
何の病気なのか?
なぜ死ぬのか?
全く分からず困っている時に、医師にそういう命令を下されました。

つまり、日本の国民が放射線の被害についてほとんど無知な理由は、
あの時にアメリカが
世界で初めて経験した不思議な病気、不思議な重症の恐ろしい身体の状態が放射線のせいであるという事を、
誰も知ることができないように口封じをしたからであります

この事をほとんどの人は知りません。
なぜ、広島や長崎で患者を診た医師が、何故そういう事をみなさんに伝えなかったのか?
それは4年後に広島と長崎につくられたABCCというアメリカの医療機関が
沢山の被爆者を集めて診察をする、検査をする、治療は全くしない。
そういう状態で数年間被爆者は生け贄にされました。

そのかたわらでABCCの二つの医療機関は、日本の医師会と医学会に対して、
黙って内緒で研究するものがいるかどうかを厳重に見張って、
ほんの僅かでもそういう傾向を見せた医者は、すぐその所属と機関からクビにする、こういう処置をとりました。

私も国立病院になった陸軍病院で働いていましたが、
マッカーサー司令部から、「占領軍の命令に違反をして従わない」という理由で
マッカーサーの直接クビ切りにあって、国立病院を追われました。


つまりアメリカは始めて作った核兵器で日本人をモルモットにして実験をした。
しかもその治療法は全くない。

今の医学はまだ、放射線の被害を正しく診療する能力もありません。
治療法は全くわかりません。
そのまんま68年間経過をしてきたわけです。


もしアメリカが、落としたのは落としたとしても、
平和になってから日本の医師が沢山生き残った被爆者を、
一生懸命診察をし、治療をし、苦労をして研究をするならば、
68年経った今日、今福島で起こっている放射線被害は、今よりももっともっと正しく診断ができ、
どうしたらいいかという方向もおそらく分かっているに違いありません。

アメリカは新しい爆弾のモルモットとして日本人を使ったばかりでなく、
被害を受けて68年間、まだ今日でもそのために死んでいく被爆者がまだ今もいます。
そういう状態を作ったことに何の責任も取らず、
「あの爆弾を落としたことは正しかった」というふうに開き直っています。


日本はあの原爆を受けて68年経ちました。
そして、原子炉をつくった企業は、戦争が終わっても核兵器で、
核の原子炉で金儲けができるように電気を起こして、その機械を日本に売り付け、
日本にはなんにも知らない日本人が53基の原発をつくって、

もしもうひとつ事故を起こしたら、日本はおそらく滅びるでしょう。

福島の放射線は、今もまだおんなじように出続けているんです。
止める方法が無い。
一日も早く止めて欲しい。
北海道の端まで、九州の端まで放射線は流れていきます。
それで日本中に被ばく者が毎日毎日作られているんです。
そしてその中からもうすでに病人が出始めています。
これを日本の医者は、誰も今、診て、診療をすることも、治療をすることも、
どうしたらいいかを教えることもできません。

誰にも知識が無い。

そういう状態に、なんで私たちは戦争が終わって68年も経って
なんでそんな情けない状態に我慢しなければいけないのか。
このことを日本人はもっともっと真剣に考えなくてはいけないと思います。


原発をつくったのはみなさんです。

「俺は知らないよ」という事は言えない。
あなたの子どもさん、お孫さん、ひ孫さんに、今出ている始末を預けてみなさんは死んでいく。
こんなことは許されていいわけはない。
みなさんは死ぬまでに福島の火を止め、日本中の原発の火を止めて、
皆さんの少なくても
ひ孫、やしゃ孫の方がその後始末をしなくてもいいようにして死んでいかなければいけません。


どうか、今日約束をして帰って下さい。
皆さんの中に、もう、後30年位しか生きていないという方もおられるでしょう。
まだ50年はたっぷり生きているという方もおられる。

何年生きていようと、生きている間に今の原発の火を全部止めて死ぬ。
これが今生きている日本人のみなさんの責任である。


どうか、今日ここにお集まりのみなさん、
全国の仲間と一緒に「すべての原発の火を消す」そういうつもりで
みなさんは今日、日本全国でいろんな集まりを持っておられる。

同時に、日本の国に持ち込まれているアメリカの核兵器を1発残らず持って帰ってもらう。

そして、68年も経った今の日本に
アメリカの軍事基地が無くてはならない理由はなんにもありません。


私たちは、私たちの大事な命を大切に生きていきたい。
子どもも孫もひしゃ孫も、全ての人間がしゃべることを怖がらずに生きていく日本を作りたい。

どうか今日を境に、遠くの方で起こっている不幸な出来事と思わないで、
ここに来ているみなさんはほとんど、私からみればもう被ばく者になっている。
そうでしょ。
3年になる間、毎日毎日降ってくる放射線の、
空気も吸ってない、水も飲んでない、食べ物も食べてないという人はこの中に1人もいない。
みなさんは知らずに、放射線のもう、粒を(身体の)中に持ち込んでいる。
ゆっくりと、時間をかけて、この放射線はみなさんの身体を壊します。
「いやだ」と言ってもなんと言ってもこれはしょうがない。

だから、白血病が起きる、癌が起きる、
最近のチェルノブイリの発表では、あらゆる病気が普通の人よりもたくさん起きる。
そういうふうに発表されています。

恐ろしいことにこの4月。
ロシアが初めてウクライナの名前ではなくて
ロシア政府の名前でチェルノブイリの被害の28年目を報告しました。

驚きました。

その中に書いてある汚染した地域に住んでいた、住んでいる、ロシアの国民は
どこの村であろうと、どこの町であろうと、
その人口の7割が病人であり、健康は3割しかいない。

そういう発表をされています。
税金を払う人がもういなくなっている。
被ばく者はそういう運命をたどるんです。
どうかみなさん、もっともっと神経を太くしてチェルノブイリの事実を勉強して下さい。

そして今福島に残っている、いまさっきお話を受けた、大変沢山の方が今苦しんでいます。
その実情を自分の身や自分の子どもの身に当てはめて、
日本国全部がよってたかって、放射線の影響が全くない状態に一日も早くする事が、
今生きている人間の責任なんだと、そう思って、
お帰りになったら、今晩から、明日から、

原発を無くす運動のために行動をする。

考えたりしゃべったりするだけじゃなくて、なんらか有益な行動をする。
身体を動かす。
この事を今日、お約束をして帰っていただきたいと思います。

どうもありがとうございました。




さようなら原発1000万人アクション 2013年10月13日
No Nukes Day 原発ゼロ☆統一行動-福島を忘れるな・再稼働を許すな-
文字起こしブログ


「生きている間に今の原発の火を全部止めて死ぬ。
これが今生きている日本人のみなさんの責任である」
10/13肥田舜太郎医師(文字起こし)


「高汚染地帯の無駄な除染と帰還をやめ、
汚染物は原発周辺において汚染者負担のもと処理を行うよう強く求めます」
10/13和田央子さん(文字起こし)


「私たちは本当に本質的に
将来の子どもたちが生きていける社会、世界というものをつくらなければならない」
10/13大江健三郎さん(文字起こし)


「いまちょうど私たちは歴史的な瞬間に立ち会っていると思います。
どういう瞬間か?と言いますと、原発をゼロにするという瞬間です」
10/13鎌田慧さん(文字起こし)





<6完>「問題は、放射線をどうしたらいいか?止めようがないからね。 事故は無くても毎日毎日世界中で漏れてます」肥田舜太郎氏7/5東海村(文字起こし)

<1>肥田舜太郎氏7/5東海村(文字起こし)
↑こちらに動画があります。

2013年7月5日
映画『ひろしま』茨城県東海村上映会
肥田舜太郎先生の公演




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1:04:45
私は政治家じゃありませんが、そんな余計な事で選挙はしたくない。

問題は、放射線をどうしたらいいか?
止めようがないからね。
「止めてくれ」って頼みたいけれど毎日出てくるんですから、
みんなの家へ流れてくる。
みんなは、残念だけど吸い込み、水を飲み、物を食って少しずつ放射線が毎日入っている。

みんな広島長崎の入市被ばく者と同じに今なっている。

これから死ぬまでの間に出てきますよ、成人病という形で。
糖尿病が出る。
心筋梗塞が起こる。
脳梗塞が起こる。
慢性肝炎が起こる。
腎臓の機能障害が起こる。
これからみんななっていく。

それで命が縮むわけ。

まだみんな自分が生きている時にはね、つくった責任者だから。
みんなはしょうがない、諦める。
問題は次に生れてくる人が、自分に責任のない世の中で、
父ちゃん母ちゃんじいちゃんが、
きれいな日本で、空気は良いし、水は綺麗だし、
いい国だよっていうんで、生んでくれて楽しみにして出てきたら、

「空気も怖くて吸えないわ、水も危なくて飲めないわ」っていう所へ出される訳です。

この苦しみを取ってやるのはみなさんしかないんでやって下さい。


だから、目に見えない放射線というものの被害が毎日、
日本全国の原発から事故は起きていないのに毎日出ている

それを全然漏らさず、どこからも言って気も漏れませんっていう事にしろって言ったら出来るんです。
しかし仮にそれをみんながやったら電気代がこんなになっちゃって、売れない。
水力電気のお金と石炭の発電と、同じ値段じゃなきゃ売れないので、
向こうの値段よりも原発の方が資本投下をしてどこからも一滴も一粒も出ませんと
しようと思えば出来ないことはない。
そういう設備をすれば。
そうすると、電気代がこんなに(ものすごく高く)なっちゃって売れない。
だから世界中の原発が集まって、いろいろ相談をして、
「これ以上少なくしろ」って言われると電気代が上がると。

みんなと同じ電気代にするにはこれだけは悪いけれど、
みんなに気がつかれないようにちょっと外に出すから、それを勘弁してくれよな
」っていうのが、
世界中で出来ている安全許容量という名前で、
「これは安全です」という名前で、「ここまでは漏らしてもいいよ」というのが決まっている。

どこの発電所も、これはどんどん、
世界中の法律で決まっている事だから遠慮なく出す。

これはみんな知らないから、事故が無ければ出ないと思っている。

どこの原発も、ちゃんと世界が認めたそれだけの放射線は、
煙突と海へ出る水の中でジャブジャブジャブジャブ出している。


その中にみなさんは住んでいる。

安全許容量って、つまりこれは
「人体には安全だからこれだけ漏らしても許します」という法律で許して出している。

世界で。

そういう世の中にみなさんは住んでいて、

事故はなくても安全な放射線量で、毎日毎日世界中で漏れてます。

だから、層いう世の中になっちゃったんだから、これから生まれて何にも知らないでくるひ孫には、
そういう状態を無くして皆さんは死んでいくと。

ナンボ頑張ったって皆さんは後50年は生きれないんだから、
ま、まだ50年生きれそうな人も何人かいるけれど、

だから死ぬ前に頑張ったって、
そんなに、明日か明後日に全部止めようっていうのは無理だね。
だけどみなさんが死ぬまでの間に頑張ってみんなで日本中で頑張れば出来ないことはない。


お母さん方は今、世界の人がビックリするような事をやっています。
誰からも頼まれないのに、
青森の人や宮崎県のお母さんが、
自分の一遍はあそこへ行って、
「変なものは出さないでくれ」という事を一遍は言ってきたいと思うっていういま集まるんだ。
あそこに集まるお母さん方は誰からも勧められていないのに、自分で思ってきているんです、電車賃使って。

日本の女性があそこまで変わってきたっていうのは、
やっぱり子どもの命が可愛いというね、ここからああいうふうに自然になった。
あれ本当は男の人がなって欲しいんだよ。
男はにやにや笑っているだけで、あそこへ行かない。

これがもう少し男の人が誰からも言われないで行くようになれば日本の国は変われます。

男の人の悪口を言って申し訳ない。
私も男の一人ですけど。
ま、罪滅ぼしにこんなことをしゃべって歩いています。

96になってね、車いすに乗ってきて、これだけしゃべるのキツイんですよ。
足が痛い

医者に行っても「お前もう80異常だから似ても焼いてもこりゃもうどうしようもない」
「お前の身体がもうナンボ耐えようと思っても、元っこが動脈硬化を起こして細くなっているから、
しょうがないからここが膨れるんだ、死ぬまでこれで行け」って言われるから、
「はい」って言って今頑張ってる。

年取るとみんなそうなります、体はね。
でも、これは放射線でなったわけじゃない。
年取って96になったからなったんで、別に放射線を恨んでいる訳じゃない。

これからの若い人たちは、放射線でそうなるわけなんだ。


いま、小学校へ入っている子どもたちは、
高校へ行くころにはみんななんか出ますよ。



福島の被害はこれから起こるんです。
今までのは序の口。

これは広島でみてきたから。
広島の原爆とあそこの放射線都は同じ物なんで、全然かわらない。

放射線が同じで、出ている状況も同じで、
吸い込んだり飲み込んだりするのも同じ人間だということになれば、
向こうでなった同じ状態が、これから起こってくる、私はそう思っている。

だから本当の被害はこれから起こる

今までは序の口なんだ。

序の口でワーワー騒いで、とかといっているけれども
結局はそういう事のできる人を使って出来る大資本を設けさせているだけだ。
何の役にも立ってない。

埼玉県はきた放射線が全部秩父の山で止まって、山梨県の方には行ってないんですね。
だから山梨は放射線がほとんど入ってない。
秩父の山で全部止まっている

それが今、雨が降って全部秩父の町へ流れて落ちている
だから今秩父市は埼玉県で一番放射線が高い。
あんな田舎で。


目に見えないからみなさん平気な顔をして生きてるけど、
そういう恐ろしい事に、日本中が今なっている。

だから、これからあと何年生きるか自分の命の日の、少なくない時間を原発の火を止める。
これからのぼくらの可愛いひ孫や夜叉孫のために、あれは無くして死ぬと。

つくった時代に居た一番の責任ある大人が、
死ぬ前にやる仕事は、私はそれだろうと思う。


あと、「生きていくにはどうしたらいいかしら」って聞かれたら、
毎日食べる3食の食べ方、
睡眠の取り方、
大小便の仕方、
セックスの仕方、
遊び方、働き方、
どの一つも度を過ぎない。

人間のそれぞれには限度があるから、その範囲内で努力をする。
これは生きてきたから分かる、これ以上やったら危ないっていうのはみんなわかる。
だからそれを若い人にも教えながら。

基本は、人間は太陽の光の太陽のおかげで今日まで生きてきたんですよ。
太陽がなかったら人間は生きてこれなかった。
光も貰う。
熱も貰う。
あれが暗くなって初めて夜寝れたんだ。

だから太陽と共に起きて太陽と共に寝るという基本を守って、
「夜はみんな寝る」と。

夜わざわざ音楽をかけて、電気を煌々とつけて、朝まで踊らなくっちゃ人生楽しくない。

そんなバカな人生は止めた方がいい。
当り前のことです。

そういう事で、普通の人間がお天道様と一緒に生きて、お天道様と一緒に休ませてもらうと、
昔からやっているそこの原則に出来るだけ近づくように、
もう一遍、これが一番大事。

だから、早寝早起き、3食良く噛んで、全部を残さずに食べる。
女の人に特に言うのは、
女の人は
あるいは調理をする時につまんで食べる。味見をする。
あれが案外多いんですよ。
それが珍しく高いもので、滅多に食えないもので、いいものだからチョロッと。
案外カロリーが多くなる。

そういうふうに日常の生活、誰に言われなくても
自分で自分の命の責任を持って、

限度の中で努めていくという努力が基本。
それが出来ない人間は覚悟決めて死んでいったらいいか。

私は原爆を体験して、被爆者と一緒に生きてきてそういう事を学んできました。
もうこれ以上私は言う事は無いです。

「・・で先生に言われた事はちゃんとやりましたよ」って言って、挨拶して下さい。



司会:
先生ありがとうございました。
1時間20分。
世界で96歳でこうして立ってお話しできるのは肥田先生だけです。
もっともっと拍手を送って頂きたいです、
ありがとうございました。
先生ありがとうございました。


ーおわりー





<1>肥田舜太郎氏7/5東海村(文字起こし)
だから殺す側の東電にしてみると、永久に完全犯罪だ。

<2>肥田舜太郎氏7/5東海村(文字起こし)
日本人ぐらい自分の命に対して無責任な国民はいない。

<3>肥田舜太郎氏7/5東海村(文字起こし)
今国がやらなければいけないのは義務教育の子どもを全部疎開させる事。

<4>肥田舜太郎氏7/5東海村(文字起こし)
みなさんの世の中であれをつくったんだから。 先祖代々からあったわけじゃない。

<5>肥田舜太郎氏7/5東海村(文字起こし)
だからまずアメリカさんに帰ってもらう。いわゆる資本主義経済の末期です。

<6完>肥田舜太郎氏7/5東海村(文字起こし)
問題は、放射線をどうしたらいいか?止めようがないからね。 事故はなくても毎日毎日世界中で漏れてます。








<5>「だからまずアメリカさんに帰ってもらう。いわゆる資本主義経済の末期です」肥田舜太郎氏7/5東海村(文字起こし)

<1>肥田舜太郎氏7/5東海村(文字起こし)
↑こちらに動画があります。

2013年7月5日
映画『ひろしま』茨城県東海村上映会
肥田舜太郎先生の公演



同時にもうひとつしなきゃいけないのは、アメリカさんに帰ってもらう。

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58:25
あれが核兵器を持っているから、北朝鮮はゴネゴネ言う、中国もゴネゴネ言う。
あれ、日本にアメリカの核兵器がおいてなかったら何にも言わないよ!


日本の軍隊は今持っている兵器持ってなんぼ攻めてきても、向こうは怖くない。
それよりもっといいもの持っている、みんな。

だから日本はあの憲法のおかげで
よその国と戦争が出来るだけの能力が無いんです、いま。
自衛隊が何万いようとね、何万いたって草の役にもたたない。

だから、日本人ぐらい相手からみたら安全な国民は本当はいないんだ。
アメリカが居るために、核兵器を持ってここに居るから、周りが神経立ってる。


だからまずアメリカさんに帰ってもらう。

68年もたって、負けた相手の国の軍隊に、こっちからどうぞいて下さいって拝みたてまつって、
沖縄を犠牲にして、
横田の大事な場所を全部アメリカさんに差し上げて、
東京の周りの空を日本の飛行機が飛べるところは「こことこことここしかない」という事を強いられて、
言われるまんまの金をふんだくられて、
これ位ひどい目にあっている国は世界中どこにもない。


負けたのは68年前なんだよ。
もう、大昔の話です。


なんで我々が、そこまでアメリカさんに忠義を尽くさなきゃならないのか?

この事を一言言うと、
新聞のデスクが載せないのね、これだけ。

言うと、それは、朝日であれ、毎日であれ、明日すぐバーッっと来てね、
売り上げがパッと減っちゃうようになっている。


だから、僕は、これ位ひどい目に遭いながら、
黙って耐えている。これはもう、美徳ではないです。
周りからみれば「バカじゃないか」そう言われても仕方がない。


だからそういう意味で、まずはアメリカさんに核兵器を持って帰ってもらう。

「何かあったらアメリカが守ってくれる」
そんなこと今どきバカがしみる方がおかしい。
アメリカが日本のために戦争を起こすなど、そんな余裕は全くありません。
自分の国が今どうなるのか分からないのに、経済が。

今アメリカがやりたいのはどこかで戦争を起こして、
今持っている兵器を全部使って、おしゃかにして、
新しく兵器をつくって儲ける仕事なんです。


彼が考えているのはこれっきゃない。
テレビはもう作ってもダメ。
自動車ももうみんな作っちゃっているからダメ。
ナンボ金があっても投資する所が無いんだ今は。

事業っていうのは、資本っていうのは、
お金をたくさん集めて事業をして儲けるからお金の価値がある。
お金が今は余るほどあるけど投資するところがなんにもない。

みなさんのお家に行って、あり余ってドブに捨てようかっていうお金があるっていう状態ではないけど、
大企業のところはドブに捨ててもまだ間に合わない位にお金はみんなあるんだ。
使う所がない。
アメリカもそう、フランスもそう、英国もそう、ドイツもそう、
お金だけはあるけれどもする事がない。

いわゆる資本主義経済の末期です。

大量生産大量消費というやり方を考えだした経済のいわゆる決着なんだ。

同じ電気釜、同じ洗濯機、どこの国でもみんな使う奴をつくるようになっちゃった。
買う所が無いんだ。
インドも作る、ブラジルも作る、今までのお得意がみんな自分でつくりだした。

この大量生産、大量消費は今以上にやりようがない。
買う人がいないんです。

アフリカじゃ買えない。
南アフリカでもまだ無理だ。

あとはみんな自分でつくっている。

中国はもう作っている。
だから、残念ながら今の日本の東芝さんにしても、あるいはトヨタにしても、キャノンにしても、
有名な大きな資本はお金がだぶついて使う所がない。
だけど人件費は払わないと、彼らはね。
日雇いを沢山雇って、本チャンはみんな首切って、
それだけ貪欲にお金は作ったんだけど、さぁ使う所がない。
そういういま、世界中が、いわゆる資本主義経済のどん底にきちゃった。

どこへ行くか?というのが決まらない。

その狭間で今みんなは、給料は下がるは、ボーナスも当てにならんは、
ローンは沢山ある 銀行へ預けても利子は無い。
「どうしようか」っていうとこで公務員は収入が減って、
大体1割5分から2割ぐらい減っているのね、公務員は、全体のここ3年位。

貧乏な訳ですよ、みんな。
明日からどうする。
そこでいま選挙になっている訳です。


ーーつづく




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<4>「みなさんの世の中であれをつくったんだから。 先祖代々からあったわけじゃない」肥田舜太郎氏7/5東海村(文字起こし)

<1>肥田舜太郎氏7/5東海村(文字起こし)
↑こちらに動画があります。

2013年7月5日
映画『ひろしま』茨城県東海村上映会
肥田舜太郎先生の公演




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46:12

午前中に小林さんのお父さんが作られた映画をご覧になった方はわかるかと思います。
あの映画は僕らが観ても、当時の広島で原爆が落ちた瞬間を知っている人間は、
今までいろんな映画が出来ているけれど、あの映画が一番真実に近い。
あれぐらい忠実に作った映画は他にないんですね。

でもあれは、爆発と同時に出た放射線の時に撮っている。
何年もたって病人だけがうごめいている時に、その病人を撮っている映画ではない。

という事は、内部被曝の病気で苦しんでいる被爆者の映画ではない。

当時はまだ、内部被ばくなんていう事は誰にもわからなかったから、
そういう患者がいることすらみんなが知らなかった。

だから、ああいう映画が一番当時の模様を忠実に表していると言われるけど、
ぼくもそう思うけど、
それは、爆発した時に出た放射線の影響だけであって、
少なくても2週間以内に町へ入って病気になった人はあの中には映っていない。



そういう点で、これからも起こってくる、
まだ、おそらく53もあるんですから、またどこかで事故が起こるに決まっている。

もうひとつ起こったら、日本の国はもうオダブツですよね。


東北だから、「逃げろ」って言っても逃げないいで住んでいるっていう事が、ま、なんとかできたけれども、
あれが大阪の真ん中で、京都の真ん中で、「みんな逃げろ」って言われた時に
あそこに住んでいる人は出ようがない。

でも、福井県の、あそこにある6つか7つのどれか一つが事故を起こしたら、
京都・大阪は住めません

水も飲めない。
で、京都大阪であそこに住んでいる500万、700万の人間も、
「じゃあどこかに移りなさい」と仮に言ったって、行くとこありませんよ、どこにも。
どっこへも行くところは無いですよ。
10万人だって行くとこが無い。

たとえば東海村に東京都の人間を30万人、急に「ここにきて住まわせろ」って言ったって、
そんなところありゃしません、空いているところは。

日本の国には何処にも逃げる所が無いんだ。
その国に53本作って、もう40何年たってる。
もう耐用年数が過ぎちゃって建て直さなきゃならない時期がみんなきている。
それをそのまんま電気を起こして
ぼんぼぼんぼ放射線を垂らして、知らずにみんな吸っているわけだ


これは、日本の政府の無知、学者の無知、国民の無知のために、
70年近くおっかないものだと知らずに金が儲かるものだという事だけにあこがれて、
みんなつくっちゃった。

つくる時に反対が起きたのはどこもないんだからね。
だから広島原爆を浴びながら、
なんで日本人はあの狭い国に53も原発をつくったんだって今ごろ世界中の人がみんな言っていますよ。


言われたってしょうがない、なんにも知らなかったんだから。
そういう意味でこれからの、子どもはもう私の子どもは今はもう67歳ですから、
ま、ひ孫ですね、5人ひ孫がいます。
一番上が今6歳から。
この子たちがこれから、日本の国に山と積まれている放射線の廃棄物を親から受け継いで、
いよいよ自分らが大人になった時に「これどうしたらいいんですか?」という立場に立つわけだ。

どこも持って行く所が無いんです、あれ。
全部掘りだしてなんかに包んで、太平洋の真ん中に行ってぶちまける。
これ、ダメですよね。

太平洋の魚が一匹でも汚染してどこかへ行って放射線が出ちゃったら、
日本の国になん百兆円という賠償が押し寄せてきます。
太平洋側の国は、もうそういう協議をして
太平洋の国のどこの海岸ででも、一匹でも、それに濃厚な放射線が出て、
それが福島の原発から出た放射線だっていう事が分かったら、
「どれぐらいの賠償を要求しようか」っていう会議
がこの間あったのね。52:00
結論が三百兆円です。
そんなものはくるだけきたって、払うお金は絶対にありませんから、
まぁどうだか知りませんけれども、そういう今状態になっている。

つまり人間はどうやっても始末が出来ないと分かっている放射線を
毎日廃棄物として出しながら電気を起こしている。


なんにその電気を使っているか?
夜の夜中までどこかへ行って踊ってね、朝まで踊って昼間になったらグーグー寝ると。
そういう電気のためにあれは起こしている。

だから…ま、…日本人が全部放射線の被害で死ねば、
日本人全体がもう「無知だった」と諦めるよりしょうがない。
どこへも文句の言いようがない。


ま、そういう時期にみなさんは、
大体30歳ぐらいから、70歳ぐらいの年齢で、ここにみなさんいらっしゃる
そうすると後残り、ま、90歳まで生きるとして、
まだ20年から50年は生きなきゃならん。
60年、70年も生きなきゃならない方もいるわけだ。

その人たちがこれからそれだけの年月の間に、
自分の子どもや孫を含めて、放射線から絶対に安全に生きていく。
そういうつもりになっている人というのはおそらくいないと思うよ。

自然に生きているんだもの、しょうがない。
それ以上やりようがないから。

だから、後は僕ら被ばく者が長生きするためにいろいろ勉強してやってきたそれぞれの努力をまねてね、
自分の命に毎日自分が責任を持った行き方をすると、
「誰が考えてもそれはよくないよ」という事はピタッとよす。

タバコが悪い、これは決まっているんだけど、

たばこ会社が調べて、家族の一人がタバコを吸っているために、
残りの家族が癌になる確率は何%になるっていうのがちゃんと出てるんです。
それが分かっていても、吸っている本人も周りの人も「しょうがない」と思っている。
諦めている。

たかがタバコですよ。
一度止めたら死んじゃうっていうものじゃないんです。
それで周りの人にそれだけの大きな被害を与えながら、
「あれがやめられない」
つまり自分が生きていればいいっていう人なんです。
周りでなにが起ころうが「そんなこと俺は知ってるか!」
そういう人間の集まりになっちゃっている。

タバコで癌になると言うのは、
これくらいハッキリしたことは無いんで、
統計の上からも実情の上からもいっぱい学問ででているのに、
誰もそれを信用しない。

それは、政府が税金を取って売ってるから、
本当に悪ければ売らないだろう。
売っている以上は大丈夫なんだろう。

そうやって具合が悪くなって医者へきて、いろいろ検査して下さい。

「それ位心配だったら一番最初にタバコ止めて来い」と私は言います。

だから、
「目に見えない事は無い事とする」と、
目に見えないそんな話はやめる。
人間というのはそういう情けない代物だ。


だから、私は、今日ぼくの話を聞いてお帰りになったら、明日からやってほしい事がある。

それは、みなさんの、もう子どもは遅い、子どもはもう学校へ行っちゃっているわけだから。
毎日吸っている訳だ、福島からくるものをね。
で、これはもう諦める。
ひ孫とその次の夜叉孫、これはこれから生まれてくる。

この子たちのために、日本中の原発の火を、自分が死ぬまでには消す。
自分の大切なひ孫、その次の孫が生まれる頃には、
日本中には物騒な放射線を出す原発はひとつも動いてない
という状態にして俺は死ぬんだという責任はみんなにあるんだ。

みなさんの世の中であれをつくったんだから。
先祖代々からあったわけじゃない。
みんなの世の中で戦後にあれは出来た


しかもも広島長崎で原爆というのがあって、放射線の被害をうんと、世界で初めて受けた国の国民のくせに、
一つもあれに反対しなかった。

そういう任は「俺は知らないよ」っていくら言ったって駄目なんだ。

これから生まれてくるひ孫とその次の子どものためには、皆さんは責任を負ってくる。
だからそのつもりで「なんと言われようとあれは火を消す」と。

同時にもうひとつしなきゃいけないのは、
アメリカさんに帰ってもらう。



ーーつづく




映画「ひろしま」予告編


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<3>「今国がやらなければいけないのは義務教育の子どもを全部疎開させる事」肥田舜太郎氏7/5東海村(文字起こし)

<1>肥田舜太郎氏7/5東海村(文字起こし)
↑こちらに動画があります。

2013年7月5日
映画『ひろしま』茨城県東海村上映会
肥田舜太郎先生の公演



文明国の国民でありながら、一番自分の大事な命という事についちゃ全く無責任で無知なんです。
これが日本人の、僕は特徴だと思う。

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40:51
こういう人間をつくったのは明治政府です。
天皇制というあの制度をやたらに強く押し付けて、
物を考えない。
みんなおかみに考えを預けて自分はなんにもしないという国民を作っちゃった。


だからいろんな意味で、今度のような事が起こって、
防ぎようが無いんですからね。
注意をしたからあれを吸わないですむとか、水を飲まないですむ。
お米の中に入っているのを舐めないですむというような事ができない。

偉い人は「どこで出来た米まで調べて、安全かどうか確かめる」なんて、口では上手い事を言っているが、
誰が出来ますか!そんなこと!!

出来ない事をただ口で言って、専門家だって言っているのがいっぱいいるけど、
出来る事を言わなきゃダメなんですね。

私は今被ばく者の
自分で自分の身体を守るには一番いいのはどっかへ行っちゃう事ですよ。
絶対に福島の放射線がきていない所まで行っちゃう事なんだけど、
もう今は沖縄へ行ってもダメだから私はもう勧めない。
「居直ってそこに住みなさい」
それで病気が出ないように自分がまず、必死に努力をする。

今一番大事なことはね、これは国がやらなければいけない。

小学生中学生までの義務教育の子どもは
戦時中にやったのと同じように国が手配をしてお金を出して安全な所へ全部疎開をする。

長野県あたりの村の小学校をいくつもいくつも今潰していますよ。
子どもがいなくなって。
空いているところはいっぱいあるんだ。
お金さえ出せば住めるんですよ。
小学校も入れる。


まずそうやって、あそこから、危ないところから離す事が大事、一番ですね。
チェルノブイリでもロシアで
あんたのところは残っていちゃいけない」と全部強制疎開で「疎開しなさい」といった村よりも、
もっと高い放射線のあるところでいま小学生が住まわされている。


もう間違い、政府が間違いなの。
調べて、全部ごっそり、お金も出し、手配もして、
まずは一番大事な子どもの命を守る。
できなければ、ひと月やってひと月帰す。
これでもいい。
離れることでずいぶん違う。

そういう頭が全くない、政府には。

アメリカが「安全だ」「大丈夫だ」
その「安全だ」といったアメリカが何をしたか?
当時日本に居たアメリカ人に福島の原発から80km離れる。

つまり、アメリカのある学者がアメリカ中の白人の女性の乳がんになる率を計算して、一人一人全部調べたら、
原子炉のあるところから100マイル以内に住んでいる人が、大体みんな癌になっている。
そこから、100マイルよりも外に居る人からは癌が出ない。
そういう研究をした。

アメリカ政府はそれをちゃんと守って、
100マイル、160kmの半分は80kmですから、
80kmから逃げろという事を日本に住んでいたアメリカ人に言ったんですね。

日本の政府は20kmのところから離れろ。

20kmと80kmの違いはどうなんですか?って説明を受けた。
それは政府の国民の命に対する責任感の違いです。

本当にまじめなところは80km離れる。
いい加減なところは20kmでいいだろう。
この差が表れたんだと返事をしました。
誠にその通りなんですね。

なんでそんな事が起こるのか?
放射線被害は目に見えないからですよ。
これが目に見えればみんな、素人にだってわかるから、
危ない所と危なくない所がみんなわかっちゃう。

目に見えないから、危なくても見えない。



ーーつづく


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<2>「日本人ぐらい自分の命に対して無責任な国民はいない」肥田舜太郎氏7/5東海村(文字起こし)

<1>肥田舜太郎氏7/5東海村(文字起こし)
↑こちらに動画があります。

2013年7月5日
映画『ひろしま』茨城県東海村上映会
肥田舜太郎先生の公演




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22:19
そして、福島から出た放射線はもう丸二年経って、
丸二年以上ですね、丸二年と4カ月もたって、
毎日、おんなじだけ出ています、ずーーっと、止まらない。

止めようがないんです。


フランスから来た、フランスの放射線問題の学者にこの間会って、
「いつ頃になったらこれを止める事実が出来ますか?」って聞いたら、
「我々の目の黒いうちはダメでしょう。子どもか孫の時代にやっとできるかもしれません」
というような話です。

もう日本中、沖縄も、
沖縄へ行けば大丈夫だろうと、あそこへ逃げた人が沢山います。
ところが沖縄へ行ってみたらもう、沖縄へもちゃんと放射線は来ている。

あの、
確か2カ月後あたりに台湾にいた友達から、
「お宅の、福島の放射線がもう台湾にまで来ているよ」というような手紙をもらいました。


台湾どころじゃない、 行っていますね。
世界中を回っている。

今日本中で、
「あそこへ行ったら野菜だろうがお魚だろうがなに食べても絶対に大丈夫だ」っていうところは、
日本中にはもう無いんですね。

もう全部行っちゃっている。

だから、よくテレビに専門家と称する人が「遠くへ逃げろ」と。
それから食べ物は「危ないものは食べるな」
そんな事をいくら言ったって、あそこに先祖代々住んで、あそこしか行く所がない人に
「一家をあげてどこかへ行け」なんて言ったって、行ける人は誰もいやしない。

出来ない事を言ったってしょうがないんですね。
あそこに居てどうするかを教えなきゃならない。
それを言った人は誰もいない。

よく私のところに電話がありました。
「偉い人がきて、一家をあげてよそへ行け」っていうけど、うちはそんなことできません。
親戚もなければ、知らない所に行って飯が食えません。
そういう人はどうすればいいんですか?と聞かれるんです。

そこに住む以外に手がない。
そこで、私がお話ししていて強かったのは、
私は被爆者ですから、戦後10年経って出来た、日本被団協という被ばく者の団体に入りました。
医者で被爆者で入っていったのは私一人なんですね。

当時の会員が30万人、全国で。
広島・長崎の被爆者の会員がそれぞれ会費を払って会員になっている。
その会の人達はたった一人の医者で被爆者ですからとても大事にされて、
日本全国の被爆者の、いろんな事の相談をする元締めになったんですね。

わたしのしたことは、
もうみんな被ばくしちゃったんだから、無しにしようたってこれはどうしようもない。
中へ入った放射線を消すわけにはいかん。

私のすることは、被ばくはしたけれども、
中に放射線が入っている。
それが病気になる。
その病気を出さなきゃいいんですね。
病気にならなければ命に別条はない。

だから病気を出さないにはどうしたらいいか?

要するに、今持っている健康のまんま寿命いっぱい生きる事。
そうすることで原爆に負けないで生きる事ができる。
やることはこれしかない。

に要求して「治療法教えろ」って、なんたって今の世の中、ないんだから、
無い物ねだりしてもしょうがないんで、

要は自分で自分の命の主人公になって、
中に入っている悪いものはいるけれども、
そいつが病気を起こす時に絶対に起こさせない。

その起こさせないという命を誰も持ってる
あんたが持っている。
あんた以外にもこの命にさわれる人は誰もいないんだ。
だからあんたが頑張って病気を起こさせないようにすることが、放射線に負けないで長生きする事なんだ。

そういう運動を被爆者運動としては一面で起こした。
これは人気があってね、ようするに病気にならないですむいい方法だから、みんなで集まって勉強しました。

一番最初にやったことは、
被爆者は日本中、どこにでも、どんな村にも居ましたから、
自分の住んでいる場所で、一番長生きしている人を探して、
「どうしてこんなに長生きしたのか」っていうのをみんな聞いてこい。
98とか、100歳っていうのを探しては、長生きした事を書いていく。


で、1年に一遍みんなで集まってそれを集める。

そうするとね、
なにが一番長生きのコツか?っていうのが、全国で集めた、そのみんなのいちばんは、
「食べ過ぎない事」というのが一番でした。

「食べ過ぎはダメだ」というのがこれが一番多かった。
これは案外知らないでしょ?みんな。

実際に長生きした人が
「なんで長生きしたと思いますか?」っていうのを、本当に聞いて歩いて集めた1番が
「食べ過ぎない事」


それで人間は大人になって、みんないろんな事をしているけれども、
「大人になって人間がする事をみんなでいっぺん調べて集めてみようじゃないか」
っていうのでやってみたら、
いろんな事を言いますよね、みんなね。

いろんな事を言うけれど、どんどん整理していくと、
大人がする事は6つしかない。
男も女も同じ。

食べる事。みんなします。それからあとは、
大小便。排せつをする事。これもみんなする、しなければ死んじゃうから。あとは、
寝る事。これで3つですね。

あと、体で働く、頭を使って働く、要するに「働く」というのが一つある。
全然働かないで一生飯食っていけるっていう人間はそういない。
大体はみんな働く。

次に、働くばっかりじゃ生きていけないので「遊ぶ」
あるいは働かないで「休む」。身体を休める。
休む、遊ぶっていうのがひとつある。

そしてもうひとつ、セックスがある。

この6つしかないんです、やることは。
あれがある、これがあるってみんな言っているけれど、
どこかに必ずみんな、この6つに入っちゃう。

大人が自分の健康を守って生きていくとしたら、
やることは6つなんだから、
この6つを要するに度が過ぎずにちゃんと正しくやっていれば病気にもならないし、
そういうものなんだと言う事が、みんなの論議の中で分かってきた。

で、これをちゃんとやるにはどうしたらいいかっていうのも喧々諤々、
30万の被爆者が年に1回、それぞれの住んでいる場所で論議をして、集めるんですね。

その中で、私は医者ですから、
みんな歳とれば成人病っていうのが出てくる。
血圧が高くなる、糖が出る、心臓が悪くなる、脳梗塞が近くなる、腎臓が悪い、肝臓も悪い、
そういうのをみんな整理して、

高血圧で死なないために、
心臓の病気で死なないために、
糖尿病を悪くしないために、
というパンフレットを毎年一冊ずつ出したんです。

それをみんな100円位で、やさしく書いたのを出す。
みんながそれを買って読んで勉強して、被爆者は途中から長生きを始めた。

この経験が今とっても役に立っています。

要するに、放射線の被害に耐えて長生きするには、
薬は無い。
医者に行ってもダメ。
あとなにするか?することない。

ようするに病気を出さない工夫をするしかない。

それは血圧を高くしない。
糖尿にもならない。
心臓にも大丈夫。
というのをどうやってやるか?

私は医者ですから、それを書いてくる。
毎年毎年一冊ずつパンフレットを出しました。
26冊書きました。

今考えてみると、お医者さんがこれを読むとバカみたいな事です、当り前な事が書いてある。
でも、みんなにとっては大事な事なんですね。

そういう事で放射線に被曝した人が、親から貰った寿命いっぱい生きるにはどうしたらいいか?って言うと、
私は、30万の被爆者と一緒にちょうど30年間そればっかりやってきました。
その経験があるから今福島の人に「こうしなさい」という事をいえるんです。

今あそこで被爆した、もうみんな内部被曝ですよ。
福島の被ばくは、原子炉そのものが爆発して強烈な勢いで放射線が飛んで来たっていうんじゃないんですから、
漏れ出たのはふわふわ空気中にあった水に溶けたようなものや、
畑の果物に付いているものを食べたっていう事で体内に入った。
そのために病気が起こってくる。

一番最初に起こったのが赤ん坊ですね、子ども。
下痢、のど、いわゆる口内炎、それからあと鼻血、出血ですね、
この3つが一斉に起こってきた。

これは放射線被害の最初の初期症状ですから、当たり前なんです、出るのは。

しかも子どもが一番先に起こる。
抵抗力が一番ない。

そういう事で、福島の人達に直接聞かれれば、「こうしなさい」と話しました。
頼まれてこういう所で話をする時はそういうお話をします。、

皆さんこれだけここにいらっしゃるみんなは大人になって、
今までもいろんな病気もされたでしょうし、いろんな事が会っても、
とにかく今日まで無事にこうやって生きていらっしゃる。

みんな自分の命を持っているんです。

ところが、この中のだれ一人、
自分が自分で持っている命の、自分が主人公なんだという自覚を毎日持っているかというと、
それはあんまりないんですね。


自分の命の事をあんまり考えた事がない。

具合が悪くなるとお医者さんへいって「何とかしてくれ」
医者は他人ですよね。
病気を診る技術は持っているけど、
その人が今持っているこの病気が本当にその病気なのかどうかは医者にだってわからない。

習ったいろんな知識を総合してみて、「どうもそれらしい」というだけの事で、
「そうだ」という事は決定できない訳です。
で、皆さんは具合が悪くなると、自分でものを考えるより前にまず医者に行く。

一番大事な自分の命を自分で全く考えずに、
赤の他人のわけのわからない人に預けに行く訳だ。


これぐらい自分の命に対して無責任さは無いんですよ、本当を言えば。

毎日生きているんだから、具合が悪くなれば、
「なにをしたからこうなったんだろう?」位のことは自分で考えなきゃいけない、本当は。
自分で全く何も考えず、ただ医者に行けばいい。

これは日本人が世界の人種の中で一番人権意識がない。
つまり「自分が人間であって、自分の命は自分で責任を持ってるものなんだ」
という自覚がほとんどないんだ、日本人には。

具合が悪くなったら「医者へ行け」
おそらく皆さんそうだと思います。
医者へ行って何が分かると思いますか?
全くの他人で、昨日まで話もした事のない人間に、
便が出ないとか眠れないとか、心臓がドキドキするとかいろんな事をいえば、
ま、向こうは玄人だから習った知識を総合して
どうもおかしい、検査しましょう、おしっこみた、血液みた、どうも総合すると、
どうもあなたは中年も過ぎて動脈硬化がきて、心臓に少し問題が起こっているらしい
という検討を付けてくれる。

でも、悪くなっているのは本人だ。
本当に納得ができるのか?それで。


という意味で、皆さんはどこかが悪くなったら、まず自分が、
今までこういう事はなかったのに何でこんなことになったんだろう?
自分の生活を振り返ってみて、まず自分で考える事がまず第一番にやる事なんです。
それを全くしないで、医者へ行って、そこで聞いて薬を貰えばいい。
これぐらい自分の命に無責任な考え方って無いんですよね。

だからそういう意味で、私は外国も随分歩いて、何カ国も話をしてきましたが、
日本人ぐらい自分の命に対して無責任な国民はいないんですね。

アフリカのはだしで歩いているような所へ行って話をしても、
頼る所がないからみんな、子どものことを亭主の事を自分のことも
具合が悪いのを奥さんが一番最初に心配して、いろいろして、
「どうも最近この人は酒を飲み過ぎている」とか、
あるいは「食い過ぎてる」とか、
そういうのを判断して、みんなお互いに話し合って決めてく。
診てもらう所がないから。

そういう意味で、日本人は恵まれすぎている。
どこへ行ったって、医者のないところはあんまりない。
行けば診てもらえる。
お金はいるけど。
だからそれに甘えて、自分のたった一つしかない大事な命のことを、
自分がまず物を考えるという所へ立てない。

医者という訳の分からん人間に預けて、その人の言う通り、
「1週間後に荷物をまとめて来なさい。あんたの胃袋にはこういう所があって、これを切らないと治らない」
「はい」
大事な自分の胃袋を切るのにね、誰にも相談もしないで荷物まとめて青い顔して、行って切ってもらう訳だ。

これ位いい加減な話は無いでしょうね。

切ってくれる人がどこまで責任を持って自分の事を切ってくれるのか?確かめてもないわけだ。

あんた大丈夫?あんたが切って本当に助けてくれるの?ダメだったらどうすんの?
っていうのをやらないわけだから、誰も。

つまり、自分の命については誰も責任を持ってくれない。
しょうがないからそれを言った人に預けちゃう。
「ダメだったら諦めるよりしょうがない」っていうような、
自分の命をそれぐらいにしか考えてない。

文明国の国民でありながら、一番自分の大事な命という事についちゃ全く無責任で無知なんです。
これが日本人の、僕は特徴だと思う。




ーーーつづく






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<1>「だから殺す側の東電にしてみると、永久に完全犯罪だ」肥田舜太郎氏2013年7/5東海村での講演(文字起こし)

2013/07/05 【茨城】映画「ひろしま」東海村


2013年7月5日
映画『ひろしま』茨城県東海村上映会
肥田舜太郎先生の公演



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2013年7月5日(金)、茨城県那珂郡東海村の東海文化センター

05:18~
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こんにちは。
お招きを受けました、肥田舜太郎という内科の医者です。
東海村には10年ぐらい前ですけれど、
あの事故のあった後で4年目の記念日かなんかにお招きを受けてお話をした事があります。
場所がここだったかどうか、それも覚えていないんですが、
今日は小林さんが、お父さんのお作りになった広島の原爆の実情を、
もちろん後から撮ったものですが、
その映画を上映なさるということでお手伝いがあって参りました。


あの映画をご覧になれば、広島の原爆の爆弾という側面はもう十分お分かりになると思います。
広島と長崎の原爆の特徴は、
一つは大きな強烈な爆弾だという性質と、
もうひとつは目に見えない放射線の被害を与えるという、二つの被害があったわけですね。

ところが、落としたアメリカは正式には>マッカーサーが日本へ上陸する9月のはじめ前に、もう
占領軍総司令官の話として、原爆が出す放射線について、
爆発の時に強烈に出るものに当たったものは彼らも大きな被害を受けるけれども、
身体の中に飲み込んだり吸い込んだり、あるいは食べ物に付いた、
あるいは水の中に溶けた放射線を体内に入れた場合は、
「これはごく微量だから全く人体には影響はない」という事を
苦しんで血を吐いて寝っ転がって死んでいく人がいっぱいある時に、そういう放送を始めたんですね。


しかも、治療法は全くわかりませんし、
放射線なんて聞いたって、医者もなにもまだ放射線なんて知らないんですから。

だから出てくる症状が生まれて初めて見る症状で、
学校で習ったこともないし、先輩に聞いても分からない。
そういうのでみんな死んでったんです。

そういう診ている医者と診られている被爆者に対して、
占領軍司令官という絶対の権力を持った人間が、
「みんなはこの爆弾の被害をいろいろ言うけれども、
身体の中に飲み込んだ放射線っていうのは非常に微量だから何年たっても全然何にも害はない」
っていう事を言ったんですね。

ただ言っただけならいいんですけれど、
要するに、原爆で起きた、人間の身体に起こってくるどんな被害もアメリカの軍事機密である。
だから、被害を受けた人間も、その事を他人にしゃべってはいけない。
仮にそれが親であろうが兄弟であろうが、絶対にそれは言っちゃいかん。
アメリカ軍の軍事機密だ。


逆に今度は、そういう人から頼まれて、身体を診てくれと言われる医者は、
「仕事だから診るのはよろしい」と。
しかし、診た結果を詳しく書いたり、
あるいはその内容について、仲間同士で相談をして、論文を書いたり、学会へ報告したり、
そういう事は一切しちゃいけない。
これも軍事機密だ。

違反した場合は占領軍として重罪に処す。

占領軍が鉄砲持って入ってきて、重罪に処すっていうんだから、
これはもうみんな「銃殺される」と思った。

ですから、当時はもちろん、そうは言われてもみんなコソコソしゃべりましたけれども、
公には日本政府をはじめ、お役人も、医者も、学者も、
誰も原爆による放射線の被害については一言もしゃべれなかった。
書くこともできなかった。

私たち軍医もしていた。
ま、軍隊は殴られましたから、
アメリカの命令で当時の陸軍病院と海軍病院は全部国立病院というふに変えられて、
一般の人も診るようになったんです。

6:23
日本の国は天皇の国家で、
国民の命を国が責任を持って守るなんていうことは遂に無い国ですから

男の子は20になったら天皇のために命をささげ出すのが国民の義務であるという国ですから、
国民の病気や健康について国が面倒をみるなんて、そういう考えは毛頭無かったんですね。


そこへアメリカの、陸軍病院・海軍病院の始末の仕様がないから、そのまま国立病院というふうにして、
当時日本中の国民が
食べ物も無いけれど、家も焼けちゃってないわ、主人は戦争から帰ってこないわっていうような、
そういう貧乏のどん底っていう時に病気になって困る人が、
ま、アメリカが作ってくれた国立病院っていうのにみんなかかったんです。

その時、もちろん被ばく者は貧乏ですから、
家も何もない、財産も何も無くなっちゃって、親戚も死んじゃってお金もない。
当時日本には保険というのはまだなかったんですね。
だから、現金がなければかかれない。

そういう時に国立病院が出来て、
占領軍の命令で「困っている人はただで診てやれ」ということになったもんだから、
被爆者はみんな、国立病院に厄介になったんですね。

そういう時にも、私も思いがありますが、
患者を診るとカルテを書かなきゃならないんですね。
どこの生まれで、どこに住んでて、何歳で、何の誰べえ、男、女っていうのをちゃんと書かないといけない。
で、書いた結果みた。
なんで罹ったか?
熱が出た、腹が痛い、下痢がある、そういう事を書いて、
「診た結果どういうふうだった」という事をカルテに書くのは医者の義務なんです。
法律的な義務ですね。


ところが「書いちゃいかん」っていうんですね。
困りましてね。
みんなで相談して、何も書かないでいると医療法に引っ掛かるから、
書けば今度は占領軍命令に違反になる。


どうしようもない。
しょうがないから、カルテには書かないで、別の紙に書いてそれで強行しよう、ま、そんなことまでしました。

そういう状態があって、爆発の目に見える原爆の大きな側面は、
人伝口伝でみんなに伝わってきた。

ところがあの爆弾を受けたために、放射線の被害を受けている。
後から町に入って残っている放射線に触れて病気になった人は、
焼けてもいないしケロイドもないし、なんにも、外からみたら証拠がない。
中にはいった放射線の影響で、具合が悪い病気が出てくる、

そういう一番大事な問題が、68年間日本の国民に一つも伝わってこなかった。

みなさんの中に、広島・長崎の原爆について、
いろいろ映画を観たり、あるいは話を聞いたり本を読んだり、いろいろ経験なさった方が、
あるいはご親戚の中に実際に、広島・長崎で原爆を浴びたご親戚がある。
そういう経験は知っていらっしゃるけれども、
放射線の被害という事に付いて、まともにちゃんと話を聞いた覚えはほとんどないと思います。

いまのお医者さんになってくると、学校医でのお医者さんは、
在学中、医者になるための勉強はしてきますが、
内科でも外科でも放射線科でも、
広島・長崎の原爆についての講義は全然ない
んです。


彼らは全く何も知らずに出てくる。
だから今、福島の原発で被害を受けたと言われる子どもや、
あるいはお父さん、お母さん、沢山、今被害者が出ています。

それを診させられるお医者さんは、今だいたい30~40、50の方が多い。
生まれる前にもう原爆は終わっちゃって、被爆者なんていうのを診たこともない。
仮におじいさんおばあさんを診ても、
それはもう、当時の原爆の被ばくでは無しに、みんな成人病になっちゃっている。


そういう経験はあっても核兵器の被害を現場で受けたっていう方は、もう誰もいない。
ですから今福島のお医者さんさん、あるいは遠くのお医者さんで
子どもを診せられたり、あるいはおじいさんおばあさんが来たり、お父さん、お母さんがきて、
あの、原発の被害を受けた人の身体を診て、何か特徴の書ける人が誰かいるか?
誰もいません。

第一に、被害を受けている方自身が、自分のどこが悪いんだかがはっきり説明が出来ない。
そういう意味で、今まで私たちが頼りにしてきたのは、ロシアのチェルノブイリの原発の被害。
これは大きな被害でしたから、当然沢山の被害者がいる。

その人たちの中に、どういう病気が起こり、どんなふうになったかという事が随分知りたかった。

ところが、ロシアもソビエトの頃はそれを隠した。

初めはよく分からなかったけれども、最近26年目ですから、だんだんいろんな事が分かってきて、
いまのロシアの政府はちゃんとそれを調べて発表するようになりました。

はじめて、
むこうの被害は全部「内部被ばく」なんですね。
「内部被ばく」っていう言葉は今回初めて新聞に出ましたけれど、
私たちは広島長崎の頃は「内部被ばく」という言葉を知らなかったから、
「入市被ばく」という言葉を使いました
市に入って被ばくをした。

当日は広島にも長崎にも居なかった。
よそに行っていたら、「大変だった」というのを聞いて、家族が心配だから帰ってきた。
広島の町へ入って、長崎の町へ入って、
焼跡を探してやっと自分の家までたどり着いて、
「どうもここが自分の家だ」とやっとわかったんだけど、家族の行方がわからない。

隣近所の家をみると焼けた中に骨がある。
それはそこに住んでいたおかみさんだとか、子どもの骨なんですね。
それは隣近所にはあるけど自分の家にはなんにもない。

そうすると、自分の家の女房や子どもは一体どこでどうなったんだろうか?
心配だからいろんなところを歩いて、人に聞いて歩いて「どうしたんだろう」

お宅の奥さんは、
本人は兵隊に行っていて知らない。
留守に居た奥さんは、町工場に行って働いてたと。
子ども3人はそれぞれ学校へ行ってた。
それを訪ねて、行った先を探して歩く。
結局最後はどこでどうなったかは本当は分からないけども、
友達やみんなと一緒にここまでは行っている事が分かった。
そこから先はどうもみんな死んだらしい。
わからない。
骨は無い。

もうそういう人がいっぱい居た訳ですね。

ところがそういう人が街の中をいろいろ聞いて歩いたり、
子どもを探して歩く、女房を探して歩く、
何日も何日も焼跡を歩き回って、しばらくすると妙な病気が出てくる。

かったるくて動けなくなる。

診たところ外はなんにもない。
火傷もなければ何にもない。
ただ朝起きて動こうとしてもかったるくて体が動けない。
こんなだるさは今までおぼえたことない。
というような病気をもってくる。

これが当時の、いわゆるぶらぶら病といった、内部被曝の症状なんですね。

私たちはそういう患者を何十年も診ました。

その原因が全然わからないんですね。
政府もアメリカから触れちゃいかんって言われたら何にも調べてない。
日本の大学も学者も医者も誰も研究をやってこなかった。

で、知らないまんま私は30年間そういう患者がだんだん出てくるので聞いてみると、
「原爆は受けてない。4日目に町へ入って町中探して歩いて、1週間位歩いた
そのために初めの1週間ごろに一度かったるいっていう病気が起こったけれども、
いつの間にか治っちゃった。
でもう、忘れたら、おんなじようなだるさが出てきて、働けなくなった」
という患者がくるんですね。

そういう人を沢山みますから、同じ事を言う。
それは原爆を受けていない。
後から町へ入った。
そして同じ症状が出るっていうのが沢山ありますから、
「何かやっぱり残っていたものに触れたんだろう」というのはわかるけれど、
具体的には分からない。

それは30年経ってアメリカへ行って、
初めてアメリカの医者で
アメリカの秘密になってて研究できなかったんだけど、
アメリカのある学者がひとりで、一生懸命調べて、
核実験があった年に生まれた子どもが、その後の子どもの生まれてくる、
死産で生まれるとか、生まれてすぐ死んじゃうという、
いわゆる死亡率が非常に高いという事を調べて、

核実験で大爆発をする。
そして、きのこ雲になって、それが成層圏にまでのぼる。
で、後で降ってくる。

アメリカで降る場合もあるし、埃のまんま落ちてくる
これが田んぼに降る、川の中に入る、水源地にも入る。
みんなの畑の中にも降る。

そういうのを食べたり吸ったりミルクを飲んで病気になってくるという事がだんだん増えて、
それを調べて、
結局目に見えないけれど放射線の粒を身体の中に取り入れたものに
そういう病気が起こると言う事をちゃんと研究したお医者さんが出てきた。


アメリカでその先生に会って初めて、
30年間分からずに苦労してきたその病気が
放射線を内部に入れた場合に怒る内部被曝の病気だっていうことが、
30年経って初めて分かった。


それが1975年でした。

もうそれから30数年経ちます
分かってからでも経つんですけれども、分からない30年間、意味も分からずに、
患者だけは沢山、長崎・広島に居るわけですから、
ずっとそれを診てきた。

死ぬ人も何人もいました。

医者として「この人何で死んでいくのか」ってことが分からないこと位、
医者にとって苦しい事は無い。


家族からも言われる。
「先生なんで死んだんでしょうか?」と。
医学的に分からないんです。

今でももう68年経ちますが、
放射線の被害で治療法がありませんから、訳のわからないうちに死んでいきます。

死んだ時に死亡診断書を書くんですね、医者は。
法律で決まっている。
ところが、なんで死んだのかが分からない。
これはわかる医学がまだないんですね、今でも。


アメリカが軍事機密に指定して、
「一切研究をするな」という事が、
アメリカのいわゆる従属国になっている国、
あるいは核兵器を持っている国では、全部同じ事が行われている。

そのために、内部に入った放射線の被害は、未だに学問がないんです。
残念ながら。

ですから、福島の患者の中に、
いま、甲状腺がんの子どもが大分出てきています。
いろいろなのが出てくるけれど、
診察をしてはっきり
「福島原発から出た放射線が原因でこういう病気になりました」っていう事の証明が出来ない。
いまの学問では。

だから殺す側の東電にしてみると、永久に完全犯罪だ。

すぐ死のうが、何年たって死のうが、お医者さんが診て、
「あ、これはあの時の事故の放射線の影響です」っていう事が書けない。

だから、今の原発から出る放射線で残念ながらすぐには死んでない。
癌で死ぬか白血病で死ぬか、いろんな病気で死んでいます。
しかしそれが、
「これは残念だけどあそこの原発から出た放射線のためにですよ」っていう事証明できないんです。


だから今、原発の放射線で殺される人は、いつ殺されても永久に「なんだかわからない」
癌だったら、ただ「がん」
「原因はあの放射線です」という事が言えない。
それが今の世界中の状態です。


それほど放射線問題というのは今の医学にとっても、
非常に難しい、扱いようがない。


ーーつづく





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<長すぎて携帯で見られなかった方へ>肥田舜太郎氏沖縄講演(後半)

携帯からこのブログを見て下さる方から「後半が見られない」とのコメントを頂きました。
長すぎるとダメなんですね。
肥田先生の言葉は多くの方々に知っていただきたいので、
後半の部分をもう一度UPします。
肥田舜太郎氏10/1沖縄講演(内容全て文字起こし)の中から後半30分の部分を抜き出します。

ーーー


続きを読むに載せます。

続きを読む

肥田舜太郎氏10/1沖縄講演(内容全て文字起こし)

肥田舜太郎先生の2012年10月1日沖縄での講演です。
一言一言を大切に書き出しました。
1時間位ありますので、文章にするととても長いのですが、
分割せずに一つのブログで一度に載せることにしました。
どうぞ、ゆっくりとお声を聞きながらお読みください。


肥田舜太郎講演会@沖縄

【2012.10.01】

広島で経験した放射線の殺人、大量殺人を経験した人間として少しお話ししていきたいと思います。
皆さんは今度の福島の事故以来、
「放射線」という言葉が新聞やテレビに沢山出てくるのを見たり聞いたりされたと思う。
ところが「放射線」というのは目に見えません。
人間は目に見えないものは、いくら理解しようとしても理解できないんです、分からないんだから。

それともうひとつ。
今医学は大変進歩したと言われていますが、
放射線の影響を受けた人間の身体にどういう病変が起こっているのかという事は、
今の医学、今日の段階でもまだ全く分からないんです。

従って、皆さんがもし放射線の被害を受けられたとしても、
日本中の医者は、だれ一人みなさんを正しく診断したり、治療することはできません。

日本の医者だけじゃありません。
世界中、アメリカもフランスもロシアも、どこへ行っても診断をして正しく治せる医者は、
世界中にいないんです。


私は、沖縄の方達に言わせれば、
私は大和人(やまとんちゅう)という人間なんです。
 ※沖縄では、日本本土(内地)の出身者のことを
  大和人(やまとんちゅう)とか内地人(ないちゃー)と区別して呼びます。
沖縄の方は自分たちの事をウチナーンチュ(うちなーんちゅ)と呼びます。
「ウチナーンチュは大和人を信頼しない」
これが高校生まで浸透しています。

無理もないと思うんですね。
沖縄の人達は本当に間違った日本の犠牲者とと無知な大衆とによって、
本土の大和人を守るために一切の犠牲をみなさんに負わせて平然と暮らしてきている。
口を開けば沖縄の今のいろいろな困難を分かったような事を書く学者もいるし、いろんな人もいます。
しかし腹の底から沖縄県に住んでいる日本人の本当の人権を考えて、
自分たちが今まで皆さんにどんな事をしてきたか、
心の底から反省をする人間はほとんどいないと思います。

こういう点で、私は沖縄に来て、
日本の国民が世界で初めて放射線による大量殺りくを受けた原爆の話を、
実は、沖縄にきてするのが、何時も心苦しかったんです。

確かに私が経験した広島長崎の被爆者たちは、
死んだ人はもちろん、悲しい結果でしたけれど、
生き残った者から見れば、「死んだ方が良かった」と思う人がほとんどなんです。
「こんな苦しい思いをして生きていくんなら、あの時一思いに死んだ方が良かった」と、
それが正直、沢山の被ばく者の本音です。

何故そんなふうに思ったのか。
戦争も終わって、苦しい状態が、
家も無い、焼けた。父ちゃんは帰ってこない。子どもに食べさせるものも無い。
いろんな苦しみの中で、原爆を浴びた人間も、危なかった人間も、同じように10年、20年苦しみました。

しかし、原爆に遭わなかった人は、
あの日を境に、働くことのできないまともな健康を失うというような事はなかった。

あの戦争で腕一本無くした。目が一つダメになった。
いろんな傷は負った人は沢山いるけれども、
あの日を境に、学校時代健康優良児と言われて病気一つしなかった健康な人が、
あの日を境に、67年間今日まで、病院通いをし、医者通いをし、
社会からは「なまけもの」「働かない」と言われながら、
中には「仮病」とまで言われて社会から抹殺された原爆の被曝者の苦しみ。

これはある意味で言えば、腹立たしいというよりも、
ものすごい激しい地上戦の中で、助けてくれるはずの日本軍からも阻害され、
まかり間違えれば命までも奪われるという、非常に悲惨な状態の中で戦われた沖縄の方々には
私は被ばくの人達の苦しみを、人間としての苦しみを、
「何とかして分かってもらいたい」そう思って今まで7回沖縄に来ました。
そして一生懸命話をしましたけれども、
話をしながら私は、本当にこれを話すべきなのかどうなのかと、ずいぶん迷いました。



ものすごく長いので、続きを読むにつづく

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肥田舜太郎氏ドキュメント映画「核の傷」東京新聞4/28&映画予告編(書き出し)



東京新聞4月28日27面より
「核の傷」隠蔽史上映中

長年被爆者の治療を続け、今年95歳を迎えた肥田舜太郎医師のドキュメンタリー映画が公開されている。
国が低線量被ばくをした被ばく者をないがしろにしてきた歴史を告発する内容だが、
福島の原発事故が起きた今、ますますその危機感は現実のものとなっている。(出田阿生)

被ばく被害の過小評価、告発する医師

パリ出身のマーク・プティジャン監督は
2004年肥田舜太郎医師の著書「広島の消えた日」を読み、映画製作を思い立った。
2006年に完成した「核の傷」はフランスをはじめ、ロシアやカナダなどでもテレビ放映された。

監督は、福島事故をテレビで見た時
「肥田先生はまるでこの事故を予言していたようだった」と感じたという。
それが映画の最後で語られる
「核兵器反対、広島・長崎反対を言っても、時代遅れになるよ。
核はもっと先に行っていて、それに我々が苦しめられる世の中が来る」という言葉だった。

肥田医師は28歳の時、広島市郊外で被爆した。
原爆投下時に市内にいなかった人々が死亡していくことに疑問が湧いた。
戦後、被爆者の治療を続け、
長い歳月がたっても被ばく者が癌などの多くの病気に苦しめられる実態を目の当たりにしてきた。

放射性物質が呼吸や飲食で体内に入る内部被ばくで健康被害が生じている事が分かったのは30年後。
米国のアーネスト・スターングラス博士の研究からで、
映画ではそう博士もインタビューで登場する。
肥田医師は、
日米両政府が被ばく者の被害を意図的に隠ぺい、過小評価してきた歴史を、自らの経験を通して告発している。

東京・渋谷のアップリンクで上映中。
5月9日午後7時から原発事故の取材を続ける夫婦漫才「おしどり」のトークライブも開催。
問い合わせはアップリンク=03(6821)6821


ーーーー


映画『核の傷:肥田舜太郎医師と内部被曝』公式サイト

「核の傷」予告編



監督・脚本・撮影・録音:マーク・プティジャン
助監督・編集:瀬戸桃子/製作:オンライン・プロダクションズ
日本版ナレーション:染谷将太

その日、広島は静かでした。
しかし、一発の原子爆弾が静寂を破り、広島に住む14万人の命を奪ったのです。


肥田:
今から60年前に、広島で病院の軍医をしてて、
原爆の時にここで沢山の方の治療をした医者なんです。

核の傷11

自身の被爆体験を原点に戦後被ばく者資料に献身し続けてきた


肥田:直接原爆を浴びた人と浴びない人が同じような病気で死んでいくというのが印象に残っている。

今明らかになる 内部被ばくの実態

核の傷12

アーネスト・スターングラス博士:
現在全世界が危険にさらされています
資料は示しています。
原発が機能している時、癌の発症率が急激に上昇し、閉鎖した時には減少することを

何百という原子力発電所が稼働し、放射能を含んだゴミが毎日生まれています。
我々の努力次第で子どもたちの命が救えるのです。



「311以降を生きる」肥田舜太郎氏講演より 同時上映

これを内部被曝と言います。
いま福島で起こっているのは、みんな内部被曝なんです。

命の持ち主が、自分の命の主人公に本当になって、絶対に病気を起こしちゃいけないと。

ーーーー




内部被曝の実態を訴え続ける肥田舜太郎被爆医師(95歳)


福島原発事故以降、放射能に不安を抱く人々の要望に応え、2012年に95歳となった肥田舜太郎医師は、
自身の広島での被爆体験と被爆治療にあたった経験を元に
低線量被曝、内部被曝についての講演を日本全国で重ねている。

映画の中で肥田医師は、
直接被爆していない人々も、ただ体がだるいといった原因不明の症状を発症していくことの疑問を、
戦後30年経った1970年代にやっと理解できるようになったと語る。
その理解の元となるのは、アメリカの原発製造会社ウェスティングハウス社に勤めていたスターングラス博士
低線量被曝についての実態を研究した著書『低レベル放射能』である。

スターングラス博士は、
原発からは平常の運転時でさえ放射能が漏れていて、その地域の癌の発症率が高いというデータを挙げており、
原爆投下後の調査でも低線量被曝の影響をアメリカは意図的に隠してきたと憤る。

2006年にフランス人のマーク・プティジャン監督が描いた本作は、
日米両政府が被爆者の実態を隠してきたことを明らかにし、
原爆投下から67年経ち、福島原発事故が起こった後でも、
日本政府の対応がなんら変わっていないことを訴えるドキュメンタリーである。

「どれくらいの放射線が人体にとって限界なのか、
広島、長崎での調査を元に、アメリカのABCC(原爆障害調査委員会)が基準を決めている。
ほんの少し体内に入った放射線の粒がどれだけ人体に影響を与えるのか、
科学を名乗った最も権威のある集団が嘘をついているのです」

──(肥田舜太郎)

なぜ日本政府は米国政府と結託して嘘をついたのか

なぜ日本政府は、アメリカ政府と結託して、原爆による死亡者の数を隠そうとしたのでしょうか?
日本にとって、原爆は忘れ去りたい過去であり、敗戦の屈辱を思い出したくなかったからかもしれません。
そしてなにより、被爆者の認定は、国の賠償責任にもつながる問題だったからでしょう。

1945年に原爆が落とされてから、数千回もの核実験が世界で繰り返されてきました。
そして、何千発もの核弾頭が、いつ爆発するか分からずに眠っています。
何百という原子力発電所が稼動し、放射能を含んだゴミが、毎日、生まれています。(『核の傷』ナレーションより)


映画『核の傷』











肥田舜太郎氏「市民と科学者の内部被曝問題研究会」第一回総会記念講演4/22(動画・内容書き出し)

市民と科学者の内部被曝問題研究会 
第一回総会 記念講演 肥田舜太郎氏 

2012年4月22日





ご紹介いただいた肥田舜太郎です。
長い間待望していたみなさん方のような優秀な方による内部被ばく問題研究会が発足いたしました。
おそらく世界で初めてだと思います。

核兵器に関心を持って、あるいは現在原発を動かしているどこの国でも、
内部被ばくの問題はほとんど知られていません。
特に国民の皆さんには全く伏せられています。
それはやはり、放射能というものを利用して、金を儲けようという側の者にとっては、
その被害を詳しく知られる事は、最も恐ろしい事なんですね。
だから、全精力を上げて、内部被ばくは害がないという事を、
今日まで地球上のすべての国で、そう思い込むようにやってきました。

わたくしは広島で軍医をしていて、まぁ自分も被ばくをしたんですが、
偶然命が助かって、その代わり、その瞬間から、
即死した人、倒れた人、焼き殺されたというのを、いやというほど見てきました。
ですから、あの爆弾が原爆という事が分かって、
その原爆が放射線を出すという事が分かるまでには、少し時間がかかりましたけれども、
基本は放射線が主力の殺人兵器だというふに私は認識しています。

そして67年間、いまでもまだわたくしに相談に来る被ばく者がいますから、
殆ど後半半生は全部被爆者のために生きてきたと言っても過言でない生活を送ってきました。
それほど卓越した医者でもありませんし、
学問的にもそれほど深いものを持っているわけでもない、平凡な町医者でした。
研究はする事はできません、時間がなくて。
症例だけは沢山持っています。


続きを読むにつづく

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「日本人の一番の弱点は人権意識が無いこと」肥田舜太郎氏インタビュー 白石草さん1/14(動画・内容書き出し)


この短いインタビューの中にも
強く心に残る言葉がありました。


肥田舜太郎氏
これは日本人の一番の弱点だけど、人権意識が無いんですよ。
だから、どんなにひどい目にあわされても怒らないんですね。
今度の事なんかね、みんな今大変になっているけれども、真剣に怒らないでしょ。
これ、外国だったら大変ですよ。
暴動が起きますね。

やっぱり、自分たちの目に見えない放射線というものが、
この世の中では機関銃よりも大砲よりも何よりも恐ろしいんだという認識を持ってほしいと思います。





パシフィコ横浜で開催された脱原発世界会議での
OurPlanetTVの白石草さんのインタビュー。


2012年1月14日


肥田さんがいらっしゃいました。

白石:
はじめまして、白石と申します。
名刺なんか渡したりして、・・よろしくお願いいたします。
肥田さんから見たら私は初めてなんですけれども、
いつも講演などを聞かせていただいています。

多くの方がご存じのとおりにですね、戦争が終わる直前にちょうど広島で軍医をされていたという事で、
ご自身も被ばくをなさっていますし、それから多くの方を戦後ずーっと診ていらして、
そして私も読ませていただきました、
「内部被曝の脅威」ということで、本当に内部被ばくの問題を警鐘を鳴らして、
今回、「内部被ばく研究会」という事で市民と科学者の取り組みも始められるという事です。

今回もね、ご自身90を超えられるのに、こういうふうにお元気で語っていただけて、
私は肥田さんにあこがれているものですから、
自分自身もね、今回こういう事故を目にしたので90まで生きる必要があるんじゃないかなって、
本当に思っているんですけれども、

肥田さん、やっぱり肥田さんの証言っていうのはね、
内部被ばくっていうか、外部被ばくって、いろいろと、
今日本の政府の中では、
年間100ミリシーベルト以下では、大きな健康上の被害は無いとか、
あるいは20ミリシーベルトであれば安全だという事で、いろんな政策が決まってきます。

一方で肥田さんは、「そうではない」ということで、
沢山の告発されている本とかを翻訳されていますけれども、
あのね、本当は長いお話しを聞ければ、戦争直後の時から沢山の話し頂けると思うんですけれども、

この10カ月肥田さんは、90超えてもなお、講演とか、あちこちに行かれたと思います。
どういう事をお感じになりながら、お話しをされていらっしゃいましたか?


肥田:
ま、行った先々日本中どこでもね、
小さな子どもを持ったお母さん方が、非常に不安で心配をしておられるんですね。
で、「これからこの子どもたちが、元気で丈夫に育つかどうか」、
特に女の子を持っていると「お嫁に行けるかどうか」とかね、
「子どもを産めるか?」ってね、小さな子供までがね、心配しているんです。
非常に、今、日本中が放射線問題で、不安になっている。
知識が全く無いと、で、情報もない。
そういう中でね、私の知っている限りの事は、出来る限りね、沢山の方にと思って、
3月から今日まで80何回講演をしてます、はい。

だから、ま、私しか生き残った医者がいないんで、誰もしゃべれる医者がいないんですよ。
今の医師は誰も勉強を知らないしね、被ばく者を診た事もない。
それをいい事に政府はウソばっかり付いていると。
だから、わたくしはどうしても、休みたくても休めない。

白石:
休みたくても休めない、
実際に本当にね、あの、肥田さんのように一貫して、
いわゆる内部被曝というか、その問題を取り上げて長年取り組んでいらした方というのは、

肥田:僕しかいないんです

白石:
いない訳ですよね。
で、やっぱりそこのところがですね、

肥田:
内部被ばくの事を突っついたりなんかすると、必ずアメリカと政府から睨まれるの。
で、出世が出来ないとか、自分の生活がね、
ま、誰だって偉くなりたいし、お金も欲しい。
そういうのがどこかでね、圧迫されて、出世できないというのが、ま、医療界ではみんな良く知っている。

白石:医師の世界では、もうそうなっている

肥田:
そうなっている。これはもう触っちゃいけないと、
アメリカの一番の泣き所なんだね。


白石:
実際にね、内部被曝というものが
これからつまり、私達自身は、被害が明らかになってくるのか、と、いうような時期にあるんですが、

肥田:
受ける、内部被ばくの被ばく者になる事は間違いないと思う。
ただ、誰かがそれを証明したり、治療したりすることはまだできないんです。
今の医学では、全く手も足も出ないんですね。
何にも分からない。

白石:
実際のところ、肥田さんがね、
たとえばぶらぶら病、原爆ぶらぶら病っていう事を言われて、
実際に今、肥田さんの耳に入っていると思うんですけれども、
福島とかね、いろんな処から心配の声が届いているんじゃないですか?

肥田:
初めはね、電話の相談が、子どもの下痢だけだったのね。
でもそれから鼻血になったり、だんだん子どもの症状が増えて、
この頃ではね、「主人がかったるくて、会社を休むようになった」と。

白石:もう、そういうのがあるんですか?

肥田:
もう始まっているんです、ええ。
でもその人を捕まえてね、検査をして、
確かにこれは福島の放射線のせいだっていう事は、
世界中の誰にも証明はできない。

白石:
単にだらけているんじゃないかとか、
それは肥田さんがずっと書いていらっしゃるようにね、広島でもそうだったと。

肥田:そうそう

白石:やっぱりそういう因果関係を証明するのが難しいっていう事が

肥田:難しい

白石:今も変わりがないという事なんですね。

肥田:
変わりがない。
だから、東電は開き直ってまだやるって言っているんです。
なにやったって証拠が上がらない。


白石:
逆に行ったらどうしたらいいんでしょう?
でも、こう言っちゃなんですけど、肥田さんがこうやって生きていて下さったのは、
やはり、すごくありがたいと思っていて、
これ、いるといないとでは大違いだと、すごく思っているんですよね。

肥田:
みんなそういうけど、だから止められないんです。アハハ・・
114肥田12

白石:
となるとですね、何か残して行って下さるとしたら、
どうすればいいと、今私たちは。とお考えになりますかね?

肥田:
それを一言でいえる人は誰もいないんじゃないですか。
だからわたくしは、やっぱり本人がね、人間であるとして生まれてきた、日本人の一番、これは弱点だけど、
人権意識が無いんですよ。
だから、どんなにひどい目にあわされても怒らないんですね
今度の事なんかね、そりゃ、福島の人達は大変だけど、
全国もとばっちりを食って、みんな今大変になっているけれども、
真剣に怒らないでしょ。
これ、外国だったら大変ですよ。
暴動が起きますね。


白石:
今日は外国の方も沢山いて、福島の方の話を聞いたりだとか、
あるいは逆に外国の方の話を聞いたりしますけれど、
こういう会議で、どういう事が出来たらいいなとか、未来を見てどうですか?

肥田:
やっぱり、自分たちの目に見えない放射線というものが、
この世の中では機関銃よりも大砲よりも何よりも恐ろしいんだという認識を持ってほしいと思います。

だから、目に見えるものはね、誰だって警戒もするしね、
仮にいま、たとえばここに福島の放射線が飛んできていると、そして吸い込んでいると。
その人は、放射線に言わせれば
「お前にちゃんと、将来病気を起こす元を作ったよ」と言われている訳なんだけども、
本人は何にも知らないでしょ。
で、なんか目に見えて「あーっ」って思えるかっていったら、
どこ見たって分かんないからね。

白石:
本当ですよね。
いま、90・・・

肥田:5です。

白石:
5歳になられて、お元気でらっしゃるけれども、
やっぱり今後もこういう形で精力的にお話しを、

肥田:
いや、それは自分の体力が続くかぎりはね、やりますけど、
まあ、正直言って、大体4月の初めから今日まで、自分の時間というものは全然なかったです。
何にも出来ないで、書くか、しゃべるか、あるいは取材を受けているか、
それ以外何にも出来なかったですね。

白石:
本当に、やっぱり是非でもやぱりね、知恵を全部残していっていただかないと。
で、あの、肥田さんが訳された本ですとか、鎌仲ひとみさんと一緒に書かれた「内部被ばくの脅威」とか、
やはり、基本的に日本人は、今読んでおかないといけない本だと思っていますので、
まだ読まれていない方は是非読まれて、
今話があったぶらぶら病ですとか、原爆以降に何があったか、
それこそ肥田先生はABCCが書類をね、
戦後に、データを残さないと書指示されたというところとかも全部お書きになっていらっしゃるんですよね。
なので、是非、まだお読みになっていない方はとにかく「内部被ばくの脅威」を読んでいないと、
これからの動きについていけないので、是非、読んでいただければと思っています。
なんか、本当に、急にお連れして申し訳なかったですけれど、
是非、これからも若い世代に、いろんな事を伝えていっていただければというふうに思います。
ありがとうございました。

肥田:これ(白石さんの名刺)頂戴します。



この日の肥田先生の開会式での講演はこちらです↓
脱原発世界会議ー開会式
肥田舜太郎氏(広島被爆医師)の講演 1/14(動画&文字起こし)





脱原発世界会議ー開会式 肥田舜太郎氏(広島被爆医師)の講演 1/14(動画&文字起こし)

肥田舜太郎先生が「脱原発世界会議」の開会式で講演されました。
短い時間の中に先生がおっしゃりたい内容が凝縮されていると思います。
とてもクリアな画面と音声の動画です。
一言一言をしっかりとかみしめながら文字起こししました。


ーーーーー


脱原発世界会議ー開会式
肥田舜太郎(広島被爆医師)の講演



2012年1月14日


1945年にわたくしは軍医として広島陸軍病院に勤務し、
原爆の日は、たまたま午前2時に6キロ先の辺坂村に往診して、原爆による即死を免れました。
そのかわり逃げてきた多数の被ばく者の救急医療を行う事になりました。
市内で即死を免れた者も、火傷や怪我に加えて、
まぶた、鼻、口、肛門,陰部からも出血し、頭の毛が全部抜け落ちるという急性放射能症で死んでいきました。

当日広島におらず、原爆には合わなかったけれども、
爆発後数日以内に市内に入り、救援活動や肉親捜しをしたものが、
俗に言われたぶらぶら病というものを発症し、
数十年間、「あなたには病気はない」とか、「ノイローゼだ」とか、ひどい場合には「仮病」と言われて悩みぬきました。

1975年に、ニューヨークで私は
放射線被害の研究で有名なピッツバーグ大学のアーネスト・スタングラス教授に会い、
入市被ばくのぶらぶら病は、体内に入った放射線に体の内部から被ばくして起こる症状で、
有機的にはまだ不明な症候群であると教えられ、目から鱗が落ちた思いがしました。

1945年の9月1日
連合軍総司令官ダグラス・マッカーサーは厚木空港に降り立つと同時に、日本国民に占領方針を発表し、
その中で「原爆被害は米軍の軍事機密である」と宣言。
被ばく者には「被害の事実に際して一切しゃべってはならん」
医師、学者には「被害の調査研究を行ってはならぬ」
「違反者は重罪に処す」という、宣言を発表しました。

原爆の放射線被害が、世界の人にも日本国民にも伝えられてこなかった原因は、
アメリカが放射線被害を隠蔽し続けた事にあります。

また、1949年にアメリカが放射線被害の調査のため、広島と長崎に設立した医療機関ABCCは、
「内部被ばくは放射線が微量で、人体にはまったく無害である」と宣伝し、
入市被ばく者は診療をせず、その場から追い返しました。

日本政府は1957年と1968年の2回に渡り、いわゆる原爆日本と言われた援護の法律を作り
国による被ばく者の援護を遅まきながら始めました
しかし、国は二つの法律が最高の補償を定めた認定被爆者から、内部被ばく者を除外するなど、
法律制定から35年間、内部被ばく者を差別し続けてきました。

内部被ばくの被害を否定するのは、核兵器保有国であります。
日本政府のそれは、アメリカの前線基地の任務を負わされた従属国の義務としか思えません。
国を建てる上でその基本にかかわる重大問題であると私は思っています。


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2011年3月11日福島第一原発に事故発生の報告を聞いた時、
私は正直、大変なことが起こるなと直感しました。

福島原発は広島原爆のウラニウムと長崎原爆のプルトニウムを混ぜたプルサーマルを使用しています。
事故からの放射線被害を受ける人たちが、広島と長崎で被爆者に生じたのと同じ症状が起こってくるに違いないと、
医師である私は推定しています。

2011年4月5日
「福島県の若い母親から5歳の男の子の下痢がとまらない」との相談の電話がありました。
必要な事を聞いて一番近い白河市の総合病院に行かせ、2週間の検査を受け「なんでもない」と帰されたそうです。

その後電話相談は数を増し、子どもの症状も、口内炎、鼻血、皮膚のあざなどだんだん増加して、
地域も福島県から関東甲信越の各県にひろがり、
講演に招かれた名古屋、京都、大阪でも会場からの発言で、
子どもの下痢や鼻血で不安を募らせている母親の情報が伝えられました。
12月に行った佐賀と福岡でも同じ話が聞かれています。

結局、福島原発からの放射線は3月15日の大量放出から、約300日間ずーっと続いていて、
すでに日本列島の隅々まで、広範囲に飛散していると推定されます。

微量でも危険な放射線の内部被ばくのことを思うと、
原発を廃炉にして放射線を完全に止めないかぎり、ホットスポットがどこに現れても不思議ではない。
疎開や放射線の無い、汚染の無い食材の入手は、もはや無意味になっていると思われます。

厳密に言えば、安全な場所は、日本にはもうないのです。

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「どうしたらよいか」わたくしは相談を受けます。

身を守るには遠くへ移住せよ。
汚染の無い水と食材を食べろ。
この二つが指導されてきました。

それが出来ない人はどうしたらいいのか。
その答えは専門家と呼ばれた人は誰もしゃべっていません。

私は被ばく者のための医師として、
被ばくの後遺症にならずに長生きする生き方を、30年間考え、指導してきました。

その経験から、一つの結論に行きついたように思っております。
それは、自分が自分の命の主人公になって、親からもらった免疫の力を守り、
ひたすら健康に生きるよう、必死に努力する事しかないと思っております。

人類は地球上に生まれ出た時、明かりもなければ火も持っていませんでした。
太陽とともに起き、太陽が沈むとともに寝る。
そういう生活を何千万年も続け、自然放射線や紫外線から命を守る免疫を作ってきました。

その基本の早寝早起きの健康の大原則を愚直に守る事が、
親から引き継いだ免疫力を維持して病気を防ぐ唯一の道であるとわたくしは確信しています。

あとは、食事、排せつ、睡眠、労働、遊び、休養、セックスの6つの行為を節度を守って行う事です。

行為には決まりがあります。
その決まりはどこの国でも年寄りが伝えてきました。
例えば日本では、おばあさんが「ご飯は30回噛め」と伝えています。
調べてみると、立派な根拠があります。

お米の栄養はでんぷんで、胃液では消化できません。
唾の中にある酵素ジャスターゼだけがでんぷんを分解して、小腸から吸収できるように変化させます。

「30回噛め」というのは、噛みつぶすのではなく、
30回舌を動かして、唾液をたくさん出し、必要なジァスターゼの量を供給するためであります。

年寄りの言葉と思ってバカにしないで、守らなければならない恒例の一つであります。

わたくしの話しの結論。
人間は、放射線を安全に操作することはできません。
ですから、原発も核兵器もなくして、「安全な地球に住む」という事しかないわけです。

ご一緒に頑張り抜いて、我々のひ孫に、綺麗な日本を残しましょう。


おわります。





肥田舜太郎氏インタビュー(出征時の肥田先生の写真あり)日刊SPA1/5より 

肥田舜太郎氏の記事がありました。




内部被曝の恐怖 「何ミリシーベルト以下なら大丈夫」はウソ
日刊SPA 2012.01.05 ニュース

― “最後の被曝医師”が語る人体に与える内部被曝の脅威 ―

【解説:内部被曝と外部被曝】

内部被曝と外部被曝では、被曝の仕方が全く異なる。
内部被曝では、
透過性の低いアルファ線、ベータ線のエネルギーがほとんど体外に逃げることなく、人体に影響を与える。

これに対して、外部被曝では
透過性の低い放射線は届かず、主に透過性の高いガンマ線で被曝する。
体内に摂取した際に危険なのはアルファ線、ベータ線を出す核種である。

◆「年間何ミリシーベルト以下だから大丈夫です」というのは大きなウソ


放射線というのは、人間には見えません。色も臭いもない。見た目には認識できません。

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肥田舜太郎

肥田舜太郎氏
私はこれまでずっと広島・長崎で被曝した患者を診続けてきました。
原爆のときは、火傷をしたり全身の粘膜から血が噴き出したり、頭髪が抜けるなどの急性症状がありましたが、
今回の福島原発の場合は、長期的な「内部被曝」の影響が心配されます。

よく年間何ミリシーベルトだとか、毎時何マイクロシーベルトまでなら大丈夫だとか言われていますが、
これは外部被曝の場合のことです。
内部被曝というのは外部被曝と違って、放射性物質を体内に取り込んでしまい、
1日24時間ずっと被曝し続けるというものです。

その影響は、その人の年齢や健康状態、生活態度、免疫の状態にもよりますし、
その症状がいつでてくるかも、誰にもわからないことだからです。
医者である私にだってわかりません。
個人差があるので「必ず危険」だとも限りませんが、
その人が病気になったり死んだりする可能性をアップすることだけは確かです。

日本の政府や学者がついているいちばん大きなウソは、
(外部被曝線量が)年間何ミリシーベルトなら大丈夫です」ということ。

内部被曝のことを全く考慮していません。
体内に入る放射性物質は「それ以下なら大丈夫」ということはない。
少しでも体内に入ったら、長期的に被曝し続ける。微量な被曝であれば大丈夫というのは間違いです。

専門家というのは、政府の責任を隠したり、業界の利益を守ったりするために、
ときに意識的にウソをつくことがあります
中には知らなくて言っている人もいますが。
正確には、「今は大丈夫です。でも先々は病気になる可能性もありますし、何とも言えません」と言うべきでしょう。

福島原発事故後の例で私が実際に報告を受けたもので言えば、
多くは放射線に敏感な子どもに初期の被曝症状が現れています。

下痢が続いて止まらない、しばらくしたら口内炎が出るとか、のどが腫れて痛いとか。
多くの母親が心配していたのは子どもの鼻血です。鼻血がずっと続いて止まらない。
そのうちに、両親にもそんな症状が出てくる。これは福島に限りません。
私のところには、東京や神奈川、静岡などからもこういった相談が寄せられました。

広島・長崎でも、爆心地近くにいて大量の放射線を浴びたわけではないのに、
時間がたつにつれて被曝の症状が現れてくる人が数多くいました。
こうした長期被曝患者に特徴的だったのは、猛烈な倦怠感があって動けなくなり、働けなくなる
という症状を訴える人が多かったことです。

集中力がなくなったり下痢が続いたり。
本人もどうすればいいのかわからない。

勤め先や家族の中でも信用されなくなり、社会的な存在価値を失ってしまう。
医学的にはどこも悪くないので、医者にかかると「ノイローゼ」(当時は神経衰弱)と診断されてしまいます。
私たちはこれを「原爆ぶらぶら病」と呼んでいますが、この人たちは生きていくのが本当につらかっただろうと思います。

被曝をできるだけ少なくするために、
「原発からとにかく遠く逃げろ」とか「汚染されてない食べ物を食べろ」などと言われています。
でも、そんなことは誰にでもできるわけではない。

家も仕事も地元の人間関係も放り投げて逃げられる人が、どれだけいるでしょうか。
事故がおきて9か月以上経っています。
これまで1日3食として800食以上、まったく汚染されていない食べ物を食べ続けている人は少ないでしょう。

遠くに逃げても生活できて、汚染されていない食べ物を調達できるというのはごく一部の人々です。
ほとんどの人々は、放射能汚染されたこの日本で生きざるをえない状況になっています。



【肥田舜太郎】
’17年広島生まれ。医師。広島市への原爆投下により自身が被曝、その後被曝者の救援・治療にあたる。臨床体験をふまえて「原爆ぶらぶら病」と呼ばれる症状や、内部被曝、低線量被曝の影響に関する研究にも携わった。

撮影/大西史恵 取材・文/北村土龍




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放射線になんか負けない! 肥田舜太郎氏の負けないメッセージ。

放射線になんか負けない! 
肥田舜太郎氏の負けないメッセージ。





わたしはひとつだけ、
わたしはできることが一つだけあるんです

それは、沢山の被ばく者と一緒に生活をして、
この人達も、「いつ癌が出るか」「いつ、晩発がでてくるか」を心配しながら生きている
明日出るのか子どもはどうすりゃいい

そういうのにくよくよしないで、
どっちみち、あんたは放射線にやられちゃったんだ。
今更、医者に行って「これ全部出してくれ」、「綺麗な身体にしてくれ」って言ったって誰も出来ないんだ

そうなったら腹をくくって開き直るよりしょうがないんだ。
もうやられちゃっているんだから。

いつかどこかで病気が出るかもしれない

「出るもんなら勝手に出やがれ」と、腹据えて開き直って生きなさいと、

で、一つできることがあるの。
親から貰った放射線に対する免疫の力をみんなもらっている。
これは人によって、強いのもあれば弱いのもある。
バラバラだけど持っていることは間違いない。

その持っている放射線への免疫の力を絶対に今から落とすな。
つまり、自分の生活の仕方が悪いために、それ(免疫)がどんどん薄くなって無くなってしまう。
それだけは絶対にやめる。

今あるものをそのまんま、生きられるだけいっぱいにそれを使って生きようじゃないか

それは・・あんたが、どんな病気にも努力して俺はかからないと健康を保って生きる。
これは人間にできるんだ。

その一番簡単なやつをいくつか教えるから、いっしょにやろう!

それは、
まずやることは、早寝早起き
夜遅くまで深夜テレビ見て、ゲラゲラ笑ったり涙流したり
寝坊して、朝、飯食う時間がなくて、布団の中で
そういうようなだらしない生活は明日から止めようと。
あんな深夜テレビ見ていてあんたどれだけ楽しいんだと、
「くだらないものを見て」っていうとね、
「本当に早寝早起きしたら大丈夫なのか?」って

だいじょうぶなんだ。理由がある。

それは、人間が地球の上に生まれてきたのは今から4000万年前って本に書いてある。
4000万年前って言ったらいつごろなのか、そんなもん想像もできない。ずっと昔だ。
でもその生まれてきた時は、地球の上は
自然の放射線と紫外線がいっぱいあって、僕ら人間はそれに当たってどんどん殺されたんだ、初め。

でも、殺されても殺されても後から生れる人間がね、
困難な条件の中で人類というものを絶やさないために一生懸命生きてきた。
それで何万年か何百万年か何千万年かの間に、自然の放射線に対する抵抗力を人間は作ったんだ。

この作った時のずっと状態を見ると、
人間にとって熱は太陽、光は太陽しかなかった。
電気なんてもんはもちろんないし、ろうそくの光もなかった。
何にもないところでみんな一生懸命生きてきた。免疫を作ってきた。

だからその免疫を作った時の
「太陽だけしかない」
その時の条件で免疫を作ったんだから、
出来るだけその時の状態に近い生活をして免疫を守ろうじゃないか。

それには、夜は寝る。
昼間太陽とともに起きて働く。
これが一番人間にとって自然で、一番正しい生き方だ。

それからもうひとつ。
昔からばあさんが、「お米は30回噛め」
中には、まねてやってみようと思ったって、面倒臭くてそのうち大抵続かない。

でもそれは、ちゃんと根拠があるんだ。

お米の栄養は、胃袋でいくら立派な胃液が消化しようとしても、全然胃液では作用しない。
作用するのは口の中なんです。
唾にあるジァスターゼという酵素だけがお米の栄養を化学的に変化させて
それで腸に行って、腸の細胞が100%それを吸収できる
その形になおすのが唾のジァスターゼなんです。

だから、30回噛めというのは別にドロドロに噛みつぶせという意味じゃなくて、
パクパクやることで唾がいっぱい混じると、
それであなたの食べるお米は100パーセント腸で栄養として吸収される。

ところがあんたは、夜遅くまで起きているから
朝、布団の中でジーッ!って目ざましがなると手で押さえて「まだ1分」と寝ている。
それでどうしようもなくなってはね起きて、
飯食うなんて時間はないから30回噛むなんて我慢できない。
結局はろくすっぽ噛みもしなきゃ食いもしないで駅へすっ飛んで行って、卵かなんか食って、
「もう栄養はたっぷりだ」と思って会社へ行く

そういう生活をやるのは僕らから見ると「緩慢な自殺である」

だから、早寝して早起きして、朝食の時間をたっぷり作ると。
これがあなたの健康を保つ上で何より一番大切なことです。

タバコは全部ストップ!今日からやめる。
そういうことで免疫を、今持っているまんま大事にして、
放射線の病気が起きてこないように

自分が、自分の命の主人公になって「生きる」というために一生懸命に生きるんだ

自然に何となく生きている
それじゃぁ放射線に負ける。

という話しをして、
日本全国の、ま、今生き残っている21万か
30万から40万位のの被ばく者の人にそういう事を教えて、
ま、分かる人が一生懸命頑張って、70,80越えて長生きしています。

だから今、「赤ん坊と一緒にどうやって生きたらいい?」っていうお母さんに
難しいとは思うけれども、頑張って、その理屈をちゃんとわかった上で
まず、夜は早く寝る、何があっても。
そして朝は、悠々と起きて、奥さんならば家族の食事の準備をしてね、
そういう事も全部普通にやって、生きてごらんなさい。
「風邪ひとつひかない」。「どんな病気にも自分は絶対にかからない」。
そういう決意を固めて、
ぼやっと生きるんじゃなくて、

「わたしは今日も一生懸命生きるんだ」と思って、朝から生きなさい。

そういう話しをします、
たったそれだけの事でも何にも無いよりは頼りになる。
だから私の話しを聞くとみんな、「おかげさまで元気が出ました」と言ってくれます。

ああ、嘘じゃない。
それしかないと私は思っています。

どうか、今日の私の話しを聞いて、少しは、「あ、そんなもんか」と思われた方は、
明日からみなさんの生活の中のわずかなその時間を
核兵器を無くすことと、原発を直ちにやめる。
この二つの事に役立つ努力を、行動でやっていただきたい。

これだけのみなさんの数が、1時間に、1日に、隣の人と10分話しする、みんなが努力を続けて下されば
日本の国は変わることが出来ると思います。

どうも時間が来たようです。
長いことお話しをして、どうもご静聴ありがとうございました。  




肥田舜太郎氏「放射線に負けないで生きていく方法」12月7日世界被ばく者展
(動画・肥田氏の講演部分全て書き出し)


上記動画より、一部音声取りだしました。


肥田先生の話を聞いて、
わたしは今日も一生懸命生きるんだって思って、朝から生きていきます(○`ε´○)ノおぅ♪




世界ヒバクシャ展 緊急フォーラム 昼の部 12月7日(トークタイム)一部書き出し




森下一徹氏
「核兵器を無くすという事はどういう事だ」というと、
核兵器を使われると、この地球がダメになってしまう訳ですね。無くなってしまう訳です。
ものすごく大きな宇宙の中で、こういう生命体を持っているのは地球だけなんです。
これを無くしちゃいけないと思う訳ですね。





本当のことを知りたい~放射能に負けないために~


福島第一原発事故による放射能汚染について、本当のことを知りたいと、多くの方々が思っています。
しかし、残念ながら、情報はコントロールされ、真実は知らされてきませんでした。
 
NPO法人世界ヒバクシャ展は、
広島、長崎をはじめとする世界のヒバクシャの実相を写真を通して伝えることで、
核のない世界を目指してきました。真実を伝えることは、社会を変える力を持つと信じていたからです。
その経験から、「真実を知ることが生きる力を生む」と考え、
ヒバクシャを撮り続けた6人の写真家の作品を紹介するとともに、
力強く立ち上がった全国の女性たちを迎えて、世界ヒバクシャ展 緊急フォーラムを開催します。
                            
特定非営利活動法人世界ヒバクシャ展
代表 森下 一徹




肥田舜太郎氏「放射線に負けないで生きていく方法」12月7日世界被ばく者展
(動画・肥田氏の講演部分全て書き出し)
の続きです



世界ヒバクシャ展 緊急フォーラム 昼の部 12月7日




01:22:15

今回急な呼びかけにもかかわらず、これだけ豪華な方達がいらして下さいました
みなさんから一言お願いいたします

01:23:35

森下 一徹
写真家の森下 一徹です。
僕が大体企画してこういう形になったんですけれども、
もともとは写真だけの展覧会でした。
それで、やる時は一生懸命やっていたんですけども、身体がいう事を聞かなくなってきて、
ついに車いすで動くような形になっちゃったんです。
ですからもう、諦めそうになっていたのが、僕の娘が「写真展をやってあげる」っていいだして、
それで今回こういう形で写真展が出来るようになりました。
で、やっぱり若い人が考えることは色々あって、
こういうお話しを入れるとはね、考えて、
それで、ま、大変だと思うんだけど、こういうところでやることが出来て、
で、これがどんどん発展していくのかどうなのか、
それは、いま、これからのことですけれども、ぜひとも成功させてみたいと思っています。
それには僕も協力を惜しまないようにします。
今日はみなさんどうもありがとうございました。


01:25:39

肥田舜太郎
毎日のようにみなさんのような集まりでお話しをして歩いています。
お話しをした後で一番嬉しいのは、
お聞きになった、特に赤ちゃん、子どもさんを持ったお母さんがそばに来られて、
「先生の話しを聞いて明日から生きていく元気をもらいました。ありがとうございました。」っていわれるのが、
一番嬉しいですね。
毎日私たちはこうして自分の人生を生きているのですが、
それが、普通の努力をしていれば、家族全部、
戦争が起きない限りは平和な中で生きていける。
と、普段は思っているんですけれども、

こういう、人間にとって生きていく上で大変恐ろしい放射線というのが、
身の回りに自分の意志とは関係なく押し付けられる。
いうふうになる世の中で、自分はともかく子供の将来がとても心配で夜も寝られない。
沢山そういう方がおられるのが、わたしの話しを聞いて、
「生きていく勇気が出来た」と言って下さるのが、私にとって一番話しがいのあるお答えだと思っています。

もともとは平凡な普通の医者だった人間が、
沢山の被ばく者の方の苦しみと一緒になりながら、
どうやって この世の中を生き抜いていくかという、その一番大事なポイントを教えられてきた思いがします。

今日お会いした皆さんは、初めてお会いをする方々ですけれども、
わざわざ、私のつたない話しを長時間聞いていただいて、
それなりに受け止めていただけたというふうに思って、
かえって、私の方が感謝をしております。
ありがとうございました。

01:29:07

大谷ゆみこ


01:33:15
佐藤幸子


01:39:00
竹野内真理


01:41:27
会場からの質問

01:45:22
肥田:
今の日本人である限り、
それぞれ自分が間違っていると思ったり、気に入らないと思ういろんなことをみんなにしゃべらせれば
もう、100も200も300も限りなくあると思うんですね。
でも、それは色々整理して論議していくと、
一番大きな元は何か、それは日本の国民に独立がないからです。
100億の意志で生かされていく、それを何となくそのままにしておいて、
そういう大きな国としての矛盾。
その事を解決しようと思う気がなくて、連想的に自分が感じる沢山の不満を
あれこれ、あれこれ並べてお互いに話し合ってみても
一番に肝心の元のところをどうするという
一番だいじなことを論議し合う
そういう人間にならないと、永久にわたくしはダメだと思っています。
困難だけど、やるべきだと思っています。

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01:46:59
森下:
今までいわれたことは一番正当だと思います。
だけど、だけどじゃないな、
僕が言いたいのは、
「核兵器を無くすという事はどういう事だ」というと、
核兵器を使われると、この地球がダメになってしまう訳ですね。
無くなってしまう訳です。
ものすごく大きな宇宙の中で、こういう生命体を持っているのは地球しか今は分からないのですね。
他にもあるか持っていわれているけれど、地球だけなんです。
これを無くしちゃいけないと思う訳ですね。
だから僕は核兵器廃絶を言いたい訳です。
だから、みんなで核兵器を無くそう。
それにはどうすればいいのか、
僕は日本でも写真展をやっていますけれど、これを世界各国でやり続けるようなものにしたいのです。
だから、今みなさんに見てもらった写真展を
他の世界の隅々まで行って見られるようにしてみたい。
そうしないことには、核兵器は無くならないんです。
1国や2国がいらないって言ってもダメですね。
世界の全部がこの核兵器を無くさなきゃダメなんです。
それにはみんなが核撲滅運動をする事です。
それで、この写真展をやっております。

01:49:16


森下一徹
1939 年 東京都目黒区生まれ。
64年初めて被爆者と出合い、以後、広島・長崎の原爆被爆者を永年撮り続け、自身の生きる原点になった。
81年、ソ連邦60周年記念国際記録芸術写真コンテスト「人間と平和」で「被爆者」がグランプリを受賞。
79年、写真展「被爆者」広島。引き続き国内外で展示。
1983年、グラハム財団が、富永さんの目の写真を永久保存。

著書≫写真集「被爆者」(自費出版)、記録写真「被爆者」(ほるぷ)、「遺品は語る」(深沢一夫著、汐文社)、
「地球非核宣言」(安斎育郎共著、水曜社)、「被爆者たち」(小峰書店)など。

http://hibakushaten.blogspot.com/p/blog-page_24.html
こちらで写真が一部公開されています↑



肥田舜太郎氏「放射線に負けないで生きていく方法」12月7日世界被ばく者展(動画・肥田氏の講演部分全て書き出し)

「できるだけ遠くへ引越しする」。
「食べ物が全部放射線に汚染されていないという事を確かめて食べろ」

これ言われて、「はい」って言って出来る人、何人います?

そういう事が出来ない人はどうしたらいいかというのを一言も言わないんです。
こんな残酷な話はない。
出来ないんだったらそんなこと言わない方がいい。
放射線が飛んできているんだから逃げれば大丈夫なんて事は当たり前のことなんだから。

できることが一つだけあるんです
その一番簡単なやつをいくつか教えるから、いっしょにやろう!


自分が自分の命の主人公になって
                生きるというために一生懸命に生きるんだ



12月7日の肥田舜太郎先生の講演です。
何度も何度も見ました。
肥田先生の心からの声です。
とても熱い、真実の声です。
とても感動して、そして、勇気をいただけます。
強く生きていく力を与えて下さいます。


ところどころ、時間も書き出しましたので、是非ご覧になって、その声をお聞きください。


ーーーーーーーーーーー

【Ch4】世界ヒバクシャ展 緊急フォーラム 昼の部
[内部被曝などの正しい情報提供&被曝の影響を抑える暮らし方紹介]
日時12月 7日 (水), 10:30 ~ 17:00
場所めぐろパーシモンホール 大ホール (地図)
ビデオ上映 世界ヒバクシャ展写真家による写真ビデオ 報告  
竹野内真理(翻訳家、低線量被曝者の会共同代表) 講演  
大谷ゆみこ(つぶつぶクリエーター、フウ未来生活研究所代表)
昼休み
ビデオ上映 世界ヒバクシャ展写真家の写真を映像で紹介 午後(13時30分~17時)
歌 TOMOKO 「ザマナイ~時代よ!~」 ビデオ上映 
被爆1、2、3世のメッセージ写真ビデオ「親子の絆」 講演  
肥田舜太郎(6000人を超える被爆者を治療してきた医師)
休憩
ビデオ上映 世界ヒバクシャ展写真家の写真を映像で紹介
報告  佐藤幸子(子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク世話人)
トーク(質問タイム) 肥田舜太郎&大谷ゆみこ&佐藤幸子&竹野内真理
http://hibakushaten.blogspot.com/



肥田舜太郎氏
世界ヒバクシャ展緊急フォーラム午前の部2011年12月7日
1




司会:肥田先生は、何処かをぽきっとされているそうですが椅子はいらないとのことです


26:31

27:37
どうもみなさんこんにちは。
ご紹介いただきました肥田舜太郎という内科の医者です
福島の原発の事故が起きて関東平野一帯まで放射線の塵が飛んできて
沢山の方が今、特に小さなお子どもさんを持ったお母さん方が大変不安になって
どういうふうにこれから生きて行ったらいいのかという事を非常に心配をしておられます。

いま、福島の方々が被ばくをしている。放射線の影響を受けている
これを新聞は内部被曝と書いています
みなさんがこれから色々、考えたり、相談したりするときに、
放射線について使われている言葉の意味が良く分からないではいけないので、
最初、簡単に。

放射線、これはよく耳にするし、字も見ますけれど、見た人は誰もいない。
目には絶対に見えない。色もないし、匂いもありません。
もちろん、触っても感じることはできない。
みなさんはお医者さんに行ってレントゲンを撮ります。
暗い中で、前をはだけて、「大きな息を吸って、息を止めて」っていわれると、
どっかでカチャンって音がして、自分の内部と に影が映る。
何かが身体を通ったんだけども、何が通ったかという事は誰も感じない。
そういうものが放射線。

わかりやすく言うと、この世の中には放射線というものを出す物質があります。
その、出す物質のちいさなちいさな粒。これが放射線なんだ。
粒の大きさは、これは頭で想像するしか手がないんですけれど、
1ミリメートルの60億分の1という直径の小さな粒です。
それは実際にそこにあるんだけれども、見えもしないし触ることもできない。

その小さな粒が飛んでくるんですね。
レントゲンのフィルムを撮る時も機械からその小さな粒がものすごい速度で飛んできて身体を貫く。

放射線の出るところが自分の体の外にある時には外部被ばくと言います。
外から影響を受けるから外部被ばく。

内部被ばくというのは、その粒が体の中へ入る。
これは、空気の中にある散りみたいなものを、知らずに吸い込むと肺へ行きます。
それから、水の中にある。
あるいは畑のキュウリだとか、トマトとか、そういう野菜の表面、食べ物の表面についたのを食べる。
あるいは水で飲み込む。

放射線の粒がとにかく、肺と胃袋へ入る
そして中から、人間の体に都合の悪い放射線をずーっと出し続ける、。
それによって身体を中から壊されていく。
これを内部被曝と言います。

今、福島で起こっているのは、みんな内部被曝だ。
もちろん、外も飛んできて身体にぶつかりますけれど、
今福島の原発から出ている放射線の強さは、非常に強くない、弱い。
ただ、出た放射線の全体の量は、もう、広島の原爆の時の200倍ぐらいになっていると言われています。

量は沢山出たけれど、一つ一つの放射線が持っている勢いが、広島の時ほど強くない。
だから、外にあるのが体に触れた外部被ばくでは、政府が言うように、今のところ心配ない。
これは嘘じゃない。

ところが内部被曝というのは、
ここから以上になったら危ない。ここから以下の放射線だったら心配ない。
そういう、シーベルトの単位というのはないんだ。
ゼロじゃなきゃダメなの。

ほんの僅か入っても、その人は被ばく者になる。

この事について政府は嘘をついています。

つまり、今、少なくても、福島県に住んでいる大人も子供も、もう一人残らず放射線が体の中に入ってしまっている。
8日月になろう、もうじき9か月になる。
今までまだ全然身体の中に入っていないという人は、おそらく一人もいないだろうと思いますね。

ですから、私が一番心配しているのは、
広島・長崎の時の原爆の被害者が生き残ってずーっと生きている間に
色々な余病が出てきて放射線の後遺症が出てきた。
それと同じ被害が福島の人に出なければいい。そう心から望んでいますけれど、
被ばくをした放射線の性質が、広島・長崎の場合と今度の場合は同じ物なんです。
同じ放射線に被曝をしたんですから、
広島・長崎の被爆者の経験がそのまま福島で起こらない、という保証はどこにもありません。


ですから、後遺症が起こってくる時期は、少なくとも半年後。
一番多いのは2~3年経ってから出てきて、
最後はその人たちがやっと人生長生きしてそろそろ終わるかな、という歳になって、
ガンや、白血病やその他非常に恐ろしい病気が最後に出てきて命を絶たれる。

ですから、心配しなくちゃいけないのは、これからずーっと先なんです。
長い間「いつ出るか、いつ出るか」と思って広島・長崎の人達は本当に一生苦しみました。

悲しい事ですけれど、
福島の人達のこれからの人生も、全員とはもちろん言いませんが、
かなりの方々はそれと同じ道を歩くだろうと、それが非常に心配なんです。

今のお医者さん達
大学教授から町で開業している先生まで含めて、
あの時広島・長崎で血だらけになって死んでいった、あるいは生き残って非常に苦しい人生を歩いた
そういう被ばく者を診た方は現在一人もいません。

今一番若い被ばく者は66歳です。
今の先生方、現役でみなさんの前で仕事をしているお医者さん達は、少なくとも60歳前後でしょう。
70,80の開業医の先生もいるけれども、
その先生たちが広島・長崎の被ばく者を当時診たという方は、残念ながら全部死なれてしまって、
私が日本で一人生き残った、そういう被ばく者を診た医者という事になっています。

ですから、一番心配するのは
そういう後遺症が出て、具合が悪いからといって、先生のところへ行って診てもらっても、
それが福島の放射線が影響の病気だということの分かる、それが言えるお医者さんは
ひとりもわたしは居ないと思っています。

それをどうするか、
これが、これから一番大きな問題になります。

何故、日本の政府、役人、あるいは大学の先生たち
あれだけ大きな、世界的にも人類が初めてという、広島・長崎の原爆の被害を日本の国民が受けて、

「日本は唯一の被爆国である」
都合のいい時はそういう事をみんな言うけれど、

じゃぁ、あのキノコ雲の下で人間はどういうふうに殺されたのか
それから66年間、今の医学では診断も出来なければ治療法もない放射線被害というものについて、
どうしてだれも勉強してこなかったのか。

みなさんはおそらく今、福島の人達のことが心配で
放射線を経験した広島・長崎の人はどんなふうだったのだろうか、
それを詳しく誰かに聞こうと思っても、それをちゃんと説明する人はいません。

なぜそうなっているのか、
ここのところを、今の日本国民はだれも聞かされていない。
これは、みなさんも知っているように8月15日に






内容は続きを読むに書き出しました。

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No4肥田舜太郎氏×岩上安身氏(文字起こし)10/6

肥田舜太郎先生の貴重なインタビューです。


「公の場で、安全だってみんなが言っているのは
一つは逃げること。もう一つは汚染したものを食べない努力をすること。
この二つが安全に生きるための最小限の条件だと、一般に誰でもがそう言う。
たとえば福島県のいくつかの大きな都市の住民でね、
「はい。明日からそれが出来ます」という家族は何家族いるのかと。
おそらく、大部分が出来なくて、その大部分の人にできない事を、
「それしかない」みたいな言い方をすることは犯罪だろうと僕は思うんですよ。
みんなにできることを言わなくちゃいけない。
みんなにできない事の理由がもし、お金だったら、全部にお金を出してやらせるとかね」

原爆投下直後の信じられないような悲惨な状態から、いま、福島の事故が起き、
政府の対応、世界の見方、
事実を直視してこられた肥田先生の深く広い考え方。
もっともっと、先生のお話しを聞いていたい。
私自身とても勉強になりました。
そして、改めて考えさせられることも多かったです。

このような有意義なインタビューをして下さった岩上安身さんに感謝したいと思います。

心をこめて文字起こししました。本編だけで4部に分かれています。
お時間がある方は、アーカイブで声を聞いて、表情を見ていただきたいと思います。


No4 アーカイブ2 最初~最後まで


・核武装を支持する勢力
・慢性症状を公に文書で発表すた医学者都築正男
・内部被ばくをきちんと知れば核兵器は許せないとちゃんと言える
・原発から100マイル以内では乳がん増加の根拠を見付けた学者ジェイ・マーティン グールド
・内部被ばくの危険性を理論的に証明したカナダの医者ベトカウ
・内部被ばくをかたくなに認めようとしない理由
・今は新しい経済政策にむかう陣痛の始まりのような時期



No3



肥田舜太郎氏×岩上安身No1(文字起こし)2011年10月6日


肥田舜太郎氏×岩上安身No2(文字起こし)2011年10月6日


肥田舜太郎氏×岩上安身No3(文字起こし)2011年10月6日


肥田舜太郎&岩上安身 10/6(最後の部分の内容書き出しました)


続きを読むにできるだけ正確に文字起こししました。

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No3肥田舜太郎氏×岩上安身氏(文字起こし)10/6

肥田舜太郎先生の貴重なインタビューです。

「広島長崎の原爆は人間の人権をね、初めから奪い取るという攻撃」
「今まで日本も国民には人権は全くなかった」

「人権」ってなんだろう?(ちょっと調べました↓)
「社会的に人間と認められる存在が生まれながらに持っていると主張される社会的権利のこと」
日本における人権
日本国憲法は、国民主権(主権在民)、平和主義とならび、基本的人権の尊重を三大原則としている。
基本的人権とは、人間が、一人の人間として人生をおくり、他者とのかかわりをとりむすぶにあたって、
決して侵してはならないとされる人権のことである。すべての人間が生まれながらにして持つ。
基本的人権は、生命、財産、名誉の尊重といったような個別的具体的な権利の保障へと展開することが多い。
このため、体系化されているさまざまな権利を総称して「基本的人権」ということもある。



心をこめて文字起こししました。本編だけで4部に分かれています。
お時間がある方は、アーカイブで声を聞いて、表情を見ていただきたいと思います。


No3 アーカイブ1 2時間13分36秒~最後まで




・アメリカへの抵抗、反発よりも無力感、脱力感
・西ドイツの平和運動への参加
・認められていない日本人の人権
・日本が堕落したとき
・個人の人権を目覚めさせるために
・被ばくの影響の体への現れ方(下痢、鼻血、口内炎、湿疹)
・内部被ばくは癌だけでなく心筋梗塞、脳梗塞、糖尿病、腎機能低下症、肝機能低下症
・ロシアの医者の論文「セシウム137は非常に速い間に心筋梗塞を起こす」
・チェルノブイリから非難したモスクワにもあった「放射線疲れ」=「ぶらぶら病」
・日本政府はアメリカ政府に内部被ばくについての持っている知識を全部出してもらいたいと言うべき
・福島県の小中学生は、全部国費で疎開させるべき



111006肥田舜太郎氏インタビュー




肥田舜太郎氏×岩上安身No1(文字起こし)2011年10月6日


肥田舜太郎氏×岩上安身No2(文字起こし)2011年10月6日


肥田舜太郎氏×岩上安身No4(文字起こし)2011年10月6日

肥田舜太郎&岩上安身 10/6(最後の部分の内容書き出しました)

続きを読むにできるだけ正確に文字起こししました。

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No2肥田舜太郎氏×岩上安身氏(文字起こし)10/6

肥田舜太郎先生の貴重なインタビューです。

直接被ばく者が亡くなった後、
軽いやけどの被ばく者が同じ症状で亡くなり始め、
ついには直接原爆を浴びていない、入市しただけの方にも同様の症状が出て亡くなっていきます。
「ぶらぶら病」の患者さんの、その「だるい」瞬間を目の当たりに見た肥田先生のお話し
「死ぬべき人はもう死んだ」と内部被ばくを決して認めようとしないアメリカと日本政府。
戦後の時代に真実が歪められ、隠されていく現実を体験された
肥田先生の大切な大切な生の声だと思います。

心をこめて文字起こししました。本編だけで4部に分かれています。
お時間がある方は、アーカイブで声を聞いて、表情を見ていただきたいと思います。


No2 アーカイブ1 57分30秒~2時間13分36秒まで


・3日目から現れた放射線の急性症状
・ピカにあっていない兵隊の死
・だるくてたまらない人々
・マッカーサーの「原爆の被害者に、と、日本の医療機関、医師と学者に与える」という声明
・1975年国連で肥田氏内部被ばくについて発言
・ABCC(原爆障害調査委員会)
・原爆による内部被ばくを隠す二つの目的
・ブラブラ病の症状を目の前で見たとき
・アメリカの内部被曝の問題
・英国がアメリカに「内部被ばくは危険だ」反旗を翻す
・被爆裁判で負けた日本の国の言い分
・御用学者になるワケ
・マッカーサーにクビを切られた肥田氏


111006肥田舜太郎氏インタビュー



肥田舜太郎氏×岩上安身No1(文字起こし)2011年10月6日


肥田舜太郎氏×岩上安身No3(文字起こし)2011年10月6日


肥田舜太郎氏×岩上安身No4(文字起こし)2011年10月6日


肥田舜太郎&岩上安身 10/6(最後の部分の内容書き出しました)



続きを読むにできるだけ正確に文字起こししました。

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No1肥田舜太郎氏×岩上安身氏(文字起こし)10/6

肥田舜太郎先生のインタビュー4時間+質問タイムです。
まずは、広島原爆投下直後からの直接被ばくをした方々を診る肥田先生のお話しです。
文字起こししていて、とても辛くて、なかなか進めることができませんでした。
けれど、ものすごく貴重な生の声です。
大切な大切な生の声だと思います。
心をこめて文字起こししました。本編だけで4部に分かれています。
お時間がある方は、アーカイブで声を聞いて、表情を見ていただきたいと思います。


No1 アーカイブ1 初め~57分14秒まで

・原爆投下直後の広島
・4つの不思議な共通の症状
  口の中が腐る
  まぶた、鼻、口からの粘膜出血
  そして、紫斑が出る
  頭の毛が取れる


111006肥田舜太郎氏インタビュー




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肥田舜太郎氏&岩上安身氏 10/6(最後の質疑部分の内容書き出しました)

肥田舜太郎(ひだ しゅんたろう) 医学博士
略歴:1917年生まれ、1943年日本大学専門部医学科卒業、
1944年陸軍軍医学校卒業、広島陸軍病院に赴任中の1945年8月6日原爆に被爆、
直後から被爆者救援・治療にあたる。

2011/10/06
肥田舜太郎先生インタビュー">肥田舜太郎先生インタビュー
No1


肥田舜太郎氏×岩上安身No1-1(文字起こし)2011年10月6日


肥田舜太郎氏×岩上安身No1-2(文字起こし)2011年10月6日


肥田舜太郎氏×岩上安身No1-3(文字起こし)2011年10月6日


No2


肥田舜太郎氏×岩上安身No4(文字起こし)2011年10月6日

No3


今日は何故かNo3から聞いてしまいました。
みんなの質問です。
被ばくしたけど今も元気な肥田医師。
私はその謎が知りたかった。
その事に答えて下さっています。岩上さんと一緒に聞いてみましょうd(◕‿-。) ネ❤

No3の書き出しは、続きを読むからどうぞ

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放射能に負けないで元気に長生きしよう!!

肥田舜太郎医師・新聞の記事8/6と生死の分かれ目について考える
上記のブログで、私が真面目に考えた答がここにあるのではないでしょうか(。・∀・ ハ)??



「子供を放射能から守る食事の工夫
~肥田舜太郎氏講演会で配られた書類~」

(はなゆー at 07/30 17:04)





落とす
1、水で表面や細かい隙間に入り込んでくる、汚れや土をよく洗い流す。
2、葉物野菜はよく水洗いし、30分水につけ、再度洗うとストロンチウムセシウムは水溶性なのでかなり落ちる。
3、ゆでる煮る酢に漬ける塩でもむなどで排出されやすくなる。


早く排泄する 
便通を整えましょう。たまった不要物の75%は便として出て行きます。
野菜や果物、芋類、海藻、こんにゃくなど食物繊維が不足しないように。
とくにリンゴのペクチンがセシウムの排泄に有効。清浄な水、麦茶、番茶などで水分も補給


骨や筋肉など体内に取り込まれにくくする。
放射性物質は性質の似たミネラルのふりをして体内に取り込まれます。
放射性ヨウ素→ヨウ素 セシウム→カリウム ストロンチウム→カルシウム プルトニウム→鉄 
海藻、野菜、青菜、大豆、カボチャ、枝豆などおすすめ 


お茶、柿の渋、栗の渋に含まれるタンニン化合物。
植物に含まれるフラボノイド類など。
昆布、柿の葉茶、番茶、野菜をたっぷりとるように。
防御作用が強いのはみそ。熟成したみそ、納豆、発酵したした漬け物、梅干しなどは解毒し腸を丈夫にする。

免疫力を高める。
基本は「日本の伝統食」
長崎の秋月辰一郎医師の指導の元で生き延びた人々は、
毎日玄米にごま塩ワカメのみそ汁カボチャの煮物梅干しに薬草茶などをたべていたそうです。
砂糖や肉乳製品を減らし、ご飯にみそ汁に漬け物、野菜料理に豆腐や魚など、和食を心がけましょう。


免疫力を高める 
1、いろいろな野菜をたっぷりとる 
野菜の色や香りや苦みなどに含まれる
ポリフェノール、フラボノイド、イソチアシオネートなどがファイトケミカルです。
強い抗酸化作用があり、体内被曝で発生する活性酸素の発生を抑える。


取り込まれた放射性物質が排出されやすいように代謝を良くする 
水分の補給が大事。
甘い水分冷たすぎる水分は代謝を悪くし回復力を落とすのでダメ。
天然の解毒作用のある物質で放射性物質に結合して排泄する働きのあるもの。
海藻に含まれるアルギン酸ナトリウム


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

広島で28歳の時に被ばくし、
94歳にして今なお精力的に活動をしていらっしゃる肥田舜太郎医師
免疫力を高めて、放射能に負けない体をつくろう!!(○`ε´○)ノおぅ♪




肥田舜太郎医師・新聞の記事8/6と生死の分かれ目について考える

内部被曝の恐怖訴え 「ぶらぶら病」も
産経ニュース2011.8.6 08:48

 

「けがのない人まで次々と死んでいった。医者なのに一体何が起こっているか分からなくて、ただ悔しかった」。
広島陸軍病院の軍医だった肥田舜太郎(ひだ・しゅんたろう)さん(94)は、
昭和20年8月6日、広島市に原爆が投下された後の様子をそう振り返る。

肥田さんはたまたま爆心地から約6キロ離れた旧戸坂村に往診に出ていた。
建物は爆風で吹き飛び、ひどいやけどを負った人たちが市内から村に避難してきた。

手当てもままならず、けが人は次々と息を引き取っていった。
「応援の医師をあわせても1人で千人もの患者をみなくてはならなかった」

そのうち妙なことに気がついた。けがの程度の軽い人たちまで死んでいくのだ。
「高熱、鼻や口からの出血、紫色のまだら模様。放射線の急性症状が出ていたんです」。
今も鮮明に覚えているのは、抜けた髪の毛をつかんだ女性の姿。
息も絶え絶えだったにもかかわらず、ごっそりと抜けた髪をつかみ、泣き叫んでいた。
「あんな悲しい光景は見たことがない」と顔を曇らせる。

戦後は山口県にできた国立病院へ移り、
昭和25年ごろから埼玉や東京の診療所で、被爆者の診療を始めた。
これまでに原爆の後遺症に苦しむ6千人以上の被爆者を診察してきた。

倦怠(けんたい)感を訴える人が多くいた。原
因は分かっておらず、「ぶらぶら病」と呼ばれた。
「ピカの影響だとはうすうす分かっていたが、どんな病気かわからず、ビタミン剤を処方するぐらいしかできなかった」と話す。


また、被爆したというだけで差別を受け、苦しむ人も多くいた。
肥田さんはそんな被爆者たちの声に耳を傾け、寄り添い続けた。

昨年、体力の衰えから現役を引退。60年以上にわたる診療活動を終えた。
その後、請われて各地で講演活動をしている。

3月の東京電力福島第1原発事故について、被爆者医療に長年、携わってきた経験から
放射線が人体に及ぼす影響では特に内部被曝(ひばく)の恐ろしさを訴える。
放射性物質が体内に入るとその後、数十年にわたって体内で放射線を浴び続けることになるからだ。

「私は死に損なったんです。私が死ななかったのは、何かをしなければならない運命だったという気がしている」

原爆の日の8月6日は広島を訪れ、
爆心地から約1キロの距離にあった広島陸軍病院の原爆慰霊碑前で、亡くなった仲間や患者の冥福を祈る。

     ◇

 【用語解説】内部被曝

大気中に漂ったり飲食物に付着した放射性物質を体内に取り込んだために、体の内部から放射線を受けること。
放射性物質が組織に沈着する恐れがあるほか、
飛距離が短く外部被曝では影響の少ないアルファ線やベータ線にもさらされるため、
高い危険性が指摘されている。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

肥田舜太郎医師(94)
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「私は死に損なったんです。私が死ななかったのは、何かをしなければならない運命だったという気がしている」
肥田医師はこう話していらっしゃいますが
94歳とは見えない位に若くってしゃきっとしてる。
とても素敵です。

昨日の終戦の日の色々な特集番組を見ていてふっと思いました。
たとえば、
テレビと新聞と取材があった
山田舜(あきら)さん(85)

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19歳の時に広島で被爆
1945年夏の朝。旧制高校2年生だった山田さんは
熱を出して広島市の自宅で寝ていた。突然、閃光(せんこう)と爆風が襲った
そして現在は、福島に住んでいらっしゃり、今回の事故の経験もされたという
広島原爆の日:「2度も放射線に」福島の被爆者の思い・毎日新聞2011・8・6

昨日は、85歳を過ぎていても実年齢より若く見える被ばくをされた方が
何人もテレビに出てお話しされていました

戦争の体験など、貴重なお話しも沢山お聞きしたいけれど
その後の、普段の生活はどうだったのかという事も伺ってみたいと思いました

同じように被ばくしているのに病気になる人とならない人がいるのは
どのようなメカニズムからなのだろう?
もともと持っている遺伝子が放射性物質に対して抵抗力があるのか
同じように内部被ばくをしていたとしても傷つけられる場所が違うからなのか
放射性物質を身体に取り込んでいても、その後が全く異なる事が不思議になった

何が違うんだろう?
確立だと言う。
ロシアンルーレットだと言う人もいた。
何の理由もなく、本当に全ての人に平等に確率で発病するのだろうか?
病気になる人とそうでない人を分ける何かがあるような気がして仕方ない。
生まれもった遺伝子のせいならば仕方ないけど・・・

長崎大学の教授が「笑っていれば放射能は恐くない」
それを聞いた時には「バカにすんなっ!」って頭にきたけど
それも一理あるのかな?なーんて・・思っちゃうくらいに・・

日本はもう、汚染されたから
被ばくからは逃げられない
食物だって、政府の基準は高すぎるし、
そのうち全てが汚染されていくように思う

だったら、
ある程度身体に取り込んでしまう事は諦めなければならない

「しきい値はない」というのだから
一粒だって体内に取り込む事は恐いけど・・・(多分もう、入ってる)

避けられないのならば、
今まで通り注意はするけど、それに加えて
放射能に負けない細胞を自分の体内で維持する方法を探しだす事の方が
前向きな感じがする

アップルペクチンで排出したり
牛肉を酢水に付けてから調理したり
取りこまない努力はするけど

なにか、人間が放射能に負けない方法があるんじゃないかなって

それを見つけてみたくなりましたヽ(。◕ᆺ◕)ノ



「被爆66年ヒロシマ」肥田舜太郎医師(内容書き出し)



今日から原爆の日に合わせたシリーズ企画
「被爆66年ヒロシマ」をお送りします

第一回は広島で被爆した94歳の老医師を追います

肥田舜太郎さん、福島第一原発の事故後
クローズアップされる内部被曝の危険性を早くから指摘し続けた一人です

その活動の原点は広島にありました

JR広島駅に降り立った肥田舜太郎医師94歳です
66年前の8月6日軍医として働いていた広島で被爆し
戦後は東京と埼玉で被ばく者の診療に当たりました

肥田舜太郎氏:
広島に来るとやっぱり、故郷に来た感じですね
実際に生れ故郷ですね
実際によその土地に行ってここに来るとほっとする



この夏肥田さんのところには講演会や取材が殺到しています

肥田舜太郎氏:
あなた方のような取材が42回かな、今日で
その間ほうぼうで話したのが だいたい30回位です


2年前体力の限界から引退した肥田さんを3月のあの出来事が変えました

西山保安員「レベル7という暫定評価をいたしました」

震災直後の福島第一原発で原子炉の建屋が吹き飛ぶ爆発や炉心が溶けるメルトダウンが起きました
チェルノブイリ原発事故と同じレベル7となる史上最悪の事故は大量の放射性物質を放出し
震災で打撃を受けた住民に追い打ちをかけています

子どもを抱える親たちは内部被曝の影響に不安を募らせています

内部被曝とは放射性物質を呼吸や飲食で体内に取り込み体の内側から被ばくする事
その影響については専門家の間で意見が分かれ
国はその影響を認めてきませんでした
肥田さんは内部被曝の危険性を長年訴えてきた数少ない一人なのです

2005年に出した「内部被曝の脅威」は原発事故後
都内の大型書店で売り上げベスト10に入る大きな反響を呼びました

肥田さんは今、全国各地の講演会を飛び回っています
その原点は広島です
アメリカが原爆を投下した66年前肥田さんは広島陸軍病院の軍医でした
往診先の戸坂村で被ばくし、それから負傷者の必死の救護に当たりますが
次々と亡くなったと言います

肥田舜太郎氏:
熱が出たからって行ってみると鼻と口から血が出ている
診てられないんです。臭くて
これはね、医者が一目で分かるのは
口の中が腐ってるんです
人間の体の口の中が生きているのに腐り始めた
そのにおいなんですね
何でこんなことになるのか分からない



さらにその後肥田さんが将来をかけて調べ続ける症状の患者に出会います
入市被ばくの患者です

肥田舜太郎氏:
「軍医殿、私はピカにあっていません」っていうのね
「えっ?」って聞いたら、
部隊長に連れられて翌日やっと入ったとかね
あるいは2日後に入ったと言うのもいた
それがみんなそういう症状が出て死んでいくんです
診ている医者は何の事だか全然分かんない
本人が「原爆にあっていない」と言うのが
みんなと同じ症状で何で死ぬのか分からない
その分からなさが30年続いたんですよ


原爆が投下された年の12月肥田さんは山口県の病院に移り
そこでも原爆ぶらぶら病という新たな症状に出くわします

肥田舜太郎氏:
山口県に逃げた被ばく者がいっぱい入院していた
そういう中にね、見たところ何にもない
火傷もなければ何にもない、元気がいいんですよ
「何で、病院に来たんだ」って聞いたら
「かったるくて働けない」
かったるいというだけの病人が沢山出てきた



その後、埼玉や東京で6000人以上の被ばく者を診療しました
また、原爆症認定の集団訴訟で内部被ばくを認めない国に対し
原告側の証人として診療体験に基づいた証言をしました

肥田舜太郎氏:
一生懸命自分が診てきた患者がね
何年目になったらこういうふうに死んだ
何年目の人はこういうふうに死んだと
裁判官に分かるように話す
ふたを開けてみたら私の方が勝った
ね、
だから、よく話をすればアメリカ人でない限り日本人なら必ず分かるんですよ



今、肥田さんが心配しているのは福島の子どもたちへの影響です


肥田舜太郎氏:
日本政府はいろんな処の県と話しを付けて
小学生と中学生を全部強制疎開をしなきゃいけないと思っています
福島県で(放射性物質が)毎日出るんですから
毎日どこかで降ってきて、吸ったり飲んだり食べたりしているでしょ
この子たち、後5年経ち10年経ったらどういう体になるのか
私はそれが心配なんです


肥田さんは皮膚を通した外部被ばくと違って
内部被曝の場合は少量でも影響があると指摘します


肥田舜太郎氏:
内部被ばくには何ミリ以下なら大丈夫というものはないんです。はじめから。
内部被ばくであれ外部被ばくであれ
放射線で起こった被害
どんなに軽い被害でも治しようがない
今の医学には薬もなければ注射もない
なんにもありません



この日 肥田さんの講演は一時間以上に及びましたが
参加した人は誰も席を立とうとしませんでした

参加者:
やっぱし今まで私が生きてきた人生の中で
当てはまる事が沢山ありましたね

参加者:
これは広めた方がいいんじゃないですかね。隠さずに。
真実、先生が治療なさってるんですから


28歳の時にあった原爆から66年の年に福島で起きた放射能被害
94歳になった医師は一人訴えます


肥田舜太郎氏:
広島、長崎で起こった事が、それが
非常に軽い形で起こるかどう起こるかは分からないけど
何か起こるだろうと
その先には、癌だ、白血病だって
みんなが死んでいくのを待っているんじゃないかと
それを全然ありませんという証拠はないと ぼくは思ってますね
だから今から、日本の医者にね
そういう可能性があると言う事を教えて
患者が来た時に、そうかもしれないという目でね診ていかないと
頭からいくら見ても何にも証拠がないと
何でもないよという形で放り出さないで欲しいと


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


4/24広島にて内科医の肥田舜太郎医師講演(内容書き出しました)

肥田舜太郎医師2007年の講演(低線量内部被曝と原発について)





肥田舜太郎医師2007年の講演(低線量内部被曝と原発について)

福島第一原子力発電所の事故が起きてから
原発に関して知りたいと真剣に思い色々調べ始めた私ですが
ずっと以前からこのように真実を語り続けていらっしゃる先生方
事故が起きてしまってからでは遅いのかもと思いましたが
今停止中の原発が安全確認されたら稼働するとかしないとか
原発推進の政治家や学者が必死で原発を無くさないようにしている姿も見え隠れする中
このような恐ろしい事故が起きていなかったとしても
原子力発電は危険だという事、
90歳を過ぎた今でも日本のためにご自分の経験をお話しして下さっている肥田舜太郎医師です
下記は2007年2月の講演の内容ですが、きちんと理解しておくべきだと思い(私が)転記します。
                       本年度の先生の生の声は下記<参考>でどうぞ。


かくされてきた被曝「ぶらぶら病」
青木智弘2007/02/11
2007年2月8日に生活クラブ生協埼玉の講演会で、
肥田舜太郎さんは低線量内部被曝の健康被害と、日本の核武装化の懸念などについて語った。


本年夏より六ヶ所村施設の本格稼動が予定されている、
核燃料サイクルに反対している 生活クラブ生協埼玉 では、
2月8日の午後に 肥田舜太郎 氏を講師に招き「内部被曝について」講演会を行った。

肥田舜太郎さん( 日本被団協 原爆被害者中央相談所・理事長/ 全日本民医連・ 顧問)は、
仮説ながら徐々に明らかになってきている低線量内部被曝の健康被害問題などについて語った。
当日の講演を、以下に報告する(要約・補足・文責:筆者(青木智弘))。



3肥田さん
肥田舜太郎さん

すすまないヒバク研究
 
90歳になって私は、いよいよ、ヒロシマの被爆を目の当たりにした最後の医療者になってしまいました。
被爆/被曝についての医療はすすんでいません。
61年間もずーっと臨床でヒバクシャを診てきた医療者は私ぐらいでしょう。
公立の病院ですと、大学から派遣される医療者は3~4年で交代してしまい、
ずーっとヒバクシャを診るわけではないのです。

そんなこともあって医者は、ヒバクについて正しく知っているとは言いがたいのです。
医療の教科書にヒバクの問題は載っていません。
いまだにアメリカの資料隠しも続いています。
だから、原子力や核の平和利用の危険についても、人々は認識が甘いのです。
危険について知っている人も、政府や企業の圧力があって、なかなか表には出せないのです。

放射線の健康被害は本来、
いくつもの大学の研究室が集まって、何十人もの研究者がプロジェクトチームをつくり、何億もの研究費をかけて、
体系的に解明すべき課題です。
しかしそうはなっていないので、ほぼ手つかずの研究分野といってもよいでしょう。
あまりに壮大なテーマなので、一生をかけて研究しようという人もなかなかいません。

ヒロシマの被爆

アメリカが広島に原爆を投下した際、
人々にあのような大被害をもたらすとは、当時の米国軍人の多くには、
あまり予測できていなかったのではないかと私は思います。

原爆使用の第一目的はとにかく大量破壊であって、
普通の爆弾などなら何万発とかかる効果を瞬時に上げたかったのでしょう。
ところが原爆を投下してみると、未曾有の健康被害が長らくつづくことになったのです。

米軍の占領下では、被爆者の医療には壁がありました。
被爆の被害について、米占領軍は知らせなかった。
圧倒的なお金と人と力を使って米軍は調査はしましたが、その成果は医療にはいかされなかった。
臨床医である私たちは、経験の蓄積から判断するしかなかったのです。

月日が経つに連れて不思議なことがおきました。
直接、被爆をしていない人たちに健康被害が出るようになったのです。

どうも体の調子が悪い、という人も増えました。
当時、患者が病院にいって「わからない」と診断してくれる医者はまだ良心的でした。
ノイローゼとか、病気そのものを認めない医者が、圧倒的に多かったのです。
それくらい「健康被害はない」というアメリカの宣伝力が大きかったのです。
真実につながる道が、日本人には閉ざされていたのです。

放射線の健康被害
 
放射線は人体に、急性被害と慢性被害をもたらします。
後者について米国は、必ずしも予測していなかったと思います。
急性被害は、瞬時に大量の放射線を浴びることでおきます。
放射線は貫通してしまって、体内には残りません。
急性被害をうけた人は、内部被曝もしていますが、数時間か数日で死亡してしまいます。

やがて、直接は被爆していないのに、原爆後の広島に、家族や親戚を探しに来た人らが亡くなっていきました。

次に顕著になった健康被害が「ぶらぶら病」なのです。
はじめの頃はノイローゼとよく間違えられました。
今では、原発事故後に「ぶらぶら病」被害が出ることもわかって、海外でも認知されるようになりました。

「ぶらぶら病」は、被害者家族の命名です。
広島に駐屯していた日本軍の兵士が終戦後に故郷に帰る。
九死に一生を得た人が、30分も農作業できない、倦怠感で立っていられない、働けない、という状態になります。
被爆後の街の瓦礫除去作業などに従事した人たちです。

いまでも、ふつうの人の疲労や倦怠は、そのメカニズムはわかっていません。
人や医者は、経験的に疲労を、そしてそれが休息によって回復することを知っているだけなのです。

ですから当時、「ぶらぶら病」の人たちは病気とは見なされませんでした。
仮病とかナマケ者とみなされてしまったのです。
家族の人たちは「うちのお父さん、広島に行ったらナマケ者になって帰ってきてしまった」ということで、
「ぶらぶら病」と言われたのです。

私たち現場の医者は、はじめ病名をつけられませんでした。
はじめの頃は抵抗して「原爆病」と言っていましたが、
それを死亡診断書に書くと埋葬許可がおりないのです。
死亡診断書に書ける死因は、国際的な標準があって、それに外れるものは認められないのです。
やむをえず、一時はちがう名前をつけていました。

私が診た顕著な症例は新潟の男性です。
倦怠感には波があって、突然、急激に襲ってきます。
健康被害者は、ヒバクしたことを中々あかしません。
生命保険にも入れないし、就職や結婚にも差し支えます。
診察の際に医者の前にきてようやく、ヒバクしたことを医師にだけ告げるのです。その男性もそうでした。

ヒバクを告げられれば私は、どこで、いつ、どうヒバクしたのかを細かくききます。
その男性は問診中に疲れて、やがて頬杖をつき、つぎに床にあぐらをかき、やがては床の上に横になってしまいました。
座ってもいられないのです。
そういうことで演技をする人はいません。
そういう人を見ることで、ようやく私は、ヒバクシャがだるい、働けないということがわかるようになったのです。

ひろがる「ぶらぶら病」
 
いまはアメリカやロシア、中国にも「ぶらぶら病」の患者さんがいます。

米国には、核実験の被害者、原爆製造の従事者や工場の周辺住民などに24万人もの被害者がいます。
しかし、政府や医療者は一貫して、その存在を無視してきました。
旧ソ連、中国、原発のある国には「ぶらぶら病」の患者さんがいますが、
どの国も医療者も、一貫して原爆症を隠しています。

内部被曝は、外から見るだけではその健康被害がわかりません。
働けないので生活困窮に陥ってしまいます。

1950年ごろまで、若い被爆者は家族を失って、孤児も同然でした。
被爆者手帳が支給されるようになるまで、被爆者には戸籍も、配給手帳もありませんでした。
だから飢え死にした人もたくさんいます。
1952年までは、自分で被爆者であることを知らない人も大勢いました。

当時(1952年より以前)、14、5の少女が一人、福島の親類のところに引き取られました。
しかし役場は配給手帳を支給してくれません。
広島市出身者は占領軍の扱いになるというのです。
しかし福島の進駐軍の事務所ではどうにもなりません。
結局、配給手帳がないと、その子の食料は配給されませんから、親戚をたらいまわしにされ、やがて農家の後妻となります。
ところがお嫁さんとしては、昼も夜も“おつとめ”はできないから離縁されてしまう。
離縁されたら子がいた‥‥日本中のみんなが食うや食わずだった当時、そういう女性の行く末はきまっています。

彼女のような悲惨な人生を送った人がたくさんいるのです。
大人も子どもも、ヒバクしたばかりに、人権を蹂躙された一生を送ったのです。

外部被爆と内部被曝

原爆の最初の犠牲者は、大やけどで亡くなっていきました。
被爆3日目以後になると、謎の高熱や粘膜からの出血などによって、被爆者は亡くなっていきました。
まぶたの裏からも出血する人もいますし、扁桃腺の細胞が真っ黒になって壊死する人もいました。

症状が悪化すると髪の毛も抜けます。ふつうの脱毛とは違うのです。
患者さんの毛が、死の1~2日前になると、すこし触れただけで、手についてゴソーっと抜けてしまうのです。
髪がなくなるということが、女性にとっていかに悲しいことなのか、私は痛感しました。

急性の被害をうけた人は、最後は下血か吐血で亡くなります。

そういう慢性の症状が、やがては直接被爆をしていない人にも出るようになりました
はじめは伝染病を疑いました。でもちがいます。
直接、高線量の被爆をした人たちは、内部被曝もしていたのですが、半年以内に亡くなってしまいました。

やがて内部被曝だけをした人にも、症状があらわれるようになったのです。

1975年に私は初めて渡米し、
米国の医師を通じて核実験の死の灰をあびて症状が出た人を知って、
私は内部被曝の健康被害について確信を持ったのです。

内部被曝のメカニズム

今は「低線量の被爆に健康影響はない」「爆心2km以遠に健康被害はない」などという
日本の厚生労働省などの主張も仮説にすぎません。


原爆症認定の裁判で国側の証人は「脱毛は栄養失調でもおきる」などといいます。
しかし、そうでしょうか。
臨床医の私からすればそれはおかしいのです。
軍医として、ニューギニアからの、すさまじい栄養失調の帰還兵を診たことがありましたが、脱毛はしていませんでした。

内部被曝のメカニズムも今はまだ仮説です。
しかし、そうでないと説明のつかない現象があまりに多いのです。
臨床経験から私は、内部被曝のメカニズムの仮説に立脚せざるを得ません。
そうでないと説明がつかないのです。

原爆が炸裂した時、よく「きのこ雲」があらわれたと言われますが、
その下にあったのは実は火柱です。

1放射性粒子が体内に入るまで
1.放射性粒子が体内に入るまで

図1の上の黒いところが、土砂といっしょに舞い上がった放射性物質です。
一部が黒い雨となって、一部は埃となって、放射性降下物は落ちてきました。
その微粒子を吸い込むなどして、内部被曝の健康被害がおきたのです。

ウランの分子は、1ミリの60分の1です。
ウラン分子を仁丹の大きさにまで拡大すると、おなじ拡大率で人体は富士山の9倍もの高さの身長になります。
鼻の穴の大きさが2mなのです。そのような細かな世界でおきていることなので、なかなか証明がむずかしいのです。

しかし、内部被曝のメカニズムの仮説を採らないと、説明できないことが多すぎるのです。

ヒトは、ウランの微粒子を吸ったのか、吸っていないのかもわかりません。
肺、あるいは胃に入って、やがては血管をつうじて運ばれ、最後は体のどこかの組織に定着します。
この段階では、ウラン分子は細胞の壁(細胞膜)はこえることができず、細胞間の体液にとどまっています

2分子レベルで起きていると推定される事
2.分子レベルでおきていると推定されていること

体液の中でウラン分子は、活性酸素とくっつきます。すると電離線を出し始めるのです。
電離線が細胞膜に穴を開けてしまい、α線、β線、γ線が細胞の中に入れるようになります。
活性酸素とくっついたウラン分子は、電荷が270万ミリボルトと、たいへんに大きいのです。

ふだん、ヒトの細胞は、酸素が10とか、炭素が3とか、小さな電荷の分子が活動しています。
そこへ圧倒的に大きい電荷のウラン分子が入ってくるので、細胞内は分子レベルで大混乱に陥ってしまいます。
そして、分子レベルで混乱した細胞は変異細胞になってしまい、やがて変異細胞群を構成するのです。

変異細胞群は、ガンになるだけではないのです。
どのような形で発現するのかは、個体差があって、人によってちがいます。
内部被曝の発症メカニズムなどは、分子レベルでおきていることなので、今の段階では、まだ仮説にすぎません。

しかし私の医療経験では、そう解釈をせざるを得ないのです。内部被曝説でようやく、説明がつくのです。

    ー長いのでつづきは続きを読むに転記しますー

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4/24広島にて内科医の肥田舜太郎医師講演(内容書き出しました)

2011/04/24 原発なしで暮らしたい100万人アクション in ヒロシマにて

内部被曝 に取り組まれて来た内科医の肥田舜太郎医師のお話しは94歳と言いご高齢を全く感じさせない
熱く心に響きとても考えさせられるものでした

原爆投下後内科医として生きてこられた先生だからこそ分かる
放射性物質の恐ろしさや少量の放射能の病気の現れ方
そして戦後の日本とアメリカと現在の日本
いま、54基も原発を持っている日本人みんなが先生の言葉を聞いて考えるべきだと思います

長崎広島に原爆が落ちた日はものすごく遠い昔に感じていたけれど
それは、現在もなお続いていたのだと言う事を改めて認識しました

肥田舜太郎医師と福島の女性 "2011/04/24


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