橋爪文さん「広島からのメッセージ」2011
5.人間がこれから放射能と共に生きるという事を考えていかなければいけません
8/5橋爪文氏(文字起こし)で、
最後に橋爪さんがお読みになった広島からのメッセージの全文です。
ーー
2011年4月11日
広島から
日本のみなさん、世界のみなさんへ
被爆者 橋爪 文
私は広島の被爆者で、現在八十歳です。
二〇一一年三月十一日、東日本大震災が起こり、続いて福島原発事故が発生したとき、
私は六十六年前の原爆被爆と、その前後の市民たちの暮らしについて執筆中でした。
大半を書き終えていた私は、福島原発事故を痛く重く心に抱き、
最終章は故郷広島の原爆の原点に立って書き終えたいと思いました。
夜遅く広島の地を踏んだとき、私は両肩に重い負荷を感じ、一瞬足が前に進みませんでした。
帰広する度に私は先ず平和公園の慰霊碑に足を運び、碑の中の親族、友人、知人、
そしてあの日、想像を絶する惨状の中で死んでいった人びとと対話するのが常でしたが、
今回は祈るというよりお願いをしました。
私に、いましばらくの間、健康を与えてください。
私に、ちからを与えてください。
私に、何ができるのか教え、導いてください。
私はあの日、爆心地から約一・五キロメートルの地で被爆し、瀕死の重傷を負いましたが、
三人の人に助けられ生きのびることができました。
焼け跡でのバラック生活の中で、高熱、鼻や歯ぐきからの出血、ひどい下痢、嘔吐、全身の紫斑、脱毛など、
急性の原爆症に苦しめられましたが、このときも奇跡的に生きのびることができました。
しかし、その後、現在に至るまで、次々とさまざまな病気に苦しめられ、
一日として健康体であった日はありません。
「原爆ぶらぶら病」
中でも特に辛かったのは、「原爆ぶらぶら病」でした。
症状は、耐え難いほどの倦怠感です。
私は医師に何度かお願いしました。
「先生、一日でも、一時間でもいいですから、爽やかで軽いからだにしてください」
でも、それは叶いませんでした。
私は夜寝るときに神に祈りました。
「明日の朝、目が覚めませんように」
それらはすべて放射線による内部被曝によって起こりました。
放射性物質を含んだ水、食物、空気などを体内に取り込むと、
その物質が体内で絶え間なく核分裂を起こして細胞を破壊していき、遺伝子を狂わせます。
それは死ぬまで続きます。
あの日、黒い雨に遭った人、救援や人を探しに市内に入った人たち、
また原爆だけではなく、核実験、原発事故の被曝者たちもみんな内部被曝者です。
内部被曝については、ずっと隠蔽されてきました。
今回の福島原発事故によって、やっと「内部被曝」という言葉が出てくるようになりましたが、
それがどういうものかについて詳しい説明はありません。
原発行政が進められなくなるからです。
原発がクリーンエネルギー、夢のエネルギーともてはやされた時期もありましたが、
チェルノブイリやスリーマイル島の原発事故の後、少し控えられていました。
それなのに近年、世界の多くの国が競って原発を造ろうとしています。
それを原発ルネッサンスなどと呼んでいますね。
この傾向を見て、私はあまり遠くない将来、必ず地球上のどこかで原発事故が起こる思って警告していました。
「原爆被爆国の日本が放射能発生加害国になっていって良いのでしょうか?」
それが現在、私の国で起こり、しかも毎秒高濃度の放射性物質を漏らしつづけています。
それを止める確固とした手立てもなく、危機的な状態が終わる見通しはたっていません。
国土の狭い、地震国の日本に五十基を超える原発。
しかも地震多発のプレートの上に、過疎地に集中して建てています。
今回の福島原発も第一原発には六号機まであり、それらは連鎖して危機に陥っています。
また、福島第二原発にも一号機から四号機まであり、それらもダメージを受けています。
東北の大地震のあと三月十五日には、静岡でも大きな地震が起きました。
東海、駿河湾の大地震は、今世紀前半に一〇〇%起こるといわれています。
しかも直下型。
その上には最大級の浜岡原発があります。
地震の多い日本海側にも原発銀座と呼ばれる福井県をはじめ、多くの原発があります。
日本のみなさん
原爆被爆国の日本が放射能発生加害国になっていって良いのでしょうか?
時間はありません。
現在稼働している原発を止めるように働きかけましょう。
世界の皆さん
加勢してください。
そして、地球上に新しい原発を造ることはもちろん、
いま稼働しているすべての原発を止め、廃炉にするように声を上げましょう。
「反原発に向けて立ち上がる」
私は被爆者として国の内外で反核を訴えてきました。
それは原爆・水爆だけではなく、原発が地球上の生命を滅ぼす日が来ることを恐れてのことです。
原発は正常に稼働しているときでさえ、常に微量の放射性物質を放出し、海、空、土を汚しています。
微量放射線の危険性についても隠蔽されています。
地球上に生を受けているのは人間だけではありません。
人間が自らの利得のために、他の生物を犠牲にするのは不遜ではないでしょうか?
自然と調和して生きていく道を拓くのが、人間の英知ではないでしょうか?
また二十世紀から二十一世紀に生きる私たちは、長い人類史のほんの一刻を与えられているに過ぎません。
先達から引き継ぎ、未来へバトンタッチをする、ほんの一刻を預かっているだけではないでしょうか?
私たち原爆被爆者や、原発事故・核実験などによる被曝者が一生苦しんできたように、
福島原爆事故による被曝者たちが、これから苦しみつづけることになります。
避難所での厳しい生活にひたすら耐えている人びとの様子が毎日報道されます。
そんな中にあっても、無心な乳幼児、活力を失わない子どもたちの姿に、
私は心を打たれると同時に、そこに希望を見るのです。
放射能は、子どもたちに特に大きな被害を与えて、彼らの成長を妨げます。
それなのに、政府や電力会社はこの狭い地震国・日本にさらに十基以上を建て続けるというのです。
放射能に国境はありません。
未来を拓く子どもたちを救うためにも
世界中のみなさん
共に手を取り合って、反原発に向けて立ち上がりましょう。
8/5橋爪文氏(文字起こし)で、
最後に橋爪さんがお読みになった広島からのメッセージの全文です。
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2011年4月11日
広島から
日本のみなさん、世界のみなさんへ
被爆者 橋爪 文
私は広島の被爆者で、現在八十歳です。
二〇一一年三月十一日、東日本大震災が起こり、続いて福島原発事故が発生したとき、
私は六十六年前の原爆被爆と、その前後の市民たちの暮らしについて執筆中でした。
大半を書き終えていた私は、福島原発事故を痛く重く心に抱き、
最終章は故郷広島の原爆の原点に立って書き終えたいと思いました。
夜遅く広島の地を踏んだとき、私は両肩に重い負荷を感じ、一瞬足が前に進みませんでした。
帰広する度に私は先ず平和公園の慰霊碑に足を運び、碑の中の親族、友人、知人、
そしてあの日、想像を絶する惨状の中で死んでいった人びとと対話するのが常でしたが、
今回は祈るというよりお願いをしました。
私に、いましばらくの間、健康を与えてください。
私に、ちからを与えてください。
私に、何ができるのか教え、導いてください。
私はあの日、爆心地から約一・五キロメートルの地で被爆し、瀕死の重傷を負いましたが、
三人の人に助けられ生きのびることができました。
焼け跡でのバラック生活の中で、高熱、鼻や歯ぐきからの出血、ひどい下痢、嘔吐、全身の紫斑、脱毛など、
急性の原爆症に苦しめられましたが、このときも奇跡的に生きのびることができました。
しかし、その後、現在に至るまで、次々とさまざまな病気に苦しめられ、
一日として健康体であった日はありません。
「原爆ぶらぶら病」
中でも特に辛かったのは、「原爆ぶらぶら病」でした。
症状は、耐え難いほどの倦怠感です。
私は医師に何度かお願いしました。
「先生、一日でも、一時間でもいいですから、爽やかで軽いからだにしてください」
でも、それは叶いませんでした。
私は夜寝るときに神に祈りました。
「明日の朝、目が覚めませんように」
それらはすべて放射線による内部被曝によって起こりました。
放射性物質を含んだ水、食物、空気などを体内に取り込むと、
その物質が体内で絶え間なく核分裂を起こして細胞を破壊していき、遺伝子を狂わせます。
それは死ぬまで続きます。
あの日、黒い雨に遭った人、救援や人を探しに市内に入った人たち、
また原爆だけではなく、核実験、原発事故の被曝者たちもみんな内部被曝者です。
内部被曝については、ずっと隠蔽されてきました。
今回の福島原発事故によって、やっと「内部被曝」という言葉が出てくるようになりましたが、
それがどういうものかについて詳しい説明はありません。
原発行政が進められなくなるからです。
原発がクリーンエネルギー、夢のエネルギーともてはやされた時期もありましたが、
チェルノブイリやスリーマイル島の原発事故の後、少し控えられていました。
それなのに近年、世界の多くの国が競って原発を造ろうとしています。
それを原発ルネッサンスなどと呼んでいますね。
この傾向を見て、私はあまり遠くない将来、必ず地球上のどこかで原発事故が起こる思って警告していました。
「原爆被爆国の日本が放射能発生加害国になっていって良いのでしょうか?」
それが現在、私の国で起こり、しかも毎秒高濃度の放射性物質を漏らしつづけています。
それを止める確固とした手立てもなく、危機的な状態が終わる見通しはたっていません。
国土の狭い、地震国の日本に五十基を超える原発。
しかも地震多発のプレートの上に、過疎地に集中して建てています。
今回の福島原発も第一原発には六号機まであり、それらは連鎖して危機に陥っています。
また、福島第二原発にも一号機から四号機まであり、それらもダメージを受けています。
東北の大地震のあと三月十五日には、静岡でも大きな地震が起きました。
東海、駿河湾の大地震は、今世紀前半に一〇〇%起こるといわれています。
しかも直下型。
その上には最大級の浜岡原発があります。
地震の多い日本海側にも原発銀座と呼ばれる福井県をはじめ、多くの原発があります。
日本のみなさん
原爆被爆国の日本が放射能発生加害国になっていって良いのでしょうか?
時間はありません。
現在稼働している原発を止めるように働きかけましょう。
世界の皆さん
加勢してください。
そして、地球上に新しい原発を造ることはもちろん、
いま稼働しているすべての原発を止め、廃炉にするように声を上げましょう。
「反原発に向けて立ち上がる」
私は被爆者として国の内外で反核を訴えてきました。
それは原爆・水爆だけではなく、原発が地球上の生命を滅ぼす日が来ることを恐れてのことです。
原発は正常に稼働しているときでさえ、常に微量の放射性物質を放出し、海、空、土を汚しています。
微量放射線の危険性についても隠蔽されています。
地球上に生を受けているのは人間だけではありません。
人間が自らの利得のために、他の生物を犠牲にするのは不遜ではないでしょうか?
自然と調和して生きていく道を拓くのが、人間の英知ではないでしょうか?
また二十世紀から二十一世紀に生きる私たちは、長い人類史のほんの一刻を与えられているに過ぎません。
先達から引き継ぎ、未来へバトンタッチをする、ほんの一刻を預かっているだけではないでしょうか?
私たち原爆被爆者や、原発事故・核実験などによる被曝者が一生苦しんできたように、
福島原爆事故による被曝者たちが、これから苦しみつづけることになります。
避難所での厳しい生活にひたすら耐えている人びとの様子が毎日報道されます。
そんな中にあっても、無心な乳幼児、活力を失わない子どもたちの姿に、
私は心を打たれると同時に、そこに希望を見るのです。
放射能は、子どもたちに特に大きな被害を与えて、彼らの成長を妨げます。
それなのに、政府や電力会社はこの狭い地震国・日本にさらに十基以上を建て続けるというのです。
放射能に国境はありません。
未来を拓く子どもたちを救うためにも
世界中のみなさん
共に手を取り合って、反原発に向けて立ち上がりましょう。