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北海道泊原発再開No!!武田邦彦先生の声書き出しました(高橋知事の記事あり)

経産省焦ってますよね。
海江田氏は泊を動かす代わりにどんなご褒美を提示したのでしょうか・・(^_^*('-'*/ゴニョゴニョ
高橋はるみ知事の態度はコロッっと変わりました


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


中部大学武田邦彦氏のブログより

北海道、泊原発の再開:科学的にはNO


北海道の泊原発の再開が問題になっています。でも、あまりに簡単なことですが、科学的には完全にNOです。

1) 震度6の地震で青森県東通原発から、石川県志賀原発まで、
すべての原発が100%の確率で破壊された(破壊=地震が終わっても数ヶ月以上、立ち上がれない破壊)、

2) 特に、東通、福島第一、茨城第二は、全電源を失った。
たまたま福島原発だけが爆発に至っただけで技術的には、同じ危険があった、

3) 泊原発に震度5以上の地震が来る可能性がある、

4) 東日本の原発の安全性をすべて間違った原子力安全委員会、経産省保安院に安全を審査する能力はない。

実にハッキリしています。再開は技術的にはとうてい無理です。
しかも、未だに「救命ボート」も準備されていませんし、住民の避難訓練もされていません。
                                          (平成23年8月10日 午後8時 執筆)

・・・・・・・・・



<武田先生の声、内容書き出し>

北海道の泊原発っていうのがあるんですが
それの再開問題、
定期検査後の再開問題というのが問題になっています。
政治的にはいろんな事があると思いますが
私は科学的技術的に見て、全然話しにならない程ダメだと思います
というのは、
理由は簡単で、普通の方でもよく理解できる事ですが、
まず第一に、震度6の地震でですね
2007年以降、青森県の東通原発から女川原発、福島第一第二
東海第二、柏崎刈羽、それから、石川県の志賀原発まで
全ての原発が100パーセントの確率で破壊されています

ここで言う破壊というのはですね
地震が起こってただ棚の物が落ちるとかそういうのではなくてですね
すごく壊れてしまって数か月たちあがらないような破壊が起こったという事ですけれども
そういう状態ですね
これ、実績です

このうち特に、東通原発、福島第一、、茨城第二っていうのはですね、全電源を失いました

たまたまちょっと、福島原発がですね、電源の回復が遅かったので爆発に至ったので
ま、技術的にはこの3つの原発は同じように爆発して良かったんですね
良かったっていうか・・・爆発する可能性が非常に高かったんですね

で、泊原発には震度5以上の地震が来る可能性があります

この3つから言ってですね、別に議論する程の事はないと思うんですね

えーっ、それでこれを審査した人
今まで青森県の原発から石川県までですね、7つの原子力発電所ですね
これを、診査してきた人は
原子力安全委員会とか経産省の保安員なんですから・・
明らかに間違っている訳ですよ

審査が間違っている訳ですね
その間違った人がもう一回審査するっていうのはですね
どういう事なんですかね


間違っているのはかわいそうですけれども
一応これは重要な国民の命を預かっているところですからね

間違ったらやっぱり、まず反省してですね
間違ったって事を、まず言わなきゃならないですよ



それを言っていないんですよ
「我々の審査は間違った」って
どこが間違ったかって、まず言わなければならないですね

何故間違ったか、
したがって、責任とって辞めるのか辞めないのか

そして、これから間違わないためにはどうするのか

それくらいの事は、もう、誠意ある科学者として言わなきゃいけないですよ。

そしてもう、どうしても、政治的にですね
泊原発が壊れてもいいと
放射線が大量に漏れてもいいというんであれば
それは今度は
地元も了解し、国も了解しているなら仕方がないですね。

しかし、救命ボートぐらいはいるんですよ
それから避難訓練もしなくてはいけません

えー、危険であればですね
当然危険を承知で動かすという事もあり得ますから
その時はその時でやってもらいたいんですよね

私はね
原子力に携わってきた科学者というか技術者としてですね
耐えられないですね

このままの状態で泊原発を再開するというのは、
到底私は胸が痛いですね

ですから、ぜひ、
一つ皆さんですね、
この簡単なことを意識していただいて
泊原発の再開は、全部の原因が分かり、
原子力安全委員会と経産省の保安員がまず謝り、
そして何が原因だったか言い
どうしたらいいか言い

そして全部の事をやってですね、再開してもらいたいと思います
ね。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


続きを読むに書いてある読売新聞の記事から ⇓

高橋知事は、海江田経産相から9日に回答された泊原発3号機に関する国の見解について、
「大変丁寧に回答をいただいた」と前向きに評価した。
ーーなにか貰っちゃうお約束しましたか~?ʅ( ~⊖◝)ʃワカラナーイ

高橋知事は9日、海江田経産相から回答を受けた直後、
道の判断を待たずに営業運転再開に向けた手続きが進められたことに反発。
臨時記者会見を開いて「地元軽視」などと怒りをあらわにしたが、
この日の会見では
「その後、大臣から(方針転換の)電話も受けたので、冷静になった」と穏やかな表情を見せた。
ーーあっという間に態度が180度変わるんだから、
          やっぱ、海江田サンに良い事お約束してもらったんですね~ʅ(◔౪◔)ʃ









続きを読むに北海道の高橋はるみ知事 泊容認のニュースと関連記事載せます

続きを読む

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”核”を求めた日本ー被爆国の知られざる真実ー(内容全て書き出しました)

世の中知らない事が多すぎます
改めて核について、アメリカとの関係など
さまざまな事を考えさせられました
ものすごく、深い内容です

保存版だと思ったので、内容全て書き出しました。








今年3月、一人の元外交官が亡くなりました
外務事務次官だった村田良平さん
亡くなる一か月前の姿です
私達の取材に対し、かつて政府内で
核兵器の保有を模索していた事実を初めて明かしました

村田良平(元外務事務次官):
日本という国の至高な利益が脅かされるような緊張事態になったら
もう、何が何でも核兵器を持つというオプションも完全にはルールアウトしない。

唯一の被爆国日本が核兵器を持つ
それはいったいどういう事なのか
私達の取材はここからはじまりました

佐藤栄作(当時首相):
我々は、核兵器の絶滅を念願し
自らもあえてこれを保有せず
その持ち込みも許さない決意であります


非核三原則を宣言した佐藤栄作政権
核保有を模索していたのはまさにこの頃でした
私達は佐藤総理大臣の側近が残した極秘資料を入手しました
そこには核兵器を作る具体的な方法まで記されていました


「原爆を少数製造する事は比較的容易」
「核兵器の原料となるプルトニウムを生産できる」


佐藤首相のブレーン:
核兵器は、あんなもん作ろうと思ったらポロンとできる
だから(核を作る)能力はあるって事ですよ


さらに取材を続けると、核保有を模索する過程で
当時の西ドイツと秘密協議をしていた事実が明らかになりました

残されていた秘密協議の報告書
日本は、超大国を目指し核兵器を持つ事もありうると言及していました


元西ドイツ高官:
日本は自ら核兵器を作るかもしれない
その話しに私は衝撃を受けました


核兵器を 持たず、作らず、持ち込ませず
非核三原則を掲げる被爆国日本で、核をめぐって何が行われてきたのか
知られざる事実に迫ります

スクープドキュメント
”核”を求めた日本ー被爆国の知られざる真実ー



広島

世界で初めて原爆が落とされた広島
ここに被爆国日本の願いが込められた炎があります
世界から核兵器が亡くなった時に消される「平和の灯」です


平和祈念式典8月6日

アメリカ ルース駐日大使   国連 パン・ギムン事務総長

ことし、平和式典にアメリカの駐日大使と国連の事務総長が、初めて出席しました
世界は今、核廃絶に向けて新たな一歩を踏み出そうとしています


長崎

長崎で被爆した谷口稜曄さん(81)です


谷口稜曄(すみてる)さん:
そりゃ、忘れる事はない
毎日、時間があれば思いだすね
被爆から半年後の谷口さんを撮影した映像です

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当時16歳。生死の境をさまよいました
何度も皮膚を移植した背中

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65年経った今も傷口が裂け化膿します

谷口さん:
これ以上、もう、ね、
生きてきた被爆者を、苦しめないようにしていただきたい


唯一の被爆国日本の悲願
私達は戦後一貫して核廃絶を願ってきたはずでした

今回の取材は元外交官の証言をきっかけに始まりました
村田良平さん
核兵器持ち込みの密約について実名で明かした人物です

村田さん:
私がこれをやっていなかったら
永久にこの、ごまかしがね、そのまま闇の中に消えちゃったと思いますよ
日本において核に関する、真剣な真面目な
しかも、実態の脅威をちゃんと頭に入れた議論を巻き起こすべきなんですよ。日本の中で。

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村田さんは1960年代佐藤政権下で外務省の調査課長をしていました
総理大臣官邸と緊密に連携を取っていたと言います
話しを聞いていると、村田さんは思いがけない事実を口にしました
政府内で日本の核保有を議論していたというのです

村田さん:
まず、日本地震が核武装するというオプション(選択肢)が全くゼロかどうかということも
やはり議論をしてみるべき問題
それを初めからね、被爆国だからとか、核兵器は持たないんだと、いう事じゃなくて
日本という国の至高な利益が脅かされるような緊急事態になったら
もう、何が何でも核兵器を持つ。そういうオプションも完全にはルールアウト(除外)しないと。

中国の核実験1964年
議論のきっかけとなったのは1964年。
中国がアジアで初めて核保有国になったことでした

3カ月後佐藤総理はアメリカのジョンソン大統領と会談します
その時のアメリカ側の議事録(日米首脳会談議事録)です


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個人的には中国が核兵器を持つならば、日本も核兵器を持つべきだと考える

これに対しアメリカ側は、日本に核保有を思いとどまるよう伝えていました

この時、世界的な核開発の中、核保有国は5カ国に増えていました
アメリカはこの5カ国以外が核保有国にならないよう
NPT核拡散防止条約への参加を各国に促しました
経済発展を遂げた日本や西ドイツなどに、核兵器を持たないよう求めたのです

大国主導の不平等な条件に、日本はNPTへの参加を先送りにしていました

外務省内部文書:
NPTに参加する結果永久的に国際的な2流国として格付けされるのは絶対に耐えがたい


村田さんは長い間秘密にしていた重大な事実を私達に明かしました
当時同じ立場だった西ドイツと核保有をめぐる秘密協議をしていたというのです

村田さん:
なんとか、核兵器を持てるきっかけを作るように努力するべきだと、こう思いましたけど
さりとて具体的にNPTの会議でですね、そんなもの提案できませんからね
全部裏取引ですから
(西ドイツと)意見交換をずっとやってて
なんとか、この、これを覆す方法はないだろうかと

村田さんの当時の活動の記録です
秘密協議の相手はエゴン・バール(元首相府副長官)
西ドイツ外務省の政策企画部長として外交政策を一手に担っていました
のちに、東西ドイツの統合にも重要な役割を果たした人物です

この事実を明かした時、がんで闘病中だった村田さん
1カ月後亡くなりました


ドイツ ベルリン

核保有をめぐる西ドイツとの秘密協議とは、どのようなものだったのか
私達はバール氏に取材を申し入れました
しかし、認められたのは音声の録音だけで、テレビカメラでの取材は許可されませんでした

エゴン・バール氏:
この協議について話すのにはとても慎重にならざるを得ない
なぜならこれは今でも、デリケートな問題だからだ


バール氏の対応が変わったのは
村田さんのメッセージを見せた後の事でした

村田さん:
バールさん、お元気ですか
きょうNPT・核拡散防止条約についてNHKのインタビューを受けました
私は肺がんを患っていて おそらく、もうじきこの世を去ると思います
あなたが末永くお幸せでおられる事を願っています

バール氏がテレビカメラでの取材に応じました
40年前の秘密協議についてはじめて重い口を開きました

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エゴン・バール(88):

日本の外務省から極秘の会合を行いたいと申し入れがありました
第2次世界大戦の同盟国だった日本とドイツの初めての協議は
国際的にも関心を集めかねないため、極秘に行われたのです
率直な意見が出された事に私は正直驚きました


バール氏が当時のブラント外相に提出した報告書が残されていました
日本が超大国を目指し、核兵器を持つ事もありうると記されています

バール氏の証言と報告書から協議の詳しい内容が明らかになりました

箱根1969年2月

日本と西ドイツの協議は人目を避けて箱根の旅館で行われました
日本側から出席したのは
村田さんと上司の国際資料部長等、長期の外交政策を立案する外務省幹部でした
西ドイツからはバール氏を筆頭に参事官等が出席しました

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日本と西ドイツはアメリカからもっと自立する道を探るべきだ
両国が連携することが超大国になるために重要だ

日本と西ドイツのおかれている状況は違いすぎる
冷戦で東と西に分けられているドイツでは、
こうした問題について自分たちで決定はできない

東西冷戦の最前線だった西ドイツ
アメリカの核兵器が配備され、常に核の脅威にさらされていました

慎重な西ドイツに対し、日本は核保有について具体的な発言に踏み込んでいました

10年から15年のうちに核保有を検討せざるを得ない「非常事態」が起こると考えている

中国が核を持つことをアメリカが認めたり
インドが核保有国となるような事態だ

アジアの他の国に遅れをとる事は出来ないとした日本
強調したのは、日本にはすでに核兵器を作る能力があるという事でした

日本は憲法9条がある事で、平和利用の名のもとに、誰にも止められることなく原子力の技術を手にした
日本は核弾頭を作るための核物質を抽出することが出来る

バール氏:
私がその夜、「大変なことだ」と激しく動揺したことを告白します
日本は必要だと決断すれば、比較的短期間で核兵器を作れるという考えでした
日本が核を持つ事のないよう願いました



日本には実際に核兵器をつくる能力があったのか
取材を始めて半年、
私達は政府が核兵器を作る具体的な方法を調査していた事実をつかみました

当時調査に当たった責任者を探し出しました
志垣民郎さん87歳(元内閣調査室主幹)です
志垣さんは当時の調査の全容を初めて私達に明かしました

志垣さんが所属していたのは政府中枢の情報機関、内閣調査室です
そこで核兵器に関する調査研究の責任者をしていました
当時の志垣さんの日記です


志垣さんの日記
鈴木、椎原さんと国際文化会館に行き、カナマロ会垣花氏より濃縮ウランについて・・


核兵器の原料となるウランを確保する方法
そして、核弾頭を製造する技術
調査は中国の核実験をきっかけに本格的に始まったと言います

志垣さん:
中国が核を持ったということは、当然日本に脅威を与えますね
だから日本はこれに対応しなきゃいけないんじゃないかと
核というのはどういうものなのか、と
できるのか、可能か、
そういうことを勉強しなきゃいけないと議論しましたね


志垣さんが集めたのは第一線の専門家たちです
核物理学者や安全保障の専門家、防衛庁からも担当者が参加していました

内閣調査室がまとめた調査報告書ですー
核爆弾の製造方法、ミサイルに使うロケットの技術
目標を正確に攻撃するための誘導装置の開発
核兵器の原料となるプルトニウムを生産する方法まで記されていました
原爆を少数製造する事は可能であり、また、比較的容易である

報告書は竿つ秘書官の首席秘書官に提出したと言います

志垣さん:
「いつでも持てるんだぞ」と
「やろうと思えばできるんだぞ」と示しておくこと、諸外国に対してね
それは必要じゃないですか?
そういう力を持っているという事はね


日本原子力発電 東海発電所 茨城東海村

核兵器の原料を作れる場所として報告書に記されていたのは
当時運転を開始したばかりの、この原子力発電所でした
発電所の技術者は政府が進めていた調査の事を知っていたのか
当時の技術責任者で後に所長も務めた武田充司さん(元東海発電所所長 78)です

政府の内閣調査室という組織、ま、調査機関なんですけれども

武田さんは内閣調査室の報告書の存在を全く知りませんでした

「核燃料を従来よりも2~3倍大量に使用し、また、その燃料の取り換えの作業を行うという事になる」

武田さんが注目したのは
核兵器の原料となる純度の高いプルトニウムを作る方法が記されていた事でした

武田さん:
やっぱり驚きですよね
そういうことに触れるのはタブーだみたいなね
核兵器の問題とか そういう事を語ったり 調べたり、やはり話したりするのはタブーだ
不必要な疑いを持たれないようにという気持ちは 非常に我々強かったですね
原子力発電に携わっている技術者というのは。


報告書を基に専門家が試算したところ
東海発電所では純度の高いプルトニウムが年間100キロあまり作れると言います
長崎に使われた原爆を10発以上製造できる量でした

政府の資料は現場の技術者からみてもきわめて具体的なものでした

武田さん:
気が付いていればね、問題になると思うんですけどね
えっ!と思うんだろうと思うんですけど
当時はこんな事、夢にも考えなかったというか
こんなことをやっていると、全く想像できなかったんで


核保有を検討した報告書
最終的に有効な核戦力を持つには、多くの困難があると結論付けていました

日本が核兵器を持てばアメリカや周辺国との関係が悪化する恐れがあったからです
さらに国内の強い反核感情も大きな理由でした


志垣民郎(元内閣調査室主幹):
(国民が)大反対する
安保騒動以上の騒ぎになる
内閣の一つや二つすっ飛ぶ恐れがある
というところまできて、
できない事はないけれども、やるには大変だ。ということですね


被爆国日本でひそかに進められていた核兵器保有の検討
その事実を国民に明かす気はなかったのか問いました

ーこの報告書自体を公表するという事はお考えにはならなかったんですか?

志垣さん:
あぁ・・
公表するという事はあまり考えなかったですね
政府は、特に外交、軍事等については
裏があるという事を分かってもらいたいね

裏がなければ外交なんていうのは成り立たないですね
それは、その事が分からないという、国民の方が悪いんであって
もっと、国民はね
国家の外交やなんかの事をね
もっと知るべきですよ


国の在り方にかかわる重大な事実
40年以上埋もれたままになっていました

取材を進めるうちに、佐藤総理に核政策を助言していたグループの全体像が明らかになってきました
私達は佐藤総理の側近中の側近にたどり着きました

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楠田實(くすだみのる) 首席秘書官です
楠田秘書官が残した極秘資料を入手しました
その中に、佐藤政策の核政策の根幹にかかわる資料がありました

1967年、佐藤総理が訪米した時の議事録です

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佐藤首相:
我が国に対するあらゆる攻撃、核攻撃に対しても
日本を守るという約束を期待したい

ジョンソン大統領:
私が大統領である限り 我々の間の約束は守る

約束を取り付けた佐藤総理
この訪米で国防長官に日本の意思を伝えていました

マリナマラ国防長官

日本の安全確保のため核を持たない事は、はっきり決心しているのだから
米国の核の傘のもとで安全を確保する


核を持たない代わりに核の傘の中に入った日本
その2カ月後、非核三原則を宣言しました(1968年1月)


我々は核兵器の絶滅を念願し、
みずからもあえてこれを保有せず
その持ち込みも許さない決意であります

この時実際に読まれた原稿です

N9.jpg

核兵器の絶滅を念願とした非核三原則
その後、国会で決議され、日本の国是とされました


ノーベル平和賞授賞式1974年12月

「1974年のノーベル平和賞は佐藤栄作さんです」
退任後の1974年。佐藤元総理はノーベル平和賞を受賞しました
授賞理由の一つは、
非核三原則を宣言し、平和に貢献したというものでした

佐藤元総理:
私は長い政治活動を通じて終始一貫して平和を追求してまいりました


世界中に発信されたスピーチ
その裏に知られざる事実があった事が分かりました

極秘資料に残されていた受賞スピーチの原稿
そして、その作成過程の議論を録音したテープです

N9,1

スピーチの内容を考えていたのは
佐藤元総理に政策の助言をしていた側近たち
非核三原則を世界にどうアピールするか検討していました

<テープ>

高坂 正堯(こうさか まさたか)(京大教授):
国際的には非核三原則って評価されますよ。ぼくは重要だと思いますね
現実問題、アメリカとソ連が核兵器を作って、ものすごく増えている訳ですよ

京極純一(東大教授):
だから、アメリカとソ連に教育するという姿勢で腹を決める

梅棹忠夫(うめさおただお)(京大教授):
それは言ってもいいと思いますね

京極純一(東大教授):
世界中のすべての国が(非核三原則を)フォローし、マネすることを希望する


議論を積み重ねて検討されたスピーチの原稿です

世界各国が日本にならって非核三原則を採用するよう求める提案が盛り込まれていました
しかし、この提案はスピーチの直前に消され
読まれる事はありませんでした

なぜ、消されたのか

佐藤元総理の日記に手掛かりが残されていました
原稿が修正される6日前
佐藤総理は来日したキッシンジャー元国務長官にあっていました
「オスロ(ノーベル平和賞)の演説でアメリカの意に反しては演説する意がないので一応打診」(佐藤栄作日記)


アメリカ側の記録では
国務長官は佐藤元総理のアメリカの核政策を縛るスピーチをすることに不快感を示していました

各国に非核三原則の採用を呼びかけようとした一文は
アメリカの核の傘の中に入った日本からは、世界に発信される事はありませんでした


核の傘に入った日本は、その後国際社会でどのような行動をとってきたのか
192カ国が加盟する国連
核軍縮は重要な目的として掲げられています

国連本部 アメリカニューヨーク

核廃絶や核軍縮を求める国連決議
私達は日本がどう投票してきたのか独自に調べました

記録が残っていたのは562件
日本の賛成率は東西冷戦が激しさを増した1970年代後半から急激落ち込み
40パーセント以下の年もみられます
冷戦終結ののち1990年以降の賛成率は平均でおよそ55%でした

N9,2

被爆国日本が何故全ての決議に賛成できないのか
日本代表の軍縮大使だった堂之脇光朗さんです

堂之脇さんは1990年、国連の核実験禁止に対する特別委員会の議長に就任
その直後アメリカ政府からある施設に呼ばれたと言います

アメリカ ネバダにある核実験場
冷戦以前から900回以上の核実験が行われた場所です
ここでアメリカ側から
日本を守る核の傘を維持するためにも実験を繰り返すことが必要だと強く主張されたと言います


堂之脇さん:
(アメリカは)色々テストする事によって、不要なものを減らす事が出来るんで
むしろ実験する方が核兵器を減らすのに役立つんです。と言ってましたからね
そういう理屈もあるかな、と思ったりして
この人達は絶対「もう実験いりません」ということはありえないなと
何べんでもやりたいんだなと思いましたね
永遠に続けたいんだという感じがしましたですね

その後も日本は核軍縮を決める決議に危険や反対を繰り返します
堂之脇さんの在任の期間中50件の決議のうち29件に危険や反対をしていました

堂之脇さん:
アメリカが嫌だという事が分かっているような決議ですからね
核の傘で守ってもらっているというのが、ま、日米安保条約ですから
それは、相手がいるんだから(反対や棄権は)しょうがないんだと


堂之脇さんと同じ事にメキシコの軍縮大使をしていたミゲルマリンボッシュさんです
数多くの核軍縮決議を提案し各国に協力を求めてきました

ミゲル・マリンボッシュ(メキシコ元軍縮大使):
日本にはがっかりさせられました
核実験や核兵器に反対する国を全世界から探すとすれば
日本しかありません

日本は本来核兵器廃絶の先頭に立つべき国なのです

国連総会 先月

先月開かれた国連総会

管首相:
唯一の被爆国である日本は
「核兵器のない世界」への実現に向けて
具体的に行動する道義的責任を有しております


日本は核廃絶に向けて本当に役割を果たせるのか
今、改めて問われています


ドイツ 今年5月

かつて、日本と核をめぐる協議をしていたドイツのエゴン・バール氏
今、各国と連携し、ヨーロッパに配備されているアメリカの核兵器を撤去するよう働きかけています


エゴン・バール(元首相府副長官 ドイツ):
私達は核兵器のない世界に進むべきだと心から思います
長い道のりですがまず、最初の一歩から始めなければなりません
私達はそうするつもりです



取材を始めるきっかけとなった、村田良平元外務事務次官
亡くなる直前まで核をめぐる日本の現実を厳しく見つめていました


村田良平(元外務事務次官):

具体的にね、どうすれば
核があっても意味がない世界というものを作れるか
と、
そういう核論の勉強は進まないままに来てしまいましたよ。はっきり言って。
要するにタブーだという現状が今日まで続いてるんだと思います


核廃絶を掲げながら核の力を求め続けていた日本
この矛盾と私達はどう向き合って来たのでしょうか


被ばく者の谷口すみてるさんです
核のない世界につながると信じて
自らの被爆体験を語り続けています

谷口稜曄さん:
私は忘却を恐れます
忘却が新しい原爆肯定へと流れていくことを恐れます
どうか目をそらさないでもう一度見て欲しい


浮かび上がってきた被爆国日本の実像
私達に重い問いを突き付けています



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