映画『あしたが消える どうして原発?』特別映像田中三彦氏(内容書き出し)
映画『あしたが消える どうして原発?』特別映像
1988年6月
福島第一原発4号炉の欠陥が告発された
その欠陥は15年前の製造当時からありながら隠されていたのである。
当時直接設計に携わった元原子炉設計技師田中三彦さんは
今も運転し続ける危険性について、ついに告発に踏み切ったのである
田中三彦さん(元原子炉設計技師):
後遺症というのはどういう事なのかと言うと
原子炉圧力容器というのはこう、高さが20メートル位でですね
あの場合は5メートル半ぐらいの鉄で出来ている円筒形のものです
それが心臓部で、その核分裂が起こる
その容器を製作中にですね
それは丸くなければいけないんですね、断面が
その所が潰れてしまったという
で、潰れたというのは大げさな表現かもしれないけれども、
楕円形になっていった事は事実ですね
で、その楕円形のままだと、品物としては合格しないので
それで、中にジャッキ。
自動車を持ち上げたりするジャッキがあります。
あれと同じジャッキで、中に入れて、
それが一本200トン位まで、
200トンっていうと大きいですね。ビル一つ持ちあがっちゃうとか、そういうのを
それを数本入れましてね、
一応、丸くなおす。
その丸くなおす時にいろんな仕掛けがありまして
高い温度にしてですね、それで、直していくんですけれども、
特に、そういうジャッキが当たった部分。数カ所の鉄というのはある種の後遺症を負ったに違いない
で、その後遺症というのは、老朽化していった時になんかの形で現れてくる可能性があって
それは、必ず壊れるという事ではないかもしれないけれども、
その評価が出来ないまま当時は直したし、
評価されないまま今動いているから
そういう事は、危ないのでね。
特に、たとえば、そういう一つの老朽化現象というので機械というのは突然壊れる訳です。
ナレーション:
今年、89年1月、福島第二原発3号炉で重大な事故が起こった
再循環ポンプの重さ100キロもある部品が脱落し、ポンプ内のあちこちを傷つけ炉心に流れ込んだ。
電力会社は半年前から、そういう事故が起こりうることを知りながら運転を続けていた
田中三彦:
あの事故の一番の要因は、溶接部の溶接が悪かったとか、そういう事ではないんだと思うんですね
原因というのは、やっぱり、電力会社とか国がいつも言っている「多重防護」だとかですね、
それから、「二重三重の安全機構が働くから、原発というのは多少異常なことが起こっても大丈夫なんだ」
という事を何時も強調している
ところが、二重三重の安全機構というのがいくつか働いるんです。確かにね
アラームが鳴っているとか
中央操作室で運転をしている部屋ですね。そういう所で警報が出ていたりするんです
そういうアラームが出ているのにもかかわらずね、
最終的には人間の判断のシステムの中にそれが入らない
で、結局定期検査である1月7日に向けてですね、運転を継続していって
それで、止めてみたらばああいうことになっていたと。
機械というのは壊れる訳です。
だから、永久に壊れないように物が作られているんじゃ無くて
壊れるという事は必ずあるわけで、それは、原発というものには逃れられない事
ああいう事故を起こしてしまった事は、溶接部では無くて
アラームを無視する構造とかね、そういう電力会社の体質とか
そういう事が反映されてあそこにいったんだという事を
よく考えないといけないと思うんだけど、
どんなメーカーでもね
原発を造るというのは2年とか3年
圧力容器だけでも2年とか3年かかるんです
全プラントでは6~7年かかっているんです
この中でね、
電力会社に知られたくない事
国に知られたくない事がね、発生しないと考える方がおかしいんでね
たとえば、僕が会社に入った頃の新米の時に、比較的忘れられない話として言えばね
えー、ま、名前は出さない方がいいと思うけれど
「あそこの原発が壊れたらば、俺は、すぐ『あそこの部分だ』と、思い当るところがある」と言った作業員(技術屋)がね、
当時いましたけれどね
そういうものだと思うんですね
だから、製造部も設計部も胸に手を当ててよく考えればですね
意図的にやったかどうかはそれは別ですけれども
「病むにやまれず内緒にしておる」ですね、トラブルがあったという事は
それは無い方がおかしいんであってね
設計だって製造だってみんなそれはある
大きさの問題で言うと
福島4号は非常に大きい問題であったとは思いますけどね
「原発」考える映画 今池で来月
asahi.com 2011年09月27日

「あしたが消える どうして原発?」から=名古屋シネマテーク提供
●22年前の記録上映
原子力発電の安全性を問いかけた22年前の自主制作ドキュメンタリー映画
「あしたが消える どうして原発?」(1989年)を、
名古屋市千種区今池1丁目の名古屋シネマテークが10月1日から上映する。
映画は1988年5月に朝日新聞が掲載した仙台市の主婦の投稿をきっかけに生まれた。
見出しは「『安全な』原発と父の死」。
20年にわたって原発の仕事をしていた父親を骨のがんで失い、死因と原発の関係を疑いながら、
「原発は二重三重の安全装置がある。絶対安全だ」と話していた父親を振り返る内容だった。
当時、チェルノブイリ原発事故から2年。
「安全神話」を問い直す必要を感じていた30代の映画プロデューサーらが、
投稿した主婦の話を軸に、自己資金で映画を撮ることを決めた。
宮城、福島、福井、愛媛の原発を主婦と訪ね歩き、55分の作品にまとめた。
福島第一原発の設計にかかわった技術者や、炉心近くで働く労働者のインタビューが盛り込んである。
「安全神話」をめぐる「当事者ならではの不安」を伝える仕上がりだ。
映画は当時、反原発を訴える市民団体などが集会で上映した。
しかし、配給ルートを持たない自主制作映画のため、幅広く公開されることはなかった。
制作を率先した平形則安さん(55)は
「原発の是非をみんなで考えるのが狙いだった。
結局は自分がどんなライフスタイルを選ぶかの問題なのだと思う。
足元を見つめ直す参考にしてもらえれば」と話す。
7日まで各日午後0時15分から上映。一般1200円。
問い合わせは名古屋シネマテーク(052・733・3959)。(佐藤雄二)