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<田中委員長住民聴取拒否>移住希望の声が多く、帰還を前提とした評価会合の議事運営が滞ることを懸念「20ミリシーベルト以下は安全です」

福島原発:規制委員長が住民聴取拒む 被ばく防護策評価

毎日新聞 2013年11月10日 05時45分(最終更新 11月10日 09時25分)
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東京電力福島第1原発の事故で避難している住民の帰還に向けて、
各省庁の被ばく防護などの政策を評価する原子力規制委員会の有識者会合で
実施が決まった住民への聞き取り調査が、事前に撤回されていたことが分かった。
避難住民に代え、親しい地元首長らに聞き取りをするよう田中俊一委員長が会合後に事務局に指示していた。
透明性、中立性を掲げてきた規制委の運営に反するとして、有識者委員から反発の声が上がっている。

会合は8月、除染や個人線量計の配布など、
住民の被ばく線量を低減させる政府の放射線防護策を評価する目的で規制委が設置。
規制委の中村佳代子委員を担当とし、
被ばく医療の専門家ら5人の外部有識者を招いて9月から議論を始めた。

会合は公開でこれまでに3回開催した。
有識者委員らは、復興庁の調査で
「帰還しない」「戻るか判断できない」と答えた避難住民が自治体によって最大9割に上ることなどを重大視。
住民が帰還を考慮するにあたり、現在の各省庁の施策では不十分とみて、
住民の声を聞く機会を設けることを提案した。
中村委員が10月16日の第3回会合で了承し、準備のため調整を始めた。

ところが、政府関係者によると、住民への聞き取りについて知った田中委員長が10月下旬
「帰還などに責任を持って判断できる首長に話を聞くべきだ」として拒否
自らが以前、市政アドバイザーを務めた福島県伊達市の仁志田昇司市長
帰還に積極的な飯舘村の菅野典雄村長の2氏の名を挙げ、事務局に聞き取りを指示した。
同村長には今月1日、聞き取りが実施された。

政府関係者によると、田中委員長が住民への聴取を拒否したのは、
移住希望の声が多く出て、帰還を前提とした評価会合の議事運営が滞ることを懸念したためだという。
会合は11月中に評価結果を提言にまとめる予定だが、避難住民の意見は反映されない見通しになった。
田中委員長はこの件について、毎日新聞の取材に応じなかった。

原発事故の被害実態について調査している大阪市立大の除本理史(よけもとまさふみ)教授(環境政策論)は
「規制委はこれまで公開の場で議論して透明性を保ってきた。
委員長が会合の場でない“水面下”で口をはさみ、審議の過程で必要とされた調査をしないのは、
委員長主導による帰還しか認めない結論ありきの会合で問題だ」と批判している。
【奥山智己】




「年20ミリシーベルト以下影響なし」提言方針で各首長憤り
福島民友ニュース 2013年11月9日 
 
年間の被ばく線量が20ミリシーベルト以下であれば健康に大きな影響はないとする見解を
原子力規制委員会が放射線防護対策の提言に盛り込む方針を固めたことを受け、
双葉郡8町村長でつくる双葉地方町村会は8日に広野町で開いた会合の席上、
事前に説明がないことなどに不快感を示し、各首長がそれぞれ国に対して説明を求めることを確認した。
 
同町村会長の山田基星広野町長は
「これまで1ミリシーベルトとして除染などを進めてきたのに、住民にどう説明するのか。
安全の基準が不透明になってしまうし、除染や支援策などを打ち切りにされれば復興の足かせになる」と憤った。
来春に帰還を判断する松本幸英楢葉町長は
「一方的なやり方に疑問を抱く。『1ミリシーベルト以下が安全』ということは町民に刻まれている。
基準を上げる理由をしっかりと説明してほしい」と語った。




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「行政は私たちを守らない」と主人と放射能の測定結果を見てそう感じました。(文字起こし)


いわき市から北九州市へ自主避難された方の話

2013年9月 北九州市にて撮影

3.11福島原発事故で、故郷いわき市から、昨年1月に北九州市に自主避難してきました。
今日は、主に北九州市に来るまでの9ヶ月、
私が見てきたこと、体験したこと、感じたこと、そして今を話します。

原発から42kmに住んでいました。
いわき市は映画フラガールの舞台で、気候は、夏は涼しく冬は暖かく、東北なのに雪が積もらないところです。
私はそこで、ピアノ教室の主宰として、夫はいわき市職員、
子供2人と生徒たちに囲まれて、毎日楽しい時間を過ごしていました。

さて、3.11後私たちの生活は一変しました。
いわき市の北の方は30km圏内だったのに、市長が「風評被害」という言葉をつくり、圏内から外しました。
事故前は1時間あたり、0.05マイクロシーベルトだった放射線量は23マイクロシーベルト、460倍に。
当時、長崎大学の山下俊一教授が「100ミリシーベルトまで安全だ」と大キャンペーンを、
テレビ、新聞、ラジオ、学校、講演会で行き渡ったころには、学校で0.5マイクロシーベルト、
通常値の10倍でも、外の活動を安全だとして行いました。


100ミリシーベルトが安全ですので、当然、給食は最初地産地消ということになり、
私たちは署名活動を根気よく続けて、地産池消をすぐにやめさせました。
なお、教育委員会が“給食を食べない自由”を認めたのは、2学期になってからです。
ですから、安全説を信じた人の子供たちは、地産地消をして給食を食べさせていました。
先生や学校に言っても無駄でした。

外の放射線量は同じではありません、
10cm違っても、2.3マイクロ、5マイクロ、普段の46倍、100倍、と様々です。
私が、疑問に思ったのは、市の職員、学校の教員が子供を守らなかったことです。

さて、原発が爆発した時の事を話しましょう。
3月11日の大地震での被害は、私の家は殆どありませんでした。
ただ、いわき市の水道が20日間止まりました。
水道が止まったので、次の日給水車に2時間ほど子供と一緒に並びました。

この時、3月12日1回目の爆発がありました。
あとで測定データを見ると、23マイクロ普段の460倍でした。

この時、「危ないから屋内退避しなさい」という広報車もなく、
私たちは爆発したことも知らず2時間外にいました。

「日本は安全」と言っていましたが、
今現在私達親子3人共に、「甲状腺に異常有りの血液検査の結果」と、
息子には、5mmののう胞があります。


いま報道をみると、甲状腺がんは生活習慣病になりました。
たとえ癌になっても自己管理のせいといわれ、放射能の影響と国は言わないと思います。

私は、子供たちのホールボディカウンターを事故後すぐに受けようとしました。
しかし、どこに問い合わせても受けられませんでした。
東京まで行って受けてきた人がいましたが、「データーを渡してもらえない」と聞きました。
私も、何箇所か電話で確認しましたが、データーを渡してくれるところはありませんでした。

では、甲状腺の血液検査と思い電話をしましたが、
いわき市内一斉に「甲状腺の検査はしない」と、耳を疑う結果になりました。
「どこで被曝した証拠を残せるか?」と福島県に聞きましたが、「ない」と回答されました。



私の主人はいわき市の職員です。
「何かあったら1番に連絡があるはずだ」と主人は言ってましたが、
結果は爆発も知らされず、母子ともに外で被曝しました。
また、私の主人、市職員は放射能の知識はゼロですが、
国から与えられた文書を丸暗記するほど電話対応に追われていました。

事故から5か月後、いわき市発表の放射線量は0.12でした。
私が市役所からガイガーカウンターを借りて測ると、0.24~22.14。
また有志で土壌検査や剪定した木の測定をしました。
kgあたり2万ベクレルありました。

「行政は私たちを守らない」と主人と放射能の測定結果を見てそう感じました。

例えば、「水道水ND」といわき市のホームページで発表されています。
それで、「ストロンチウムやプルトニウムなどの核種の測定値を見たい」と公文書請求すると、
「市民が混乱する」という理由で詳細なデーターを出さず、ヨードとセシウムNDの文書が出されました。
私たちの無知につけ込んで本当に腹が立ちます。

避難の理由

私の避難の選択は、放射能を怖がるというよりは、
行政・学校の対応と自分たちの目でみた測定値と家族に起こった体の異変で判断しました。

毎日続く下痢、鼻血、口内炎、鼻の中のでき物。
これらは、原発事故後に家族、友人に実際に起きた身体の変化です。
放射能の影響は癌だけではないと知ったのも後になってです。

国の発表と事実はちがう。
国は明らかに法律違反を市民に強要しているのに、職員は国の言いなりにしか動きません。
文書公開制度すら、嘘にならない嘘で市民を騙し、出させない、書かせない、時間をかせぎます。

学校は生徒・児童を守らない。
放射能に気をつける父兄を許さない。
放射能をなるべく避けようとお弁当にすると、他のクラスメートからいじめられ、
暴力をうけても、いじめた児童父兄を指導せず、放射能を怖がらないように私が指導をうけました。

私が、避難を決意したのは、娘の登校拒否でした。
放射能を予防することを周りの空気が許しませんでした。

私はそれでも、いわきで暮らせる方法をたくさん探し、
行政に文書で色々請求しましたが、のらりくらりとかわされました。

年老いた両親と共に避難を説得しましたが、
「今更ふるさとから離れたくない」と言われ、
夫は安全論。
夫の母には「立場をわきまえなさい」と避難することを許してもらえませんでした。

結局、行政と格闘しながら、悩み、
私の両親から「子供を一番に考えなさい」と言われ、
夫を捨て、年老いた両親を福島に残し、北九州に避難しました。



今、話したように、報道と事実は違います。

先日、産廃の中間報告書を文書公開したら、
福岡県のある企業では、福島、茨城、山形、神奈川からも汚泥・煤塵を受け入れ、
北九州瓦礫受け入れ以前から今も処理しています。

瓦礫受け入れ騒動のかげで、粛々と放射性物質の焼却をバグフィルターのない状態で処分しています。

「PM2.5は中国からやってくる」と、大キャンペーンがはられましたが、
本当にこのPMは中国産でしょうか?

九州の産廃、セメント工場では、福島の石炭の焼却灰を受け入れリサイクルしています。
北九州の公文書を見ると、PM2.5が昨年4月に230超え、他の月でも100超えがありました。
このPMはここ九州産のPMで間違いありません。

これからは、福島県民に起こった事が日本国民に起きます。

それは、呼吸と食品からです。

先日も、北九の「ドンナマンマ」という情報誌で、
大学の教授や講師・行政職員が、福島と同じ手法で「放射能安全」と言ってました。
放射能安全説が完全に全国に行き渡ってしまいました。

放射能が「薄めて安全」という一方で実際に福島では人が死んでいます。
私の友人の甥が、先日、白血病になりました。
私の従兄弟が昨年の夏に亡くなった次の日に、友人の旦那様が亡くなりました。


私はなんでもかんでも放射能のせいとは言いません。
チェルノブイリの教訓があるだけです。

国は認めません。
でも私たちは安全論・危険論両方聞き、見たこと聞いたことで「選ぶ権利」があります。

私が、今このような状況にあるのは、原発の危険性を知らなかったからです。
放射能が消えないことを知らないで、家の前をひとりで除染し、放射能を吸い込みました。

今、福島には人が住んでいます。
「どうせ、わたしらモルモットだし」
「保障がないから逃げても貧乏」
「生活できない」 
「今の生活レベルを落としたくない」
「国が安全といってるから安全だっぺよ」 
「死ぬ人多いね」 
「でも何もできない」
「変わらない、やっても無駄」 
「楽しいことだけ考える」 と言いながら除染し、
生活排水は汚泥となって、高濃度の放射性廃棄物を毎日排出しています。
それが自分に返ってくる事実と向き合うことはありません。

除染は無駄です。
自分でやったので知っています。
「0.5マイクロシーベルトが0.2に下がり、2週間後には0.5マイクロシーベルトに戻ります」

大量の除染の汚染土壌はどこへいくのでしょうか?
国が責任をもって処理をするということは、産廃に出すということです。
産廃に出したものは、セメントやなべになって全部自分に返ってきます。

保養を否定はしませんが、根本的な救いにはなりません。
私は、測定、事実の公表、十分な補償を約束して、
福島県民に選んでもらうことが唯一の復興だと思っています。


放射能は拡散せず、福島に閉じ込める。

私の先祖の墓は、福島原発から2kmのところにあります。
どうぞ置いて下さい。
そう思っている福島県民は沢山いますが、その声は消されています。

実は今年の3月、福島県の鮫川村で8000ベクレルの稲わら焼却の実験炉の建設を止めに行きました。
あと一歩、書類の提出と記者会見を予定していましたが、
なんと反対をしていた本人に邪魔をされ、止められませんでした。
反対派が賛成派であるのではないかということをわたしは体験しました。


北九州のがれき反対運動の中でも、
公害防止締結の署名だけ、焼却炉周辺住民からいただいた署名40名分を渡していただけませんでした。
本来あってはならない「いただいた署名をシュレッダーにかける」なんていう事が起きてしまいました。
しかも、がれき焼却に反対していた自分たちの仲間に・・・。

北九で「漁協の反対が最後の砦」という話を聞きましたが、
実際に公文書請求したら、漁協からの「反対声明文」の提出は正式にありませんでした。
明確に「反対」と書いていないのです。

がれき焼却されてからも、反対派がテント村に集まっている頃、
私は「反対声明文」を出してくれるよう漁協にお願いして回りましたが、
会って下さったのは2か所で、どちらも反対声明を出してくださいませんでした。

あの時、どこか1つの漁協で反対声明文、
焼却炉周辺住民の「公害防止協定書の締結を求める声明文」を出せれば、
それらをさせないため、数々の妨害を受け、私だけが陥れられました。 

反対運動の実態を見て、「福島が救われることは無理」と絶望しました。

さて、これからバグフィルターはほぼ100%セシウムを取るという嘘を通したように、
福島で「安全」と言って全国で8000ベクレルの焼却炉建設
また、福島の森林を使ったバイオマス発電所が全国に建つのではないでしょうか。

国はお金持ちなので、テレビで考えることを止めさせ、殆ど嘘の報道で国民に一定の空気を作り、
そこから漏れた人たちを、様々な運動で取り込み、
「私たちはまたもうっかり、同じ方向を向くようにされています。」

私の考える本当の繋がりは、トップの言うことに従うのではなく、
わからないことを教え合い、一人一人の知識レベルをあげて事実の共有をして、
それを身近なところへ伝える。

もう少し勇気があれば、企業・行政が一番に抱き込む漁協、
清掃工場や産廃・セメント工場の周辺住民へ事実を伝える。

北九州ががれき受け入れの時に、清掃工場周辺自治会長へ「お一人様説明会」をしたように、
私たちも周辺住民に「お一人様の勉強会」をしていくことが、子供たちを守っていくことに繋がると思います。

私は報道に騙され、子供たちに被曝をさせてしまいました。
無知でうわべだけしか知らなかったので、避難しても子どもたちを守ることができませんでした。

私にできることは、経験した事実を話すことだけです。
知って選んでください。できれば、知って伝えてください。

事実を見誤ってはいけません。
「勇気」を持って「自分で考えて行動」すれば、事実が見えるはずです。

私達の最後の砦は本来は地方自治体です。
地道に住民教育からはじまり、知識を持った住民が教師、職員を教育していくしかありません。
やっぱり面倒でも、自分が動かないと自分の子供を守ることはできないことがわかりました。

忙しくても美味しいごはんを作りながら、出来ることをできる範囲で続けていきます。