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11.30
Mon

報道関係各位一斉メール 2015年
福島第一原子力発電所構内における作業員の負傷について

2015年11月30日 東京電力株式会社

11月30日、午前8時59分頃、福島第一原子力発電所構内、海側遮水壁工事に従事していた協力企業作業員が、車両から三脚を降ろす際に、三脚に左手中指を挟み負傷しました。

入退域管理棟救急医療室にて医師の診察を受けたところ、緊急搬送の必要があると判断されたことから、同日午前9時42分に救急車を要請し、いわき市内の病院へ搬送しました。

当該作業員に意識はあり、身体に放射性物質の付着はありませんでした。

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11.30
Mon

福島第1原発2号機 来秋ごろから建屋上部の解体作業開始へ

(福島15/11/30)FNNLocal

2号機1
東京電力は、福島第1原発2号機に残る核燃料の取り出しに向けて、2016年の秋ごろ­から、建屋上部の解体作業を始める計画。

2号機は、福島第1原発事故で燃料が溶け落ちたが、建屋は、そのままの状態で残ってい­る。

2号機2

建屋上部の解体は、使用済み燃料プールに残る615体の核燃料や、燃料デブリの取り出­しに向けての準備で、2016年秋ごろから、本格的な解体作業を始める計画。

2号機3

建屋の内部は、放射線量が高いため、解体作業の中で、放射性物質の拡散をどう防ぐかが­課題となる。

2号機4

東京電力では、飛散防止剤の散布や散水を徹底するなどして、およそ2年かけて、建屋上­部を解体することにしている。






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11.30
Mon


NHKは福島でしか報じない

福島県のニュース 福島放送局
甲状腺検査2巡目の結果報告

2015年11月30日 NHK福島

甲状腺1

原発事故をうけて県が進めている甲状腺検査について専門医などで作る会議は2巡目の検査で新たに39人にがんやがんの疑いが見つかったことを明らかにしました。
これについて専門医らは「放射線の影響とは考えにくい」とする見解を改めて示しました。
原発事故で拡散された放射性物質は甲状腺に蓄積するとがんを引き起こす可能性があり県は事故当時18歳以下だったおよそ38万人を対象に検査を進めています。

甲状腺2

30日は検査の内容を検証する委員会が福島市で開かれこの中で事故後行われた1巡目の検査であわせて115人にがんやがんの疑いが見つかったほか去年から始まった2巡目の検査で新たに39人にがんやがんの疑いがみつかったことが報告されました。

甲状腺3

また、2巡目の検査でがんやがんの疑いがみつかった39人のうち19人については1巡目の検査でしこりなどは見つからなかったということで福島県立医科大学の医師は「その後、新たに腫瘍ができたのではないか」という見解を示しました。

甲状腺4

こうした結果について委員らは被ばくした線量がチェルノブイリの事故と比べてはるかに少ないことなどをあげ「放射線の影響とは考えにくい」とする見解を改めて示しました。

甲状腺5

その上で、甲状腺がんはただちに命に影響を及ぼす病気ではないことを県民に説明するとともにこれまでの調査でわかったデータと照らし合わせながら放射線の影響でがんが増えていないか長期的に検証すべきだとする意見が出されました。
11月30日 18時49分




「新たに9人」小さく見せるためにこういう言い方もあるのかと思う
やはり福島だけの放送

2巡目の甲状腺検査 新たに9人が「甲状腺がん」と診断

(福島15/11/30)FNNLocal

FNN1.png

新たに9人が、「甲状腺がん」と診断された。
甲状腺検査は、福島第1原発事故当時に18歳以下だった子どもなど、およそ38万人を­対象にしていて、2014年4月からは、2巡目の検査が行われている。

FNN2.png

専門家による30日の検討委員会では、9月末までに検査が確定した、およそ18万2,­500人の結果が公表され、新たに9人が「甲状腺がん」、5人が「がんの疑いがある」­と報告された。

FNN3.png

1巡目とあわせると、「甲状腺がん」と確定したのは115人、「がんの疑いがある」と­診断されたのは39人となった。
検討委員会の星 北斗座長は、「放射線の影響は考えにくい」としている。

FNN4.png

星座長は「チェルノブイリに比べて極めて低いという話と、ま、当時の、非常に、いー、感受性の強い子供達、小さな子供達からの発生が今のところ見られないという二点において、ええそうは考えにくいというふうに判断しています



ということで、今日の検討委員会の資料を見てみよう。

第21回福島県「県民健康調査」検討委員会(平成27年11月30日)
県民健康調査「甲状腺検査(本格検査)」実施状況
第21回福島県1
第21回福島県2

とてもわかりにくい。
資料を見ても甲状腺癌または癌の疑いと診断された人数がトータルで何人になったのか?
非常にわかりにくい。

わかりにくいので過去の資料を見直してみる。

第20回福島県「県民健康調査」検討委員会(平成27年8月31日)の資料より

県民健康調査「甲状腺検査(先行検査)」結果概要【確定版】
先行検査1
先行検査2

先行調査の合計では
・悪性ないし悪性疑い 113 人(手術実施 99 人:良性結節 1 人、乳頭癌 95 人、低分化癌 3 人)

県民健康調査「甲状腺検査(本格検査)」実施状況(8月31日)
8311
8312

8月31日時点での県民健康調査「甲状腺検査(本格検査)」実施状況では、
・悪性ないし悪性疑い 25 人(手術実施 6 人:乳頭癌 6 人)


この時点での合計は
悪性ないし悪性疑い 113 人+25人=138人
手術実施 99 人+6人=105人
良性結節 1 人
乳頭癌 95 人+6人=101人
低分化癌 3 人

で、今回の結果は「平成 26 年度実施対象市町村、平成 27 年度実施対象市町村計」ということだから、
今回の数字を先行検査の合計に足せばいいということになるんですよね?

平成 26 年度実施対象市町村、平成 27 年度実施対象市町村計
・悪性ないし悪性疑い 39 人(手術実施 15 人:乳頭癌 15 人)


悪性ないし悪性疑い 113 人+39人=152人
手術実施 99 人+15人=114人
良性結節 1 人
乳頭癌 95 人+15人=110人
低分化癌 3 人

結果現在わかっている甲状腺癌悪性または悪性疑いの人数は
悪性ないし悪性疑い152人
そのうち
手術実施の子供が 124人
124人のうち乳頭癌 が120人

と、いうことになる。

しかも、39 人の先行検査の結果は、
A 判定が 37 人(A1 が 19 人、A2 が 18 人)
B 判定が 2人

結節ものう胞も何もなかったはずの子供A1がおよそ半分を占めている。


こんな大変なことになっているのに、「放射線の影響は考えにくい」
そして、「被曝線量はチェルノブイリよりはるかに低い」というが、
はるかに低いって、何を根拠に、どうしてそんなことが言えるのか?
そもそも、その根本の考え方に疑問がある。


4住民の初期被ばく線量評価「まだオープンになっていないデータがある」11/10おしどりマコさん講演・南相馬(文字起こし)
「当時の、事故直後の測定はバックグラウンドが高すぎたので、正確な数字ではない」



「正確な数字が出ないほどバックグラウンドが高かった」…


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11.30
Mon

「核燃サイクル推進変わらず」経産相が工場視察
2015年11月29日 日曜日 河北新報

 林幹雄経済産業相は28日、青森県六ケ所村を訪れ、原発から出る使用済み核燃料の再利用を目指す「核燃料サイクル」について「進めることに変わりはない」と述べ、推進の考えを強調した。日本原燃の使用済み核燃料再処理工場などを視察後、記者団に答えた。
 核燃料サイクルをめぐっては、原子力規制委員会が高速増殖炉「もんじゅ」の運営主体見直しを文部科学省に勧告。六ケ所村の再処理工場は完工延期が繰り返されている。林氏はこうした動きを「管理体制の指摘や新規制基準対応のため」とし、サイクル政策の方向性への影響を否定した。
 再処理事業の主体となる認可法人の新設など経産省が進める体制見直しについては「(事業の委託先となる)原燃を国がさらにバックアップするため」と説明。政府の関与が強まることで、原燃の地域振興策が後退しないかとの懸念には「そういうことがないようにする」と話した。
 林氏はプルトニウム・ウラン混合酸化物(MOX)燃料工場の建設現場、高レベル放射性廃棄物貯蔵管理センターなども視察した。





青森県六ヶ所村
たねまきJ「六ヶ所村再処理工場 ・恐るべき再処理の実態」小出裕章氏(内容書き出し・参考あり)7/19
六ヶ所村再処理工場
・目的は長崎原爆のプルトニウムを取り出すこと
・使用済み燃料棒からプルトニウムを取り出す方法
・33京ベクレルはクリプトン85だけの数字
・国も認める「一切捕捉しないで全量を放出する」ワケ

たねまきJ「六ヶ所村再処理工場 ・再処理による世界汚染」小出裕章氏(内容書き出し)7/26より一部抜粋
六ヶ所村再処理工場について
・クリプトン85
・イギリスの再処理工場
・冷却できずに大事故になる可能性は?
・再処理工場は濃度規制がない

たとえばイギリスのウインズケイル再処理工場では、これまでの運転の間に、広島原爆400発分に相当するセシウム137をアイリッシュ海という海に流しました。
平常運転です。
事故でも何でもなくて。

イギリスのウインズケイル再処理工場の周辺では、子どもの白血病が増えているという事が統計的に明らかになっています。

放射能を薄めて捨てるという事が、再処理工場の場合には出来ないことになりました。
そこでどうしたか?というと、再処理工場に関しては濃度規制を外してしまうという事にしました。




<六ヶ所村>薄める水がない上に原子力発電所の何百倍何千倍それ以上の量を出すわけですから、 どうなるか?というと、再処理工場に関しては濃度規制を撤廃してしまった。小出裕章氏12/13(文字起こし&音声)

「燃料棒からプルトニウム・ウラン・その他の核種に分ける方法&再処理に使う硝酸の行方」小出裕章氏12/13・21(文字起こし&音声)


核燃料サイクル
cicle.gif

核燃料サイクル実現のためには高速増殖炉(もんじゅ)が必要だ

8完 もんじゅ 日本原子力研究開発機構「約束したことが実行できていない。長年染み付いた悪さ処を解消すべく…」11/10おしどりマコさん講演・南相馬(文字起こし)
11月2日にJAEA(国立研究開発法人日本原子力研究開発機構)の偉い人(理事長 児玉敏雄)を呼び出して、ちゃんとしろよっていう、資料を出したんですけど。
それがひどすぎて面白かったですね。
「こういう理由でダメだったんです」というのが出てきたんですけど、
「潜在する根本的な課題と その対策」とか、いろいろ出してきたんですけど。

約束したことが実行できていない」とか、
同じようなミスを繰り返す」とか、
指示待ち体質」とか、
発電炉に対する経験不足」って、全然ダメなんじゃないか、っていう。

Plan(計画)Do(実行)Check(評価)Act(改善)のPDCAのサイクル
CAを全くやっていない」と言ってましたね。


その一番最後のまとめが、それもまたビックリするもので、
長年染み付いた悪さ処を解消すべく




林幹雄経済産業相
imgres_2015113008422923b.jpg
(はやし もとお、1947年1月3日 - )
日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(8期)、経済産業大臣(第21代)・内閣府特命担当大臣(原子力損害賠償・廃炉等支援機構)

政策・主張
・日本国憲法の改正に賛成。
・集団的自衛権の行使を禁じた内閣法制局の憲法解釈の見直しに賛成。
・日本の核武装について「将来にわたって検討すべきでない」としている。
・女性宮家の創設に反対。
・日本の環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)参加に反対。
・原子力規制委員会の新基準を満たした原子力発電所の再稼働に賛成。
・選択的夫婦別姓制度の導入に反対

政治資金
・道路特定財源が資金源であり、道路特定財源の一般財源化に反対している道路運送経営研究会から献金を受けていた。
・林が代表を務める「自民党千葉県第10選挙区支部」が西松建設のダミーの政治団体「新政治問題研究会」「未来産業研究会」から、計100万円の献金を受けていた。
・林への献金について、作家の宮崎学が西松建設元社長の国沢幹雄を政治資金規正法違反容疑で東京地検に告発したが、国沢に対しては起訴猶予処分(不起訴)が下った。
・1998年から2000年までの3年間、鈴木宗男が代表を務める自由民主党北海道第13選挙区支部及び鈴木の資金管理団体である「21世紀政策研究会」から、150万円の献金を受け取っていた



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11.29
Sun

封印された「被ばく」の記憶を解く~映画「X年後2」
OurPlanet

被ばくしたのは第五福竜丸だけではなかった-。1946年、太平洋上で繰り広げられたアメリカによる水爆実験。第五福竜丸以外も、多くのマグロ漁船の乗組員たちが被ばくしていた。10年以上にわたり取材を続け、封印された「被ばく」の記憶を解くドキュメンタリー映画「放射線を浴びたX年後2」の伊東英朗監督にお話をうかがった。
 
映画「放射線を浴びたX年後2」
11/7(土)~11/20(金)公開 愛媛・シネマサンシャイン大街道
11/21(土)~12/11(金)公開 東京:ポレポレ東中野
http://x311.info/part2/



2015年11月



「もう60、70近い人はほとんど亡くなっとったから、もうほとんど死んでいる」
「もうその人は亡くなっていまして」

被曝したのは第5福竜丸だけではなかった。
いまから半世紀前に太平洋上で繰り広げられたアメリカによる水爆実験。
第5福竜丸以外にも、多くのマグロ漁船の乗組員たちが被曝していたのです。
その封印を解いたドキュメンタリーX年後の公開から2年、続編が完成しました。


白石:
今日はその第二弾の映画を完成させた伊東英朗監督にお越しいただきました。
伊東さんはとてもユニークなプロフィールで、実は幼稚園の先生を16年なさって、その後に南海放送という放送局でいまお仕事をされているわけですけれども、この取材対象の地が高知なので、最初南海放送は高知県の放送局なのかなと思っていたんですけどそうではなくて、愛媛県でテレビ局でお仕事をされてディレクターをされているということで。
今回、「放射線を浴びたX年後 」これは伊東さんがお書きになった本なんですけれども、10年間このテーマを追っかけていらっしゃるということで、なぜ高知の、しかも「マグロ漁船の乗組員たちが実は被曝していた」ということを書けるようになったのかというのを教えていただきたいんですけど。

放射線を浴びたX年後1

伊東:
もともと僕は731部隊をテーマに番組を作りたくて、たまたまその方が高知県にいらっしゃって、生存者の方が。
ずっと交渉していたんですけど、そのことがあって、731部隊で「高知」というキーワードでインターネットで検索していたら、たまたま高校生たちにひっかかったんですよ。
高校生たちが第5福竜丸以外のマグロ船の被曝の実態を解き明かした」というのを見て、まずは「第5福竜丸以外に被害を受けた船があったの?」と驚いたのと、しかも高校生がそれを調査していたということにも驚いて、とにかく確認しようということで高知へ出かけて行って、引率していた山下先生という先生にお話を聞いたというのが、もともとのきっかけになるんです。


マグロ漁船の乗組員たちが実は被曝していた2
「なんかこれ、昔かぶちょるのがなんか原因しとるのかね、ということはわしは言ったけどもね。
10人ぐらいをうちの親父が(マグロ漁に)連れていっちょるがね、皆んな早うに死んでもうたわ」


白石:第1弾目の映画、これはやはり3.11があったから映画化っていうふうになったんですか?

伊東:
そうだと思います。
たまたま福島でそういうことが起こってしまって、突然「放射能」というものにすごいスポットが当たったわけですよね。
で、日本テレビで放送して、少し反響があって、それがきっかけになって映画にしようと。
でも映画にしたのは、反響があったからしたのではなくて、はっきりとした僕の中の目的があって映画にしたんですよね。


白石:その目的というのはどういう目的だったんですか?

伊東:
呼びかけをすることなんです。
それは、いろんな、各地域で自主上映をしてもらう。
テレビはそれはできないので、自主上映をしてもらって、その現場に僕が出来る限り出かけて行って呼びかけをする。
それは何かというと、海が隣接している県は港に行けば必ず被ばく者の人がいますから、聞き取りをしてもらえませんか?ということなんです。
で、結局「X年後」は200カ所以上で上映されて、その3分の1ぐらいは僕も行ったと思うんですけど、結果的には3年間働きかけたんですけど、結果は出なかったんですね。
それをやってみようという人はなかなか出てこなかったんです。



白石:
とは言っても、映画がきっかけで2本目ができたと。
呼びかけというふうにはいかなかったかもしれないんですけど、この第2弾というのはどういう背景で作ることになったんでしょうか?


伊東:
確かに高知県室戸市まさに現場になった場所ですけど、その場所で、被爆者の方が企画して上映をしてくださって、これ自体が僕にとって奇跡的なことなんですけど、それを見た遺族の方が「聞き取りをしよう」ということになって、僕はそれを密着したんですけど。
確かにこれは一つの進歩というか、成果ではあると思うんですけど、ただ成果としてあまりに悲しい成果なんですよ。
事件をね、遺族の人や当事者が聞き取りをしないといけないという、一番過酷な現実がここにあるわけです。


白石:
室戸の上映会など、あるいは今回の上映をきっかけに「自分は遺族だったんだ」っていうことを自覚した人。
川口美砂さんという、12歳の時にお父さんを亡くされたという遺族の方。
こういった方々が登場はしているけれども、第2弾というのはそういう意味ではすごい成果の先にあったものというよりは、また違う捉え方をされているということなんですか?

伊東:
その「X年後」というタイトルをつけているんですけれども、結果的にいうと、X年後にそういう過酷な現実があるということだと思うんです。
この事件が起こってからもう本当に半世紀以上が過ぎた状態で、そこでやっと今、今言われたように遺族の方が気がついたとか、遺族の方が動き始めた現実があるということなんです。

マグロ漁船の乗組員たちが実は被曝していた4

「その時も夕方に、お日様が水平線に消えていったら(キノコ雲が)ボコってまた出てきたり、『お日様が割れた』って言ったね。大騒ぎもしなかったね。もうみんなこれ(内緒)やけん。誰も知らない」
「一切言わん?こんなんあったよと言われんように思っちょった?」
「『言うな』って言われてるからね。『魚が売れんようになるけん言うな』ということです。
(放射能を)浴びていたかどうかはわからない。検査をしなかったから」


白石:
この映画のなかで、非常に私にとっては、まさにずーっと福島の問題を取材しているから特に印象に残ったのは、やはり、「この長い間人々が口を閉ざさざるを得なかった」あるいは「口を閉ざし続けてきた」っていうのは、例えば海辺の地域、あるいは取材をされている漁師さんたちと触れ合うなかでどういうふうにお感じになられましたか?


伊東:
緘口令っていう、…それはまさに風評被害ですよね。
「言うと魚が売れなくなる」という、そういう思いと、それを食べる側ですよね。
食べる側というのは当時、まさにタンパク源だったから食べないといけないと。
それに対して政府のお墨付きが出て「安全だ」と。
で、「食べられる」「売れる」という構図ですよね。723
そういうものがあって、この事件に早く幕を引きたいっていう、ま、政府の思いとか。
そういうものがすごく一致して、本当に極限の状態で記憶が封印されたんだと思うんですよ。
よくね、メディアが黙っていたとか、言わなかったということを、上演会場で言われたりするんですけど、そうじゃなくて、メディアはもう連日のように新聞に書き立てて、たくさんの被ばく船が入港してきた、魚が被ばくしてきた、それから日本列島が被ばくして日本中がパニックになった、ノイローゼになった、それから放射能の強烈な雨が降った。
もう、大騒動しているんですよね。
それだけの大騒動の記憶がどこからか本当に見事に消えて
いま記憶に残っているのは「雨に当たると髪の毛が抜ける」という言葉と、「第5福竜丸事件」という、この二つの言葉だけが残っていて、これだけの大事件がこれだけ記憶が消えているっていうことは、いま改めて僕らが考えないと、また同じことが起こってしまう可能性があるんじゃないかなというふうに思うんです。

放射線を浴びた

白石:
この映画の中では全国的に汚染されていたということで、古い家屋の床下の調査をしているという場面もあって、ああいう形で立証実験して入れたというのは何か意味っていうか思いがあるんですか?

放射線を浴びた1

伊東:
いやこれは知ってもらいたいですね、本当に。
例えば映画の中に出てくる福岡県35万カウント。
それから鹿児島が24万カウント。
沖縄が17万カウント。
当時の魚の廃棄基準は100カウントですから、とんでもないような放射能の雨がこの日本列島に降っているわけですよね。

放射線を浴びた2

「現在の土壌にまだその人工放射性物質が、核実験用の放射性物質がフォールアウトしたものがある」ということは今回の映画でハッキリしています。
っていうことは、現在は確かに微量ですから人体に影響があるほどではないかもしれませんけど、遡っていくと、半減期を考えると、1990年代。
1962年に核実験を40回やっていますから、太平洋上で。
その時出たセシウムやストロンチウム90だけを考えても、29年後、1991年にやっと半減している状態です。
「そういう状態がこの日本列島の土壌にあった」ということを我々は知らないと。

僕はだから、福島があった時に、今の、「現在の土壌というのはバックグラウンドだ」と。
自然放射能だ」という言われ方をして、ちょっと驚いたんですけど。

今まで自分たちが放射性物質によってなんらか体に対して影響を受け続けている、それは魚もそうですけど。
「そういう状態の上に福島があるんだ」ということを認識しないと、「基準値を下回っているから食べていいよ」というのは、自分の体がゼロだったらいいんですけど、ずっと影響を受け続けているところにさらにプラスアルファするということを考えると、「基準値から下回っていればいい」という話とは違ってくるので、そこを日本中の皆さんに一回知っていただきたいんですよね。



白石:
よくね、「日本は唯一の被ばく国」というような言い方をして、その「被ばく国」の「ばく」は、広島と長崎について言及することが多いわけなんですけれども、実際には水爆実験位より幅広い地域が被ばくをし、もちろん原発事故もその後にあって、幅広い被ばくが起きているんだなということを、改めて映画を通じて。
つまり自分たちがその認識を持たない限りまさにX年後に何が起こるかわからないということを、すごいタイトルからも感じさせてもらえるかなと思います。
で、伊東さん達の、あるいは山下さん達の努力によって、今ませ政府が否定していた「測ってないぞ」と。
「船員達の放射能は測ってない」。しかも「そんなもの知らない」と言っていたものが、「やっぱりありました」ということで、去年厚生労働省が公開をして、しかも「影響ありません」というようなことを言って。
今年から、61年目にして健康診断を始めたと。

実際にそういう状況の変化について、取材されている対象者の方とか、どういう思いで見てらっしゃいますか?


伊東:
被ばくした船というのは、あの当時延べ992隻がなんらかの形で被ばくしていたと。
それが全部もしあるとしたら、延べ992隻分になると、相当の枚数の書類がないといけないはずなんですけど、出てきたのはその中のおそらく一部じゃないかなと思うんですけど。
で、今回僕たちが、出てきた文章で一つ明らかになったことで嬉しかったことは、
船員手帳が残っている人たちっていうのは、これは公的な証明書ですから、昭和29年、検査は10ヶ月しかしていないんですけど、その検査をしている間に乗っていた船が特定できる。
それからその船がどういう形で被ばくしていたかというのがわかる。
ということで、その人が被ばくしていたかどうかということが明らかになるという状態があるんですね。

ただ、明らかになったからといって、じゃあ何かあるのか?というと、何も今のところないんです。

で、これから問題になってくるのは線量だと思うんですね。
どれぐらい被ばくしていたのか?
当時の厚生省がそれに対して指導をしなければいけない数値だったのかどうか?というのは、これから議論になっていくんだと思うんですけど。

それで僕の中で今度悲しいところは、核実験は18年間120回やって、記録があるのは10ヶ月間。
その中の6回の核実験の分しかない
んですよね。
それ以外の前後のものというのは今のところないんです。
その間被ばくしていただろう船の証明というのは全くできないという状況があって。
その部分だけで論じないといけないというところがひどく残念なんですね。

ですから、福島というのは、是非とも、何があろうともデータを記録するということがすごく大事になっていくんだろうと思うんですけど、この事件に関してはそういうところがないということが一つの現実になっていると。

それと健康相談会に関しては高知県が行っていますので、土佐清水は地元の方で精力的に動いてらっしゃる方がいて、その方が一生懸命に動かれて、たくさんの方々に声をかけられて、かなりの遺族の方、被ばく者の方が来られたという状況があります。

ま、それは一つの動きなんだろうなとは思いつつも、それが次につながっていってほしいなという思いはすごくあります。
室戸もそうですね。
一番僕が大事だと思うのは、いま室戸市を取材していてつくづくと思うんですけど、できる限り遺族や被ばく者の方に寄り添うことだと思うんですよ。
それは「一軒一軒お訪ねをして話を聞く」ということをまずやらなければいけない。
それと今回のX年後の2でどうしてもやりたいことは、モデルとして今回映像を出しているんですね。
作品性というよりもツールとして考えているので。
川口さんたちが聞き取りをして、「あ、こうやって聞き取りができるんだな」と。
「私もできるんじゃないかな」と。
「おじちゃん、元気?」って行って、「おじちゃん、なんか乗っとったらしいね」私にもできるんじゃないの?ということで、例えば鹿児島とか静岡とか神奈川とか宮城とか、被ばく船がたくさんあるところで、全く手付かずのところがいっぱいあるんですよね。

そういうところでそういう人が動いてくれて、そういう情報がどこかで集約されていくっていうことができれば、それがいつか解決に向けての力になっていくんだろうと。
それがいつかは僕もわからないんです。
やっぱり被ばく者の人たち遺族の人たちと一緒に寄り添って、一緒に何かの大きな動きを作っていくっていうことが事件を解決するためにすごく大事だと思います。







映画『放射線を浴びたX年後2』予告編

東京で広告代理店を経営する川口美砂さん、59歳。故郷である高知県室戸市で、映画『放射線を浴びたX年後』を観たことがきっかけで、元漁師だった父の早すぎる死に疑問を抱き始める。当時「酒の飲みすぎで早死にした」と言われた父。本当にそうなのだろうか?高知県室戸市出身の漫画家、和気一作さん(本名:大黒正仁。代表作「女帝」など)もまた、映画との出会いがきっかけとなって父の死に疑問を抱く。愛する父への強い思いが、二人を動かし始める。
一方、取材チームは放射線防護学の専門家と共に、1950年代当時、雨水の中に高い放射性物質が測定された沖縄、京都、山形を訪れ、独自に土壌調査をおこなう。民家の床板を外し、半世紀ぶりに現れた土。遠く離れた太平洋でおこなわれた核実験の影響は、今も日本列島に影響を及ぼしているのだろうか?
元漁師たちの証言、破られた船員手帳、厚労省への情報開示請求―。日本列島を揺るがした巨大被ばく事件から半世紀を経た今、決して消え去ることのない「被ばく」の傷跡が、徐々に明らかになる。


これからの公開予定
<東京都中野区>[ ポレポレ東中野 ]
http://www.mmjp.or.jp/pole2/
◆日程:2015年11月21日(土)~12月11日(金)

<山梨県笛吹市>[テアトル石和]
http://www.csc.co.jp
◆日程:2015年12月12日(土)〜

<愛知県名古屋市>[シネマスコーレ]
http://www.cinemaskhole.co.jp/cinema/html/
◆日程:2015年12月26日(土)〜2016年1月15日(金)モーニングショー


◆日程:2016年公開予定
<大阪府大阪市>[第七藝術劇場]
http://www.nanagei.com
<京都府京都市>[京都みなみ会館]
http://kyoto-minamikaikan.jp
<兵庫県神戸市>
[神戸アートビレッジセンター]
http://kavc.or.jp
<広島県尾道市>[シネマ尾道]




comment 3
11.27
Fri
People 「多士済々」悩みの海を漕ぎ渡れ

2013年7月14日放送 ゲスト:吉永小百合【音声】



姜 尚中:
おはようございます、姜尚中です。
People 姜尚中「多士済々」悩みの海を漕ぎ渡れ。
今回は皆さん、なんと吉永小百合さんが「多士済々」のゲストです。
戦後日本を代表するというよりは、もう、戦後日本の女優そのものの吉永さんをお迎えするというのは、私にとっては望外の喜びですし、きっとみなさんも少しビックリされているかもしれませんね。
じゃあ、これから1時間、お付き合いをよろしくお願いします。


ナレーション:
People 姜尚中「多士済々」悩みの海を漕ぎ渡れ。
今回スタジオにお迎えする多士済々は、吉永小百合さんです。
言わずと知れた日本を代表する女優、吉永小百合さん。
『キューポラのある街』、『愛と死を見つめて』、『北の零年』、『母べえ』、『おとうと』など代表作は数知れず、これまでに100本をはるかに超える映画に出演。
また、ライフワークとして原爆詩の朗読会にも精力的に取り組んでいらっしゃいます。
今回お二人の対談が行われたのは、丘の上のホテルの一室。
対談はお二人の交流のお話からスタートしました。

714

姜 尚中:吉永さん、今日はどうもありがとうございます。

吉永小百合:こちらこそよろしくお願いいたします。

姜 :
最初吉永さんにお会いしたのはラジオ番組だったんです。
それで、吉永さんとお会いするというんで、僕はその日前の晩からドギマギしてですね(笑)、ちょっと心臓が張り裂けそうな、この歳になって、と思ったんですが。
お会いした吉永さんは本当に気さくにいろいろと話されて、あれはもう数年前になりますか。

吉永:
もう、ずいぶん前になりますよね。二度出ていただいたんですよね。
色々な方に3ヶ月に1度ぐらいゲストに出ていただいているんですけれども、2回出ていただいたのは姜先生だけなんです。

姜 :あ、僕が初めてでしたか。光栄だな。

吉永:
もう本当にね、みなさん是非姜先生にいらしていただきたい、お話を伺いたいということで、とてもとても有意義に、私も伺いたいことがたくさん、お聞きできましたし、楽しかったです。

姜 :
あの時吉永さんがいろんな本を読まれて、ちょと僕もビックリして。
考えてみると吉永さんの最初のデビューはラジオだったように記憶しているんです。

吉永:
そうです。
小学校の6年生の時に「赤胴鈴之助」というラジオドラマに子役で、受かったんですね。
それで、それからずっとラジオをやって、テレビをやって、映画という道です。

姜 :
そうですね。
ですからある意味「吉永さんの始まりがラジオだ」っていうのは、今となっては知らない人もいるんじゃないですか?

吉永:そうですね。

姜 :
それから随分、私の方が一方的に、なんかいろいろお願いばっかりをして、書いたものに推薦文までもいただいて。
あれから私もいろんなことがあって、ま、4年前に息子を亡くしたんですけど、それで悲嘆にくれて、正直いうとちょっと荒(すさ)んでいたんですね。
気持ちが荒んで、「どう生きようかな」というか。
ですから政治や社会という、そういうレベルとは違う、もっと人間の深い「なぜ生きるのか」ということですね。
そんなことをちょっと考えさせられて、「ん…これはどうしたものか」と思っている時に、1年と10ヶ月ぐらいして大震災が起きたんですね。

それで、まぁ、息子といろいろ話している時に彼が言うには「不幸や悲惨というのは外にあるんじゃなくて内にあるんだ」と。
その意味が僕はよくわからなかったんですね。

それですぐに東北の方に、特に福島に行ったんですけど、そこでいろんなものを見て、それでこれは何か書きたいということになって。
ただいろいろ連載はやっていたんですが、やっぱり途中でライフセーバーをやっているある青年と出会いまして、それはこのラジオ番組にも出てもらったんですが、蛭間(龍矢)君という
それで彼に出会って、正直いうと「自分の息子もこういう青年になっていればな」ってこう、なんかこう、思いがあって。
それを主人公にして小説にしてみようと思って、ああいう風になって。
編集者に聞いたら、ま、ああいうものでしたけれど「吉永さんが読んでくださった」って聞いたので、読まれた読後感だとか、


吉永:
そうですね、やっぱり私たちにとって、3月11日の震災というのはとっても大きくって、
…そしてまた原発事故、ですよね。
ですからその二つっていうのは、乗り越えられないのではないかと思うぐらいのものだと思うんですよね。
ただ、私自身も何度も、被災地に行って、あの、避難されてらっしゃる方とか、被災して家を失った方とかにお会いした時に、とってもこう、、明るくって前を向いてらっしゃるんですね。
ま、それは今だからかもしれないんですけれど、2年前にも名取とか宮城県の方に行ったんですけど、
「それはどういうことなんだろう?」って、常に自分に聞いてみるんですよね。
本当に明るいのか?それとも明るく務めてらっしゃるのか?という思いがしているんですけれども。
とにかくしっかりと前に歩こうとしている。
そういうものにとても、逆にこちらが勇気をもらって、力をもらって帰ってきたということが度々ありました。

それで、そういう中で先生の「」を拝読して、やっぱり
姜先生の中でもすごく強い思いが、東北の地震に関してあった、ということを、、が、よくわかりましたし。
それでそういう中で希望を失わない、というか、一人の青年を通して、どういう風に私たちはあの大震災を乗り越えていくか、あの震災の後どう生きるべきか?というのを私たちに問いかけているという思いがしました。


姜 :
そう言っていただければ。
僕の言葉で言うと、株価の上げ下げに、ま、乱痴気騒ぎをしているとしか僕には見えないんですけど、
東洋には「喪に服すのは3年」と言われているんですが、「3年も経たないでこんなふうでいいいのかな」という気持ちが内側にありましてね、

吉永:ありますね。

姜 :
それで、なんとかこれを伝えたいと。
それから息子が亡くなった事とどうしてもこう、重なり合って。
で、漱石の「心」という小説は主人公の先生が自死を選ぶんですけど、最後自分は明治が終わったら明治とともに消えていくと。
明治天皇が崩御して乃木希典が殉死して。
若い時にあれを読んだ時に、なんか、ちょっとこう、こじつけのような気がしたんですね。

ただ今回僕は、なぜ原発事故が起きた南相馬に近いところに行きたいと思ったのか。
ちょっと、私自身の中に自分をいじめたいという気持ちもあったんですね。
原発事故から2週間ぐらいでしたから、放射能もかなり高かったけど、むしろ「リスクの大きいところに行きたい」と。
そういう思いでだんだんと個人的な息子の死と、それから2万人近くの死とが、だんだんこう、重なってきたんですね。
その原因や理由は違うにしても、残された喪失感をどう埋めるか?という。

だから、あ、そうだ。大文豪の漱石も「明治とともに消える」といった、「あれは僕には若い時にはこじつけだったけれども、今の僕には自然だ」と、そういう気持ちになったんですね。
ですから、そうなった時に「これは書いてみよう」と。

で、おっしゃる通り、なんでこんなに、あの方々は亡くなられて我々は記憶喪失に陥る事ができるのか?
普通は、例えば井伏鱒二という人は「黒い雨」を書かれたわけですね。
吉永さんの原爆詩の朗読も、ある意味ではそこに通じるものがあると思うんですけど、
「震災後文学」というものが僕はあってもいいのではないかと。
今の日本の作家さんや文学の力というものが、それに対するやるせない気持ちもあったんですね。


吉永:
そうですね。
私のラジオの番組で、震災の本当に直後に北山修さんに出ていただいたんですね。
その時に「どうやってこの震災を乗り越えたらいいんでしょう」とお話をしたら、
「必ず現地で芸術が生まれる」と。
「そういうものが逆に彼らを励ましながら、また残っていく」という風におっしゃっていて。

実際に福島でたくさんの方が、職業的に詩人の方もいらっしゃる、和合亮一さんとか。
後はもう80を過ぎた普通の主婦の方が「原発難民の詩 」という作品集を作られたり、いろんな形で詩を書いたり、子供たちも書いているんですね、今の思いを。
だからそういう形で、むしろ、実際に被災された方たちの方からきちっとしたものが残っているという気がするんですけどね。


姜 :
そうですね、確かに。
僕もやっぱりひしひしと思ったのは、おっしゃる通り10年経てば何か震災後文学、アートがそこから出てくるんじゃないかと僕は思うんですね。
そういうものが百花繚乱のように出て来れば、きっと僕は、あの悲惨な状況は1年や2年で忘れ去られるものではなくて、私たちの戦後の社会のあり方を根底から問いかけたと思いますね。

吉永:
そうですね。
あの、先生が朝日新聞だったと思うんですけど、「今年の3冊」という中に、「遺体 」という作品を挙げていらっしゃいましたけど、わたし本は読めなかったんですけど、映画で作られたものを見たんですね。


姜 :映画で、そうでしたか。

吉永:
それでやっぱり大変感動しまして、本当に辛いことなんですけれども、あの作品をフジテレビという、とても、普段はそういうものに全く興味のない会社の映画部が作ったということに、また、わたしは意義があると思いましたし、
多分ドキュメンタリーの本の方がもっと強くきちっと書いてあるという風に思うんですけれども。


姜 :
おっしゃる通り、僕はあれを取り上げて、今回の小説のどこかに通じるところがあったんですね。
あれの書評をした後だったでしょうか、蛭間君に会ったのは。
その時によりによって彼から「遺体と向き合うことの意味」を教えてもらって。
それはわたしの中に、息子の死とどうしても向き合えなかったんでね。
あまりにも辛くて。
でもそれに向き合わないといけない。
そういう思いがずーっとあったんですけど、なかなかそれを外側に出して言語化するということができなくて。
不幸なことにちょっとある週刊誌でディスクロージャー(Disclosure)されて、その時初めて「これは書こう」と。
書くことで、これは数字に換算された2万人近い方々の死と、それから私のように、いわば外側から体質的に封印を解かれた息子の死と共通しているのは何か?というと、やっぱり体質的な力でラベリングされているんですね。
それをなんとか奪還しようという、それがやっぱり「書くこと」なんじゃないかなと思ったんですね。
ある意味ではこの2万人の人が亡くなったというのは、被災地の出来事よりは外側のメディアとか、外側の人たちが1万9千いくらとか言って、「こんなに亡くなりました」「大変でした」それで終わりという。

だから、「遺体 」というあの本に最初に僕が直面した時は、きっと、「ちょっとややセンセーショナルな本かな」と最初思ったんですよ。
ただ読んでみたら全くそうではなくて、「あ、そうだ」と。
しっかりと死と向き合わなければ、結局あの戦争も、おそらく原爆も水俣も、向き合っていないから、ある種の●ニズムで前へ前へと。
だから、「それは過去のことにしましょう」という。
だからある政治学者の方がこれを無限に前進するオプティミズム(楽天主義)と。
「あ、そうだ」と。
だから過去を振り返ることをみんな嫌がる。
だからそう考えると、吉永さんがずーっと原爆詩に携わってこられたことの意味がね、前以上に僕にはわかるようになったんですね。


吉永:
でも、今は、必ずその原爆の詩を読んだ後に福島の詩を読んでいるんです。
どうしてもそれは離せない問題だと思うんですね。


姜 :
そうだと思います。
それは一昨年(2011年)だったでしょうか、8月6日の時にNHKの被爆者からの手紙というのに出たんですけど、その時僕はやっぱり、胸がつかえたのは、漱石の言葉で言うと「胸の筋が1本杭に刺さったような」。
それは、「申し訳なかった」と、被爆者の方が。
「自分が被爆者であることを隠していたから福島があったんじゃないか」と。
「自分がしっかりとそれと向き合って、被爆者であることをしっかりと社会に公言して生きていれば、2度とそういう苦しみを味合わなくて済ませられたんじゃないか」と。

これはびっくりしましたね。
そういう、こう、「最大の犠牲を背負われてきた人がまた自分を責めている」
そういうものに出会った時に、
「やっぱりこれは、広島・長崎と福島は、これは対にならなければいけない」と。
ですから、あの「原発や原子力というのはなんなのか」ということを、今回の自然災害とともにしっかりと受け止めるというか。

ま、結局「原発で誰一人亡くなっていないじゃないか」と言う人がいたんですね。


吉永:
つい最近そういう発言をされた政府の方がいらっしゃいましたね。
驚きましたけどね。

自民党高市早苗政調会長「福島第一原発で事故が起きたが、それによって死亡者が出ている状況ではない」



姜 :
僕もびっくりしました。
ただ、避難する時にそれの副次的な結果として亡くなったり、それから自ら死を選ばれた方もいるんですね。
酪農家の中でも。
だからそれを考えると、僕はこれは単に放射能被害だけではなくて、その一つのコロラリー(corollary 必然的な結果)というか副次的なものとして、そういう悲惨がまた出てきているし。

吉永さんが今まで、原爆詩を読む中で、「吉永小百合、オックスフォード大学で原爆詩を読む 」ということで、早川敦子さんが本にまとめられましたけど、僕はそれを読みながら、ま、ゲラの段階で読んでいたんですが。
あぁ、もう本当に、というか奇跡的に坂本龍一さんもご一緒されて、それはいかがでしたか?
「会場の雰囲気がとても良かった」と僕は、

2011年10月
イギリスオックスフォード 朗読会・坂本龍一&吉永小百合(内容書き出し)




吉永:
ええ。
小さなチャペルだったことも幸いしたんですけれども、皆さんが本当に「聞きたい」という思いで集まってくださって、なるべく日本人の方はご遠慮願って、イギリスで日本のことを勉強してらっしゃる学生さんが主だったものですから、日本語もある程度理解してくださって。
そして原爆のこともすごく深く受け止めてくださったように思ったんですね。

そしてそのあとの福島のことも、私は英語が喋れないので、ただ詩を読んで。
ま、多少の英語の詩も読んだんですけど。
坂本さんがその詩の前にきちっとしたメッセージを皆さんに語ってくださったんですね。
原爆でこんな思いをした私たちが、今ね、また原発でこういうことをしている」ということを。
本当に良くないことだ。恥ずかしいことだ」ということをはっきりおっしゃって。

で、「私たちは、しっかりとそういうことを自分たちの中で持ちながらこれから生きていくべきだ」と、私は思っているんですね。


姜 :
そうですね、だからやっぱり福島は。
私は熊本で生まれたので、どうしても水俣病のことが。
水俣病に関しては著名な熊本大学の先生がいらっしゃったんです。
この間お亡くなりになりましたけど。
彼は亡くなる前に、「水俣病の場合には有機水銀中毒患者はある種の症状をある程度特定できた。ただ、放射能汚染の場合には、時系列的に因果関係が何十年後も出てくるかもしれない。
だから今やらなければいけないことは、政府が中心になって調査をすることだ」と。
「早くやってほしい」と。
それはね、あの先生なりの遺言だったと思うんですが。

今見ていると、ほとんどそういう動きもなく放置されて。
僕は、水俣病のあの甚大な犠牲をはらった歴史がある日本で、なぜこんなことが起きるのか?
改めてね、本当に考えさせられたというか。

原田 正純(はらだ まさずみ、1934年9月14日 - 2012年6月11日)
日本の医師。学位は医学博士

2012年06月22日 (金) NHKエコチャンネルのブログ
原田正純さんの死と「水俣からの問いかけ」




https://youtu.be/iUU7-O-vy0c?t=21m36s

姜 :
吉永さんから見て、やっぱり野坂昭如さんの沖縄をめぐるあの童話も昔CDで聞かせてもらいましたし、やっぱり、戦争ということは吉永さんの中にずーっとテーマとしてあるということですか?

吉永:
そうですね、何も親から聞かないで今になってしまったということはとても後悔しているんですけれども、ただ、戦争の終わる年に生まれたということで、「戦後」という言いかたをいつもされて、自分の年齢が、続いてきたんですね。
ですから永遠に「戦後」というのと同じ自分の年齢が重なり合ってほしいという願いがあります。


姜 :そうですか

吉永:
だからもしも新しい、憲法が変わって新しい形で日本が戦争をする国になってしまったら、そういうことはもう言われなくなってしまうし、それは「絶対に良くないことだ」というふうに思っています。


姜 :
様々な問題があることは事実なんですけど、私は本当の意味で戦後初発の原点は、もっともっと磨かれなければならないし、憲法もただただ邪険にする動きだけ広がっていて。
だから昔誰かがパントマイムかなんかで憲法になり切った人がいて「私をそんなに邪険にしていいんですか?」と。
「これで死を宣告していいんでしょうか?」と語りかける、そういうパントマイムがあるんですが、私はまだまだ戦後、憲法、こういうものを日本の国民はもっともっと利用しなければいけないし、活用しなければいけないし。
ですから今度の3月11日の原発の問題は、戦後をもう一回生き抜こうと。
もう一回ね。
戦後にもう一回生命を吹き込んで、私の言葉だと生まれかわりというか、戦後がもう一回再生するような。
そのためにもあの3月11日の原発・広島をやり過ごしてはいけないと思うんですね。
吉永さんのなんかずーっと、それこそ戦後、それ時代を代表するような大女優でありながら、本当にいろんなところで小さな集会でも厭わずに行かれて、原爆詞を朗読されてきた歴史というものを改めて、
私は今回、3月11日が起きて本を書いて、ま、少し年齢は違いますけど、その気持ちがなんかとてもわかるようになりました。


吉永:
姜先生が今回、若者を主人公にして書かれたのは、本当に若い方に読んでもらいたい、若い方に考えてもらいたいという思いがすごく良く伝わってきたんですけど、私も今年3月に京都の同志社大学で朗読会をやったんですけど、そういうふうにたくさんの若い方に聞いてもらって、
「あなたたちどう思う?」っていう問いかけをしたいと、これからもしたいというふうに思っているんですね。


姜 :
是非ともまた機会があれば、私は聖学院大学というミッション系の大学に移ったんですけど、是非ともそこでの若い人との出会いがあればありがたいです。


吉永:
それがもう、とっても偶然なんですけれども、東京で一度は平和集会でやってから二度目に朗読をやったのが聖学院の高校だった、多分女子の高校だったと思うんですけれども、

姜 :そうでしたか。

吉永:
それで先生が聖学院の大学にかわられたというのを伺って「覚えがあるな」と思いましたし、
私の第二楽章、原爆詩の朗読のCDは、村治佳織さんがギターを弾いてくださって、彼女は聖学院の卒業生なんですね。
で、とってもやっぱり、学生たち、生徒たちにそういう平和教育をしっかりやってらっしゃるっていうのを先生にお目にかかった伺いましたので、とても素敵なことだと思っています。


姜 :
おそらく吉永さんも、これほどお忙しい方はいないと思うんですが、いつか大学までおいでになる機会があれば、是非ともおいでください。

吉永:
はい、そうですね。
はい、伺って皆さんに聞いていただきたいと思います。


姜 :今日は本当に長い間ありがとうございました。

吉永:こちらこそありがとうございました。


26;42


姜 :
みなさん、吉永さんとの話、いかがでしたでしょうか?
戦後日本の女優そのものであるような吉永さんが、戦後という時代を自分がこれまで歩んできた生涯と重ね合わせていらっしゃることにいたく感銘を受けました。
そして吉永さんの熱い思いがストレートに伝わってきましたし、本当に気さくで飾らない人柄が溢れている、そういう方だということが切々とわかりました。

また同時に、若い人に何かを伝えたいという、それは本当に私が本を書いた動機とまるっきり同じで、やっぱり我々は60代として、若い人たちに何かを伝えたいという強い強い願望がおありになるということで、とても強い共鳴を受けました。
みなさんも、吉永さんの飾らない率直な言葉から何かを受け止めていただきたいと思います。

28:21


ーーー



2014年7月
吉永小百合「これほど地震の多い国で原子力の発電というのは止めて欲しい。もうサヨナラ原発にして欲しい」・岸恵子「私だって原発なんて無い方がいいと思います」7/7日本記者クラブ会見動画&文字起こし










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comment 2
11.26
Thu

チェルノブイリ事故の健康影響~チュマク博士講演
2015年11月24日(火)14:00~16:30
チェルノブイリ事故の影響により、甲状腺がんや白血病などの腫瘍だけでなく、様々な非がん系の疾病が観察されているー。事故25年目に公表された『ウクライナ国家報告書』は、福島原発事故を経験した日本に大きな衝撃を与えました。この『国家報告書』で“健康影響”の章を監修したアナトリー・チュマク博士の講演

アナトリー・チュマク博士 
1984年医学博士。1994年に免疫学アレルギー分野で教授。2012年から、ウクライナ科学アカデミー、ウクライナ放射線医学研究センター副所長。1986年、事故処理作業員の健康管理と医療支援のため、ウクライナ保健省の代表としてチェルノブイリ原発の30キロゾーンで働く。 2011年に刊行した「ウクライナ国家報告書」の健康影響に関する編集責任者、「チェルノブイリ事故の健康影響?四半世紀の結果」の事務責任者をつとめる。
 



アナトリーチュマク博士




7:05〜https://youtu.be/8Z1zpnfm2GA?t=4m59s
私どもの経験を皆さまと分かち合えるということを今日は嬉しく思っております。
そしてもしかしたら経験だけではなくて、私たちが犯してきた間違いというものを、皆様が間違いを犯さないように、この場でお話しできることを嬉しく思っております。

私の用意したプレゼーテーションの資料は皆様のお手元にすでに用意されているというのを知りまして、安心しております。

皆さんご存知のようにチェルノブイリの事故とはIAEAが定めた最も高いレベル、レベル7です。
86年、プリピチャという町

医学的に見た影響、被害というのは非常に大きいものです。

チェルノブイリの事故からもう直ぐ30周年になろうとしているんですけれども、今、晩発性というか、後遺症というか、で出てくる症状についてお話しする時期になりました。

チェルノブイリの被曝者の今」というテーマでお話しします。

112411

全員がウクライナではないんですけれども、急性被曝と診断された人がすでに28人亡くなり、それから2013年までにさらに51名が死亡しました。

112412

そしてその死因なんですけれども、多くは心臓血管です。
それから腫瘍です。


そして現在生きている人々ですけれども、様々な箇所に症状、疾患を抱えています。
すべての部位においてということです。


1990年の段階では、急性被曝症と診断されなかった人、まだはっきりとは診断されないという意味だったんですけれども、ある時期を通してその人たちもまた新たな症状を抱えています。

112413

広島長崎では、ある程度の時間が経って起こった症状は白血病でした。

その後の調査を幅広く、そしてこれは簡単なことではなかったんですけれども、疫病の調査をやることによって、チェルノブイリの事故処理班、作業員たちの白血病もチェルノブイリの事故と大きく関係しているということがわかりました。

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これらの人たちの白血病の発症の割合というのは、被曝をしていない人よりも3倍高いということがわかっています。

慢性リンパ被曝症は、広島長崎ではよくある病気ではありませんでした。

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ウクライナとロシアそして日本での長期追跡調査の比較をしています。
この症状というのはチェルノブイリ事故の15年がピークでした。
そこからは少しずつ減少しています。

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チェルノブイリの子供の癌、甲状腺がんなんですが、最初に記録されているのが1990年です。
そこから高い割合になっています。

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そしてこの甲状腺癌の発症というのは子供だけではなく、すべての原発被曝者に見ることができます
何年間にも渡って予測をしているんですけれども、実際に甲状腺癌の人が見つかった数というのは予測を大きく上回っています。
女性男性の違いでいうと女性の方が多い。
これは被曝に関わらず、甲状腺癌の発症率が女性の方が多いということです。

様々な居住地での甲状腺癌の発症数です。
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チェルノブイリの被爆者の今1

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それから非腫瘍系の甲状腺疾患、これが非常に高く出ています。

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ただこの原因、いくつか原因があるんですけれども、ひとつはヨウ素がない。
これらの地域には、土壌にも水にもヨウ素がないということが一つの原因と考えられています。

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そして他の場所、いわゆる固形癌ですけれども、この発症が高まっているのは事故処理班の作業員にみられます。

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作業員には女性もいたんですけれども、その女性の乳がん、乳頭癌の数というのが予想の数を大幅に超えています。
まだ、非常に注意してこのデータを見ているところです。
このグループ、対象の人数があまり多くないということ。
それから避難者が事故前には癌の発生というのが非常に小さかったということに注目しています。

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ただ非常に重要なのは腫瘍のない癌です。
細胞系の癌なんですけれども、この疾患。
実際にはライフスタイルに大きな影響をもたらしています。


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たとえば心臓血管系の病気は、若い時に被曝をした人、ある時期避難して過ごした人は、今も同じ病気を抱えています。
そして腫瘍、……死亡率も高い

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事故の処理に当たった時に40歳から60歳だった人の死亡率が高い。

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作業員の死亡率の構図を見てみますと非常に興味深いのは、腫瘍の疾患とかその他●よりも、交感器系というんですか、高血圧であるとか、血管系の心臓血管系の病気、循環器系の病気を抱えていて、それによって死亡するケースの割合が多いというのが現状です。

ですから医療的、それから社会的見地から言いますと、この、癌じゃない、腫瘍じゃない原因、心臓血管系の病気というのが非常に死亡リスクを高めているということが言えます。
ただこれが本当に被曝と関係があるのかということはまだ●です。

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そして、精神的、感情面の状態です、比較的健康に大きく影響します。
事故初期は機能障害の方が目立っていました。

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それから機能障害は下がるわけですけれども、違う症状が現れてきます。

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実はですね、「チェルノブイリの問題はもう現実的ではない、何度チェルノブイリの話をするんだ、飽き飽きした」と言われていた時期がありました。
ただ炭酸が瓶の中にあって時間がたったらバッと膨れ上がったということがあるように、同じように原子力の吹き出たものというのがありました。それが福島第一です。

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ウクライナはチェルノブイリの痛い経験を持っていますので、福島第一の事故に最初に反応を示しました。
キエフにある日本大使館を通じて私たちの持っている全ての資料をお渡ししました。

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そしてチェルノブイリの経験を知ろうということで、たくさんの代表団の方が日本からいらっしゃいましたけれども、それは大臣レベルであったり、県のレベルであったり、様々だったんですけれども「チェルノブイリはどうだったか」関心を示す人々を私たちは迎い入れました。

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ここの写真にあるのは、ウクライナ非常事態省と日本の代表団とのセッションです。
そして私ども専門家は福島の現場に行きました。

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先ほど申し上げましたように精神的心理的な影響、それからトラウマというのは長く残るものです。
チェルノブイリでも、30年経とうとしている今でも大きな問題になっています。
そして福島でも被害者の間では心理的な問題が今も蓄積しています。
さらに日本の場合には津波という大きな被害もありましたので、精神的な影響というのは大きい。

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ただこの間、様々な研究がされており科学的な情報というものが十分に蓄積されています。
そして今、一般の人々に一般のわかりやすい言葉で活用し、広げることが求められています。
この情報をいかにわかりやすい言葉で広めるかという、この成功例を示しているのがWHOの国際チェルノブイリの医療情報ネットワークの活動で証明されている。

この情報というのは正しいチャンネルを通して広がらなければならないと思っています。

112438

正しいチャンネルというのは、誰を信じたらいいのか?という話になるんですが、
それはお医者さんを信じるべきか、教師か、あるいは聖職者を信じたらいいのか?
その人たちを通じてもっとも人々が接触する情報が広がるということは必要と考えています。
私たちは聖職者というのは使いませんでしたけれども、お坊さんとか牧師さんを通じてというのは使いませんでしたけれども、人々が一番接する機会がある医者とか教師とか、その人たちのためにセミナーとかレクチャーを行いました。

112439.png

チェルノブイリではいま、石棺と言われている、壊れた原子炉を覆うものの新しい建設が必要になってきているという問題があります。
失敗を繰り返さないためにも、そして作業員の人数を最小限に抑えるためにも、私たちは厳しい管理をしています。

112440.png

私は原子力、それは軍事的な目的であっても平和的なものであっても、それにより人々が苦しむことに全く反対しています。
私たちは今すぐに生活環境を変えることはできません。
私がこの場で伝えたいメッセージというのは、この写真にありますようにチェルノブイリの悲劇のために建てられたこのモニュメントに尽きるというふうにいえます。

チェルノブイリの被爆者の今2

これは落ちていく鶴なんですけれども、ここに文字が書いてありまして、ウクライナの詩人の●の詩が書いてあります。
「生きるもの死すもの、そして生まれてこなかったものへ」の碑

ありがとうございました。



35:28
チェルノブイリの被爆者の今3
白石草さん:
今お話をお聞きしまして、
私たち日本では、チェルノブイリ原発事故の影響は、晩発的なものは「小児甲状腺以外にはない」というか、「小児甲状腺がんのみである」というふうに日々言われておりますけれども、さきほど吉田さんに示していただきました、今回報告書をまとめたチョマクさんの直接の口から、「甲状腺がんは小児だけではなく大人にも発生している」。
さらに、「腫瘍系以外の甲状腺の様々な疾病もある
さらに「ほかの固形癌、癌以外の疾病などについても観察されている」というような。
我々は常にいろんなところの情報を通じまして、そのことは見聞きしているかと思いますけれども、今般直接ご説明頂いたところです。


comment 3
11.24
Tue


FFTV<おしどりマコさん講演>
深刻化する福島の子どもたちの甲状腺がん
(南相馬20ミリ撤回訴訟支援連続セミナー)
2015年11月10日


あと、もんじゅだけいいですか?

文字起こし部分のYoutube →https://youtu.be/-j-gbbxZuKY?t=1h31m17s

原子力規制庁をずっと取材していて、本当になんていうんでしょうね、「規制してないじゃん」みたいになっててダメなんですよね。
ダメだ、力が無くなっていくわ〜みたいに。

2015111081

もう、2013年の安倍政権、自民党が衆議院と参議院で第1党になってから、本当に雰囲気が変わって、
東京電力も原子力規制庁も。
で、原子力規制庁って民主政権の時にできたので、すごい目の敵にされていたんですよ。
だから「規制庁を潰すか人事を入れ替える」っていうことになって、2013年の後半に本当に経産省とか資源エネルギー庁とか規制庁の人事が入れ替わって、本当に変わってからダメになってきたんだよね。

でも、なんかそれでも最近面白かったのがもんじゅの。
もんじゅが今「ダメだダメだ」ってね、なんか怒られてますけど、

11月2日にJAEA(国立研究開発法人日本原子力研究開発機構)の偉い人(理事長 児玉敏雄)を呼び出して、ちゃんとしろよっていう、資料を出したんですけど。
それがひどすぎて面白かったですね。

(↓クリックするとpdf が開きます)
もんじゅマネジメントの課題と対策


6枚目ぐらいのまとめを出してください。
「こういう理由でダメだったんです」というのが出てきたんですけど、

「潜在する根本的な課題と その対策」とか、いろいろ出してきたんですけど。
もんじゅマネジメントの課題と対策62
約束したことが実行できていない」とか、
同じようなミスを繰り返す」とか、
指示待ち体質」とか、
発電炉に対する経験不足」って、全然ダメなんじゃないか、っていう。

「わぁ〜っ!よく”もんじゅ”の反省点にこれを出してきたな」っていう…。
なんか聞いてて、読み上げるのを聞いている時に「えぇっ!」みたいな感じでしたよね。

「約束したとが実行できていない」って、そもそもダメな人間とかね。

ケン:PDCA不調を訴えられたりとかね。

PDCA(plan-do-check-act)
事業活動における生産管理や品質管理などの管理業務を円滑に進める手法の一つ。
Plan(計画)→ Do(実行)→ Check(評価)→ Act(改善)の 4 段階



Plan(計画)Do(実行)Check(評価)Act(改善)のPDCAのサイクルが「CAを全くやっていない」と言ってましたね。


その一番最後のまとめが、それもまたビックリするもので、

もんじゅまとめ

まとめとして、
長年染み付いた悪さ処を解消すべく

すごいな、こんな文章初めて見た!!
これじゃあ、もんじゅ 怒られるわ、っていう状況になっています。
これがJAEA(国立研究開発法人日本原子力研究開発機構)が書いてきた資料で、すごい読んでいて面白かったので、ちょっとこれだけご紹介しました。


おわり



南相馬・避難20ミリシーベルト基準撤回訴訟支援の会
11/10 講師はおしどりマコさん!:南相馬・避難20ミリ撤回訴訟支援の会連続セミナー(3)~深刻化する福島の子どもたちの甲状腺がん







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comment 0
11.23
Mon



FFTV<おしどりマコさん講演>
深刻化する福島の子どもたちの甲状腺がん
(南相馬20ミリ撤回訴訟支援連続セミナー)
2015年11月10日

文字起こし部分のYoutube →https://youtu.be/-j-gbbxZuKY?t=1h25m48s

本当に、20mSv撤回訴訟がね、問題で。
本当に思うんですけれども20mSvをね、原発事故の後受け入れるっていうのは、特定避難勧奨地点とか原発事故が起こった汚染地域の問題じゃなくて、本当ウチらに関わることで、どんどんどんどん、「全国どこでも20ミリぐらい当たり前になりますよ」みたいな話だと思うんですよ。

で、放射線廃棄物の特措法の取材をしていて、今年特措法のとりまとめが一旦夏に出て、その時に驚いたんですけど。
放射線廃棄物を調べていて、特措法ができる時の議論をずーっと調べていたんです。

「8000ベクレル/kgを国が責任を持って除染する」というそのラインを決めた時の、放射線審議会だったかな。
その法律ができた時に「数年後に施工状況を検討する」ということがもともと2012年に法律ができた時に決まっていて、それで施工状況検討会が立ち上がってとりまとめが9月に出たんですけど、私が取りまとめを取材してびっくりしたのは、突然今になって放射性廃棄物の再生利用ということが今年から言われ始めたんですね。
放射性廃棄物の再生利用、再生利用って一度でも利用したことがあったの?みたいなことでビックリして。

放射性廃棄物を「再生利用」!?
L.C.M.PRESS Oshidori Mako&Ken mako oshidori

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環境省
放射性物質汚染対処特措法の施行状況に関する取りまとめ(本文)


放射性物質汚染対処特措法の施行状況に関する取りまとめ
~資料編~



「中間貯蔵開始後 30 年以内の県外最終処分に向けて、除去土壌等の減容化」今までは減容化だけでした。
しかし今年から「再生利用」ということが、減容化と再生利用がセットで入っていました。

再生利用にできるだけ早い段階から取り組むことが重要である」と。

「減容化・再生利用に関する技術開発及び必要な環境整備を進めるとともに、情報の発信やモデル的な再生利用の取組等を通じ、安全・安心を確保しつつ、全国民的な理解の醸成を図っていく必要がある」と。

「特に除去土壌等の再生利用を推進していくためには、公共事業等での活用が重要であり、関係省庁・自治体と連携して進めて行く必要がある。」ということが出されたんですね。


「放射性廃棄物の再生利用」せっかく除去したものをまた使うみたいな話になってきていて、それで今年の1月に、まだ1回しかないんですけど、「中間貯蔵除去土壌等の減容・再生利用技術開発戦略検討会」というのが始まっていました。

環境省 中間貯蔵除去土壌等の減容・再生利用技術開発戦略検討会(第1回)

再生利用に関する技術的課題について



(↓マコケンのブログ 放射性廃棄物を「再生利用」!?より再生利用に関する技術的課題について
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「再生利用に関する技術的課題について」本当に議論が始まったばかりでまだ2回目はないんですけど、本当に議論の途上なんですけど、利用先の用途として道路用とか河川とか、鉄道や空港もあるんですけど、公園緑地造成、宅地造成にも利用される用途として入っているんですね。
それを、何をどこにどうやって使うかの議論が始まったところなんですけど、

じゃあどのレベルのものなの?」ということもまだ議論が始まったばかりで、

(↓マコケンのブログ 放射性廃棄物を「再生利用」!?より再生利用に関する技術的課題について
IMG_9142-1024x712.png

4300ベクレル/kgとか3000ベクレル/kg。
上層に30cmの遮蔽をして3000ベクレル/kg。
40cmの遮蔽で10000ベクレル/kgの再生資材という話になっていて。

8000ベクレル/kgのものを集めてきて減容化をして、それを薄めて全国に使うということが今年から話し合われています。

え?チェルノブイリでもこんなことしてたっけ?と思って、今同時に調べ始めているんですけど、放射性廃棄物の再生利用というのは、今後本当に注目しなければいけない議論で、どう広がっていくか?というのは重要だと思います。

それは「原発事故があってもなくても、どれくらいの線量を私たち国民が強いられるか」ということにつながっていくと思っていて、それが一部の地域では年20ミリとなると、もう本当になし崩し的に、どんどんどんどん高い線量を全国民が強いられる状況になっていくんだと思います。

なのでこの再生利用の話は本当に、ビックリするよね!
8000ベクレルのものを集めて3000ベクレル。そんなにそうそう変わらないんじゃないの?っていうのが驚きます。

ケン:地下がどうなるかわからない。
マコ:どうなるかわからないよ、そこを通った水もどうなるかわからない。
ケン:そうよね。
マコ:そこが崩れたらどうなるか、とかね。

本当に全然わからない話だと思いますよ。
こんな放射性廃棄物の再生利用というのは、今までやったことのない話だと思うので、とてもこれも問題だなと思います。



つづく



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11.22
Sun

最新の柏市甲状腺超音波(エコー)検査判定結果が出ました。
柏市11

千葉県柏市甲状腺検査「173人中、B判定6人とC判定11人で1割になる異常な数字」11/6原子力規制庁前抗議(文字起こし)」のブログを書いた時の9月30日までの結果と比べると下記のようになります。


  ~平成27年9月30日 →~平成27年10月31日
A1        61 →  73
A2        95 → 108
B          6 →   7
C        11 →  11
合計      173 → 199


平成27年7~9月分測定結果に関するお問い合わせが多く寄せられたため、「よくある質問」を掲載しました。「よくある質問」はこちらをご覧ください」と初めに書かれています。
B判定+C判定で全体の1割になるということで、たくさんの問い合わせがあったようです。


よくある質問
Q1 C判定が福島県「県民健康調査」と比べて多いのはどうしてですか。
C判定につきましては、結節やのう胞に限らず、比較的よく見られる甲状腺の疾患が疑われる場合も含まれます。確実に二次検査が受けられるように判定の対象としたため多いと考えられます。現時点では最終的な結果は出ておらず、福島県「県民健康調査」 と単純に比較できるものではありません。また、現時点ではがんと診断された方はいません。今後も継続的な調査をし、結果につきましては、まとまり次第、ホームページ等で公表していく予定としています。

Q2 A2判定を経過観察しないのはどうしてですか。
A2判定につきましては、のう胞については良性であること、また、結節についても微小であること、検査機器の精度が向上したことによってようやく見つかるようになったものであり、そのほとんどは良性であること、今後すぐに大きくなっていく性質にないこと等から、今般の検査における経過観察対象には設定しないと判断しました。

Q3 所見、診断内容は公表しないのですか。 
この検査は一次検査(スクリーニング検査)をしているものです。検査の結果、より詳しく確認いただくために二次検査を受けていただくものです。

Q4 比較的よく見られる甲状腺の疾患にはどのようなものがありますか。
単純性甲状腺腫
思春期頃の若い女性に多く見られます。甲状腺機能に明らかな異常はありません。

腺腫様甲状腺腫
甲状腺に大小さまざまの結節が多発し、全体的に腫れます。

バセドウ病
甲状腺ホルモン過剰により、動悸、頻脈、疲れやすさ、指のふるえ、眼球突出等の症状を呈します。女性に多い傾向があります。

橋本病 
甲状腺ホルモン不足により、寒がり、動作緩慢、皮膚の乾燥、便秘等の症状を呈します。女性に多い傾向があります。



おしどりマコさんは南相馬の講演で「単純に福島県民健康調査とは比較できない」とおっしゃっていました。↓

5福島県以外の自治体の甲状腺検査「単純に比較はできない」 11/10おしどりマコさん講演・南相馬(文字起こし)
なので怪しいものは専門医に回すというのがC判定になっていて、なので、福島県の検査より柏市であったり他の自治体。
柏市であったりというのは人数に対してC判定の割合が多めに出がちなんです。
福島県はちなみに今、それもちょっと問題あるなと思うんですけど、137人の悪性ないし悪性疑いですけど、いまのところC判定は一人しか出ていないんです。
なのに他の自治体ではC判定が6人とか、結構たくさん出ている自治体もいるので。

なぜそういうことになっているのか?というと、枠組みをそのまま使っていない、考え方が違うから。
とりあえず、自分はあんまり詳しくないから専門医に診てもらって、お願いというのが全部C判定に入っているっていうのが問題点の一つでもあります。



甲状腺超音波(エコー)検査測定結果・年齢区分別一覧(平成27年7月1日~平成27年10月31日)も公表されていました。
柏市12

それぞれの年代でまとめてみました。

合計数字
合計
全女子
全男子

幼児
幼児男子
幼児女子
↑幼児はほかの年代に比べて異常のないA1の率が高いのに、C判定がとても多い。幼児のA2には今後の注意が必要なのではないか。

小学生
小学生男子
小学生女子
小学生になるとすでにA1とA1以外の割合が逆転している。
すでに結節やのう胞を持っている子供の割合が増え、今後の注意がとても大切に見える。



中学生以上になると男女共検査人数がとても少ない。
少なすぎて表にする意味もないと思いましたが、作ったので一応載せておきます。
中学生は男子も女子もB、C判定はゼロだけど、A1よりもA2判定の人数の方が多くなっていることに注意したいと思います。
A2は「結節(5.0ミリメートル以下)またはのう胞(20.0ミリメートル以下)がある」ということです。
本来ならば、A1で「結節やのう胞は認められない」子供の方が多いのではないでしょうか?
小さくても、結節やのう胞が甲状腺に認められるということについて、もっと多くの子供達の検査の必要性を感じざるを得ません。

中学生
中学生男子2
中学生女子

高校生
高校生男子
↑合計4人のみの検査でA1が2人、A2が2人となっています。
高校生女子
↑高校生女子は、結節ものう胞も無い正常な甲状腺の子供が一人しかいません><。それ以外は全員結節やのう胞が認められています。

高卒程度
高卒程度男子
↑たった3人の検査のうち結節ものう胞も認められなかったのは一人だけです。
高卒程度女子


検査人数がとても少ない中、高校生女子、高卒程度女子に1名ずつC判定。
高卒程度には2名の女子にB判定も出ています。

なんらかの結節やのう胞を持っている子供が何もない子供に比べて多すぎると思います。

このような自主的な検診なので、心配に思っている人しか受けないという事実もあると思いますが、異常の全くないA1の率が非常に低いことが気になります。

単純に福島県や他県と比較はできないにしても、原発事故前にも、このように二次検査が必要になるような甲状腺の状態があったり、、または結節ものう胞もない子供がこれほどまでに少ないものだったのか?
「事故前は検査していないからわからない」と言われてしまったらそれまでですが、私は大変疑問に思いました。

私の個人的な感覚からすれば、結節やのう胞が無いA1と、結節やのう胞ができてしまっているA1以外の2種類に分けてもいいぐらいだとおもっています。
(それぞれの円グラフをA1とA1以外で見直してみると、何も無い子供が少なくてぞっとします)

多分、原発事故がなければ、子供達の甲状腺に、結節(しこり)とかのう胞(水の入った袋)なんて、できている人の方がダントツに少なかったはずだから。


癌にならなくたって、甲状腺の中にブツブツがあるというのは、そもそも健康な子供として考えた場合どうなんだろうか?


このような結果が出た以上、柏市は事故当時18歳以下の子供たち全員の甲状腺の検査をするべきです。








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11.22
Sun



FFTV<おしどりマコさん講演>
深刻化する福島の子どもたちの甲状腺がん
(南相馬20ミリ撤回訴訟支援連続セミナー)
2015年11月10日

文字起こし部分のYoutube →https://youtu.be/-j-gbbxZuKY?t=1h17m19s
2015111061


先週末に甲状腺学会があったんですね。
写真を撮ってもダメですし、録音もダメなので、必死に書き取るしかなかったんですけど。

私は、検討委員会と甲状腺評価部会で「数十倍のオーダーで多い」ということが出てから、「もともと潜在的に子供の甲状腺癌はいたんですよ」とずっと説明し続けていた、初代の検討委員会の座長、山下俊一先生に「今年検討委員会が出した甲状腺評価部会の取りまとめ、どう思いますか?」っていう、意見を一度聞きたかったんです。

「数十倍のオーダーで多い、スクリーニング効果ではない」というものが検討委員会の評価部会で出ていますよ」ということで、今年の8月に福島市で学術会議のシンポジウムがあって、そこに山下先生が出られるというのでバーッと走って行って、「山下先生〜!」って言って、聞きに行ったんですよね。
で、「甲状腺検査について少しお伺いしたいんですけど」っていうと、「おしゃべりマコ!!ノーコメント、ノーコメント!」ってダッシュで逃げられて、ね。
なんか、ちょっとびっくりしました。
「ノーコメント、ノーコメント!」で、全然コメントが取れませんでした。
ま、その学術会議もビックリな内容でしたけど。

それで、甲状腺学会ではどういうことをおっしゃられるのか?ということがとても興味があって、それで、山下俊一先生の最後のスライドのまとめの中からすごく書き取ったものがちょっと象徴的だったんですけど。

「マス・スクリーニングとがん登録の違い」もしくは
「放射線生物学と疫学のギャップを埋める努力」とか。
ま、簡単に言うと、山下俊一先生や県立医科大学の鈴木眞一先生は、今でも「スクリーニング効果で子供の甲状腺癌が増えているんだ」ということをおっしゃっていました。

それで「放射線生物学と疫学のギャップを埋める努力」という山下俊一先生のスライドと、ここの話は、今年出てきた数十倍のオーダーで多いという疫学者たちの検討を否定するような形での内容のお話でした。
「疫学、がん登録とスクリーニングは違うんだ」というお話を。

なので、今でも学会の方では「スクリーニングで多い」ということが話し合われていました。

すぐに私は山下俊一先生の言うことを岡山大学の津田先生にメールで「まだスクリーニングって言ってましたわ」って、送りました。

あと今年の学会でちょと。
会場が違っていたので私とケンちゃんと別れて行ったんで、私が話を聞いていた方には出てきていなかったんですけれども、
県立医科大の方で患者会を立ち上げるという発表がありました。
患者さんの対話の機会を設けるということが目的ということで、小児甲状腺癌の患者会を立ち上げるということが出されていました。
で、そのことについて県立医科大に色々と話を聞いているんですけれども、その回答は出てきていないという形です。

https://youtu.be/-j-gbbxZuKY?t=1h21m12s

甲状腺の話から少し逸れるんですけど、学会で海洋生物の国立環境研究所の堀口敏宏先生とおっしゃる方が発表されていて、甲状腺学会で海洋生物の発表?なんだろう?って思ったんですけど、国立環境研究所の堀口先生が、とても、こう、素晴らしい興味深い方で。

2013年に原子力規制庁の海洋モニタリング検討会というのがありまして、通称海モニって言うんですけど、そこに堀口先生は委員で来てらして、そこで取材をしていた時にとても色々話を聞いてくださって。

当時東京電力が原子炉の使用済み燃料にどれだけヒドラジンとホウ酸という化学物質を入れたのか?総量を発表していなかったんですね。
ヒドラジンやホウ酸など、そのほかいろいろな化学物質も放射性物質と同様、とても発ガン性の高い物質なので、それが海に垂れ流しになっているということで。
で、総量がどれだけなのかも出てこないというのがとても問題なので、この海モニという検討会で堀口先生に、「東京電力がどれだけホウ酸を入れたかヒドラジンを使ったか追及してくれませんか?」っていうことをお願いしたんですね。

そうすると堀口先生がとても聞いてくださって、規制庁や東京電力に突っ込んで、毎回毎回聞いてくださって。
で、結局、全5回だったんですけど。
わかったことは、「2011年事故発災当時はとても混乱していたのでホウ酸をどれだけ入れたかわかりません」ということが出てきました。

堀口先生は「それはさすがにおかしいだろう」と。
「何かしら、どこに何があったのか、メモとか、購入量とか、保管量とかすらないのか?」というと、
「津波で流されたものもあり、混乱の中どこにどれだけなのかわかりません」ということで、結局ホウ酸がどれだけ2011年に投入されたのか?というのは出てこなかったんですよね、驚きました。


で、その堀口先生が甲状腺学会で発表されることっていうのはどういうことなんだろう?
それが興味深かったですね、ケンちゃんが聞いてくれたんですけど。

イボニシという貝の調査についてだったんですね。
簡単に言いますと、
原発を中心にした広野町から双葉町を含む30kmのあたりでイボニシという貝がほとんど観察されないことがわかった。
ということだったんです。
宮城県や岩手県、福島県の北部の地点と比べると、
30kmのあたりでは全く見られないんですけど、その他では年月が経つにつれて、一旦津波で無くなったけれども。

img_0_20151120081930e61.jpg
イボニシ

ケンちゃん:
最初は「津波で無くなっていなくなったんじゃないか」と言われていたそうなんですけど、原発の周辺で、30km以外の地域はどんどんどんどんイボニシが戻ってきたそうです。


マコ:
それで、堀口先生は有機スズ汚染の関連でイボニシの全国調査を25年続けてらして、とてもイボニシを見つけるのが上手なんですよね。

25年イボニシの調査をしてきたけれども、30kmの範囲でイボニシがほぼ全く採取されなかった経験は皆無である」ということでそういう発表をされていました。

これの原因が何なのか?というのはわからないんですけれども、海洋生物のあきらかな減少が見られるという報告をされておられましたね。

堀口先生、ま、ほんとうに海洋生物とか、イノシシとか農林水産系の学会では、原発事故の影響で海洋生物なり牛なり鳥なりなんらか影響があるということが既に発表されていて、学会ではそういう論調になんだけれども、甲状腺学会にこられて「人間の学会だけは絶対にに影響云々はないって今でも言ってるね」とおっしゃっていましたね。
「これだけ他の学会が違うと言っているのに、他の生き物と違うのね」みたいなことを堀口先生はおっしゃっていましたね。
それが甲状腺学会では一番異常だと思いました。



つづく


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11.21
Sat



FFTV<おしどりマコさん講演>
深刻化する福島の子どもたちの甲状腺がん
(南相馬20ミリ撤回訴訟支援連続セミナー)
2015年11月10日

文字起こし部分のYoutube →https://youtu.be/-j-gbbxZuKY?t=1h3m20s
2015111011


つまり甲状腺に関する問題は、事故直後の線量評価が、実測値がほとんどないこと。
で、その上、今の段階で数十倍に増えているということに関して、疫学者であったり現場の先生方が、
「やはり南方向で少し気になる」と。
福島県を超えてもきになる傾向があるという。
全然違うアプローチから同じ答えを出しているということ。

南方向というのは、さっきの事故直後の1080人の被災者生活支援チームの調査でもあるんですけど、SPEEDIとか諸々の実測値で、「南方向への放射性ヨウ素の濃度の高いプルームが流れている」ということはもうわかっているので、やはり南方向がとても気になるということですね。

1080人の調査でもいわき市の4歳児が最高のマックスの値を出しているということ。
で、これは津田先生がおっしゃっていたんですけど、
南方向への濃いプルームが通った時は、いわき市や福島県内では比較的朝の早い時間だったんですね。
茨城県や東京に流れてくるにつれて、だんだん昼過ぎになっていくわけで、そして人口密度も高くなってきますし。

なので、「発生率は低くても人口密度が高く、そして比較的外に出ている時間帯にプルームが流れてきた方が、患者数としては、ひょっとしたら出てくる罹患者数としては多いかもしれない」ということを津田先生はおっしゃっていましたね。

今すごく取材しているのが、福島県以外の自治体で、どこが甲状腺調査をしていて、どういう結果を出しているのか?というのをずっと今いろいろ調べているんですね。

やっぱり茨城県が一番自治体で検査をしているところが多いです。
これは、北茨城市の今年の市議会を取材してきたんですけど、北茨城市の検査が一番福島県に近い枠組みで、ま、それぞれやり方が違うんですけれども。

茨城県で無料検査をしているのは、北茨城市と東海村と高萩市と、大子町町ですね。
甲状腺検査の助成をしているのは、無料検査じゃないんですけど、「甲状腺検査をするんであれば3000円、もしくは5000円助成をしますよ」という形にしているのが5つありまして、かすみがうら市とつくば市と牛久市と常総市、そして龍ケ崎市。

千葉県では、松戸市と柏市が助成をしていて、
栃木県は日光市と那須町。
宮城県の丸森町では無料検査をしていました。

今年、最近情報公開、結果を出してきたところ、北茨城市や松戸市や柏市に取材をしたんですけれども、結果から言いますと、北茨城市は本当に一番大きな検査をしていて、2011年3月11日に北茨城市にいた18歳以下全ての北茨城市市民に無料検査をしているんですね。

その上、福島県と同じように「甲状腺検査を無料にするから受けるように」という通知も全員に出しています。
そういう大掛かりな検査をしているのは、北茨城市のみです。


で、市議会も行ったんですけれども、1巡目の検査を終わってとりあえずとりまとめを出したんですけれども、2年後にもう一度2巡目の検査をするということを市長は明言をしています。

2巡目の時も市長は任期中ですので、議会の方もそれに異論はないということで、北茨城市はその全員に対する無料の検査を2巡目もするということまで決まっています。

そういう自治体は私が調べた限り、北茨城市だけだと思います。

その他助成をしているところもあるんですけれども、松戸市や柏市もこの間結果を出してきて。
で、しゅざいをしていて「いちばん問題だな」と思ったんですけど、
甲状腺検査の判定のところにA1 A2 B C 。

2015111051

福島県の検査でA1 A2 B C 判定という枠組み。
これは2011年に初めてできたものなんですね。
甲状腺の検査をするにあたってどういうふうな枠組みを作っていくか。
どういうふうな診断基準を作るかを2011年に議論があって決めたんです。
これは私は2011年の検討委員会で当時取材をしていて、この診断基準を作る別の非公開の委員会が行われていました。
なので、それを知らない人が各自治体の担当の中に多いんですね。
このA1 A2 B C というのは、甲状腺外科学会とか、日本の診療ガイドラインに元々あったものではなく、2011年の原発事故の後、福島県の子供38万人に検査をしていくためにどういうふうに分けていくか?という議論の時に作られた枠組みなんです。
福島の38万人の子供達のために作られたものなんです。

なのでこのA1 A2 B C を他の地域の地方自治体が使っているというのは。
そしてこのB判定 C判定が福島県のA1 A2 B C 判定と異なる自治体がいくつかあるんですね。

なので他の自治体がA1 A2 B C という測定結果を出してきたとしても、単純に比較は全然できない状況になっているんです。


で、福島県の検査の枠組みが、細かい枠組みがですね、
このA2 と B判定の間のラインをどうするか?だったんですね。
結節5ミリ以下のう胞20ミリ以下。
結節5.1ミリ以上、のう胞20.1ミリ以上。
ここのラインで区切っていいかどうか?というのが甲状腺の専門医たちの 議論でした。


で、4ミリ3ミリのいわゆる微小がんと言われるのは A2判定になってしまいますので、それでも問題のあるものは、怪しいものはBにするというのもあるんですけど、この結節5ミリというラインが微小がんだった場合どうするの?という議論があったんです。

でも、福島県の検査だと20歳以下は次の検査は2年後、20歳を過ぎたら5年後なので、A1 A2 判定になったとしても、経過観察は続くんですよ。
A1 A2 判定になったとしても2年後、もしくは5年後にずーっとエコー検査をしていくということなので、2年ごとにみるという前提のもとで5ミリ以下、20ミリ以下というラインが決まったんです。

なので、この福島県の枠組みを他の地方自治体がたまたま1回だけ検査をする時につかうと、福島県ではここは経過観察に当たるんですけど、経過観察がひょっとしたら必要になる人がいるかもしれないのに、一回こっきりの検査で「経過観察なし」になってしまうかもしれない、「異常なし」になってしまうという。

福島県の検査A1 A2 B C というのを他の自治体が使っているというので、そういう問題が出てきます。

実際いくつかの自治体の保健所であったり健康増進課の担当の方と話したんですけれども、このA1 A2 B C の枠組みが2011年に福島県で作ったということをご存知ですか?って。
今日も聞いたんですけど、「知りませんでした」と言われました。

「お医者さまがたに任せていて知りませんでした」
「子供の甲状腺のガイドラインだと思っていました」
というふうに答えていました。

なので、各自治体の検査はとてもありがたいですし、どんどんやっていっていただきたいんですけど、でも当地でやっているということで、検査をしても比較するデータに全然なってきていないという現状もあるんですね。

で、各自治体で検査をしている場合、大抵市立病院の小児科の内分泌科の先生がみることになったんですけど、とても嫌がっていて、「そんな検査とても責任を持ってみられない、子供の超音波エコーなんて」というふうに言って断られても「これは匿名で」と、どこの市かは言いませんけど。

なので、「サイズを見ることぐらいだったらできるから、とりあえず結節5ミリ以下のう胞20ミリ以下、このラインを振り分けるということ、一次スクリーニングだけで、怪しいものは全部専門医にまわす」という形の自治体もあるんですね。

なので怪しいものは専門医に回すというのがC判定になっていて、なので、福島県の検査より柏市であったり他の自治体。
柏市であったりというのは人数に対してC判定の割合が多めに出がち
なんです。

千葉県柏市甲状腺検査「173人中、B判定6人とC判定11人で1割になる異常な数字」11/6原子力規制庁前抗議(文字起こし)



福島県はちなみに今、それもちょっと問題あるなと思うんですけど、137人の悪性ないし悪性疑いですけど、いまのところC判定は一人しか出ていないんです。
なのに他の自治体ではC判定が6人とか、結構たくさん出ている自治体もいるので。

なぜそういうことになっているのか?というと、枠組みをそのまま使っていない、考え方が違うから。
とりあえず、自分はあんまり詳しくないから専門医に診てもらって、お願いというのが全部C判定に入っているっていうのが問題点の一つでもあります。



Q:福島県は検査の基準を「こういうことでやる」って全国に知らせたんですか?
A:それもないです。例えば東京でもそうですけど、東京で普通に子供の甲状腺をみてもらって、こういう枠組みの診断はされません。本当に福島の検査のみの枠組みなので、教科書であったり、2011年以降も診療ガイドラインにも別に盛り込まれていません。これは本当に福島県の38万人の子供の検査をするときに作られたもので、その他に流用するというのを考えてなかったんです。
Q:でも流用されている。
A:流用されているんです。
それで流用しているところが、2011年に作られたものだということを理解ぜずに使っている場合もあるんです。



つづく



<甲状腺検査>北茨城市平成26年度の結果 3593人中3人が甲状腺ガン〜「放射線の影響は考えにくい」

<甲状腺検査結果>福島県と福島県以外〜2015年3月31日現在〜A1,A2,B,C

千葉県松戸市の甲状腺検査〜2015年7月末までの結果

千葉県柏市甲状腺検査「173人中、B判定6人とC判定11人で1割になる異常な数字」11/6原子力規制庁前抗議(文字起こし)



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11.20
Fri


FFTV<おしどりマコさん講演>
深刻化する福島の子どもたちの甲状腺がん
(南相馬20ミリ撤回訴訟支援連続セミナー)
2015年11月10日

文字起こし部分のYoutube →https://youtu.be/-j-gbbxZuKY?t=38m14s

清水先生がおっしゃる。
「福島の原発事故があって、住民の人たちはそんなに被曝していないから」という根拠になっている事故後の住民の方々の線量評価というのは、内部被曝を測っているもの、甲状腺を測っているものはほとんどないんです。

で、本当に福島県飯舘村の方々が2011年の3月4月から「村の子供を10人でいいから測ってくれ」と。
そういうことを本当にあちこちの厚労省、教育委員会などに要望書を出したんですけど。
自分たちでバスを手配して飯舘村の子供を運んでいくから、10人でも20人でもいいから、内部被曝をなんとか測ってくれ、甲状腺を測ってくれ」というのは、どこも聞いてくれませんでした。

甲状腺に影響がある放射線ヨウ素は8日で半分になってしまう。
半減期が8日なので、80日、8日の10倍ですね。
半減期が10回くると、1024分の1になるんです。
なので、どれだけ放射ヨウ素を吸い込んで被曝
をしても、数ヶ月、半年とか経って測っても、一切、その放射線ヨウ素がどれだけ体にダメージを与えたか、ということは測ることができないことを2011年の3月に飯舘村の若い方は気づいて、
「半年後とか1年後に測ってもしょうがないから、3ヶ月以内に村の子供たちを測ってくれ」
「ヨウ素がなくなる前に測ってくれ」ということを要望しまくったんですけど、どこも、本当に測ってくれなかった。

そのあとになって、
「健康被害を評価する住民の内部被曝の事故直後のデータが無いから推計しかできない」と、どこの検討会でも話をしているんですけど。
私は個人的に、本当に彼らと一緒に「頼むから子供の甲状腺を測ってくれ」「内部被曝を測ってくれ」というのをお願いしてまわって、ホールボディーカウンターが当時日本に何台あるのか?稼働率がどこなのか?使っていないホールボディーカウンターがどこの大学にあるのか?ホールボディーカウンターを外国から日本に入れているキャンベラ社の事務所がどこにあるのか?というところまで調べて、
キャンベラ社が西浅草かどこかにあったんですよね。
「申し訳ないけれども、貸してくれないか」とか、
「とにかく村の子供を測ってくれないか」とか、
本当に手当たり次第頼みに行って、どこもダメだったことがあって。

それはやっぱり「事故直後のデータが無いので推計しかできない」と言われることにはすごく腹がたつんです。

で、公的なデータ、そしてシンポジウム、こういう公的なもので、住民の事故直後の数少ない残っているデータというのは3つと言われています。

一つ目は、1080人当時の被災者生活支援という内閣府いわき市と飯舘村と川俣町の子供たちの甲状腺を測った1080人のデータがあります。
2011年の3月24日から夏までに、その三箇所で1080人測ったんですね、それが一つ。

甲状腺から放射性ヨウ素が見つかったニュース
子どもの被ばく検査結果 削除


子ども「甲状腺被ばく」、保護者に説明 と福島の子どもたち 文科省、保安院に会う 



もう一つは弘前大学の床次(眞司)先生が研究室の方々で福島に入って、事故直後の浪江町や南相馬の方々の甲状腺を測ってました
それが二つ目の内部被曝の結果です。

住民65人中50人から放射性ヨウ素を検出、5人が国際基準の50ミリシーベルト超え
甲状腺被ばく…弘前大調査


「不安あおる」と県に止められた甲状腺初期被ばく調査3/11報道ステーション(内容書き出し)



もう一つは長崎大学の松田先生が、事故直後長崎の方に避難してこられた方々をホールボディーカウンターでとったという、その三つが事故直後の内部被曝の実測値として存在していて、いろいろ議論の俎上に上がってくるんですね。

2011年には誰がどこで調べてきているのかっていうのは本当に無かったので、誰か測られた人いないですか?測ってた?みたいだったので、データが出てくる前にほぼすべての人に当たってたんですよね。

まず内閣府、被災者支援チームが測った1080人のデータ

まず長崎大学の松田先生なんですけど、

本当は住民の方々を測ったデータというのは、どの先生がいつどこに入って誰が測ったのか?というのを本当に手当たり次第当たったので、まだオープンになっていないデータってあるんですよ。
でもそれは論文にもなっていないし、発表もされていない。

でも手がかりを探していろいろ情報開示を精査してくださる方もおられて、
これは松田先生が雑誌に投稿している記事の中に出てくるんですけど、

201511107

事故直後、福島県立医大の保育園を訪問して、園児たちや職員の甲状腺線量を測った」という文章があったんですね。
それを見つけてくださった方がいて、これを情報開示請求しました。
これは表に出てきていないデータだったんで。

そうすると、いったん出てきたのが、ちょっと驚愕だったんですよね。
甲状腺検査の測定結果が、「データが保存されている可能性があるハードディスクが故障しているため不開示」だったんです(苦笑)
ドリルで壊したぐらいの、ね。
不開示の理由がなんか、ひどくないですか?
他に訪問しているところもあるでしょ、一箇所っていうことはないでしょ、というので思って、ま、一回目は不開示でした。

これはおかしくないか?コピーが絶対にどこかにあって、「ハードディスクが故障しているから不開示だっていうのはそれはひどいじゃないか」っていう記事を書いたんですね。
そうしたら情報開示請求の方のところにその後連絡を受けました。
「ハードディスクが直りました」という。
すごく、わかりにくい、読みにくいデータだったんですね。
結局、これが何か?どういう意味なのか?わからない。
3月17日に測った」とおっしゃっていました。
3月17日に測ったのがこちらなんですね。

201511108

いまお名前とか全部伏せていて。
で、気になったのは、これね、たぶんミスタイプなんですけど、
「バックグラウンドが高すぎる」というミスタイプを打ったんだと思ったんです。
これ、ミスタイプだからこそ黒塗りじゃなかったと思うんですね。
「位置からいっても低い場所がない」

これで長崎大学の松田先生に直接メールでいろいろ伺いました。
「この資料について教えてほしい」と。
「これはどういう意味なのか」ということを教わりました。

で、この1というのがバックグラウンドだそうです。
当時バックグラウンドが、室内なんですけど、「室内で測定した」とおっしゃっていたんですけど、毎時1マイクロシーベルトだと。
それでこっちが子供達やお母さんの喉にNaIシンチレーションをくっつけて測定した数字なんですけど、ちょと驚いたんですよね。


バックグラウンドが1で、喉が1.5なんですよ。1.15とか、

そんなに差があるということは、結構甲状腺の等価線量が高くないかなって驚いたんです。

なので松田先生に、「これがバックグラウンドでこれが測定値だとすると、かなり差がないですか?」と聞きますと、
松田先生は「測定の考え方として3倍程度は誤差なので、毎時1マイクロだと3マイクロぐらいまでは誤差の範囲内なので、問題はないです」って言われました。

「3マイクロまでは誤差だ」って言われるけれど、それで甲状腺に限らず測定されている方々にね、「これは本当に3倍程度誤差だから問題ないって言っていいのか?」っていろいろ聞いたんですけれども、「すごくセンシティブなデータなので、名前を出して名言することは避けたい」とおっしゃりながら、「3倍ぐらいは誤差という測定機器の考え方はあるけれども、人体の計測に関しては全く別で、もっときちんとした考えがあるので、そのまま当てはめるということ。これはすごく重要なデータなので少し乱暴すぎるのではないか」という意見が、やっぱり多かったですね。

松田先生は、このデータをお持ちなのに何故これを議論の俎上に出してこない?と。
使えないデータだとしても、一応本当に手がかりが何もないという今の状況で、少なくとも、「測定のやり方などいろいろ問題があったにしろ、何か、きちんと補正して使えるようにしてくださる研究者の方もいるんじゃないか」という話をしたんですけれど。

これ、3枚あるんですよ。
3月25日と。
3月25日はバックグラウンドが0.22になっていて、そんなに高い方はおられないんですね。

3月29日
バックグラウンドが0.3で、これももう、バックグラウンド程度なんですよ。

だから一番バックグラウンドと差があったのが3月17日の計測で、
バックグラウンドが1ぐらいで甲状腺調べると1.5というのはとっても差があるんじゃないかと思います。

これは本当に全然出てきていないデータなので。
多分本当にまだ、測っていて外に出てきていないデータというのはあるので、全部データが出揃っている、ただでさえデータが少ないのに、持っている、実際にあるデータすら外に出てきていないというのは本当にひどいよね。

https://youtu.be/-j-gbbxZuKY?t=49m19s
先週末に甲状腺学会があって取材してきたんですけど、
そこで長崎大学の山下俊一先生が「内部被曝のデータも外部被曝のデータもすべて出揃ったのでもう議論の俎上に上がっています」と言っていて、出揃ってないデータがどれだけあるか言ってやろうと思ったぐらいでしたね、あの時ね。

少なくともこれ(長崎大学松田教授のデータ)は出てきていません。


それで、今一応外に出てきているデータが1080人の被災者生活支援チームのデータ、直後に測ったデータと、弘前大学の床次先生と長崎大学松田先生が長崎に来られた方々を測ってくれた。
で、2011年3月24〜30のデータが、まだ公にオープンになる前に物理学者のちらっと一瞬出てきたんですよね。

201511109

2011年3月24日〜30日
測定した順番が、いわき市、飯舘村、川俣町の順番で測定したんですね。
それで私はこの測定したものにちょっと驚いて、何故かというと当時福島県の飯舘村がとても空間線量が高くて、そこに住民の方々が住んでいたので、飯舘村の子供達が一番被曝しているんじゃないかと。
何故飯舘よりいわきの方を先にスクリーニングしたんだ?ということを当時取材しました。

そうすると出てきた回答は「甲状腺に一番影響を与える放射性ヨウ素は、飯舘ではなくいわき、南の方向に高濃度のプルームが一番に流れたので、甲状腺のダメージを測るのは、いわきを一番にするというのが順当だ」と。
「いわきの方が甲状腺の等価線量は高いだろうということで一番にした」と。
その当時1080人の子供たちをスクリーニングした中で、一番線量が高かった子供はいわき市の4歳児の男の子で、甲状腺の等価線量で35mSvでした。
それがMAXの値で。

これで、飯舘村でこの検査を受けたのが、そしてその検査を飯舘村の方面として手伝った方を取材したんですね。
そうすると、「空間線量が、バックグラウンドが高すぎて、測定する場所がない」ということが非常に問題になっていて、で、これは今でもわりと疑問に思っているんですけどね。
6月の段階で出た資料は「全員2マイクロシーベルト/hを超える値は観測されなかった」ということになっているんですよ。
で、その後に出てきた、結果を書いてきたデータは、これが2じゃなくて0.2になっているんですね。

何故2と0.2と数字が違うか?というと、
当初間違えて毎時2マイクロシーベルトというのをスクリーニングレベル、高いか低いかという境界線にしたけれども、それでは高すぎるので、その後0.2に下げたから、公に出ているデータはすべて0.2マイクロシーベルト毎時がスクリーニングレベル、境界線になっているんですけど、その飯舘村の測定を手伝った方に聞くと、当時本当に室内でも2マイクロ以下になるところがなかったので、0.2以下というのは本当に。
2マイクロ以下を探すのが大変だったので、0.2以下というのは有り得たんだろうか?」ということをおっしゃりましたね。

なので、結局スクリーニングレベルが2なのか?0.2なのか?ということを取材したんですよね。
それでこれを発表した先生、東京大学の先生だったんですけど、大塚(孝治)先生に聞いてみようと思って、「結局2だったんですか?0.2だったんですか?」みたいな。

↓写真をクリックするとpdfファイルが開きます
2015111010


記者会見で、この被災者支援チームの測定の回答をしてきた原子力安全委員会が「0.2です」ということをおっしゃるので、なので、じゃあ、この学会で発表された「2マイクロシーベルト/hがスクリーニングレベル」というのは違うんですか?って(原子力安全委員会に)聞くと、
多分、発表された先生がお間違いになったのでは」みたいなことを言われたので、VTRも持っていますよね。
東京大学の先生に電話して、「安全委員会が発表の数字を間違えて『大塚先生が間違えてる』って言っていますよ」みたいなことを、全然ね、東京大学は取材とか受け付けてくれなかったんですけど、「わかりました、じゃあ、伝言を大塚先生に伝えてください。原子力安全委員会が『発表の数字間違えている』って言っていましたよ」って言った2分後にすぐ電話がかかってきて、「いない」って言われたのに。

誰が間違ったって言ってるんですか!あれは確かに2なんですよ!!

東大の先生が間違っているというと、やっぱりすぐに怒って電話がかかってくるから面白いなって。
かかってきました。
確かに2だ」っておっしゃっていました。

「0.2だ」って安全委員会が言っているんですけどってことを言うと、
いやいやあれは確かに実施した、
ま、大塚先生が現場で実際に測られたわけではなく、他のチームがやったものを取りまとめて発表した。物理学者の取り組みとして発表して、実際に測った先生じゃなかったんですけど、何度も確認して。

物理学者が桁数を間違えるっていうのがどういうことかわかってますか!!!」って怒られて。

「そうですね、そうだと思いますよ」みたいな。
「2」だっておっしゃっていました。


それで、この検査の問題は、バックグラウンドが、さっきの松田先生もそうなんですけど、高すぎるんですよね。
飯舘村の方々が検査をして、結局3月に検査をしたんですけど、ずっと検査結果の数字が返ってこなかったんですよ。
なので「それはおかしい」ということで彼らと一緒に「検査結果を返してくれ」「なんで検査結果を返さないんですか?」と質問し続けると、2011年8月に説明会を開いて、甲状腺を測定した方々にその数字を説明して返す、という説明会が開かれました。

それも取材に行ってきたんですけど、そこで言われたことは、
当時の、事故直後の測定はバックグラウンドが高すぎたので、正確な数字ではない」と。

できるだけ部屋の除染をして、子供たちの服を脱がして、そして濡れタオルで拭って、できるだけ付着しているものを取って、3回線量計を喉に近づけて、3回測定して、その平均の値を測定結果とした」と。

「そういう考え方で測定をしたけれども、この検査で、」ま、こういうことを本当におっしゃったんですけど。
「この測定でゼロという値が出たからといって、たまたま、この考え方の測定でゼロという値になったのであって、被ばくしていないということではありません」という説明をされていました。

なので、「兄弟で甲状腺の等価線量が高いか低いかという傾向は、グラフの人数分布はあっているけれど、その人数分布の山が高い方に行くのか、低い方に行くのかはわからない」ということをおっしゃっていましたね。

なのでこの測定結果を持って健康問題は何も説明ができない、評価ができないということをおっしゃっていました。
それが1080人の結果。





https://youtu.be/-j-gbbxZuKY?t=57m35s

それで、弘前大学の床次先生が浪江町と南相馬の方々を測定して、発表したのは最高値の甲状腺の線量が87mSvというとても高いものだったんですよ。

住民65人中50人から放射性ヨウ素を検出、5人が国際基準の50ミリシーベルト超え
甲状腺被ばく:5人が50ミリシーベルト超…弘前大調査


そういう測定結果が発表されたのでちょっと驚いたんですけど、その数ヶ月後に80mSvから30mSvに下方修正されました。

それが、なぜ下方修正したのか?というのがとても疑問だったので、弘前大学の床次先生に甲状腺の評価部会のことを聞きに行きつつ床次論文についても聞いてみようと思って、ずっと聞きたかったことを聞いたんですよ。

なぜ80mSvから30mSvに下方修正したのか?

それは、その被験者が3月12日の被ばくだと。
放射性プルームに接触したのが3月12日だという計算をすると、80mSvになるけれども、3月15日に飯舘方向の北西方向への放射性プルームの濃いものがきて。なので3月15日に初期被ばくをしたという評価をすると、ヨウ素は半減期が8日と短くどんどんどんどん減っていくものなので、12日から15日、たった3日の補正で80mSvから30mSvに下がるんです
という説明をされました。

ほぉ〜、なるほど。「床次先生がそう説明されることは計算済みです」と思いながら。

じゃあ、その80mSvから30mSvに下がった方は、行動記録を詳細に調べて、3月12日のプルームには遭遇せず、15日のプルームに初めて当たったんですか?と聞くと、
そこに関しては床次先生はハッキリおっしゃらないんですよ。

それで、浪江町と南相馬の方々の測定だったので、
「じゃあその3月15日のプルームに初めてあったとおっしゃる方はどちらの方なんですか?」と聞くと、
「南相馬の方」だったんですね。

でも、南相馬の空間線量が一番初めに上がったのは3月12日なんです。
なので、「南相馬の方であれば、3月12日の放射性プルームに初めてあったと評価してもいいんじゃないですか?」とさらに聞くと、床次先生
3月12日に被曝したヨウ素と、3月15日に被曝したヨウ素と分けて測定することはできないんですよ

「そんなことわかってますよ」みたいな感じだったんですよね。
「何を言ってるんだ」みたいな。

端的に言いますと、なぜ床次先生が当初発表した甲状腺の等価線量80mSvのものから30mSvに下方修正したのか?という、私は納得のいく回答はもらえませんでした。

ずーっと「プルームに接触した日にちが」とか、「当初はあまり情報がなかったから」みたいなことをおっしゃるんですけど、「12日のプルームだと思っていたら15日だった」とかおっしゃるんですけど、この時は妙に説明がおかしかったね。

行動記録を詳細にとって何時何分どうこうということで初プルームが15日だったのか?そこまで詰めての話なのか?と聞くと、それはお答えにならない。
「そうではない」ということでしたね。

床次先生も事故直後の測定について、「とても空間線量が高かったから苦労した」というこをおっしゃっておられました。

すごく興味深かったんですけど、その方々を測ったのも、
本当に空間線量が高すぎると喉が高いかどうかって、やっぱり測れないんですね。
周りが高すぎると。
で、ちょっとこれはいい知恵になったなと思って面白かったんですけど。

床次先生が探してなんとか見つけたホテルにスナックがあって、カラオケができるスナックで、防音がものすごくされているスナックだったんですね。
そのホテルはどこも線量が高かったんですけど、カラオケルームだけきちんと二重扉で防音だったから線量が低かったんですって。
「だから、ホテルのカラオケルームが測定するのちちょうどよかったんですよ」っていうことをおっしゃっていて、
「これはちょっとした豆知識だな」と思って、ね、これはびっくりしました。


つづく











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11.19
Thu


FFTV<おしどりマコさん講演>
深刻化する福島の子どもたちの甲状腺がん
(南相馬20ミリ撤回訴訟支援連続セミナー)
2015年11月10日

201511105

文字起こし部分のYoutube →https://youtu.be/-j-gbbxZuKY?t=28m28s
6月にオープンになったのは、厚労省の家計費事業の報告書なんですね。
「食品安全行政における政策立案と政策評価手法等に関する研究」
一見すると原発事故の雰囲気とか全然ないんです。全然ないんですよね、中身もね。
目次にも一切書かれていないんですよ、甲状腺癌のことが入っていることは。
でも、巻末のほうに入ってまして、

福島県甲状腺がんの発生に関する疫学的検討」という報告書が盛り込まれています。

(P53〜)↓クリックするとpdfが開きます。
201511104

これは渋谷健司 先生、東京大学の先生ですね。
すごく簡単に言いますと、先ほど説明した甲状腺評価部会、検討委員会の中で子供の甲状腺の超音波検査について評価する評価部会の中で、岡山大学の津田先生、疫学者として津田先生は県の検査や人数に対して別の考え方を持ってらっしゃるから、評価部会に読んでお話を聞いてはどうか?ということを春日(文子 )先生が提案されたんですけれども、実際それは実らなかったんですね。

評価部会のほうに津田先生を呼んで話を聞くということは成立しなかったので、その代わりといったような疫学検討会が行われました。

渋谷先生と春日先生、そして津金昌一郎 先生、先ほど数十倍のオーダーで多いという資料を出された方ですね。
国立がんセンターのセンター長です。
この3人が甲状腺評価部会の委員なんですね。

で、宮川(昭二)先生が名前を連ねていますけれど、いらっしゃらなかったです。
そこに岡山大学の津田(敏秀)先生。
先日海外特派員協会で会見された津田先生ですね。

津田教授の海外特派員協会での会見文字起こし
<甲状腺癌>「日本全国と比べ最も高いところで約50倍、低いところでも20倍の多発が起こっている」津田敏秀教授会見10/8(文字起こし)

<質疑応答>「福島県に住み続けなければならない人に詳細な情報を与えることで有害な曝露は桁違いに少なくなる」津田敏秀教授会見10/8(文字起こし)



熊谷(優子)さんはオブザーバー的な書記みたいなことをされていたということでした。

この検討会は3人の評価部会の委員の先生が、疫学をやってられる方々と、考え方の違う岡山大学の津田先生と同じ疫学の先生が福島の子供の甲状腺癌について意見を交わし合った要旨が書かれているんですね。

201511105

これは私はすごく驚いたんですけど、結局この後に岡山大学の津田先生に取材に行きまして、
「津金先生、渋谷先生、甲状腺評価部会の委員の側の疫学者の方々と、岡山大学の津田先生の意見が反するものではなかった」
と。
「やはりスクリーニング効果だけでは説明がつかない。やっぱり多いんじゃないか」というのが共通の見解だったそうなんですね。

私はこの報告書を見て驚いたんですけど、ここで度々文章に上がってくるのは、福島県だけじゃなくて、
福島県と周辺の県については、がん登録を推進し、がん登録と県民手帳(被ばく者手帳)を組み合わせフォローアップする必要があること」などなど、周辺県についての調査もこの報告書の中で度々文章としてあがっているというのが驚きました。

ここの報告書の中にも出てくるんですけど、「周辺の県、特に茨城県」というふうに県名があがっています。

で、津田先生に「茨城県はフォローアップが必要なんでしょうか?」と質問しますと、
津田先生の現場では、福島県の中で地域別に子どもの甲状腺がんの発生オッズ比というものを計算しますと、原発の南方向の方が発生オッズが高めだそうです。

なので、「南と接している県の茨城県、栃木県などをもう少しフォローアップする必要があるんじゃないか」ということをおっしゃっていました。

津田先生は「発生オッズ比というのを計算しないとダメなんだ。福島県ではパーセンテージだけを出して見ていて、パーセンテージを出してもダメなんだ」ということをおっしゃっていました。


一応この報告書が出たんですけれども、まあ本当に、表紙を出してもらえますか。


これは、周辺の県について初めて言及した、「周辺の県の健康調査をフォローアップするべきだ」という件で厚労省の科研費(厚生労働科学研究費補助金)事業、割と公のものとして出てきたとりまとめとして初めてものもじゃないかと思うんですけど、なんていうんでしょうね、
タイトルが「食品安全行政における政策立案と政策評価手法等に関する研究」なので、普通にGoogle検索なんかしても絶対に出てこないんです。
この文言を入れないと。
なので、これは私も今年はすごく注目しました。

201511106

茨城県についてなんですけど、清水一雄先生、甲状腺評価部会の部会長。
病院に取材に行った時に清水先生と積もる話をして、
福島県外での子供の甲状腺がんについて、私も取材をしていて聞きますので、清水先生に「そういう話はありませんか?」と。
「私は結構聞きます」みたいな話をしてたんですね。

やはり清水先生も、関東で甲状腺の専門医として長年にゃってらっしゃいますので、やはり「同じ業界の先生から聞く」と。
デイズ(DAYS JAPAN 7月号)にも書いているんですけれども、同業の医者と話していてやはり、「茨城県の県北はとても気になる」ということを清水先生はおっしゃっていました。

このあと各自治体の調査についての話もしようと思うんですけど、

この間北茨城市が、8月末に、北茨城市の子供の甲状腺癌を調査して、「3500人程度調査をして3人悪性な石悪性疑いが出た」ということの発表があったんですけれども。

<甲状腺検査>北茨城市平成26年度の結果 3593人中3人が甲状腺ガン〜「放射線の影響は考えにくい」



それ以外にも本当に、公の調査ではなく、茨城県の県北はちらほらと去年から甲状腺癌を聞きますので、「県北のフォロおーアップが必要じゃないか」ということをおっしゃっていました。

あと、千葉県の汚染されている辺りだったり、その辺も行くということをおっしゃっていましたね。

なので清水先生自体、「福島県だけでなく周辺の県のフォローアップも必要じゃないか」ということを現場の医師の立場からおっしゃっていました。

それで、福島県で38万人調査をして138人甲状腺の悪性ないし悪性疑いが子供達から出て、もし本当に潜在的にこの割合で摘出しないといけないサイズの甲状腺癌が子供達にあるのなら、それは本当に東京だったり他の地域だったり潜在的にいるとしたら、トータル、かなり日本で沢山の人数になってきますので、これはちょっと大変なことなんじゃないですかと。
他の地域ではどうなんでしょうか?ということもこの時に聞いたんですけど、それは清水先生も同感だと。
なので清水先生も一度福島県と同じような、かなり大規模な検査を他の地域でも、非汚染地域でもやって、それで、本当に潜在的な割合かどうか見るべきじゃないかということを何度か提案されておられました。

でも「それは負担になるからダメだ」というふうに言われて。

環境省の方で3箇所、500人ずつ程度長崎県と山梨県、青森県、3箇所でやっているんですけど、それはやはり、悪性ないし悪性疑いが何人かの検査をしている検査ではないことと、子供の甲状腺癌をみている時間が、福島県の検査と他の地域とかなり時間の長さが違うんですね。

福島県のエコー検査は、沢山人数がいますので短いので、なかなか丹念にみるものではないんですけれども、やはり人数が少ない検査だと、一人15分から20分かけるんです。
福島県の甲状腺検査は5分程度だったりするので、エコーでみる時間も結構関わってくるんじゃないかとおっしゃってますね。



それで、疫学の先生と現場で実際に甲状腺をみられている先生が、「ちょっと多いんじゃないか」と。
福島だけでなく周辺県もみなくちゃいけないんじゃないか」ということを今年、公的な報告書で出てきているということは、本当にずっと取材してきて、今年の流れとしてびっくりしたことですね。






つづく

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11.18
Wed



文字起こし部分のYoutube →https://youtu.be/-j-gbbxZuKY?t=19m49s

で、これが今年の5月に出まして、これが第19回なんですね。
第20日位の検討委員会が8月にありました。
このとりまとめを受けて、じゃあ検討委員会がどう動くか?ということだったんですけれども、

清水一雄先生の写真
201511103

で、この清水先生は、個人的に割と以前から取材していまして、清水先生は日本医科大の甲状腺の外科専門医の先生なんですけど、ボランティアで1999年からチェルノブイリ原発事故後現地に通って甲状腺の手術を、子供たちの手術をボランティアで毎年されている方なんですね。

なので、原発事故があって、甲状腺が問題になってきて、清水先生のお話を伺いに行ったほうがいいんじゃないかと思って日医大に行ったりしたことがあったんです。
なので、環境省とか福島県の委員になる前に清水先生の話を聞きに行っていたんですね。

清水先生は去年まで、「福島の原発事故で絶対に健康被害は出ない」と。
「健康に影響を与えるような線量じゃないから」ということを去年までおっしゃっていたんです。
で、すっと話をしていて、漫画のスピリッツの美味しんぼの鼻血の問題だとかこれはひどいとずっとおっしゃっていて、「絶対に健康被害は起きない」とおっしゃっていた清水先生が、少し今年、こう、なんとなく雰囲気と考え方が変わられて、病院にお話を伺いに行った時はこうおっしゃっていました。
出てきたデータを素直に受け止めて、今できることを全力でしなければいけない」ということをおっしゃっていました。

私は以前から話を伺っていたんで、
清水先生、でも昨年までは『全く健康に問題はない』とおっしゃっていましたよね?」とこの時に聞いたんですよ。
そうすると、
チェルノブイリに通った経験から子供達の甲状腺癌が増えている状況というのは、住民の方々が200ミリとか300ミリシーベルトを被ばくするような状況だからこそ健康影響が出たけど、福島の原発事故の後はそれほど高線量被ばくする住民の方々はおられなかったから、だから『健康に影響はない』と考えていた」と。

でも、今年本当に甲状腺評価学会とか、いろいろ風向きが変わってきたこと、考え方も変わってきた新しく出てきたデータというのは、検査をして100人を超える子供の甲状腺癌がどんどん見つかっていることと、健康調査で1巡目の検査が終わった後、2巡目の検査、2〜3年後にする本格検査の時に、1回目にA1判定とかA2判定とか。
甲状腺を見て何にものう胞も結節もなかった子供、それがA1判定なんですね。
そのA1判定だった子供が2〜3年後の検査で、もう10人悪性ないしは悪性疑いという診断がついているんですね。

甲状腺に何もない、のう胞も結節も何にもなかった子供が、2〜3年後に摘出しないといけないサイズの腫瘍になっているというのは、ありえるんですか?ってこの時に聞いたんですけど。
そうすると清水先生は「それは聞いたことがないと。
何十年も甲状腺の専門医をしているけれども、2〜3年で摘出するサイズのガン、甲状腺癌ができるというのは、自分は知らない」と。
「あり得るのかもしれないけれど、少なくとも自分は知らない」とおっしゃっていました。

「甲状腺癌はとても進行が遅いので、見つけて手術をしても転移が早いとかそういうものではないから大丈夫だ」という説明が繰り返されていたんですけど、今回本当に2巡目の検査でA1判定、A2判定、以前では問題なしとされていたグループから、どんどん摘出するサイズのものが見つかっているということが、清水先生は「かなり驚いた」ということをおっしゃっていました。

それで、今年の6月にお話を伺った時にかなり驚いたんですけれども。
なので、清水先生は、自分が福島の原発事故で多分住民の方々が大丈夫だと思っていたその根拠は「被ばく線量がみんな低かったからだ」と思っていたけれども、自分は線量の専門家ではないので、その報告すらきちんと評価し直さなければならないかもしれないと。
その「住民の方があまり被ばくしていないという、その報告書、とりまとめこそきちんともう一度精査したほうがいいのかもしれない」ということをおっしゃっていました。

あと、チェルノブイリでは4〜5年後から子供の甲状腺癌が増えたので、因果関係が、原発事故と子供の甲状腺癌にあるということを言っていて、
「原発事故があって4〜5年後から増える子供の甲状腺癌が原発事故の影響だ」ということに今まで、ま、今もですが、なっているので、今見つかる、「4〜5年より前に見つかる子供の甲状腺癌は原発事故と関係ない」という論拠の一つになっているんです。
もう、それ自体清水先生は疑ってらして。


チェルノブイリで原発事故があった時に、世界中の誰一人、子供の甲状腺癌が増えるということは知らなかったということ。
自分も当時も専門医だったけど、原発事故があって甲状腺癌が増えるなんて、子供の甲状腺癌が増えるなんて、因果関係がその後認められるなんて思いも至らなかったと。
なので、チェルノブイリの原発事故があって、当時どのように甲状腺検査をしていたかをもう一度疫学者がきちんと調査するべきだと。
『原発事故があって4〜5年後から子供の甲状腺癌が増える』というそのコンセンサス自体、きちんともう一度評価しなければいけない。疫学者が評価するべきではないか」ということをおっしゃっていましたね。

かなり本当に、この6月のインタビューではすごく突っ込んだことをおっしゃってらして、驚きました。
なので、甲状腺評価部会の部会長として、中間とりまとめに他の委員と混じって様々なものが盛り込まれたんですけれども、そのとりまとめに、もう一度線量評価をきちんとしなおすべきじゃないか、ということも入ってますんで。

その後の第20回の検討委員会で出てきたものは住民の方々の線量評価のプロジェクトだったんですけれども、
それは県が発案して、「今後こういうオーダーが出てきたので線量評価をやっていきます」みたいなことがあったんですよ。
第20回の検討委員会の議論では、それをまた、誰が、どういう考え方で、どの研究者が線量評価をしているのか?と。
または、福島県が福島県立医科大に委託事業としてやっていくだけだったら、他の日本の研究者であったり、世界の研究者であったり、そういう世界の指針が入らないので、県立医科大主体でやること自体、少し枠組みを変えたほうがいいんじゃないか。
というのが第20回の議論で上がりました。

それで、どうやって線量評価をしていくか?っていうのが、かなりいろんな意見が出て全然まとまらなかったんですね。

「このままやっちゃだめだ」とか、「もっと枠組みから話し合って決めるべきだ」とか、いろんな議論があって、最終的に第20回面白かったね。
第20回の検討委員会では、星座長が、星(北斗)先生という方が座長なんですけど、
「20回やってきて、今日は初めて議論らしい議論ができましたね」
いやいや、初めてじゃダメだろうってね。
ちょっと衝撃的でした。

それが今の検討委員会、福島県の表に出てきている状況の話ですね。




つづく


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11.17
Tue


FFTV<おしどりマコさん講演>
深刻化する福島の子どもたちの甲状腺がん
(南相馬20ミリ撤回訴訟支援連続セミナー)
2015年11月10日



県民健康調査概要説明 満田
https://youtu.be/-j-gbbxZuKY?t=2m26s

現在の甲状腺癌 おしどりマコ
https://youtu.be/-j-gbbxZuKY?t=8m28s

201511101

今日はみなさん原発事故や甲状腺にすごく興味をお持ちの方だということで、本当にすごく今日はマニアックな、ものすごく専門的な話をしようかと思います。
先ほどザーッと説明をしていただいたんですけど、2011年から福島県の健康調査検討委員会をずっと取材しているんですけれども、放射線問題、ま、健康調査について。
2011年のオープンになってから、第4回からオープンになったんですけど、そこから取材していますと、やはり今年の第19回の検討委員会から少し雰囲気が変わってきた、風向きが変わってきたように思います。

検討委員会の中で、2011年3月11日、原発事故発災当時に福島県内にいる18歳以下の県民すべて、対象38万人に甲状腺の超音波エコーをする甲状腺検査、小児甲状腺検査が、50人を超えた段階で、甲状腺に関するものは検討委員会だけではなく、専門の人間が集まって部会を作ろうということで、甲状腺評価部会というのが立ち上がりました。

その甲状腺評価部会が、今年第6回で一旦中間とりまとめを出したんですね。
それが出てきたときから、なんか、風向きというか、雰囲気が変わってきたんです。

それは100人を超えてきた時点で。
しかし去年までは厚労省、環境省、原子力規制庁の住民の健康問題検討会では、100人を超えた甲状腺癌が出てきても「スクリーニング効果だ」と。
高性能の機械でたくさんの人数の検査をしてしまったから「見つけてしまったんだ」ということが去年までずっと言われてきました。

それは環境省の中間とりまとめでも「スクリーニング効果だ」と「原発事故の影響によるものじゃない」というようなことが書かれています。

しかし、第6回の甲状腺評価学会が3月にあって、そこの中間とりまとめ”案”の段階では、ほぼそういう、「検査を継続するように」というようなことだったんですが、今までにあちこちから出ているとりまとめと何も趣旨は変わら来ことが書かれていたんですね。

でもこの中間とりまとめ”案”が、今年の8月の検討委員回に正式なものとして出されてきたときに、一文が加わったんです。
それが、さっきご紹介していただいた、
「我が国の地域がん登録で把握されている甲状腺癌の罹患統計などから推定される有病数に比べて、」ここが本当に重要なんですけれども、すごくここが。
数十倍のオーダーで多い」と。
この一文が、”案”には無かったものが入っていたんですね。

で、これが出てきてから、第19回では「これが本当なのか?」ということが、甲状腺評価部会以外の委員からたくさん質問が出ました。
他の専門家は「高性能の機械でたくさん検査したから出てきたものだ」と。
「全然多くはない」と。
「潜在的にもともといる割合なので特に多くはない」という専門家もいるが、どうなのか?
ということが委員からたくさん出たんですけど、甲状腺評価部会会長清水一雄 先生、そして国立がんセンターの津金昌一郎先生が「多いです、確かに多いです」「あ、多い、多い」って、「多い」って何回言うんだろう?って言ってたんですよね。

これは津金昌一郎先生ですね。
201511102


で、この中間とりまとめが今年出てきましたので、評価部会を取材している身としましては、急に入ってきたので驚いた、いつこれが盛り込まれたのか?どういう考えで盛り込まれたのか?確認しに清水先生や津金先生のところに取材に行きました。

そのあと病院いうか勝手取材時間を取っていただいたんですけど。
ちなみに「数十倍のオーダーで多い」という中身は、昨年の11月の第4回甲状腺評価部会のときに国立がんセンターセンター長の津金昌一郎先生が計算して出してきたものなんですね。

当時の第4回では、「国立がんセンターが持つがん登録のデータを使って、いろいろな研究者が子供の甲状腺癌が100倍に増えたとか、1000倍に増えたとか、とてつもない数字を出している。
国立がんセンターのがん登録の数字を使って計算をしている以上、うちが責任を持ってきちんと計算をしなければいけないと思って計算してきました」
というお話で資料を出されました。

2001年から2010年のがん罹患率、これは全国推定値なんですけれども。
それに基づいて福島県において18歳までに臨床診断される甲状腺癌は2.1人だと。
これは資料のいちばん後半の方のまとめに出てくるんですけれども、
2010年時点で、「原発事故前福島県において18歳までに臨床診断されている甲状腺癌はおそらく2.1人ほどの人数だろう」ということを計算されたんですね。

去年の11月、この資料を出した当時、ま、日本もまだそんなに上がっていないんですけど。
その検査対象者が38万人のうち80%程度の甲状腺検査が終わったということで、この2.1人がそのまま振られるのではなく、2.1人の80%ということでこれを8掛けして1.7人。
「これが比較する数字だ」ということで、去年の11月、この資料の当時では先行調査、一巡目の調査では104人が甲状腺癌悪性ないし悪性疑いという診断でしたので、「104人と1.7人を比較して61倍だ」という資料が去年の11月に出ました。


ご存知の通り、この104人という数字は今どんどん上がっていますし、そして、ここの2.1人という数字自体推定値ですので、ここの数字の正確性もそんなに、絶対値ではないということで、「数十倍ということに丸めた」ということでした。

ここ(事故前の罹患数)がもっとたくさんになることもないだろうし、100人を超えたあたりで数十倍だろうということを津金先生は話しておられました。

スクリーニング効果についてもがんセンターの津金昌一郎先生と、岡山大学の津田先生。
この間海外特派員協会で甲状腺癌に関する論文の会見をされていましたけれども、

津田教授の海外特派員協会での会見文字起こし
<甲状腺癌>「日本全国と比べ最も高いところで約50倍、低いところでも20倍の多発が起こっている」津田敏秀教授会見10/8(文字起こし)

<質疑応答>「福島県に住み続けなければならない人に詳細な情報を与えることで有害な曝露は桁違いに少なくなる」津田敏秀教授会見10/8(文字起こし)


疫学者のお二人にスクリーニング効果について、色々と教わったんですね。

確かに、高性能の機械でたくさんの被験者を検査すると、潜在的な疾患を見つけてしまいます。
スクリーニング効果自体は確実にあります。
で、ここからが肝心なんですけど、
スクリーニング効果というのは、もともと疫学の中では、たくさん論文も出ていて、教科書にも載っているレベルのよくある話で。
でも、スクリーニング効果で見つかるのはだいたい2倍から6倍、多くても10倍ぐらいだそうですね。
つまり、2.1人が4.2人とか。
10倍ぐらいになることはあっても、100人を超えることは「スクリーニング効果だけでは説明できない」ということが津金先生、津田先生、疫学者としての共通のご意見でした。

スクリーニング効果だけでは100人は確実に超えない。

問題は、津田先生もおっしゃっておられましたけれども、「スクリーニング効果だ」と主張される、この間の学会でも山下俊一先生だとか、県立医科大学の鈴木眞一先生とか、環境省でずっとスクリーニング効果に触れるとおっしゃっていたのは今県立医科大学にいる丹羽太貫(にわおおつら)先生ですけど、その先生方ご自身がスクリーニング効果の論文を一本も読んでいないんですね。

福島県立医科大学 丹羽 太貫.(ニワ オオツラ)
<完全に常軌を逸する行動>福島県立医科大学丹羽太貫「うるさいから黙れよ、お前!」環境省専門家会議11/26 OPTV(文字起こし)

3.「やはり、線量が低いと癌出ません!それは厳然たる事実です」丹羽太貫(福島県立医科大学)6/26第7回 健康管理のあり方に関する専門家会議(文字起こし)



だから「スクリーニング効果で何倍程度増えるか」ということを理解されておらずに「スクリーニング効果で増える」とおっしゃっていることは問題だと。
これは岡山大学の津田先生がおっしゃっていました。

津田先生がね、去年の環境省のあり方会議でものすごく口げんかみたいになった時におっしゃってますよね。
ぶら下がりで全部口げんかをね、動画を撮ってましたから。

津田先生が「丹羽先生、スクリーニング効果の本を何本読んだんですか?」
丹羽太貫「一本も読んでませんよ!」みたいな。
「せめて一本ぐらい読んでから話をしてくださいよ」おっしゃってましたね。

それはすごい問題だと思います。

今年の8月のこのまとめが出た段階では、、これが「数十倍のオーダーで多い」という根拠で、それが今年の5月に出てきたんですけれども、「これはスクリーニング効果だけでは説明ができない」と。「過剰診断の可能性がある」というふうになっているんですけれども。

その「過剰診断」と「スクリーニング効果」すごく翻弄されやすいんですけど、

スクリーニング効果」というのは、さっき説明したみたいに、たくさんの人数を高性能の機械でパッとみてしまう。
なので、数年後に診断されるはずの疾患を先に見つけてしまうという考え方なんですね。
つまり「早期発見」なんですよ。
数年後に見つけるはずのものを「早期発見」、2〜3年前に見つけてしまう。

過剰診断」は「早期発見」でもなくて、本来診断をしなくてよかった、病名をつけなくてよかったものを診断してしまうものは「過剰診断」なんです。

例えば、ほくろが出来てそれがひょっとしたら皮膚癌になるかもしれない、でも死ぬまで皮膚癌にはならなくてただのほくろのままかもしれない。
なのでこれは「ほくろの段階では皮膚癌の前段階で病名をつけてしまうのは過剰診断だ」というのが「過剰診断」なんです。
「早期発見」ではない。

で、「過剰診断」ということで言われているんですけれども、これは県立医科大の鈴木眞一先生が、直接甲状腺検査をしている専門医の先生方が「過剰診断ではない」と。
「悪性ないし悪性疑い」と診断した子供たちは、肺に転移をしていたり、リンパ転移をしていたり、サイズが大きかったり、気管や反回(はんかい)神経に近かったり、大人であっても手術するのに妥当な症例だということで、「過剰診断ではない」ということは、甲状腺を直接見られている現場のお医者様がおっしゃっています。

過剰診断じゃない!
<リンパ節転移>鈴木眞一「 病理組織学的に取ったものからみると、少なくても50% 多い施設では70%以上見つかります」6/10甲状腺評価部会(文字起こし)
明らかに肺に遠隔転移があるとか、リンパ節転移があるとか、明らかに悪性度が高いものや場所の悪いものだけを選んで細胞診をして、手術になっている





つづく



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11.15
Sun
足立区の公園で2015年11月13日に除染作業が行われました。

足立1

これは、平成27年。
つまり2015年、原発事故から4年半以上たった現在の出来事です。
原発事故は終わっていません。
今なお、危険な状態があちこちに残っているということです。
そしてこのような状態は、決して足立区だけのことではないだろうと、簡単に想像できます。

足立区 公園における放射線測定・除染作業について

以下のとおり放射線量の測定及び除染作業を行いました。

大谷田公園(大谷田四丁目4番1号) クリックすると大きく見ることができます↓
足立公園1

【実施日】平成27年11月13日(金曜日)
【内容】園内一部の表土撤去
【除染前】地上50cm:0.276μSv/h
【除染後】地上50cm:0.194μSv/h

第六天公園(東和二丁目27番18号) クリックすると大きく見ることができます↓
足立公園2

【実施日】平成27年11月13日(金曜日)
【内容】園内一部の表土撤去
【除染前】地上50cm:0.252μSv/h
【除染後】地上50cm:0.158μSv/h

ーーー

また、足立区では区道の植え込みの中なども測定して除染しています。
更新日:2015年11月13日分を転記します。

足立区 区道における放射線測定・除染作業について

大谷田五丁目14番先 区道植樹帯内
 区道において、以下のとおり放射線量の測定および除染作業を行いました。
 【実施日】平成27年11月13日(金曜日)
 【内容】植樹帯内の植栽撤去及び表土の一部入れ替え
 【除染前】地上5cm:0.712μSv/h、地上50cm:0.278μSv/h
 【除染後】地上5cm:0.318μSv/h、地上50cm:0.208μSv/h

大谷田五丁目28番先 区道植樹帯内
 区道において、以下のとおり放射線量の測定および除染作業を行いました。
 【実施日】平成27年11月13日(金曜日)
 【内容】植樹帯内の植栽及び表土の一部撤去
 【除染前】地上5cm:0.596μSv/h、地上50cm:0.248μSv/h
 【除染後】地上5cm:0.282μSv/h、地上50cm:0.200μSv/h

北綾瀬駅前 区道植樹帯内
区道において、以下のとおり放射線量の測定を行いました。
【実施日】平成27年11月13日(金曜日)
【測定結果】 地上5cm:0.742μSv/h、地上50cm:0.234μSv/h

東和三丁目12番先 L形側溝上(3か所)
 区道において、以下のとおり放射線量の測定および除染作業を行いました。
1.【実施日】平成27年11月13日(金曜日)
   【内容】L形側溝上の土砂の撤去
   【除染前】地上50cm:0.250μSv/h
   【除染後】地上50cm:0.196μSv/h
2.【実施日】平成27年11月13日(金曜日)
【測定結果】 地上50cm:0.228μSv/h
3.【実施日】平成27年11月13日(金曜日)
   【測定結果】 地上50cm:0.226μSv/h

東和一丁目27番先 境界石上
 区道において、以下のとおり放射線量の測定および除染作業を行いました。
 【実施日】平成27年11月13日(金曜日)
 【内容】歩道上の土砂の撤去及び舗装
 【除染前】地上5cm:0.324μSv/h、地上50cm:0.266μSv/h
 【除染後】地上5cm:0.258μSv/h、地上50cm:0.236μSv/h

東和一丁目16番先 区道植樹帯内
 区道において、以下のとおり放射線量の測定および除染作業を行いました。
 【実施日】平成27年11月13日(金曜日)
 【内容】植樹帯内の表土の一部入れ替え
 【除染前】地上5cm:1.474μSv/h、地上50cm:0.364μSv/h
 【除染後】地上50cm:0.178μSv/h

青井七丁目15番先 L形側溝上
区道において、以下のとおり放射線量の測定を行いました。
【実施日】平成27年11月13日(金曜日)
【測定結果】 地上5cm:0.808μSv/h、地上50cm:0.184μSv/h

綾瀬六丁目16番先 区道植樹帯内
区道において、以下のとおり放射線量の測定および除染作業を行いました。
【実施日】平成27年10月6日(火曜日)
【内容】植樹帯内(平成27年10月2日測定箇所1)の表土の一部撤去
【除染前】地上5cm:0.982μSv/h、地上50cm:0.222μSv/h
【除染後】地上5cm:0.534μSv/h、地上50cm:0.176μSv/h

綾瀬六丁目16番先 区道植樹帯内(2カ所)
区道において、以下のとおり放射線量の測定を行いました。
【実施日】平成27年10月2日(金曜日)
【測定結果】 地上5cm:1.088μSv/h、地上50cm:0.226μSv/h
【実施日】平成27年10月2日(金曜日)
【測定結果】 地上5cm:0.504μSv/h、地上50cm:0.188μSv/h

青井三丁目16番先 青井駅駅前広場植樹桝内(3か所)
区道において、以下のとおり放射線量の測定を行いました。
【実施日】平成27年10月2日(金曜日)
【測定結果】 地上5cm:0.164μSv/h、地上50cm:0.100μSv/h
【実施日】平成27年10月2日(金曜日)
【測定結果】 地上5cm:0.368μSv/h、地上50cm:0.214μSv/h
【実施日】平成27年10月2日(金曜日)
【測定結果】 地上5cm:0.930μSv/h、地上50cm:0.198μSv/h

中央本町三丁目10番先 区道植樹帯内
区道において、以下のとおり放射線量の測定および除染作業を行いました。
【実施日】平成27年7月14日(火曜日)
【内容】植樹帯内の表土の一部撤去
【除染前】地上5cm:0.478μSv/h、地上50cm:0.235μSv/h
【除染後】地上5cm:0.188μSv/h、地上50cm:0.162μSv/h

東和五丁目4番先 区道植樹帯内(東和五丁目バス停そば)
区道において、以下のとおり放射線量の測定及び除染作業を行いました。
【実施日】平成27年7月9日(木曜日)
【内容】植樹帯内の表土の一部撤去
【除染前】地上5cm:1.701μSv/h、地上50cm:0.312μSv/h
【除染後】地上5cm:0.168μSv/h、地上50cm:0.139μSv/h

ーーー


かなり数値が高いです。
除染しても、少しは下がってはいるけれど、やはり高いところもある。

上記に出ている場所を全部地図で調べてみました。
のマークの部分です。

足立3

足立4

クリックすると大きく見ることができます↓
足立5

住宅の密集地です。
すぐ近くに学校もたくさんあります。

クリックすると大きく見ることができます↓
足立7





それでもまだ、足立区はこうして調べて公表して除染しているからいいけれど、他の区や市は調べているのだろうか?
でも、この足立区だって区道とか、区の公園だから調べて除染しているんですよね。
個人の所有の場所はどうなんだろう?
高線量のまま残っていたりするんだろうか…





comment 3
11.13
Fri

もんじゅ運営主体変更勧告、文科相が直接受け取り拒否
産経新聞 2015.11.13 08:00

afr1511120040-n1.jpg
【新閣僚に聞く】インタビューに応じる、馳浩文科相 =14日、東京都千代田区(荻窪佳撮影)

 安全上の不備が続く日本原子力研究開発機構の高速増殖炉原型炉「もんじゅ」(福井県敦賀市)について、原子力規制委員会は、所管する馳浩文部科学相に対し、13日に直接面会して変更主体を求める勧告文を渡すことを打診したが、文科相側が拒否したことが12日、分かった。原子力規制庁が明らかにした。代わりに文科省の局長が受け取る。

 規制庁によると、13日の規制委の定例会で勧告の文言を決定した後、規制委の田中俊一委員長が直接、馳文科相に手渡すことを打診。文科相側が、同日は都合が悪いことを告げたため、規制庁が「翌週でも時間があるときに」と面会を要請したが、「研究開発局長がそちらに出向く」と回答し、直接の受け取りを拒否した。副大臣や政務官との面会も断られたという。

 勧告権の行使は、平成24年9月の規制委発足以来初めてのことで、名宛人は「主務官庁の長」である文科相になる。田中委員長は馳文科相に直接会って、趣旨を説明することで、「本気の改革」(規制庁幹部)を求める意向だった。

 勧告は、原子力機構がもんじゅの運営主体としてふさわしくないと判断。文科相に対し、半年をめどに別の運営主体を明示できなければ、廃炉を含めて在り方を見直すよう要請する




”もんじゅ”設置許可取り消し?「原子力機構の児玉理事長のお考えを思う存分聞いた上で判断するのが礼儀」田中俊一委員長10/28原子力規制委員会記者会見(文字起こし)追記あり
追記部分→児玉敏雄理事長聴取11/2〜異例の勧告へ11/4





原子力規制委員会 定例ブリーフィング(平成27年11月12日)

文字起こし部分 https://youtu.be/_CGLiAPqdFA?t=4m58s
松浦総務課長
松浦総務課長

原子力規制委員会について議題といたしまして、5つございます。
1番目でございますけれども「もんじゅに関する文部科学大臣に対する勧告について」ということで、
前回の委員会におきまして、委員長(田中俊一)から勧告文についての指示が事務方に降りております。
その文案、勧告の文案につきまして、えー、事務方の方で取りまとめましたので、それを委員会にお諮りするというものでございます。

https://youtu.be/_CGLiAPqdFA?t=11m21s
産経新聞:
もんじゅの件ですが、勧告の段取りといいますか、その文面を当日の規制委員会で決定して、文科省への手渡し段取りというのは決まってますでしょうか?

松浦総務課長:
はい、文科省、の、段取り、と、段取りにつきましては、えー、まだ仮置きでございますけども、金曜日の17時半にですね、文科省の田中局長、が、こちらにぃーー、いらっしゃいまして、そこで施行する予定でございます。

産経新聞:こちらのお渡し相手の方はどなたになるんですか?

松浦総務課長:次長を予定しております。

産経新聞:次長がやるということですね、わかりました。


https://youtu.be/_CGLiAPqdFA?t=17m4s
毎日新聞:
もんじゅは委員長から別途文科大臣への説明というのはどうなっているんでしょうか?

松浦総務課長:
20151112
あのーー、我々の方から文科省の事務方に対してですね、あの、委員長が文科省に往訪して、え…文科大臣に施行したいという申し出を、ま、先週からしているところでございますけれども、文科省事務方からの返答として、えーー、「文科大臣の都合がつかない」ということで、「田中局長にいらっしゃってもらって施行する」こういう段取りになってございます。

毎日新聞:
改めて別の日を設けてやるということではなくて、そもそも、「やらない」ということなんですか?

松浦総務課長:
はい、それにつきましても、まぁ、当然文科大臣はお忙しいので、明日ではなくてもですね、例えば「来週」とかというお話も申し上げましたけれども、文科省としては「田中局長がいらっしゃって、そ、明日受け取りたい」ということでございますので、えー、我々としても、もぅ〜、文科省の意向としてですね、え、それはあのー、お…「致し方ない」ということで、えーー、田中局長には明日いらしていただくということでございます。

毎日新聞:あの、確認ですけれども、だから「やらない」ということでよろしいですね?

松浦総務課長:「やらない」ということです。


ーー:
すみません、今の件で確認なんですけど、
あくまでも向こうの局長は「代理として受け取る」という形になるんですかね?

松浦総務課長:
201511122
あの…、法的効果まではわかりませんが、あの、あくまでも我々、あの、名宛人はですね、文科大臣ですので、文科大臣の使者なのか代理なのかわかりませんが、あのーーー、その両、方かもしれませんが、ということで…事務方が受け取ると言っています。

日本テレビ:
文科省側の説明としては「大臣の都合がつかない」と、こういう説明ということでよろしいんでしょうか?

松浦総務課長:そういうことです。

日本テレビ:
「時間を合わせることができない」と。
「来週も時間を作れない」と。

松浦総務課長:
あの、正確に申し上げますと、
明日はですね、大臣は「午後はいらっしゃらない」というふうに伺っています。
で、来週以降につきまして、え、わたし、からですね、文科省の事務方の方に「来週以降でもご都合は?」という話をしたところ、文科省としてはですね、ま、「明日に田中局長が受け取りに行く」ということで、えーーー、…そういうことで行いたい、ということでしたので、「我々としては、ま、そういうことにした」ということでございます。

日本テレビ:
あの、これは事案の大きさからして、やはり文科大臣というところが非常に大きい部分があると思うんですけれども、そのあたりも松浦総務課長の方から話をしていらしゃる?

松浦総務課長:当然しております。

日本テレビ」その上で文科省側は「局長が」っていうこと?

松浦総務課長:
201511123
そうですね。
文科省の判断としてですね、あの、「局長が受け取りに」あの、「来ていただける」ということですので、我々としても、次長が、そういう意味では交付すると、いうことで、え、明日、お渡しするということでございます。

日本テレビ:わかりました。

毎日新聞:
委員長の場合には、「勧告の中身について説明したい」と、確か話だったと思いますが、
次長が局長に交付する時っていうのは、同様の趣旨説明みたいなものはあるんでしょうか?
それとも単に施行するだけなんでしょうか?

松浦総務課長:
あのーー、明日(11月13日)、ま、5時半に予定しておりますけれども、ま、ただ渡すということはありませんので、ま、なんらかの説明をすると思います。
ま、その詳しい、どういう、詳しさで説明するか?というのは、これから相談していきたいと思います。







これは規制庁と文科省、「事務方同士で仕組んだな」と私は思った。以下想像

事務方同士の会話(想像

規制庁;もんじゅの勧告だけど、大臣受け取りに来れる?
文科省:あの新米大臣か。
規制庁:田中委員長が「勧告の内容を説明する」って言ってるが、
文科省:説明なんかされたら迷惑なんだよな。無知な新米大臣が何を言うかわからないしな。
規制庁:ま、直接合わせない方がいいかもな。
文科省:大臣なんか腰掛けだから信用できないし、実態は何も知らないから、この件は外してもらおう。
規制庁:もんじゅは大切だからな、守らないと。
文科省:もんじゅ勧告は重大な問題だから、なおさら大臣本人が受け取らないほうがいい。
規制庁:そうだな。重要度は下げた方がいい。
文科省:軽い勧告という印象操作も兼ねて、こちらは局長が受け取りに行く。「大臣は忙しい」ということで。
規制長:ま、時間が合わないっていうことで。
文科省:そうしてくれよ、金曜なら大臣は本当に忙しいんだ。明日局長が取りに行くよ。
規制庁:そうすれば、こちらは田中委員長には引いてもらって「次長から渡す」ことにできるな。
文科省:ま、そのうちマスコミも忘れてうやむやになっていくだろう。




規制庁と文科省の事務方同士のやり取りの中で、こんなシナリオがあったんじゃないか?って、
松浦総務課長の表情は話し方を見ていて、思っちゃったわたしです。( 艸`*)





ー追記ー
朝はこんな感じ(↑の文章 「大臣は直接受け取らない」)でしたが、帰ってきたらなんと、忙しすぎる馳浩文科相がご自身で田中委員長から受け取ったという。

「私の空手チョップ恐れているのか」 馳文科相、事務方と一悶着 「拒否」一転、直接受け取り
産経新聞 2015年11月13日

afr1511130032-p1.jpg
田中俊一原子力規制委員長(左)から勧告の文書を手渡される馳浩文部科学相=13日午後、東京都千代田区の文部科学省(三尾郁恵撮影)

馳浩文部科学相は13日の閣議後会見で、高速増殖炉「もんじゅ」に関する原子力規制委員会による勧告文の直接受け取り拒否について、「事務方が私の日程を配慮した」と強調し、内部で一悶着(もんちゃく)あったことを明らかにした。結局、馳氏は「これ以上重要な日程はない」と述べ、一転して勧告文を直接受け取ることを決めた。

規制委によると、勧告は規制委始まって以来の重要案件のため、田中俊一委員長が直接、馳氏に手渡すことを打診。ところが、文科省側は「日程の都合が合わない」と回答し、代わりに同省の局長が規制委に出向くことを告げた。

馳氏はこの日早朝、その事実を知り、「事務方が私の日程に配慮した。これ(勧告)以上に重要な日程はあるのかといったら、事務方は真っ青になった」と暴露。馳氏はプロレスラー出身であることから、「私が威圧的で、空手チョップを恐れているのか。重要性を考えてほしいと事務方にお願いした」と一幕を明らかにした。

馳氏は早速、事務方に13日のスケジュール案を複数つくらせた上で、規制委との面会日程をねじ込んだ。当初は地元の石川県で政務日程が入っていたという。

困ったのは規制委側で、文科省の局長に対し、原子力規制庁の次長が対応する当初の予定を変更。田中委員長が急遽(きゅうきょ)、文科省に勧告文を持参することを決め、文科相側の突然の変更に合わせる形になった。




ネットでいろいろ出てきていたから、馳 浩(はせ ひろし、旧姓:川辺、1961年5月5日 - )文科省大臣は慌てたのだろうか???

やっぱり、私の想像通り、規制庁と文科省の事務方同士で勝手にごにょごにょ裏で相談して決めちゃったんだろうな。と、私は確信を持った。








comment 2
11.13
Fri


文字起こし部分のYoutube→https://youtu.be/r53-i9nKXB4?t=21m23s


服部良一(政治家):
2015110531
ちょっと自衛隊の話にいきたいんですけど、9割がサラリーマン自衛隊だと、サラリーマン感覚の自衛隊だというようなことを、井筒さん、本にね書いてあるところがあるんですけど。
でも一方ですごい軍部の、軍部というか制服組の勝手な暴走みたいな匂いもするじゃないですか。
アメリカに行ってなんか約束してきたりとか。
戦争法案を作る前から、そのマニュアルでいろいろ教育したりとか。
それで一方で自衛隊員になる人いるの?今から。
そんな意見も出てるんですけど、その辺、ちょっとどんな具合ですか?自衛隊の今の感じ。

井筒高雄(元自衛隊):
2015110533

今言われたサラリーマン自衛官とか、公務員自衛官の方が圧倒的というのは、ま、致し方ないと思うんですね。
「専守防衛で演習場と駐屯地の市街地戦をつくったプレハブで訓練をしていればすむ」っていうところだったんですよ。
たとえば80年代はレンジャー教育へ行く人たちっていうのは、視力が悪かったらそもそもチャレンジできなかったんですね。
ところが90年代になって、「もう視力が悪いとか言っていたらレンジャー隊員の育成が出来ない」って言って、視力が悪くても眼鏡をかけて矯正をすればいいと、わたしはレンジャー隊員になれたんですよ。
でも本当の戦場で眼鏡をかけた、あるいはコンタクトをして風圧で飛ばされた、あるいは寝てて眼鏡を壊しちゃったから「もう見えません、任務につけません」じゃ、話になんないですね。
ということなんですよ。
実態はね。

それから制服のキャリア組と言われている人たちは、なんで勇ましいか?というと、戦地に行かないからですね。
防衛省にいるから、駐屯地にいるから、ひょっとして行ったとしても、ベースキャンプの中でアメリカ軍とか多国籍軍の司令官達とオペレーションをやる人たちなので。

戦場に行くのは、高卒たたき上げが、だいたい行き着く”准尉”というところから、あとは”曹”という階級と”士”という階級のところが戦場の最前線に行くんですね。

もっというと、今の戦争というのは国対国の戦争というのからテロリストとの戦争というふうに変相しているので、もう、大きく国同士でドンパチをしない。
そうすると、一番戦争で可能性がないのが”海”なんですね。
その次が”空”でその次が”陸”という順序なんですよ。

そうすると防衛省の中で一番勇ましいのが”海”です。

今の統合幕僚長(※下記参照)。

次が”空”ですね。
最後が”陸”なんです。

なんで陸か?っていうと、先ほども申し上げたようにPKOで陸上自衛隊というのはこれからどんどん治安維持で駆けつけ警護という任務で派兵される可能性は極めて高いですね。
そのところで一番、白兵戦・地上戦で血を流すリスクが多いのが”陸”なんですよ。
ということなんですね。

白兵戦
刀剣などの近接戦闘用の武器を用いた戦闘のこと。現代では、近距離での銃撃戦と格闘戦も一体のものとして捉えており、距離によってCQBやCQCとも分類される。



いま、陸上自衛隊の数もというか、自衛隊そのものがそうなんですけれども、
指揮命令する30代から50代が一番多いんですね。
9割を占めます。充足率の。


で、一番戦闘の時に死んじゃってもコストが安くて、かつ任務に支障をきたさない。
そこまでの戦闘能力、公益の高い機器も使いこなせない、死んでもいい若い隊員というのが、いま7割しかいないんですよ。
つまり、命令する人たちは多くて、命令を聞いて動く出動の隊員が少ない。
将棋で言うと歩の駒が少ないんですね。
それでどうしてるか?というと、たとえば今年の3〜4月に入った”正規雇用の陸士”という10代、20代若い隊員の募集人員は約1000名からしているんですね。
で、”非正規雇用の隊員”というのが雇用制度であるんですけれども、自衛隊の。
陸上が2年、海と空が3年なんですけれども、非正規雇用の隊員を2500人増やしているんですよ。

なんでこういう取り方をするか?っていうと、ひとつは「指揮命令をする偉い人たちがいっぱいいる」っていう状況を整理しなければいけないからというのと、
もうひとつは、戦場のセオリーで言うと、コストだけを見た戦い方で言うと、
自衛隊は公務員ですから等級制。
年数が少なければ少ないほど、戦死しても退職金とか死亡保障のお金とか、額が少なくて済む」んですよ。
かつ、「公益の高い機器とかも使いこなせないからそんなに支障をきたすこともない」というのが実態なんですね。

アフガニスタンで、デンマークという国は志願制です。
デンマークは10日間訓練をしたらアフガニスタンにイギリスと混成部隊で治安維持活動に着かせます。
イラク戦争の時にアメリカの兵士。
白兵戦・地上戦という治安維持活動をする隊員というのは災害派遣のための州兵という人たちを、月一回彼らは3万円もらって、あの訓練を受ける人たちを4ヶ月間訓練をしたらイラクに派遣するというのが実情ですね。

職業軍人ばっかりで公益の高い隊員ばっかりをどんどん戦場に出して殺していくっていうことはしないんです。
組織上あり得ないんです。
必ず戦争には死がつきものですから、死んでいい隊員。死んで支障がないという人たちをきちんと用意しておくというのがセオリーですね。

そういうことがこれから自衛隊は準備をしなければいけないということだったり、ちょっと先ほどのに付け加えると、
戦場に普通の軍隊は、装甲車とか救急車とかを持っていくんですよ。
日本には一台もありません。
というのが実情なんです。

ですから自衛隊員は、法律ができたからといってバージョンアップはしないし、その備えも、実践的な備えというのが全くゼロに等しい中で、これから、安倍さんという戦争のリアリティーも自衛隊の実践もわからない人が最高指揮官で、彼がシビリアンコントロールとして暴走しているというのがいまの実情だと思います。

シビリアンコントロール
職業軍人でない文民が、軍隊に対して最高の指揮権を持つこと。





服部良一:
服務の宣誓の話が出たと思うんですけど、中谷防衛大臣はあれは変えないと言っているんですか?

井筒高雄:
「変えなくていい」と言っています。
リスクは変わらない。
これまでも、命をかけた崇高な任務で、これからもリスクも変わらないし、任務もなんらひとつ変わらないし、憲法9条も超越しないし、戦争しない。交戦権は認めないという状況は全く変わっていないから、服務の宣誓は変えないって言っています。

服部良一:夢想ですよね、それは。

井筒高雄:いや嘘ですよ、嘘。

服部良一:
それと、例えば民間人を誤って殺してしまったとか、あるいは上官の命令がないのにちょっと撃って殺してしまったとか、そういった場合は刑法で処罰されるんでしょ?
あるいはそれも日本の刑法なのか、相手国なのか?という話もあるみたいなんですけれども。


井筒高雄:
それは相手国で訴えられて拘束されれば相手国で処罰をされます。
そして帰ってきてまた刑法で処罰をされます。
というのが自衛隊の任務に就いた責任の取り方ですね。
取らされ方ですね。
で、国と防衛省は責任を取りません。
最高指揮官の責任は問われない。

全て「自衛官は」という法律で作られていますので、これは23年前のPKOの一番最初のスタートから何も変わっていません。


服部良一:全部個人の責任、うーん。

井筒高雄:そうです。

服部良一:ま、結局、自衛隊を海外に出すことができるような状況じゃないということですよね、はっきりしているのは。

井筒高雄:
そうです。これは小林節先生の方が専門的なお立場でご発言されていますけれども、交戦権を認めていないんだから、
交戦権って国内向けの言葉なんですね。
交戦権って何か?って言ったら、端的に言うと「戦争する」ということなんですよ。

戦争することを認めていないのに、自衛隊が戦争ができる法律を作っていま送り出そうとしているんですね。
PKOであれなんであれ、やることは武力行使、あるいは後方支援で武器とか弾薬とかね、あるいは隊員を運ぶというのは、それは戦争に加担している、賛成しているっていうことなんですけれども。
それを詭弁を使って、交戦権を認めていない、軍隊じゃない、と言っているから、残念ながら自衛隊はジュネーブ条約とかハーグ条約を総称して、国際人道法とかというんですけれども、そういう国際条約にも適用しない軍隊ではない、ま、武装集団ですね、自衛隊っていうのはね


ですから捕虜になっても、湯川さんや後藤さんがイスラム国に惨殺されましたけれど、ああいう形で自衛隊員が死んだとしても、なんら問題はないというか、自衛隊は残念ながらそういつところで捕虜としての扱いを受けるという、
担保がない中で、これからどんどん危険な任務に、ま、ついていくという状況です。

国際人道法
第二次世界大戦後につくられた概念で、1971年の「武力紛争に適用される国際人道法の再確認と発展のための政府派遣専門家会議」で初めて使われた国際的な法規の集合である。
広義では、戦時・平時を問わず、人間の尊厳を保護することを目的とする国際法規範すべてを包括して国際人道法と呼ぶ。

ハーグ法
交戦国・交戦員の軍事作戦の行動の際の権利と義務を定め、国際武力紛争において敵を害する方法と手段を制約する

ジュネーブ法
戦争犠牲者を保護し、戦闘不能になった要員や敵対行為に参加していない個人の保護を目的とする



服部良一:自衛隊が一番抵抗勢力になるかもしれませんね、井筒さん。

井筒高雄:そうですね。
そういうふうに現実になっていくのかな、と思います。


おわり

※今の統合幕僚長
統合幕僚長 海将 河野 克俊(かわの かつとし)
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プロフィール
昭和29年11月28日生(神奈川県出身)
防衛大学校(第21期生)

略 歴
昭和52年3月海上自衛隊入隊
平成 8年 1月1等海佐
平成 9年 1月第1護衛隊群司令部幕僚
平成10年 9月海上幕僚監部防衛部防衛課
平成10年12月海上幕僚監部防衛部防衛課 防衛調整官
平成11年12月第3護衛隊司令
平成12年 6月海上幕僚監部防衛部防衛課長
平成14年 8月海将補
平成14年12月第3護衛隊群司令
平成16年 3月佐世保地方総監部幕僚長
平成17年 7月海上幕僚監部監理部長
平成18年 3月海上幕僚監部総務部長
平成18年 8月海上幕僚監部防衛部長
平成20年 3月掃海隊群司令
平成20年11月海 将
護衛艦隊司令官
平成22年 7月統合幕僚副長
平成23年 8月自衛艦隊司令官
平成24年 7月海上幕僚長
平成26年10月現 職

統合幕僚長会談録 自衛隊の暴走許す危険明らか
2015年9月4日(金) しんぶん赤旗

陸海空自衛隊のトップである河野(かわの)克俊統合幕僚長が昨年12月、米軍首脳との会談で、戦争法案の成立時期について「来年夏まで」と伝えていたことが、統合幕僚監部作成の内部文書(会談録)で明らかになりました。法案の作成はもちろん、そのための与党協議さえ始まっていない段階で成立の見通しを米側に伝達していたもので、国民や国会を無視した自衛隊の許し難い暴走です。こうした暴走を野放しにする安倍晋三政権の下で、自衛隊を「海外で戦争する軍隊」へと変貌させる戦争法案の危険性はいよいよ明らかです。

法案の成立時期を「予断」

内部文書は、昨年12月の総選挙直後に訪米した河野氏が米軍首脳らと行った会談でのやりとりを記録した報告書です。日本共産党の仁比聡平議員が2日の参院安保法制特別委員会で暴露しました。

「取扱厳重注意」と記された同報告書によると、河野氏はオディエルノ米陸軍参謀総長との会談で、戦争法案について「予定通りに進んでいるか」と問われ、「(総選挙での)与党の勝利により来年夏までには終了するものと考えている」との見通しを伝えました。

戦争法案をめぐっては、統合幕僚監部が今年8月成立を前提にした部隊編成計画などを示した内部文書を作成し、自衛隊の指揮官らに説明していたことが大問題になっています。中谷元・防衛相はこの文書について、今年5月の法案の閣議決定を受け、中谷氏の指示に基づいて作成されたとし、「国会における審議、法案の成立時期を予断しているものでは全くない」と弁明してきました。

しかし、今回の河野氏の発言はまさに法案の成立時期を「予断」したものであり、しかも、それをいち早く米軍に伝えているという点で問題は極めて深刻です。言い逃れは決して許されません。

報告書には他にも、自衛隊の暴走ぶりが随所に現れています。

例えば、
▽アフリカ・ジブチの「海賊対処」用の自衛隊基地について中谷防衛相は「ジブチの自衛隊拠点の強化や(その他の目的での)活用を念頭に置いて検討しているわけでない」と国会答弁しているのに、河野氏は「今後の幅広い活動のためジブチの利用を拡大させたい」と表明(デンプシー米統合参謀本部議長との会談)
▽政府の今年度予算でも海外調査費がついているだけなのに、「海上自衛隊においては水陸両用戦に供する艦を建造する予定」だと強襲揚陸艦導入を示唆(ダンフォード米海兵隊司令官との会談)―などです。

沖縄県名護市辺野古の米軍新基地建設では「安倍政権は強力に推進するだろう」と述べ、中谷防衛相が否定している自衛隊との共同使用も「辺野古への移転やキャンプハンセン、キャンプシュワブでの共同使用が実現すれば、米海兵隊と陸上自衛隊との協力が一層深化する」と語っています(同)。

首相と防衛相の責任重大

垂直離着陸機オスプレイの問題でも「(同機の)不安全性(ママ)を煽(あお)るのは一部の活動家だけ」(ワーク国防副長官との会談)と事実をねじ曲げ、言いたい放題です。

この間、統合幕僚監部の暴走をかばいだてしてきた安倍首相や中谷防衛相の責任は重大です。国会での事実の究明は不可欠であり、自衛隊の暴走に拍車をかける戦争法案は廃案しかありません。/p>












2015年11月5日
井筒高雄「元自衛隊の立場から戦争法について」文字起こしブログ


1「自衛隊は今、南スーダンに派遣されて中国軍と一緒に活動しているんです」元自衛官井筒高雄さん(文字起こし)

2「海外の軍隊だったら助かるような負傷でも、日本の自衛隊は死にます」元自衛官井筒高雄さん(文字起こし)

3「死んでいい隊員をきちんと用意しておくというのがセオリーです」元自衛官井筒高雄さん(文字起こし)



comment 2
11.12
Thu



井筒高雄さん
2015110521

文字起こし部分のYoutube→https://youtu.be/r53-i9nKXB4?t=14m58s

海外派兵部隊と離島奪還部隊
2015110522

自衛隊。
いま「中央即応集団」というのを今度変えちゃうんですよ。
これは日本全域と海外に行く部隊なんですけれども、これを「陸上総隊」というふうに変えます。
来年の4月だったと思いますけど、そうなるとどうなるか?

アメリカ軍と完全に一体化するんです。
オペレーションが、司令環境含めて全て。
そうするともうすでに、航空総隊、海上総隊というのがあって、自衛隊陸海空全てがアメリカ軍と一体化するという、そういう部隊に改変されます。

一応この「中央即応集団」というのがいま陸自14万いるんですけれども、その14万のうち約5千千200名ぐらいのエリート集団です。
そのもう一つにこの「西部方面普通科連隊」というのが、これは尖閣諸島を含めて離島奪還作戦の部隊です。
この部隊も尖閣だけの問題でいうと、尖閣はよ国ですから、国民がいませんから陸上自衛隊は本来出て行く必要はないんですね。
空から爆撃、あるいはイージス艦などで海から爆弾を砲撃をして、砲撃をして、工作要員等を蹴散らしちゃった後に、最後にもう何もないかな、と陸自が行く程度の話なんですけれども、ま、こういう部隊も作っています。っていうのが実情です。


西部方面普通科連隊

2015110523

で、いまも申し上げましたけど、自衛隊は14万陸自がいるんですけど、特殊資格を持った、レンジャーのような有資格を持った隊員はわずか5000ぐらいなんです。
つまり90%ぐらいの隊員はさっきあった「死ぬかもしれない」というレンジャー教育には行きたくないし、私はレンジャー教育に行くときに遺書を書いたり文書を書くんですが、「そういうところまで腹くくってやらないよ」という隊員の人たちのほうが圧倒的に多いというのが自衛隊のいまの実情なんですね。
2002年にはゴムボートに乗って見学してたんですよ、上陸作戦を。
13年経ったら混成部隊を作って上陸できるところまでしょけんではなっています。
ただこれは一般隊員まで経常化はしていません。



自衛隊の担う、後方支援は
戦争時に最も「攻撃対象」になる

2015110524

それで、いまね、米軍との一体化というところを簡単にお伝えすると、時間がなくなってしまいましたが、簡単に言うと、
なんでアメリカ軍はこの後方支援を民間軍事会社に委託したりだとか、日本の自衛隊に託そうかというと、アメリカの年間軍事予算というのがだいたい70兆前後なんです。
それがアメリカの財政を逼迫(ヒッパク)しちゃう。


また、戦争をするときに一番戦死する可能性が高いところはどこか?っていうと、補給部隊、後方支援なんです

なのでそこを、まずアメリカは民間軍事会社に委託をした。
その民間軍事会社に委託していた契約内容は何か?っていうと、基地の建設、兵器の輸送、兵士の食事管理、兵隊の支援だけじゃなく戦闘も民間に軍事委託しているんです。
戦闘も必ず入るんです。
なぜなら戦争だからです。


ということなんですよ。
それで今度は、この民間軍事会社が担っていたところをアメリカは日本に託す。
そうすると、一番攻撃を受ける補給部隊は、日本の自衛隊員に死んでもらって、血を流してもらって、何か問題が起きても、アメリカの職業軍人に保障するというお金は出さなくて良くて、日本の税金で死んじゃった隊員には棄却する。
アメリカは得をするけど、日本には一体何の得があるんだ?


というのが、アメリカとの軍事一体化の成れの果てですけれども。


https://youtu.be/r53-i9nKXB4?t=18m33s
2015110525

でね、もう一つ言ってないのは、自衛隊って実践に備えていないんですよ。
どういうことか?っていうと、国内で専守防衛でずっと訓練も戦略も研究もやってきました。
ですから怪我をしたときは駐屯地の診療所ですとか、都道府県の2次・3次救急に運ぶとか、救急車に来てもらったりとか、そういうのが自衛隊員が怪我したときの対処です。

これからは海外の紛争地域ですから救急車は来ません。
2次・3次救急も無いんです。
でも一般隊員ができる応急処置は赤チンに絆創膏なんです、残念ながら。

戦況の現場では四肢が飛ぶんです。
腕が飛んだり、足が飛んだり、内臓が出る、っていうところで、アメリカの米兵が例えば衛生兵なんかだと、モルヒネを投与したりするんですが、日本の衛生兵は医師法とか薬事法の関係で「痛み止めの投与すらできない」という状況なんですね。
その中で、自衛隊員は紛争地域で負傷するんです。


負傷して、一般の海外の軍隊だったら助かるような負傷でも、日本の自衛隊は死にます。

そのための研究費用が来年度、約200万付きました。というのが今の自衛隊の実情です。

いいですか、実践の備えができていないんですよ。

救命処置のノウハウ。
血液を失わない。止血をする。気道確保をする。低体温を防ぐなんていうことは、自衛隊は一切教育を受けていません。
訓練もやっていません。

というのが自衛隊の実態です。



アフガン・イラク戦争での米兵の犠牲者数 PTSDを含む
2015110526

アフガン・イラクでアメリカ兵は約7000人死んじゃったんですけれど、負傷者は5万1809人ってなっていますよね。
これ、国防省が嫌々認めた数字なんですが。
この負傷者と死亡者が、わかりやすく言うと、雑多に言えばですよ、逆転現象になるのが自衛隊の今置かれている現象ということになるということですね。

ちょっと時間位なっちゃったので、あとはババッと駆け足で行きます。

自衛隊の防衛予算は約5兆円/年間
2015110527

今までは専守防衛だけだったんです。
そこだけの専守防衛を前提としたコストを考えていればよかったんだけど、
今度は恒久法で海外に行きますから、新たなコストをちゃんと取らなきゃいけませんよね。
というのと、新たな要員を確保しなければならない、ということが出てきますので、
そうすると、税金の配分でいうと、社会保障費等をカットされて、そういうのが防衛予算とか。
あるいは再来年の4月に消費税が10%に上がります。
皆さんは計算しやすくなっただけです、10%になってね。
社会保障だ、借金返済だっていった社会保障のために使う予定だった消費税は、残念ながら防衛予算にことごとくシフトするとか、というのが考えられるかなと。


憲法9条の実践こそ
平和国家の日本ブランドをつくる

2015110528

で、このまとめの部分というのはまた、パネルディスカッションの中で申し上げたいと思います。
以上で終わらせていただきます。





つづく




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comment 1
11.11
Wed
井筒高雄「元自衛隊の立場から戦争法について」

2015年11月5日




井筒高雄さん
201511051

みなさんこんばんは。
ただいま紹介をいただきました、元埼玉県の朝霞市というところにありました、第31普通科連隊というところでレンジャー隊をしていた井筒高雄といいます。
また、最近ネトウヨも含めて「お前は本当に自衛隊んなのか」とかですね、「元レンジャーなのか」ということを突っ込まれたりしていますので、今日もまた持参してきましたので、ちょっと一度このレンジャー国旗をご覧いただきたいと思います。

201511052

これはですね、レンジャーの素養試験というところに合格をすると、レンジャー教育を3ヶ月間受けるんですが、その3ヶ月間おレンジャー教育に行くときに中隊の全隊員が寄せ書きをするんですね。
この国旗の意味というのは、生きて3ヶ月間レンジャー教育を終えたらこうやって記念品として使える国旗なんですが、死んでしまった場合は棺にこれをかけて中隊に戻ってくるという、そういう意味のためのレンジャーフラッグですね。

201511053

ちなみにこれに宮寺と書いてあるのは、レンジャーの部隊ではなくて私の旧姓です。
私は三男で妻が長女だったものですから、マスオさんではないですけれども、私は
異姓ですので、よくメディアの方に「はじめから通称の宮寺で活動してくれているとすごくありがたかった」と言われることもあるんんですが、レンジャーの宮寺というのが私の旧姓でレンジャー隊をしておりました。
ちなみに私の認証番号というのはグランド・セルフ・ディフェンス・フォース陸上自衛隊ですので、Gの1321148というのが私の認番で、これは私が死ぬまで防衛省のLPコードの中に残っていますね。
何かあったときに呼ばれるっていう対象になっています。

それではさっそく、20分という時間なので、レンジャー教育以来緊張した中で、なんとか20分間一気にこのレジメを滞りなく終わらしたいと思っております。


元レンジャー隊員を体験して

まず私がなんで自衛隊に入ったのか?というところからお話をいたしますと、私は別に国防意識もたず、レンジャー隊になろうと思ったわけでもなくて、ここにもありますけれども陸上体育学校というところで競技だけをやって、体育学校っていうのは競技だけをして訓練は一切しないんですね。
任務は「オリンピックに出ること」です。
で、「日の丸を上げること」そういう学校なんですけれども。
ご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、先の東京オリンピックでマラソンの銅メダリストになった円谷幸吉さんという方が1期生で最初で最後のオリンピックメダリストなんですけれども、この体育学校を目指して私は入隊しました。

しかしながら実力がなかったので、体育学校を正規入学をして大会に出るような選手にはならずに、一般部隊に、ま、戻されたと。
で、一般部隊に戻されて、「体育学校上がりは自衛隊のことは全然できないけれど体力だけはあるから」ということで、ゆくゆくレンジャー教育に、中隊長推薦で行くことになるんですけど、今日は時間の関係でその辺は割愛させていただきますが。
この下の写真というのが歴代の自衛隊の体育学校のオリンピック世界選手権のメダルです。
201511054

もちろん賞状とかメダルとか展示室を作ってみれるようになっているんですけれども。


自衛隊の入隊時に交わす「契約」について

自衛隊というのは体育学校に行こうが、普通の一般隊員で入ろうが「服務の宣誓」というのをするんですね。
この「服務の宣誓」をして自衛隊に入隊することを許可されるということになっています。

[自衛隊の服務の宣誓]
私は、我が国の平和と独立を守る自衛隊の使命を自覚し、日本国憲法及び法令を遵守し、一致団結、厳正な規律を保持し、常に徳操を養い、人格を尊重し、心身を鍛え、技能を磨き、政治的活動に関与せず、強い責任感を持って先進職務の遂行にあたり、事に臨んでは危険を顧みず、身をもつて責務の完遂に務め、もつて国民の負託にこたえることを誓います。



服務の宣誓には何が書いてあるか?って言ったら「日本国憲法及び法令を遵守する」っていうことと、一般の公務員とちょっとだけ違うことはここです。
「事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に務め、もって国民の負託にこたえる」というのが自衛隊の服務の宣誓なんですね。

ご承知のように自衛隊は特別職国家公務員といって、憲法99条の擁護義務を課せられていると同時に、服務の宣誓でも再び「憲法と法令を重視する」という事が課せられているわけなんですけど、この間の9月19日の強行採決によって。
この服務の宣誓をする大前提は、今年61年目を迎えました自衛隊というのは、「専守防衛のための服務の宣誓」だったんですね。
つまり日本の領土と領海と領空、それから航海と航空に対して、「命を差し出すけれども任務を遂行しますよ」国を守ります」「国民を守ります」っていう事だったんですが、

その服務の宣誓の大前提の状況が一変したのが、9月19日の強行採決による安保法制の法案の成立という事になってしまうんですが。

ですから、私は個人的には「服務の宣誓の契約違反じゃないの?」というふうに思っております。

また、ここに「国民の負託にこたえる」という事が書かれているんですが、
例えば、東日本大震災のように「災害派遣の自衛隊はよく頑張った」といって、皆さんから評価を頂くような環境に自衛隊員も今置かれていて、「それで国民の負託にこたえられるか?」というと、多くの国民の皆さんは「あの臨時国会で法案を成立させるのは反対だ」という人たちが8割以上。
「もともと安保法制そのものが反対だ」という人もいれば、6割以上の人がそういう声をあげていた。

つまり今の自衛隊員というのは、「まだ国民の負託にこたえるような環境にはおかれていない」。
むしろ「安倍晋三さんとか、アメリカ軍の負託にこたえるために今の自衛隊というのがおかれてしまっている」のが実情ではないかなというふうに思うわけであります。


自衛隊の主たる任務の変遷

自衛隊には「主たる任務」というのがあるんですけれども、「主たる任務」というのがどんどん変遷しちゃっているんですね。

もともとは、私は1988年18歳で自衛隊に入りました。
体育学校で陸上で名を馳せようと思って入ったわけですけれども、
その当時というのは、まだ自衛隊の任務というのは第3条で
自衛隊法第3条(1991年までの主たる任務)
1防衛出動
2治安出動
3災害派遣
この3本柱だけだったんですね。

ところが1992年にPKO法(Peace-Keeping-Operations)というのが成立しますと、この3大任務の他に「付随任務」としてこのPKOで初めて自衛隊がカンボジアに派遣されるという。

で、私は当時92年の時には、すでに3等陸曹といって定年退官する時までの階級に上がっておりました。
もうレンジャー隊にもなっておりました。

そういう、一応自衛隊の中ではプロフェッショナルと言われているレンジャー隊員としてこのPKOの成立。
今の安保法制でも全く自衛艦の人権とか命というのは変わっていないですね、ぞんざいに扱われているんですけど、そうした取り扱いが私は到底受け入れることができない。

なぜなら、PKOであれなんであれ、看板はどうであれ、
軍人が軍人みたいな格好をして、武器を持って紛争地域に乗り込んでいったらそこは戦場になるんですね。

「敵が撃ってくるまで撃たない」というのは、それは「死ね」というのに等しいわけです。
で、反撃をして、「もし反撃した中に傭兵だか市民だかわからなかったのが市民だった」ということになったら、撃った隊員は殺人罪で日本に帰ってきて刑事罰を受ける。
職を追われなければいけないという、こんな馬鹿げた話はないわけですよ。

自衛隊が暴走して海外に行ったわけじゃないんです。
国会で政治が判断して自衛隊を派遣するんです。
その命によって紛争地域で武力交渉をするというだけで、「それはやってられないね」というわけで私は退職するんでねすけれども。

92年の法律ができて、93年にPKOでカンボジアに行ったのが皮きりですよ。
ね、平和維持活動とか聞こえはいいんですけど、2004年にはどうなるか?というと、イラク・サマワというところに行きます。陸上自衛隊が。
2004年のサマワから11年経った2015年。
遂に93年に初めてカンボジアに平和維持活動だって言ったPKO法律がどんどんどんどん拡大解釈をされて、活動できる法律ができちゃったっていう、93年から2015年の自衛隊の主たる任務が大きく変わっていく結果なんですね、今。



集団的自衛権の行使(自衛隊法)
第3条 自衛隊の任務

201511058

改正前には自衛隊の任務っていうのは、「国の安全を保つため、直接侵略及び間接侵略に対し我が国を防衛することを主たる任務とし」ということだったんですね。
直接侵略っていうのはよその国の軍隊が直接日本に攻めてくる。
間接侵略というのはよその国の軍隊は直接攻め込んではこないんだけれども、よその国の軍隊がコーディネートしたテロ組織なり武装集団なりが日本に工作に入るということを間接侵略というんですが、
「そういうことに対して我が国は防衛しますよ」ということが自衛隊のこれまでの、9月18日までの任務でした。

9月19日からは「直接侵略と間接侵略を取ったから、自衛隊は世界中どこへでも行っていい」そういう法律に安倍さんは作り変えたんですね。


PKOの中で既成事実を積み上げる

PKOの中で既成事実。
これから戦争はPKOの中で起こるんですね。
どういうことかっていうのをお話ししますけれども、一番安倍さんが今回の、みなさん複雑怪奇だったと思います。
安保法案の中身わからないんですよね。10本にまとめられて新たにできましたけれど。
一番安倍さんが絶対に法案として押し通しかったのが、このPKO改正なんですよ。

2015110510

なんでPKOの改正なのか?というと、
安倍さんはこの中で平和の5原則、国連でPKOができた時、一番最初の取り決めの約束は
1紛争当事者の停戦合意をしていますよ。
2受け入れ国を含む当事者の受け入れ同意がありますよ。
3中立的立場の厳守ですよ。
4状況が、今言った3つが変わっちゃった時には撤退できますよ。
5そして、武器の使用というのは、要因の生命等の防護のために必要最小限に限定で行う
というのがそもそものPKOで。
「今回もこの5原則があるから」という言葉で押し通すんですね。


PKO法の改正→軍事衝突のリスクが上がる

2015110511

ところが現在のPKOはどういうことか?っていうと、
現在のPKOは住民保護の状態ですね。
住民保護をなんでするの?っていうと、
先ほどは、停戦があって、中立があってということでしたけれど、例えばいま南スーダンというところでね、自衛隊は派遣されています。
中国軍と一緒に活動しているんですよ。

平和維持活動ね、PKOの。

だけど、南スーダンはどういう状況にあるか?というとですね、大統領派と副大統領派に分かれて内戦をしているんです。
中立状態じゃないんですよ。
さっき言った参加5原則の一番最初の第一項目(1紛争当事者の停戦合意)がすでに破られているのが、いまのPKOの自衛隊が置かれている現状です。

大統領側が政府軍、副大統領側が非政府軍、という状況の中で自衛隊は中国軍の軍隊と一緒にPKO活動をしているんです。

これから9月19日に強行採決された中での1本であるPKOの改正によって、
住民保護」という名の治安維持活動をするんですよ。
これはどういうことか?というと、政府軍大統領派だけではもう住民を保護できないからって、国連軍PKOが住民保護をしなさい、っていうのが、今のPKOのルールです。

その中で住民保護をするためには、「住民が殺されそうになった時には武力行使をして相手を殺す」
住民が虐殺されてしまった現場では、「相手を武器を使って制圧しちゃっていい」というのが住民保護の内容です。

もう一つ「駆けつけ警護」というのが言われていますよね。
駆けつけ警護ってなにするの?っていうと、
中国軍のPKO部隊が、例えば副大統領はにやられてしまった。
そういう時にはどうするの?
日本の自衛隊が武力行使をして中国軍を助けるんです。
というのが今の南スーダンでこれから自衛隊が新たな任務で軍事活動に転換せざるを得ないという法律が、安保法制の自衛隊法の改正なんです。


つまり、新3要件とか、国の存立危機だとか、っていうことじゃないんですよ。
みなさんPKOだと「ま、いいんじゃない。国連のことだし、いいんじゃない」と思われるかもしれないんですが、そのPKOの中で、戦争が一つずつ既成事実化されていくんですね。
PKO活動の中で自衛隊は「人を殺し殺される」っていう環境におかれて、戦死をするし、殺傷をするし、っていうのがこれから現実に行われるんです。


問題はタイミングです。
安倍政権は当初2月と言っていました。
でもね、2月、それが5月に延びるわけです。
でもね、その5月が今度は11月に延びるんです。
何でだかわかります?

2月、5月にこんな任務を付与して本当に既成事実ができちゃうと、7月、今10日と言われているんですけど、参議院選挙。
7月10日の参議院選挙で「自公政権が選挙に負けちゃう、そういうリスクがあるから、自衛隊の住民保護駆けつけ警護というのは来年の11月にましょう」というのが安倍政権のPKO改正の施行のタイミングなんです。

本来「積極的平和主義」と言うならば、本当にこういう任務を作ったのならば、直ちに適応させろよという話です。
本当にね、「紛争を解決するんだ」と言うんであれば。
参議院選挙の結果なんかどうにでもしろよと言いたくなってしまうんですが、実情はそういうことですね。

もう一点の新法というのが「国際連携平和維持活動
これはもう、国連は全く関係ありません。
アメリカ軍やアメリカ軍と同等の多国籍軍が主導する侵攻とか占領の占領の戦争の中で、「アメリカ軍が紛争当事者を決めることができて」、「アメリカ軍が紛争当事者の同意を取り付けることができて」という中で、日本の自衛隊はロジスティック、後方支援をするそうです。補給活動ですけどね。

どういうことをするか?という前に、自衛隊はいま「中央即応集団」というのを今度変えちゃうんですよ。


つづく



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11.10
Tue
https://youtu.be/3J3kDNbnctM?t=45m34s

明治大学大学院生 千葉泰真さん
大学生

錚々たる学者の方のあとでこのように喋る機会をいただいて大変恐縮しています。
僕のあとに時の人となった奥田君が控えていますので

大学院の修士課程で現在政治学を専攻している千葉泰真と申します、よろしくお願いします。

昨日幾多遺恨を残しつつの成立した安保関連法ですが、法案それ自体の問題もさることながら、法案を成立させるプロセスにも本当に感化することができない幾多の問題がありました。

国民から委託された採決権を野党議員から奪う、あの人間鎌倉ですね。
そして説明をなかったことにする嘘と欺瞞、改ざんとねつ造にまみれた議事録。
さきの国会を見ていると「政治とは何か」「誰のために行われる営みであるのか?」それがわからなくなったのは僕だけではないはずです。

ここにいらっしゃる、法律憲法についてまさしく生涯をかけ研究なされてきた学者の方々が、安倍政治に対し強い憤りを覚えているのと同じような感覚が僕の中にもあります。
僕は恥ずかしながらも大学院で政治学を学んでいるものとして、政治が何であるかをけなされた気がして、悔しさと怒りを覚えました、

「政治とは一体なんなんでしょうか?」
ある辞書にはこのような定義で表されていました。

1.それは一主権者が領土、そして人民を収めること。
2.ある社会の対立や利害を調整して社会全体を統合するとともに社会の意思決定を行いこれを実現する作用。

これに示されているように、政治とは主権者が主となる行為です。
その主体は政権を取り権力を握ったつもりでいる個人では、断じてありません

そして社会の対立や利害を調整して社会全体を統合し意思決定をなす作用、それこそが政治と呼ばれる行為なのです。

安倍政権が行っている、社会の対立を煽り権益にまみれた一方的な利害の調整は断じて政治ではありません。

政治を学ぶ身として、今この国の議会と呼ばれる場所で行われている、あの偉そうな茶番を僕は政治とはみなしません。
政治とはもっと、叡智と誠実さに満ちた営みであり、議会政権主義とは違憲状態の選挙制度を拠り所にした多数決ゲームでもありません。

政治の話なんて知らなくても、興味がなくても、関わりを持たなくても生活をすることはできます。
むしろその方がbetterという社会の風潮すら感じます。
しかし政治に参加しないということは現在の日本の選挙制度では体制に対して「Yes」と言うことです。
無関心でいることは、今起ころうとしている国家的犯罪に「Yes」という態度を示すことです。

与党だけで政治が行われるのなら、政権についている権力者だけが政治を行うのなら、さらに言ってしまえば安倍晋三だけが政治を動かすのなら、それは「独裁」と呼ばれる政治体制と何が違うのか、僕にはよくわかりません。

「国民不在の政治」という言葉がありますが、確かにそう表現することもできるでしょう。
しかし、この国はまさに正当な手続きによる誠実な政治が不在しているのではないでしょうか。
この国の主権者は何があっても私たち国民一人一人です。
議会制民主主義において、国会議員は僕たちの代表であるべきです。
僕たちの代表が選んだ総理大臣もまた、僕たちの代表であるべきなのです。

残念ながら安倍政権はもう僕たちの代表ではありません。
僕たちの代表ではない以上、安倍政権が政権の座に留まり続ける意義も大義名分もありません。

やはり僕たちは「日本を取り戻さなければいけないんじゃないか」と強く思うんですよね、総理の安倍晋三からです。
彼の全時代的な駄作、そして歪んだ、そしてやっぱりダサいイデオロギーに立脚した政治に「NO」を叫びましょう。
彼が声高に叫ぶ「戦後レジームからの脱却」とは一体なんなのか?
それは戦争への回帰なんでしょうか?
戦争から抜け出すということは現在の対米追随の外交ではなく、独立した主権国家として責任と誇りを持ち、国家運営を行うことこそが「戦後からの脱却」であると、僕は強く思います。

誰が言ったのか、ちょっと僕にはわからないんですけど、
「政治とは国民の写し鏡である」という言葉があります。
ヘイトスピーチがあふれ、中国や韓国が嫌いだと訴えている本が売られている国は、果たして美しい国なのでしょうか?
ナショナリズムを煽り強い●を掲げつつ、尻尾を振って覇権国家のパシリになるような政権があり続けることはこの国の本質に他なりません。

安全保障の危機を煽る演説の中には「抑止する」ということばがありますが、
「争いを抑止する」のは互いに剣を突きつけあい兵器開発を競うことではなく、互いを深く理解し合うことこそが争いの抑止です。
これは理想論でも、非現実的な話でもありません。
一千数百億円のイージス艦を買って抑止力なるものを高めた気にならず、一千億円規模の文化交流をすればいいんです。
これは相当な規模の文化交流になるでしょう。
歴史に残るような規模になるでしょう。
そしてそれを通してお互いの胸に言葉や国籍を超えた共通の認識が刻まれるでしょう。
それはもし、もしも外交的な危機が訪れた際に、イージス艦よりもはるかに争いを抑止する力に僕はなるんじゃないかと思います。


戦後70年目を迎えました。
あの言葉にすることすらできない悲惨な戦争の記憶のことと、日本国憲法の崇高な理念の存在はこの国を戦場から遠ざけてきました。
現在とは過去の上にあり未来に繋がる場所です。
この国の戦後70年の歩みとは「再び国民を戦争に送らない」という先人の願いであり、現代の誓いです。
戦争の記憶、崇高な理念、先人たちの願い、そして不戦の誓い。
それは一政権にないがしろにすることは決して許されることではありません。


「民主主義ってなんだ」って
昨年から僕たちが叫んでいたこの問いの答えを、僕たちはこの夏の戦いの中で見つけました。
この数ヶ月のこの国の民主主義の前進は決して過大評価ではありません。
正直「ダルい」と思っていた政治の話を、「面倒くさい」と思っていた投票に行き意志を示すことの大切さを。
「よくわからないけど大事だね」ぐらいの感じだった民主主義や立憲主義といった崇高な理念をいま日本社会は再び見つめ直しています。


杖を片手に「憲法を守れ」と力強く叫ぶ老夫婦。
会社帰りに抗議に参加するスーツを着たサラリーマン。
地方の小さな町で開かれた小さな抗議集会。
おしゃれをしながら渋谷でデモをする学生。
子供の手を引き一緒に行進する母親。
えー、やっと研究室から出てきた学者。

誰に付いてきたわけでもなく、見返りを求めるわけでもない。
自らの意志で路上に立ったこの国の主権者の強い意志を持つ彼らの姿に、僕はこの国の民主主義の未来を感じずに入られません。

デモクラシーの大義を得たこの運動はこの先も広がり続けます。
安倍総理大臣が後世に伝えられるときは「集団的自衛権を行使できるようにした総理大臣」としてではなく、「悪政によって日本の民主主義を再び目覚めさせた人物」として伝えられるでしょう。

最後に学問と政治、についてちょっとこの場でせっかくなので話したいのですが、
安保闘争から東大紛争に至る50年代から60年代の紛争は、世間に「政治を語る学生は過激であり危険」という認識を植え付けて終わりました。
一方それを生み出したカウンターカルチャーともいうべき「学生は政治を語るべからず」のような風潮が生まれ、学生は社会から切り離された「ただ学べばよい存在」となりました。

いま学生は、社会が抱いている「学生と政治」という二つの言葉の組み合わせが持つ一つのアレルギー反応から解放され、再び路上に立ちました。

では、かつてのように強い心情や思想を持たない私たち現在の学生を動かしているのはなんなんでしょうか?
それは3.11以降、実感を持って突きつけられた、放射能といったリアリティーのある恐怖や、侵されようとしている自らの権利に対する現実的な危機感であり、立憲主義や憲法の破壊に対する怒りに他なりません。

それは決して首都東京だけの問題ではなく、東京から始まったこの学生緊急行動は全国の同世代の若者の共感を呼び、今や全国で学生や若者が動き出しています。

学生と学者。
同じ姿勢、学問を拠り所にしながらも距離が遠かった両者は、いま悪政を前に肩を並べ路上に立ちました。
僕たち学生はより良い学者に問いかけ、学生はその知性・学問の偉大さを説くでしょう。
人類が数多の歴史を重ね紡ぎ出した英知。
それこそが学問です。

この国の民主主義に対する重大な挑戦を決して許してはいけません。

僕たちは、言葉を剣にして、知識を盾にして、崇高な日本国憲法の理念を共に手を取り守り抜きましょう。
不勉強で不道徳、そして不誠実な政治にNOを叫びましょう。
反民主主義、反主権主義、反立憲主義の政治にNOを叫びましょう。
僕たちは立憲主義を、平和主義を、この国の戦後70年の歩みを諦めません。
僕たちはもう声を上げることを恐れません。
決して立ち止まりません。
この国の民主主義は歩みを続けます。

私は安倍政権の改憲と安全保障関連法の即時撤回を求めます、ありがとございました。



法学館憲法研究所 中高生のための憲法教室
第42回<戦後レジームからの脱却>


安倍首相は総理大臣に就任して以来、「戦後レジームからの脱却」が必要だとして改憲を主張してきました。今月はこの意味を考えてみましょう。まず、戦後レジーム(戦後体制)とはどういうことなのか、第二次世界大戦に負けて60年前に現在の憲法が施行される前後、つまり明治憲法下の戦前と戦後を比べながら明らかにしてみましょう。
 
戦前は、1874年の台湾出兵に始まり、71年間もアジアに向かって軍事侵攻し戦争をし続けた国でした。
戦後は新憲法の下で、「再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し」た上で、9条2項によって戦力を持たず、一切の戦争を放棄しました。その結果、60年間直接的な戦争をしない国でい続けることができました。
 
戦前は、国のために犠牲になることはすばらしいことだと教育するために、国家が教育内容を決めて介入してきた国でした。
戦後は、教育基本法を作り、教育は不当な支配に服することがないようにし、教育行政も条件整備に限定しました(旧教育基本法10条)。
 
戦前は、戦死という悲しい出来事を、国のために戦って死ぬことは名誉あるすばらしいことだと讃えるために靖国神社という仕組みを作り、宗教を戦争に利用した国でした。
戦後は、政治は宗教に関わってはならないという政教分離原則を採用しました(20条3項)。
 
戦前は、思想良心の自由は保障されず、君が代や日の丸を通じて、天皇崇拝や軍国主義思想が強制されました。表現の自由も法律によって自由に制限できる国でした。
戦後はこれらの人権を憲法で保障し(19条、21条)、国会が作った法律でも不当に人権を侵害できない国になりました。
 
戦前は、都道府県は政府の出先機関のような役割を果たすだけでしたが、
戦後は、地方自治を憲法で保障し、政府が地方自治の本質を侵すことができないとしました(92条)。
 
戦前は、障害者、女性、子どもを戦争に役立たないとして差別した国でしたが、
戦後は、差別のない国をめざしてきました(14条)。
 
戦前は、華族・財閥・大地主のいる一方で貧困に喘ぐ人々も大勢いた格差のある国でしたが、
戦後は、貴族制度を禁止するとともに(14条2項)、財閥を解体したりする一方で、すべての国民の生存権を保障し(25条)、格差の是正をめざす国となりました。
 
そして何よりも、戦前は、天皇が主権者であり、その国家のために個人が犠牲になることがすばらしいという価値観の国でしたが、
戦後は、主権者は一人一人の国民となり(1条)、その個人の幸せに奉仕するために国家があるのだという個人を尊重する国になりました(13条)。
 
国民は60年前に憲法を制定して、こうした戦前の旧体制に決別して新しい国になることを決意したのです。
これが戦後レジーム(戦後体制)です

この新憲法下の戦後体制のもとで、国民は、一人一人を大切にする新しい時代の日本に生まれ変わろうと努力してきました。戦前のように教育に国家が介入したり、宗教を利用しようとしてきたら、憲法がそのような国家の行為を禁止し、これを止めてきました。
政府が海外で軍事力を行使しようとするときに、憲法がそれをくい止めてきました。
憲法は国家権力を縛って、私たちの権利・自由を守り、平和を守ってきたのです。
 
この戦後レジームから脱却するということは、これらの価値を否定して、つまり、60年前に戻ることを意味します。
 
安倍総理はまず教育基本法を改正して、教育の目的を「国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた国民の育成」(新教育基本法1条)としました。
つまり国を支えるのに相応しい国民の育成を教育の目的とし、国家のための教育としました。
その結果、国を愛する態度が教育の目標として掲げられ(2条)、靖国神社を参拝して宗教との関係を復活させようとします。
また、有事立法の下では地方分権も名ばかりです。
女性蔑視発言をする閣僚を抱え、女性差別をなくすための民法改正に消極的です。
医療制度改悪、障害者自立支援法という名の弱者切り捨てを強行し、アメリカ流の極端な自由競争の結果、所得格差、教育格差、情報格差が広がっています。
そして何よりも、個人よりも国家の価値を大切にすることを国民に押しつけようとしています。
これが戦後レジームからの脱却の意味であり、その集大成が「戦争ができる国」にするための憲法改正です。
 
ですが、戦後の日本が歩んできたこの憲法の体制を維持し発展させるか、それとも大きく変えて昔に戻すかを決定するのは、あくまでも主権者たる国民であることを忘れてはなりません。









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11.09
Mon
原子力規制委員会 
上水(蛇口水)のモニタリング

<測定方法>
水道の蛇口から毎日一定量の水道水を採取し、
水分を蒸発させて濃縮したものを3か月分まとめて
ゲルマニウム半導体核種分析装置を用いて分析。
全都道府県の水道水の数値が3カ月ごとに公表。


環境放射能水準調査結果(上水(蛇口))(平成27年7-9月分) 平成27年10月30日
水道水

1.本データは、1Bq/Lを1Bq/kgとみなす
2.原子力規制委員会が各都道府県等からの報告に基づき作成
3.検出下限値は、I-131、Cs-134、Cs-137すべて0.001Bq/kg未満
(参考)水道水中の放射性物質に係る指標の見直しについて(厚生労働省)における水道水中の新たな目標値 放射性セシウム(セシウム134及び137の合計) :10Bq/kg

いつものようにグラフにしてみました。↓クリックすると大きく見ることができます
水道水201509


では、2015年7月から9月の水道水セシウムランキング発表です!

水道水ランキング201509

1位 栃木県 0.00442
2位 山形県 0.0032
3位 群馬県 0.0021

4位 宮城県 0.00195
5位 東京都 0.00186
6位 茨城県 0.0017
7位 福島県 0.0015
8位 埼玉県 0.0014
9位 千葉県 0.00085
10位 岩手県 0.00067
11位 神奈川県 0.00063
12位 新潟県 0.00036

過去の順位は↓クリックすると大きく見ることができます
セシウムランキング26と27

セシウムランキング24と25




全国の都道府県で半減期が2年のセシウム134が検出されたのは4県。
セシウム134ランキング
1位 栃木県
2位 山形県
3位 宮城県
4位 東京都

セシウム合計で第3位に位置する群馬県からはセシウム134は検出されていません。

セシウム134とセシウム137の数値だとセシウム合計とランキング順位がどのように変化するのか?
それぞれ含まれている量が多い順番に出してみました。

水道水セシウムごとランキング201509


セシウム137ランキング
1位 栃木県
2位 山形県
3位 群馬県
4位 茨城県
5位 宮城県
6位 福島県
7位 東京都
8位 埼玉県から12位 新潟県まではセシウム合計と順位が変わらずです。




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11.09
Mon



文字起こし部分のYoutube→https://youtu.be/3J3kDNbnctM?t=30m32s
小熊英­二(慶応義塾大学教授)
小熊英二教授

この夏の事態について話せということだったので、他の方が現場に即したお話をしてくださっているので、私はちょっと距離をとって、2000kぐらい距離をとっての見方をしますと、
最近世界的に大衆運動がまた起きてきているわけです。
それが私の中ではかなり共通の背景が起きてきていることと、その社会ごとの特性が起きてきているのと両方あります。
先に世界的な共通性というか普遍性について説明をした上で、日本の特性、出方の特性ですね、それを話をして、この夏を私がどう考えているのかという形で話をしたいと思います。

世界的な共通性としては、これはよく言われるグローバル化と情報化という言葉に集約されるようなことが起きているわけです。
もう一つは市場の浸透という意味です。
そこで起きてきていることというのは、雇用の不安定化であるとか、市場経済の浸透であるとか、未来に対する不安であるとか、そういったことが起きてきているわけですね。

あともう一つ共通して起きてきている現象が、20世紀の政府が21世紀の社会にだんだん合わなくなってきたことであって、例えばマスメディアの仕組みというものがもう21世紀の現在にあっているのか?
つまり、かなり大きな新聞社やテレビ会社というものが、ま、日本には記者クラブというわかりやすい象徴的な制度がありますけど、そういうタイプの情報の集め方で、ま、要所要所に記者クラブが配置されていて、例えば商工会議所であるとか、政党であるとか労働組合とか、そういうところに配置されたところから情報を取ってくるというシステムがだんだん21世紀の社会の実態に合わなくなっているという現象が起きています。
ま、その代わりにインターネットが間を埋めるという形になっていることは皆sなんご存知だと思いますが。

選挙というものも、私のように何世紀単位で見る人間から見ると、20世紀半ばに成立した制度ですね、普通選挙というものは。
それが現代の社会に果たして、全社会構成員実施を廃止するのに適した制度になっているのかなっていないのかというものが、だんだん、もしかしたら問い直されつつあるのかもしれない。
それに対する不満とか不安というものが、時に直接民主制の要求を帯びるような大衆運動として出てきている影響という共通性は世界的に見れるのではないかなと思います。

あともう一つ社会的に起きている現象がですね、従来の右左という体質ではだんだんなくなったということ。
これは2〜30年前から言われていることです。
どうして従来の右左の体質じゃなくなるかというと、それはもう、基盤そのものが変わったからであって、
例えば従来の左と言われているものの基盤だった労働組合だとか労働者階級意識みたいなものは、もうこれは変わらざるを得ない。
それから従来の保守側の基盤だった、ま、日本だったら自治会だとか町内会とか、あるいはイギリスみたいなところだと貴族階級意識みたいなそういうものっていうのは、これは変わって来ざるを得ない。
そうなってくると従来の右左ではなくなるっていうのは、これは当然のことです。

で、一時期90年代から2000年の最初の頃ぐらいまでは、従来の右左みたいなものが失効してだんだんみんな中同化してきていると言われていたんですけれども、2000年代の後半ぐらいになってくるとまた、両極化が激しくなってきました。

現在世界的にどこでも両極化が激しくなってきています。
それはいろんな理由があります。
というのは、やはり経済政策やなんかではどの立場を取っても、あまり打てる手が少なくなってきたので、アイデンティティーの政治というところに移るようになってきました。
で、アイデンティティーの政治という形になってくると、インターネットの助けということもあって両極化が起きやすくなる。
これは例えば、アメリカみたいな形ですとエスニック・アイデンティティという形に出てくる●政治になりますし、ジェンダーもありますね。
ヨーロッパですと移民という問題で出てきたりします。
あるいは宗教という形で出てきたりします。
日本でその代役になっているのは歴史認識だろうと私は思っています。
あれは日本における宗教の代役みたいな機能を果たしていると私は思っておりますけれども。

ま、そういう形でアイデンティティの政治という形が起きて両極化が起きているということという現象が、私には共通している部分があろうかと思っています。

その中で、両極化ということになった場合に、どっちが右か左か、ということは今となっては意味をなさなくなってくるわけですが、どちらかというと保守的な定義を掲げている側の方が至上主義と結びついていて、そして現状の秩序を変えるという方向に行くという傾向が世界的に見られる現象です。

なぜナショナリズムと至上主義が結びつくのか?ということについては、これは分析ができますが、ここでは省略します。

ただナショナリズムと至上主義、保守的なアイデンティティと至上主義という形の組み合わせの政治勢力なり政党というものが現状秩序を変革していくという方向がある。
これが世界的にわりと起きてきていることであります。

その場合、保守的なアイデンティティを掲げていても、それはある意味象徴にしかならない。
なぜか?といえば、もうすでに消えているものだからですね。
貴族階級意識とか、純粋な民族フランスとか、もうあり得ないわけですから、どう考えたって。
あるいは昔の村を取り戻すとか、本当に消えているものですからね、実体としては。
ですから幻想にならざるを得ないわけですが。
そういう象徴を掲げて実際にやっていることはグローバリズムであるという組み合わせが多くなってきています。

当然、社会全体、世界全体が昔の安定性を失っていますから、みんな非常に不安を抱いています。
不安を抱いている状態から、「より改革をしていこう」という思考と、「昔の秩序を守りたい」という思考と両方出てくると私は思っておりますが。
ま、あえて乱暴なことを言うと、「幻想としての昔の秩序、昔のアイデンティティを取り戻す都いう形で、実体としてはグローバル化を進める」という組み合わせと、「アイデンティティ的には現状適応なんだけれど、どちらかというと、特に先進国においては昔の生活レベルや昔の社会保障レベルをできるだけほうえいしていこう、あるいはそれを手直ししながら維持していこう」という勢力の分割という形になってきているのかなというふうに感じております。
ま、これを従来の右左に当てはめるのは適切ではないと思いますけれども。

で、そうなってきますとどういうことが起きるか?というと、
どうしても、先程言った前者、つまりグローバリズムと右派的アイデンティティの組み合わせの方が攻撃的になりやすいわけですね。
そうするとそれに対抗する側はそれに対して、なんとか現状、あるいはかつての秩序を防衛する。
あるいはある一定程度達成された生活レベルや雇用レベルを防衛すると言う形の反応になるのはこれはある程度自然なことであって。
ただ、結局先頭システムからは阻害されているということがありますから、ある種の疎外感と、それから大衆運動と、直接民主主義行動という組み合わせになるという現象が各地でみられるのかなというふうに考えています。
以上が普遍的な部分です。

「日本に特徴的な」という部分にうつしますと、やはり世界に普遍的に同じようなことが進んでいる部分があると私は思うのですが、各国に行ってみたり話を聞いたり、またそこの地域のレポートの論文を読んでいたりすると、やはりそれぞれの社会の文脈というものがあって。

先ほど言いましたけれども、やはりヨーロッパ、ま、国によりますけれども、普遍的な人権主義がヨーロッパなんだという意識が強かったり、特にフランスなんかそうですね。
そういうところですと宗教や移民の問題という形、あるいは共和制を守ると。
それが建国の国政だからという形で出てくるという形の大衆運動が出てくるし。

アメリカの場合はこれは外れてるかもしれませんが●ウォールストリートみたいなことが起きたのは、一番はやはり金融投資で失敗した銀行に法的資金を注入するのは許せないと。
アメリカは自己責任と平等の国だろうと。
自由と平等のアメリカなのになぜ大資本ばかり法的資金で救われるんだ、これは許せない。
そこが怒りに火がついた大きな理由ではないかなと私は勝手に思っております、違うかもしれません。

やはり広範に怒りを誘うというのはそういった現象だと思いますけれども、
では現代日本で考えるとすると、やはり現代日本はフランスにとっての自由平等友愛にあたるものは、日本にとってはやはり平和と民主主義と憲法という部分が、日本国全体とは言いませんけど、ま、ある程度の数の人には共有されているという状況にありますので、それも価値観と秩序を犯す動きが出てきた場合には、かなり激しく反論するということが見られたのかな、というふうに思っております。

ただ、その現象そのものは戦後の日本である程度一貫してみることができたんですけれども、実態はかなり昔とは違っているわけであって。
昔だったら例えば労働組合が労働組合の旗を掲げて。
これは日本の特徴といってもいいんですけれども、スローガンとか政治目的の「こうしましょう」とか、「こういうことを主張します」の旗を掲げるんじゃなくて、団体旗を掲げてくるんですね。
「我々はこの団体だ」という旗を掲げてくるんですよ。
あれの旗の方が多いというのは割と日本の特徴かなと思っておりますけれども。
ほとんどが中間集団単位で動くというのが日本の運動では多かったと私は思っておりますけれども、
その傾向は世界普遍的にやっぱり今回はかなり崩れたというか、そこまでの動員力がもう、ローソンの自治会もありませんから、もう保守も革新にもその動員力がないので。
主催グループの100人なり200人なりがインターネットで情報を拡散して、そこにワーッと集まってくるという。
ま、割とこれも世界普遍的な形態になってきているなと思います。

ですから、学生というグループが表に立っても、従来、例えば60年代にあったような、学生の自治会で多数派とって、自治会決議作って、「なんとか大学自治会」っていう旗が出て学生ばっかりが出てくるという形態には全くならないわけですね。
そもそもSEALDsの皆さんの話を聞いていると学内で組織するという感覚は全く最初から持っていらっしゃらないようですから、自由参加ネットワークというここの実態の変化は明らかにあるわけです。
ここも世界普遍的です。

ただ日本の特殊性としてはやはり、憲法、立憲主義、立憲主義というのは戦後の日本じゃないですけど、戦前の日本からはある程度蓄積されたスローガンですから、当然立憲主義の場合には「乱暴な動きに対して在来の良き法秩序を守れ」というそういう部分を含みますので、これは世界普遍的なものに共通しているわけすけれども。
それと日常に対する不安感みたいなもの。
もちろん同時進行でTPPみたいなものも進行していて、あるいはこういう規制改革みたいなものも進行していたということ、あるいは大学の良さが削られていたりとか、そういうことも進行しているいろいろな不安感を醸し出している状況の中で、一番社会秩序の根幹の価値観に関わるような部分に触れた動きがあったのが今回の反応なり、という形なのかと私は思っていました。

ただ実態としては明らかに30年前、40年前とは違ったものであり、日本的な戦後日本的な文脈の現れ方をしているというのも、非常に世界普遍的な動きであろうかなと思いました。

この点は、例えば2011年以降の原発の反対運動っていうのは、
あれはどちらかというと戦後日本に蓄積されたコンテストとはまた別のところで、本当に直接のショックからドーンと出てきたものですからちょっと違ったものだと思います。

まとめろという話ですけれども、
ま、こういうところからとりあえず分析をしてみました。
で、これをどう今後につなげるかということについてなんですけれども、ま、これはこのあと話し合えばいいと思いますが、割合世界共通的に、これを選挙結果という形と結びつけるのはどこも苦労をしていて。
それはどうしてか?というと二つ理由があって、
まずこういう「組織されざるネット型大衆運動というのは、20世紀型の投票システムとはあまり適合がしにくい」という問題がある。
もう一つは「20世紀型の製造システムと適合させるということも難しい」という問題があります。
そこを媒介をどうつけるかということを当面考えていかないと、20世紀型のシステムが悪いんだと言ってしまっても、まずシステムを変えるところからというわけにもいきませんから、それを考えなければいけないという問題があります。

あともう一つ、日本の場合の特徴としてはやはり、これは別に世界にいろんな国があって、必ずしも在来の左派的な政党が強い国ばかりではないのですが、日本は比較的弱い国だったので、媒介がつきにくいわけですね。
ただ日本よりもも従来のそういう左派的な勢力と呼ばれるものが弱くて、圧倒的にナショナリズムと至上主義の側だけが圧倒的に強いロシアみたいな国もありますから、そこまでに至らないように持っていかないと、今後が大変だろうなということを考えているわけです。

ま、目標値としてはどの辺を設定するかということはこれから考えていかなければならないことですが、一応これが私の●です。












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11.08
Sun


https://youtu.be/3J3kDNbnctM?t=15m28s

中野晃一(上智大学教授)
中野晃一(上智大学教授)

第一部で皆さんのスピーチを聞いていて、非常に頷いて拍手していたんですけど、大澤茉実さんのところで壇上の先生方みなさんが涙目になってる。
そういう私も号泣していたんですけど、
長谷部先生の後を受けてお話しさせていただきます。
長谷部先生とさっきお話ししていたら簡単デモクラシーができないからお願いできませんか、というふうに言われまして、じゃあそれで行こうということで今決めたところなんですけど。
一応政治学者ということであるんですが、私自身はこの一連の流れの中、っていうのは、たまに国会前で話している時も言っているんですけれども。
ま、正直言って父親として動いているところで。
この間ようやく初めてママの会に呼んでいただいて、一番自分のところに来た、という感じがしているところなんで、本当は私は学者というような立場ではいないと思っています。

本当に「子供の世代の人たちにどういう社会を残していくのか?」ということに関して、
自分の世代でこういうことが起きてしまうというのに何もしなかったというのでは、本当に死んでも死に切れないな」と思って今動いているということでやってきました。


というのはちょっと個人的な話にさせていただく、自分自身の目でしか見ていないといいますか、政治学者としてこういうことが起きているということを分析するほど冷静な距離感というのを今のところ正直持っていないので、自分から見たところで、という話をさせていただきます、

私自身のつながりということで言えば、2013年の春、初夏ぐらいだったんですが、96条の会というのが、樋口陽一先生とか長谷部先生とか山口さんとか、だいたい似たような仲間で始まったというのが始まりでして、今思い返せばですけれども、安倍さんはその時から裏口入学をしようと非常にやっていたわけで、その頃から樋口先生やみなさんで立憲主義を危うくするものだということを、学者としてこれは許すことはできない都いうことで発言が始まったということがあると思うんですね。

その時に96条の会発足のシンポというのをたまたま上智大学でやるということになりまして、何百人という部屋を用意したんですけれども、蓋を開けてみたらその始まる何時間も前から、のちの目撃情報によると、「午後の一番最初の授業の時から、どうもその教室に座っていたおじいさんがいたらしい」という話になりまして、出口先生の朝日新聞の夕刊の記事を手にしてウロウロされている方がたくさんいらして、開始時刻の前から正門の外まで人が並んでしまうような状況になりまして、「これは大変なことが起きている」と思いまして、いろんなところに頭を下げて教室を開けてもらって、今日も中継をしてくださっているIWJが、中のネットワークも繋いでくださって、本当に来てくださった方には準備がアレで困ったんですけれども、小さな教室を結局9つかなんか開けて、1000人の規模の方が集まったということで。
普通そういうことは無かったんですよね。
これまでそんなことが起きるとは思いもしなかったので、「これはすごいな」と思ったのと、やっぱり「とんでもない事が起きている」と。
これほどまでにみなさんお考えになっているし、自分の足を運んで考えたいという事でおいでになっているという事で、非常にあれは、少なくても私にとっては歴史に残るモーメントだったという風に記憶をしております。

その後2014年に入って「今度は集団的自衛権の解釈改憲を狙っているらしい」という事で、年の頭の方に今度は立憲デモクラシーの会を作ろうという事になっていったわけですね。
だいたい同じようなメンバーを中心として、また違った形で活動を始めたというのが今回の流れでいうと、直接な事に私の場合なるんですけど、ま、そうは言いながら閣議決定されてしまったと。
ただやっぱり最初から立憲デモクラシーの会という名前をつける時に、冒頭で樋口先生がご指摘されていたように、立憲主義と民主主義、これは矛盾のない●の関係ではないというふうな事の議論がやっぱり内部であったんですね。
それでもやっぱり立憲デモクラシーの会という名前をつけようという事で、私なりの解釈ではそこに込められた思いというのは「立憲主義を守ろう」と。
ただ結局我々は金も力も無い単なる大学の教員ですから、結局デモクラシーの力に頼るしかないという事で、市民社会を信頼して、そこにアピールしていこうという事がその名前に込められた思いだったと思うんです。

そこでやっぱりきているのは、デモクラシーというのは、民主主義だとやっぱり漢字が並んでいかにもわかりにくいというのがあったんですけど、デモクラシーの方がより直接的に 、デモとクラと民衆の力ということで、議会政治がおかしくなっている、小選挙区制の作用であるとか、違憲状態という判決が何度も出ている一票の格差とか、そういうことにもかかわらず、「私が最高責任者だ」ということでいろんな形で裏口入学、あるいは小林節先生の表現だと「憲法泥棒」を図ろうとしているということで、「これに対抗するにはやっぱり、力を呼び覚ます民衆の力以外にないんだ」ということがあったように思います。

そうは言いながらも、閣議決定というのは内部で勝手にやっちゃうものですから、勝手にやられちゃってですね、その頃から山口二郎さんと私が、当初は声をかける形で集団的自衛権に反対する諸団体と連携をしてきた方がいいだろうということになりまして、連絡会議というものを。
これはあんまり公の場では言っていなかったんですけれども、別に秘密にしていたわけではなくて、単にそういう連絡会議というのは持った方がいいだろうということで、確か去年の8月が第一回だったんじゃないかと。
7月にやったかもしれませんが、そんな形でいろんな団体と。
それは今総がかり行動となったながれ。
そして日弁連の方とか、明日の未来を守る若手弁護士の会であるとか、SEALDsにも途中から声をかけて、学者の会にも途中から声をかけて、一番最近になってはママの会にも入ってもらおうということになッ田ということで、様々な団体との連携ということを図ってやってきました。

そういったことへの蓄積というのはその段階から始まって、やっぱりこう顔を見合わせて、単に意見交換、情報交換をするだけなんですけれども、そういう形というのができてきたというのは後々になって効いてきたのかなとは思っています。

で、私自身、個人的なことになるんですが、SEALDsのメンバーと最初に会ったのは割と後だったんですね。
東京デモクラシーグループに連れてこられる形で、その時は東京デモクラシーの子分が来たのかなぐらいに思っていた。
若者って言っても彼はそんなに若くないから(笑)

ーー:連れてこられてって、「来たい」って言ったの

そうそう、来たいって言って「あ、学生も来るんだ」ってちょっと驚いたのもあったんですけれども。
個人的なことでいうと、私はその時「あ、こういう子もいるんだ」と思ったんですが、自分から積極的に、なんというか「仲良くしようよ」みたいなのは全然なかったんですね。
というのは、全然「嫌だったから」とかそういうのじゃなくて、(笑)
「何で来るんだろう?」と思ったんですよ、正直言って。
だって、学生で自分たちでやるって言うんだったら自分たちでやっているから、なんで、僕は世代的にも学生の時は立派なことは一つもやっていなかったので、特に教えることも何もないし、「なんなのかな?」って正直思っていたんですね。
そういう距離感があって、実際今は奥田君とか言ってますけれども、結構最近までは奥田さんとか本間さんとか千葉さんとか、いちいち言ってたんですね。
というのは自分の中でどうしても教員だと学生に対して権力的な関係にあって、それこそ長谷部さんがおっしゃったようにテストする側ですから。
で、ね、やっぱり礼儀正しい人たちだから、「先生、先生」って言ってくれるから、どうしても威張っちゃうっていうのがあるんで、一応節度を保とうと思って「さん」付けでやってたんですが、個人的に親しくなるとなんか、バカバカしくなってきて(笑)。
最近は「君」呼ばわりになって。

いずれにしてもそういったことが地味にあって、やっぱり、潮目が変わったのはみなさんもそう思われると思うんですが、今年の6月の憲法審査会における小林(節)先生、長谷部先生の違憲発言だったと思うんですね。

そこで一気に立憲主義だとか違憲なんだということがわっと広まっていって。
逆に言うとこれまでも言っていたのになんであんなに広まらなかったんだろうって。
やっぱりあのインパクトですよね。
それで小林先生はもちろん兼ねてから非常にパワフルな方ということは皆さんご存知だと思うんですが、やっぱり長谷部先生があの場であんなことをおっしゃったというのはかなり衝撃的なことだったと思います。

そこがやっぱり、個人の勇気といいますか、鼻っぱしの強さといいますか、やっぱりそれを言ってのけちゃうというのはすごいことだと思うし、それでさらに路上に人が来るようになったと思うんです。
そこでやっぱり今回の運動でSEALDsもそうだし、総がかり行動は木曜日ということで、非常に画期的だったと思うのは、総がかり行動も結局昔の言い方でいうと代々木系と非代々木系とか、そういうのと一緒になっているんですね。

それをやったのはなんでかというと、自分たちだけではダメだから一緒にやらなければならない。
それだけじゃなくて輪を作るということをやったんですね。

SEALDsの場合はやっぱり場を作るとうこと。
人が来れるような場を作る。
個人で来れるような場を作るということにしたということが。
それが行きたいなという気持ちにさせてやろうということで一生懸命やってくれたんですね。

それだから、上智大学で96条の会の時に「来ちゃった」というのとはやっぱり違うんですよ。
招待状を出したのに来てくれないと寂しいじゃないですか。
でも勇気を持って個人が立ち出して、「あなたたちも主権者なんだから来てよ」ということを言ったということによって、それに応えて人が来た。
一人一人が勇気を持ってきたということが非常に画期的だとおもうんですね。

一人で立つというのは、やっぱり最初に立つのはすごい勇気がいると思うんですよ。
私はそういう意味では総がかりであるような、もうずっと我々が平和主義だとかなんだとかあんまり考えていなかった時にも地道にやっていた人たちっていうのは、やっぱり本当にすごいと思うんですね。

やっぱり、誰もが無視している中で、なんの注目も受けない中で立ち続けるのって苦痛ですから。
誰も受け取らないビラを配るのって苦痛ですから。

でもそれをやっていた人たちがいて、しかし自分たちでもっと違ったやり方をしたら自分たちの形と呼べるんじゃないかと思ってそれをやった人たちが出てきた。
そしたら本当にそれを見て自分も行ってみようかと思った人たちが出てきた。
そういうのが形になってきたというのが非常に画期的なことだったと思うんです。

実は私どもも、私どもって立憲デモクラシーの会ですが、9月16日にシンポジウムをやろうということで教育会館を押さえてやっていたんですね。

ただ16日というと、19日の未明が強行採決ですから、かなり日程的に詰まってきていて「ここはやっぱり路上に出ないとまずいだろう」ということで提案をしたんですね。
それはやっぱりこの段階になって屋内に人を入れるだけではないということで申し上げたら、実は石川健治先生が東京大学の憲法学者の石川健治先生が真っ先に「そうでしょう、路上に行きましょう」とおっしゃって、長谷部先生も「路上に行きましょう」とおっしゃって、会場を借りた山口先生だけが「えーっ」っていう感じで(笑)

憲法学者が「行こう」となって、石川先生という人はグーグルで石川健治で検索するとそのあとに「天才」と出るんです。
私を検索しても「左翼」としか出ませんから(笑)
「天才」と出る人ですよ。
本当にやってみてください。
それ見た時にはびっくりしたんですけど。
「羨ましいな」と思いましたけれど、その人が「路上に出ましょう」というんです。

何が起きているか?というと、これは長谷部先生も同じだと思うんです。
気づいた方もいらしたかと思うんですが、今最初に簡単デモクラシーは任せたとおっしゃりながら市民社会のことで始めてらっしゃるんですよ。
でやっぱり、僕は正直言って憲法学者の方たちが感動したんだと思うんです。
自分たちがとにかく一生かけて勉強してきて研究してきた憲法立憲主義っていうことに、それが大事だと思って訴えたら、こんなに市民の方たちが自分たちの生活で忙しいのに出てきてくださっている。
それにやっぱり感動したんだと思っているんです。

そこで言いたいのは、「安保学者、お前は一体どこにいるんだ」っていう話なんですよ。
結局「原発村」と同じで「安保村の住民」っていうのは最後まで我々に語りかけることはできなかった。
それはやっぱり論拠がないからなんですね。

「論拠があるなら出てこい」っていう話なんです。

ちょっと時間をオーバーしたのでここでやめますが、そういうことが起きているということで、ありがとうございました。






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11.07
Sat



記者
福島の甲状腺ガンの発症率が昨年11月で男子で90倍ですが。
この調査結果を活かした上で国として早急に予防的措置を取るべきだと思いますがいかがでしょうか?

丸川珠代
非常に重要な知見が積み重ねられていくことがまだ必要な分野だという理解がございます。
専門家のご意見にきちんと耳を傾けていきたいと思っております。





環境大臣
環境大臣

環境省
丸川大臣記者会見録(
平成27年10月27日(火)10:36 ~ 11:00 於:環境省第1会議室)



政野:
フリーランスの政野と申します。2点お聞かせください。
福島の甲状腺がんの件ですが、甲状腺がんは国際的に男性の方が女性より多く、大人に多く、子供にはめったにないということが知られております。
国立がんセンターの調査によれば昨年11月の時点で、男性で90倍、女性で50倍、平均して60倍であるというデータが出ていて、スクリーニング効果だけでは説明がつかないということを調査をされた一人である津金昌一郎さんが、環境省の会議だったとは思いますが、いらっしゃったと思います。
スクリーニング効果は実際にあったとしても2、3倍から5、6倍であって桁が違う61倍となってますが、実際には男性の方が多いので90倍、それが昨年の時点の20歳以下の福島の子供たちの状況なのですが、現在の大臣の受け止めをお願いします。

丸川:
県民健康調査を進めさせていただいておりますが、震災からまもなく5年というところで非常に重要な時期であると思っております。専門家の先生方のご意見もよく伺いながら、調査の推移を注視したいと思います。

政野:
もう1点は、同様のことですが、最近原子力産業の低線量の長期被ばくを30万人を対象に英国、フランス、そしてアメリカのデータを基に調べたところ、その調査の結果白血病以外のいろいろながんで増加が見られたという結果が出てきまして、イギリスの医療雑誌BMJに掲載されたばかりです。
こういったデータが出ている中で、20mSv以下になったらば帰還していいという政策が国としてとられていまして、それがまさに放射性管理区域、低線量どころか高いレベルだと思うのですが、大臣として今後どうするおつもりでしょうか。
今年2月の専門家会議の中間報告を受けて今後対応を考えていく方向になっているかとは思いますが、その中では初期線量について、さらに把握すると言っていますが、帰還してしまうと低線量の被ばくが継続してしまいますので、初期のものだけの把握ではすまないと思うのですが、この点についてご所見をおねがいいたします。

事務方:
初期被ばくの関係ですが、中間取りまとめに書いてあるのは事故後の放射性ヨウ素の被ばくを出来るだけ正確に計る必要といいますか、いろいろなデータがまだ十分に集めきれていないということで、初期の線量を出来るだけ精緻化するといった趣旨が書いてあると理解をしております。
私どももそういった研究事業をやっているという状況でございます。
一方で、帰還された方で線量を把握したいという方については、私どもの事業で個人線量計の配布などをしておりますので、そういった中で線量を計られるということになっております。

事務方:
補足させていただきますが、ご指摘のあったいろいろな調査研究があるということは私たちも承知しております。
そういった調査研究自体もいろいろなものがございますので、しっかりと検証して今後に活かしていくという基本的な姿勢は環境省は持っておりますので、そういった中で対応していくというふうに考えております。

政野:
大臣、今のを受けていかがでしょうか。
要は被ばく調査の目的としては予防的措置を国が取るために専門家が行うものです。
そこで子供の男子については90倍という昨年の11月のデータですが、そうすると早急に国として調査結果を活かした上で予防的措置を取るべきだとは思いますが、いかがでしょうか。
今のお答えだと、知りたければガラスバッジをあげますとか、今後もなどすごくゆったりしていると思うのですが、そういった不信感を拭えない限りは、どのように帰還を進めても、例えば処分場を造ろうとしても無理だと思うのですがどうでしょうか。

丸川:
帰還されるにあたり、それぞれの皆様がどのような判断をされるのかという要素の中の、大変重要な一つであるという認識を持っておりますし、皆様の安心、安全に応えていく努力というのは、引き続き行わせていただきたいと思っております。専門家の方のご意見というのは非常に重要な知見が積み重ねられていくことがまだ必要な分野だという理解がございますので、そうしたものにもきちんと耳を傾けていきたいと思っております。


知見
知見を積み重ねる…



ーーー


福島だけじゃない!近県汚染地域は野放し状態
甲状腺検査さえ全くしていない自治体がほとんどだ…



で、検査した自治体の結果は↓
千葉県柏市甲状腺検査「173人中、B判定6人とC判定11人で1割になる異常な数字」11/6原子力規制庁前抗議(文字起こし)


茨城・栃木・群馬・東葛地区・奥多摩などの子供達は完全に見捨てられている。






<甲状腺癌>「日本全国と比べ最も高いところで約50倍、低いところでも20倍の多発が起こっている」津田敏秀教授会見10/8(文字起こし)






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11.07
Sat


配管から汚染水漏れ 第1原発2号機・原子炉建屋内
福島民友 2015年11月06日 10時06分
 
東京電力は5日、福島第1原発2号機原子炉建屋内で、建屋地下にたまった高濃度汚染水を移送する配管から汚染水が配管周辺の建屋内に漏れたと発表した。
東電によると、漏れた汚染水は少なくとも225リットルに上るという。既に漏れが収まり、汚染水が建屋内にとどまっていることから東電は「環境に影響はない」としている。
配管の外観に目立った破損は確認できず、今後原因を詳しく調べる。

東電によると、同日午前0時10分ごろ、建屋内で汚染水漏れを知らせる検知器が作動したため、2号機と3号機の原子炉建屋内からの移送をそれぞれ停止した。

作業員が確認したところ、配管の外側を覆うビニール製のシートから汚染水が滴状に落ちていて、床に設置された検知器周辺の囲いや囲いの外側に汚染水約225リットルがたまっているのを発見した。
床に空いた穴から汚染水が建屋地下に流れた可能性もあり、漏れた全量は不明という。
移送停止してから約2時間20分後に滴の落下は止まった。

床から採取した汚染水の濃度は、放射性セシウムが1リットル当たり250万ベクレル、ストロンチウム90などベータ線を出す放射性物質が同3200万ベクレルだった。






福島第一原子力発電所の状況について(日報)【午後3時現在】
2015年11月6日 東京電力株式会社

※11月5日午前0時9分頃、2号機タービン建屋に設置されている滞留水移送設備の漏えい検知器が作動した。
このため、午前0時11分に2号機タービン建屋から高温焼却炉建屋への滞留水の移送を停止、午前0時12分に3号機タービン建屋から高温焼却炉建屋への滞留水の移送を停止した。
当社社員が現場確認した結果、滞留水移送配管の下部に設置してある約2m×5m×5cmの堰内に高さ約2cmの水たまり、堰外に約5m×5m×1mmの水たまりを確認した。
また、当該配管は塩化ビニールシートで覆われており、そこから数秒に1滴程度、堰内に滴下していたが、配管を覆っている塩化ビニールシートには、水が残っているものの、午前2時30分現在、水の滴下は停止している。
確認された水たまりは、2号機タービン建屋内に留まっており、環境への影響はないと考えている。
 
水溜まりが確認された箇所の現場調査を実施し、水溜まり箇所の上部には、4本の滞留水移送配管が敷設されていた。
そのうち3本の配管に巻きつけていた塩化ビニール製シート※内に水が溜まっていることを確認した。
水溜まりのあった床面および塩化ビニール製シート3箇所の水のサンプリング結果は以下の通り。

    セシウム-134 セシウム-137 全ベータ (単位:Bq/L)
床面   2.5×106   1.1×107   3.2×107
配管A  4.0×106   1.8×107   5.5×107
配管B  2.2×106   9.5×106   5.1×107
配管C  3.2×106   1.4×107   4.0×107

※塩化ビニール製シート
配管からの漏えいを速やかに検知するため、漏えいした水を漏えい検知器に導く目的で、あらかじめ設置したもの。当該シートは4本の配管全てに設置している。

※3号機使用済燃料プールにおける燃料交換機の操作卓等の落下事象について、11月5日採取した使用済燃料プール水の放射能分析結果は以下の通り。

・セシウム-134  1.1×105Bq/L
・セシウム-137  4.9×105Bq/L
・コバルト-60   6.7×102Bq/L

前回と比較して有意な変動はなく、燃料破損の兆候は確認されていない。







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11.07
Sat



川内原発、モニタリングポストに設計ミス=電力不足で停止も-検査報告
時事ドットコム 2015年11月6日

東京電力福島第1原発事故を受けた原子力発電所の安全対策強化でも不備が見つかった。
環境省の放射線監視交付金事業で鹿児島県が九州電力川内原発の30キロ圏内に25台設置したモニタリングポストは、地震などによる電源停止を避け太陽光発電と蓄電池で自立して24時間観測する予定だったが、会計検査院は設計ミスで発電量が消費電力を下回り、稼働できない時間帯が生じていたと指摘した。
 
検査院が、公表されている日射量データベースの隣接5地点の日々の観測データから発電量を試算したところ、25台全てで稼働に必要な電力を確保できない期間が生じていた
観測不能時間は合わせて年間3400~3800時間に上り、1カ所では最長で月の3分の1停止していた。(2015/11/06-12:01)




川内原発周辺の放射線測定装置 断続的に測定できず
NHK 2015年11月6日 12時58分

鹿児島県にある川内原子力発電所の事故に備え、県が原発周辺の25か所に設置している太陽光発電を使った放射線測定装置=モニタリングポストが、十分に電力が得られず、断続的に放射線量を測定できない状態になっていたことが、会計検査院の調べで分かりました。

川内原発周辺の放射線測定装置1

会計検査院によりますと、問題が指摘されたのは鹿児島県が国から6900万円余りの補助金を受けて、平成24年度に川内原発の30キロ圏内の25か所に設置した放射線測定装置=モニタリングポストです。

川内原発周辺の放射線測定装置2

装置は太陽光発電を使い、24時間、空気中の放射線量を測定する仕組みになっていましたが、天気が悪いときや、木の陰になる場所では、十分に電力が得られず、断続的に測定できない状態になっていたということです。

川内原発周辺の放射線測定装置3

測定ができなかった時間は、25か所の合計で昨年度1年間に3816時間に上り、中には、1か月の3分の1近くの期間、測定ができていない場所もあったということです。

会計検査院は鹿児島県が装置を業者に発注した際、機器を十分にチェックしなかったことが原因だとしています。指摘を受けて鹿児島県は、ことし8月までに太陽光発電以外の電力も使えるようにし、24時間の測定に支障がないよう対策を取ったとしています。

川内原発周辺の放射線測定装置4

鹿児島県原子力安全対策課は「指摘を受けたのは県が設置した67か所ある装置のうち、補助的な装置と位置づけていたもので、放射線測定自体に支障はなかったと考えている。ただ、指摘は事実であり、十分に反省し、今後の教訓にしたい」と話しています。



6900万円で25台=モニタリングポスト1台いくら?
なんと!! 1台のお値段276万円

こんな多額な税金を使ってもモニタリングポストの設定すらもできない中、1号機に続き2号機もフル稼働><。

川内原発2号機 フル稼働状態に
NHK 2015年11月1日 12時32分

川内原発2号機 フル稼働状態に1

先月15日に再稼働した鹿児島県にある川内原子力発電所2号機は1日、原子炉の出力が100%に引き上げられフル稼働の状態になりました。2号機は今月中旬に国の最終的な検査を受け、問題がなければ1号機に続いて営業運転に入る計画です。
去年、国内の原発で初めて新しい規制基準の審査に合格した川内原発では、ことし8月に1号機が再稼働したのに続き、2号機も先月15日に再稼働しました。

川内原発2号機 フル稼働状態に2

その後、設備や機器に異常がないかを確認しながら徐々に出力を上げる調整運転が行われ、1日午前11時25分に原子炉の出力が100%に引き上げられ、フル稼働の状態になりました。
このあとは、設備の中の水質や温度や圧力の点検が行われ、問題がなければ今月中旬に国の最終的な検査を受け、営業運転に入る計画です。
2号機が営業運転に入れば、新しい規制基準の基では同じ川内原発の1号機に続いて国内の原発で2基目になります。

川内原発2号機 フル稼働状態に3

2号機は原発事故の半年後に定期検査に入って以来、およそ4年1か月ぶりに再稼働したことから、九州電力は異常がないか確認しながら慎重に作業を進めるとしています。




川内原発2号機 17日にも営業運転へ
NHK 2015年11月2日 21時01分

川内原発2号機 17日にも営業運転へ1

先月15日に再稼働した鹿児島県にある川内原子力発電所2号機について九州電力は、今月16日から国の最終的な検査を受け、問題がなければ翌17日に営業運転に入る計画を公表しました。

川内原発2号機 17日にも営業運転へ2

2号機が営業運転に入れば、新しい規制基準の下では、同じ川内原発の1号機に続いて国内の原発で2基目になります。
去年、国内の原発で初めて新しい規制基準の審査に合格した川内原発では、ことし8月に1号機が再稼働したのに続き、2号機も先月15日に再稼働しました。

川内原発2号機 17日にも営業運転へ3

そして、2号機は、1日、原子炉の出力が100%まで引き上げられて、フル稼働の状態になり、引き続き、設備の点検が行われています。

この2号機について、九州電力は、今月16日から国の最終的な検査を受け、問題がなければ、翌17日に営業運転に入るとする計画を、2日、原子力規制委員会に報告しました。2号機が営業運転に入れば、原発事故のあとにつくられた新しい規制基準のもとでは、同じ川内原発の1号機に続いて国内の原発で2基目になります。

2号機は、原発事故の半年後に定期検査に入って以来、およそ4年1か月ぶりに再稼働したことから、九州電力では、異常がないかを確認しながら、今後の作業を慎重に進めるとしています。







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11.07
Sat



2015年11月6日 原子力規制庁前抗議
26:23〜
国道6号線


福島の告訴団の人から話を聞いたんですが、
10月10日に福島で国道6号線をお掃除をするという、NPO法人が呼びかけて、復興庁やなんやらみんな呼びかけて、それで国道6号線をお掃除するということを。

国道6号線というのは常磐道です。

原発の作業をする車の行き交いのために国道6号線を無理やり開通させて、「線量が高いから」ということで、
もちろん自転車も走れません。
二輪車も走れません。
「車に乗ったら窓を開けてはいけません」と言われているその道路です。


その道路に中学生、高校生合わせて200名余りがお掃除に、10月10日の日にお掃除をさせたそうです。

で、そういう話が出たときに、子供の被ばくを心配する人たちが「そういうことは子供達には呼びかけないでください」と、何度もなんども「対応を変えてください」ということを言ったにもかかわらず、200人の小学生中学生が、高校生、子供達が駆り出されてお掃除をしました。

ちくりん舎の青木さんも測りに行ったみたいで、このレベルっていうのは本当に本当に恐ろしいもので、「子供を殺すのか」っていう、

(0.2だったよね)

そういう感じでした。
子供にいろいろインタビューしたものが載ってたんですが、いいですか、話し続けても。

(いいでーす)
(毎時0.2マイクロを低いと感じるようになってしまっていることがおかしいよね。「うちの周りも0.2だ」っていうふうに言われてもそういう問題ではない)


その子供たちはマスクもしていなかったそうです。
「この日マスクや軍手をしている子供はほとんどいなかった」ということで、調査に入っていた人が靴カバーを測定したところ450ベクレルありました。

それと道の駅相馬の広場で閉会式があったということで、高校生の男の子の記者に対する発言、発言というかインタビューが私はとっても切なかったんですが、彼が、高校1年生の男の子が、
放射能が危ないことも、ここが汚染されていることも知っています。だけど僕はまだ学生だから自分の判断で動くことができない。母には『なるべく地元の食材を使わないで』と言っているけれど
彼はリスクを承知していながらも、いろんな経験を積みたいと、この清掃活動に参加した。
「将来の夢は看護師になることだ」ということです。
進学に合わせて福島を離れるつもりだが、中学1年生の妹が心配だ」と話していたそうです。

なんかすごい発言をしているなと。
お母さんに「なるべく地元の食材を使わないで」なんて子供に言わせるなんて、なんていうことなんだろうって思いました。

で、これがどこの新聞かちょっとよくわからないんですが、
地元中高生200人参加 福島で清掃 殺人行為
企画団体に非難殺到 復興活動を阻害

と言っていて、開沼さんって知ってますよね?
避難をした人たちはヘイトだと。
ヘイトスピーチと同じように開沼さんが言っています。
ひどいです。
そして10月31日の記事では最後の方で開沼さんが
「科学的根拠が薄い中で社会的に弱い立場に置かれた人を反論できない状況に追い込む行為だ。いっせきに対応していかなければならないと開沼博さん、福島大特任研究員。
この人は東大の文学部、大学院も東大、社会学者です。

なんか3.11前に福島に関する本を出してて、それを読んでて「ん??」とか思いながら、「この人いったいなんなんだろう?」と思いながら、「ん?ん?」と言ってたんですけれども、ここにきてはっきりしました。

彼は今原子力委員会の委員もやっているということです。

それで、福島民報で11月3日にこんな大きなオピニオンで開沼さんが、こんなに大きなコラムで開沼さんが「根拠なき偏見、許されず」ということを綿々と綴っています。
いつからこの人は本当の、本物の御用学者になってしまったのかと、私はとても首をひねっています。
以上です。

国道6号清掃ボランティアを実施します
楢葉町 2015年09月16日

みんなでやっぺ!きれいな6国
東日本大震災の影響により休止していた「清掃ボランティア活動」を再開いたします。みんなで浜通りを綺麗にして、気持ちよく利用しましょう!

開催の詳細等は次のとおりです。
※右の画像をクリックすると、更に詳細をご覧になれます。



日 時 平成27年10月10日(土)

当日のスケジュール
9:00~ 開 会(いわき、広野、浪江)※10分前集合
開会式終了後 清掃開始
11:00 清掃終了

場 所 6号国道沿線(全8地区)
  ※詳細はチラシをご覧ください。

主 催 「みんなでやっぺ!!きれいな6国」実行委員会

共 催 NPO法人ハッピーロードネット、(一社)相馬青年会議所、
 (一社)原町青年会議所、(一社)浪江青年会議所、南双葉青年会議所、
 (公社)いわき青年会議所

お問い合わせ・実行委員会事務局
NPO法人ハッピーロードネット
TEL:0240-23-6172
FAX:0240-23-6171
Mail:office@happyroad.net

国道6号2



福島の国道6号で一斉清掃活動 5年ぶり再開
日経新聞 2015/10/10 21:27

福島県内の国道6号で10日、一斉清掃活動が行われた。東日本大震災と東京電力福島第1原子力発電所事故で中断していたが5年ぶりに再開。地元の中高生ら約1400人が汗を流した。

「みんなでやっぺ!!きれいな6国」と題した清掃ボランティア活動は主婦中心のNPO法人「ハッピーロードネット」(広野町、西本由美子理事長)などが主催。同日午前、県北端の新地町から楢葉町、いわき市までの計8カ所計約50キロを清掃した。放射線量が高い浪江、富岡地区は大人だけで清掃した。

県立双葉高校2年の渡辺陽奈さん(16)は「放射線の不安より大事な古里をきれいにし、活性化に役立ちたい」。
県立双葉翔陽高校2年の山田拓実さん(17)は震災後に浪江町からいわき市に移った。開会式のあいさつで「6号線は以前通学や買い物でよく通った懐かしい場所。少しでもきれいにしたい」と語った。

清掃活動は2007年から毎年秋に行われてきたが原発事故で休止。再び古里を取り戻そうと、13年1月から沿道の桜植樹活動が始まった。今年3月の植樹活動に参加した高校生が沿道のごみの多さを憂い、清掃活動の再開を提案した。



子供がセシウムを吸い込む”被ばく”イベントが福島で決行された!
女性自身 10月28日(水)9時0分配信

「復興の役に立ちたいから参加しました。”6国”がきれいになったら、除染作業員さんも作業しやすくなる。放射能? 私は気にしていません。積極的に参加してほしい」

そう話すのは、10月10日に国道6号線沿いで実施された清掃活動に参加した、相馬東高校一年生の女子生徒。彼女は帰還困難区域となっている浪江町の出身だ。
「自宅には戻れないから家族で相馬市に避難しています」 
そう言って目をうるませた。

『みんなでやっぺ! きれいな6国』と題したこの清掃イベントには、地元の中高校生ら約200人を含む千400人あまりが参加。しかし、6国といえば、昨年9月に全線が開通したものの、福島第一原発の間近を通るため、いまだ車内でも毎時10μsvを越える場所がある高汚染エリアだ。 

前出の女子高生と話しをした「道の駅・相馬」も今回の清掃拠点のひとつ。取材班は地元で測定活動をする「ふくいち周辺環境放射線モニタリングプロジェクト」の小澤洋一さん、深田和秀さんとともに近辺の土を調べてみた。 

すると、なんと4万Bq(ベクレル/平米)で適用される、放射線管理区域の4倍以上、事故前の140倍以上(注1)もある16万4千Bq(ベクレル)/平米(注2)の放射性物質が検出された。

放射線管理区域とは、一般人は立ち入り禁止、放射線従事者でも10時間以上の滞在は禁止と法令(電離放射線障害防止規則・労働安全衛生法に基づく)で定められている場所。そんなところで子供に清掃活動させるのは違法行為では? だが、主催者のチラシを見て合点がいった。
”後援”には、国土交通省や環境省、復興庁、地元自治体などの名がズラリ。”協賛”には、東京電力や東北電力までが名を連ねている。子供を使って、形だけでも「復興」をアピールしたい。このイベントから、なりふり構わぬ国の思惑が透けて見えた。

記者は事前に、主催のNPO法人ハッピーロードネット(福島県広野町)に「現場は安全なのか?」と問い合わせたところ、「留守番の者」と名乗る女性がこう答えた。
「帰還困難区域には入りませんし、放射線量の高い富岡町や浪江町などは、大人だけで清掃するので(子供の)安全は確保されています」続けて、「そういう問い合わせが多くて困っているんですよね」
と、グチをこぼす始末。

子供の被ばくを案ずる全国の母親たちから、開催の見直しを求める電話やファクスが連日寄せられていたという。  
さらに、開催の数日前には、市民団体「子どもたちの健康と未来を守るプロジェクト・郡山」が、全国66の賛同団体をつのり、開催中止を求める提案書を福島県と教育委員会に提出していた。が、結局どこも取り合わず、この危険極まりないイベントは予定通り決行されることになった。

■空間線量が低くても、土中には原発事故前の100倍以上の放射性物質があるんです

10月10日、朝9時。開会式の会場となった二つ沼公園(福島県広野町)には、地元住民や、中高生ら数百人が集まった。開会式のあいさつで主催の西本由美子理事長(62)は、清掃活動をするに至ったワケをこう説明した。
「相馬市の高校生が提案してくれたんです。『国道にゴミがたくさん捨てられているのは、ふるさとを大事にしていない大人がいるから。僕たちでできることをして、大人たちに示していこうよ』って」

「子供が清掃したいと言うから開催した」と言いたいらしい。寄せられた批判の隠れ蓑に子供を使おうというのか。
 
開会式後、記者は清掃に出発する子供たちにこのイベントに参加した理由を聞いた。
「所属しているサッカー部のみんなが参加するから。6国がキレイになったら、避難している人が帰ってきてくれるかなと思って。放射能の影響? 難しいからよくわからない。特に気にしていません」(ふたば未来学園高校一年・男子)
「私は学校の美化委員だから参加しなくちゃいけなくて。放射能? とくに注意点などは聞いていません」(同一年・女子)
引率の先生の考えはどうか。
ここは学校の通学路ですし、とくに放射性物質が集まりやすい側溝などに近づかなければ大丈夫でしょう。空間線量も下がってきていますから」

そう先生が話し終わらないうちに、近くの植え込みでピーピーという放射線を感知する音が。記者が駆けつけると、前出の深田さんが、生徒がゴミを見つけて拾った道路横の植え込みを測定していた。
空間線量は毎時0.37μsv。環境省の除染基準、毎時0.23 μsvを超えている。土中からは、放射線管理区域の4倍の15万9千Bq/平米もの放射性物質が検出された。
空間線量が低くても、土中には原発事故前の100倍以上の放射性物質があるんです」 
と小澤さんは指摘する。

後日、現場で拾った吸い殻や紙くずなどに付着している放射性物質を測定してもらうと、一般ゴミからは890Bq/kg吸い殻からは600Bq/kg、小澤さんが測定時に利き手にはめていた軍手からは421Bq/kgという数値が出た。
法令(核原料物質、核燃料物質及び原子炉の規制に関する法律)に従えば、100Bq/kgを越える汚染物質は、ドラム缶に入れて厳重に管理しなければならない。なのに、それをはるかに越える汚染ゴミを、子供に拾わせるなんてどうかしています」(小澤さん)

このあと取材班は、6号線を車で北上し、別の清掃エリアである「道の駅・南相馬」へ向かった。途中、清掃エリアに入っていないはずの富岡町検問所付近で清掃隊を見かけたので、車を降りて付近を測定すると、毎時5.92 μsvあった。土中からは、事故前の8千900倍近い1千40万Bq/平米が出た。それもそのはず。前方には、「ここから帰還困難区域」という看板が。

ここから浪江町までの約6.5キロは、年間被曝量50ミリシーベルトを越えるエリアとして立ち入りが制限されている。二輪や自転車での通行は禁止、車外に出ることも禁止なのだ。
だが、看板のむこうには、オレンジ色のTシャツを着た清掃隊の人々が、ゴミを拾いながらゆったり歩いている。
汚染エリアに入ると放射性物質をあちこちに運んでしまうから危険です」(小澤さん)
実際に、この日、小澤さんが付けていた靴カバーを測定したところ、450Bq/kgの放射性物質が検出された。

しかし、さらに深刻な事実が明らかになる。当日、小澤さんが約5時間付けていたN95という防塵マスクから、なんと20.6Bq/kgの放射性物質が検出されたのだ。測定してくれたちくりん舎(NPO法人市民放射能監視センター)の青木一政さんは、次のように指摘する。
「N95のマスクは0.1~0.3ミクロン程度の粒子まで吸着します。このマスクをしていなかったら、1ミクロン以下の粒子まで肺の奥に吸い込んでいた可能性があります

この日、マスクや軍手を付けている子供はほとんどいなかった。
放射性セシウムには水溶性と非水溶性のものがあり、非水溶性のものは、体内に取り込まれると4~5年くらい排出されず、心臓にとどまって放射線を出し続けます。結果、若くても心筋梗塞などになるリスクが上がるのです
と話すのは、呼吸器や放射線の専門医である松井英介氏。
もっと心配なのは、ストロンチウム90です。こちらは測定すらされていませんが、セシウム10に対して1の割合で存在しています。特に原発周辺は多いと言われています。これは人間の血液を作っている骨にたまるので、白血病などのリスクが上がる。わざわざ子どもにリスクを押し付けるなんて犯罪的です」(松井氏)

松井先生によると、風邪予防のマスクでは取り込みを防げないという。汚染されたホコリを吸い込むリスクを子供に負わせてまで、このようなイベントを決行したのは、そもそもなんのためか? 主催NPOに何度も電話したがずっと留守だった。
NPOのホームページには、「汚染水はコントロールされている」と、五輪誘致で世界に”放言”した安倍総理と満面の笑みの西本理事の写真が。彼女自身「聖火リレーを6号線に」と、再三インタビューで答えている。子供をリスクにさらす先に見えているのは、国家的規模のイベントなのか。

■国も福島県も調査しようともせず、あくまで国が立ち入りを制限しているエリア以外は「すべて安全」という立場を崩さない。

「原発が爆発しても、それでうるおっている人間がいるから、その理不尽さを払拭するために子供を利用している」  
と指摘するのは経済学者で東京大学教授の安富歩さん。
「放射能がばらまかれた福島の子供が尻ぬぐいするなんて理不尽極まりない。本当は東電がやれって話し。でも、一度そういう理不尽なことを飲み込ませると、あとは言うことを何でも聞く都合のいい人間に育つ。国家としては、従順な人間を増やす目的もあるんでしょう」(安富さん)

清掃活動が終了した正午、「道の駅・相馬」の広場で閉会式に参加していた高一の男子生徒は、記者にこう言った。
放射能が危ないことも、ここが汚染されていることも知っています。だけど、僕はまだ学生だから自分の判断で動くことができない。母には、なるべく地元の食材は使わないで、と言っているけど

彼はリスクを承知していながらも、「いろんな経験を積みたい」と、この清掃活動に参加した。将来の夢は看護師になることだ。進学に合わせて福島を離れるつもりだが、「中1の妹が心配だ」とも……。

後日、「後援」に名を連ねる環境省福島環境再生事務所に汚染の実態を知らせると、「清掃コースの放射線量は確認してないのでわからない。主催はハッピーロードネットなので」と無責任な答え。さらに福島県も、「立ち入り制限されているエリアには入らないと聞いているので安全なのでは? 吸い込みによる被曝リスクがあることは承知しているが、県から開催の見直しを求めることはできない。主催はハッピーロードネットだから」と、環境省に輪をかけた無責任ぶりを披露。

環境省も福島県も、あくまで国が立ち入りを制限しているエリア以外は「すべて安全」という立場を崩さない。調査しようともせず、「主催者の問題だから」と、NPOに責任をなすりつけてオワリなのだ。共催している東電も、「”復興”に関する事業には積極的に協力させていただいております!」との能天気な返答。西本理事に至っては、「子供の希望があれば来年も開催する」と他メディアの取材に答えていた。
国も東電も主催者も、見せかけの「復興」に邁進し、健康リスクは子供に押し付ける。こんな卑劣な行為を止めさせるために、大人たちの責任が改めて問われている。

※注1
09年度文部科学省「日本の環境放射能と放射線」の福島の土壌測定値18bq/kgを平米あたりに換算(65倍)したものと比較。
※注2
一般に放射能汚染を表す単位はBq/kgが用いられているが、土壌の汚染に関しては放射線管理区域の管理基準やチェルノブイリ原発事故との比較のため、Bq/平米に換算している。文中の放射性物質は、すべて測定時における放射性セシウム134と137の合算値。
                    
(取材・文/和田秀子)




開沼博
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(かいぬま ひろし、1984年 - )
日本の社会学者。福島県いわき市出身。 福島大学「うつくしまふくしま未来支援センター」地域復興支援担当・センター特任研究員。

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根拠なき偏見許されず
福島民友 2015年11月2日

<寄稿>福島大学特任研究員 開沼 博氏
かいぬま・ひろし いわき市出身。東大文学部卒、同大学院博士課程在籍。復興支援の調査研究、被災地の現状を伝える情報発信活動を展開している。著書に「はじめての福島学」など。31歳



浜通りを縦断する国道6号の美化を目的とした清掃ボランティア活動「みんなでやっぺ!きれいな6国」が10月10日、行われた。地元のNPOや青年会議所が中心になった実行委員会が主催し、中高生約200人を含む1440人ほどが参加。多くのメディアが「復興への一歩」と明るい話題として報じた。
 
しかし、主催者には人知れぬ苦労があった。反被ばくを掲げる市民運動団体が、イベント開催を阻止しようと妨害運動を繰り広げたのだ。
 
「避難指示がかかる地域も残る国道6号線で子どもとゴミ拾いをして被ばくを促すのか。すぐに中止しろ」というのがその主張。主催者や協力を予定する組織には「抗議」の文書や電話、メールが繰り返し送られ、「美談にすり替えた虐待」「国賊」「殺人行為」といった言葉が投げつけられた。
 
当日、県外から押し寄せた雑誌記者やジャーナリストの言動にも強引さが目立った。中には、子どもたちを含む参加者の横で、線量計をかざしながら勝手に写真を撮っては嬉々としてインターネットにそれを公開した者もいた。
無理解と「福島=絶対危険という価値観以外認めない」というイデオロギーが背景に存在する。
 
そもそも、この清掃活動は2007(平成19)年から毎年、行われていた。再開のきっかけも地元の子どもの強い思いがあってのこと。線量の高い地点が残る避難区域の清掃は大人のみが行った。もっとも、いわき市から新地町までの清掃範囲の中で避難区域は限定的だ。
 
先鋭化する市民運動がなす誹謗中傷が直接的に、あるいはインターネットを介して被災者に向けられるのは、今回にとどまらない。農家など食べ物に関わる生業につく住民に「毒を作るな、売るな」と、避難から帰還した母親や県内の教育関係者に「子どもを傷つけるのか」「洗脳されている」といった言葉が向かう。
 
このような事態が身近で常態化していることを知りながらも、「彼らの脱原発の主張には共感するから」「放射線への不安を口にするのは仕方ない」などとそれを黙認する意見が県内にも残るのは残念なことだ。原発・放射線への政治的立場とこの誹謗中傷は分けて考えなければならない。
 
しばしば、あらゆる差別的言辞は、「誹謗中傷はダメだが、それを受ける側にも怪しい部分があるのでは」といった「どっちもどっち」論や「極端な言動の人は全体から見ればごく一部に過ぎない」といった「一部の異常者」論とともに正当化・看過される。
しかし、いかなる理屈があろうと、抵抗するすべを持たない罪なき地域の一住民が根拠なく「殺人者」扱いされ吊し上げを食らう理由はない。少数者の行いであろうと、ヘイトスピーチ、ヘイトクライムが公に存在し、そこに生きる人の尊厳を脅かす状況は許されない。
 
それを黙認する者が存在し続ける限り、私たちの誰もがその被害にあう可能性の中に置かれ続ける。今回のようにただ普通に生活をしようと望む子どもたちが嫌な思いをする。その子どもたちが大人になった時に根拠なき偏見に晒される。農家や漁師、観光に関わる方々が懸命に働くだけでいわれ無き侮辱をされ、損害を受け続ける。弱い立場に置かれ冷静な判断が難しい人が、不安な気持ちにつけこまれて非科学的なデマを信じこまされ悪意をもった者に利用される。
 
これは、深刻な人権侵害・差別問題だ。加害者には毅然とした対応をとり、被害を増やさぬよう努力することが重要だ。3・11から5年目に向け、あらためてこの課題を直視すべきだ。 






2015年11月6日 原子力規制庁前抗議 文字起こしブログ
動画はこちらにあります↓
千葉県柏市甲状腺検査「173人中、B判定6人とC判定11人で1割になる異常な数字」11/6原子力規制庁前抗議(文字起こし)







2014年1月
地元の小学生が広野インターチェンジに桜を植樹
原発事故の影響で通行止めだった常磐道の開通前に小学生が桜植樹

2014年6月
<九電・賠償・除染・他>金子勝「だから世の中を妨害しているのは電力会社だよ、もうはっきりしてるよ」9/26大竹まことのゴールデンラジオ(文字起こし)
国道6号線についての話

大竹:あのところ今道路が通って、「歩行とバイクが禁止で車で通り抜けるのは大丈夫」みたいなことを言ってるじゃない。あれ、本当に大丈夫なの?

金子:いや、だからあれは除染して、ちゃんと車が入ったらそういう除染の装置をくっつければ、とりあえず物流が無いと、あそこ、どうもなんないじゃない。だから「とりあえず通す」っていうのは僕は

大竹:オレが言ってるのは、あそこでパンクしたりだとか、あそこで事故ったらとか、それでバイクも人も通っちゃいけないんでしょ。

金子:そうそうそう。

大竹:そう考えるとさ、パンクとか事故とか想定に入っているよね、当然。それは大丈夫なの?

2014年11月
12月6日開通 常磐自動車道の浪江 - 南相馬の18.4km

2015年2月
常磐自動車道 全線開通前に公開 ナント!放射線量5.5マイクロシーベルト/時!

2015年10月
国道6号・常磐道を走るクルマが、 東京に“死の灰”を運んでいる!? ――木内みどり×広瀬隆対談【中篇】(ダイヤモンド社より)




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11.06
Fri
2015年11月6日 原子力規制庁前抗議
フクロウFoEチャンネル<FFTV>



34:07
柏の甲状腺の話はどうですか?

柏市甲状腺1
34:14
柏市のホームページだけに公表されていたんですけれども、柏市が平成24年までに生まれた子供で2011年の原発事故の時に柏市民だった人を対象に甲状腺エコー検査の助成をしますということで400人ぐらい。
最初は300人ぐらいの枠だったんだけど、少ないということで400人まで広げてもらって、380人の人が申し込んでいるという話でして。
そのうちまだ受けていない人もいるんですけれども、173人分の検査の結果が出たということで、途中経過の報告がホームページに上がっていて、B判定が6名C判定が11名の数字が出ていて。
今回発表されている173人の中で考えると、B・Cで1割もいるということ自体がちょっと異常な数字なので。

Bは、結節(5.1ミリメートル以上)およびのう胞(20.1ミリメートル以上)が確認された人ということで、
C判定は、甲状腺そのものになんらかの異常があるのでもう一度検査をしなくちゃいけないですよということを言われた人です。

で、その人たちが1割もいるっていうことで、ちょっと福島でも考えられない割合だし、この間、2ヶ月ぐらい前に●で3人の人が甲状腺癌だということが分かった時も、検査された母数が4000人近くいるんですよね。
なので、あまりにも割合が異常なのでビックリして柏の保健所に電話をしてみました。

そうすると、「そのC判定を受けた人は、なんの病気かというのはこの検査ではわからないので、これから他の検査をしないと病名が分からない」と。
「ま、一般的な甲状腺の疾病も含まれているんでしょ」と市の職員が言っていたので、
「例えばどんな病気があるんですか?」って聞いたら、
「例えばバセドウ病とか橋本病とか、そのひとたちがその病気の可能性もある」というふうに言われたので、
「そういう病気は一般的には大人の人がかかる病気で、若い人はあまりかからない病気なんじゃないですか?」っていうふうにもう一度聞いたら、市の職員が、
「あ、そうなんですか?」って。


ーー:えーっ!!

「ダメだこの人に聞いても」って感じだったんですけど。
何れにしても今回こういう結果ですということで、その時は私もそれ以上の知識がないので突っ込んだ質問ができなかったんですが、
「福島の県立医大と同じ手法で検査をしている」と言っている割には、その判定の基準が違うっていうことだと思うんですよね。
でもその違う基準がどういうふうなものなのか?ということはちょっとその職員と話していてわからなかったので、また週明けに電話してみようかなとは思っていますけれども。

隣の松戸市でもこんな数字は出ていないし、もしこれがなんらかの、例えば甲状腺癌だとかの結果が出たりすると、その当時、その対象になる人のおおよその人数が6万9000人位だとその人は言っていたので、たくさんの市民の方が申し込んでいないことになりまして。
もしも6万9000人の人たちみんなを調べるということになったら、いったいどんな数字が出てくるのかと思うと、ちょっと末恐ろしい感じがするんですよね。

なので、福島県で壁ができて放射能が出てこなかったわけでもなんでもないので、北茨城市が近いからという話じゃなくて、当時どういうふうに放射性物質が流れてきたか?ということをもうちょっと告知していかなければいけないんじゃないかなというふうに思いました。

で、ちょっとこれは。
まだ申し込んでいても検査をしていない人たちもいるので、半数ぐらいいるので、その人たちは当然受けるように追加をしてくださいということと、
「まだ申し込んでいない人たちもいっぱいいるけれども、どういう広報をしたんですか?」って聞いたら、
「柏市立の保育園なんかには言ったけど、小学校中学校なんかには広報していない」ということなので、
「そういうところにもちゃんと広報しないと誰もわからないんじゃないですか?こんな結果が出ているんだからきちんとみなさんが受けられるように広報してください」っていうことはお伝えしました。
なのでこれからも注視していく必要があるかと思います。


41:28
はい、ありがとうございます。
これからですね。
松戸の結果と随分違うので、これからも注目していきたいと思います。




ー参考ー


柏市甲状腺超音波(エコー)検査判定結果 更新日 2015年10月30日(金曜日)

柏市では、平成27年7月より、甲状腺超音波(エコー)検査による費用の一部を助成しています。これまでに測定を受けた方の結果をお知らせします。
柏市甲状腺2

甲状腺超音波(エコー)検査測定結果(平成27年7月1日~平成27年9月30日)
判定 内容 今後の対応 人数
A1 結節(しこり)やのう胞(液体が入っている袋のようなもの)は認められませんでした。
経過観察不要 61人

A2 結節(5.0ミリメートル以下)またはのう胞(20.0ミリメートル以下)を認めましたが、日常生活に支障はありません。
経過観察不要 95人

B 結節(5.1ミリメートル以上)またはのう胞(20.1ミリメートル以上)を認めたもの
経過観察 6人

C 甲状腺の状態などから判断して、二次検査が必要なもの
経過観察又は専門病院紹介 11人

合計 173人
(補足)C判定については、結節やのう胞に限らず、比較的よく見られる甲状腺の疾患が疑われる場合も含まれます。



松戸市甲状腺超音波検査判定結果 更新日:2015年11月2日
 
松戸市では、平成26年6月より甲状腺超音波検査を実施し、その費用の一部助成をしています。これまでに検査を受けた方の判定結果をお知らせします。
松戸市甲状腺

甲状腺超音波検査判定結果(平成26年6月1日から平成27年10月31日)単位:人
判定 判定内容 判定結果 人数
A1 結節(しこり)やのう胞(液体が入っている袋のようなもの)は認められなかったもの
経過観察不要 46人

A2 結節(5.0mm以下)またはのう胞(20.0mm以下)を認めたもの
経過観察不要 152人

B 結節(5.1mm以上)またはのう胞(20.1mm以上)を認めたもの
経過観察 2人

C 甲状腺の状態などから判断して、二次検査が必要なもの
専門病院を紹介 1人

合計 201人





<甲状腺検査>北茨城市平成26年度の結果 3593人中3人が甲状腺ガン〜「放射線の影響は考えにくい」

<甲状腺検査結果>福島県と福島県以外〜2015年3月31日現在〜A1,A2,B,C

千葉県松戸市の甲状腺検査〜2015年7月末までの結果



ヨウ素131拡散シミュレーション(3月12日~3月24日)





セシウム137拡散予測動画【NILU】(3月16日〜4月8日)







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11.06
Fri


武田邦彦先生がもう何年も前からおっしゃっていた「温暖化で南極の氷は増える」ということ。
やっとNHKが「南極の氷が増えていた」ことを認めた。

武田:
今度は南極の氷があたたかくなると融けるって言うんですよ、NHKがね。
おかしいなと思ってIPCC読んだら、やっぱり、「温かくなったら増える」と書いてある。



なぜ今なんだろう?


2015年11月

NASA「南極の氷 実は増えていた」
NHK 2015年11月5日 9時27分

温暖化の影響でとけて減少してきたとされている南極の氷について、NASA=アメリカ航空宇宙局は、実際には増えていたとする研究結果を公表し、今後議論を呼びそうです。

南極の氷1

南極の氷を巡っては世界各国の科学者で作る国連のIPCCが、おととし、温暖化の影響でとけて失われ、海面が上昇していると発表していました。

温暖化2

しかし、NASAが衛星を使って南極を観測して分析したところ、1992年以降、西部では氷が減少していたものの、東部などでは増加していて、南極全体では氷は増えていたということです。また、増加の要因は、1万年前から降雪が増え続け、それが圧縮されて氷となったとしています。

温暖化3

こうした結果から、NASAは、海面の上昇は南極の氷がとけたためではなく、別の場所で想定以上に氷がとけていたなど別の要因があったと指摘しています。

温暖化4

ただ、南極の氷の増加のペースは、1992年から2001年にかけては毎年1120億トンだったものの、2003年から2008年にかけては毎年820億トンに落ちているということです。

温暖化5

このためNASAでは、南極の氷は減少に転じる可能性もあると指摘していますが、南極の氷は増えていたという今回の研究結果は、今後科学者などの間で議論を呼びそうです。



このニュースを聞いて、私は以前書き起こした武田先生のブログを思い出す。

2009年

2年前(現在だと6年前)の武田邦彦氏が語っていた事。(内容全て書き出し)

NHKが地球温暖化のウソ報道を繰り返す理由
NHKがあるとね誤報が続くから。
北極の氷が融けたら海水面が上がるってNHKが報道するから、そんな事はあるはずないと思って。
だけど一応確認しようと思ってIPCCとか読むと、「関係ない」と書いてある。
それから今度は南極の氷があたたかくなると融けるって言うんですよ、NHKがね。
おかしいなと思ってIPCC読んだら、やっぱり、「温かくなったら増える」と書いてある。

NHKの地球温暖化報道のウソ
この前神奈川県で小学校と中学校の先生相手に環境の講演しまして、1時間半ぐらい講演しまして終わってですね質問の時間にある先生が手を上げたんです。
「私は小学校6年の先生だ。最近は正しい事を児童に教える事が出来ない」って言うんですよ。
何故出来ないかっていると、たとえば、ここにいる皆さんはあまりご存じないかもしれませんが、

地球が温暖化すると南極の氷が増えるんですよね、減るんじゃなくて
温暖化すると南極の氷は増えるんです。
これは科学的にもそうだしIPCCという国連の機関も、ちゃんと報告書に「温暖化すると南極の氷は増える」と書いてある。

小学校の先生がそれを勉強して「温暖化が進むと南極の氷は増えるんですよ」と児童に説明すると、たちまち父兄からワッと反撃が来て教えられないって言うんです。
何故かって言ったら父兄はですね、NHKが正しいと思っているんですね。
ですからね「違う事を教えちゃ困る」って言うんです。

「先生どうしましょうか、私は正しい事を児童に教えようとしているんですけれども現実は教えられないんです」と、
「どうやったらいいんでしょうか」と質問されるんで、
今日はもう長くは話しませんがちょっと24の瞳の話しなんかして、
「どんな時でも小学校の先生は自動に正しい事を教えるというのはやっぱり冒険もあるし不利もあるけれども頑張って下さいね」というようなことを言ったんです。



2012年10月

報道が決して国民に伝えないもの(2)IPCCの正式報告「温暖化で南極の氷は増える」 武田邦彦氏(音声書き出し)より一部抜粋

最近、温暖化報道が再開されたようです。
これは「環境税」の後押しのためにやっていると考えられますし、
また消費税のアップは報道に適応しないということの後押しでもあるでしょう。

その中で、報道が決して国民に伝えないものが「IPCCの正式報告」です。
報道はIPCCの報告に基づいていると言いながら、政府に具合の悪い情報は決して報道せず、
かえって真逆の報道をします。その例を最新のIPCCの正式報告書から示します。

この文章は驚くべき事にIPCCの正式報告のもので、気象庁が翻訳しています。
以前は環境省が誤訳していました。
でも決して日本では報道されません。
IPCCが温暖化で南極の氷が増えるといっていると国民に思わせたくないからです。

そもそも南極の氷は温暖化したら増えるというのが正式な見方なんだと、
これは私の見方ではなく、私の見方もそうですが、
正式な物理学で考えてもそうだし、
IPCCもそう報告している。

それを環境省がですね、嘘の、誤訳をしてですね、そしてNHKがそれに習ったという事で、
日本の国内だけは全く逆の印象で、子どもたちにもですね、

IPCCの報告を日本に伝えてますと言いながら、反対の事を伝えるという事ですからね。
これは相当悪質だと私は思うんですよ。

「温暖化したら南極の氷が増える」という文章をですね、「減る」と訳して…

環境省は誤訳がばれて、数年前に修正していますが、まだNHKなどは修正していません



2012年11月

6「温暖化と原発そして日本の自立」武田邦彦&岩上安身11/11(内容書き出し)より一部抜粋

その時にサッチャーが言ったのは、
「原子力よりか怖いものをつくれば、原子力はできる」って言ったんです。

ー略ー

みんなが「温暖化怖い、温暖化怖い」
「だからもう原発でいいや」と。
これはもう作戦通り。
それからもうひとつIPCCをつくる時に、
「みなさん仲間から外れちゃいけませんよ」
「温暖化が科学的に嘘だとわかっても、外れちゃいけませんよ」
だからクライメイトゲート事件という、地球温暖化のインチキ事件はイギリスの大学…





comment 2
11.06
Fri
学者と学生によるシンポジウム
「岐路に立つ日本の立憲主義・民主主義・平和主義――大学人の使命と責任を問い直す」
2015年10月25日

シンポジウム



6:14〜文字起こし部分のYoutube→https://youtu.be/3J3kDNbnctM?t=6m14s
佐藤学(学者の会)

佐藤学(学者の会)
今回の安全法案の成立は戦後70年の歴史を大きく揺るがすものでございます。
日本の国の形を変える大きな暴挙だと言ってもいいと思います。
と同時に国際的に見ましても、立憲主義平和主義、あるいは民主主義の根幹を揺るがす大きな、国際的な事件でもあったとわたしは理解しています。
と同時にこの戦いを通じて、新しい市民運動。
わたしも考えてみたんですが、市民運動というのが日本で成立したのが1970年代だと思います。
しかしそれをさらに推し進めたと言っていいでしょう。
今回の市民運動は主権者としての市民運動です。
主権者としての市民運動が日本社会に成立したのはおそらく、ま、初めてと言っていいほどの大きな歴史的事件だろうと思います。
この新しい民主主義のあり方、ならびにこれからの安全保障関連法を廃止に向けてどのような戦いが可能なのか。
どのような取り組みが可能なのか。
またそこにおける大学人の使命と責任はどこにあるのかというのをめぐって今からシンポジウムを行いたいと思います。



7;49
長谷部恭男(早稲田大学教授)
長谷部恭男(早稲田大学教授):
私の方で申し上げたいことは、第一部でも様々な方がご指摘になったことですが、今回の一連の動きで注目に値しますのは成立前の安保法案についても、そして成立後の安保法制につ来ましても、多くの、数多くの一般市民の方々が自分で考え判断して、ご自身のポリシーで反対の声をあげているということです。

政治的な問題ももちろんそうですが、何を選ぶのか、どう行動するのか、これは理由に照らすreasonに照らし自分で判断をするということでありまして、周りに合わせて行動すればそれで済むというものではない。
考えてみれば当たり前なことではございます。

今回の安保法制についてもそうですが、政治的な問題を考える時は、非常に大雑把に考えると3つのアプローチがあります。
1.道理で考える
2.損得で考える
3.力ずくの問題として考える
もちろんこれらはお互いに関連していますけれども、とりあえず3つに分けて考えることができます。

この、いわゆる安保法は核心的な部分において違憲であります。
憲法違反であるという議論は、「道理が通らない」という議論です。
従来の政府見解との整合性は無い。
歯止めも無い。
憲法9条に反することは明らかである。
道理が通りません。

「”憲法”という道理の中でも最も大事なものに反している」
ということで、本来ならばこれでもう結論は出ているはずのものであります。


政府与党の側からは、この”道理”の問題に関して反論らしき反論はありません。
ご存知の通りです。

彼らが言っているのは”誰が”という「学者が言っている」だけ、なんです。
”元最高裁長官”と言っても、「今は一市民にすぎない」
これはいわば、”論点のすり替え”でありまして、”道理の中身”に関する反論はできていない。
そういうことを自ら明らかにしていると言っていいです。




他方、憲法はともかく”安全保障条の論点”があります。
この議論、これは”損得”と、それから”力ずく”の残りの2つの論点を持ち出しているだけであります。

ただ、”損得勘定”で考えても”得”になる理由が見当たりません
今回の法制が必要であると政府が挙げている具体的事例、これはホルムズ海峡にしても米艦擁護にいたしましても、国会審議の過程において、「非現実的な想定である」ということを政府自身が明らかにしております。

他方”損”にはなるでしょう。
アメリカに付き合って世界中で兵隊を担う。
他国との紛争に巻き込まれるリスクを増やす。
そのための財政支出も増大する。

そしてさらに何よりも、「自国の憲法原則を大事にしない国だ」という、そういう評価を高めることになり、どう考えても”損”になります。


”力ずくの論点”にいきまして、政府与党の側はご存知の通り
「日本を取り巻く安全保障の環境は厳しさを増している」と主張しておりますが、その具体的根拠は示しておりません。

私がよくあげるものですけれども、Institute for Economics and Peace というオーストラリアの著名なシンクタンクが毎年 global peace index というランク付けですね。
これは世界中の国々を平和で安全である順番にランク付けをしているものですけれども、日本はここ数年、今年も含めてですが、「世界で8番めに平和で安全な国だ」
こういうランクを保っております。

私は教師なものですから、何かに例えればテストになるんですけれども、
テストで50点を60点にするというのは割と簡単です。
けれど90点を100点にするのは難しい。
やはり従来どおり余計なことをしないで、今までの通りにやっているというのが一番いいわけでございまして、
現在世界で8番めに平和である国だとしたら、なぜ今までと同じことを続けようとしないのか?

「日本が近い将来大規模な軍事衝突に巻き込まれるリスクが本当にある」と政府が考えているのであれば、私は第一にやるべきことは原発をやめることだと思います

仮に私が北朝鮮の指導者で本気で日本と戦争をしようとするのであれば、弾道ミサイルを飛ばすような非効率なことはしないと思います。
日本海沿岸の原発をいくつか破壊すれば日本はもうおしまい。
相手の立場に立って考えればすぐに分かることであります。



このように”道理・損得・力ずく”のどのレベルで考えましても、安倍政権の判断は合理的とは言えません。

なぜ彼はこういった選択をしているのか?
この点、実は私が敬愛するジャーナリストで、柿崎明二さんという共同通信のジャーナリストがいらっしゃって、最近「検証安倍イズム」という岩波新書の本をお出しになっています。
幸いお送り頂いたので拝読したんですが、それでわかったことがございまして、
どうも、「安倍晋三という人は政治の問題を好き嫌いで判断する人間だ」ということ。

自分の国が好きなのは当たり前。
であれば自分の国の総理の判断に従うのも当たり前。
彼は日本国憲法は嫌い。
だから憲法に基づく道理はそもそも受け入れない。

どうもそのようです。
もちろん彼自身も憲法に基づいて首相の座についているわけですから、憲法を全否定するというのはそもそも道理にかなわないんですが、自分を首相にしてくれている部分は好きということで、憲法第9条は嫌いということのようです。

人はもちろん好き嫌いで物事を判断することはあります。
誰と友達付き合いをするか、どんな食べ物を食べるか、どんな音楽を聴くか、それは好き嫌いで判断するものでしょう。
個人的な選択の場。
好き嫌いで判断することはあります。

しかし「好き嫌いを政治に持ち込む」これは極めて危険でありまして、非道理な。
つまり道理の通らない、国民全体の利益を損なうおかしな判断を導く危険性が極めて高いと言わざるを得ません。

つまり今の政権が続くということになりますと、これは日本の政治を壊す、
さらには「日本という国を壊す」ということになりかねない。
大変危険であると私は思います。

15;16










global peace index 2015年
global peace index1

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11.05
Thu
原子力規制委・田中委員長vs南相馬市・桜井市長(2015.10.29)

https://youtu.be/1NnPsOTgrXM?t=1h4m59s
南相馬市・江口副市長:
繰り返しになりますけれども、我々のほうで今日はどうしても話があったのは、安心がどうしても必要である。
住民に直面する市の●。
それは市ではどうしても及ばない安心について規制委員会の姿勢というのにはものすごく大きいところがあって、
そこに先ほど言われた規制を超えた部分の配慮とは別に●として、
国の安心な基準というのをやっぱり明確に示してほしいなというのが我々の願いです。
これは先ほどもありましたけれども、繰り返しになりますけれども。
20ミリという基準もあります。
避難指示の区域が基本的に20mSvでになっていますので、いま。
避難指示等の判断基準が。
で、長期的には1ミリっていうのもあるんですけど、その間についてはこれはなかなかどこが安心というのはできないから、現場現場で個人個人で判断してもらうしかないというところだったと思うんですけれども、これが本当に個人の自由だとか市サイドから


規制委・田中委員長:
田中俊一

いや、それはないし、事故が起きた時の避難の基準ではありますけど、参考レベルっていうのは。
そこは正確に理解していただきたいなと思いますけど。
防災指針でいう20ミリっていうのは、1週間で20ミリっていうのはOIL 2っていうレベルであって、あの、ま、それを我々が介在するっていうんですけれども、だからそこはね、正確に理解していただきたいなとおもいます。



南相馬市・江口副市長:
防災指針というよりも、今現在行われている避難指示区域の解除については、年間20ミリというところを基準にしていますよね。


規制委・田中委員長:
田中9

基準値がいくらかだとか。
参考レベルっていうのは先ほどから2回ほど説明したけど、そういうことはありませんよ、ということですよ。
20ミリ以下になった時に初めてどのレベルで避難を…あの、帰ってくるかどうかは、みんなで関係者で、住民の方を中心によく相談して決めてください!」って言っているんです。

だから、「いや、私は3ミリでも、5ミリでも帰るよ」という人もいるし、「やだ1ミリじゃないと帰らないよ」だっているでしょ。
だからそこはどういう風に。
じゃあ、帰れる人から帰りましょうか」とかね、そういうことだってあるわけですよ。
だからそこのところはちゃんと正確に理解しないと、自治体のリーダーシップ、これ、多分できないと思いますよ。


南相馬市・桜井市長:
桜井9

あの、私は国のみなさんができないことまでやってきました、正直言って。
住民との向かい合いで、「警戒区域を解除しますよ」という時には国の人間は一切入れずに私が住民との間で「解除しますよ」と。
その理由については産業も含めて復旧することが前提だからということで、一箇所に700人ぐらいずつもの住民に来てもらって、集まってもらって、それを4箇所で、ある意味叱責だらけの中でそういう説明をしてきました。
でも国が今回の解除にあたって、「避難指示を解除する理由は20ミリ」って言うんですよ。
そしたらもう「何言ってるんだ」って。
今、多分後問題になるだろうことを例示すれば、「労災認定を年5ミリで出たじゃないか」
これに対して我々、「20ミリで避難解除だなんて言うのか」こういう問題は必ず出てくるんですよ。

だからこそ、我々としては「どこまでであればみなさん大丈夫なんですよ」って言いたいわけですよ。


南相馬市・江口副市長:
それは、国ができないことを自治体にやりなさいっていうのは、それは無理ですよ。

規制委・田中委員長:
そんなこと言ってないで、あのー、申し訳ないけど市長が言っているのはある意味わかりますけど、あなた(副市長)がおっしゃっていることについてはちょっと違うと思います。

南相馬市・江口副市長:
私が申し上げているのは、

規制委・田中委員長:
あの、若いのでどうぞ勉強してください。

南相馬市・江口副市長:
いや、そこを「自治体で判断してくださいね」というのは、どう勉強しても判断でき

規制委・田中委員長:
(副市長の発言を遮って)桜井市長の言っている意味はよくわかります。
必ずそういう問題が出てくると私も理解しています。

南相馬市・桜井市長:
だからもう出ているんですよね。
実際にもう、今でも避難解除についての懇談会とか各地域ごとにやっているし、例示しましたように、学校の保護者会レベルでも「みなさんの不安ってなんなんですか?」と。
で、「学校を再開したいんですけどどうですか?」とか、結構相談しているんですよね。
その際に必ずそれが出てくると思うんです。


規制委・田中委員長:
そういうことを踏まえて、いわゆる相談員制度を活用して、いたってそういうことを丁寧に対応していただくようにということなんで。
これは国がどうこうしたからって解決する問題じゃない」っていうのを十分に議論した上でそういう風になっていますんで、そこのところは是非ご理解いただいて、それをうまく活用していただきたいと思います。

南相馬市・桜井市長:
一応理解できないわけじゃないんですが、「市長が本当に責任取れるのか」最後はこうですよ。

規制委・田中委員長:
いや、それは同じことを私もなんども言われていますので、あのー。

南相馬市・桜井市長:
桜井10

ですよね。
やっぱり我々としてやっぱり国が例えば当時100ミリ、20ミリとか、ま、基準は1ミリとかっていう、実際には説明できないことの連続の中で住民に説明せざるを得ない状況に追い込まれていて、「除染もじゃあ、1ミリ以下にするんだろ」というふうにお叱りを受けるわけですよ。


規制委・田中委員長:
田中10

あのー、そういった線量の基準については我が国は遅れていて混乱しています。
法的にも遅れています。

だからそれについては我々も一つの主張がありますので、今後長期的に議論をして、きちっと国際的なレベルをスタンダードに考えていきたいと思います。

これがね、最大の混乱の原因かもしれないというのもつくづく感じてますので、それはそういうことで。
ただここですぐにそれを、答えを出すっていうのは私の一存で答えを出すわけにはいきませんので、それを是非ご了承いただきたいと思います。
あの、もう時間なので。


南相馬市・桜井市長:
食物について言えば、当時500ベクレルの暫定基準出したりとか、その後100にしたりとかという中で、最初にですね、国民がそういう問題について理解されていれば、「ま、大丈夫なんだろう」と理解できたと思うんです。
ところが最初高いレべルから500に下げて暫定だよ、実際は100なんだというふうになるわけでしょ。だから現場で説明できないし。
空間線量について言えば、「20ミリまでは暮らしてもいいんだよ」と言われていて、急にお母さんがたがわーって言ったら、「1ミリ以下を目指します」みたいな形だから、現場では大混乱するわけですよ。

規制委・田中委員長:
ま、そうですよね。

南相馬市・桜井市長:
だから、本来はこれは全体的な、原子力推進であれば、同時に原子力に対する理解が共通の中でなければいけないですね。

規制委・田中委員長:
ま、そうですね。

南相馬市・桜井市長:
それから安全であったり、クリーンだと言って、テレビで脅しまくってきたから

規制委・田中委員長:
わたしはそのことについてはいろいろここで申し上げるつもりはありませんけれども、そのいろんな混乱の原因について、いろんな基準が場当たり的に変化したことについてはわたしも当時の現場にいましたから、非常に怒りを持って国に対しても申し上げました。

「なんで100bq/kgに下げたんだ、500bq/kgで良かったじゃないか」田中原子力規制委員長vs桜井南相馬市長(文字起こし)


あまりにもど素人であまりにも配慮がなさすぎることについて、その気持ちは皆さんと変わらないですけれども、いま規制委員長としてなにができるのか?ということで、今日はお話をしていますので。
あの、いろいろお話を伺いましたし、本音もずいぶんお伺いしましたから、それは肝に銘じてやっていきたいと思います。


南相馬市・桜井市長:
本当にお忙しいときにこれだけの時間を取っていただきまして、田中委員長にも率直にお話を伺いまして、御礼を本当に申し上げます。
ありがとうございました。
今後我々としてはこの問題に、原子力災害に向き合っていかなければならないという現実がありますから、是非我々市民全体の不安とかいうものを前提にして、頭に本当に入れていただいて、いろんな規制委員会の仕事に励んでいきたいなと、これから

規制委・田中委員長:
わかりました、はい。
どうもありがとうございました。





避難区域解除・年間20ミリシーベルト基準〜南相馬市 毎日新聞&東京新聞の記事より


<子ども被災者支援法基本方針改定>竹下亘 復興大臣「あ??…?ちと私は細かいことはわかりません」7/10(文字起こし)
(年間20mSv以下の地域)自主避難の人もそうでない人も原則として帰っていただきたい。



ーーー

江口副市長のおっしゃっていることは何も間違っていないと私は思うのだけど…
「自治体のリーダーシップはできない」とか、「若いんだから勉強しろ」という発言がどこから来るのか、私には理解できない。

また、「桜井市長の言ってることはわかる」のならば、江口副市長の言っていることも本当ならわかるはずじゃないのかな?


この会談を聞いていると、当たり前のことだけど「帰還するにあたって安全です」と言える数値は無いようだ。
「これは国がどうこうしたからって解決する問題じゃない」から
「20ミリ以下のどのレベルで帰還するかは、自治体と住民で決めてください!」と田中委員長は言っている。


安全な基準なんか無いんだから決められない。
住民が帰ってこなきゃ困るんだから自治体で勝手に決めろ。
それができないならリーダーになれない。
逆ギレかな??



なんていうかな…こんなこと言ったら不謹慎かもしれないけど、田中委員長の「どうしようもないんだ」という気持ちもわからなくもない。(1000ミリとかは極端すぎるけど)
桜井市長もものすごく頑張っている。
けど、もともと根本のところで無理があるから、こんなふうにどうしようもなく苦しくなるんだろう。
原子力発電所の事故というのは人間の生活と共存できないということをまざまざと感じさせられる会談だった。




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11.04
Wed

原子力規制委・田中委員長vs南相馬市・桜井市長(2015.10.29)


https://youtu.be/1NnPsOTgrXM?t=54m53s
南相馬市・桜井市長:

南相馬の除染の問題について言えば、金額的にも直轄の20km圏内と20km圏外、市が除染しているんですけれども、合わせて多分3000億を超えるんですよね。

規制委・田中委員長:
それはもう多分「兆」の単位ですね。

南相馬市・桜井市長:
ここで単独だから、単独でそのくらい。
飯舘では4000億ぐらいになるって僕は聞いていますが、その範囲です、多分。
ま、こういう可能性のある問題ですからね。
現実的には我々はその問題に対応せざるを得ない状況に追い込まれている立場ですから。
それと、住民の生活を立て直す、生活を再建させるということと共存していかなければいけない話なんですよ。
この除染というか、線量を低下させる問題で。
だからここはあくまでも、起こってしまった現実と、我々生活を再建しなければいけない側の立場からすれば、規制委員会として今後のあり方についてもやっぱり議論すべきじゃないんですかね?


規制委・田中委員長:
あの、言わんとしていることは理解できないことはありませんけども、やっぱり一つの我々が与えられた法律で与えられたミッションというものがありまして、その範囲を超えてやるっていうわけにはいきませんので、範囲内で出来ることをやるっていうことしか申し上げられない。
で、あのー、現実にこの事故によって環境がこれで汚染されたっていうことも事実です。
ですからこれをどういう風に、できるだけですね、元どおりには戻らないけれども、その中でどうするか?っていうことで我々なりに協力をしてきたっていうところを、今日はお話しさせていただきました。

でも、ま、「それでもなおかついろいろ言いたいことがあるよ」っていうことは、それはよくわかります。




https://youtu.be/1NnPsOTgrXM?t=57m2s
南相馬市・桜井市長:
桜井7

絶対的な全体的な問題の除染についてお話ししますけれども、
先ほど委員長の方から出していただいたように、放射線相談員の問題だとか、国庫基金の問題であるとか、あれですね、人間を立て直す心を再生する問題と、当然向き合っていかなければならないわけですね。

南相馬は多分、自殺者。
全体的にはこの原発事故によって増えた自殺者が一番多いんです。

これは、たとえば20km圏内で我々みたいな世代であっても、たとえば50代の世代であっても、家庭を支えていかなければならない人たちが与えられる賠償金、ある程度もらえる中で生活できるんじゃないかと思っても、精神的にはストレスを抱えて残念ながら自殺をしてしまうという現実もあるわけですね。

こういうことに対するケアっていうのも、起こった事故だからこそ起こらないようにしていかなければならないし、今だって孤独死の問題とか、仮設での孤立死の問題というものについても、我々は日々、相談員というか、支援という形で回っていてもそういうことが起きるんですよ。
だからこういうことはやっぱり二度と起こしてはならないし、これ以上自殺者なんて出してはならないし、そういうことがこの事態の中で起きたという現実を踏まえて、やっぱりもっと心の問題、市民の生活再建に向けての心の問題に対しても、国に対して言って、指導というか、すべきではないんでしょうか?



規制委・田中委員長:
田中7

おっしゃる意味から言えば、具体的に言えば、安心安全の施策を検討させていただいた時も、心の問題に寄り添うということも含まれているわけです。
だからそれをどう捉えていただくか、というのはぜひそういう我々の趣旨を理解してやっていただきたい。
現実に起こっていることはその通りだと思いますし、それを否定する根拠も何もありませんので、そういうことなんです。

それで、規制委員会というのは小さな役所ですし、ある程度の●は限られています。
でもまあ、たまたま国会議員で私がこう言ったのをいただいたのをあって、こういった相談制度とか、過疎化交付金というのを具体化できたというのについては、私は良かったと思っています。

個人的に言えばこっちでボランティアで除染のお手伝うをしたりいろんな相談に乗らせてもらった時の方が楽だったです。
でもそうはいかない。
それだけじゃ多分福島はだんだん汚染されるだろうという考えもあって向こうの職を受けたっていうのもあります。
そういう個人的なものを言えばきりがありませんので、それはそういうつもりで。
わたしも72になりましたから、いつまでもそんなに働きたくはないんですけれども、そういうところもあります。
これはちょっと余計なことです。



https://youtu.be/1NnPsOTgrXM?t=1h21s
南相馬市・桜井市長:
ミッションとしては委員長も私も同じミッションの中にあるんだろうと思います。
現場が違うだけで。

市民の生活、命を支えなければいけない。
国の原発政策に対して意見を述べていかなければいけない。
結果的には国民なり市民の安全を守っていかなければいけないという理由では同じミッションにあるんだと思います。

そこで先ほど委員長の方から過疎化交付金の話を出していただきましたけど、
過疎化交付金があれば本当に使い勝手が良くて、住民の生活を再建するために絶対にこれは自治体に優先権をあげて、実際の思いのまま使わせるような制度に、本当にしていただきたいなと。
これは多分他の自治体からも出ているんだと思いますけれども、

規制委・田中委員長:
おっしゃる通り、国のお金で、交付金といえど、なかなか●も大変だし使い勝手も悪いんだ、それはぜひそういうことを具体的に言っていただきたい。
それでいま「それはダメですよ」とは言わないで、「こういうふうにすれば使いますよ」というような知恵を出すことは、これから生活支援チームに対しても申し上げたいと思いますけれども。
それは、そういうことはぜひそういうことを訴えて伝えていただきたいと思います。



https://youtu.be/1NnPsOTgrXM?t=1h1m50s
南相馬市・桜井市長:
桜井8

ありがとうございます。
なぜこういうことを申し上げたかっていうと、
一番最初に私が申し上げたように20km圏内の避難指示解除にあたっては、最も住民に対して安心感を持っていただけるような政策展開、事業展開をしていかなければならないんですね。
ですので20km圏内は一番、ある意味で不利益を被った住民なので、この人たちが「再建していくんだ」っていう気持ちになるようなものにしていかなければならないし、特に私は子供の、子育て世代が、例えば双葉未来学園に象徴されるように、「子供たちがここで勉強した方が有利な勉強ができる」とかですね、そういうことも含めて、教育予算にドンとこれ(過疎化交付金)が使えるとか、というものになっていかないと、行政、たとえば福島に避難したりとか仙台とか、郡山とかのほうが環境がいいじゃないか。
わざわざここまで戻ってこなくてもいいよという人たちがいるんですね。

だから、本来であれば、ここに来たほうがもっともっと有意義な子育てができる。
ま、全体的に放射線量の問題はあると思うんですよ。
我々は要望も了解したのはそういうことなんですよ。
他ではできなくてもここだったら子育てが皆さんできるでしょ。
そういう具体的な、お母さん世代が安心できるような使い方がこの交付金によってできれば、我々としてもスーパーteacherをどんどん呼んで、ここで、例えば福島や仙台でできないような教育者を招聘して、私はそこで勉強したいと思えるような事業展開をしたいんですよね。
こういうことも含めて、やっぱり被災はしたけれども、ここでやっぱり生きてたほうが良かったねって言えるようなものをあげていかないと、求心力になっていかないし、
ぜひ、委員長のほうからもこういうことを考えている我々、若い世代を戻したいという思いでやってますので、


規制委・田中委員長:
私もそういうつもりでこういうお金を使っていただきたいと思いますので、よろしくお願いします。
で、なにかありましたら、随時は●くんが福島におりますので、一緒にぜひごにょごにょ。





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11.04
Wed
原子力規制委・田中委員長vs南相馬市・桜井市長(2015.10.29)

https://youtu.be/1NnPsOTgrXM?t=50m26s
南相馬市・桜井市長:
ありがたいといえばありがたいんですが、少なくても国も県も機能しなかったんですよ、福島の震災の場合は。



規制委・田中委員長:
いや、現実にはそうです。


南相馬市・桜井市長:
桜井5

で、機能しなかった最大の原因は、「10km圏外は避難計画を作っちゃいけない」と言われて指導を受けてきたんです、旧原町時代は。
それは「住民に不安を与えないために」と。

でも現実的には10kmとか20kmとか30kmとか線引きしたところで関係ないんです、起こっちゃえば。
住民はすぐに逃げ出します。
我々としては経験値を踏まえて、ましてや病院も30km圏内に入院患者を置いていけないと言われましたから、国が。
みな30km圏外の33kmにある厚生病院まで入院患者をゼロにしろと言われましたから。

これによってバタバタと死にました。
6ヶ月間で250人死んだんですから、ここは。

それぐらいの医療拠点だったんですよね。
介護もそうです。

ですから、こういう住民の命を預かる立場からすれば、原発という問題について言えば、もう危ないレベルとして考えているんです。
住民も全くそうです。
その時に「危なくないんだ」とどこまで言えるのか?

避難計画を作らなきゃいけないようなエネルギー政策に対して今後とも推進しろなんていう事をどうして言えるのか?というのがよくわからないんです。
教えていただきたい。




規制委・田中委員長:
田中5

いやー、それはですね、私どもはそういう事故が起こらないようにという事を、福島の事故とかを踏まえて規制していく立場で、それをどうするか。
「原発を使うのか使わないのか」っていうのは、住民とか事業者とか国とかの判断でやっていただく事で、これは私の方から申し上げて、私の立場から「使うべきだとか使わないべきだ」とかっていう議論をするような状況にはないので、そこはこれ以上議論をしても多分何も起こってこないという事をご承知おきいただきたい。



https://youtu.be/1NnPsOTgrXM?t=52m46s
南相馬市・桜井市長:
はい、それについてはありがとうございます。
例えば官房長官の「委員会が(OKを)出したから大丈夫なんだ」
委員会では「安全性については判断しない」ということですよね?

これに対してどこが、我々は根拠としてじゃあ、この原発の問題を考えていったらいいんですか?



規制委・田中委員長:
いやあの、その「安全性について判断しない」っていうことなんか言ってませんよ。
あの、「福島の事故のような過酷な事故が起こるような可能性があるんだったら、私は原子力発電はやめるべきだと、使うべきではない」ということを国会でも再三申し上げました。
総理の目の前で申し上げています。

ですからそういうことが起こらないレベルまでの規制ですよ。
そのためにごにょごにょぐらいごにょごにょです。
多分事業者は大変な、「ここまで●でなんでそんなことを」っていう抵抗がすごいですよ。
でもやっぱり、それはやっぱり「福島で事故を起こしてしまったでしょ」っていうことで、我々としてはそういうつもりでやっています。

「でもやっぱり心配だから嫌だよね」っていうことでやめるかどうか、っていうことは、我々はそこまでは判断しないっていうことなんです。
ですから、「規制」っていう名前だからってそういうことっていうことなんです。
ぜひそこはご理解、正確にご理解いただきたい。

あのどうも、言葉を端折っていろいろ報道されますので、そういうことが、市長がおっしゃるような理解が一般的だというこのも知った上で今もうしあげています。
ただ直接今目の前におられるので、そういうことを聞かれたので。



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11.03
Tue
原子力規制委・田中委員長vs南相馬市・桜井市長(2015.10.29)


https://youtu.be/1NnPsOTgrXM?t=44m27s
南相馬市・桜井市長:
桜井6

頑張っていただいている事はわれわれも十分認めた上で、今われわれが抱えている問題のお話をさせていただいているんですけれども、
若いお母さん方と話をするときに、「仮にかえって深刻な事態」。
今「再臨界はない」という話がありましたけれども、使用済み核燃料の今後の処理の仕方によって、こういう事が起こらない可能性はないでしょ、っていうのを必ず言われます。
で、使用済み核燃料によってトラブルが起こった際には避難でしょ。
そしたらどこに避難するんですか?

これが最初に、全く避難計画もない状況の中で起きた事態に対して、住民もわれわれも対応しなきゃいけなかったしできたわけですよね。
で、その際に今避難計画を国から「作れ」と言われて作りました。
でも残念だけども、私が作ったのは、ま、県庁との関係もあって作ったんですけど、全くペーパーだと思っています。

それは、現実的には、あの震災が起こったときに、避難計画がないまま全国に飛び散ったわけですね。
ルートとしては北から西に向かっていったんですけど、南に行けなかったので。
全国に飛び散りました。
飛び散った結果として福島も含めて、今47都道府県に市民がいますけど。
ここに戻すのも大変だけど、ここにまた深刻な問題がないという100%の保証はないわけで、避難計画の問題は必ず取りざたされます。
避難計画というのも、本当に再稼動するときなどに規制委員会として条件として入れていないですよね。


規制委・田中委員長:
田中あの、なんですかね

それは、私どもには避難計画の審査はない、指針は作ってます。
少なくても福島について言えばですね、イチエフもニエフも、もう止まっていますからヨウ素は出ません、ありません。
それで、希ガスもほとんど出てませんから、基本的に福島の今回の事故の反省をもとに、今むやみに、こう、無計画的におくとかえって、関連死とかいろんなマイナス要素が出るという事で、福島に関してはいわゆるTFZ?というなにか重要な事態が起きたときにはもう条件5km圏内は避難しましょうというのは外しています。
これは内閣の防災が基本的にはあれなんですが、考え方の方は私がアレしまして、そういうふうな。

ですからあの、ヨウ素剤を配るとかというのがありますけど、ヨウ素剤というのは副作用もあります。
で、ヨウ素剤が効果を発揮するのはヨウ素に対してだけですね、安定ヨウ素剤は。
ヨウ素はもう出ませんから、無いんですから。
福島は福島で防災。

なかなか、非常にあの、ややあの、テクニカルなところ、●な難しいところがあるかと思いますけれど、そういう事なので、そこはですね、だから今私どもが主としてその、進めているのは、まず当初は慌てて外を動き回ると、ま、突然の場合と、福島の経験から言うと、かえって被曝量が増えるんですよ。
だからそこのところはちょっとやり過ごす。
プルームをやり過ごすという問題とか。
ヨウ素の吸入を防ぐという意味で。
一般論で言えばそういう対策もあるので、そのあとずっと見て、あのー、それで今回、あの、●の、なんですかね、ん…、何も支障がなく避難指示を出したって事でいろんな混乱が起きて、かえってごにょごにょ飯舘のごにょごにょほうに避難するとなる。
そういうことを避けるために今回はいろいろ検討しました。
シミュレーションもいろいろとやってきましたけれども、やっぱりこれは「実測で判断していくのがいいだろう」ということで、測定の制度を、モニタリングポストをいろんな、今まで以上に配置してというふうなことで対応しようということにしてありますので、そこはあのー、「紙だけだ」とおっしゃらないでください。

あのー、そういう意味できちっと、我々は責任を持ってそこはできるようにってことで、これはただし、自治体と県とかとその協力が無いとできない事ですので。
実際に私がその事に対してこういう状況だからここは避難してください、指示を出してくださいと言った時に自治体にその一番近いのは自治体ですので、そういう事も踏まえて、私にとってはすごい重い責任があると思って日々そうしています。
でも、あのー、今の状況ってのは、なにも福島についてはそんな状況じゃないんだという事だけは申し上げられると思います。





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11.02
Mon
原子力規制委・田中委員長vs南相馬市・桜井市長(2015.10.29)


https://youtu.be/1NnPsOTgrXM?t=37m48s
南相馬市・桜井市長:
桜井4

委員長がおっしゃっていただいていることを、我々は理解しないとか理解できないとかいう問題では全くなくて、正直言って「ここまで南相馬市は回復している」という自負心もあります。
それは職員が自らここに残って頑張った。
その間ストレスを抱えてリタイアしたり、今、休職せざるを得ない職員たちがいる中でも、職員全体としてみれば、市民を支えるために頑張ってきています。
ですから、市民と同時に職員のケアをしなければいけないのも事実なんです。
で、この際、国の支援が無かったとは言いませんが、震災で厳しい時に、自衛隊でさえ避難して行った時にですよ、3月14日。
3月15日の、14日の3号機の爆発。
ここは我々は残したんですよ。
自衛隊が入ってきて「避難指示」ということを言われても。
それはなぜか?って言ったら、市民を守らなければいけないし、あの時避難できない市民もいっぱいいたので、我々としては市民を守ることを優先させた。
これはある意味私が職員に強要を指示したというのもありますけれども、ただそれによって本当に多くの市民が帰ってくるようになったとは言え、あれ以降ストレスを抱えている職員が非常にいるのは事実なんですね。

ですからこういう中で今再生していかなければいけない。
復興していかなければいけない。
ましてや一番の課題である20km圏内を帰れるようにしていかなければいけない。
そういう課題に対して、いま何を市民にメッセージとして出したら彼らが安心して帰れるかということを常日頃考えて彼らと対話し続けているんですよ。

で、楢葉はこれから医療機間ようやくするところとか、郵便がこれからとかという話が出ていますが、我々としてはもうすでにそのことは、去年の4月23日時点で改良規制ないにもかかわらず、医療機関は必要だということに対して診療をそこで開始したりとか、今年の9月にわれわれも中小機構の支援を受けて、直接仮店舗というか、購買できるものを作ったりしているんですね。

でも解決できないのは、やっぱり除染の問題。
先程言った廃棄物の、ああいう黒い袋が積んである問題。
ここで農業ができるのか?とか、
生活再建できるのか?という不安がある、これの最大の原因が放射性物質、原発事故なんですよ。


ここを明確に不安を払拭するものを住民に語り続けなければ、多分帰還というのは多くなっていかないと思うんです。
ですから規制委員会としても、委員長としても、国に対しては「こうあるべきだ」というものを、放射線の問題一つを取っても出して欲しいし、除染についていま環境相も非常に中間貯蔵の問題とかやっていますけれども、これに対しても道筋が見えないような、悩み続けなければいけない現場の人たち、また、●村なんかは搬出搬入のルートになっているわけですよ。
飯舘の問題もそうだし、相馬の問題もそうだし、うちの問題もそういうルートの中に入れられているわけですので、こういうことに対するストレスがこれからますます大きくなってくるんですよね。
「それでも大丈夫なんだよ」ということを言っていかなければいけない。
それはどういう風にしたら言えるのか?っていうのは、われわれは常日頃自問自答しながら、住民に対してどう言ったらいいんだろう?という問題があるので、



規制委・田中委員長:
田中4

除染の方の問題については、わたしの方で色々、ま、何か申し上げる立場にないし、なかなか難しいところがあるんですが、イチエフ(福島第一原発)の安全の確保についてはその、ある程度責任を持って確保してまいります。
で、その一環として今日もこういう形で、私が、あの、いろいろ持ち場とか説明しているのは十分承知しているんだけれども、私の口からきちんと説明した方がいいでしょうということでお伺いしています。
で、そのことで十分納得していただけるかどうか?ということについては、これはなかなか人の納得は簡単なものではない
ので。

ただはっきり言えるのは当初からいろいろ非常に懸念、われわれも懸念してきたことについては相当きちっとコントロールできるようになってきています。
今日の新聞に出る水の問題も、今全部出ていて「これぐらいですよ」という話ですから、こういうことも多分、少し表的に感覚的に捉えていただければ、幾らか安心になるかなというのでこんなものを作ってきました。
そういうことで今努力をしています。

でも、そういう意味でぜひイチエフは、今は住民の帰還を妨げるような状況ではなくなっ…。
絶対ないか?といえば、まぁ。
たとえば再臨界の問題とか、いろいろ議論されているけれども、それはありません。
これはありません、物理的にないということは私が保証します。


で、そういうことは言えるんですけれども、できない、
なんでもそうなんですけれども、全く●ということを保証しろと言われてもこれはなかなかないんで、そこのところはちょっと勘弁願いたいと思いますけれども、そうとう「イチエフは帰ってくるのを妨げるような状況ではなくなっているよ。だから帰っても外の方に、こっちの方まで影響するようなことはないよ」という事はぜひお伝えいただいて、出していただきたいというふうに思います。

除染の方の問題、運ぶルートの問題は私自身も非常に懸念しています。
今後どうなるかという事について。



ーーー

除染で使ったマスクや手袋を投棄 コンビニ店頭のごみ箱に


<除染廃棄物流出>飯舘村の除染袋川に流出 240袋→293袋→395袋








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11.02
Mon
原子力規制委・田中委員長vs南相馬市・桜井市長(2015.10.29)


文字起こし部分のYoutube→https://youtu.be/1NnPsOTgrXM?t=26m42s
南相馬市・桜井市長:
桜井3

お母さんたちにとっては「こんなところで子供を育てられるか」っていう気持ちに対して、「大丈夫ですよ」と言える根拠というのが本当は必要なわけですね。
ところが不安な人には「どんなレベルまで下がっても元には戻ってないでしょ」と言われたら、そこは「そうだ」と言わざるを得ないわけです。
だから委員長がおっしゃるように帰りたい人から帰るようにすればいい。
まさにその通りで我々はそうやっていますよ。

ただそれで、この南相馬を含めて避難されている方々が、地域の再生をできるかというとできないんですよ。
南相馬は22年度から今現在の生産年齢という15歳から64歳の人口が今現在で1万3600人も減っているんですよ。
この人たちは、ここに戻ってこない世代が多いんですよね。
ここをどうやったら南相馬市の復興になるんですか?
来ていただいているのが5000人ぐらいいますよ。
新たに南相馬に来て暮らしていただいている方が。
これは例えば浪江からの高齢者とか、浪江からの避難民とか、8市町村全部から南相馬に来てもらっています。
飯舘からも含めて。
でもほとんどが高齢の人たちですよ。
この人たちで社会的に復興が本当にできて、将来の、よく言う10年後の人口だとか、20年後の人口を確定しろと言われても多分亡くなっていく世代が中心なので、どんどん逆ピラミッド型になっていくわけですよ。
そうしたら、この地域の復興って本当にできるんですか?と。
この時にいろんな国からの、これでしょ、あれがあるでしょ、って言われて地方創生だなんだと言われますが、
「現実的にはここで子育てをしていける環境が本当に保障されるんですか?」ということなんですよ。
この点に限って言えば、医療環境、福祉環境、子育てとして保育環境、全くできていないです。
我々は幼稚園保育園を無料化しています。
子供達は増えています。
けれども保育士が足りません。
という問題が、一つ一つ出てくるんですよ。
医師、看護師いません。
看護師がいなくて病院が開けられません。
医療スタッフ確保のために無償奨学金制度を作っています。
介護ヘルパー確保のために介護士を無償で養成講座をやっています。
それでも確保できない。


こういうことに対して何故こうなっているか?っていうと、原発事故そのものなんです。

だからここからの復興について、現場で我々が住民とコミニケーションしたから結果としてプラスとなって人口が増えていくわけでは、全くないんです。


規制委・田中委員長:
田中3

それはおっしゃるとおりで各市町村みんな共通です。
だからその部分深刻だと思っています。
ですからそうやったものをどうやって乗り切っていくかというのはやっぱりひとりひとりがよく、もう、ある意味じゃね、無責任かもしれないけれども、最後は人の心の問題ですから、それを乗り切れる人と乗り切れない人とが出てくると思うんです。

で、客観的に見ると、統計的に見てみると、やっぱり高齢化していくということもあります。
それは別に放射線の問題だけじゃないんです。


ま、南相馬は比較的都会ですけれども、一般的にやっぱり山間部から街に出れば「便利だからもう帰らないよ」という人がいるという話も●に伺いました。
だからそういうことを踏まえて、やっぱりもう、ただただ要求して国がどうするだなんだって言ったって、もう先は無いですからそんなに大きく変化することはないんで、もうここはやっぱり「自分たちでどうして、どうしようかと、現実を踏まえて」という考え方に立って必要なことを求めて下さい。
そうしないと国としてもどこから手をつけていいか分からないということなんです。

だから市長が言うことは一つごもっともだし、多分そうだと思います。
でもこれは、私は今規制委員長としての立場を超えて話をしているんですが、あの、そういうことですので、そういうことをやる上で、あの、過疎化交付金とか相談員とかっていうことをうまく使っていただければ、私としては一つの仕事をやっているかなということで申し上げています。

そんで、今おっしゃったようなことを全部やろうと思ったら、これは私の力量を、私どもの範囲じゃないんで、ここはちょっとあの、なんとも言えない、怒られたってこればなんともしょうがないというところがあるんで、ちょっとそこはもう、ご理解いただければと思うんですけどね。




https://youtu.be/1NnPsOTgrXM?t=32m7s
南相馬市・桜井市長:
決して私は田中委員長を叱っているというんではなくて、私としてはもう、あの震災から必死でここを支えてきたつもりなんです。
一方で、20kmにかかっていない町でも全員避難した町もありますよね。
結果として7万6000の双葉郡がどれだけ帰ってくるか、という問題になれば、南相馬は一時期1万人割っていた部分が8500人以下になったんですよ、7万1500人居て。
けれども今現実的には5万5000人以上住んでいます。
作業員も含めると、多分6万人近くがここに住んでいるでしょう。
その違いは何か?って言ったら、ここは必死になって支えてきていて、ここは1日たりとも移動をしていないんですよ。
それは職員も含めて、市民に対して責任を持ってここをカバーしようと。
一時期は120人も県外の避難所に職員を派遣したんです。
3ヶ月間。
長いところはもっと長くずっとおりましたけれども。
こうやったことをやって今支えていて5万5000になったものの、それでもまちづくりが難しいのはやっぱり若い、子育て世代に対して明確に、ここは安全だとか、安心だというメッセージをどうやって伝えればいいのか?
これは我々自治体の首長と市民のコンセンサスを作ればいいなんていう問題じゃないです。




規制委・田中委員長:
それはですね、あの、我々が安全だとか安心だとかって言ったからって納得していただけるものでもないんですよね。
そこが非常に難しいところです、はっきり申し上げて。

で、話は違いますけれども、「作業員とかいろんな方がいて不安だ」
これはここだけではなくて、広野でもその話。
いわきでも、いわきでは避難して住民登録をしていない人が2万4000人からいられると。
でも国のサポートがないって市長がおっしゃっていましたけれども、ゼロではありませんけれどもそういうこともあるという現実もずいぶんもらいました。

で、そこのところがやっぱり、ちょっと国としても考えなければいけない問題ではあるんだろうと思います。
多分ここも唯一住む場所があったということで避難されている方、それから作業員の方、これがないとみんな住めないことになりますので、そういうことでそういうご苦労をおかけしているということの●もわかりましたので、そのことは人それぞれですので、それはきちっと伝えたいと思います。

あの、えーっと、そういう意味では非常にわかるんですが、他にどこもずっとどこも同じ、大変みなさん市長さんは住民と一番向き合うところでご苦労されているのもわかりますし。
だから私も逆に言うと首長さんをこうやって回っているというところもあるんです。
あのー、さーっと回って「どうですか?」って聞くのは簡単です。
時間をとっていろんなお考えを、なかなか聞けない話もいっぱい聞きましたので、そういうことを今度は国として整理してどうするか。
その時にやっぱり首長さんと●ということで交流できるようなことにしておかないとこれはごにょごにょ。

で、この、高齢化の問題。
昨日、楢葉も解除したばっかりですが、行った時にはまだ100人しか帰ってきていないと、この夏ですから。
で、今日の新聞かなんか、昨日かなんか341人だとか。
でも周りの割合からみるとまだまだなんですね。
で、町長の話では、誰かが帰ってきているとそこに電気がついているとその周りの人もなんとなくボソボソ帰ってくる。っていうような状況もあるんだっておっしゃっていました。
ですから、なかなか最初に帰ってこられる方というのは、いろいろバリアが高いと思うんですが、そういう人たちをできるだけサポートしながらやっぱり帰還率を上げ帰還をちょっとづつ増やしていくという地道なことしかないのかなと思っています。

それから川内村で話した時には、ここな20km圏で村の中が前後に分かれていて、初期の問題でコミニティが壊れていると。
「ここをなんとかしなければいけないんだけれども」っていう、非常に深刻な悩みもありました。
これをどういう風にできるのか、ちょっと私もすぐには思いつきませんけれども、いっぱいそういう話は聞いていますので、まぁ、よく整理してお伝えできることをして、あとはそれに対して国がどのように機能してくるかは、是非、市長の目からもよく見て、あの、いただければと思うんですけれども。



ーーー


桜井市長の言葉から被災地の現実と苦悩がはっきりと見えてくる。
汚染されてしまっている地域を復興させること、そこには大きな矛盾がある。
苦しくなる。

戻ってくる人が高齢者ばかりであることに対して、高齢化は放射能の問題じゃなく他の土地でも同じだという発言には大きな違和感を感じた。



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11.01
Sun
「規制委員会としてはこうだ」「もう大丈夫だよ」という基準はどの辺なんですか?ということを明確な見解を出していただきたい。
という南相馬市の桜井市長に対して原子力規制委員長田中俊一氏の答えは、なんと!!!

生涯で1000mSv!Σ( ̄。 ̄ノ)ノ

100mSvではありません、1000です!!



ーーー以下、その部分の文字起こしーーー



原子力規制委・田中委員長vs南相馬市・桜井市長(2015.10.29)

文字起こし部分のYoutube→https://youtu.be/1NnPsOTgrXM?t=17m19s

南相馬市・桜井市長:
桜井2

これは一番重要な問題なんですけれども、今南相馬は20km圏内で避難指示がかかった中で、多分一番人口が多い地域です。
と申しますのは、12自治体の中でもおおよそ半分が南相馬市の人口なんです。
8町村と南相馬市の人口はほぼ同じと言っても過言じゃないくらい。
うちは7万5600ぐらいでこっちは7万1500いましたから。
それくらいの状況があって、「1対1の状況ではない」ということです。
一人一人からすれば皆平等なわけですから、南相馬市全体と双葉郡全体ぐらいが同じ被害を受けているということに等しいというふうに受け取っていただきたいと思います。

で、今、帰還に向けた準備期間に入っています、20km圏内で。
20km圏内で準備期間に入っていて、今現在20km圏内に準備期間に帰ってくる人数が1368になってきて徐々に増えてきてはいるものの、ほとんどが高齢だなんですね。
これは多分どこも共通だと思いますけど。

多くの皆さんが帰らない、特に若い世代が帰らない原因はイチエフ(福島第一原発)が近い。
「福島第一原発がある限り帰らない」という人もいます。
先ほど説明を受けた「収束の問題について不安がある」という問題があります。
放射線の●による●の問題。
先ほど説明いただいた除染に関わる問題。
除染廃棄物の現状の問題。
また、除染作業員がこれだけ増えていて、
委員長に誤認識いただきたいのは、例えば浪江さん20km圏内の除染に入る作業員。
また飯舘に行く作業員。
これは南相馬市に宿舎を置いてあるんですね。
で、宿舎にともなる問題が、現実的に寝屋川事件に象徴されるように、
山田容疑者が南相馬市で作業をしていた」ということが報道されたことによって、「作業全員が安全じゃない」というような、ある意味での風評被害ですね、
作業員に対する問題が出て、逆に我々が作業員に対してどういう風な指導をしているのか。
防犯上の問題にどういう風に対応しているのか。
交通事故がこれだけ増えていることについて、作業員の車が多いからこうなっているんじゃないか。
というような問題が住民からあげられていますし。
現実的にはご覧いただけばわかる通り、朝の5時半から夕方の6時過ぎまで、7時近くまで、朝夕は渋滞でダンプのラッシュです。

こういう現実に対して、戻ろうとする、帰還しようとする人たちが、不安を覚えるのは当然だと思います。

そこで、まず第一点に、帰還にあたって、一番の障害になっている除染について、どこまで下がっていれば、染料ですね。
仮に20km圏内でも線量が0.1マイクロないところもあれば、当時の帰還困難区域も居住制限区域も避難指示解除区域もありましたから、ま、今もありますが。
その中でどこまで下げれば規制委員会として「大丈夫だと、戻ってもいいんだよ」と言っていただけるんですか?
ここが我々としては一番言えない。
住民に対して「安全だ」と言えない
レベルなんですよ。
ここを「規制委員会としてはこうだ」という見解を出していただけるのであれば、住民に対しても「規制委員会がこれだけ言っているんだから、我々としても来年の解除に向けて大丈夫じゃないか」というようなことが言えるわけですが、残念ながらそれが言えない。
(動画切れる)というような声が出されるわけですよ。
その際に「もう大丈夫だよ」という基準はどの辺なんですか?ということを明確にしていただければ、我々も説明しやすいですし、ぜひそこはお願いしたいです。





規制委・田中委員長:
tanaka 2

先ほど、決定的な「これならいいということは言えない」。
これは放射線被ばくの健康については、いわゆるICRPの勧告にもありますように規制モデルというのがあって、「基本的には1mSvでも影響があります」ということになっています。
ただ国際、先ほども申し上げましたけれども、こういう事故が起きた時に、そういう環境下で過ごす時に、どのあたりを目安とするべきかというのは、先ほど申し上げた参考レベルなんです。
その範囲でどこをするかということは、これはその、その土地の汚染の状況とか、自分たちの、住民の考えで決まってくるということです。
その代わり戻った時に今おっしゃったように本当に市民、ただ1mSvの上か下かで判断される方が大きのですが。
1mSvを超えているのかどうかということを、とか、いつまでも超えているのか、どこまで超えるのかということも、それはやっぱるガラスバッチとかを使ってきちっとモニタリングしていく必要があると思います。
それが通常ガラスバッチでは3ヶ月から6ヶ月に1回ごにょごにょあります。

それからもう一つ、わが国では基準として国になっていないんですが、
放射線被ばくについては、生涯被ばくのことを考えられまして、
だいたい1000mSvというのが国際的にも、「それ以下にしましょう」ということです。
ですからそのうちの、しばらくは汚染されますからしばらくは高いところ、高いかもしれないけれど、全体として10年20年としてみると、だいぶその、毎年1ミリ以下になっているねっていうような状況を作っていく必要があると思うんですね。

だからそういうことで御理解をいただける人は帰ってくるだろうし、「いやいや、ヤダ」という人は帰ってこないと思うし、何を言っても帰ってこないと思う。
どこの市町村も同じ悩みを抱えています。
帰らないという理由に、もう、どうしてそういうことを言った。
「帰ってくるつもりがないのにそういうことを言う」という首長さんもすでにいました。

だからそこのところはぜひ●していただいて、やっぱり「帰りたい」という人を優先に支援をしていくっていうのが基本だと思う。
帰るか帰らないかは、それは個人の選択になるので、私はこう思っています。
これは強制するわけにはいきませんので。
この辺りはぜひ市長さんのリーダーシップで、ま、応援していただくしかないな、というふうに思います。
多分同じ問題が一自治体とか、あのー、除染の問題とか出てくる。
除染の問題はもう少し、地域的にもやることがあるんですよね。
フレコンバックが帰ったら目の前にが山のようにあるっていうことで「ヤダ」っていうかた。
これはま、非常に私も含めて●します。

そういうことを、何が本当に帰るかえ、帰れないのか、帰りたくないのか、っていうのはやっぱり、ひとりひとり違うんですよね。
だからそこのところをやっぱりきめ細かく相談していただかないと、一概にこうだからああだから、規則だからこうだって言ってもダメだと。
それが相談員とかの考え方ですけども、そういうことですのでぜひ、そこは市長さんのリーダーシップをお願いしたい。
「我々がどう言ったからそうする」ということではないと私は思います。
私どもは思ってます。



年間5mSvで白血病は労災なのに…「年間20mSvで生涯1000mSvという国際的基準がある」田中俊一原子力規制委員長記者会見10/28(文字起こし)


大阪府の死体遺棄事件で逮捕された男が除染作業員として働いていた­ことを受け、3日間作業が中止されていた除染作業再開

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11.01
Sun

市役所の封筒「憲法守ろう」に黒線 「なんで?」「墨塗り」日野市に抗議殺到、市長が謝罪
withnews 10月30日(金)15時1分配信


「墨塗りされている!」ツイッターで指摘する声が相次いだ日野市の封筒の画像
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【写真】「職員はどういう気持ちで…」批判が殺到した日野市の「黒塗り」封筒

 東京都の日野市役所が使っている封筒の「日本国憲法の理念を守ろう」という文言が線引きされて、読めないようにされているとの指摘がツイッターやフェイスブックで相次ぎました。市役所には事実関係を確認したり、抗議したりする電話が殺到する事態となりました。

「墨塗り事件だ!」批判の声広がる
 ツイッターやフェイスブックでは日野市役所の封筒の画像が広く拡散されています。黒く線引きされていたのは「日野市」の文字の下にある「日本国憲法の理念を守ろう」という文言。ツイッターには、市の対応を疑問視する声が相次ぎました。

「墨塗り事件だ」
「理念を守らない、って言っちゃっていいの?」
「職員はどういう気持ちで消してるんだろう」

市長が謝罪「誤解与えてしまった」
 どうしてこのような封筒が使われていたのか、日野市役所の担当者に聞きました。まず担当者は「消してしまっていた事実があった」と認めました。市によると、問題の封筒は15年前に作られたもの。最近では、市民への返信用などとして使っていたそうです。

 現在使っている封筒には「日本国憲法の~」の文言は入っておらず、このスタイルに合わせるために文言を消したそうです。今年に入って700~800枚にこうした線引きをしてしまったそうです。市役所に残っている500枚ほどの封筒については、「今後使用しない」と決めました。

 担当者は「朝からひっきりなしにお叱りや事実確認の問い合わせが殺到しました。誤解を招いて申し訳ありませんでした」と説明しています。また、現在の封筒に「日本国憲法の~」の文言が入っていないことについては、「特別な理由はないです。その時々で、封筒に書くメッセージは変わっています」と説明していました。

 日野市の大坪冬彦市長は30日、市の公式HP上で「このたび誤った事務処理により、市民の皆様に誤解を与えてしまったことについて遺憾に思います。憲法をはじめとする法令を遵守することは、市政の基本であり、これまでも、そして今後も、憲法をはじめとする法令を遵守して市政を運営することに、いささかも揺るぎがないことを改めて表明します」と謝罪しました。




「憲法守ろう」黒塗り日野市封筒 憲法順守 消された理念
東京新聞 2015年10月31日 朝刊


東京都日野市が、公用封筒に印刷された「日本国憲法の理念を守ろう」という文言を黒く塗りつぶし、市民らに発送していた。古い封筒を使う際、現行型のデザインに合わせるためだったと釈明したが、市民らから抗議など50件が相次ぎ、大坪冬彦市長が公式ホームページで「遺憾」と陳謝
PK2015103102100055_size0.jpg

 東京都日野市が、公用封筒に印字された「日本国憲法の理念を守ろう」という文言を黒く塗りつぶし、市民らに七百~八百枚を発送していたことが分かった。市側は「封筒は古いデザインで、現行型に合わせるため」と釈明しているが、市民から抗議の声が寄せられ、大坪冬彦市長が市のホームページ(HP)で「誤った事務処理で市民の皆さまに誤解を与えた」と対応のまずさを認めた。 (加藤健太)

 問題となったのは、長形3号の縦長の郵便用茶封筒で、大きな「日野市」の文字の左下に「憲法の理念を守ろう」の文言が印字されている。二〇一〇年度のモデルで、四月一日からの一年間、全庁的に使われた。
 市によると、今年二月ごろ、用水路や公園の維持管理を担う「緑と清流課」で、使っていない一〇年度モデルが課内の段ボール箱に一千枚以上残っているのが見つかり、捨てずに利用することにした。
 同月、現行モデルにはない憲法の文言を、黒いフェルトペンで塗りつぶし、同課の業務で、主に返信用封筒として市民らに郵送。このほか、封筒を貸した都市計画課からも、黒塗りされた二十枚が発送された。
 緑と清流課の原正明課長は本紙の取材に、自身が指示したことを認めた上で、「現行モデルと見た目のデザインを合わせる必要があると判断した。封筒のデザインは、その時々で、発信したいメッセージやキャッチフレーズが変わるため定期的に変更している」と説明。憲法の文言が何年度から採用されたかは分からないが、長い間、印字されてきたという。
 この文言は一〇年度モデルを最後に消えたが、その理由について市は「把握できない」としている。
 この黒塗りされた封筒は今月に入っても使用され、受け取った人が問題視し、二十五日にインターネットに画像を投稿して拡散。市には抗議の電話やメールが五十件近く届き「中立であるべき役所にあるまじき行為」などの批判が寄せられたという。
 原課長は「当時は見た目のことばかり考えてしまい、短絡的だった。憲法の文言をあえて消す必要はなく、メッセージ性を持った行動と受け取られても仕方ない」と話し、手元に残った黒塗り封筒五百枚は、全て処分する方針を示した。
 市は三十日午後四時すぎ、HPで経緯を掲載。この中で大坪市長は「誤った事務処理で市民の皆さまに誤解を与えて遺憾に思う。憲法をはじめとする法令順守は市政の基本であり、今後も揺るぎない」とコメントしている。

◆理由思いつかない
<田島泰彦・上智大教授(メディア法)の話> 全く普通のスローガンで消さなくてはいけない理由が思い付かない。客観的に見れば、憲法を否定する意思表示。市民の批判は当然だ。安倍政権が進める改憲の動きと符合しており、逆に政治的だ。




日野市 市長の部屋
日野市長の部屋


大坪冬彦市長
(おおつぼ ふゆひこ、1957年12月8日 - )
桐朋高等学校、一橋大学経済学部卒業。大学卒業後、日野市役所に就職。高齢福祉課長、健康福祉部長、まちづくり部長を歴任した。
2013年4月、日野市長選挙に自由民主党、民主党、公明党、社会民主党、生活者ネットワークの推薦を受けて無所属で出馬。引退する馬場弘融市長による市政の継承を訴え、元日野市議会議員の中谷好幸(無所属・日本共産党推薦)を破り、初当選した。同年4月27日、正式に日野市長に就任。


2015年10月30日 緑と清流課
古い種類の封筒の誤った使用について

このたび、当市が使用する封筒のうち、古い種類の封筒を使用するに当たり、消す必要のない箇所を誤って消したものを、文書の郵送等に使ってしまった事案が発生しました。

事案の経過
緑と清流課において、古い種類の封筒を使用する際に、所属長が表示の一部を消すことについて曖昧な指示をしたことにより、当課の職員が消す必要のない箇所(「日本国憲法の理念を守ろう」)まで誤って消してしまったものです。
これらの封筒は、平成27年2月頃から、およそ700から800枚使用しております。残っていた同様の封筒500枚につきましては、すべて処分いたしました。

市長のコメント
このたび誤った事務処理により、市民の皆様に誤解を与えてしまったことについて遺憾に思います。
憲法をはじめとする法令を遵守することは、市政の基本であり、これまでも、そして今後も、憲法をはじめとする法令を遵守して市政を運営することに、いささかも揺るぎがないことを改めて表明します。
日野市長 大坪 冬彦



緑と清流課の長が誰なのかはわからなかった。
このような黒塗りに関して、大きなニュースになるのはそれだけ市民の意識が高いということだ。



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