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12.10
Sat

「2マイクロ/時とか超えるところを除染するのは、あれは無駄。
早く辞めて欲しい。税金の無駄遣いだと思います」
早川由紀夫氏記者会見より)



高線量の中で懸命の作業 陸上自衛隊の除染活動
福島民報 (2011/12/09 09:09)

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【写真】重機で表土を削り取る除染作業に当たる自衛隊員
=富岡町役場


陸上自衛隊が楢葉、富岡、浪江、飯舘4町村の役場で取り組む除染活動のうち、
富岡、浪江両町役場庁舎の作業が8日、報道陣に公開された。
高い放射線量のため、作業の変更を余儀なくされるなど不測の事態も待ち受けていた。
現場の模様を取材した。(山崎 理史)
 
東京電力福島第一原発から南へ約9キロ離れた富岡町役場の平均放射線量は毎時7・7マイクロシーベルトで、
自衛隊が除染する4カ所の役場の中で最も高い。
隊員約300人が重機などで芝生部分の表土を除去している。
作業が進んだ場所の放射線量は3分の1程度に減ったという。
 
ただ、作業は常に変更を迫られている。
町役場の3階テラスにある砂利は当初、洗浄による除染を想定していた。
しかし、放射線量が下がらず作業直前に砂利を取り除くことになった。
量も想定より多く、前日に始まった作業は2日目の8日までずれ込んだ。
 
福島第一原発から約8キロ北にある浪江町役場周辺は紅葉も終わりに近づき、冬の色合いを増していた。
人けのない町の静寂を破るように、側溝の汚泥をすくい上げるスコップや草を刈り取る機械の音が響く。
 
敷地内の放射線量は毎時1マイクロシーベルト前後。
隊員約150人が側溝のカバーを一つ一つ外し、中にたまった落ち葉や土をかき集め、土のう袋に詰める。
これまで行方不明者の捜索を続けてきた隊員は防護服を苦にする様子もなく、
無駄のない動きで作業を進めていた。
 
福島市に駐屯する第44普通科連隊の森脇良尚連隊長は
「郷土に根付いた部隊として誇りを持って取り組んでいる」と力を込めた。
相双地方出身の隊員も多く、古里への強い思いも伝わった。
 
6号国道をバスで移動中、福島第一原発の排気筒が遠くに見えた瞬間、線量計が一斉に警告音を発した。
手元の線量計の数値は毎時20マイクロシーベルトを超えた。
自衛隊の活動は2週間程度の予定だが、高線量地域の除染は誰が担うのか。
そして、どのくらいの期間を要するのか。
国策として除染に取り組む必要性をあらためて強く感じた



続きを読むに母からの手紙





原発放水 誇れる息子へ 母からの手紙 大賞に 
2011/12/02 13:55 東京新聞

福島県猪苗代町などが主催する「母から子への手紙」コンテストで、
東京消防庁ハイパーレスキュー隊員として福島第一原発事故で放水活動した
息子への思いをつづった菊池孝子さん(68)=福島市=が大賞に選ばれた。
手紙には、
「放射能の中への突入なんてあり得ない、やめてって叫びそうだった」
「お母さんの誇り。お疲れさまでした」などと母の思いがつづられている。 (沢田佳孝) 


原発が爆発して数日後の三月十七日の昼すぎ、
一人息子の謙さん(41)から菊池さんに出発を知らせる電話がかかった。 
「消防に入った時から『何かあったら出動しないといけない』と聞いていて漠然と不安はありました。
でもまさか原発なんて…」 

夫道雄さん(70)とテレビにかじりついた。
出発式に臨む緊張した面持ちの隊員たちはすべて息子に見えた。

中学の国語教師だったため授業参観に行けなかったこと、
謙さんが子どものころにどら焼きが好きだったこと、
思い出が頭の中を駆け巡った。 


「最悪、息子を失うことも覚悟した」。

二日後、謙さんの「ミッション達成」というメールが届き、涙があふれ出た。
間もなく謙さんから電話がかかったが、受話器に耳を当てるだけで、言葉にならなかった。 
四月中旬、親戚の葬儀で再会した息子は頬がこけ、一回りやせているように見えた。

「ふるさとの事故だ。行かせてくれ」と謙さんは妻を説得して原発に向かっていたという。
「現地入りは使命感だったみたい。相当の覚悟だったようだ」。あらためて過酷な任務を想像し胸が痛んだ。 

コンテストに応募しようと、七月、手紙を書きだした。
「言葉が次々とわき出てきて。四百字にまとめるのに苦労した」 

コンテストは、同町出身で渡米した野口英世に、母が案じて送った手紙にちなんで始まり十年目。
今年は千八百二十八編の応募があった。 四日に表彰式がある。

「手紙に書いたような思いは現地入りした隊員の家族全員がしていたはず。
隊員の母親を代表して行ってこようと思います」    


菊池謙さんは災害対応部隊の第三HR機動特科隊長を務め、
東京消防庁の第一陣として福島原発へ向かった百三十九人の一人。 

「母からの手紙」のコピーを見て照れ笑い。
今では甘いものがそれほど好きではないが、
「同僚が母親の手紙をなぜか知っていて、どら焼きの差し入れをいくつも受けた」と今度は苦笑い。 

福島県にいた妹家族は事故後、隣県に引っ越すなど環境は大きく変わった。
「原発の収束は見えない。福島を離れた子供が安心して戻れる日まで協力したい」。
一方で、「また心配をかけるかも」と母を思いやった。



母の手紙全文 


お母さん、行って来るからとの一報を受けた時は真っ白になった。
あまりにも唐突で、気持ちの整理もままならぬ中、頑張ってきなさいと言うしかなかった。
本当は放射能の中への突入なんてあり得ない、やめてって叫びそうだった。
東京消防庁への道を選んだ時、反対しとけばよかったとさえ思った。
これって、お母さんのエゴなのでしょうか。 
テレビに釘付けの一日の何と長いこと。無事であることを祈るばかり。
そう言えば謙はどら焼きが好きだった、
忙しくてしっかり抱っこもしてやれなかった等何故か遠い昔のたわいもないことがどんどん駆け抜けていった。 
「ミッション達成」のメールが届いた時は涙が出てしまった。
二十ミリシーベルトの放射能を浴び、決死の覚悟で任務に挑んできた一員として、
自信にあふれたあなたの姿こそ、お母さんの誇り。
お疲れ様でした。 
(追伸)
浴びる程飲ませっつお、待ってろ。ってお父さん言ってた。

(原文のまま)(東京新聞)





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comment 6
コメント
じすいず「軍国美談」ですな
いけ | 2011.12.11 00:29 | 編集
本人はもとより家族も大変な思いをする過酷な任務。
正義感が強く、意識が高いからこそ臨むのでしょう。
だから、その気持ちに甘えた政策は許されない。
どんな言葉で飾っても、無駄な被曝は無駄。
そんなことは、させてはいけない。
かつて、特攻で、大和で、良い若者たちが散って行った。
けれど、それで本当に本土が守られたか。
散って行った者たちをくさすつもりはないのです。
ただ、
同じ轍は踏んではいけない。
精一杯の正義感からの除染が、逃げるべき人々を被曝させてしまっては、
彼らの気持ちは踏みにじられてしまう。

この記事のタイトルに大いに同意します。いつも、ありがとうございます。
manekineko | 2011.12.11 00:29 | 編集
目を覚まして下さい!

たぶん、菊池謙さんも
菊池謙さんのお母さんも
このブログは見てはいないと思います

でも菊池謙さんか、菊池謙さんのお母さんの
知り合いの方が一人くらいは
このブログを見ていらっしゃると思って
このコメントを書きます

 《君死にたもうことなかれ!》
と歌った与謝野晶子の心を思い出して下さい!
 
 「最悪、息子を失うことも覚悟した」
だなんて、愚かな戦前の《軍国の母》の二の舞は止めて下さい!

日本人は、あの愚かな戦争から
もう少しは学ばなきゃいけません!
そしてチェルノブイリの経験から
学ばなければいけません!

チェルノでは25年後のいまだに
半径30km圏内は除染不可能だと
ギブアップして
立ち入り禁止区域になったままなのです。

ロシア人だって必死で除染しようとして
できなかったのです

チェルノで、できなかったことが
フクシマでできる筈がないのです

ウソだと思ったら
たね蒔きジャーナル「除染しても線量が下がらない!?」
をインターネットで検索して聞いて下さい!!!

キーコちゃんや神戸大学大学院の山内知也教授や早川先生や小出先生の
おっしゃる通り
「2マイクロ/時とか超えるところを除染するのは不可能だし、
無駄だし、無意味なのです」

国が除染させようと躍起になってるのは
避難民を一刻も早く汚染地域に帰還させて
保障を、打ち切りたいだけなんです

菊池謙さんや、その同僚が
万一、20年後に
健康被害を生じたとしても
国は
「放射能との因果関係は立証できない」
と言って一銭の賠償金も出さないのです

《愚かな軍国の母》の悲哀を聞くなんて
もう止めなきゃいけません

日本人はもう少しは歴史を学んで
賢くなるべきだと思いませんか?

チェルノの教訓を学び、
第二次世界大戦の教訓を学び 
カミカゼ特攻隊は、もうやめましょう!

必要なことは
フクイチ30キロ圏内を
放射能のゴミ捨て場にし
自衛隊や除染部隊の被曝を即刻中止し、
避難民に新しい生活の場と
生活を保障するよう国に要求すること
なんだと思います!!!



himadarake | 2011.12.11 04:25 | 編集
線量がもっともっと低いところの除染も全く成果がでていないのに、
もう、何十年も、何世代も「住んではいけない」はずの土地を除染しようというのは・・・
神風特攻隊の精神でしょうか。
愛国心なのか、愛郷心なのか。
とても尊いとは思いますが、無意味に犠牲を払うのは、
わたしは、やっぱりむなしさしか感じられません。

まるで、その心意気が、日本を救うのだ、という
あまりにも現実離れし、悲しすぎる、空虚の希望が、
胸に突き刺さります。

「住めないところを、国が責任を持って除染します」
と宣言されるよりも、
「もう住めません。町ごと移動しましょう。できる限り支援します。」
と宣言してくれた方が、どんなに、意欲がわいてくるか・・・

終焉に向かう力を、再生への力と転化させられるよう、
がんばりましょう!
Blue Dolphine | 2011.12.11 07:10 | 編集
第二次対戦以降、一ミリも精神的成長をしていない日本
と外国からは見られてるでしょうね
なな | 2011.12.11 08:55 | 編集
このニュースにびっくりしました。ここの町長さんは20Km内のこの状態で町の復興を唱えてるんですか?現実逃避にしか思えません。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111211-00000530-san-soci
戻れると考えている人達はテレビしか見ない人達でしょう。
すでにテレビは言論統制済みですよね。
QUEST76 | 2011.12.12 06:07 | 編集
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