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肥田舜太郎氏「放射線に負けないで生きていく方法」12月7日世界被ばく者展(動画・肥田氏の講演部分全て書き出し)

「できるだけ遠くへ引越しする」。
「食べ物が全部放射線に汚染されていないという事を確かめて食べろ」

これ言われて、「はい」って言って出来る人、何人います?

そういう事が出来ない人はどうしたらいいかというのを一言も言わないんです。
こんな残酷な話はない。
出来ないんだったらそんなこと言わない方がいい。
放射線が飛んできているんだから逃げれば大丈夫なんて事は当たり前のことなんだから。

できることが一つだけあるんです
その一番簡単なやつをいくつか教えるから、いっしょにやろう!


自分が自分の命の主人公になって
                生きるというために一生懸命に生きるんだ



12月7日の肥田舜太郎先生の講演です。
何度も何度も見ました。
肥田先生の心からの声です。
とても熱い、真実の声です。
とても感動して、そして、勇気をいただけます。
強く生きていく力を与えて下さいます。


ところどころ、時間も書き出しましたので、是非ご覧になって、その声をお聞きください。


ーーーーーーーーーーー

【Ch4】世界ヒバクシャ展 緊急フォーラム 昼の部
[内部被曝などの正しい情報提供&被曝の影響を抑える暮らし方紹介]
日時12月 7日 (水), 10:30 ~ 17:00
場所めぐろパーシモンホール 大ホール (地図)
ビデオ上映 世界ヒバクシャ展写真家による写真ビデオ 報告  
竹野内真理(翻訳家、低線量被曝者の会共同代表) 講演  
大谷ゆみこ(つぶつぶクリエーター、フウ未来生活研究所代表)
昼休み
ビデオ上映 世界ヒバクシャ展写真家の写真を映像で紹介 午後(13時30分~17時)
歌 TOMOKO 「ザマナイ~時代よ!~」 ビデオ上映 
被爆1、2、3世のメッセージ写真ビデオ「親子の絆」 講演  
肥田舜太郎(6000人を超える被爆者を治療してきた医師)
休憩
ビデオ上映 世界ヒバクシャ展写真家の写真を映像で紹介
報告  佐藤幸子(子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク世話人)
トーク(質問タイム) 肥田舜太郎&大谷ゆみこ&佐藤幸子&竹野内真理
http://hibakushaten.blogspot.com/



肥田舜太郎氏
世界ヒバクシャ展緊急フォーラム午前の部2011年12月7日
1




司会:肥田先生は、何処かをぽきっとされているそうですが椅子はいらないとのことです


26:31

27:37
どうもみなさんこんにちは。
ご紹介いただきました肥田舜太郎という内科の医者です
福島の原発の事故が起きて関東平野一帯まで放射線の塵が飛んできて
沢山の方が今、特に小さなお子どもさんを持ったお母さん方が大変不安になって
どういうふうにこれから生きて行ったらいいのかという事を非常に心配をしておられます。

いま、福島の方々が被ばくをしている。放射線の影響を受けている
これを新聞は内部被曝と書いています
みなさんがこれから色々、考えたり、相談したりするときに、
放射線について使われている言葉の意味が良く分からないではいけないので、
最初、簡単に。

放射線、これはよく耳にするし、字も見ますけれど、見た人は誰もいない。
目には絶対に見えない。色もないし、匂いもありません。
もちろん、触っても感じることはできない。
みなさんはお医者さんに行ってレントゲンを撮ります。
暗い中で、前をはだけて、「大きな息を吸って、息を止めて」っていわれると、
どっかでカチャンって音がして、自分の内部と に影が映る。
何かが身体を通ったんだけども、何が通ったかという事は誰も感じない。
そういうものが放射線。

わかりやすく言うと、この世の中には放射線というものを出す物質があります。
その、出す物質のちいさなちいさな粒。これが放射線なんだ。
粒の大きさは、これは頭で想像するしか手がないんですけれど、
1ミリメートルの60億分の1という直径の小さな粒です。
それは実際にそこにあるんだけれども、見えもしないし触ることもできない。

その小さな粒が飛んでくるんですね。
レントゲンのフィルムを撮る時も機械からその小さな粒がものすごい速度で飛んできて身体を貫く。

放射線の出るところが自分の体の外にある時には外部被ばくと言います。
外から影響を受けるから外部被ばく。

内部被ばくというのは、その粒が体の中へ入る。
これは、空気の中にある散りみたいなものを、知らずに吸い込むと肺へ行きます。
それから、水の中にある。
あるいは畑のキュウリだとか、トマトとか、そういう野菜の表面、食べ物の表面についたのを食べる。
あるいは水で飲み込む。

放射線の粒がとにかく、肺と胃袋へ入る
そして中から、人間の体に都合の悪い放射線をずーっと出し続ける、。
それによって身体を中から壊されていく。
これを内部被曝と言います。

今、福島で起こっているのは、みんな内部被曝だ。
もちろん、外も飛んできて身体にぶつかりますけれど、
今福島の原発から出ている放射線の強さは、非常に強くない、弱い。
ただ、出た放射線の全体の量は、もう、広島の原爆の時の200倍ぐらいになっていると言われています。

量は沢山出たけれど、一つ一つの放射線が持っている勢いが、広島の時ほど強くない。
だから、外にあるのが体に触れた外部被ばくでは、政府が言うように、今のところ心配ない。
これは嘘じゃない。

ところが内部被曝というのは、
ここから以上になったら危ない。ここから以下の放射線だったら心配ない。
そういう、シーベルトの単位というのはないんだ。
ゼロじゃなきゃダメなの。

ほんの僅か入っても、その人は被ばく者になる。

この事について政府は嘘をついています。

つまり、今、少なくても、福島県に住んでいる大人も子供も、もう一人残らず放射線が体の中に入ってしまっている。
8日月になろう、もうじき9か月になる。
今までまだ全然身体の中に入っていないという人は、おそらく一人もいないだろうと思いますね。

ですから、私が一番心配しているのは、
広島・長崎の時の原爆の被害者が生き残ってずーっと生きている間に
色々な余病が出てきて放射線の後遺症が出てきた。
それと同じ被害が福島の人に出なければいい。そう心から望んでいますけれど、
被ばくをした放射線の性質が、広島・長崎の場合と今度の場合は同じ物なんです。
同じ放射線に被曝をしたんですから、
広島・長崎の被爆者の経験がそのまま福島で起こらない、という保証はどこにもありません。


ですから、後遺症が起こってくる時期は、少なくとも半年後。
一番多いのは2~3年経ってから出てきて、
最後はその人たちがやっと人生長生きしてそろそろ終わるかな、という歳になって、
ガンや、白血病やその他非常に恐ろしい病気が最後に出てきて命を絶たれる。

ですから、心配しなくちゃいけないのは、これからずーっと先なんです。
長い間「いつ出るか、いつ出るか」と思って広島・長崎の人達は本当に一生苦しみました。

悲しい事ですけれど、
福島の人達のこれからの人生も、全員とはもちろん言いませんが、
かなりの方々はそれと同じ道を歩くだろうと、それが非常に心配なんです。

今のお医者さん達
大学教授から町で開業している先生まで含めて、
あの時広島・長崎で血だらけになって死んでいった、あるいは生き残って非常に苦しい人生を歩いた
そういう被ばく者を診た方は現在一人もいません。

今一番若い被ばく者は66歳です。
今の先生方、現役でみなさんの前で仕事をしているお医者さん達は、少なくとも60歳前後でしょう。
70,80の開業医の先生もいるけれども、
その先生たちが広島・長崎の被ばく者を当時診たという方は、残念ながら全部死なれてしまって、
私が日本で一人生き残った、そういう被ばく者を診た医者という事になっています。

ですから、一番心配するのは
そういう後遺症が出て、具合が悪いからといって、先生のところへ行って診てもらっても、
それが福島の放射線が影響の病気だということの分かる、それが言えるお医者さんは
ひとりもわたしは居ないと思っています。

それをどうするか、
これが、これから一番大きな問題になります。

何故、日本の政府、役人、あるいは大学の先生たち
あれだけ大きな、世界的にも人類が初めてという、広島・長崎の原爆の被害を日本の国民が受けて、

「日本は唯一の被爆国である」
都合のいい時はそういう事をみんな言うけれど、

じゃぁ、あのキノコ雲の下で人間はどういうふうに殺されたのか
それから66年間、今の医学では診断も出来なければ治療法もない放射線被害というものについて、
どうしてだれも勉強してこなかったのか。

みなさんはおそらく今、福島の人達のことが心配で
放射線を経験した広島・長崎の人はどんなふうだったのだろうか、
それを詳しく誰かに聞こうと思っても、それをちゃんと説明する人はいません。

なぜそうなっているのか、
ここのところを、今の日本国民はだれも聞かされていない。
これは、みなさんも知っているように8月15日に






内容は続きを読むに書き出しました。

それ以上もう話しないで出て言っちゃった。
翌日とよく翌日、ま、そこに1日3回行く訳だから、
何回も診るわけだけど、なかなか診る気がしない。
「どうせ風邪だろう」と思っているからね。

それで、9日の朝
今日もし、まだ寝ていたらやっぱりこれは「診なきゃ悪いんだろうな」と思って行ったら、寝てたの。
それで見たら、真っ白な顔なんだけれども、真っ青なの、顔が。
「あー、たいへんだ、こりゃぁ・・」と思って、傍に行ってひょっと見たら、
和服ですから、この胸の合わせのところの白い肌に紫色の斑点が出ている。
「あーー」と思いました。
なんでこの人にみんな死んでいる人と同じようなものが出るんだろうと。
「奥さんどうしましたか」って聞いたら、小さな声で

自分は去年の春、松江、日本海の宍道湖のね、あの松江で卒業した大学生と結婚した。
その人は島根県の県庁に勤めている。松江に県庁があった。
そしてしばらくしたら広島の県庁に転勤になった。
だから、去年の4月の末から5月の初めに新婚旅行で広島に来て、
そこに間借りをしてね、旦那はそこから毎日県庁に勤めに行った。
そしてそれは8月の大体末ごろに
自分は7月の27日の日に臨月、お腹が大きくなって、お産が近い
だけど広島じゃ誰も知っている人がいないから、お母さんのところでお産したいっていうんで
汽車に乗って松江に帰った。
で、子どもを産んだんですね。男の子が生まれて、毎日こう、抱っこしながらね。
おかあさんは「ぼうや ぼうや」ってやってた
そしたら、ラジオがある日、「アメリカが広島に特殊爆弾を投下した。相当な被害が出た模様」
それだけしか言わない。後どうなったかなんて全然わからない。
で、毎日心配して、新聞にもこんなに大きな字でね、それだけのことが書いてある
「相当な被害が出た模様」
だからさっぱりわからない。
心配していたら、松江の人で広島に親せきがあって見に行ったんです、町を。
そしたら、その人の言葉は、
「広島の町には家は一軒もない。人間は全部死んだ。人は一人もおらん」
そういう事を松江に帰ってきてしゃべるわけだ。あちこちで。
それが耳に入って、大変だって心配になったから、
お母さんと相談して、赤ん坊を置いて、
ちょうど爆弾が落ちてから1週間目に広島に来て、途中で汽車を降りてあとは歩いたんですけど、

みなさんは広島は今新幹線が通って、山陽線、あの汽車に乗って、西の方に行く時、
駅を出て汽車はずっと広島の外側をぐるっと回ります。高い土手の上を走るんですね。
窓から見ると広島の町が全部見えます。
その向こうに広島の海までこう見える。高いから線路が、今でも同じです。
その土手の上に奥さんが歩いてきて、トンネルがあったんだけど、トンネルがみんな原爆で壊れちゃって、
だからその上をよじ登って超えないと町へ入れない
上がって見たら、なるほど村の人が言ったみたいに、何にも無いの。
大きなふくやっていう8階建てのビルも、朝日新聞のビルも焼けて、中はがらんどうですね、
後ろの方が見える。土手近くに上がって後ろの石垣だけが見える。
だから、奥さんは上がってみて町がないんです。海が見える
自分のうちはどうも海の傍にあったという覚えがあるから、
道なんか通らないで、まっすぐ海の方へ向ってがっちゃんこがっちゃんこって、焼跡をね、
石ころだとか瓦だとか、その間でみると、頭がい骨があって、骨が焼けて
その上を奥さんは歩いて旦那を探してい歩いた。
結局、村の親切な人がいてね、
「奥さん誰を探しているの?」
「亭主探しているの」
「生きてる方?死んでる方?」
「生きてる方です」
「そんならこんなところにいる訳がない。もし生きていたら周りの村へ引き取られているから、
ぐるーっと、周りに村がいくつかあるからはじからはじへ村を見て」
と言われて、ふらふら歩いて来て、
僕の村、私が受け持ちをしている患者のブロックの中で旦那とぱったり会った。

これはね、いま・・そうね、
宝くじに当たる確率よりももっと珍しいですね
新婚で一緒にいて、お産で国に帰って、で、広島はその間に何も無くなっちゃっていて、
そこへ来て、まァ、何十万寝ていたか知らないが、
死んだ人と生きている人が寝ている中で、生きている旦那とばったり会うなんて
まず、普通じゃあり得ない。

その話は、もうね、村中に広がりました。
寝ている人は全部、もう不幸のどん底なのね、
自分は家族が全部死んじゃった、一人になっちゃった、家も無くなった。っていうんで
そういう人ばかりでしょ、幸せな人なんて一人もいないんです。
そのなかで、「新婚の夫婦がこの中でばったり会ったんだってよ」っていう話しは広まる。
「とんでもない運のいいヤツがいるもんだ」
その運にあやかって、あの旦那を何とかしてみんなで元気にして、二人揃って帰そうじゃないか。
それでね、その日から配給のおむすびをね、
10人位が9つを分けて一つ残すんだ。
で、残したやつをあの旦那と幸せな女房に食わせろ、って
もう、広島の辺坂村にいた全ての不幸な人達がみんなで応援して、
「元気になって早く帰れ」って

本当にね、当時の日本人っていうのは、今、思い出してもね、涙の出るような

優しい・・・国民だった・・

肥田舜太郎氏12


その奥さんが、熱が出た。
すぐ治るだろうと思っていたら、だんだんだんだん熱が高くなった。
そのうちに目から血が出て、腕に斑点が出る、頭の毛が抜ける
最後は血を吐いて、旦那の目の前で死んじゃったんです。

旦那はもうね、奥さんが死ぬ最後か前か、朝から晩まで泣いてんのね、
もちろん最愛の自分の奥さんがね、自分は広島にいてまで生きている。
何十キロも離れた松江にいたね、なんでこの女房がね、なぜ死ななきゃいけないんだ、と

大きな声で泣きながらね、そういうね、奥さんに話しかける

周りにいる人もみんなね、泣いていました。
あんなに幸せな二人が、旦那にとってね、自分は怪我をしてここに寝ているけれども、
佐賀市に来てくれた新しい奥さんが子どもを産んで
「子どもは見せられないけど元気でいるわよ」と言った奥さんが
目の前で血を吐いて死んでいる
あれはまあ、本当に旦那の気持ちになればね、よく分かる、気持ちが。

村の人はみんなその話しを聞いてね
なんであのピカどんはそんなにむごいことをするんだろう。

つまり、当時は内部被曝という言葉はなかった。
僕らはみんな「入市被ばく」
その時は広島に居なかったのが、後から町に入っておかしくなる。
「入市」市に入っておかしくなる。
ずーっとそれを使っていて、

今度、この福島の問題が起こって、
ま、だれとなく「内部被ばく」って言った。いいことばです。
「入市被ばく」じゃ何だか分からないけれども「内部被ばく」なら分かるだろう。

ということで、ま、否応なしに当時のことを思い出しました。

さっきお話ししたように、当時のことを知っている医者で生き残っているのは誰もいませんから、
日本中の新聞・テレビ・ラジオ・雑誌の記者が全部僕のところに来ました。
ノートに書いてありますが、うちへ押し掛けてきたジャーナリスト、
広島へ夏に行った時に広島に沢山来ているジャーナリストが20社いました。
それを入れて82社ぐらいがうちにきています。

6月からそういうのが始まりましたから、
大体240日の中で80社。3日に一ぺんはうちに押し掛けてきている。
講演に出るのが、だいたい同じような数です。
ですから、ほとんどうちで、
うちに帰るとね、FAXね、
どんなに少ない日でも10通はあるね。
それから、僕は得意じゃないけど、メールっていうのが入ってて、
あれを朝起きてパソコンの電気を入れてメールって開くと
きてるきてる、いっぱいきてる。
あれが苦手なのはね、あれは全部目を通さなければいけない。
それで、返事を書かなければいけない。
外国からいっぱいくるんですね。
外国の人っていうのは僕がどんなに忙しいかというのが全然わからないから、
長いのをよこすんですよ。
その英語を訳すのがまた大変なの、95歳のじいさまがね、
ま、辞書ひいて翻訳をしましたから、多少は読めますけれども、
それをやると朝2時間や3時間かかっちゃう
毎日それの繰り返しなんですね。

それでも、当時のことを知っている人間が、やっぱりみなさんにお話しをしないといけないと思うから、
ま、一生懸命努めています。

でもいくら話してもね、
あの時の死んでいった人間を目で見たことがない人が、
いくら口で言っても、放射線はこんなに怖いって言ったって、
わからないのね

無理もないと思います。

僕は被爆者の組織の中に入って、いろいろお世話をしてきたんですけど、
わたくしは、あの原爆という爆弾の一番の特徴は放射線を出すことです
しかも、体内に入った放射線が何十年もかけてその人の体を壊して命を奪っていくと、

これは、人類がこれから絶対に一緒に生きてはいけない、放射線ていうのはそういうものなんだ

という事を一生懸命外国でも日本でも言っています。

同じ被爆者のくせに、
私が「放射線が悪い」っていうとね、
「先生は何もかも放射線の事にしちゃう」と
「あの爆発で、目の前で、家も薬局もお墓も役場もみんな無くなった」と
「被ばく者には社会が無くなった」と
「相談する相手がみんな死んじゃっていない」
「そういう人類が一度も味わったことのない被害を、放射線というものに全部入れてしまう、そんなもんじゃないよ」
というのが被爆者の言う事なんだ。

よく分かりますよ。
目で見える被害をいっぱい見ているから、
目に見えない放射線の事なんかいくら言われたって、
それはあるだろうけど、あの全体から見たら一部なんだと。

わたしはそれがすべてだと、逆に思う。

沢山の人が焼け死んだと、
東京空襲で十万人死んでいます。
ドレスレンというドイツの町は瓦礫の中に、これっぽちも建物が一つも残らずに
町中の人の人口の8割までが殺された。
だから、ドレスレンに行って広島の写真を見せてね、「こんなふうに原っぱになっちゃって何にも無くなった」、
「なんだ、うちと同じだ」
そりゃ、放射線のことを知らなきゃ同じだって言われちゃうんです。

ま、それ位、放射線のことは理解してもらえない。

しかし、これからもし、福島の人達の中で、
その放射線のために命を奪われる人が何人でも出るとしたら、
勿論、地震と水害で亡くなった方が沢山いる。
いまだに、どこに行かれたのか分からない方もいる。
そういう意味で、決してその被害が軽いものだなんて言うつもりはない。
だけど何十年もたってまだ、その病気の影響で
お医者さんにかかれば治るっていうんなら分かるけども

医者が診てもどうしようもない。
あとは死ぬのを待つだけという、その放射線の残虐さ。


今日どんなに元気な顔をして生きていても、いつかはそうなってしまう。
その残虐さから見れば、他の爆弾は、その時にその人を殺すだけで、
何年にもわたって殺し続けるという事はないはずだ。
僕はそう思っています。

だから、目をつぶって、もう口もきけなくなる時まで、
わたくしはこの話をして歩こうと思っています。

で、問題は、
今日もここに何人か福島から来ていらっしゃるけど、
福島県、あの近所で災害に合われた方、
みんなが今思っているのは、

子どもを持った自分たち母親は、どういうふうに生きて行ったらいいのか。

今まで専門家という人がテレビに出て言ったことは、
二つですね、みんな二つ。

一つは、まだ放射線が出ているあの原発のあるところから、「できるだけ遠くへ引越しする」。
もう一つは、3食、食べる物の食べ物が全部放射線に汚染されていないという事を確かめて食べろと
二つ言うんです。

これ言われて、「はい」って言って、明日引っ越し出来る人、何人います?

ここにきていらっしゃるみなさんに、
ここに、いま、政府の発表を聞いたら、「ここに今濃厚な放射線が降ってきました」と。
「みんな家に急いで帰って、相談して、明日荷物をまとめて大阪から西へみんな逃げなさい」って
「はい」って言ってね、やれる人何人います?
勤めどうするか、仕事どうするか、子どもの学校をどうするか、
そんなもの簡単に移れるもんじゃない。

現に福島県でも自発的に逃げた人も、もちろんいますよ。
でもそういう人を全部集めたって、
どこかへかわったっていう人は少ない。大部分は動けない。

それから、汚染されていない食事。
例えば、大阪から向こうから野菜を取り寄せる。
お米もむこうから買う。
それが、みんなみんな、あと半年から一年、3食分ずーっとできるのか、
出来やしませんよね。

そういう事が出来ない人はどうしたらいいかというのを一言も言わないんです。


20:58

こんな残酷な話はない
出来ないんだったらそんなこと言わない方がいい。
当たり前のことなんだから。

放射線が飛んできているから遠くへ行けば大丈夫なんていう事は専門家じゃなくたってわかりますよ。

だから、いかに血も涙もない連中が、専門家と称して大きな顔をして、
みんなの前で自分の 論がこんなに違うんだよという事をみせびらかす。
その中にひとかけらの親切も入っていないんです。

21:50
わたしはひとつだけ、
わたしはできることが一つだけあるんです

肥田舜太郎氏11


それは、沢山の被ばく者と一緒に生活をして、
この人達も、「いつ癌が出るか」「いつ、晩発がでてくるか」を心配しながら生きている
明日出るのか子どもはどうすりゃいい

22:15
そういうのにくよくよしないで、
どっちみち、あんたは放射線にやられちゃったんだ。
今更、医者に行って「これ全部出してくれ」、「綺麗な身体にしてくれ」って言ったって誰も出来ないんだ

そうなったら腹をくくって開き直るしかしょうがないんだ。
もうやられちゃっているんだから。

いつかどこかで病気が出るかもしれない

22:45
「出るもんなら勝手に出やがれ」と、腹据えて開き直って生きなさいと、

で、一つできることがあるの。
親から貰った放射線に対する免疫の力をみんなもらっている。
これは人によってる強いのもあれば弱いのもある。
バラバラだけど持っていることは間違いない。

その持っている放射線への免疫の力を絶対に今から落とすな
つまり、自分の生活の仕方が悪いために、それ(免疫)がどんどん薄くなって無くなってしまう。
それだけは絶対にやめる。

今あるものをそのまんま、生きられるだけいっぱいにそれを使って生きようじゃないか

それは・・あんたが、どんな病気にも努力して俺はかからないと
健康を保って生きる。これは人間にできるんだ。

23:55
その一番簡単なやつをいくつか教えるから、いっしょにやろう!

それは、
まずやることは、早寝早起き
夜遅くまで深夜テレビ見て、ゲラゲラ笑ったり涙流したり
寝坊して、朝、飯食う時間がなくて、布団の中で
そういうようなだらしない生活は明日から止めようと。
あんな深夜テレビ見ていてあんたどれだけ楽しいんだと、
「くだらないものを見て」っていうとね、
「本当に早寝早起きしたら大丈夫なのか?」って
だいじょうぶ。理由がある。

それは、人間が地球の上に生まれてきたのは今から4000万年前って本に書いてある。

4000万年前って言ったらいつごろなのか、そんなもん想像もできない。ずっと昔だ。
でもその生まれてきた時は地球の上は
自然の放射線と紫外線がいっぱいあって、僕ら人間はそれに当たってどんどん殺されたんだ、初め。

でも、殺されても殺されても後から生れる人間がね、
困難な条件の中で人類というものを絶やさないために一生懸命生きてきた。
それで何万年か何百万年か何千万年かの間に、自然の放射線に対する抵抗力を人間は作ったんだ。
だから今は自然の放射線の被害もゼロにまでは出来ていないけど
毎日世界に生まれてくる赤ん坊が
十万人のうち二人が必ずその放射線の影響で奇形、いわゆる

あ、もうおわり?

そういうんで、何万年かかって作ってきた免疫がある。
で、ゼロにまでは出来ていないけれども、赤ん坊も十万人のうち二人が奇形になるというところまで、
みんな頑張って免疫を作ってきた。

この作った時のずっと状態を見ると、
人間にとって熱は太陽、光は太陽しかなかった。
電気なんてもんはもちろんないし、ろうそくの光もなかった。
何にもないところでみんな一生懸命生きてきた。免疫を作ってきた。

だからその免疫を作った時の
「太陽だけしかない」
その時の条件で免疫を作ったんだから、
出来るだけその時の状態に近い生活をして免疫を守ろうじゃないか。

それには、夜は寝る。
昼間太陽とともに起きて働く。
これが一番人間にとって自然で、一番正しい生き方だ。

それからもうひとつ。
昔からばあさんが、「お米は30回噛め」
中にはまねてやってみようと思ったって、面倒臭くてそのうち大抵続かない。
でもそれは、ちゃんと根拠があるんだ。

お米の栄養は、胃袋でいくら立派な胃液が消化しようとしても、全然胃液では作用しない。
作用するのは口の中なんです。
唾にあるジァスターゼという酵素だけがお米の栄養を化学的に変化させて
それで腸に行って、腸の細胞が100%それを吸収できる
その形になおすのが唾のジァスターゼなんです。

だから、30回噛めというのは別にドロドロに噛みつぶせという意味じゃなくて、
パクパクやることで唾がいっぱい混じると、
それであなたの食べるお米は100パーセント腸で栄養として吸収される。

28:41

ところがあんたは、夜遅くまで起きているから
朝、布団の中でジーッ!って目ざましがなると手で押さえて「まだ1分」と寝ている。
それでどうしようもなくなってはね起きて、
飯食うなんて時間はないから30回噛むなんて我慢できない。
結局はろくすっぽ噛みもしなきゃ食いもしないで駅へすっ飛んで行って、卵かなんか食って、
「もう栄養はたっぷりだ」と思って会社へ行く

そういう生活をやるのは僕らから見ると「緩慢な自殺である」

だから、早寝して早起きして、朝食の時間をたっぷり作ると。
これがあなたの健康を保つ上で何より一番大切なことです。

タバコは全部ストップ!今日からやめる。
そういうことで免疫を、今持っているまんま大事にして、
放射線の病気が起きてこないように

自分が、自分の命の主人公になって「生きる」というために一生懸命に生きるんだ

自然に何となく生きている
それじゃぁ放射線に負ける。

という話しをして、
日本全国の、ま、今生き残っている21万か
30万から40万位のの被ばく者の人にそういう事を教えて、
ま、分かる人が一生懸命頑張って、70,80越えて長生きしています。

だから今、「赤ん坊と一緒にどうやって生きたらいい?」っていうお母さんに
難しいとは思うけれども、頑張って、その理屈をちゃんとわかった上で
まず、夜は早く寝る、何があっても。
そして朝は、悠々と起きて、奥さんならば家族の食事の準備をしてね、
そういう事も全部普通にやって、生きてごらんなさい
「風邪ひとつひかない」。「どんな病気にも自分は絶対にかからない」。そういう決意を固めて、
ぼやっと生きるんじゃなくて、

わたしは今日も一生懸命生きるんだって思って、朝から生きなさい。

そういう話しをします、
たったそれだけの事でも何にも無いよりは頼りになる。
だから私の話しを聞くとみんな、「おかげさまで元気が出ました」と言ってくれます。

嘘じゃない。
それしかないと私は思ってます。

だから、放射線っていうものは、もともと人間と一緒に生きていけないものなんです。
人間がそれに向かおうとして手を出すと、どうしようもない、これは。
人間の力でコントロールできない。
ちょっと自分の手を離れたらもう、始末におえない。

あの廃棄物。
いまだにどうしようもない。積んで置くよりしょうがない。
ただ積んでおけないからプールに入れて水で冷ましている。
プールの水はね、すぐ熱くなる
それをしょっちゅう変えてね、あれを持たせているだけで発電所は大変大きなお金がいる。

そんなものをうっかり、金がもうかるからといって造った。
日本のような狭い、逃げるところのない国に53個も作る。
よその国に聞くとびっくりします
「被ばくをしてみんな経験があるのに何でそんなに沢山作ったんだ」って言われます。
それ位、日本の政府は底抜けにアメリカ一辺倒なんですね。

こういう国は、1日も早く なおさなくちゃダメです

どうか、今日の私の話しを聞いて、少しは、「あ、そんなもんか」と思われた方は、
明日からみなさんの生活の中のわずかなその時間を
核兵器を無くすことと、原発を直ちにやめる。
この二つの事に役立つ努力を、行動でやっていただきたい。

これだけのみなさんの数が、1時間に、1日に、隣の人と10分話しする、みんなが努力を続けて下されば
日本の国は変わることが出来ると思います。

どうも時間が来たようです。
長いことお話しをして、どうもご静聴ありがとうございました。  00:34:12

肥田舜太郎氏1

ーー会場割れるような拍手ーー








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No title

おにぎりのところで涙が出ました。
いつも書き起こし、ありがとう。

No title

「出るもんなら勝手に出やがれ」と、腹据えて開き直って生きなさい,
全くそのとおりだと思います。
でも、わたしは、自分には、大きな励みの言葉になりましたが、自分の子供にたいしては、ストレートに受け取れるほど、まだ強くなれません。「どうか出てきてくれるな。」と思ってしまいます。
子供の末期がんなどの患者が暮らしている子供のホスピスがありますが、子供もつらい、親もつらい。でも、皆、本当に「生きている今この瞬間」を大事に生きています。
ある日、朝のニュースで、まだ10歳にもならない幼い娘を、長い闘病生活の末に亡くしたお父さんが語った言葉が、とても印象的でした。
「彼女は癌で死んだ、のではなく、癌と共に生きたのだ。」と。「そんな彼女のことをかわいそうだとは思わない。誇りに思っている。」と。
身近に放射能の事故が起きていないところでも、なぜか難病を抱えて生まれてくる子供たちが、本当に沢山います。
その子たちは、苦しいけれど、毎日、一生懸命生きています。そして、どんなに短い一生であっても、自分を誇りに思い、その生き様で、周りの人に、本当にかけがえのないものを残して命を閉じていきます。
奇形でも、病気でも、短命でも、生きてきてよかった、生まれてきてくれてありがとう、と、子供も親も、そして社会全体が思える世の中にしていく必要がありますね。これからは、そんな人々の意識改革と、国や行政、コミュニティーをあげての、心のケアーを含める医療支援体制の構築が、とても重要だと感じています。
「放射能で死んだかわいそうな日本人」ではなく、「放射能と共に生き抜いた、誇り高き日本人」といえる世の中にするために。

No title

遅ればせながらの拝読です・・(Dr肥田の著書を先に拝読してしまったのでした~)。

最近の巷のことにすこし気がかりなことがあります。被害ばかりにウェイとを置いている、置き過ぎている方がやけに多いのではないか。
なぜかといえばDr肥田も触れてらっしゃる、おそらく内部被曝しているであろうヒバクシャ(ヒロシマ、ナガサキの被爆者と被曝者の通称)でも、なんら慢性疾患が現れていない人々が割りといるという事実。
そしてそれは、事後平成になってじゅうぶんに老いた段階で亡くなったかたでもだったり、相当天寿にちかい高齢まで胃薬くらいしか薬さえ飲まなくて済んでいるものも割りといることも。

なぜ言えないのか、それぞれの方々に教えていただいたことがことがあります。何人にも。両の手ではまるで足りません。
否定されもするが、なによりも、それで傷つく立場の人がいるから。

コレ、という決め手の方法はないのかもしれないけれど、Dr肥田が本に記されている具体策は、私が話をしたヒバクシャと呼ばれることもある方々の話に共通することです。
他にも、マスクの必要性(当時は手ぬぐいやボロキレなどを幾重にもかしていたとか)、帽子の必要性(マスクに同じくほっかむりしていたとか)
、ほかにもいくつか。

ですからそういった方向性のアプローチは大切なのかもしれません。


急いで書いたので読みにくかったらおめんなさい。(何文字まで大丈夫なのかしら・・)
   
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