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01.04
Wed
2012年、今年初めてのたねまきジャーナル、小出先生です。
お声に力がないような気がしました
風邪をひいてしまわれたのでしょうか?
ちょっと、心配です。



1月4日水曜日 
京都大学原子炉実験所助教 小出裕章先生に伺いました
Radio News「たねまきジャーナル」
MBSラジオ [MBS1179.com]








水野:
京都大学原子炉実験所、小出裕章先生に伺います
小出先生、こんばんは

小出:こんばんは

水野:今年初めてのコーナーとなりますが、どうぞ今年もよろしくお願いいたします。

小出:こちらこそよろしくお願いします。

水野:
昨年は本当に3月14日以来ですね、連日のように、こうしたコーナーも含めまして
ずーっと、この原発事故、いったい何が起こっているのかというのを私たち、解説していただきました。
ま、小出先生のおかげで、初めて本当の事が分かった日々の、私は連続でした。
今年もまだまだこれからどうなっていくのかというところですので、
いろいろと教えていただきたいと思っております。
小出先生、ほんと、どうぞよろしくお願いいたします。

小出:こちらこそよろしくお願いします。

水野:
まずですね、直接的に放射能に被害に合われた方々にとっては、
年が改まったからと言って、何も状況がよくなっている訳ではないですよね、

小出:はい

水野:
ずっと戦い続けなければいけないという状況に置かれていはるわけですけども、
そんな時にどんな風な気持ちを持ってですね、自分を支えながら暮らし続けていただかねばいけないのか
小出先生はどんな風な思いを抱いていらっしゃいますか?

小出:
わからないのです。
相手が悪すぎるのですね。
こっちが気持ちを強く持てば乗り越えられるのかと言えば、そうではない。
相手はそんなことでは決してへこたれない相手なわけですから、
その相手・・・に対して、
どうやって自分の身を守るか、あるいは子どもを守るかという
それを考えなければいけないのですけれども、
「私はもともと、汚染を起こしてしまえば、もう手の打ちようがないから原子力をやめてくれ」
と言ってきた人間なのですね。
残念ながら、止めさせられないまま汚染が生じてしまったわけですから、
正直に言うと私はどうしたらいいかが分からない、のです。
戦う相手が悪すぎるので、本当であれば逃げるしかありません。
ですから・・・「国がちゃんと人々を逃げさせる」という事が一番求められることだと思いますが、
残念ながら今の日本の政府というのは、人々を逃がそうという気が全くありませんので、
人々が自分たちで汚染に向き合わなければならないという形にさせられてしまっているのですね。
え・・・・ですから、本当に何が出来るか私はもう、途方に暮れてしまいますけれども、
でも、子どもを守ろうと思えば何がしか出来ることがある筈だと思いますので、
食べ物に気をつけるとかですね、
子どもの遊ぶところだけ、せめてそういうところだけでも除染をするとか
やって欲しいと思っています。

水野:
直接的に被災していない我々もですね、今年は54基の全国の原発が、
4月にはこのままだとすべて止まって停止する予定だそうで、
本当にこの原発政策をどうするのか、ひとりひとり向き合う年になると思うんですね。
で、その時にどんな風に自分が責任をもって物事を考えられるかっていう時に
私は是非、小出さんがこれまで、40年以上
ずーっと、ま、孤独にちかい戦いをしてこられたのではないかと思っているのですが、
そんな時どんな風な気持ちでご自分を支えていらっしゃったのか、その辺を教えていただきたいんですが。

小出:
私の場合は、なんて言う事もありません。
えー、自分が利益を得ようとして、犠牲を他の人にしわ寄せをするという、
それが私はおかしいと思ったから、原子力に反対をしてきただけなのであって、
もし、日本の人達が自分が電気を使いたいと思って、そのために原子力が必要だというのであれば、
必要なところに建てて下さいと。
それだけできるならば、もう良いと私は思います。

水野:
ん・・・・、必要なところに建てろっていう事は、具体的に東京や大阪のど真ん中っていうことになるんですよね。

小出:そうですね
東京湾に火力発電所を連立させている訳ですから、
東京電力が東京湾に原子力発電所を建てられるのであれば、
まだ、私は認める余地があったと思いますが、
東京電力は福島第一第二、そして柏崎、
そしてさらに今度は青森県の東通というところに原子力発電所を建てるという、そういう会社だったんですね。
私から見れば正気の沙汰ではないと思うし、こんな会社が日本を代表する会社で、
いまだに偉そうに物を言っているという事が大変不愉快です。

水野:
小出先生は私達、っていうか私よりもずっとずっと早く、42年も前に原発について疑問をもたれた訳ですけど、
その時、どんな状態だったんですか?
まだ原発ってあんまりなかったんですよね?

小出:
はい、私が原子力に反対を始めた時には、
日本には東海第一原子力発電所、敦賀、美浜の3つの原子力発電所しかありませんでした。
日本中がマスコミも含めてもろ手を挙げて原子力だ。
これからの未来は原子力だという、そういう時代でした。

水野:
という事はもう、あまりにその、強大な力で原子力が推進されている中で、
いうたら小出青年はどんな状況だったんですか?

小出:(笑)
私はもともと原子力をやりたいと思ったわけですから、
えー、初めはどんどんやってくれと思ったのですね。
ところが、私がいた東北大学という大学は仙台にあったのですが、
仙台は結構大きな街で、電気も沢山使っている街でした。
でも、仙台火力発電所という火力発電所は近くにはありましたけれども、
原子力発電所は仙台から直線距離で60キロも離れた、女川という、本当にちいちゃな漁師の町。
電気なんか使わない所に建てようとしたんです。
「なんでなんだ」と私は疑問に思いましたし、
その疑問の答を探し求めて苦しんだ時がありました。
でもまぁ、結論は簡単なことでして、
都会では原子力発電所の危険を引き受けることが出来ない
だから、原子力発電所だけは過疎地に建てるしかないと言う事で原子力というものが始まったのでした。
それに気が付いてしまえば、私としてはもう、結論は簡単で、
「こういうものは認めてはいけない」ということになりました。

水野:こんどうさ~ん

近藤:はい

水野:
小出先生の言葉は非常にシンプルに聞こえますが、
実際それを貫くことがどんなに社会の中でしんどいことかとわたしは思うんですがね

近藤:
あのー、企業のみならず政治も一体化した中で
なおかつそこに利権に絡んだ人たちがいて、
そしてそれが人だけじゃなくてシステムとして構築されている中に原子力っていうのはあるわけですよね。
ですから先生がそりゃ、本当に、何て言うんでしょう、凄まじい敵と向かい合って
もう、そのなかで、・・僕ふうに言えばね、小出先生ね、

小出:はい

近藤:
なんて言うんでしょう、
あの、人間って、その、そうですね・・・悲しみの中に品格っていうのがあるじゃないですか。
僕はその悲しみの中の品格と言った物が、
おそらく、こう言い方はなんですが先生を支えてきたんだろうなと思いますね。
だから、なんていうんでしょう、こう、本当にぎりぎりのところで、えー、立ち止まるっていうんですかね。
そうとう、それは悲しい事だったと思うんですけども、
そこんところを、私いつも、直接向かい合ってしゃべったことはないんですが、
声からもそういう感じを受けるんですよ。

小出:ん、でも、ま、近藤さん確かに悲しみっていう言葉を今使われて

近藤:ええ

小出:
私はずーっと負け続けてきたわけですし、
発電所の立地に狙われた地域の人達が、次々と倒れて行くというのを見ながら来た訳で、
悲しみはもちろんありました。
ただ、私自身の事でいえば、全くぬるま湯というか、温泉のような環境にずっといましたし、今でもそうです。
誰からも指図を受けていませんし、誰からも迫害を受けていないです。
なんて言う事もありません

近藤:
あの~その、何て言う事もないというおっしゃり方は
小出先生一流の、僕は言い方だと思うんですがね、
あの~、そりゃ、何て言う事は無いっていうことはないと思いますよね。

水野:(笑)

近藤:
そりゃ、それなりに感じていられることは多々あって、
その中でやっぱり自分自身気持ちを立て直して顔を上げて生きてこられた局面ってあったんじゃないですか

小出:(笑)いや、まァ、ないですね。

近藤:ないですか・・

小出:
あの、はい。私自身は、はい。
私の言葉でいえば「なんてことはない」という状態で、今日まで生きてこさせていただいた。というそういう環境でした。

近藤:これからどうですかね

小出:
う~~ん
分かりません、これからは。私は最終的な敗北を去年した訳ですから
これからどうやって立ち直れるかな?っと
ま、自分のことを思いますが、
やはり、ここまで敗北した責任があるとやっぱり思いますので
自分が何が出来るかなと、若い人たちにこれだけ汚染した世の中を残す訳ですから、
私の出来ることを探そうと思います。

近藤:そうですね、

水野:あ、そうですか、

近藤:
だから、先生は先生のお立場で、僕らは僕らの立場で、やるべきことを本当に探さなければいけないなと
思っているし、ぼくはやっぱり、言葉っていうものが、言葉っていうものをもう少し厳密に
色々と気を付けて言いたいなと
言う気がちょっろしてますね、今

小出
:はい、ありがとうございます。
わたしも常に言葉を選びたいと思いながらきました


水野:
そうですか、小出先生が敗北の責任のために何が出来るかを考えるって言ったら
私も騙された責任を考えなきゃいけないんですよねはい、えー、はい、考えます。
小出先生今年もどうぞよろしくお願いします。

小出:こちらこそよろしくお願いします


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comment 2
コメント
めぐが小出助教を知ったのは、佐賀のプルサーマルに関する公開討論会の動画でした。あの、「プルトニウムは飲んでも大丈夫」の東大教授に嘲笑されながら、真摯に、論理的に、明解に議論を展開する姿に感銘を受けました。
当時は助手の肩書きで、「助教」は助教授ではなく助手だと知ったのも後になってからです。
小出助教は、ああいった対応を長い間受けてこられたんだなぁと、今は分かります。

あの動画を原発事故前に見ていたとしたら、私は内容だけで判断して小出助手の説明に納得出来ただろうかと自問してみると、正直自信がありません。肩書きには惑わされませんが、原子力や放射線被害に関してあまりに無知だったからです。

話は飛びますが、もし手塚治虫(敬称はつけません。既に歴史上の人だと思うので)が存命なら、アトム、ウラン、コバルトという名に込めた思いを聞いてみたい。医師免許を持ち、子供たちの夢を育み、大きな影響力を持っていた手塚が今の状況をどう考えるのだろう。
一条恵 | 2012.01.05 09:20 | 編集
3・11以来日本人はみんな《原発戦争》に敗北して来た。

あれからちょうど11カ月が過ぎようとしている。

政府と東電と御用学者とマスコミは
「ただちに健康に影響は無い!」と安全デマを撒き散らし
福島県人は被曝者になった。

政府はスピーディの情報を隠蔽し
福島県人は余分な被曝を強要された

こんな事故が起こったにもかかわらず
北海道知事・高橋はるみは、泊原発を再開させた

こんな事故が起こったにもかかわらず
政府と自民党は《東電救済法案》を通過させ
東電は倒産させないことになり
司直は東電への捜査を一切しないで来た。

政府はデマの「収束宣言」をデッチ揚げ
避難民を見殺しにし
高線量の汚染地帯へ強制的に
帰還させ、自分で除染しろと
できもしない除染を強要し
更なる被曝を強制しようとしている

この11カ月の歴史は
日本人全員が、
政府と東電と原発マフィアに敗北してきた歴史だった!!!

こんな敗北を
小出先生は41年間も闘い続けてこられたんだ!

俺達もまた、3・11以前も
ずっと騙され続けてきたんだ!
ってことを
思い返すべきなんだろう

41年間負け続けて来たのは
小出先生だけじゃない!

俺達全員が負け続けて来たんだ
ってことを思い知らなきゃいけない!

この41年間、負け続けて来た小出先生の悔しさを
思う時、
悔しくって悔しくって
涙が出る。。。

でも、俺達は子供たちのためにも
これ以上
負け続ける訳にはいかない!

東電を解体し
全ての原発を廃炉に追い込む日まで
みんなで闘おう!!!



himadarake | 2012.01.08 02:13 | 編集
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