2011年12月30日 たね蒔きJN年末SP・
古田博一(被災地ボランティア医師)
年末のたねまきジャーナル
「もう一度この人の声が聞きたい」というリスナーのリクエストで
小出先生の次に人気があったそうです。
古田博一(被災地ボランティア医師)さんです。
古田さんは、歯科医師として検死の確認に行かれ、その後、何度も現地に足を運び
その時その時必要だと思われることへのボランティアそしていらっしゃいます
原発3キロ圏内に行かれた話から始まり
事故当初の話
そして、今は震災孤児の方々に手を差し伸べていらっしゃいます。
続きを読むに
内容を書き出しました
リスナーのみなさんがこの人の話がもう一度聞きたいという方をお招きしているんです
これからお話ししていただく方が今日の最後のゲストという事なんですが、
実はですね、皆さんからいただいたリクエストで一番多かったのが
毎日のようにお声を聞かせていただいた小出先生でした。
で、二番手の方はね、なんと、いわゆる有名人ではなくて、
1人の京都の歯医者さんだったんです。
お越しいただきました。歯科医師の古田博一さんです。京都から遅いところ来てはりました。
今日は歯医者さんの仕事は終わりましたか?
古田:はい、終わりました。
水野:
お疲れ様でした。
古田さんにどうしてこんなに多くの方がね、もう一回お話しを聞きたいって思われたのか、
こんなにみんなメールやファックスを下さっているんですけど、
「東北に何度も行ってボランティアを重ねている古田さん、東北の話を聞かせて下さい」
「被災地の孤児支援を始められたという話がもっと聞きたかった」
やっぱり、歯科医師の古田さんがボランティアをしているという話を聞いた時には、
その後この人はいったいどういう活動を続けていき、
あるいはどんな考えに至っているんだろうか、知りたい。
というお声が多かったものですから、今日来ていただきました。
古田さんが東北の被災地支援に行かれたのは、
結局東北に何回行かれたんですか?
古田:はい、5回ほど行かせていただきました。
水野:
そうか、3月12日以降5回行きはったんですね。
で、今回まず伺いたいのは、ついこの間、11月の末に福島県に行かれましたよね。
これは、福島第一原発から非常に近いところだときいているんですが、何キロ地点ですか?
古田:だいたい、原発から3キロから6キロぐらいの地に
水野:3キロ地点ぐらいまでも、近づいたんですか
古田:はい
水野:はー、そうですか。そもそも何の目的で行かれたんですか?
古田:
もともと友達がすぐ近くで歯科医院を開業していまして、
それでもう、避難をしているんですけれども、
その医院の保全と言いますか、カルテであるとか医薬品、医療器具、注射器とか、注射の針とか
そういうものの安全とか保全の目的で、公益目的の一時立ち寄りという申請がありましたので、
それにより
水野:認められて、警戒区域だけれども、こうした公の目的だからという事で、保全のために行かれた訳ですね。
古田:そうです
水野:
そこに古田さんも、ま、お手伝いという形で、御一緒に、ひとりで出来ない事だから、
御一緒に歯医者さんとして保全に行かれた、というわけで、
そこでどんな光景を目にしはったんでしょうね
古田:
まず、初めてああいうタイベックの防護服を着て、
そういうのを用意しないとやっぱり立ち入れない地域ですので、事前にね、
水野:あれを着たらどんな気分になるんですか?
古田:
やはり、かなり息苦しいですし、しゃべりにくいですし、緊張もしますし、
非常に、ま、その意識っていうのも、「危険地域に入る」という意識も高まります。
水野:警戒区域に入る時には検問みたいなものもあるんですか?
古田:ちょうど、20キロ圏内の時点で、道路のところに警察が検問をされております。
水野:車で入っていくんでしょうけれどもどんな様子ですか?
古田:
検問を過ぎて、入ると、当然人は誰もいません。
まして、ゴーストタウンで、生活がありませんので、奇妙なくらいに静かで、
いわゆる、滅亡した映画のような世界でした。
水野:動物達はいろんな動きをしているなんていう噂も聞きますが、
古田:以前テレビで見た時よりは、そんなに見かけなくって、
水野:だんだん餌もなくなってきているのかなぁ
古田:
そのような感じですね、
そして、弱ったワンちゃんの近くに、カラスがそれを、ワンちゃんをにらんでいる光景を
ちょっと、車の中からなんですが、それを見てしまって、
水野:それは、ワンちゃんが本当にこと切れるのを動物としては待つわけですね。カラスが。
古田:はい
水野:うわ~~
古田:それが、もう、非常に目に焼きついて、当然、何も出来ないというのが本当に情けなかったです。
水野:
あの・・こんな言い方したらものすごく残酷かもしれないけど、
ワンちゃんも、カラスも相当な内部被ばくをしている生き物同士が、
必死に生きようとしている姿ですよね。
古田:そうですね
水野:そして、3キロ地点の方へ向かっていく訳ですよね。
古田:まず、6キロ付近の歯科医院の現場に行きますと
(0時の時報)
水野:
今時報が鳴りました。これで31日。2011年最後の一日を迎えた事になりますけれど、
近づいていかれて、その医院、お友達の歯科医院の方に行かれたんですね。
古田:もう、玄関が壊されていまして、
水野:それは、津波でですか?地震でですか?
古田:いわゆるドロボーですね。
水野:あーー、その後の、ドロボーで・・・はぁー。
古田:
いつか?っていうのはやっぱり、特定はできないみたいなんですが、
もう、中はもう、散乱していて、無茶苦茶な状態でした。
で、運ぶのに難しい大きな医療機器はそのままという状態でした。
水野:かなりいろんなものを盗まれて、散乱していて、
古田:そうですね、かなり慌てていたような感じがこちらの状況からでも見分けられるような、医院の状態でした。
水野:なんか、鉄塔が見えたって聞いたんですけれども、これは何の鉄塔なんですか?
古田:
これはちょうど、その友達のご実家の方に港の近くの方で
ちょうど福島第一原発の排気塔という、ベントが行われた塔だと思いますが、そこが見えるところが、
ちょうど、海岸から300メートルぐらいのところですので、
そちらの方に行ってみますと、庭にですね、殆ど津波で流された状態の家なんですけれども、
庭にテトラポットがのっていまして、
水野:何百メートルが流れて?庭にテトラポット・・・
古田:
ハイ、300メートルぐらいですね
そして大型トラックが、中に突っ込んでいる。
ま、家自体はほとんど問題ありませんが、トラックが突っ込んだ状態という、
水野:そして、その時はもちろん放射線量を調べる景気も持っていかれた?どうでした?
古田:
当然そこの近くは所々ホットスポットみたいなものがあって、かなり高い。
私が確認して、一番高いところで12マイクロシーベルト位の線量がありました。
特にやっぱり、水たまりのところに高線量があるという状態で、
ま、全身リスポの服を着ているんですがその靴を捨てて交換しないと、
帰りの時の時のに引っ掛かりますので、
水野:引っかかるというのは水たまりの水に触れた防護の靴が、もう、放射線量を一定限度を超えるという事ですね。
古田:明らかに超えるだろうという予測があったので、
水野:そこでその靴を脱ぎ棄てて、そこで新しいのに履き替えないと帰れない位の高線量の水があるという事ですね。
古田:はい
平野:時間も気になりますよね、どの位その場所で、
古田:
その地域には約10分ぐらいしか、いなかったんですが、
とにかく出るまでの間に2時間半ぐらいで出ようという計算のもとで大体の方針は決めていました
水野:
ただやっぱり、暮らしていらしたいろんな後っていうみたいなものああるでしょう?
どんな物を見られましたか?
古田:
そうですね、いわゆる海岸のところというのは、当然そういう処理というのがほとんどされていない所ですので、
いわゆる3月11日のままのような、感じ。
水野:片づけなんかできませんものね
古田:はい
海岸に行ったんですけれども、波がすごく荒くてすごく怖いと言いますか、意識的に。
そういう気持ちになりました。
水野:
でもそのお友達の歯科医院があったところもみなさん言ってみたら
原子力の町としてね、一度は多くの夢を抱いていた町ですよね。
古田:そうですね
水野:そういう、なんか、跡みたいなものはあるんですか?
古田:
ちょうどそこから、双葉厚生病院という、地域の中核病院の前を通った時、
非情にこう、虚しく建っているアーケードの標語がありまして、
「原子力、明るい未来のエネルギー」っていう標語が大きいアーケードで持っているんですね。
なんか、昔にその標語の募集をして、建てたような、で、その裏側には
「原子力正しい理解で豊かな暮らし」
大きい字で・・もう、ビックリしましたね。
もう、まさに、本当に憤りを感じました。
水野:
ゴーストタウンの中で、どんな正しい理解を、じゃぁ、あなたたちはさせたんですか?と。思いますよね。
で、原発20K30キロの地点は帰ってこられる訳だけども、
そのあたりは今はどんどん、どんどん人が戻って生活をしていくというような政策になっていますが、
どうでした?
古田:
そうですね、結構その、20キロから30キロのところですね、
いわゆる解除されたところですけれども、わりと賑わいがありましたので、
非常にちょっと、ビックリしまして、
ま、幼い子どもさん達はそんなには見かけなかったですけど、
何人かは見かけたり、
水野:あ・・そうなんだ・・・
古田:ちょっとやっぱりびっくりしたということで、
平野:線量は高いんですよね
古田:はい
いわゆる20キロ入ったすぐのところよりも20K超えたところの方が高い部分が。
常に線量計を持って見ていましたので、
水野:
古田さんがこういった形で何度もね、様々な形でボランティアをしてきはったわけですね、
その時々、被災地に必要なもの。
今はまず生きるべきだって言ったらそのための物。
歯を何とかしなければいけないと歯科医院を開設しに行ったり、
あるいは、食べ物が今必要だということで食べ物の炊き出しに行ったり、
次は笑いが必要だっていったら落語家さんを連れていったり、
歌も必要だって、歌い手さん連れていったり、、
もう、さまざまな、その時必要な事をずっと続けてこられたんですけれどもね、
なんでそこまでやれるのかっていうのは、
多くのリスナーの方も聞きたいとおっしゃるんですよね。
なんでそこまでやることになったんですか?
古田:
そうですね、実は震災直後の混乱期なんですけれども、
3月の20日ぐらいだったと思うんですが、
大学の法医学教室から、身元不明確認のための、検死に行ってきたんです。
当時は、ま、それをあまり口外しないようにと、いうふうな規制がありました。
水野:個人情報がありますからね
古田:はい。
水野:だから、亡くなった方の身元を歯型で判明されるという事にいらっしゃった。
古田:はい
水野:それが南相馬ですか?
古田:そうです
水野:
だから、ま、非常に被害が甚大なところ、
そして放射能汚染の被害も大きいところで、その時目にしたもの、感じられたものはどうでした?
古田:
もう、いわゆる現実と悪夢の境目が何も分からない状態で、
みんなが混乱していた時ではありますけれども、
その中でそれぞれが出来る事と思いつつ、
水野:
自衛隊の人達と一緒に活動をしたけれど、
その時自衛隊の中にはもう立ちつくして泣くしかないというような方もいらっしゃったんですって?
古田:そうですね、
若い自衛隊の方は、泣きながらそういう作業をしていたと、
それがだんだん、一歩一歩力強い力にはなったとは思いますけれども、
水野:
まずは呆然とするような状況を味わって、
で、古田さんはもう、そこから、行かずにはいられないみたいな思いがあって
古田:そうですね、ええ、もう、
水野:被災地には何度も行かれるんですよね
平野:具体的にはもう、古田さんのその場での作業というのはカルテと歯型と照合するんですか?
古田:
まずは記録です
記録をしてから、後でカルテであるとか、レントゲンであるとかと照合をしていく。
それを実際は分業という作業ですが、
まず、記録をしてという事です。
平野:
それで、それが特定された場合、
家族にとってはすごい、悲しいけれども、喜ぶべき、分かったと、
これは非常に辛い仕事ですよね。
古田:
今回、日本歯科医師会は、2600人を派遣しまして、
一刻も早く身元を判明させてご家族の元に返さなければという思いで、
約、850体確認をしたという、
ま、今も殆どこういう事は報道・・・
水野:されていませんよね、なかなかね、それはね、
古田:はい
水野:
あぁ、でも、そこが原点となって古田さんの活動が始まった。
そして最近では親ごさんを亡くされた孤児の、震災孤児となられた方、
遺児になられた方の子どもたちを何とか支援しようという事で今やってはるんですよね。
で、京都府歯科医師会として、この東北大学と連携してはるんですか
古田:
やはり、こういう事を言って、私自身も何が出来るのかっていうのを自問自答しながら、
ま、東北に行った折にいろんな話を聞く中で、
やはり、震災孤児、遺児の事が、一番気になっていまして、
水野:
その時時必要な事をやり続けてきたら、
いまになったらやっぱり、子どもやって、古田さんは思ったわけですよね。
で、最初は行政に掛けあおうと、
行政が支援してると思って行ったら、なかなかその窓口がなかったんですってね。
古田:
そうですね、もう、部署自体が無くて、いわゆるいろんな処に回されて、
結局、危機管理課というところに行ったんですけど、
水野:子ども専門の部署なんて無いんですね、まだ。
古田:
という事は、何とかいろいろと調べていくうちに、
その中で、東北大学の教育学研究科の中に、震災こども支援室というのが出来たという情報を得まして、
もう、すぐに連絡をしまして、
とにかく一度面談をさせて欲しいと、いうことで、
ちょうど、先月、支援室を訪れて、面談させてもらって、
そして、いろんな事を、
ま、今後の活動方針を聞かせていただいて、
それで歯科医師会としていわゆる支援をさせていただきたいと
水野:
ようやく、支援をする受け入れ先をやっと見付けられたという段階で、
子どもさん達の支援は色々と段階的にしていかれるんだと思うんですけれども、
この子どもたちを支援しなければと思われたそのきっかけとなったのが、
ずーっと沿岸部を車で走ってはった時に見た瓦礫の山で遭遇した子どもの姿だったっていうのは・・・
古田:そうなんです
水野:どういう子どもさんでした?
古田:
ちょうど3月の末の時に、相馬郡の沿岸部を通っていた時に、
いわゆる瓦礫の中で携帯電話でお母さんの番号をずっと掛け続けている少女がおられたんです。
それは、地元の方も知っているんです。
けれども、・・・・ま・・・どうなったかは分からないんですけれども、
水野:
お母さんの携帯電話につながる事を考えながら
とにかく瓦礫の山の前で携帯電話を何度も何度も電話してはるんですね、子どもさんが
その姿を見た古田さんが、
古田:
それがもう、目に焼きついて忘れられない、と、いう
水野:
今日は最後に古田さんにリクエストという事で一曲お願いしたんです
これはどんな曲でなんすか?古田さんにとって。
古田:
これは、5月以降ですね、何時も被災地に行ったら、
一緒に連動していっていたボランティアの人の、ま、テーマ曲みたいにして、
みんなで聴いたりとか、流したり、炊き出しの場面で、それを流したりとかして、
それで、勇気付けられた曲なんです。
水野:しおりで「smile」という曲、ちょっと聞きましょう。
ーーー♪~♫♪♬
水野:
京都の歯科医師古田博一さんにずっとボランティアを続けてこられたお話しを聞かせていただきましたけど、
最後にみなさんに伝えておきたい事って何かありますか?
古田:はい
ある福島県民の方の伝言があるんです。
先日行った時に、なんかの折りにこの話をしてくれと、
それは、やはり、
「政府は補償額の低減のような警戒区域の縮小だけは絶対にしないでほしい」
「帰りたいけれども経費のための区域の縮小はしないでほしい」ということと、
水野:
本当の安全が確保された訳ではないのに、
警戒区域を解除するような事はやめてくれという事ですね
古田:
はい、そして、
「遺伝子を気づ付ける放射能の恐さ、子どもたちに対する影響は少なからずわかっております」と
「ですが、決して私たちを差別しないでください」
「どうか、どうか、お願いします」
これを伝言されました。
水野:
ああ、そうですか・・・福島の方からメッセージを持ってきて下さいました。
古田さんを通して私たちはいろんな事を知ることが出来ました。
どうもありがとうございました
歯科医師の古田博一さんでした。
ーーーーーー
古田さんのリクエスト曲
ちゃんと全部聞きたいと思いました。なので・・・
しおり smile

歌詞はUta-Netより
古田博一(被災地ボランティア医師)
年末のたねまきジャーナル
「もう一度この人の声が聞きたい」というリスナーのリクエストで
小出先生の次に人気があったそうです。
古田博一(被災地ボランティア医師)さんです。
古田さんは、歯科医師として検死の確認に行かれ、その後、何度も現地に足を運び
その時その時必要だと思われることへのボランティアそしていらっしゃいます
原発3キロ圏内に行かれた話から始まり
事故当初の話
そして、今は震災孤児の方々に手を差し伸べていらっしゃいます。
続きを読むに

リスナーのみなさんがこの人の話がもう一度聞きたいという方をお招きしているんです
これからお話ししていただく方が今日の最後のゲストという事なんですが、
実はですね、皆さんからいただいたリクエストで一番多かったのが
毎日のようにお声を聞かせていただいた小出先生でした。
で、二番手の方はね、なんと、いわゆる有名人ではなくて、
1人の京都の歯医者さんだったんです。
お越しいただきました。歯科医師の古田博一さんです。京都から遅いところ来てはりました。
今日は歯医者さんの仕事は終わりましたか?
古田:はい、終わりました。
水野:
お疲れ様でした。
古田さんにどうしてこんなに多くの方がね、もう一回お話しを聞きたいって思われたのか、
こんなにみんなメールやファックスを下さっているんですけど、
「東北に何度も行ってボランティアを重ねている古田さん、東北の話を聞かせて下さい」
「被災地の孤児支援を始められたという話がもっと聞きたかった」
やっぱり、歯科医師の古田さんがボランティアをしているという話を聞いた時には、
その後この人はいったいどういう活動を続けていき、
あるいはどんな考えに至っているんだろうか、知りたい。
というお声が多かったものですから、今日来ていただきました。
古田さんが東北の被災地支援に行かれたのは、
結局東北に何回行かれたんですか?
古田:はい、5回ほど行かせていただきました。
水野:
そうか、3月12日以降5回行きはったんですね。
で、今回まず伺いたいのは、ついこの間、11月の末に福島県に行かれましたよね。
これは、福島第一原発から非常に近いところだときいているんですが、何キロ地点ですか?
古田:だいたい、原発から3キロから6キロぐらいの地に
水野:3キロ地点ぐらいまでも、近づいたんですか
古田:はい
水野:はー、そうですか。そもそも何の目的で行かれたんですか?
古田:
もともと友達がすぐ近くで歯科医院を開業していまして、
それでもう、避難をしているんですけれども、
その医院の保全と言いますか、カルテであるとか医薬品、医療器具、注射器とか、注射の針とか
そういうものの安全とか保全の目的で、公益目的の一時立ち寄りという申請がありましたので、
それにより
水野:認められて、警戒区域だけれども、こうした公の目的だからという事で、保全のために行かれた訳ですね。
古田:そうです
水野:
そこに古田さんも、ま、お手伝いという形で、御一緒に、ひとりで出来ない事だから、
御一緒に歯医者さんとして保全に行かれた、というわけで、
そこでどんな光景を目にしはったんでしょうね
古田:
まず、初めてああいうタイベックの防護服を着て、
そういうのを用意しないとやっぱり立ち入れない地域ですので、事前にね、
水野:あれを着たらどんな気分になるんですか?
古田:
やはり、かなり息苦しいですし、しゃべりにくいですし、緊張もしますし、
非常に、ま、その意識っていうのも、「危険地域に入る」という意識も高まります。
水野:警戒区域に入る時には検問みたいなものもあるんですか?
古田:ちょうど、20キロ圏内の時点で、道路のところに警察が検問をされております。
水野:車で入っていくんでしょうけれどもどんな様子ですか?
古田:
検問を過ぎて、入ると、当然人は誰もいません。
まして、ゴーストタウンで、生活がありませんので、奇妙なくらいに静かで、
いわゆる、滅亡した映画のような世界でした。
水野:動物達はいろんな動きをしているなんていう噂も聞きますが、
古田:以前テレビで見た時よりは、そんなに見かけなくって、
水野:だんだん餌もなくなってきているのかなぁ
古田:
そのような感じですね、
そして、弱ったワンちゃんの近くに、カラスがそれを、ワンちゃんをにらんでいる光景を
ちょっと、車の中からなんですが、それを見てしまって、
水野:それは、ワンちゃんが本当にこと切れるのを動物としては待つわけですね。カラスが。
古田:はい
水野:うわ~~

古田:それが、もう、非常に目に焼きついて、当然、何も出来ないというのが本当に情けなかったです。
水野:
あの・・こんな言い方したらものすごく残酷かもしれないけど、
ワンちゃんも、カラスも相当な内部被ばくをしている生き物同士が、
必死に生きようとしている姿ですよね。
古田:そうですね
水野:そして、3キロ地点の方へ向かっていく訳ですよね。
古田:まず、6キロ付近の歯科医院の現場に行きますと
(0時の時報)
水野:
今時報が鳴りました。これで31日。2011年最後の一日を迎えた事になりますけれど、
近づいていかれて、その医院、お友達の歯科医院の方に行かれたんですね。
古田:もう、玄関が壊されていまして、
水野:それは、津波でですか?地震でですか?
古田:いわゆるドロボーですね。
水野:あーー、その後の、ドロボーで・・・はぁー。
古田:
いつか?っていうのはやっぱり、特定はできないみたいなんですが、
もう、中はもう、散乱していて、無茶苦茶な状態でした。
で、運ぶのに難しい大きな医療機器はそのままという状態でした。
水野:かなりいろんなものを盗まれて、散乱していて、
古田:そうですね、かなり慌てていたような感じがこちらの状況からでも見分けられるような、医院の状態でした。
水野:なんか、鉄塔が見えたって聞いたんですけれども、これは何の鉄塔なんですか?
古田:
これはちょうど、その友達のご実家の方に港の近くの方で
ちょうど福島第一原発の排気塔という、ベントが行われた塔だと思いますが、そこが見えるところが、
ちょうど、海岸から300メートルぐらいのところですので、
そちらの方に行ってみますと、庭にですね、殆ど津波で流された状態の家なんですけれども、
庭にテトラポットがのっていまして、
水野:何百メートルが流れて?庭にテトラポット・・・
古田:
ハイ、300メートルぐらいですね
そして大型トラックが、中に突っ込んでいる。
ま、家自体はほとんど問題ありませんが、トラックが突っ込んだ状態という、
水野:そして、その時はもちろん放射線量を調べる景気も持っていかれた?どうでした?
古田:
当然そこの近くは所々ホットスポットみたいなものがあって、かなり高い。
私が確認して、一番高いところで12マイクロシーベルト位の線量がありました。
特にやっぱり、水たまりのところに高線量があるという状態で、
ま、全身リスポの服を着ているんですがその靴を捨てて交換しないと、
帰りの時の時のに引っ掛かりますので、
水野:引っかかるというのは水たまりの水に触れた防護の靴が、もう、放射線量を一定限度を超えるという事ですね。
古田:明らかに超えるだろうという予測があったので、
水野:そこでその靴を脱ぎ棄てて、そこで新しいのに履き替えないと帰れない位の高線量の水があるという事ですね。
古田:はい
平野:時間も気になりますよね、どの位その場所で、
古田:
その地域には約10分ぐらいしか、いなかったんですが、
とにかく出るまでの間に2時間半ぐらいで出ようという計算のもとで大体の方針は決めていました
水野:
ただやっぱり、暮らしていらしたいろんな後っていうみたいなものああるでしょう?
どんな物を見られましたか?
古田:
そうですね、いわゆる海岸のところというのは、当然そういう処理というのがほとんどされていない所ですので、
いわゆる3月11日のままのような、感じ。
水野:片づけなんかできませんものね
古田:はい
海岸に行ったんですけれども、波がすごく荒くてすごく怖いと言いますか、意識的に。
そういう気持ちになりました。
水野:
でもそのお友達の歯科医院があったところもみなさん言ってみたら
原子力の町としてね、一度は多くの夢を抱いていた町ですよね。
古田:そうですね
水野:そういう、なんか、跡みたいなものはあるんですか?
古田:
ちょうどそこから、双葉厚生病院という、地域の中核病院の前を通った時、
非情にこう、虚しく建っているアーケードの標語がありまして、
「原子力、明るい未来のエネルギー」っていう標語が大きいアーケードで持っているんですね。
なんか、昔にその標語の募集をして、建てたような、で、その裏側には
「原子力正しい理解で豊かな暮らし」
大きい字で・・もう、ビックリしましたね。
もう、まさに、本当に憤りを感じました。
水野:
ゴーストタウンの中で、どんな正しい理解を、じゃぁ、あなたたちはさせたんですか?と。思いますよね。
で、原発20K30キロの地点は帰ってこられる訳だけども、
そのあたりは今はどんどん、どんどん人が戻って生活をしていくというような政策になっていますが、
どうでした?
古田:
そうですね、結構その、20キロから30キロのところですね、
いわゆる解除されたところですけれども、わりと賑わいがありましたので、
非常にちょっと、ビックリしまして、
ま、幼い子どもさん達はそんなには見かけなかったですけど、
何人かは見かけたり、
水野:あ・・そうなんだ・・・
古田:ちょっとやっぱりびっくりしたということで、
平野:線量は高いんですよね
古田:はい
いわゆる20キロ入ったすぐのところよりも20K超えたところの方が高い部分が。
常に線量計を持って見ていましたので、
水野:
古田さんがこういった形で何度もね、様々な形でボランティアをしてきはったわけですね、
その時々、被災地に必要なもの。
今はまず生きるべきだって言ったらそのための物。
歯を何とかしなければいけないと歯科医院を開設しに行ったり、
あるいは、食べ物が今必要だということで食べ物の炊き出しに行ったり、
次は笑いが必要だっていったら落語家さんを連れていったり、
歌も必要だって、歌い手さん連れていったり、、
もう、さまざまな、その時必要な事をずっと続けてこられたんですけれどもね、
なんでそこまでやれるのかっていうのは、
多くのリスナーの方も聞きたいとおっしゃるんですよね。
なんでそこまでやることになったんですか?
古田:
そうですね、実は震災直後の混乱期なんですけれども、
3月の20日ぐらいだったと思うんですが、
大学の法医学教室から、身元不明確認のための、検死に行ってきたんです。
当時は、ま、それをあまり口外しないようにと、いうふうな規制がありました。
水野:個人情報がありますからね
古田:はい。
水野:だから、亡くなった方の身元を歯型で判明されるという事にいらっしゃった。
古田:はい
水野:それが南相馬ですか?
古田:そうです
水野:
だから、ま、非常に被害が甚大なところ、
そして放射能汚染の被害も大きいところで、その時目にしたもの、感じられたものはどうでした?
古田:
もう、いわゆる現実と悪夢の境目が何も分からない状態で、
みんなが混乱していた時ではありますけれども、
その中でそれぞれが出来る事と思いつつ、
水野:
自衛隊の人達と一緒に活動をしたけれど、
その時自衛隊の中にはもう立ちつくして泣くしかないというような方もいらっしゃったんですって?
古田:そうですね、
若い自衛隊の方は、泣きながらそういう作業をしていたと、
それがだんだん、一歩一歩力強い力にはなったとは思いますけれども、
水野:
まずは呆然とするような状況を味わって、
で、古田さんはもう、そこから、行かずにはいられないみたいな思いがあって
古田:そうですね、ええ、もう、
水野:被災地には何度も行かれるんですよね
平野:具体的にはもう、古田さんのその場での作業というのはカルテと歯型と照合するんですか?
古田:
まずは記録です
記録をしてから、後でカルテであるとか、レントゲンであるとかと照合をしていく。
それを実際は分業という作業ですが、
まず、記録をしてという事です。
平野:
それで、それが特定された場合、
家族にとってはすごい、悲しいけれども、喜ぶべき、分かったと、
これは非常に辛い仕事ですよね。
古田:
今回、日本歯科医師会は、2600人を派遣しまして、
一刻も早く身元を判明させてご家族の元に返さなければという思いで、
約、850体確認をしたという、
ま、今も殆どこういう事は報道・・・
水野:されていませんよね、なかなかね、それはね、
古田:はい
水野:
あぁ、でも、そこが原点となって古田さんの活動が始まった。
そして最近では親ごさんを亡くされた孤児の、震災孤児となられた方、
遺児になられた方の子どもたちを何とか支援しようという事で今やってはるんですよね。
で、京都府歯科医師会として、この東北大学と連携してはるんですか
古田:
やはり、こういう事を言って、私自身も何が出来るのかっていうのを自問自答しながら、
ま、東北に行った折にいろんな話を聞く中で、
やはり、震災孤児、遺児の事が、一番気になっていまして、
水野:
その時時必要な事をやり続けてきたら、
いまになったらやっぱり、子どもやって、古田さんは思ったわけですよね。
で、最初は行政に掛けあおうと、
行政が支援してると思って行ったら、なかなかその窓口がなかったんですってね。
古田:
そうですね、もう、部署自体が無くて、いわゆるいろんな処に回されて、
結局、危機管理課というところに行ったんですけど、
水野:子ども専門の部署なんて無いんですね、まだ。
古田:
という事は、何とかいろいろと調べていくうちに、
その中で、東北大学の教育学研究科の中に、震災こども支援室というのが出来たという情報を得まして、
もう、すぐに連絡をしまして、
とにかく一度面談をさせて欲しいと、いうことで、
ちょうど、先月、支援室を訪れて、面談させてもらって、
そして、いろんな事を、
ま、今後の活動方針を聞かせていただいて、
それで歯科医師会としていわゆる支援をさせていただきたいと
水野:
ようやく、支援をする受け入れ先をやっと見付けられたという段階で、
子どもさん達の支援は色々と段階的にしていかれるんだと思うんですけれども、
この子どもたちを支援しなければと思われたそのきっかけとなったのが、
ずーっと沿岸部を車で走ってはった時に見た瓦礫の山で遭遇した子どもの姿だったっていうのは・・・
古田:そうなんです
水野:どういう子どもさんでした?
古田:
ちょうど3月の末の時に、相馬郡の沿岸部を通っていた時に、
いわゆる瓦礫の中で携帯電話でお母さんの番号をずっと掛け続けている少女がおられたんです。
それは、地元の方も知っているんです。
けれども、・・・・ま・・・どうなったかは分からないんですけれども、
水野:
お母さんの携帯電話につながる事を考えながら
とにかく瓦礫の山の前で携帯電話を何度も何度も電話してはるんですね、子どもさんが
その姿を見た古田さんが、
古田:
それがもう、目に焼きついて忘れられない、と、いう
水野:
今日は最後に古田さんにリクエストという事で一曲お願いしたんです
これはどんな曲でなんすか?古田さんにとって。
古田:
これは、5月以降ですね、何時も被災地に行ったら、
一緒に連動していっていたボランティアの人の、ま、テーマ曲みたいにして、
みんなで聴いたりとか、流したり、炊き出しの場面で、それを流したりとかして、
それで、勇気付けられた曲なんです。
水野:しおりで「smile」という曲、ちょっと聞きましょう。
ーーー♪~♫♪♬
水野:
京都の歯科医師古田博一さんにずっとボランティアを続けてこられたお話しを聞かせていただきましたけど、
最後にみなさんに伝えておきたい事って何かありますか?
古田:はい
ある福島県民の方の伝言があるんです。
先日行った時に、なんかの折りにこの話をしてくれと、
それは、やはり、
「政府は補償額の低減のような警戒区域の縮小だけは絶対にしないでほしい」
「帰りたいけれども経費のための区域の縮小はしないでほしい」ということと、
水野:
本当の安全が確保された訳ではないのに、
警戒区域を解除するような事はやめてくれという事ですね
古田:
はい、そして、
「遺伝子を気づ付ける放射能の恐さ、子どもたちに対する影響は少なからずわかっております」と
「ですが、決して私たちを差別しないでください」
「どうか、どうか、お願いします」
これを伝言されました。
水野:
ああ、そうですか・・・福島の方からメッセージを持ってきて下さいました。
古田さんを通して私たちはいろんな事を知ることが出来ました。
どうもありがとうございました
歯科医師の古田博一さんでした。
ーーーーーー
古田さんのリクエスト曲
ちゃんと全部聞きたいと思いました。なので・・・
しおり smile

歌詞はUta-Netより
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コメント
古田先生のお話を聞いた後で
この歌を聴いていたら
突然
涙が
止まらなくなった。。。
しおりさんのSmile♪
いい歌だね♪
福島のこどもたちの心が
少しでも癒され、勇気づけられるといいね。。。
何にもできないオレだけど
この歌を聴きながら
福島のこどもたちの心の平安を
陰ながら祈っています。
全ての原発を廃炉に追い込む日まで
キーコちゃんと共に
闘い続ける!
って静かに誓います!!!
この歌を聴いていたら
突然
涙が
止まらなくなった。。。
しおりさんのSmile♪
いい歌だね♪
福島のこどもたちの心が
少しでも癒され、勇気づけられるといいね。。。
何にもできないオレだけど
この歌を聴きながら
福島のこどもたちの心の平安を
陰ながら祈っています。
全ての原発を廃炉に追い込む日まで
キーコちゃんと共に
闘い続ける!
って静かに誓います!!!
himadarake | 2012.02.04 01:50 | 編集