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05.27
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「価値観に基づく議論が大事」瓦礫・原発5/25宮台真司氏TBSラジオ(内容書き出し)
上記のブログで宮台さんの話を書き出していて
先日の「こちら特報部」を思い出しました。
価値観と同じように原発問題に関しては人間としての倫理も問われるのではないかと思ったのです。
記事を書き出しました。


ーーー


哲学者が原発止めた独 日本にない知識人の倫理委員会
東京新聞 こちら特報部 2012年5月25日


福島事故を機に脱原発にかじを切ったドイツ。
メルケル首相の背中を押したのが、知識人たちによる諮問機関「より安全なエネルギー供給に関する倫理委員会」だった。
リスクを抱えた原発の利用に「倫理的根拠はない」と結論づけたのだ。
一方、日本の民主党政権は「脱・原発依存」を打ち出したものの、いまだ具体策を示していない。この違いは何なのか。 
(佐藤圭)


哲学者が原発止めたドイツ

倫理委は、哲学者や宗教家、社会科学者、ベテラン政治家ら17人で構成していた。
原発の専門家は一人もいない。
福島事故後の昨年4月4日に設置され、5月30日には
「10年以内の脱原発が可能」との報告書を提出した。

メルケル氏は「脱原発への転換の新たな指針を得た」と歓迎。
ドイツ連邦議会と政府は報告書を下敷きに、昨年6月、「脱原発」の方針を正式に決定した。
17基ある原発のうち、福島事故後に停止した8基はそのまま閉鎖。
残り9基も2022年までに停止する。

ドイツでは、左派のシュレーダー連立政権が02年、全原発を一定の猶予期間を置いた後に
20年程度で停止する脱原発法を制定。
メルケル保守中道政権は10年秋、この脱原発政策を先送りした。
メルケル氏は福島事故の賛辞を見るや否や、あっという間に。前政権の脱原発政策に回帰したわけだ。

日本はどんな教訓を得るべきなのか。
「こんな議論を日本でやったら笑いものにされる。大学の先生の理想主義だとか、安全地帯で物を言っているとかね」

倫理委の報告書を翻訳した三島憲一東京経済大学教授(ドイツ現代思想)は真っ先に、
知識人を取り巻く「日独の差」を挙げる。
最近の日本では、学者への風当たりは強い。
原発を推進してきた「御用学者」への批判はもっともな部分もあるが、
橋下徹大阪市長が一部の大学教授を「行政の現場を知らない」と攻撃した際にも、多くの国民が喝さいを送った。


ナチスの教訓 筋論が正しい

「ドイツ人は、筋論こそが正しい事を知っている。
筋論を言う最たるものが知識人だ。
第二次大戦中のナチス・ドイツは軍需産業を刺激して景気を良くしたが、
戦争には負け、ユダヤ人虐殺で世界中から非難された。
目先の利益に飛びつくと、ひどい目にあう事が身に染みている」

日本では、倫理委は設置されていない。それどころか、政府が原発の専門家に技術的判断を仰ぐことはあっても、
哲学者や社会学者の意見に耳を傾けることはない。
何故原発問題で「倫理」が出てくるのか。
報告書では、その理由を次のように説明している。

技術や経済に優先する問題

「原子力の利用とその停止、さらには停止にあたっての代替エネルギーによる穴埋め、
こうしたことに関わる一切の決定は、社会における価値決定にその根拠を持つ。
こうした価値決定は、技術的側面や経済的側面に先行する」

三島氏は
「いったん事故が起これば多くの人命にかかわる原発をどうするかは、個人的な利害を超える。
社会の倫理的価値判断に基づいて決めるべき問題だと決めるべきだ」と強調する。


考え方で賛成派を説得

報告書の核心は
原発賛成派も反対に回らざるをえなくなる倫理構成」(三島市)だ。

原発をめぐる論争の対立軸は
「接待的拒否と比較考量により相対化の立場」に設定する。

絶対的拒否側は
「破局の潜在的な巨大さ、
(核廃棄物処理など)未来の世代が担わなければならない負担、
さらには放射能による遺伝的損傷の可能性、
こうした一切を最大限に捉えるべきで、リスクの比較考量による相対比などを試みてはならない」と主張。

これに比較考量側は
「社会には、原子力を放棄した場合の帰結も考える義務がある」と反論する。

だが、倫理委は、二つの立場は「同じ結論になる」と断言する。
「原発の利用を出来るだけ早く終結させるべきであるという結論である」
「原子力をよりリスクの少ないテクノロジーに、
環境や経済や社会と適合する形で置き換える可能性がドイツには存在している」からだ。

報告書には
1.脱原発でも生活水準は維持可能
2.代替エネルギーの導入と技術革新による雇用の増大が可能
3.二酸化炭素削減対策と矛盾しないことが可能
4.国会に脱原発を監視する専門委員を配置
5.市民が自由に参加できるナショナル・フォーラムの創設
ーなどの提言も盛り込まれた。


数字や専門用語使わず
誰でも議論できる切り口


実は報告書には、数字や専門用語はほとんど出てこない。
三島氏は
「考え方で説得しようとする。セシウムとかベクレルなどの専門知識は必要ない。
『事故が起きたら大変なのに、必要なのか』という切り口であれば、だれでも議論できる。
役人を筆頭に、やたらと細かな数字や専門用語を使いたがる日本人とは大違いだ」と指摘する。

とは言えドイツの脱原発路線は必ずしも順調ではない。
倫理委のメンバーからは、
「メルケル氏は、ろくなことをしていない。この調子では脱原発の予定は間に合わないかもしれない」
といった批判が高まっている。

メルケル氏が率いるキリスト教民主同盟は脱原発への転換後、州議会選挙などで敗北を重ねている。
三島氏は
「ドイル国民は賢いから、脱原発は支持するが、もともと賛成のメルケル氏氏が選挙対策で変節したことを見抜いていた。
『彼女は私たちを喜ばせるためにウソをついた』とね。
もちろん脱原発に踏み切らなければ、もっと負けていたかもしれない。
進むも地獄、退くも地獄だった」と分析する。


代替化に時間/電気代アップ
目先の現実主義、いずれ損


日本に目を転じれば、原発賛成、反対両派の歩み寄りはドイツほど容易ではなさそうだ。
ドイツでは「10年以内の脱原発」という”落としどころ”が見つかったが、
地震国・日本では事故の危険性は遥かに高い。
にもかかわらず、野田政権は付け焼刃の安全基準と「政治判断」で、大飯原発などの再稼働につき進んでいる。

地震国・日本 絶対安全ない

三島氏は言う。
「段階的な脱原発を選択した場合には、過渡期の原発運転の絶対安全が条件だ。
地震国・日本で絶対安全はあり得ない。
となれば結論は明らか。
日本で原発を建設したこと自体が無責任だった。

日本も筋論を通した方がいい。
電気代が上がるとか、代替エネルギーへの転換に時間がかかると言った目先の現実主義は、
長期的に見れば、損をする」

<デスクメモ>
原発をこれからどうしていくべきか、その判断に「倫理」が入り込む余地は、これまで日本にはなかった。
しかし、利害関係者への手厚い配慮だけはあったようだ。
推進側だけを呼んだ非公開の勉強会とやらで、あろうことか報告書の原案を見せていた原子力委員会。
倫理の存在そのものが疑わしい。(木)





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こちら特報部517121
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