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敦賀市長河瀬一治氏5選をうけて調べてみた。

敦賀市(つるがし)
福井県南部(嶺南)の、敦賀湾に面する都市である。古代より港湾を中心に栄え、北陸と関西を結ぶ位置から近代以降は鉄道や道路の要地ともなっている。原子力発電所でも知られる。昆布が特産物でもある。

敦賀市長に河瀬氏5選 「原子力と共生」主張
2011.4.24 23:13
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5選を果たし、笑顔でバンザイする河瀬氏=24日午後10時40分ごろ、敦賀市(渡邉陽子撮影)
原子力行政で推進路線を変えず「安全・安心・経験」を旗印に善戦。原発が“根幹産業化”した地元経済への影響や、原発事故に備えた避難道整備など防災対策への不安・不満を抱える有権者に幅広い支持を得た。
投票率は70・74%で、市長選が行われた2003年と比べて5・09ポイント低く、過去最低となった。

福島第1原発事故を受け、原子力政策が論戦の焦点となったが、脱原発を訴える候補はなく、4氏とも「原子力との共生」を主張。公約に掲げる原発の安全対策にも大きな違いはなかった。
 

敦賀市の電力業

日本原子力発電
敦賀発電所
日本原子力研究開発機構敦賀本部
原子炉廃止措置研究開発センター(旧新型転換炉ふげん発電所)
高速増殖炉研究開発センターもんじゅ開発部
北陸電力
敦賀火力発電所
水力発電所

続きを見るついでなので・・・もっと調べてみました

敦賀発電所


日本原子力発電敦賀発電所

敦賀発電所(つるがはつでんしょ)は、福井県敦賀市明神町にある日本原子力発電(原電)の原子力発電所。
通称は「げんでん敦賀」。
1号機は日本最古の軽水炉として知られる(最古の商用炉は東海発電所1号機)。

目次

1 設置までの歴史
2 発電設備
2.1 一号機
2.2 二号機
2.3 三号機(準備工事中)
2.4 四号機(準備工事中)
3 過去の主なトラブル
4 延命措置
5 注釈
6 関連項目
7 外部リンク

設置までの歴史

1962年11月9日-敦賀発電所建設予定地を敦賀半島尖端部に決定
1965年10月11日-敦賀発電所原子炉設置許可申請
1966年4月22日-敦賀発電所原子炉設置許可、敦賀発電所建設工事着工
1966年5月14日-敦賀発電所の購入契約を米国GE社と締結
1970年3月14日-敦賀発電所営業運転開始

発電設備

一号機

原子炉形式:沸騰水型軽水炉(BWR-2)
運転開始:1970年3月14日
定格電気出力:35.7万kw

二号機

原子炉形式:加圧水型軽水炉
運転開始:1987年2月17日
定格電気出力:116.0万kw

三号機(準備工事中)

原子炉形式:改良型加圧水型軽水炉
運転開始:(2017年7月)
定格電気出力:153.8万kw(予定)

四号機(準備工事中)

原子炉形式: 改良型加圧水型軽水炉
運転開始:(2018年7月)
定格電気出力:153.8万kw(予定)


過去の主なトラブル

1981年4月
福井県の定期モニタリング調査で、海藻から異常に高い放射能が検出された。
調査の結果、敦賀発電所一号機の一般排水溝から放射性物質が漏洩したことが分かった。

漏れた放射性物質はコバルト60であり、平常時の約10倍の量が検出された。
更に調査を進めたところ、一般排水路の出口に積もった土砂からも高濃度のコバルト60とマンガン54が検出された。
しかし一般排水路は放射能とは関係のない配水系統であり、
ここからは放射性物質が検出されるはずがない場所であった。
結局、放射性物質が検出された原因は、
原子力安全委員会の調査によると放射性廃棄物処理旧建屋の設計・施工管理上の問題に、
運転上のミスが重なったからとされた[1]。

しかし、コバルト60とマンガン54が検出された原因は、
この漏出が判明する前月に大量の放射性廃液がタンクからあふれるという事故が起きていたからであった。
そして敦賀発電所はその事実を隠蔽していたことも同時に明らかとなった。

つまりいわゆる「事故隠し」が行われていたのであった。この「事故隠し」によって
これ以降の日本での原子力発電に対する不信感が大きく芽生えるきっかけになったと考えられている[2][3]。
この敦賀原発の隠蔽の一件は、
アメリカのペンタゴンがエネルギー供給の脆弱性について研究した『ブリトルパワー』(en:Brittle Power)にも
事例として取り上げられている[4]。


2010年7月21日
日本原子力発電は、敦賀一号機で、再循環ポンプなどの溶接部分について
点検が一度も行われていなかったことが明らかになったと発表した。
その溶接部分は、冷却水を炉心に送り込む原子炉再循環ポンプや原子炉圧力の排水用配管の弁などである。
第33回定期検査(2011年に実施する予定)で再循環ポンプ系の配管を取り替える工事の準備段階で判明したという。


2011年1月24日
経済産業省の原子力安全・保安院は、敦賀原発1号機で、
複数ある緊急炉心冷却システムの1つが機能しない状態で約1ヶ月間運転していたとして、
日本原子力発電を厳重注意した[5]
2010年12月の検査時には正常に動作していたが、2011年1月の検査では正常に動かなかった[6]。



延命措置

日本最古の商用炉となる1号機は、
本来、2009年12月に役割を終え廃炉になる予定であったが、
3、4号機の設置が遅れたことから運転期間の延長が模索されてきた。

日本原子力発電は、老朽化を踏まえた保守管理方針を策定した上で、
運転の継続を経済産業省原子力安全・保安院に申請。
2009年8月3日に申請が認められたことから、2016年までの延長運転に備えた準備が進められている。


注釈

1^ 詳細は原子力安全委員会による調査報告書参照[1]敦賀発電所における放射性廃棄物処理施設からの放射性廃液漏洩事故の概要

2^ 『原発国民世論 -世論調査に見る原子力意識の変遷-』 柴田鐵治、友清裕昭 ERC出版 1999年 ISBN 4900622168
3^ 「事故隠し」については、「原発国民世論」の中で著者が「この敦賀原発事故は、終わってみれば「敦賀原発事故隠し事件」とでも呼んだ方が正確かも知れない」と厳しく批判している。なお、事故隠しについては原子力発電の事故隠し・データ改ざん一覧を参照のこと
4^ Brittle Power (英文)p. 148.
5^ 2011年1月25日付朝日新聞37面
6^ 2011年1月25日付朝日新聞37面

関連項目

原子力発電の事故隠し・データ改ざん一覧
原子力事故

外部リンク

日本原子力発電 敦賀発電所




もんじゅ概要

もんじゅは敦賀市(緑色の部分)北西部の敦賀半島に位置する
福井県敦賀市白木二丁目1番地に位置する。

「もんじゅ」の名は仏教の文殊菩薩に由来する。
若狭湾に面する天橋立南側にある天橋山智恩寺の本尊から来ているといわれる。

1991年から性能試験を開始したが、
1995年にナトリウム漏出火災事故が起きたために運転を休止した。
運転再開のための本体工事が2007年に完了し、
2010年5月6日に2年後の本格運転を目指して10年の計画で運転を再開した。

「もんじゅ」を用いて、発電施設としての信頼性の実証、
運転経験を通じてナトリウム取扱技術確立、
また、高速増殖炉の研究開発の場として今後の利用が予定されている。

しかし、2010年8月26日 原子炉容器内に筒型の炉内中継装置(重さ3.3トン)が落下。
2011年1月28日に復旧作業を東芝と契約した。

炉のふたにひっかかった燃料交換装置を取り外すのに必要な機器を新たに設計・製作したり、
外した燃料交換装置を分解調査する予定。


歴史

1967年10月2日 動燃設立。
1968年9月26日 高速増殖炉の実験炉「常陽」の後継として、原型炉の予備設計開始。
1970年4月    建設候補地に、福井県敦賀市白木を選定。立地自治体の敦賀市の了承、福井県の内諾。
           地質等調査開始。
1975年9月17日 原子力委員会によるチェックアンドレビュー開始。
1976年2月20日 福井県および敦賀市と安全協定を締結。
1978年       環境審査開始。
1980年       安全審査開始。
1980年4月1日  原子炉産業4社(東芝、日立GEニュークリア・エナジー、富士電機システムズ、三菱重工業
            が出資して高速炉エンジニアリング株式会社(略称:FBEC)を資本金3億円で設立。
1983年1月25日 建設準備工事に着手。
1985年       正式着工。福井選出の自民党議員である熊谷太三郎が経営する熊谷組が建設を担当した。
1990年7月20日 動燃アトムプラザ開館。
1991年3月22日 ナトリウム現地受入れ(国内輸送)開始。
1991年5月18日 機器据付け完了式典、試運転開始。
1992年12月   性能試験開始。
1994年4月5日  午前10時01分 原子炉が初臨界達成。
1995年8月29日 初発電達成。
1995年12月8日 ナトリウム漏洩事故発生。
1998年10月1日 動燃解組。核燃料サイクル開発機構発足。
2005年3月3日 ナトリウム漏洩対策の準備工事を開始。
2005年9月1日 ナトリウム漏洩対策の本体工事着手。
2005年10月1日 独立行政法人日本原子力研究開発機構発足。
2007年5月23日 本体工事終了。
2007年8月31日 運転再開に向けて、プラント確認試験の開始。
2008年5月15日 高速増殖原型炉もんじゅの新燃料(初装荷燃料)の1回目の輸送。
2008年7月18日 高速増殖原型炉もんじゅの新燃料(初装荷燃料)の2回目の輸送。
2010年5月6日 午前10時36分 運転再開。
2010年5月6日 午後11時9分・7日午前10時1分 放射性ガスの検知器の2回の誤作動。
2010年5月8日 午前10時36分 臨界確認。試験として約1時間後、19本の制御棒のうち2本を挿入し未臨界とした。
今後、臨界と未臨界など各種の試験を経て2013年春に本格運転を目指す[1]。
2010年8月26日 原子炉容器内に筒型の炉内中継装置(重さ3.3トン)が落下。
後日、吊り上げによる回収が不可能と判明。長期の運転休止を余儀なくされた[2]。
2010年12月28日非常用ディーゼル発電機3台のうち1台(C号機)がシリンダライナのひび割れにより故障。
2011年3月23日 福島県の原発事故を受け、福井県は、もんじゅの安全性確保について、
文部科学省に申し入れをした[3][4][5]。

仕様

原子炉型式:ナトリウム冷却高速中性子型増殖炉(高速増殖炉 ループ型)
熱出力:71万4千kW(714MW)
電気出力:28万kW(280MW)
燃料の種類:MOX燃料
燃料交換間隔:約6ヶ月
燃料交換方式:単回転固定アーム方式
熱効率:39%
冷却材:金属ナトリウム
原子炉入口冷却材温度:397℃
原子炉出口冷却材温度:529℃
燃料集合体:198本
燃料増殖比:約120%(1.2)
制御棒本数:19本
原子炉格納容器:鋼製格納容器
建設費: 約5,900億円(当初予算)事故後、動いていないが、掛かった総予算としては約2兆4000億円である。
製造メーカー:日立製作所・東芝・三菱重工業・富士電機


訴訟
最高裁判決

もんじゅの原子炉設置許可について
周辺住民32人が国(経済産業相)に許可処分の無効確認を求めた行政訴訟(1985年提訴)が争われ、
2003年1月27日には名古屋高裁金沢支部がもんじゅの設置許可処分が無効であることを確認する判決を下したが、
2005年5月30日に最高裁は「国の安全審査に見過ごせない過誤や欠落があったとは言えず、
設置許可は違法ではない」との判決を下し、国の勝訴が確定した。

一方、もんじゅの建設・運転の差止を求めた民事訴訟も争われてきたが、
2003年に原告自らが訴訟を取り下げた。


もんじゅ反対派の主張

主張の概要

もんじゅは、高速増殖炉の原型炉であるが、
冷却材に通常の原子力発電所で使われる水の代わりに金属ナトリウムを使い、
発電タービンは水蒸気作動であるため、2つの熱伝達部分をもっている。

炉心の金属ナトリウムからタービン系統の水部分へは薄い蒸気発生器の壁を通じて熱伝達を行う。
蒸気発生器の壁は薄いため、ピンホールが発生する可能性を完全には否定できず、
このために爆発するリスクがある。

また、これら金属ナトリウムは融点は低いがそれ以下の室温になると固形化するため、
ナトリウム管にはニクロム線を巻き付けることで保温している。
これらは複雑なプラントであり、効率が低い。

日本が将来、核武装する為のものではないのかという疑念がある。
普通の原子力発電に使われる軽水炉のプルトニウム燃料は
プルトニウム240などプルトニウム239以外の同位体の割合が高いために原子爆弾の材料とするのは難しいが、
高速増殖炉のブランケット部にはプルトニウム239の比率が非常に高い「兵器級プルトニウム」が生産される。
これまでに、239Pu同位体純度97.5%のプルトニウムを62kg生産している[6]。
このブランケット燃料は、茨城県東海村に建設中のリサイクル機器試験施設で再処理して、
プルトニウムを抽出する予定である。

プルトニウムを増殖させて主たる核燃料として使用する核燃料サイクルの一部であるため、
高い建設費にも関わらず建設された。

発電時には二酸化炭素を発生させないが、
核燃料サイクルを全体では輸送などで二酸化炭素が発生する他、電力も消費される。
したがって、二酸化炭素が余剰に発生する。

もんじゅにおいては、
1次系金属ナトリウムと熱交換した2次系金属ナトリウムが、
蒸気発生器において3次系の水と熱交換を行う。

2次系と3次系を隔てているのは、熱伝達のための薄い熱交換器なので、
ピンホール発生の可能性がある。

ピンホールが発生すると、爆発して大事故になる可能性がある。
実際、イギリスで事故が起きている[7]。


反対派の主張に対する批判・反論

原子炉が核爆発を起こすことはないにもかかわらず、
反対派の主張には原子炉が核爆発を起こすと解釈されかねない内容のものがあり不適切という主張がある。
また、研究段階にある高速増殖炉の経済性を実用炉と比較することについては異論がある。

核燃料サイクルを動かすために消費される電力のために二酸化炭素が余剰に発生するかどうかは、
その電力の由来が何であるかに依存する。
その電力がすべて原子力発電によるものならば二酸化炭素の余剰発生はない。

ナトリウムの安全確保は、二重三重に図られている[8]。
まず、一次系の配管は、原子炉容器の出口よりもできるだけ高い位置にしてあるし、
低くなる原子炉容器などは、保護容器内に設置されている。
よって万一ナトリウムが配管から漏れても、炉心の冷却に必要なナトリウムは確保される。

次に、一次系の部屋は窒素が封入されていて、ナトリウムが漏れても燃焼しないようになっている。
また、ナトリウム漏出を検出する機器があるので、ナトリウムの流出はすぐに感知できる。
さらに、主循環ポンプが止まっても、配置の工夫により、
ナトリウムが自然循環して炉心から熱を取り出せる仕組みになっている。


もんじゅ西村裁判

1995年12月8日に発生したもんじゅのナトリウム漏洩火災事故において、
事故現場の様子を撮影したビデオの一部を隠したことが発覚した。

管理者である動燃と科学技術庁の信用は失墜し、情報隠蔽体質をマスコミが取り上げる。

1996年1月13日午前6時10分、
当時ビデオ隠しの特命内部調査員に任命されマスコミの矢面に立たされていた
西村成生・動燃総務部次長の自殺死体(警察発表)が発見された。

この自殺後、マスコミの追及は終息する。

西村の遺族は、彼の死が他殺によるものとして警察に告発している。


ナトリウム漏洩火災事故

1995年、二次冷却系で温度計の設計ミスからナトリウム推定640kg±42kgが漏洩[9]し、火災となった。

国際原子力事象評価尺度では最も低いレベル1であるが、対応の遅れや動燃による事故隠しが問題となった。

この事故以来、原子炉は休止状態が続き、稼動できなくなった。


経緯

1995年12月8日、「もんじゅ」では運転開始前の点検のために、出力上昇の試験をしていた。
目標の熱出力43%を目指し、出力を徐々に上げていた。

19時47分に、二次冷却系配管室で配管のナトリウム温度計が「温度高」を示した。
通常480℃のところ600℃の目盛りを振切っていて、実際何度になっているか判らないほど高温になった。
(温度検出器は熱電対のため、断線するとオーバーレンジとなり、ナトリウムの温度が600℃以上になったわけではない)

引き続き同じ場所で、火災報知器が2か所で、さらにナトリウム漏洩を知らせる警報も発報した。
運転員らが現場に駆けつけたところ、目視で「もやっている程度の煙」[10]を確認。
ナトリウム火災の特徴だった。
その後も火災警報の範囲は広がり、ついには階を超えて発報を始めた。

20時0分、火災警報機が14か所発報した時点で、
運転員らは異常時運転手順書「2次主冷却系のナトリウム漏洩」に従い原子炉停止を決断し、
原子炉の出力を徐々に落とし始めた。

原子炉を急激に停止させる「緊急停止」は炉に負担をかけるため、
炉を保護する為に緩やかな出力降下を目指した。

その後、非常に大きなベル音が連続して鳴動するため、
運転操作の妨げになるとしてベルの停止操作を行った。
そのため、別の火災報知器がさらに発報していることに気づくのが遅れた。

20時50分頃には運転員が現場で白煙の増加を確認した。
21時20分、事故発生から1.5時間後、火災警報器が34か所発報にも及んだ時点で、
事態を重く見た運転員らが手動で原子炉を緊急停止させた。
充満した白煙と高温により、防護服を着用しても現場に立ち入ることは困難で、被害状況は全くつかめなかった。
しかし、原子炉停止後も火災報知器の発報は続き、最終的には66か所に及んだ。

22時40分、二次冷却系Cループ配管内のナトリウムの抜き取り操作開始した(9日0時15分終了) 。
23時13分、二次冷却系Cループ配管室、蒸気発生器室の換気空調系が停止。
翌日午前2時に、事故現場に立ち入り、状況を確認したところ、高融点の鋼鉄製の床が浸食され、
さらにナトリウムが周囲にスプレー状に散布されている事がわかった(いわゆる「2時ビデオ」の撮影)。

なお、漏洩した金属ナトリウムは二次冷却系で、放射線漏れは無く、
原子力発電所の国際原子力事象評価尺度に照らせば極めて軽微な被害ということになる。


事故後の対応

事故後の会見はもんじゅのプレスセンターで行い、動燃は事故当時撮影した1分少々のビデオを公開した。

しかし数日後、これが編集されたビデオであることが発覚し、
マスコミに指摘を受けた動燃は編集前のビデオ[11][12][13]を順次に公開。

全ての映像を公開すると報道によるメディアスクラムと反原発団体の苛烈な糾弾を懸念した職員が、
編集して部分的に公開し穏便に済むようにとの配慮だったが、
それが裏目に出て「情報隠蔽ありきで、極めて不適切な対応である」と取られ、より不信感を煽る事になり、
数日後、動燃は事故発生直後の現場のビデオがさらにあると発表。

夥しい量のナトリウムが施設内に飛散した映像はインパクトが強く、
幾度にも渡り新聞やTVニュースで連日使用された。

上述にあるように原発事故のレベルとしては流された報道の量(質)に比べ放射線漏れも無い軽微なもので、
炉心溶融の可能性に至るまでは程遠い事故であった。

編集前のビデオを公開した記者会見に出席した当時の動燃総務部次長は会見の翌日(1996年1月13日)自殺し、
この自殺の原因が虚偽の発表を強いられたためとする親族による訴訟の過程で
動燃の隠蔽体質が指摘された[14]。

この動燃総務部次長の死を境に媒体における本事故の扱いは急激に小さくなる。


原因

事故から1か月経った1996年1月8日未明に、
前夜から行われていた漏洩箇所のX線撮影により、ナトリウム漏洩の明確な原因が明らかになった[9]。

それまで最も有力だったのは、
ナトリウムの温度を測定する熱電対温度計の収めてある「さや(ウェル)」と配管の接合部の破損であった。
「さや」は、ナトリウムの流れる配管の中に棒状に突出しており、
直径3.2mmの温度計を保護する役割を果たしていた。

この「さや」は大変丈夫に作られており、
ナトリウムの流速程度の機械的負荷で折損するとは考えにくかったため、
破損箇所があるとするなら接合箇所だろうと考えられていた。

しかし、X線写真によれば問題の「さや」の先端は途中のくびれ部分から完全に折損しており、
中の温度計は45°ほど折れ曲がった状態で管内にむき出しになっていた。

日本原子力研究所が調べたところ、ナトリウムの継続的な流れにより「さや」に振動が発生。
徐々に機械的強度が衰え、折損に至ったことがわかった。
この温度計は、東芝が受注、石川島播磨重工業が製作したもの[要出典]。

さらに、火災報知器が広範囲で発報した理由として、
ファン付き換気ダクトによって白煙の拡大を招いたことが明らかになった。

直径60cmのナトリウム管路の下方に、直径90cmの換気ダクトがある。
事故当時、換気ダクトのファンは作動したままになっていた。
原子炉停止後ナトリウムの抜き取り作業が進み、ナトリウムの液位が下がった事でようやく自動停止した。

管路周辺にスプレー状にナトリウムが散布されていた事も予測できぬ事態であった。
高速増殖炉では金属ナトリウムは加圧されていないため、
スプレー状に散布されるほどは勢いよく噴出しない。

しかも、問題の配管は全て保温材で覆われており、仮に管内が多少加圧されていても、
スプレー状の飛散には至らないはずである。

調査の結果、換気ダクトのファンに付着したナトリウムが遠心力で周囲に飛散していたことがわかった。

事故発生直後、運転員らはゆるやかな出力降下による原子炉停止を行っていたが、
これは運転マニュアルに違反した対応だった。
運転マニュアルには、火災警報が発報した場合は直ちに原子炉を「緊急停止」するように記載されていた。


停止後の経緯

2005年2月6日、西川一誠・福井県知事は、それまで留保していたもんじゅの改造工事を了承した。
これにより、「もんじゅ」の再稼動にひとつ道が開かれた形になる。
西川知事は、「これをもって運転再開を了承するものではない」としているが、反対派からは批判の声があがった。

2005年9月27日、フランスは日本に対し、もんじゅの共同利用を提案した。

2009年4月22日、運転再開を目指しているもんじゅで
ナトリウム漏れ検出器の取り付けミスなどのトラブルを多発していることに関して
日本原子力研究開発機構は、経済産業省の原子力安全・保安院小委員会に報告書を提出した。

2010年2月10日、原発に反対する市民団体や住民運動団体が、
日本原子力研究開発機構に対して「危険なもんじゅの運転再開はするな」
「万全な地震対策を」などを申し入れた。
また、関西電力や日本原子力発電に対しても耐震対策の確立などを申し入れた[15]。

その後2010年3月になって、
2003年から2008年までの5年間に亘り、日本原子力研究開発機構から業務を請け負う地元企業数社が、
河瀬一治・敦賀市長や、西川一誠・福井県知事のパーティー券を累計で、
河瀬市長から222万円、西川知事から130万円分、それぞれ購入していたことが発覚し[16][17]、
運転再開の判断を巡る公平性に疑問符が付けられかねない状況となった。


運転再開

再開は4回延期されたが、
経済産業省原子力安全・保安院と内閣府原子力安全委員会
2010年3月に安全性に「妥当」と判断、
2010年4月28日に福井県知事・西川一誠も運転再開を了承。
2010年5月6日に停止後から14年5ヶ月ぶりに運転を再開した。
5月8日には出力0.03%で核分裂反応が一定になる臨界に達した。
予定では、2011年度に出力40%に上げ、3段階で出力を引き上げる性能試験を3年間行うとされており、
発電は2011年5月ごろから開始し本格運転に入るのは2013年4月になる見込みであった[18]。

再開後も性能試験中に誤警報や故障などのトラブルが頻繁に起こっており、
またトラブルは大小問わず迅速に公表するように念を押されていたにも関わらず
初期には公表の遅れがあったり、
2010年5月10日には操作方法を熟知していない運転員による操作ミス
制御棒の挿入が中断する[19]人為的なトラブルも起こっている。

相次ぐ機器のトラブルや一部工程での当初計画より時間がかかり過ぎることなどに対応するため、
運転資格を持つ運転員の再教育や試験担当者の増員、「運転管理向上検討チーム」の設置が発表された[20]。


炉内中継装置落下事故
Gnome globe current event.svg
この項目は現在進行中の事象を扱っています。
記事の内容は最新の情報を反映していない可能性があります。

2010年8月26日、炉内中継装置(直径46cm、長さ12m、重さ3.3トン)がつり上げ作業中に落下する事故が起きて、
24回以上の対応策を実行するもののすべてが失敗し、いまだ解決することが出来ていない[21]。
炉内中継装置は燃料を燃料交換時に仮置きする金属製の筒で
原子炉容器にふたをしている鋼製の遮蔽プラグの穴を通して出し入れする。

装置は2本の筒を8本のピンで上下に接合した構造で下から約5メートルの部分に接合部がある。
この接合部あたりで抜けなくなっているという。
炉内はアルゴンガスや不透明なナトリウムに覆われており変形部分を直接見ることが出来ない。

日本原子力研究開発機構は2010年10月1日、
「落下による影響はない」と主張し装置の引き揚げ作業を続行した[22]。

しかし、10月13日までに24回行われた引き上げ作業は全て失敗。
事故現場は目視で調べることができないが、
落下の衝撃で装置が変形し、原子炉容器の穴に引っかかっているとみられ、
装置が原子炉容器から抜けない状態になっていることが判明した[23]。

長期にわたり原子炉の運転ができない可能性が出てきた[23]と報道される他、
「技術的常識に従えば本格運転も廃炉措置もできない」という主張も出されるなど[22]、
事故の収拾の見通しは立っていない。

2010年11月16日、ファイバースコープ及びCCDカメラで
2本の筒の接続部にギャップが発生し変形していることを確認した[24]。

2011年1月28日、落下した装置を引き抜くための追加工事や試験などの復旧作業に
約9億4千万円の費用がかかることがわかった[25]。
また、停止中も維持費に1日5500万円の国費がかかると報道されている[26]。

2011年2月14日、装置を現場で担当する燃料環境課長が敦賀市の山中で自殺し、遺体で発見された[27]。

次の策として、日本原子力研究開発機構は、落下した炉内中継装置を
燃料出入孔スリーブと一体で引き抜く保全計画策定と国の確認を受けて実施する予定である[28][29]。


MOX燃料の輸送

もんじゅの高速増殖炉に使用されるMOX燃料は、プルトニウムを含む核燃料である。
茨城県東海村にある日本原子力研究開発機構の東海研究開発センター核燃料サイクル工学研究所から出荷され、
常磐自動車道・首都高速道路・東名高速道路・名神高速道路・北陸自動車道を経て、福井県敦賀市のもんじゅまで、
日立物流のトラックで輸送される。

警備車両や警察車両が伴走するが、特別な交通規制はなく、
一般の乗用車やトラックとともに高速で走行する[30]。

輸送容器(MONJU-F型)は、9mからの落下衝撃に耐え、800℃30分の高温に耐えるものであるが、
実際の高速道路での事故の衝撃やトンネル火災の温度はそれ以上になることが心配されている[31]。

1994年度:5回 :MOX燃料集合体 120体
1993年度:4回 :MOX燃料集合体 85体
1995年度:2回 :MOX燃料集合体 48体[32]
2008年5月15日 - 16日:MOX燃料集合体 18体[33]
2008年7月17日 - 18日:MOX燃料集合体 14体[34]
2008年12月16日:MOX燃料集合体 6体[35]

その他情報

記念切手
郵政省は1994年5月24日に『高速増殖原子炉「もんじゅ」臨界記念』の記念切手を発行している。


脚注

1^ 動燃「高速増殖原型炉もんじゅ 設計・建設・試運転の軌跡」。動燃「『もんじゅ』建設のあゆみ」。
2^ 「もんじゅ」炉内中継装置落下関連情報
3^ 原子力災害に係る福井県の対応について|福井県 Fukui Prefectural Government
4^ 要請書
5^ 東日本大震災:福島第1原発事故 もんじゅ、非常時の検証を--文科省に県 /福井 - 毎日jp(毎日新聞)
6^ 槌田敦「日本核武装によるアジア核戦争の恐怖」、核開発に反対する物理研究者の会通信、第42号、2006年12月
7^ 『高速増殖炉もんじゅ』―巨大核技術の夢と現実 小林圭二 七つ森書館刊
8^ 鶴蒔靖夫『「もんじゅ」の読み方』IN通信社134-135頁
9^ a b 日本原子力研究開発機構「高速増殖原型炉もんじゅのナトリウム漏れ事故と原因究明のあらまし
10^ 日本原子力研究開発機構「「もんじゅ」事故と原因究明の現状
11^ NPJ動画ニュース第3回「動燃が隠そうとしたもんじゅナトリウム漏れ直後のビデオ」。
いわゆる「2時ビデオ」8分43秒。
12^ NPJ動画ニュース第5-1回「動燃がカットしたもんじゅナトリウム漏れ事故の映像~
いわゆる16時ビデオのオリジナルその1
」5分
13^ NPJ動画ニュース第5-2回「動燃がカットしたもんじゅナトリウム漏れ事故の映像~
いわゆる16時ビデオのオリジナルその2
」10分
14^ 47news.jp. “動燃把握時期も虚偽発表か もんじゅ事故ビデオ隠し”. 11 March 2009閲覧。
47news.jp. “うそ会見強要で自殺と提訴 動燃次長の遺族が賠償請求”. 11 March 2009閲覧。
wikileaks.org. “The Monju nuclear reactor leak”. 11 March 2009閲覧。
15もんじゅ反対派「再開もはや無駄」 2010年02月11日 asahi.com
16^ 福井・敦賀市長:「もんじゅ」下請けが“献金” パーティー券購入 毎日新聞 2010年3月3日
17^ もんじゅ:業務請負3社、知事側からもパーティー券購入 毎日新聞 2010年3月6日
18^ もんじゅ:運転再開 火災から14年ぶり毎日jp 2010年5月6日
19^ もんじゅ:再開1週間 原子力機構、トラブル続出 公表遅れ、体質変わらず‎毎日jp 2010年5月13日
20^ もんじゅ 試験運転体制見直し読売新聞 2010年5月24日
21^ 時事通信 燃料交換用のパイプ脱落=もんじゅ、回収作業へ-原子力機構 2010年8月26日
22^ a b 東京産業新聞 ガジェット通信 高速炉『もんじゅ』に出た“生殺し”死亡宣告
23^ a b もんじゅ:誤落下、中継装置抜けず 運転休止長期化も
24^ 高速増殖原型炉もんじゅの炉内中継装置落下に係る状況について:平成22年11月17日
25^ 「朝日新聞:もんじゅの装置落下復旧に9億4千万円
26^ もんじゅ再開、12年にずれ込む恐れ 存廃論議再燃か
27^ 「高速増殖炉もんじゅ課長が自殺 福井、事故の復旧を担当」共同通信
28^ http://www.meti.go.jp/committee/summary/0003809/028_s04_00.pdf
29^ 高速増殖原型炉もんじゅ炉内中継装置の復旧作業と性能試験工程について
30^ JANJANNEWS 「危険な高速増殖炉「もんじゅ」への核燃料輸送再開
丑三つ時の関東~中部の人口稠密地帯を縦走」(2008年5月22日)
31^ 原水禁「もんじゅ核燃料輸送」2008年05月16日
32^ 『動燃30年史』 5.5.3表 「常陽」「ふげん」「もんじゅ」燃料の年度別輸送実績
33^ 日本原子力研究開発機構「高速増殖原型炉もんじゅの新燃料(初装荷燃料)輸送について」(2008年5月16日)
34^ 日本原子力研究開発機構「高速増殖原型炉もんじゅの新燃料(初装荷燃料)輸送について」(2008年7月18日)
35^ 日本原子力研究開発機構「高速増殖原型炉もんじゅの新燃料(初装荷燃料)輸送について」(2008年12月16日)



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