fc2ブログ
08.09
Thu



acz7zl.png

↑ クリックすると
MBS(毎日放送)メールフォームが開きます。



2012年8月8日水曜日 
京都大学原子炉実験所助教 小出裕章先生に伺いました
Radio News「たねまきジャーナル」
MBSラジオ [MBS1179.com]





水野:
今日はまずですね福島第一原発事故直後の東京電力の社内のテレビ会議の模様、
その映像がごく一部ですけれども、また条件付きではありますが
公開されたということからお話を伺いたいと思います。
全部で150時間のうちのわずか1時間半しか公開されておりません。
一般にはですね。
いまのところ150時間というのは、報道関係者が一定の条件を元に見られる訳なんですが、
ただ、逆に言いますとこの1時間半の部分についてのみはですね、
どなたにでもインターネットを通じてみることができるという訳です。
それでわたくしも、見てみました。
小出先生もご覧いただいたお思うんですが、どんな印象を持たれましたか?

小出:
…一言で言えば、ま、当り前のことですけれども、
「大変な混乱状態だった」
東京電力という会社としては、
あんなことが起きるとはだれも思わないまま迎えてしまった出来事だった訳で、
何をどうしていいか分からない様なまま、事態がどんどん、どんどん進行していくというそのことが、
私としては改めて「ああ、こうだったんだな」と思いながら見ました。

水野:
ええ…これ特に音のない部分があるとは聞いていましたけれども、
私は所々音がないのかと思ったら、
いやいやもう逆に9割がた音がない、ほとんど音がないというものでしたね。

小出:はい。

水野:
あるいは「社員のプライバシーの保護」という言い方をしていますが、
顔等がぼかされていて、誰がそこでしゃべっているのか、あるいはピーピーッ!っていう音も
しょっちゅう入って来たように思います。
で、こうした中で、小出さんが事故の原因解明、あるいは責任の所在、
あるいは、被害が大きくなってしまったことはどうしてなのか?という事等を検証するうえで、
知りたいと思っていらっしゃったのは、本当はどういうところが見たいと思っていらっしゃいました?

小出:
私はもっと、事故が起きた3月11日当日の事をまずは知りたかったのですけれども、
その事はほとんどなかった・・

水野:ほとんどなかったです。

小出:はい、

水野:始まるのかな?と思ったら終わってしまいましたw

小出:はい。

水野:あっという間に。

小出:はい。
ですから私としては本当の一番大切なところは聞くことができません。

水野:
3月11日の地震、そして津波。
その時にどんな事になっていたか?というのを、
まずは小出さん、すぐのところをお知りになりたい。

小出:はい。

水野:これを、どうしてその部分が特に大事だと小出さんはお思いになるんでしょうか?

小出:
事故というのは一番初めが大切なんです。
もちろんみなさんだって分かってもらえると思いますけれども、
どんな機械だって事故は起こしますけれども、
起きた時が一番、事故というのは劇的に変化というか、事象が進行するのです。
ですからその時のことが一番大切なのであって、
何日も経ってからどう動いたという事は、
まぁむしろもう瑣末(さまつ:重要ではない)なことになってしまうのです。

水野:
小出先生は以前からですね、原発が津波だけでやられたのではなく、
地震の段階でもいろいろ不具合があったんじゃないかっていうふうにおっしゃっていますよね

小出:そうです

水野:そこのあたりの時間というのは、全くこれ、今回の公開の中では分かりませんね。

小出:
はい
残念ながら分かりませんし、今回はその、福島にしても東電にしても、
要するにお偉いさんが集まっているところの場所なんですね、出てくるのが。
でも、私が知りたいのはそうではなくて現場の事なのです。
現場がどうなって、現場の人達がどんな会話をしながら事故に対処をしていたのか?という事を
実は私は一番知りたくてですね、
今回のようなお偉いさん達の会話というのは正直言えばあんまり興味がないのです。

水野:
んー、なるほど、
近藤さんはどんな風にこれを考えていらっしゃいます?

近藤:
時間、場面も限定、おっしゃる通り声もとうらないという事になりますと、
その、東京電力はまさに事故を起こした張本人ですから、
僕はあの、普通の事故じゃないと思うんですね、これは。
要するに、国民、政権全ての人間が共有しなくちゃいけない事故だと思うんですよ。
そうすると、隠していい事など一つもないと思うんですよ。

水野:一つもないですよね。

近藤:
ええ、なおかつその真相に迫るものは進んで発表してこそ、公開してこそ正しい態度だと思うんで、
これはあの、いずれにしたって裁判で争ったって、
こんなものは「すぐ公開せよ」っていう事になるのは僕は当たり前だと思うんでね、
ま、そういう意味で限定されている、しかも、専門家の小出先生がおっしゃるように当初のもの、
これは夕方からでしたかね、11日の
そういうようなところが、専門家が「知りたい」というところを外しているっていうところがね、
なんなんだ?という、
ま、しかし今の政権はそういうのが多いですね。

水野:多いですねぇ

近藤:
肝心なことはなんか、いろんな出来事でもそうですが、
なにゆえか閉ざされているっていう気がします。

水野:
ええ、この1時間半の中で私のような素人が見ても気になったことはですね、
あの小出さん、現場の吉田所長と原子力委員会の斑目委員長の意見が食い違っている。
それで激しい応酬があった場面があるんですよね。

小出:はい。

水野:
これ2号機について3月14日の午後には、格納容器の圧力が高まったんですが、
そこでどう対処するかの判断を迫られた場面が映っています。
これ、圧力が高まる、格納容器の圧力が高まるっていうのは、
何を意味してたんですか?

小出:
原子炉の冷却ができませんし、内部から高温高圧の蒸気が噴き出してきていたのです。
そしてその高温高圧の蒸気は、私たちがサプレッションチェンバーと呼ぶ、
圧力抑制室というところで、蒸気を水に戻す筈だったんですが、
もうそれを戻す力も失ってしまいまして、
水自身がなくなってしまって、全部蒸気になってしまうというようなものすごく過酷な状況にあったのです。
それは、東京電力も予想していなかったような事態でしたし、
斑目さんにしても全く予想もしていなかった事態だったのです。
ですからなにがどう進行しているのかが分からない状態で、
とにかく福島の現場、吉田さんも含めて、
とにかく「何とか圧力を下げなければいけない」と彼らは苦闘していた訳ですし、
斑目さんの方は「とにかく原子炉を冷やさなければいけない」という、
ま、原則的な考えに取りつかれていたのですね。
そういうやりとりでどんどん時間が進行していく訳ですけれども、
私は本来であれば、
原子力安全委員会という組織にいた人たちが現場に行くべきだったと思います。

水野:
なるほど!
だから現場との温度差がずーっと並行してあるんですね。

小出:
そうです。
1979年にスリーマイル島の原子量発電所の事故が起きましたが、
その時には、現場に原子力規制委員会の人達が行って、そこで対処しました。

水野:行ったんですか!アメリカでは。

小出:はい。

水野:
はぁ~!なるほど。
今回はずーーーっと、もうテレビ会議で、

小出:
斑目さんは、そうです。
斑目さんは官邸に居座っているのですね。
で、他の安全委員の人がなにをしていたのか、一言も聞こえてこないという、そういう状態です。

水野:聞こえてこなかったですね。

小出:はい。

水野:
ふぅ~ん…で、結局
「斑目さんの言う通りにしろ」と東電の社長が言って、その命令にしたがって、
結果的にはうまくいかず、燃料露出のタイミングが早まったとも言われていますが、
じゃあどうすればよかったのか?
小出さんはどう思われます?

小出:
わかりません、
本当にその、私にしてもこんなことが起きるとは言いながらも、
時々刻々劇的に状況が変化していく訳で、
現場にいて、現場で頭を働かせながらとにかく対処するしかなかったと思うのですけれども、
そういう体制が全く無かったという事です。

水野:
そうですね、どなたも原子力委員会の方も現場に足を運ばないで、
あぁ・・・そう・・・
私たちは、私なんかはテレビ会議の枠にとらわれてしまっておりましたけれども、
逆にテレビ会議の中にとらわれる、その事自体が大きな大きなリスクであったという事ですね。

小出:そう思います。


ーーー

実際に150時間見ている野村元委員が公開映像を解説
(東京電力公開映像FNNより)





続きを読むに公開されたテレビ会議映像





1号機の水素爆発

3月12日
発電所の緊急対策室が揺れ、作業員がヘルメットをかぶっている。(音声なし)

1号機の海水注入の経緯

3月12日
吉田前所長が、官邸から海水注入中断の指示を受けて、裏の作業員に、「中断するな」などと指示をしている。
(音声なし)

3号機原子炉建屋で爆発発生

3号機原子炉建屋の爆発
3月14日
爆発音がして、吉田前所長が「大変だ! 3号機が水素爆発した」と本店に報告している。

2号機減圧操作のやり取り

2号機のSR弁(主蒸気逃がし弁)による減圧操作についてのやり取り
3月14日


「退避」に関わる発言

3月14日
19時28分ごろ
小森常務「退避基準の検討」
19時54分
高橋フェロー「全員が退避するのか」
20時15分
高橋フェロー「みんな、2Fのビジターホールに退避するんじゃないか」
清水社長「現時点で、まだ最終退避を決めているわけではないことを確認してください」

菅前首相が東電本店に

3月15日(音声なし)

4号機の爆発

3月15日
4号機の爆発時とみられる映像。菅前首相が小部屋に入っているところも。(音声なし)
関連記事
comment 3
コメント
67年前のまさにこの時間に長崎のまじめな勤労市民家族の頭上でプルトニウム原爆が炸裂したのである。

いま福一はじめ全国の原発で燃やされているMOX燃料保安院が「プルトくん」と呼ぶプルトニウム爆弾である。

菅内閣東電保安院霞ヶ関NHK記者クラブマスゴミ経団連は人殺しであり地球に対する最悪のテロリスト許されざる恥知らずである。
通りがけ | 2012.08.09 11:35 | 編集
このコメントは管理人のみ閲覧できます
| 2012.08.10 08:33 | 編集
たしかこの人、菅総理のヘリ視察に同行してたはず。
どうしてそのまま現場に留まらなかったんだろう。
ロッソ | 2012.08.10 10:25 | 編集
管理者にだけ表示を許可する
 
back-to-top