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08.13
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「原発事故で死んでない論」は許されない

東京新聞 こちら特報部 2012年8月12日


将来のエネルギー政策を決める政府の意見聴取会で先月、中部電力の社員が
「(福島原発事故で)放射能の直接的な影響で亡くなった人は一人もいない」と発言した。
この場に限らない。
最近、ちまたでよく耳にする「原発事故で死んだ人はいない」論。
そこでは避難を強いられた地域住民の苦しみは置き去りだ。
どうか思い出してほしい。原発事故がなかったら、死なずにすんだ人たちがいる。(中山洋子)


「原発事故の死者なし」に反論

「原発事故で誰も死んでないなんて、まるでうそ。姉の死は間違いなく原発事故のせいだ」

福島県南相馬市鹿島区の仮設住宅江井富美さん(71)が声を震わせた。

同市小高区で独り暮らしをしていた姉=享年(75)は、
震災発生から2週間後に自宅で病死しているのが見つかった

福島第一原発から約15キロ。
昨年3月12日に避難指示が出され、この日には親戚が電話で姉の無事を確認していた。
「市内のあちこちで断水していたが、近所でお水をもらっているようだった。
偶然電話がつながったのはその日だけ。その後は連絡が取れなくなった。
どこかに避難してくれていたらと願っていたのに…」

心配した親族が市に問い合わせ、25日に警察や市職員とともに自宅を訪ねると、
玄関近くに倒れて死亡していた。

「近くに『水をください』というメモがあったと聞いた。
立ち会った親族によると、発見の数日前の日付だった」

同じ小高区に住んでいた江井さんも、震災直後に心臓発作を起こしてしばらく動けなかった。

「同居の娘に『私を置いて逃げて』と本気で頼んだ」
14日になんとか家族で避難した。
混乱の中、連絡が取れない親族や友人については無事を祈るしかなかった。

江井さんは「姉を助けられなかったことを親族も親しい知人もずっと悔やんでいる」と話す。

今年4月まで警戒区域だった小高区では、上下水道の復旧が進んでいない。
江井さんの自宅もまだ水が使えず、一時帰宅する際にペットボトルは欠かせない。
姉の墓所は小高区にあり、納骨もまだできていない。

江井さんは生前の姉の姿をよく思い出す。
「健康に気をつけていて、私よりずっと元気だった。詩吟が好きでピアノも始めていた。
その姉がなぜ死ななければならなかったんでしょうか」

同県本宮市の仮設住宅に避難している浪江町の橘柳子さん(72)も、
中部電力社員の発言を伝えるテレビに向かって、
「何を分かってるっていうの」と思わず怒鳴った

津波に襲われた浪江町の沿岸部で、本格的な行方不明者の捜索が始まったのは
震災発生から約1ヵ月後の4月14日。
しかし、原発から10キロ圏内では、住民が立ち入ることはできなかった


津波だけなら救助もできた

「避難する直前、ガレキの山から『助けて』という声を聞いた住民もいる。
子どもや親と連絡が取れていなかったのに逃げるしかなかった住民もいる。
津波だけなら、救助できたかもしれない。それが本当に悔しい

軽視で風化あおるな
自殺も相次ぐ

原発事故発生に伴う避難の指示内容はくるくる変わった
昨年3月11日に「30キロ圏内」だった政府の避難指示は、
翌12日に「10キロ」「20キロ」と順次拡大した.
25日には30キロ圏内の自主避難も催促された。


そのたびに住民たちは避難場所の移動を強いられた。
4月22日からは、20キロ圏は「警戒区域」として立ち入りが制限された。

前出の橘さんは今年7月、母の大井トシノさん=享年(92)を亡くした。
ただ、震災死扱いはされていない。
認知症のトシノさんは震災当時、
約130人の入院患者と院長が取り残された双葉病院(同県大熊町)の系列の介護施設に入所していた。

避難は混乱を極め、10時間以上に及ぶ移動中や到着後にお年寄りが次々に死亡。
昨年3月中だけで、入院患者と施設入所者を合わせて50人が亡くなっている。

トシノさんの行方を捜していた家族は、しばらくして会津若松市の病院にいるのを見つけた。
それまでしゃんと背筋を伸ばしていた母は、
橘さんが再会したときは別人のようにやせ細り、ふらついていた。

橘さん夫婦も、避難先を10ヵ所も転々とした。
「母は説明できなかったが、どんなつらい目にあったのか。もっと長生きできたはず」
双葉病院のお年寄りたちも、原発事故がなければ死なずにすんだ人たちだ。

避難した住民たちを苦しめる「原発事故で死んだ人はいない」論には二重のごまかしがある。

低線量被ばくの健康リスクがある。
その実態はまだ明らかではない。
そして、事故により避難を強いられ、そのために亡くなった人々を無視していること。
被害を軽んじる議論がその風化をあおっている。

どれだけの人が犠牲になったのか。
明確な統計はないが、復興庁のまとめ(今年3月末)によると、
事故避難を含む避難生活などで病状が悪化したり、自殺に追い込まれた震災関連死は福島県で761人だった。

同庁による原因分析のサンプル調査では、
福島県に限ると、避難所などへの移動中の疲労による死亡が56%。
原発事故に伴う死者が「一人もいない」とはいえない。

ちなみに、今月10日時点での南相馬市の関連死は315人、
浪江町は163人、双葉町60人、大熊町38人、富岡町77人、楢葉町36人と続く。

この中には自殺も含まれる。
警察庁のデータを基にした内閣府の統計(今年6月末現在)では、
福島県は16人が命を絶っており、明確に原発事故が原因と遺書を残したケースもある。

このうち6人が今年に入ってからの自殺者で、
5月には浪江町の自宅に一時帰宅した60代の自営業者が町内で首をつって自殺した。

このほかに震災発生後もしばらく生存していた可能性のある死がある。
双葉町によると、震災で亡くなったことが明確な直接死の中に、
溺死や圧迫死だけではなく、避難区域内での衰弱死が一例含まれている。
富岡町も衰弱死のケースがあったことを認めている。

犠牲を生む回路はまだ絶たれていない。
仮設住宅には疲弊が蓄積している。
前出の橘さんはその心象風景をこう語った。

「帰れない、と泣く人も増えてきた。
ささやかな幸せや何気ない日常を奪われた喪失感が心に穴をあけている。
これが放射能汚染のせいでなければ何なのか」


<デスクメモ>
「8月ジャーナリズム」という業界用語がある。
平和、反戦、というテーマがいまごろになると強調されることを指す。
やや自嘲的な響きもある。
というのは、この時期以外はこのテーマに疎遠だからだ
福島原発事故から17ヵ月
「3月ジャーナリズム」を生んではいけない
厳しくいさめたいと思う(牧)


ーーー



「福島原発事故の放射能で直接的な影響で亡くなった人は一人もいない」
               ↓
エネルギー・環境の選択肢に関する意見聴取会
7/16[名古屋会場]中部電力社員の意見全文書き出し(動画あり)

中部電力社員:
昨年の福島事故でもそうだというふうに考えています。
えーー、放射能の直接的な影響で亡くなった方というのは、え、一人もいらっしゃいません。
それが、今後、5年10年経っても、この状況は変わらないというふうに考えています。


8月1日 福島県民の声を聴く会より

双葉郡富岡町(避難者)
「福島原発事故の放射能で直接的な影響で亡くなった人は一人もいない」という発言を
メディアで聞いて怒りを覚えたというのが一つのきっかけです。
私も原発事故の避難者の一人ですから、避難者の状況はよく分かっているつもりです。
どれほど多くの人が避難中に亡くなったか、避難後に亡くなったか、
そして今もバタバタと倒れて亡くなっているか・・・
本当にあんなに元気な人が、あんなに笑顔だった人が・・・という、
信じられないくらい多くの人が無くなったり、病に倒れたりしている情報を聞かされています。
本当に悲しい思いを日々しています。
そして、借り上げ住宅や仮設住宅、
そして一時帰宅の際でも将来を悲観して自ら命を絶つ人も後を絶ちません。
本当に、本来であれば失わなくても良かった命
もっともっと長く生きていけた命が失われているという事をまず申し上げたいと思います。


渡利在住
また、先の意見聴取会での
「福島原発事故で亡くなった人は一人もいなかった」などの発言の一つ一つが、
私たち福島県民を深く傷つけています。
希望を萎えさせています。
それは福島県民の思いや実態と全くかけ離れているからです。


福島市・小学校教員
名古屋市でのこの会の中で、「福島原発事故での直接的な影響で死亡した人はいない」という発言を聞き、
本当に福島県民の気持ち、そして原発事故で避難した人々の気持ちを
全く考えていない内容だなというふうに、本当に怒りを感じました。
双葉郡の沿岸では、
原発事故のために津波被害者を助けることができなかったと言われています。
病院からの搬送途中に亡くなった入院患者の方もいます。
そして避難生活を苦に自殺してしまった人もいるんです。
避難者が体調を崩し亡くなった例も数多くいると報告されていることは、
これらの亡くなった方達は原発事故で亡くなったことになるのではないですか!
本当にあの発言はきちんと謝罪してほしいというふうに考えているところです。
もう絶対に謝ってほしいなというふうに思います。


ーーー


原発施設の作業員は? 避難指示圏の避難民は?
福島ルポ  週刊朝日2011年4月29日号配信
<上記より一部転記>

◆半径キロ圏内の浪江町、放置された悲しき遺体◆


浪江町男性(40代)

浪江町の役場から2キロほど行けば、海に近いところになります。
こっそり一時帰宅してみたのですが、その光景はもう絶句でした。
あたり一面が津波にやられていて、見えるのは瓦礫(がれき)と大木、流された車ばかりでした。
子どものころからずっと育ってきたところで、慣れ親しみ遊んできたのどかな集落、漁村が跡形もない。
あまりに無残で涙も出ませんでした。

この付近は原発から直線なら10キロもない地域。
復興に向けた活動が、まったく手つかずの状態です。
瓦礫の中を進んでいくと、油のにおいがしたと思ったら、何か腐ったようなにおいもする。
人は一人もいない、異様な光景です。

動いているのが犬や鳥。
犬は人の気配を感じると、すごい勢いで迫ってくる。何頭も犬がいたところがありました。
見れば、何か赤いものをくわえている、肉片のようなものを。
人間の手のようなものも見えました。
しばらくすると、鳥がその肉片らしきものにたかっていた。
この地域は、かなりの行方不明者が出ています。
その方たちのだったらと一瞬、鳥を追い払おうと思いました。

しかし、放射能汚染のことが頭をよぎり、結局、何もできませんでした。

原発のほうからの潮風もきつい。
その潮風に放射能が含まれていたらと思うと、足がすくみました。
まさに地獄です。


◆大熊町の病院で遺体のまま3週間放置されていた父◆

富岡町・佐藤和彦さん(47歳)

87歳の父、久吾(きゅうご)は地震のあと大熊町の双葉病院に遺体のまま、3週間以上放置されていました。

3月11日の地震があった日の深夜、私は双葉病院のスタッフに父の無事を確認しました。
そうするうち、12日の朝には我々の住む富岡町にも避難指示が出たため、
私と妻は避難所を転々としながら親類のいる東京に避難しました。

その間、父の入院していた双葉病院の患者さんは大変な状況にあったのです。

《原発から20キロ圏内にあった双葉病院には339人の患者がいた。
地震発生後、寝たきりなど重篤な患者ら146人は取り残された。
14日から16日未明にかけて自衛隊などが救出したが、搬送中や搬送後に21人が亡くなっている。》
 
私は、患者が運ばれた県内の避難所で「行方不明」の父を捜し続けました。
双葉病院の院長がいる、いわき市の関連病院にも、福島県にも何度も父の所在を問い合わせましたが、
「わからない」という答えばかりでした。
おまけに福島県内ではガソリンが手に入らない。
そのため、東京で車に給油して福島県に車を走らせ、
双葉病院の患者が運ばれた避難所や亡くなった患者さんの遺体が安置された場所を訪ねては、
東京にトンボ返りという生活でした。

むごい事実を知らされたのは地震から3週間を過ぎた4月3日でした。
父はすでに亡くなっており、遺体は双葉病院に放置されたままだったというのです。

「6日に警察が病院に入り遺体を運ぶ」と、双葉病院側から連絡が入りました。

6日の夕方、私はようやく父と対面しました。
妻が差し入れたパジャマを着ていましたが、呼吸器をつけたまま亡くなったのか、
父の目と口はぽっかりと開いたままです。

双葉病院が出した死亡診断書によると、亡くなったのは3月14日の午前5時12分。
直接死因の欄に「肺癌(はいがん)」とだけ記されていました。
診断書から推測すると担当医が看取ったのでしょう。

《福島県の災害対策本部に常駐する陸上自衛隊などによると、
3月14、15日に3度にわたって救出作業をした。
146人の患者らが取り残されていたが、14日は病院にいたのは2人の医師と4人の職員のみ。
翌15日は、病院の関係者はだれもおらず、1人の自治体職員と1人の警察官、
そして約100人の患者たちだけだった。
空の点滴が体につながれたままの患者や、徘徊(はいかい)する患者がいるなど過酷な状況だった。
そして、陸自は名前を書いた紙とともに布に包まれた遺体を3体(その後もう1体)発見したという。》
 
地震のあと、混乱を極めていたであろう病院の中で息を引き取った父の死因が
本当に「肺癌」だったのかという疑念はあります。
でも、なぜ3週間も遺体が放置されたのか。
なぜ病院はもっと早く知らせてくれなかったのかと悔しさばかりがこみ上げます。

すべてに納得などしていませんが、遺体もだいぶ傷んでいたし、
ここで死因について調べようとしたら、葬ってあげることができない。
早く父を火葬してあげたいという気持ちを優先させただけ。
それでその日のうちに、双葉病院が作成した死亡診断書を受け取り、町役場に火葬の手続きを行いました。
そして、7日に火葬することができました。

父の遺骨は東京の住まいに持ち帰りました。
でも、2年前に亡くなった母の墓は富岡町にあるんですよ。
私たちも父も、いつ富岡町に戻れるのかわからない。
けれど、早く母の骨と一緒にしてあげたい。本当に、仲のいい夫婦でしたからね。










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こちら特報部517121

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comment 1
コメント
「原発事故による死者は一人もいない」発言は、
昨年の10月16日の福島原発事故収束宣言を行った時に
細野が記者会見で発言した事で神話となったのである。
その会見現場で細野は、「人殺し」と記者になじられた事があった。
「死者一人もいない宣言」は、その後政府により国家プロジェクトとして
推進された事は明らかな事実である。
未だに警察が死者が出ても死亡原因を追究しない異常事態。
放射線被爆で死んだ人は、ゼロでなければいけないし、
その事を調査追求すると命すら狙われかねない。

福島原発事故対応で最も重要視された点は、
放射線被爆死を全て隠蔽する事であった。
放射能被爆が原因で無くなった人々を司法解剖せずに、を政府や電力会社の
病死や自然死として処理する為には、特定の医師により死亡診断書を出させて
司法解剖せずに火葬する手続きであった。
その為には、突然死や原因が特定できない死亡に警察介入を許さない
特別な処置を行うシステムである。

福島医大の山下教授は、731石井部隊の残党により、国家挙げての
細菌兵器開発研究に携わった研究者の愛弟子である。
『悪魔の飽食』で暴かれた国家による大量無差別殺人プロジェクトの隠蔽工作に携わった人々によって
教育を受けた死神博士である。
中国人マルタを使った人体実験は、アメリカ軍によってその研究資料の全てを没収されることにより、
事実が不問に付されて、国家ぐるみで全ての証拠が隠蔽された。

その死神博士による福島原発事故「死者一人もいない神話」となって
死因を全て隠蔽して病死、自然死、一般の事故死として焼かれて
証拠隠滅されたのである。

事故当時の民主党政権は、原発事故対応で大きなミスを連発した。
その対応が後手ゴテにまわって、結果的に多くの人々を被爆させる事態を招いた。
その時にいち早く政府に働きかけた人物が山下教授なのである。
たぶん、放射線被爆死を一人も出さない、認めないとした考えは、
死神博士の提案だと思う。

山下教授が選出されて不思議な事に誰一人として放射線被爆死が疑われる事もなくなった。
刑事責任を問われることなく、政府は開き直ったように健康被害を軽視する発言を始めて
年間被爆量を操作したり、医学的な根拠を示さずに被爆死を隠蔽し続けた。
母乳から放射能が検出されても、子供の尿から検出されても
健康に影響するものではないと診断をくだして後遺症など一切ありえないと
一方的に診断をくだしてきたのではないか?

現在に至るまで福島第一原発事故での放射能事故の死者が一人も認められていない
その異常さは何故なのか?
それは、国家的なプロジェクトとして
原発事故による放射線被爆死をゼロにする取り組みが行われたからである。

今回の福島原発事故に限っては、放射線被爆が原因で死亡する事は絶対にありません。
この神話は、野田や細野が事故収束宣言の会見で早々と安全宣言を出した事につながる。
既に原発再稼動までの筋書きがあの時点で道筋が示されていたのであり、
野田政権による放射能悪魔の飽食宣言でもあったのかもしれない。

原発事故収束に当たった労働者の死亡診断書は司法解剖されること無く全て病死か自然死で片付けられ、
火葬されて証拠隠滅された事実を追及されても誰も納得のいく説明もしない。
警視庁の天下りが全て隠蔽しているのである。
つまり、殺人とも思える労働環境で日雇い労働を強制して使い捨てる有様は、一切公開せずに
必死の復旧作業に電力会社が取り組んでいるといった美しい話で誤魔化されるのである。

原発事故による死者一人もいない神話は、明らかに政府が山下教授を使って行った悪魔の飽食事件である。

全ての原発事故で亡くなった人々のご冥福をお祈りいたします。
特に放射線被爆が原因で亡くなった人々に対しては、気の毒でなりません。
広瀬さんの刑事告発によってその真相が明かされることを説に願います。
パラレル | 2012.08.13 11:57 | 編集
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