【ペイフォワード環境情報教室】
小出裕章先生 2012年11月8日
第7回目の今日は京都大学原子炉実験所の小出裕章せんせいをお迎えして、
住民運動についての歴史と、これからの私たちへのメッセージをお話しいただきました。
Sawada:
今日はですね、トピックとしましては、
今度の11月11日に日比谷公会堂の方で、また大きな反原発のデモが起きるというような形で、
私たちの住民活動、住民運動としてもですね、いろいろと動いてはいるんだけども、
結果としてですね、今、現状としましては、
大飯原発が再稼働したり、大間の建設再開が進められたりというような形でなかなか答えが出にくい。
これだけの事故があっても出にくいという事をうけてですね、
やっぱり、専門家である小出先生が過去にずっと活動されてきているという中で、
是非アドバイスを頂きたいというのが、今日の趣旨であるところではあるんですけれども、
どうですかね?
どうにか頑張りたいと思っているリスナーの方々は多いかと思うんですけれども、
どんなところをポイントとして私たちが団結してやっていけばいいというところでアドバイスを頂けますか?
小出裕章:
はい。
私自身は原子力の場にいる人間で、なんとか原子力というものに抵抗したいと思ってこれまで生きてきました。
ただ、残念ながら原子力の暴走を止めることができませんでしたし、
福島第一原子力発電所の事故を防ぐこともできませんでした。
そういう意味で言えば、「私の力は本当に無力だったんだなぁ」と思います。
ただ、こういう事はやっぱり歴史の中では何度も何度もあっただろうと思います。
たとえば、この日本という国は何十年か前は戦争をしていました。
大日本帝国という国があって、世界を相手に戦争をするという時代がかなり長く続きました。
その戦争を「何とか止めたい」と思った人ももちろんいましたが、
ほとんどの人がそういう事の発言すらできないまま、歴史が流れていきました。
戦争を始めた軍という中でも、
「この戦争は到底やるべきではない」
「これは負けるに決まっている」事を知った人だってたくさんいたのですが、
そういう人たちすらが声を上げることすらできないというなかで、
日本に住んでいる人、そしてアジアの人々は大変な苦難に突き落とされるということになってしまいました。
一つの大きな流れを作られてしまうと、それに抵抗することは容易でないという事は、
多分、多々あるのだと思います。
原子力というものも
「もうこれほど馬鹿げたものである」という事が広く分かってきていると私は思うのですけれども、
それでも一度作ってしまった流れを止めるということは容易なことではないということが、
今もまた現れているのだと思います。
ただ、私自身もそうですが、
原子力に抵抗をしたからといって、過去の戦争の時にそうであったように
投獄されたり、あるいは殺されたりというような状況では、今はないのです。
私自身は、自分のできることはやはりやり続けたいと思いますし、
皆さんもそれぞれに個性を輝かせて活動して下さる事で、
何とか、原子力の暴走というものを少しでも早く止めるべきだと私は思います。
Sawada:
そんな中で、過去の歴史を見てもですね、現在54基あると言われている原発ですが、
原発候補地にあがって、いろいろな電力会社からのですね、過疎地、もともとが過疎地であって、
そこに対する交付金だという形、もしくは地域の分断をまねいてでもですね、
いろんな形で の形であったんだけども、
地元住民がどうにか頑張って阻止してきたという歴史もありますよね。
小出裕章:
そうです。沢山あります。
今、福島第一原子力発電所で、ものすごい放射能汚染が起きていますが、
その放射能汚染を被った浪江町というところも、
かつて原子力発電所をつくられようとしたのですが、
住民が必死で抵抗してそれをとどめたという事がありました。
ただ残念ながら福島第一原子力発電所の事故に巻き込まれて、
せっかく自分たちのところでは阻止したのですけれども、汚染には巻きこまれてしまうという事になりました。
でもその他にも原子力発電所に狙われてそれを阻止したというところは、
日本中に沢山あります。
新潟県の巻町もそうでしたし、三重県の芦浜、
私の住んでいる大阪の近くでも、
紀伊半島では日高、日置川(ひきがわ)、古座、那智勝浦、熊野というところに
次々と原子力発電所が建てられようと計画されましたけれども、
全てそれを阻止するという歴史が続いています。
そういうのは若狭湾沿岸でもありますし、
中国地方でもありますし、
各地の住民が何とか抵抗して留めてきたというような、ながーい歴史はこれまでにも沢山存在しています。
Sawada:
その中で先生もサポートという形で入られることがあるかと思うんですけれども、
地域の住民がジョキョウ同士で分断を招くとかですね、
やはり過疎化が進んでいて、なかなか産業が無いというところでは厳しくて手が出してしまうとか、
なかなか辛い中で、でも成功しているところがあるのに学ぶというところでいると、
どんなところがポイントになってきて成功されたんでしょうね?
小出裕章:
それはやはり、自分たちの村、自分たちの町は自分たちで作るしかないという固い意志。
それだと私は思います。
え…私のところに一番近い原子力発電所の候補地は和歌山県の日高というところでした。
そこも原子力発電所の計画が持ち上がって、
関西電力が金をばらまきながら住民を次々と切り崩していったのですが、
最後の最後まで抵抗を続ける人達が崩れることなく残ったという事が、最後の勝敗を分けました。
どこの地域にももちろんそういう人達はいる訳ですけれども、
そういう人たちを孤立させないで、周辺からも支えていくという運動が、
やはりどこでも必要なんだと思います。
Sawada:
そういった中でもちろん住民の方は特別な知識を持って反対しているというよりは、
基本的には「その地域を守るんだ」という思いが一つあったかと思うんですけれども、
先生のような原子力の専門家の方もそうですし、
後また、医療的にですね、健康被害につながるんじゃないかと、
そういうふうな形で専門家を招くようなケースもあるかと思いますけれども、
そういった形で横との連携というのもすごく重要かと思うんですけれども、
そういった中で今後大きい意味で、多分日本を守るんだという意味で、
今多く活動している方、活動したいと思っている方がいらっしゃると思うんですけれども、
まずは知ることが重要ですし、
そういった方がそういう専門家の方とうまく連携を取るという事も一つ重要な点なんでしょうかね?
小出裕章:
そうですね、私は単に原子力の専門家にすぎません。
その私はもちろんみなさんに対して原子力に対する専門的な知識を出来る限り提供するというのが、
私の役割だと思いますけれども、
原子力の問題というのは、単に原子力発電所という機械のテクニカルな問題だけではないのです。
地域の問題であったりするわけですし、労働者の問題であったりもするわけですし、
もちろん健康の問題でもあったりする。
「私たちがどのような社会を作りたいのか」という、むしろ一番根本的にはそれがあるわけですから、
どなたにとっても「自分にとって本当に切実な問題」として関わってくる場所があると思います。
そういうところにお一人お一人が関わって下さって、
そしてそれが横に繋がっていくというやり方がいいのだと思います。
Sawada:
そういった中で、私どもはもう一年半を越えてですね、
あのー、意識ある人は「どうにかしよう」という思いはありながらも、なかなか結果が出ないと。
ま、そんなに簡単に結果が出るもんではないのかもしれないけれども、
そこに多分苛立ちもあるでしょうし、長く続けることの負担もあるでしょうけれども、
そういう意味で言うと、長く続けてこられた小出先生のご意見、アドバイスといった事で、
長く続けていく、もしくはマインドを維持していく。
そこにはどんな秘訣があるでしょうかね?
小出裕章:
ん…私の場合は別に何の秘訣もありません。
え、私は……ひとりの人間。
この地球上に生きている70億という人間のうちの一人の人間ですけれども、
他の誰でもない、私です。
え…全ての人間は違っている訳で、その人だけの命な訳です。
本当にその人のかけがえのない命。
私もそうですし、皆さんもそうな訳で、
「かけがえのない命を無駄にしたくない。自分らしく生きたい」という、
ただそれだけの思いで自分の思った事をこれまでやってきたという、それだけのことです。
Sawada:
そうですね、先生がそうおっしゃるとみんな「そうだな」と思いながら
なかなか、この長い間やることは本当に精神力が高いところにあるのかなと思いながら
感心されていると思うんですけれども、
そういった中で、私どももどんどん継続していくことがとても重要なんでしょうね。
小出裕章:
私などはずっと原子力の巨大な力と戦いながら来たのですけれども、
言ってみれば私の歴史は敗北の歴史でした。
次々と原子力発電所を建てられてきてしまいました。
…正直に言えば絶望しかけたことも何度もありますけれども、
そのたびに「絶望した時が最後の負けだ」と自分に言い聞かせながらきましたし、
「これからも決して絶望だけはしたくない」と思っています。
Sawada:
そうしますと、一つ二つ再稼動しても絶望しないと、
わたしもまだ、敗北の歴史という先生の長い歴史とは比較にならないほどのあれですけれども、
まだまだ絶望している場合じゃないというとこなんでしょうかね。
小出裕章:とおもいます。
Sawada:
そうですか、ありがとうございます。
これからも先生の言葉を力に変えて私どもも頑張っていきたいと思いますので、
また今後もよろしくお願いします。
小出裕章先生 2012年11月8日
第7回目の今日は京都大学原子炉実験所の小出裕章せんせいをお迎えして、
住民運動についての歴史と、これからの私たちへのメッセージをお話しいただきました。
Sawada:
今日はですね、トピックとしましては、
今度の11月11日に日比谷公会堂の方で、また大きな反原発のデモが起きるというような形で、
私たちの住民活動、住民運動としてもですね、いろいろと動いてはいるんだけども、
結果としてですね、今、現状としましては、
大飯原発が再稼働したり、大間の建設再開が進められたりというような形でなかなか答えが出にくい。
これだけの事故があっても出にくいという事をうけてですね、
やっぱり、専門家である小出先生が過去にずっと活動されてきているという中で、
是非アドバイスを頂きたいというのが、今日の趣旨であるところではあるんですけれども、
どうですかね?
どうにか頑張りたいと思っているリスナーの方々は多いかと思うんですけれども、
どんなところをポイントとして私たちが団結してやっていけばいいというところでアドバイスを頂けますか?
小出裕章:
はい。
私自身は原子力の場にいる人間で、なんとか原子力というものに抵抗したいと思ってこれまで生きてきました。
ただ、残念ながら原子力の暴走を止めることができませんでしたし、
福島第一原子力発電所の事故を防ぐこともできませんでした。
そういう意味で言えば、「私の力は本当に無力だったんだなぁ」と思います。
ただ、こういう事はやっぱり歴史の中では何度も何度もあっただろうと思います。
たとえば、この日本という国は何十年か前は戦争をしていました。
大日本帝国という国があって、世界を相手に戦争をするという時代がかなり長く続きました。
その戦争を「何とか止めたい」と思った人ももちろんいましたが、
ほとんどの人がそういう事の発言すらできないまま、歴史が流れていきました。
戦争を始めた軍という中でも、
「この戦争は到底やるべきではない」
「これは負けるに決まっている」事を知った人だってたくさんいたのですが、
そういう人たちすらが声を上げることすらできないというなかで、
日本に住んでいる人、そしてアジアの人々は大変な苦難に突き落とされるということになってしまいました。
一つの大きな流れを作られてしまうと、それに抵抗することは容易でないという事は、
多分、多々あるのだと思います。
原子力というものも
「もうこれほど馬鹿げたものである」という事が広く分かってきていると私は思うのですけれども、
それでも一度作ってしまった流れを止めるということは容易なことではないということが、
今もまた現れているのだと思います。
ただ、私自身もそうですが、
原子力に抵抗をしたからといって、過去の戦争の時にそうであったように
投獄されたり、あるいは殺されたりというような状況では、今はないのです。
私自身は、自分のできることはやはりやり続けたいと思いますし、
皆さんもそれぞれに個性を輝かせて活動して下さる事で、
何とか、原子力の暴走というものを少しでも早く止めるべきだと私は思います。
Sawada:
そんな中で、過去の歴史を見てもですね、現在54基あると言われている原発ですが、
原発候補地にあがって、いろいろな電力会社からのですね、過疎地、もともとが過疎地であって、
そこに対する交付金だという形、もしくは地域の分断をまねいてでもですね、
いろんな形で の形であったんだけども、
地元住民がどうにか頑張って阻止してきたという歴史もありますよね。
小出裕章:
そうです。沢山あります。
今、福島第一原子力発電所で、ものすごい放射能汚染が起きていますが、
その放射能汚染を被った浪江町というところも、
かつて原子力発電所をつくられようとしたのですが、
住民が必死で抵抗してそれをとどめたという事がありました。
ただ残念ながら福島第一原子力発電所の事故に巻き込まれて、
せっかく自分たちのところでは阻止したのですけれども、汚染には巻きこまれてしまうという事になりました。
でもその他にも原子力発電所に狙われてそれを阻止したというところは、
日本中に沢山あります。
新潟県の巻町もそうでしたし、三重県の芦浜、
私の住んでいる大阪の近くでも、
紀伊半島では日高、日置川(ひきがわ)、古座、那智勝浦、熊野というところに
次々と原子力発電所が建てられようと計画されましたけれども、
全てそれを阻止するという歴史が続いています。
そういうのは若狭湾沿岸でもありますし、
中国地方でもありますし、
各地の住民が何とか抵抗して留めてきたというような、ながーい歴史はこれまでにも沢山存在しています。
Sawada:
その中で先生もサポートという形で入られることがあるかと思うんですけれども、
地域の住民がジョキョウ同士で分断を招くとかですね、
やはり過疎化が進んでいて、なかなか産業が無いというところでは厳しくて手が出してしまうとか、
なかなか辛い中で、でも成功しているところがあるのに学ぶというところでいると、
どんなところがポイントになってきて成功されたんでしょうね?
小出裕章:
それはやはり、自分たちの村、自分たちの町は自分たちで作るしかないという固い意志。
それだと私は思います。
え…私のところに一番近い原子力発電所の候補地は和歌山県の日高というところでした。
そこも原子力発電所の計画が持ち上がって、
関西電力が金をばらまきながら住民を次々と切り崩していったのですが、
最後の最後まで抵抗を続ける人達が崩れることなく残ったという事が、最後の勝敗を分けました。
どこの地域にももちろんそういう人達はいる訳ですけれども、
そういう人たちを孤立させないで、周辺からも支えていくという運動が、
やはりどこでも必要なんだと思います。
Sawada:
そういった中でもちろん住民の方は特別な知識を持って反対しているというよりは、
基本的には「その地域を守るんだ」という思いが一つあったかと思うんですけれども、
先生のような原子力の専門家の方もそうですし、
後また、医療的にですね、健康被害につながるんじゃないかと、
そういうふうな形で専門家を招くようなケースもあるかと思いますけれども、
そういった形で横との連携というのもすごく重要かと思うんですけれども、
そういった中で今後大きい意味で、多分日本を守るんだという意味で、
今多く活動している方、活動したいと思っている方がいらっしゃると思うんですけれども、
まずは知ることが重要ですし、
そういった方がそういう専門家の方とうまく連携を取るという事も一つ重要な点なんでしょうかね?
小出裕章:
そうですね、私は単に原子力の専門家にすぎません。
その私はもちろんみなさんに対して原子力に対する専門的な知識を出来る限り提供するというのが、
私の役割だと思いますけれども、
原子力の問題というのは、単に原子力発電所という機械のテクニカルな問題だけではないのです。
地域の問題であったりするわけですし、労働者の問題であったりもするわけですし、
もちろん健康の問題でもあったりする。
「私たちがどのような社会を作りたいのか」という、むしろ一番根本的にはそれがあるわけですから、
どなたにとっても「自分にとって本当に切実な問題」として関わってくる場所があると思います。
そういうところにお一人お一人が関わって下さって、
そしてそれが横に繋がっていくというやり方がいいのだと思います。
Sawada:
そういった中で、私どもはもう一年半を越えてですね、
あのー、意識ある人は「どうにかしよう」という思いはありながらも、なかなか結果が出ないと。
ま、そんなに簡単に結果が出るもんではないのかもしれないけれども、
そこに多分苛立ちもあるでしょうし、長く続けることの負担もあるでしょうけれども、
そういう意味で言うと、長く続けてこられた小出先生のご意見、アドバイスといった事で、
長く続けていく、もしくはマインドを維持していく。
そこにはどんな秘訣があるでしょうかね?
小出裕章:
ん…私の場合は別に何の秘訣もありません。
え、私は……ひとりの人間。
この地球上に生きている70億という人間のうちの一人の人間ですけれども、
他の誰でもない、私です。
え…全ての人間は違っている訳で、その人だけの命な訳です。
本当にその人のかけがえのない命。
私もそうですし、皆さんもそうな訳で、
「かけがえのない命を無駄にしたくない。自分らしく生きたい」という、
ただそれだけの思いで自分の思った事をこれまでやってきたという、それだけのことです。
Sawada:
そうですね、先生がそうおっしゃるとみんな「そうだな」と思いながら
なかなか、この長い間やることは本当に精神力が高いところにあるのかなと思いながら
感心されていると思うんですけれども、
そういった中で、私どももどんどん継続していくことがとても重要なんでしょうね。
小出裕章:
私などはずっと原子力の巨大な力と戦いながら来たのですけれども、
言ってみれば私の歴史は敗北の歴史でした。
次々と原子力発電所を建てられてきてしまいました。
…正直に言えば絶望しかけたことも何度もありますけれども、
そのたびに「絶望した時が最後の負けだ」と自分に言い聞かせながらきましたし、
「これからも決して絶望だけはしたくない」と思っています。
Sawada:
そうしますと、一つ二つ再稼動しても絶望しないと、
わたしもまだ、敗北の歴史という先生の長い歴史とは比較にならないほどのあれですけれども、
まだまだ絶望している場合じゃないというとこなんでしょうかね。
小出裕章:とおもいます。
Sawada:
そうですか、ありがとうございます。
これからも先生の言葉を力に変えて私どもも頑張っていきたいと思いますので、
また今後もよろしくお願いします。
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コメント
ブログもの凄いまとめようですね
応援してます
日本人って平和ボケまみれ違いますか? テレビのせいかな
親戚とか自分も体調不良増えてきた ストレスって良くゆわれるけどストレスやったとしても原発のせいやん思う
後二年ぐらいで誰でも分かるくらい被害出てくる思てます 今でも調べたら悪い情報ばかり
原爆とかチェルノ浴びてるから耐性出来たりするんかな?
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チェルノより酷い事になりそうですか?
個人的な意見聞かせて下さい


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個人的な意見聞かせて下さい
コメントしたらダメだったら消して下さい | 2012.11.09 16:45 | 編集
沖田艦長の冥王星の戦いで惨敗し、もはや地球に落ちて行く遊星爆弾を止める力はない、だがたとえ最後の一人になろうと、わしは決して絶望しない!と言ったのを彷彿させます。
書き起こしてくれてありがとう! 参考になります。
ながお | 2012.11.10 18:50 | 編集
そうですね。絶望してる場合じゃないですね
いい書きお越し、いいまとめ、いつもありがとうございます!
いい書きお越し、いいまとめ、いつもありがとうございます!
らう | 2012.11.11 14:32 | 編集