雨宮処凛さんと宇都宮健児さんのトークを聞いていたら、
宇都宮さんのものすごく優しいお顔の中に、とても強い闘志が見えました。
外見の穏やかさの中に本当の強さがある方だと思いました。
全部いいけど、トークお勧めです(。◡ .◕)♡
東京を変えるキックオフ集会
宇都宮けんじさんとともに人にやさしい東京を!
2012年11月14日(水)
人にやさしい東京をつくる会代表
弁護士 中山武敏さん

中山でございます。
人にやさしい東京をつくる会が造られた経過なんですけれども、
ご承知のように石原前都知事がですね、突然の辞任表明をしまして、
宇都宮健児さんとか、親しい人が何人か集まって、
まず13年の石原都政の評価、そして石原都政の継続を許さないと
そういう声明を出そうという事で声明を出したわけです。
それを受けて、今日のチラシに書いてありますけれど、東京を変える4つの柱ですね。
一つは、原発の無い社会
それから、誰もが人らしく生きる街作り
そして子どもたちのための教育を再建する
憲法の生きる東京を目指そうということで、
所属とか立場を越えて「優しい東京を作る」その一点で集まろうという事で出来た会です。
そして昨日、事務局の責任者の方と、私と一緒に東京に行きまして、
私を代表者とする政治団体の届け出をして、受理されました。
今後は多くの都民の方に参加を呼び掛けて、
そして相談をしながら、中身を作っていこうと思っています。
今日は宇都宮健児さんとともに、やさしい東京を作る会の集まりですけれども、
宇都宮健児さんとは、私は最高裁の地方研修所で同期だったんですね。
そして弁護士になって41年になりますけれども、
身近なところで彼と行動をして来て、
彼は本当に、人と人との優しさ、人と人との温かさを持っている人柄で、
で、彼を最も信頼できるのは、言葉と行動とが一致していて、裏表がないんですね。
そして彼が取り組んでいる多重債務問題とか、貧困問題とか原発問題、
これは全てですね、ヒューマニズムに基づいた行動なんですね。
彼は司法シュウスウ専属から一貫して無党派です。
そして多くの人達の信頼を得た超党派でもある。
だから、本当にですね、宇都宮さんと一緒に今日集まった人達は、
心を一つにして優しい東京を作りたいと、
平和とか人権はそこにあるものではなくて、
私たち市民の行動一人一人で作りだすものだと思うんですね。
本当に、東京を変えて、日本を変えて、
新しい歴史をつくりだす大きなうねりをみなさんと一緒に頑張っていきましょう。
よろしくお願いいたします。
06:05
06:55~17:38松元ヒロさん

今日はようこそ私のために
違いますよ、私も宇都宮健児さんのために参りました。
松元ヒロと申します。
知らない人以外はみんな知っていると思います。
普段はテレビとかほとんどというか、全く出ません。
私がやるネタはテレビにふさわしくないらしくて、
でも最近テレビでみれないネタが見れるという事で、テレビ局の人が見に来るようになりました。
来月もそこの小ホールでやりますからね、
この間なんか紀伊国屋ホールでやったら3つのテレビ局の人が見に来ましてね、
見終わった後、楽屋に飛び込んできましてね、
「や―松元さん面白い。絶対出せない」そういうヤツでございます。
昨日、前都知事の石原さんが新党の名前を決めました。
「太陽の党」笑ってやって下さい。
あんまり近くにあると火傷をしますから、なるべく離しておきましょう。なるべく離して。
あの党はもともと「立ち上がれニッポン」、これをまた吸収してやるらしいです。
「立ち上がれニッポン」というのを命名したのも石原慎太郎さんなんですよね。
石原さんぐらいでしょ、ニッポンに命令ができるのは。
「立ち上がれニッポン!」自分は座ったまま、「立ち上がれニッポン!」
お前が立て!
ありがとうございます。
私はとにかく石原さんが大嫌いなんでございます。
ー拍手=
あ、ありがとうございます。
ワー、一緒じゃないですか。
こういうところも珍しいですよ。
実は私は立川談志師匠にかわいがってもらっていましてね、
立川談志が最も愛した芸人と言われてお別れ会に行ってきました。
最初に弔辞を読んだのが石原慎太郎さんでした。
最後にステージで芸をやったのが私です。
あの人に言わせたら右で始まって左で終わったと言われています。
私はもう大嫌いなんで、石原さんはとにかく差別するじゃないですか。
あの、「外国の人は」差別発言ですよ、もう。
中国いが大嫌いだから「シナ」としか言いません。
北朝鮮の人に失礼な「キタ」って言うんですよ。
女性にも前ひどい事を言いました。「ババァ死ね」とか言ったんですよ。
私が言ったんじゃないですよ、石原さんが言ったんですよ。
石原さんってどうしてあんなに差別的な発言ができるのか、その理由を知っていますか?
それはね、私は多分あの人の目にあると思います。
あの日といつも目をこうやっています。
普通の人の半分しか現実を見ていないんです。
だから平気で言えるんです。
やっぱり人にやさしい人じゃないとまずいですよ、本当に。
大体私はですね脱原発なんですよ。あの人は原発推進派ですよ、石原さんなんか。
とんでもないですよ。
私は今脱原発で、もう今とにかくデモが大好きなんですよ。
★書き出していたけど、ここから先は、文字に書いちゃったら面白くなくなっちゃうので
実際にご覧くださいw
最後の盛り上がり!最高です!!(* >ω<)=3 プー★
17:40頃~宇都宮健児さん

みなさんこんばんは。
ご紹介いただきました宇都宮健児といいます。
今、司会者からご紹介がありました通り、先週の金曜日に都知事選に出馬表明をしました。
私の言いたい事は、松元ヒロさんが十分にお話ししていただいたようですけれど、
あらためてご挨拶と私の思いを話させていただきます。
まず、私自身は今日お集まりの市民のみなさん、都民のみなさんと一緒になって、
石原都政を変える運動・闘いに参加できることを大変うれしく思っております。
私は大きな組織もありませんし、
それから反貧困問題・貧困問題に取り組んできた弁護士ですので、あまりお金もありません。
市民のみなさんの一人一人の支え、協力を無くしてこの都知事選はたたかえません。
しかしながら、この都知事選を市民のみなさんとたたかうことは、
私は東京に新しい民主主義を取り返す運動だと思っております。
ぜひみなさんと一緒になって、石原都政を転換し、東京に民主主義を取り戻したい。
そういう思いで出馬を決意しました。
出馬を決意してから初めての日曜日、11月11日、反原発の官邸前行動。
国会議事堂包囲の運動に私も参加しました。
私は官邸前行動の「みまもり隊」弁護士みまもり隊の一員ですけれど、
当日は支援者、ボランティアの皆さんと一緒になって、
官邸前行動に参加した皆さんに挨拶をしてまいりました。
多くのみなさんから激励を頂きました。
「がんばって下さい」という声を沢山いただきました。
ただそれよりも多かったのは、
「出馬してくれてありがとう」こういう声が沢山、多かった。
私自身はその声を聞きながら、本当に胸がいっぱいになりました。
こういう人たちの一人一人の思いを受けて戦わなきゃいけない。
脱原発の東京都をつくらなきゃいけない。
そういう思いが一層強くなりました。
そして、雨の中ではありましたけれど、
原発の無い東京をつくることは原発の無い日本をつくることに繋がるんだと、
そして原発の無い日本をつくることは、原発の無い世界をつくることに繋がるんだと、
こういう訴えをさせていただきました。
そして、原発の無い東京、原発の無い日本は、
人にやさしい、環境に優しい東京になると思っております。
私は2010年の4月から、2012年、今年の5月まで日弁連会長を務めておりました。
日弁連会長時代に、東日本大震災と福島原発事故に遭遇しまして、
弁護士会あげて被災者の支援原発事故の被害者の支援に当たってまいりました。
私の片腕となって頑張ってくれたのが、事務総長として活躍した海渡雄一弁護士です。
彼は原発問題の専門家でありましたので、日弁連として的確な方針を出したと思っております。
私は脱原発の運動は福島の被災者への支援、
福島の被災者の被害実態としっかり向かい合いながら進めなきゃいけない、そういうふうに考えております。
私が被災者のおかれている状況に深く印象に残った被災者の事をちょっとご紹介いたします。
それは大熊町で司法書士さんをやっている女性の書士さんから聞いた話です。
彼女の依頼者は多くが、小さな子どもさんがいる方は、お母さんが子どもさんと一緒に県外へ避難して、
お父さんは職場と一緒に避難する。
おじいさんおばあさんは行政の避難先に避難する。
こういう家族がバラバラになるケースが沢山見られる。
そして高齢者の方は、環境の違うところに引っ越す中で、会うたびに身体を弱くしている。
こういう事を聞きました。
その中で彼女が語った老夫婦の話が大変心に残りました。
それはおじいさんが大熊町にある双葉病院に入院されてたんですけど、
原発事故の直後におじいさんは病院ごと神奈川の病院に引っ越されたそうです。
そしておばあさん方は行政、大熊町の引っ越し先、会津若松の温泉旅館の一室に避難されたと。
ところが、おじいさんは神奈川の病院で直後に亡くなられたんですけど、
この、自分の配偶者が亡くなられたことをおばあさんは全く知らされなかった。
何日もたって、やっとおばあさんのところに、ご主人が亡くなられたという事が伝わったという事です。
そしておばあさんは神奈川まで行って、遺体と対面して、
そして見ず知らずの街で夫を火葬にして、遺骨を温泉旅館に持ち帰ったという事なんです。
ところが温泉旅館では、お客さんが出入りしていますのでお線香をたくことができない。
それから遺影を飾ろうにも写真を持ってこれないから遺影も飾れない。
そういう状況の中で、小さな温泉旅館の一室で、ご主人の遺骨を眺めながらですね、
2ヶ月も暮らしていた。
こういうおばあさんがいたんだという事をその女性の司法書士から聞きました。
私は原発事故はなんて惨たらしいんだろう。
こういう高齢者になんと惨たらしい事を強いるんだろう。
大変憤りが湧きました。
そして、このような被災者を全力を挙げて救済しなくてはいけないという事で、
日弁連の会長として頑張ってまいりました。
その中で日弁連は原発事故被害者の特別援護法というのを提案しまして、
「原発事故の被害については国が人道的責任を負うべきだ」と
「国が全ての被災者に対して、健康診断、医療支援、生活支援を行うべきである」
そしてその支援は自ら避難した人、あるいは避難しなかった人、
それぞれについて区別してはならない。
避難するかどうかは自己決定権があるんだと、そういう人に対して平等に国は支援するべきだと、
こういう提案をしまして、子ども被災者支援法という形で結実しております。
ところで、東京都の原発政策ですけれど、
福島の原発で発電された最大の消費地が東京都であります。
そしてまた、東京電力の大株主が東京都であります。
こういう事からしますと、東京都や東京都民は、
福島原発事故の被害者を全力を挙げて支援する責務があると私は考えております。
そしてまた、二度とこういう原発事故を起こしてはならない。
そのために東京都は脱原発の政策を取らなきゃいけない。こういうふうに考えております。
続いて私自身は貧困問題に取り組んできた弁護士ですので、
どうしても石原都政の福祉の切り捨て、弱者の切り捨てが許すことができません。
石原さんは都知事になった時に、何が無駄か?といって、「まず福祉だ」ということで、
福祉の切り捨て、弱者の切り捨てを行ってまいりました。
僅か年間予算60万円の盲導犬のえさ代補助まで削減したそうです。
この結果東京都には貧困と格差が広がってきております。
就学援助児童。
この14年間で1.5倍に膨れ上がったそうです。
東京都の就学援助の受給率、これは全国の47都道府県で5番目に高いという事であります。
そして一番高いのは何と大阪府であるということであります。
労働者の最低賃金、いまだに6都道府県が生活保護水準以下であります。
東京都も生活保護水準以下の最低賃金しか支給されておりません。
それから今年になって、立川や足立区で孤独しや餓死が多発しております。
また、2009年に発生した、群馬の高齢者施設たまゆら荘の火災事故では
10人の方が亡くなられれましたけれど、このうち9人が東京都民であったということであります。
特養老人ホームの待機者が、4万3000人を超えている。
あるいは保育所の待機児童も急増して
2007年の4600人から2010年の8400人に急増している。
石原都政は大規模開発、世界都市構想で世界一の都市をつくるんだと、
こういう事で大規模開発をやってきましたけれど、
実は、貧困と格差を拡大した、そういう都政でもあったわけです。
まさに人にやさしくない都政であったわけです。
これを大きく転換する必要があると考えております。
次に見過ごすことができないのが教育現場の問題です。
君が代・日の丸この強制によって、教師に対する管理統制が強化されております。
君が代・日の丸の強制は憲法19条「思想良心の自由」に反する憲法違反の行為であります。
私は教員に対する強制、それから管理統制の強化は
子どもにも悪影響を与えているというふうに考えております。
実は一番の被害すあは子どもではないかと考えております。
自由に自分の頭でものを考え、そして議論し、そして合意を作り上げていく。
こういう民主主義社会の後継者をつくる事が、教育の最大の役割ですけれど、
こういう事が管理強制が強化されている今の現状では行われていません。
そして学力競争をあおって、子どもの中でストレスがたまってきております。
こういう事からいじめや校内暴力不登校、こういう問題が起こっているんではないかと思っております。
私は、いじめの無い学校を取り戻すために、全力を挙げたいと思っております。
そして、なんと言っても私は法律家ですから、
憲法が守られる、憲法を守っていく東京をつくっていきたい。
平和と人権が守られる東京をつくっていきたい。
尖閣列島の問題で日中関係が悪化して、経済も停滞しております。
さらにこの中で偏狭なナショナリズム、
国家主義が台頭して憲法改正、
集団的自衛権の行使の容認、
こういう政治勢力が台頭しておりますけれど、
私は憲法の国民主権、基本的人権の尊重、恒久平和主義
こういう基本原理をしっかりと守る東京をつくっていきたい。
そして東京が平和のメッセージを出すことは、
実はアジア諸国と良好な関係を作り上げる。そういうことにつながると思っております。
まず皆さんと一緒に東京から憲法が守られる、平和な日本をつくっていきたいと思っています。
どうかご支援をよろしくお願いします。
33:50
34:15~雨宮処凛(かりん)さん

雨宮:
すごい!こんなに人が。どうしますか?
もう、勝ったも同然、そんなこと言っちゃいけないんですよね、何かいろいろNGワードがあるので、
あのね、この言葉は言っちゃいけませんよとかいろいろ言われたので。
気をつけながらいろいろとインタビューしたいと思います。
雨宮処凛です。よろしくお願いいたします。
今日のマガジンQに書いたんですけれども、今日更新された、
「宇都宮さんと言えばあんパンと牛乳」という原稿を今日書いたんですね。
で、私多分5年ほど前に反貧困ネットワークの準備会とかをいろいろとやり始めた頃に、
初めて宇都宮先生とお会いして、
もちろん多重債務問題をやっている弱者の味方の弁護士さんという事で知ってたんですけれども、
初めてお会いする時にちょっと会議室にきてすごい有名人の弁護士さんが来たと思ったら、
コンビニの袋からあんパンと牛乳を出して、で、食べ初めて。
すごいビックリして、
だから超庶民の味方とか言っている偉い人っていっぱい居るじゃないですか。
でも、そういう人って多分、あんパンとか牛乳って持ってこないとか、
石原は絶対あんパン、買わないですんよね、コンビニで。
それを見てすごい感動して、
それから会議に5割ぐらいの確率であんパンと牛乳を持ってくるというのを見ていて、
そんな5年間を過ごして、粒あんとこしあんとどっちが好きですか?
粒あんとこしあんとあんまんの中では
宇都宮:こしあんのほうがいいです。
雨宮:
あ、こしあん!そんな、すみませんいきなり。そういう第一印象だったんですけれども、
今日お話しされていましたけれども、本当に大きな決断をされて、
みなさんから「ありがとう」という声を貰ったというのを聞いて、すごく私は感動しました。
何か補足することがあれば、
こういう意味で出馬をしたんだという事で、補足することとかあります?
宇都宮:
そうですね、あの、他にですね、石原が退陣した時は、
もっとふさわしい人がいるんではないかとも思っていたんですけど、
雨宮:
呼び捨てですね、いいのかな?
私は呼び捨てにしてもいいけど多分宇都宮さんは呼び捨てにしない方がww
なーんとなくイメージ的にいいんじゃないかなぁとおもいましたね。
宇都宮:
2年前に私、市民グループから声をかけられた事がございまして、
その時は日弁連の会長に立候補することになったんですけれど、
そちらの方が自分としてはまだ対応できるかなと思ったんですけど、会長を終えてですね、
特に貧困問題をやっている中で、東京都で、こういう大都市の中で、
もっと財政が豊かなのに、やれることが沢山あるのに
やっていないという事がかなり問題だと思っていたんですけど、
その後原発事故が起こったでしょ。
だからこれはちょっと、しかも東京は大消費地でですね、電力の。
その東京から脱原発を言わなきゃですね、どうなるんだ。という事で、
そういう思いを持った候補者が立つべきだということは私は石原が辞めたその日に思ったんですけど、
ただ、誰もいなければですね、まぁちょっと、最終的には私自身も決断をしなきゃいけないかな。
ということは、もうその段階で考えてはいたんですね。
雨宮:脱原発に関する宇都宮さんの思いをもうちょっと詳しく聞きたいんですけど、
宇都宮:
実はですね、原子力政策の転換については、日弁連という弁護士の集団はですね、
過去3回、そういう転換をすべきだという事を人権大会で決議しているんですね。
雨宮:へぇ~、いつですか?
宇都宮:1976年と1980何年と、2000年ごろまでにね。
雨宮:へぇ~。
宇都宮:
だから私は会長になって初めてそういう事を知ったんですけれど、
実はそういう決議なんかは海渡雄一さんなんかが頑張ってやってたようなんですけど、
それを見て私は「日弁連というのへ賢明な集団だな」とあらためて思ったんですね。
ー拍手ー
どうもありがとうございます。
ただ、私はですね、そうは言いながら、その「決議だけでやってもダメなんだ」と。
その本当に決議を生かすような運動をやってて、
もし国の原子力政策を変えることができていたらですね、
福島の原発事故は防げたかもしれないんです。
雨宮:そうです、そうです、そうですね。
宇都宮:
だから「何で、その運動をやれなかったんだ」と、
その点については大いに反省をしなきゃいけないという事を海渡さんにも言いましたし、
日弁連に向かって
「決議するだけじゃダメなんだ」と、
「決議は運動の出発点なんだ」と。
だからそういう事がずっとありまして、
それから原発事故にぶつかりまして、被害者の救済をやって、
やはり、あらめて脱原発をやらないと、「日本の国は滅びてしまう」
というふうに感じましたので、
会長を終わってもですね、そういう運動はずっとやり続けなきゃいけないと
会長になった時だけカッコイイ事を言ってですね、辞めたら知らないなんて、
これは人間として許されないと思いまして、
ずっと海渡さんと一緒にですね、脱原発の運動をやってきているわけです。
雨宮:
で、「脱原発基本法」の制定とか、
東日本大震災以降だと「原発被災者特別援護法」と、先ほど言われていましたけれども、
もう少し詳しく。
宇都宮:
それはですね、何故私がそういう事を考えたか?というと、
最初、弁護士は東電に対する賠償をする。
そして私たちは早い段階で東電との交渉が決裂した場合裁判になるわけですけど、
裁判というのは時間と費用がかかるんですね。
で、もっと早く被害者の救済をやるために、
原子力損害賠償紛争解決センターっていうのを弁護士会が提案して、
昨年9月にスタートさせたんですね。
ただ、東電との交渉も、後から考えると「原子力損害賠償紛争解決センター」
ちょっと長ったらしくて舌がもつれそうなんですけれど、
これは被害者の方が、申し立てた被害者の方だけが救済されるんですよ。
申し立てれば話に乗ってやりますよ。
雨宮:その申し立てもいっぱい書類とか大変なんでしょ?
宇都宮:
弁護士が代理人になったりしてですね。
ところがさっきちょっとお話しましたけれど、
温泉旅館でね自分のご主人の遺骨を眺めながらじっと暮らしているおばあちゃんがね、
そういうことができるか?っていうんですね。
雨宮:できない
宇都宮:
じゃあ、そういう事が出来ない人は救済されずにいいのか?というとね、
これは大きな間違いだと。
むしろ国が率先して、そういうおばあさん一人一人を残らず救済して、
そして国が払ったお金を東電に国が求償すればいいんですよ。
だからそこのところの転換が必要だという事で、
先程の、国が責任を持って被災者の生活支援、そして医療支援、
そして健康診断をやるべきだという提案をしたんですね。
そういう事で、当初は我々も弁護士の発想にとらわれていた訳です。
「損害賠償をやればいいんじゃないか」と、
だけど、みんながみんなできるか?というと、
障害を抱えた人、高齢の人、いろんな事情で損害賠償をやれない人が沢山いる。
そういう人が救済されなくていいのか?という事。
それは絶対におかしいという事で、新たな法律案を提案したわけです。
雨宮:
とても心強いお話です。
あと、先程「新しい民主主義を取り戻す」と言われていたんですけれど、
最近、最近というかこの1年8カ月、デモとか都民投票の動きだとか、
新しい直接的な行動というのがとても盛んになっていますけれども、
そのあたり、都民投票とかデモとかをどう思われますか?
宇都宮:
都民投票の方はこの間来られたんですけれど、
34万人のね、署名を集めて申し立てをされたと。
大変、34万人の署名というのは大変重いと思っていますね。
で、こういうような、市民が、都民が都政に参加するという、そういう制度。
それからそういう都政。
それは促進していく。
私もそのようないろんな申し入れを受けまして、非常に重要な制度であると、
これから検討しなければいけないというように考えております。
雨宮:
最後の質問ですが、やっぱり反貧困ネットワークで、ずっと一緒に活動させていただいてきたので、
今、生活保護の切り下げだとか、
やっぱり貧困問題が年越し派遣村で名誉村長をやられていましたが、
その時よりももっと今は深刻化しているというか、
家族ごとの餓死や孤立死が今年に入って相次いでいたり、
わたしも札幌の姉妹餓死事件の取材に行ったんですけれども、
やっぱり東京でも孤独死とか孤立死とかそういう事が沢山起きているんですけれども、
そういった貧困問題全般について、
「都知事になったらこんなことをしたい」というような思いがあれば聞かせて下さい。
宇都宮:
そうですね、先程ちょっとお話しした、やっぱり高齢者の施設とかですね、
それから待機児童の問題。
こういうことは真っ先に解決しなければいけないですし、
それから、年越し派遣村の問題とか、その後 の問題とか、取り組む中で、やっぱり住まいの問題ですね。
住まいというのは、ま、ヨーロッパあたりでは基本的人権の一つだと言い続けられているんですけど、
住まいが無いと就職活動しようにもできないです。
もちろん人間的な生活をするうえでは住まいが必要ですよね。
雨宮:投票も行けないですね
宇都宮:
そうですね、住民票が無いですからね。
じつは、週刊金曜日に書いたことがあるんですけど、
「投票権を奪われた人がいるんだ」という事も我々は忘れてはならないんだと思います、ね。
そういう面で生活保護を受給すれば住まいを手に入れることはできるんですけど、
それだけじゃなくて、一つは「家賃補助」ですね。
たとえば今、非正規労働者が働いて、最低賃金で働いても生活保護水準以下ですから、
だから家賃を補助する制度があれば、いきなり生活保護でなくてもかなりカバーができるんではないか。
雨宮:それすごいい提案です
宇都宮:
それで、空き家が沢山あるんですね。
こういうような事はかなり重要で、
それからもちろん最低賃金の大幅引き上げをやって、
少なくても東京都ぐらいは生活保護水準以上に最低賃金を上げなきゃおかしいと思っていますね。
それから、いま日弁連の貧困問題対策本部なんかは、キャンペーンをやっているんですけれども、
高契約条例というのがあるんですね。
公共事業で下請けに出す場合に入札すると、
1銭でも安い1円でも安いところへやると、そこで働く労働者の賃金が値下げされるんですね。
だから、入札するところは最低賃金以上の業者でしか入札させないとかね、
高契約っていうのは。
こういう事を本当は国レベルでもやるべきですけれども、
東京都が率先してやることによってですね、労働者の賃金を引き上げていく、改善していくと。
実はこういう福祉とかそういうことはですね、内需を拡大して日本の経済を良くするんです。
重要な政策なんです。
どんどん、どんどん格差を貧困を広げれば広げるほどですね、
内需が細ってデフレ経済が進行していくんで、
むしろ、本当に生活が苦しい人の底上げをやることこそが経済の活性化につながると思っております。
雨宮:
石原都政で破壊されつくしてきたものが復活しそうですね。
宇都宮さんとともにとにかく都政を変えていきたいと私は思っておりますので、
私はとにかく応援しますので、今日はどうもありがとうございました。
宇都宮:ありがとうございました。

47:33
ーーつづく
続きはこちら↓
後半「東京を変えるキックオフ集会・前半」11/14
宇都宮けんじ鎌田慧・落合恵子・佐高信・海渡雄一・山本太郎(内容書き出し)
東京都民が前回の都知事選の間違いを二度と犯さないために~
宇都宮健児氏 都知事選出馬会見11/9(内容書き出し)
「原発の無い社会は人にやさしい社会だと思っております」
国会正門前11/11 宇都宮健児氏スピーチ(書き出し)
日本弁護士連合会 会長宇都宮健児 会長声明文
2011年(平成23年)4月22日
「福島県内の学校等の校舎・校庭等の利用判断における暫定的考え方について」に関する会長声明
全てが分かる「さよなら原発1000万人アクション」記者会見4名の内容文字起こし&声明文他
2011年9月6日
宇都宮健児さんのスピーチを私は文字起こししていました( ゚д゚)ハッ!
プロフェッショナル 仕事の流儀
ヤミ金融に立ち向かう一人の弁護士の仕事を追う。
2006年2月7日放送 NHK
http://youtu.be/R4mCQoTbeZg
弁護士 宇都宮健児
ヤミ金融と闘う弁護士、宇都宮健児(59歳)。
<掴め!東京都民>「これまで宇都宮は誰もやらないことばかりやってきた」
宇都宮けんじ2006プロフェッショナル(書き出し)
宇都宮さんのものすごく優しいお顔の中に、とても強い闘志が見えました。
外見の穏やかさの中に本当の強さがある方だと思いました。
全部いいけど、トークお勧めです(。◡ .◕)♡
東京を変えるキックオフ集会
宇都宮けんじさんとともに人にやさしい東京を!
2012年11月14日(水)
人にやさしい東京をつくる会代表
弁護士 中山武敏さん

中山でございます。
人にやさしい東京をつくる会が造られた経過なんですけれども、
ご承知のように石原前都知事がですね、突然の辞任表明をしまして、
宇都宮健児さんとか、親しい人が何人か集まって、
まず13年の石原都政の評価、そして石原都政の継続を許さないと
そういう声明を出そうという事で声明を出したわけです。
それを受けて、今日のチラシに書いてありますけれど、東京を変える4つの柱ですね。
一つは、原発の無い社会
それから、誰もが人らしく生きる街作り
そして子どもたちのための教育を再建する
憲法の生きる東京を目指そうということで、
所属とか立場を越えて「優しい東京を作る」その一点で集まろうという事で出来た会です。
そして昨日、事務局の責任者の方と、私と一緒に東京に行きまして、
私を代表者とする政治団体の届け出をして、受理されました。
今後は多くの都民の方に参加を呼び掛けて、
そして相談をしながら、中身を作っていこうと思っています。
今日は宇都宮健児さんとともに、やさしい東京を作る会の集まりですけれども、
宇都宮健児さんとは、私は最高裁の地方研修所で同期だったんですね。
そして弁護士になって41年になりますけれども、
身近なところで彼と行動をして来て、
彼は本当に、人と人との優しさ、人と人との温かさを持っている人柄で、
で、彼を最も信頼できるのは、言葉と行動とが一致していて、裏表がないんですね。
そして彼が取り組んでいる多重債務問題とか、貧困問題とか原発問題、
これは全てですね、ヒューマニズムに基づいた行動なんですね。
彼は司法シュウスウ専属から一貫して無党派です。
そして多くの人達の信頼を得た超党派でもある。
だから、本当にですね、宇都宮さんと一緒に今日集まった人達は、
心を一つにして優しい東京を作りたいと、
平和とか人権はそこにあるものではなくて、
私たち市民の行動一人一人で作りだすものだと思うんですね。
本当に、東京を変えて、日本を変えて、
新しい歴史をつくりだす大きなうねりをみなさんと一緒に頑張っていきましょう。
よろしくお願いいたします。
06:05
06:55~17:38松元ヒロさん

今日はようこそ私のために
違いますよ、私も宇都宮健児さんのために参りました。
松元ヒロと申します。
知らない人以外はみんな知っていると思います。
普段はテレビとかほとんどというか、全く出ません。
私がやるネタはテレビにふさわしくないらしくて、
でも最近テレビでみれないネタが見れるという事で、テレビ局の人が見に来るようになりました。
来月もそこの小ホールでやりますからね、
この間なんか紀伊国屋ホールでやったら3つのテレビ局の人が見に来ましてね、
見終わった後、楽屋に飛び込んできましてね、
「や―松元さん面白い。絶対出せない」そういうヤツでございます。
昨日、前都知事の石原さんが新党の名前を決めました。
「太陽の党」笑ってやって下さい。
あんまり近くにあると火傷をしますから、なるべく離しておきましょう。なるべく離して。
あの党はもともと「立ち上がれニッポン」、これをまた吸収してやるらしいです。
「立ち上がれニッポン」というのを命名したのも石原慎太郎さんなんですよね。
石原さんぐらいでしょ、ニッポンに命令ができるのは。
「立ち上がれニッポン!」自分は座ったまま、「立ち上がれニッポン!」
お前が立て!
ありがとうございます。
私はとにかく石原さんが大嫌いなんでございます。
ー拍手=
あ、ありがとうございます。
ワー、一緒じゃないですか。
こういうところも珍しいですよ。
実は私は立川談志師匠にかわいがってもらっていましてね、
立川談志が最も愛した芸人と言われてお別れ会に行ってきました。
最初に弔辞を読んだのが石原慎太郎さんでした。
最後にステージで芸をやったのが私です。
あの人に言わせたら右で始まって左で終わったと言われています。
私はもう大嫌いなんで、石原さんはとにかく差別するじゃないですか。
あの、「外国の人は」差別発言ですよ、もう。
中国いが大嫌いだから「シナ」としか言いません。
北朝鮮の人に失礼な「キタ」って言うんですよ。
女性にも前ひどい事を言いました。「ババァ死ね」とか言ったんですよ。
私が言ったんじゃないですよ、石原さんが言ったんですよ。
石原さんってどうしてあんなに差別的な発言ができるのか、その理由を知っていますか?
それはね、私は多分あの人の目にあると思います。
あの日といつも目をこうやっています。
普通の人の半分しか現実を見ていないんです。
だから平気で言えるんです。
やっぱり人にやさしい人じゃないとまずいですよ、本当に。
大体私はですね脱原発なんですよ。あの人は原発推進派ですよ、石原さんなんか。
とんでもないですよ。
私は今脱原発で、もう今とにかくデモが大好きなんですよ。
★書き出していたけど、ここから先は、文字に書いちゃったら面白くなくなっちゃうので
実際にご覧くださいw
最後の盛り上がり!最高です!!(* >ω<)=3 プー★
17:40頃~宇都宮健児さん

みなさんこんばんは。
ご紹介いただきました宇都宮健児といいます。
今、司会者からご紹介がありました通り、先週の金曜日に都知事選に出馬表明をしました。
私の言いたい事は、松元ヒロさんが十分にお話ししていただいたようですけれど、
あらためてご挨拶と私の思いを話させていただきます。
まず、私自身は今日お集まりの市民のみなさん、都民のみなさんと一緒になって、
石原都政を変える運動・闘いに参加できることを大変うれしく思っております。
私は大きな組織もありませんし、
それから反貧困問題・貧困問題に取り組んできた弁護士ですので、あまりお金もありません。
市民のみなさんの一人一人の支え、協力を無くしてこの都知事選はたたかえません。
しかしながら、この都知事選を市民のみなさんとたたかうことは、
私は東京に新しい民主主義を取り返す運動だと思っております。
ぜひみなさんと一緒になって、石原都政を転換し、東京に民主主義を取り戻したい。
そういう思いで出馬を決意しました。
出馬を決意してから初めての日曜日、11月11日、反原発の官邸前行動。
国会議事堂包囲の運動に私も参加しました。
私は官邸前行動の「みまもり隊」弁護士みまもり隊の一員ですけれど、
当日は支援者、ボランティアの皆さんと一緒になって、
官邸前行動に参加した皆さんに挨拶をしてまいりました。
多くのみなさんから激励を頂きました。
「がんばって下さい」という声を沢山いただきました。
ただそれよりも多かったのは、
「出馬してくれてありがとう」こういう声が沢山、多かった。
私自身はその声を聞きながら、本当に胸がいっぱいになりました。
こういう人たちの一人一人の思いを受けて戦わなきゃいけない。
脱原発の東京都をつくらなきゃいけない。
そういう思いが一層強くなりました。
そして、雨の中ではありましたけれど、
原発の無い東京をつくることは原発の無い日本をつくることに繋がるんだと、
そして原発の無い日本をつくることは、原発の無い世界をつくることに繋がるんだと、
こういう訴えをさせていただきました。
そして、原発の無い東京、原発の無い日本は、
人にやさしい、環境に優しい東京になると思っております。
私は2010年の4月から、2012年、今年の5月まで日弁連会長を務めておりました。
日弁連会長時代に、東日本大震災と福島原発事故に遭遇しまして、
弁護士会あげて被災者の支援原発事故の被害者の支援に当たってまいりました。
私の片腕となって頑張ってくれたのが、事務総長として活躍した海渡雄一弁護士です。
彼は原発問題の専門家でありましたので、日弁連として的確な方針を出したと思っております。
私は脱原発の運動は福島の被災者への支援、
福島の被災者の被害実態としっかり向かい合いながら進めなきゃいけない、そういうふうに考えております。
私が被災者のおかれている状況に深く印象に残った被災者の事をちょっとご紹介いたします。
それは大熊町で司法書士さんをやっている女性の書士さんから聞いた話です。
彼女の依頼者は多くが、小さな子どもさんがいる方は、お母さんが子どもさんと一緒に県外へ避難して、
お父さんは職場と一緒に避難する。
おじいさんおばあさんは行政の避難先に避難する。
こういう家族がバラバラになるケースが沢山見られる。
そして高齢者の方は、環境の違うところに引っ越す中で、会うたびに身体を弱くしている。
こういう事を聞きました。
その中で彼女が語った老夫婦の話が大変心に残りました。
それはおじいさんが大熊町にある双葉病院に入院されてたんですけど、
原発事故の直後におじいさんは病院ごと神奈川の病院に引っ越されたそうです。
そしておばあさん方は行政、大熊町の引っ越し先、会津若松の温泉旅館の一室に避難されたと。
ところが、おじいさんは神奈川の病院で直後に亡くなられたんですけど、
この、自分の配偶者が亡くなられたことをおばあさんは全く知らされなかった。
何日もたって、やっとおばあさんのところに、ご主人が亡くなられたという事が伝わったという事です。
そしておばあさんは神奈川まで行って、遺体と対面して、
そして見ず知らずの街で夫を火葬にして、遺骨を温泉旅館に持ち帰ったという事なんです。
ところが温泉旅館では、お客さんが出入りしていますのでお線香をたくことができない。
それから遺影を飾ろうにも写真を持ってこれないから遺影も飾れない。
そういう状況の中で、小さな温泉旅館の一室で、ご主人の遺骨を眺めながらですね、
2ヶ月も暮らしていた。
こういうおばあさんがいたんだという事をその女性の司法書士から聞きました。
私は原発事故はなんて惨たらしいんだろう。
こういう高齢者になんと惨たらしい事を強いるんだろう。
大変憤りが湧きました。
そして、このような被災者を全力を挙げて救済しなくてはいけないという事で、
日弁連の会長として頑張ってまいりました。
その中で日弁連は原発事故被害者の特別援護法というのを提案しまして、
「原発事故の被害については国が人道的責任を負うべきだ」と
「国が全ての被災者に対して、健康診断、医療支援、生活支援を行うべきである」
そしてその支援は自ら避難した人、あるいは避難しなかった人、
それぞれについて区別してはならない。
避難するかどうかは自己決定権があるんだと、そういう人に対して平等に国は支援するべきだと、
こういう提案をしまして、子ども被災者支援法という形で結実しております。
ところで、東京都の原発政策ですけれど、
福島の原発で発電された最大の消費地が東京都であります。
そしてまた、東京電力の大株主が東京都であります。
こういう事からしますと、東京都や東京都民は、
福島原発事故の被害者を全力を挙げて支援する責務があると私は考えております。
そしてまた、二度とこういう原発事故を起こしてはならない。
そのために東京都は脱原発の政策を取らなきゃいけない。こういうふうに考えております。
続いて私自身は貧困問題に取り組んできた弁護士ですので、
どうしても石原都政の福祉の切り捨て、弱者の切り捨てが許すことができません。
石原さんは都知事になった時に、何が無駄か?といって、「まず福祉だ」ということで、
福祉の切り捨て、弱者の切り捨てを行ってまいりました。
僅か年間予算60万円の盲導犬のえさ代補助まで削減したそうです。
この結果東京都には貧困と格差が広がってきております。
就学援助児童。
この14年間で1.5倍に膨れ上がったそうです。
東京都の就学援助の受給率、これは全国の47都道府県で5番目に高いという事であります。
そして一番高いのは何と大阪府であるということであります。
労働者の最低賃金、いまだに6都道府県が生活保護水準以下であります。
東京都も生活保護水準以下の最低賃金しか支給されておりません。
それから今年になって、立川や足立区で孤独しや餓死が多発しております。
また、2009年に発生した、群馬の高齢者施設たまゆら荘の火災事故では
10人の方が亡くなられれましたけれど、このうち9人が東京都民であったということであります。
特養老人ホームの待機者が、4万3000人を超えている。
あるいは保育所の待機児童も急増して
2007年の4600人から2010年の8400人に急増している。
石原都政は大規模開発、世界都市構想で世界一の都市をつくるんだと、
こういう事で大規模開発をやってきましたけれど、
実は、貧困と格差を拡大した、そういう都政でもあったわけです。
まさに人にやさしくない都政であったわけです。
これを大きく転換する必要があると考えております。
次に見過ごすことができないのが教育現場の問題です。
君が代・日の丸この強制によって、教師に対する管理統制が強化されております。
君が代・日の丸の強制は憲法19条「思想良心の自由」に反する憲法違反の行為であります。
私は教員に対する強制、それから管理統制の強化は
子どもにも悪影響を与えているというふうに考えております。
実は一番の被害すあは子どもではないかと考えております。
自由に自分の頭でものを考え、そして議論し、そして合意を作り上げていく。
こういう民主主義社会の後継者をつくる事が、教育の最大の役割ですけれど、
こういう事が管理強制が強化されている今の現状では行われていません。
そして学力競争をあおって、子どもの中でストレスがたまってきております。
こういう事からいじめや校内暴力不登校、こういう問題が起こっているんではないかと思っております。
私は、いじめの無い学校を取り戻すために、全力を挙げたいと思っております。
そして、なんと言っても私は法律家ですから、
憲法が守られる、憲法を守っていく東京をつくっていきたい。
平和と人権が守られる東京をつくっていきたい。
尖閣列島の問題で日中関係が悪化して、経済も停滞しております。
さらにこの中で偏狭なナショナリズム、
国家主義が台頭して憲法改正、
集団的自衛権の行使の容認、
こういう政治勢力が台頭しておりますけれど、
私は憲法の国民主権、基本的人権の尊重、恒久平和主義
こういう基本原理をしっかりと守る東京をつくっていきたい。
そして東京が平和のメッセージを出すことは、
実はアジア諸国と良好な関係を作り上げる。そういうことにつながると思っております。
まず皆さんと一緒に東京から憲法が守られる、平和な日本をつくっていきたいと思っています。
どうかご支援をよろしくお願いします。
33:50
34:15~雨宮処凛(かりん)さん

雨宮:
すごい!こんなに人が。どうしますか?
もう、勝ったも同然、そんなこと言っちゃいけないんですよね、何かいろいろNGワードがあるので、
あのね、この言葉は言っちゃいけませんよとかいろいろ言われたので。
気をつけながらいろいろとインタビューしたいと思います。
雨宮処凛です。よろしくお願いいたします。
今日のマガジンQに書いたんですけれども、今日更新された、
「宇都宮さんと言えばあんパンと牛乳」という原稿を今日書いたんですね。
で、私多分5年ほど前に反貧困ネットワークの準備会とかをいろいろとやり始めた頃に、
初めて宇都宮先生とお会いして、
もちろん多重債務問題をやっている弱者の味方の弁護士さんという事で知ってたんですけれども、
初めてお会いする時にちょっと会議室にきてすごい有名人の弁護士さんが来たと思ったら、
コンビニの袋からあんパンと牛乳を出して、で、食べ初めて。
すごいビックリして、
だから超庶民の味方とか言っている偉い人っていっぱい居るじゃないですか。
でも、そういう人って多分、あんパンとか牛乳って持ってこないとか、
石原は絶対あんパン、買わないですんよね、コンビニで。
それを見てすごい感動して、
それから会議に5割ぐらいの確率であんパンと牛乳を持ってくるというのを見ていて、
そんな5年間を過ごして、粒あんとこしあんとどっちが好きですか?
粒あんとこしあんとあんまんの中では
宇都宮:こしあんのほうがいいです。
雨宮:
あ、こしあん!そんな、すみませんいきなり。そういう第一印象だったんですけれども、
今日お話しされていましたけれども、本当に大きな決断をされて、
みなさんから「ありがとう」という声を貰ったというのを聞いて、すごく私は感動しました。
何か補足することがあれば、
こういう意味で出馬をしたんだという事で、補足することとかあります?
宇都宮:
そうですね、あの、他にですね、石原が退陣した時は、
もっとふさわしい人がいるんではないかとも思っていたんですけど、
雨宮:
呼び捨てですね、いいのかな?
私は呼び捨てにしてもいいけど多分宇都宮さんは呼び捨てにしない方がww
なーんとなくイメージ的にいいんじゃないかなぁとおもいましたね。
宇都宮:
2年前に私、市民グループから声をかけられた事がございまして、
その時は日弁連の会長に立候補することになったんですけれど、
そちらの方が自分としてはまだ対応できるかなと思ったんですけど、会長を終えてですね、
特に貧困問題をやっている中で、東京都で、こういう大都市の中で、
もっと財政が豊かなのに、やれることが沢山あるのに
やっていないという事がかなり問題だと思っていたんですけど、
その後原発事故が起こったでしょ。
だからこれはちょっと、しかも東京は大消費地でですね、電力の。
その東京から脱原発を言わなきゃですね、どうなるんだ。という事で、
そういう思いを持った候補者が立つべきだということは私は石原が辞めたその日に思ったんですけど、
ただ、誰もいなければですね、まぁちょっと、最終的には私自身も決断をしなきゃいけないかな。
ということは、もうその段階で考えてはいたんですね。
雨宮:脱原発に関する宇都宮さんの思いをもうちょっと詳しく聞きたいんですけど、
宇都宮:
実はですね、原子力政策の転換については、日弁連という弁護士の集団はですね、
過去3回、そういう転換をすべきだという事を人権大会で決議しているんですね。
雨宮:へぇ~、いつですか?
宇都宮:1976年と1980何年と、2000年ごろまでにね。
雨宮:へぇ~。
宇都宮:
だから私は会長になって初めてそういう事を知ったんですけれど、
実はそういう決議なんかは海渡雄一さんなんかが頑張ってやってたようなんですけど、
それを見て私は「日弁連というのへ賢明な集団だな」とあらためて思ったんですね。
ー拍手ー
どうもありがとうございます。
ただ、私はですね、そうは言いながら、その「決議だけでやってもダメなんだ」と。
その本当に決議を生かすような運動をやってて、
もし国の原子力政策を変えることができていたらですね、
福島の原発事故は防げたかもしれないんです。
雨宮:そうです、そうです、そうですね。
宇都宮:
だから「何で、その運動をやれなかったんだ」と、
その点については大いに反省をしなきゃいけないという事を海渡さんにも言いましたし、
日弁連に向かって
「決議するだけじゃダメなんだ」と、
「決議は運動の出発点なんだ」と。
だからそういう事がずっとありまして、
それから原発事故にぶつかりまして、被害者の救済をやって、
やはり、あらめて脱原発をやらないと、「日本の国は滅びてしまう」
というふうに感じましたので、
会長を終わってもですね、そういう運動はずっとやり続けなきゃいけないと
会長になった時だけカッコイイ事を言ってですね、辞めたら知らないなんて、
これは人間として許されないと思いまして、
ずっと海渡さんと一緒にですね、脱原発の運動をやってきているわけです。
雨宮:
で、「脱原発基本法」の制定とか、
東日本大震災以降だと「原発被災者特別援護法」と、先ほど言われていましたけれども、
もう少し詳しく。
宇都宮:
それはですね、何故私がそういう事を考えたか?というと、
最初、弁護士は東電に対する賠償をする。
そして私たちは早い段階で東電との交渉が決裂した場合裁判になるわけですけど、
裁判というのは時間と費用がかかるんですね。
で、もっと早く被害者の救済をやるために、
原子力損害賠償紛争解決センターっていうのを弁護士会が提案して、
昨年9月にスタートさせたんですね。
ただ、東電との交渉も、後から考えると「原子力損害賠償紛争解決センター」
ちょっと長ったらしくて舌がもつれそうなんですけれど、
これは被害者の方が、申し立てた被害者の方だけが救済されるんですよ。
申し立てれば話に乗ってやりますよ。
雨宮:その申し立てもいっぱい書類とか大変なんでしょ?
宇都宮:
弁護士が代理人になったりしてですね。
ところがさっきちょっとお話しましたけれど、
温泉旅館でね自分のご主人の遺骨を眺めながらじっと暮らしているおばあちゃんがね、
そういうことができるか?っていうんですね。
雨宮:できない
宇都宮:
じゃあ、そういう事が出来ない人は救済されずにいいのか?というとね、
これは大きな間違いだと。
むしろ国が率先して、そういうおばあさん一人一人を残らず救済して、
そして国が払ったお金を東電に国が求償すればいいんですよ。
だからそこのところの転換が必要だという事で、
先程の、国が責任を持って被災者の生活支援、そして医療支援、
そして健康診断をやるべきだという提案をしたんですね。
そういう事で、当初は我々も弁護士の発想にとらわれていた訳です。
「損害賠償をやればいいんじゃないか」と、
だけど、みんながみんなできるか?というと、
障害を抱えた人、高齢の人、いろんな事情で損害賠償をやれない人が沢山いる。
そういう人が救済されなくていいのか?という事。
それは絶対におかしいという事で、新たな法律案を提案したわけです。
雨宮:
とても心強いお話です。
あと、先程「新しい民主主義を取り戻す」と言われていたんですけれど、
最近、最近というかこの1年8カ月、デモとか都民投票の動きだとか、
新しい直接的な行動というのがとても盛んになっていますけれども、
そのあたり、都民投票とかデモとかをどう思われますか?
宇都宮:
都民投票の方はこの間来られたんですけれど、
34万人のね、署名を集めて申し立てをされたと。
大変、34万人の署名というのは大変重いと思っていますね。
で、こういうような、市民が、都民が都政に参加するという、そういう制度。
それからそういう都政。
それは促進していく。
私もそのようないろんな申し入れを受けまして、非常に重要な制度であると、
これから検討しなければいけないというように考えております。
雨宮:
最後の質問ですが、やっぱり反貧困ネットワークで、ずっと一緒に活動させていただいてきたので、
今、生活保護の切り下げだとか、
やっぱり貧困問題が年越し派遣村で名誉村長をやられていましたが、
その時よりももっと今は深刻化しているというか、
家族ごとの餓死や孤立死が今年に入って相次いでいたり、
わたしも札幌の姉妹餓死事件の取材に行ったんですけれども、
やっぱり東京でも孤独死とか孤立死とかそういう事が沢山起きているんですけれども、
そういった貧困問題全般について、
「都知事になったらこんなことをしたい」というような思いがあれば聞かせて下さい。
宇都宮:
そうですね、先程ちょっとお話しした、やっぱり高齢者の施設とかですね、
それから待機児童の問題。
こういうことは真っ先に解決しなければいけないですし、
それから、年越し派遣村の問題とか、その後 の問題とか、取り組む中で、やっぱり住まいの問題ですね。
住まいというのは、ま、ヨーロッパあたりでは基本的人権の一つだと言い続けられているんですけど、
住まいが無いと就職活動しようにもできないです。
もちろん人間的な生活をするうえでは住まいが必要ですよね。
雨宮:投票も行けないですね
宇都宮:
そうですね、住民票が無いですからね。
じつは、週刊金曜日に書いたことがあるんですけど、
「投票権を奪われた人がいるんだ」という事も我々は忘れてはならないんだと思います、ね。
そういう面で生活保護を受給すれば住まいを手に入れることはできるんですけど、
それだけじゃなくて、一つは「家賃補助」ですね。
たとえば今、非正規労働者が働いて、最低賃金で働いても生活保護水準以下ですから、
だから家賃を補助する制度があれば、いきなり生活保護でなくてもかなりカバーができるんではないか。
雨宮:それすごいい提案です
宇都宮:
それで、空き家が沢山あるんですね。
こういうような事はかなり重要で、
それからもちろん最低賃金の大幅引き上げをやって、
少なくても東京都ぐらいは生活保護水準以上に最低賃金を上げなきゃおかしいと思っていますね。
それから、いま日弁連の貧困問題対策本部なんかは、キャンペーンをやっているんですけれども、
高契約条例というのがあるんですね。
公共事業で下請けに出す場合に入札すると、
1銭でも安い1円でも安いところへやると、そこで働く労働者の賃金が値下げされるんですね。
だから、入札するところは最低賃金以上の業者でしか入札させないとかね、
高契約っていうのは。
こういう事を本当は国レベルでもやるべきですけれども、
東京都が率先してやることによってですね、労働者の賃金を引き上げていく、改善していくと。
実はこういう福祉とかそういうことはですね、内需を拡大して日本の経済を良くするんです。
重要な政策なんです。
どんどん、どんどん格差を貧困を広げれば広げるほどですね、
内需が細ってデフレ経済が進行していくんで、
むしろ、本当に生活が苦しい人の底上げをやることこそが経済の活性化につながると思っております。
雨宮:
石原都政で破壊されつくしてきたものが復活しそうですね。
宇都宮さんとともにとにかく都政を変えていきたいと私は思っておりますので、
私はとにかく応援しますので、今日はどうもありがとうございました。
宇都宮:ありがとうございました。

47:33
ーーつづく
続きはこちら↓
後半「東京を変えるキックオフ集会・前半」11/14
宇都宮けんじ鎌田慧・落合恵子・佐高信・海渡雄一・山本太郎(内容書き出し)
東京都民が前回の都知事選の間違いを二度と犯さないために~
宇都宮健児氏 都知事選出馬会見11/9(内容書き出し)
「原発の無い社会は人にやさしい社会だと思っております」
国会正門前11/11 宇都宮健児氏スピーチ(書き出し)
日本弁護士連合会 会長宇都宮健児 会長声明文
2011年(平成23年)4月22日
「福島県内の学校等の校舎・校庭等の利用判断における暫定的考え方について」に関する会長声明
全てが分かる「さよなら原発1000万人アクション」記者会見4名の内容文字起こし&声明文他
2011年9月6日
宇都宮健児さんのスピーチを私は文字起こししていました( ゚д゚)ハッ!
プロフェッショナル 仕事の流儀
ヤミ金融に立ち向かう一人の弁護士の仕事を追う。
2006年2月7日放送 NHK
http://youtu.be/R4mCQoTbeZg
弁護士 宇都宮健児
ヤミ金融と闘う弁護士、宇都宮健児(59歳)。
<掴め!東京都民>「これまで宇都宮は誰もやらないことばかりやってきた」
宇都宮けんじ2006プロフェッショナル(書き出し)
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コメント
きーこさん、今回も書き出しありがとうございました。
宇都宮氏には是非がんばってもらいたいです。
宇都宮氏には是非がんばってもらいたいです。
雪 | 2012.11.16 01:46 | 編集
5年前の都知事選のことを思い出します。あの時には私は勝手連を作って浅野史郎さんを応援しました。石原に真実対抗するビジョンを持っていたのは浅野さんと吉田万三さんのふたりだけでしたが、その時には候補の統一ができず、負けてしまいました。
しかし得票数の分析から私は「希望が見えてきた」という総括を行いました。石原票が前回と比較して大幅に減少し、私たちの側が大きく(ほぼ2倍に)拡大していたからです。
http://www.red-piper.com/toukou0409_a.html
その希望を本当に実現できる時がいよいよやってきました。原発問題でも、沖縄問題でも、TPP問題でも、貧困問題でも、すべてのカギを握るのはここ東京です。わたしたちが一緒になってがんばれば、こんどそその希望を実現できるところにきました。みなさん、がんばりましょう!
しかし得票数の分析から私は「希望が見えてきた」という総括を行いました。石原票が前回と比較して大幅に減少し、私たちの側が大きく(ほぼ2倍に)拡大していたからです。
http://www.red-piper.com/toukou0409_a.html
その希望を本当に実現できる時がいよいよやってきました。原発問題でも、沖縄問題でも、TPP問題でも、貧困問題でも、すべてのカギを握るのはここ東京です。わたしたちが一緒になってがんばれば、こんどそその希望を実現できるところにきました。みなさん、がんばりましょう!
このコメントは管理人のみ閲覧できます
| 2012.11.25 13:05 | 編集