01.04
Fri
証言記録東日本大震災
福島県三春町ヨウ素剤決断に至る4日間 1/3
未曽有の災害に襲われた人々と町の証言記録
第9回は福島県三春町です。

原発から遠く離れたこの町が、放射能から身体を守る薬の服用を決断しました。
三春は阿武隈山地の西の裾野に開かれた人口1万8000の小さな町です。
室町時代から続く城下町で、この地方の中心として発展してきました。
町の自慢は樹齢1000年と言われるしだれ桜の巨木滝桜です。

高さは14m。
毎年春になると、この木の生命力にあやかろうと30万人が訪れます。
三春にとって一番いい季節を迎える直前、あの地震が起こりました。
三春を襲った揺れは震度5強でした。

道路や家屋が次々と損壊し、町は混乱に陥ります。
そして三春から50km東にある東京電力福島第一原発で起こった事故が混迷に拍車をかけました。

そうした中、三春は放射のから身体を守る安定ヨウ素剤を入手。
しかし、服用に必須とされる国や県の判断は示されませんでした。

副町長(当時)
本当に我々が知りたい情報が出ているのか?ということがまず、
不信感が一つそこにありますよね。
ですから、それに対して自分たちが町民を守る以外にないんではないかと。

三春町は住民の健康を最優先に考え、独自の判断で薬の服用を指示します。

町職員・保健師
私たちは看護職なので、自分たちだけで薬を飲ませるというのは、基本的にはない行為ですよね。
なので、万が一何かがあって、責任を問われた時に、
やっぱり自分の保健師、看護士、助産師の職業生命が絶たれる可能性もあるなとは思いましたね。
不確かな情報が錯綜するなか自ら情報を集め、町民に薬の服用を促した三春町。
その葛藤と決断の記録です。
第9回 福島県三春町
~ヨウ素剤・決断に至る4日間~
2011年3月12日
震災翌日3月12日。
東京電力福島第一原子力発電所は、深刻な状況に陥っていました。
午前5時44分
国は5万人の住民に避難を呼び掛けていました。

10km県外に出ていただくというのは、これはまさに万全を期すため、でございますので、
えー、その点にご留意をいただき、落ち着いて退避をしていただければ、というふうに思って、おります。
避難区域は3kmから10kmへと拡大。
この時重要な避難経路となったのが、原発から見張る方向へ延びる国道288号線でした。

原発周辺の大熊町、富岡町に住む大勢の被災者が、阿武隈山地を超えた三春を目指しました。
3月12日以降、三春町の災害対策本部となっていた町役場です。

対策本部では、被災した三春町民の支援を続けていました。
その担当だった橋本國春さんのもとに一本の電話が入ります。
原発被災者の受け入れを求める依頼でした。

総務課長(当時) 橋本國春:
警察の方から、原発近くの相双地区の人達が避難されるんで、
三春町で何人ぐらい受け入れられますか、という話が、12日の午前中に電話があったという事。
私らはとにかくね、三春町の人の避難対応だけで、もう、ワタワタしていましたので、
どのぐらい?といった時に最初700人ぐらいと警察が行ったので、
まぁそれだったら、700人ぐらいだったら、受け入れてやったらという事で、
職員を何人か割り振ってその準備をしたという事です。
しかし実際には町に5000人の避難者が殺到。
9カ所の避難所で2000人を受けいれましたが、それが限界でした。
この日の午後、1号機が水素爆発。
事故の深刻化は誰の目にも明らかになります。

国は「万全を期すため」と言っていた避難区域を変更、20kmまで拡大します。

その頃、三春町各地に設置された避難所を一台の車が回っていました。
被災者の健康相談を担当すしていた町の保健師竹之内千智さんです。

そこから向こうまでずらっと自衛隊の布張りトラックがだーっと2~30台並んで、
向こうの奥の広いところに大型観光バスが沢山何十台もあって、
受け入れ拠点だった町民体育館は着の身着のままで逃げてきた人であふれていました。
避難者に端から声をかけ、病気の相談に乗っていた竹之内さん、
原発がある富岡町の妊婦が手にしていたある薬の服用について質問を受けました。
黄色い袋に入った丸い錠剤。
初めて見る薬でした。
竹之内:
もう一人巡回していた看護師と二人で、見た事もない薬なので、
逆に私たちも「これどこから貰ったんですか?」「なんて言ってもらいました?」って言って、
というような話をして、出発する前に、
「甲状腺にヨウ素を…被ばくする前の薬」って言ったのかな、
ただ「飲むか飲まないかは自由ですって言われたんです。どうしたらいいでしょう」ということで、
で、ん…即答はできなかったので、
「すみません、じゃあ私たちはちょっと帰って調べてみるので、待ってもらっていいですか?」みたいな感じで、
「それは大丈夫」という事だったので。
竹之内さんは所属する保健福祉課に戻り、避難所での経緯を話しました。
相談したのは二人のベテラン上司です。
保健福祉課の課長、工藤浩之さん。町民の健康管理を統括していました。
そして保健師の佐久間美代子さん、二人とも薬を知りませんでした。

町職員 保健師 佐久間美代子さん:
本当に素朴に「え?なに?」っていう位の事で、名称を見ても「なんなのかな?」という感じで、
ただ、分からないから「調べないと分からないな」っていう感じでした。
3月13日
翌日、工藤さん達保健福祉課のチームは、本格的な調査を開始します。
薬は「安定ヨウ素剤」
放射線被ばくから身体を守る効果がある重要な薬でした。
安定ヨウ素剤の仕組みです。
原発事故によって放出される放射性ヨウ素は甲状腺と呼ばれるのどの機関に蓄積されやすい性質があります。
これががんを引き起こす原因となります。
しかし、放射能を持たない安定ヨウ素をあらかじめ薬で送り込んでおけば、
放射性ヨウ素をブロックする効果があるのです。

この薬はまれに副作用が現れます。
ヨウ素アレルギーの人が飲むと、発疹や熱が出る事があります。
また、配布には国や県の指示と医療関係者の立ち会いが求められていました。

難しいのは服用の時期です。
薬は被ばくの24時間前に飲むと93%のブロック効果があります。

しかし、時間が経過すると効果は減少します。

被ばくの8時間後だと40%
24時間後だとわずか7%しか効きません。

適切なタイミングで飲む事が大事な薬なのです。
目に見えない放射能の危険性を竹之内さんは初めて知りました。
竹之内:
バッと資料を見せられて読んでいくうちに、すごい怖くなってきたんですよね。
ここに…居る事も大丈夫なのか?ということを、
自分自身の被ばくの不安も含めて「大丈夫なのか?」っていう…すごく不安が襲ってきたので、
「これは、すごくまずい事なんだ」というのが初めてわかりました。
保健福祉課のチームが調べた結果は、町の本部に届けられました。
報告を受けた災害対策本部の責任者の深谷茂さんです。
原発事故について考えた事もありませんでした。

副町長(当時)深谷茂さん:
我々は、原発そのものについての知識というか、そういったものはよその事だなと、
ちょっと、阿武隈山系挟んで向こうの、
浜通りの話しだろうというふうにしか、当時は思っていなかったんです。
そんな三春に、この日原発のある大熊町から、一人の職員がやってきました。
町で防災を担当し、原子力災害にも精通していた石田仁さんです。
震災後、徹夜で避難住民の誘導をしていた石田さんは1号機の爆発を間近に見ていて、
原発事故の深刻さを肌で感じていました。

大熊町職員 石田仁さん:
ドーンと1号機が爆発して、松の木の上から少し茶色というか、赤みがかった茶色の煙が
バーッと上がってきたんですね。
Q:音も直接聞きましたか?
石田:はい、聞きました。
Q:どんな感じの音でしたか?
石田:ドーンというような音でしたね。
石田さんの原子力災害の知識に深谷さんは驚きます。
原発対策のアドバイザーとして、何でも相談する事にしました。
役場の対策本部の一角に自席をもらった石田さんは、すぐに汚染状況を調べ始めます。
深谷さん達に示したのは、オーストリアの研究機関がつくった拡散予測でした。

大気の流れを計算し、汚染物質が飛ぶ方向を表していました。

石田:
どの程度のものが来るか、どういう状態で拡散しているか、
住民を守るには、やっぱりそういう情報がなければ動きようがないわけですよね。
「こういう状況ですよ」と。
「濃度はわかりませんけれども、本来はそのうちプルームが流れてくる可能性があるますよ」と。
「ここは、ちょっと濃いのが来るかもね」とか、
そういうふうな話しはそれを見ながらですね、話はしていました。
実は日本にもSPEEDIという拡散予測システムがあります
ーーつづく
2.福島県三春町ヨウ素剤決断に至る4日間 (内容書き出し)
3完.福島県三春町ヨウ素剤決断に至る4日間 (内容書き出し)
中村佳代子原子力規制委員「ヨウ素剤配布服用は汚染検査の後でいい」
検討チーム会合12/3OurPlanetTV(内容書き出し)
福島県三春町ヨウ素剤決断に至る4日間 1/3
未曽有の災害に襲われた人々と町の証言記録
第9回は福島県三春町です。

原発から遠く離れたこの町が、放射能から身体を守る薬の服用を決断しました。
三春は阿武隈山地の西の裾野に開かれた人口1万8000の小さな町です。
室町時代から続く城下町で、この地方の中心として発展してきました。
町の自慢は樹齢1000年と言われるしだれ桜の巨木滝桜です。

高さは14m。
毎年春になると、この木の生命力にあやかろうと30万人が訪れます。
三春にとって一番いい季節を迎える直前、あの地震が起こりました。
三春を襲った揺れは震度5強でした。

道路や家屋が次々と損壊し、町は混乱に陥ります。
そして三春から50km東にある東京電力福島第一原発で起こった事故が混迷に拍車をかけました。

そうした中、三春は放射のから身体を守る安定ヨウ素剤を入手。
しかし、服用に必須とされる国や県の判断は示されませんでした。

副町長(当時)
本当に我々が知りたい情報が出ているのか?ということがまず、
不信感が一つそこにありますよね。
ですから、それに対して自分たちが町民を守る以外にないんではないかと。

三春町は住民の健康を最優先に考え、独自の判断で薬の服用を指示します。

町職員・保健師
私たちは看護職なので、自分たちだけで薬を飲ませるというのは、基本的にはない行為ですよね。
なので、万が一何かがあって、責任を問われた時に、
やっぱり自分の保健師、看護士、助産師の職業生命が絶たれる可能性もあるなとは思いましたね。
不確かな情報が錯綜するなか自ら情報を集め、町民に薬の服用を促した三春町。
その葛藤と決断の記録です。
第9回 福島県三春町
~ヨウ素剤・決断に至る4日間~
2011年3月12日
震災翌日3月12日。
東京電力福島第一原子力発電所は、深刻な状況に陥っていました。
午前5時44分
国は5万人の住民に避難を呼び掛けていました。

10km県外に出ていただくというのは、これはまさに万全を期すため、でございますので、
えー、その点にご留意をいただき、落ち着いて退避をしていただければ、というふうに思って、おります。
避難区域は3kmから10kmへと拡大。
この時重要な避難経路となったのが、原発から見張る方向へ延びる国道288号線でした。

原発周辺の大熊町、富岡町に住む大勢の被災者が、阿武隈山地を超えた三春を目指しました。
3月12日以降、三春町の災害対策本部となっていた町役場です。

対策本部では、被災した三春町民の支援を続けていました。
その担当だった橋本國春さんのもとに一本の電話が入ります。
原発被災者の受け入れを求める依頼でした。

総務課長(当時) 橋本國春:
警察の方から、原発近くの相双地区の人達が避難されるんで、
三春町で何人ぐらい受け入れられますか、という話が、12日の午前中に電話があったという事。
私らはとにかくね、三春町の人の避難対応だけで、もう、ワタワタしていましたので、
どのぐらい?といった時に最初700人ぐらいと警察が行ったので、
まぁそれだったら、700人ぐらいだったら、受け入れてやったらという事で、
職員を何人か割り振ってその準備をしたという事です。
しかし実際には町に5000人の避難者が殺到。
9カ所の避難所で2000人を受けいれましたが、それが限界でした。
この日の午後、1号機が水素爆発。
事故の深刻化は誰の目にも明らかになります。

国は「万全を期すため」と言っていた避難区域を変更、20kmまで拡大します。

その頃、三春町各地に設置された避難所を一台の車が回っていました。
被災者の健康相談を担当すしていた町の保健師竹之内千智さんです。

そこから向こうまでずらっと自衛隊の布張りトラックがだーっと2~30台並んで、
向こうの奥の広いところに大型観光バスが沢山何十台もあって、
受け入れ拠点だった町民体育館は着の身着のままで逃げてきた人であふれていました。
避難者に端から声をかけ、病気の相談に乗っていた竹之内さん、
原発がある富岡町の妊婦が手にしていたある薬の服用について質問を受けました。
黄色い袋に入った丸い錠剤。
初めて見る薬でした。
竹之内:
もう一人巡回していた看護師と二人で、見た事もない薬なので、
逆に私たちも「これどこから貰ったんですか?」「なんて言ってもらいました?」って言って、
というような話をして、出発する前に、
「甲状腺にヨウ素を…被ばくする前の薬」って言ったのかな、
ただ「飲むか飲まないかは自由ですって言われたんです。どうしたらいいでしょう」ということで、
で、ん…即答はできなかったので、
「すみません、じゃあ私たちはちょっと帰って調べてみるので、待ってもらっていいですか?」みたいな感じで、
「それは大丈夫」という事だったので。
竹之内さんは所属する保健福祉課に戻り、避難所での経緯を話しました。
相談したのは二人のベテラン上司です。
保健福祉課の課長、工藤浩之さん。町民の健康管理を統括していました。
そして保健師の佐久間美代子さん、二人とも薬を知りませんでした。

町職員 保健師 佐久間美代子さん:
本当に素朴に「え?なに?」っていう位の事で、名称を見ても「なんなのかな?」という感じで、
ただ、分からないから「調べないと分からないな」っていう感じでした。
3月13日
翌日、工藤さん達保健福祉課のチームは、本格的な調査を開始します。
薬は「安定ヨウ素剤」
放射線被ばくから身体を守る効果がある重要な薬でした。
安定ヨウ素剤の仕組みです。
原発事故によって放出される放射性ヨウ素は甲状腺と呼ばれるのどの機関に蓄積されやすい性質があります。
これががんを引き起こす原因となります。
しかし、放射能を持たない安定ヨウ素をあらかじめ薬で送り込んでおけば、
放射性ヨウ素をブロックする効果があるのです。

この薬はまれに副作用が現れます。
ヨウ素アレルギーの人が飲むと、発疹や熱が出る事があります。
また、配布には国や県の指示と医療関係者の立ち会いが求められていました。

難しいのは服用の時期です。
薬は被ばくの24時間前に飲むと93%のブロック効果があります。

しかし、時間が経過すると効果は減少します。

被ばくの8時間後だと40%
24時間後だとわずか7%しか効きません。


適切なタイミングで飲む事が大事な薬なのです。
目に見えない放射能の危険性を竹之内さんは初めて知りました。
竹之内:
バッと資料を見せられて読んでいくうちに、すごい怖くなってきたんですよね。
ここに…居る事も大丈夫なのか?ということを、
自分自身の被ばくの不安も含めて「大丈夫なのか?」っていう…すごく不安が襲ってきたので、
「これは、すごくまずい事なんだ」というのが初めてわかりました。
保健福祉課のチームが調べた結果は、町の本部に届けられました。
報告を受けた災害対策本部の責任者の深谷茂さんです。
原発事故について考えた事もありませんでした。

副町長(当時)深谷茂さん:
我々は、原発そのものについての知識というか、そういったものはよその事だなと、
ちょっと、阿武隈山系挟んで向こうの、
浜通りの話しだろうというふうにしか、当時は思っていなかったんです。
そんな三春に、この日原発のある大熊町から、一人の職員がやってきました。
町で防災を担当し、原子力災害にも精通していた石田仁さんです。
震災後、徹夜で避難住民の誘導をしていた石田さんは1号機の爆発を間近に見ていて、
原発事故の深刻さを肌で感じていました。

大熊町職員 石田仁さん:
ドーンと1号機が爆発して、松の木の上から少し茶色というか、赤みがかった茶色の煙が
バーッと上がってきたんですね。
Q:音も直接聞きましたか?
石田:はい、聞きました。
Q:どんな感じの音でしたか?
石田:ドーンというような音でしたね。
石田さんの原子力災害の知識に深谷さんは驚きます。
原発対策のアドバイザーとして、何でも相談する事にしました。
役場の対策本部の一角に自席をもらった石田さんは、すぐに汚染状況を調べ始めます。
深谷さん達に示したのは、オーストリアの研究機関がつくった拡散予測でした。


大気の流れを計算し、汚染物質が飛ぶ方向を表していました。

石田:
どの程度のものが来るか、どういう状態で拡散しているか、
住民を守るには、やっぱりそういう情報がなければ動きようがないわけですよね。
「こういう状況ですよ」と。
「濃度はわかりませんけれども、本来はそのうちプルームが流れてくる可能性があるますよ」と。
「ここは、ちょっと濃いのが来るかもね」とか、
そういうふうな話しはそれを見ながらですね、話はしていました。
実は日本にもSPEEDIという拡散予測システムがあります
ーーつづく
2.福島県三春町ヨウ素剤決断に至る4日間 (内容書き出し)
3完.福島県三春町ヨウ素剤決断に至る4日間 (内容書き出し)
中村佳代子原子力規制委員「ヨウ素剤配布服用は汚染検査の後でいい」
検討チーム会合12/3OurPlanetTV(内容書き出し)
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コメント
これはすごかったですね 出てくる人たち
判断 決断 行動のくりかえりしとヨコヤリ?が
できることは全てつくすという男たち女たち
今見たら 奇跡の積み重ねみたいな 手術室より
すごいかもしれない とりあげてくれる人がいて
くれて感謝します
判断 決断 行動のくりかえりしとヨコヤリ?が
できることは全てつくすという男たち女たち
今見たら 奇跡の積み重ねみたいな 手術室より
すごいかもしれない とりあげてくれる人がいて
くれて感謝します
songyaitar | 2013.01.04 08:54 | 編集
こんにちは。
あまりにも限られた事情の中でヨウ素剤の可否を判断しなければならないとしたら・・逃げますよ。例えばとして自分の保護下にある子供達への投与を迫られたとしてもあまりにも準備のない中で副作用も予想されると知らされて・・日和って何も対応しない選択だってしたくなるというのが当たり前です。
後で責任だけをとらされる。通常時は国家と原発会社の電力会社だけで地方自治体はほとんど無接触ですから。自分の飯の種の資格さえも召し上げられるし。
だから地方自治体の職員と家族達は原発廃絶にも頑張れ!!と言いたいと思いました。論理的に考えてもホントにそうなんです。
本宅の周辺の放射線測定に呼んだら自治体職員が、アッチモ、コッチモとこき使われて、終わって解放されて帰りの車の中に乗り込んで迷惑そうにホッとしたその顔を見逃しませんでした。
では。
あまりにも限られた事情の中でヨウ素剤の可否を判断しなければならないとしたら・・逃げますよ。例えばとして自分の保護下にある子供達への投与を迫られたとしてもあまりにも準備のない中で副作用も予想されると知らされて・・日和って何も対応しない選択だってしたくなるというのが当たり前です。
後で責任だけをとらされる。通常時は国家と原発会社の電力会社だけで地方自治体はほとんど無接触ですから。自分の飯の種の資格さえも召し上げられるし。
だから地方自治体の職員と家族達は原発廃絶にも頑張れ!!と言いたいと思いました。論理的に考えてもホントにそうなんです。
本宅の周辺の放射線測定に呼んだら自治体職員が、アッチモ、コッチモとこき使われて、終わって解放されて帰りの車の中に乗り込んで迷惑そうにホッとしたその顔を見逃しませんでした。
では。
単純な者 | 2013.01.04 11:07 | 編集
(あら、こんなブログが)東大,東大と言いながら東大には
行ってない.
脳ミソも少々足りない感じだし,頭も大きくない.
つまり頭大ではない.
稲は,早稲田二部人文学部卒.電力中央研(東電施設)で
論文,東大へ東電が5億の援助と引き替えに博士号を…
(この稲も刈れるべな)
行ってない.
脳ミソも少々足りない感じだし,頭も大きくない.
つまり頭大ではない.
稲は,早稲田二部人文学部卒.電力中央研(東電施設)で
論文,東大へ東電が5億の援助と引き替えに博士号を…
(この稲も刈れるべな)
songyaitar | 2013.01.04 12:34 | 編集
私たち夫婦は、チェルノブイリ事故で原発の恐ろしさを知り、3・11以前から子どもたちにヨウ素剤を持たせ、事故におびえながら暮らしてきました。
あの恐ろしい事故の後、子どもたちにヨウ素剤を飲ませるべきか悩んだ悪夢のような時間を、今も忘れることはできません・・・
政府は、ヨウ素剤を全国民に配る義務を負っています。
日本に安全な場所などないのですから。
国民のみなさんには、ヨウ素剤を一度、手にしてもらいたいです。
そして、それを飲む日、子どもに飲ませる日のことを想像してみてほしいです。
こんなものを持たなければならないような暮らしはおかしいと気づくはずです。
国民みんなが気づけば原発は止まります。
あの恐ろしい事故の後、子どもたちにヨウ素剤を飲ませるべきか悩んだ悪夢のような時間を、今も忘れることはできません・・・
政府は、ヨウ素剤を全国民に配る義務を負っています。
日本に安全な場所などないのですから。
国民のみなさんには、ヨウ素剤を一度、手にしてもらいたいです。
そして、それを飲む日、子どもに飲ませる日のことを想像してみてほしいです。
こんなものを持たなければならないような暮らしはおかしいと気づくはずです。
国民みんなが気づけば原発は止まります。
このコメントは管理人のみ閲覧できます
| 2019.09.15 14:35 | 編集