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2.福島県三春町ヨウ素剤決断に至る4日間 (内容書き出し)

証言記録東日本大震災 
福島県三春町ヨウ素剤決断に至る4日間 2/3


2012年9月30日(日)放送


実は日本にもSPEEDIという拡散予測システムがあります。
汚染を正確に把握するために国が開発したものです。
しかしこの震災では停電などにより、肝心の放出源のデータが入手できず、
汚染の強さが計算できませんでした。
ヨウ素剤の服用判断はこのシステムにゆだねられていました。
国は最初の一歩で躓いていたのです。

SPEEDIがある原子力安全技術センターでは、事故当時放出減のデータが入手できなかったため、
仮の値を入れて計算していました。
13日には、一つの原子炉が完全に破損するという想定で、
放射能の拡散と濃度を予測しています。

三春町37

一番外側の黄色い線はヨウ素剤を飲む必要がある地域を示しています。
国は震災直後から毎日様々な条件で拡散予測を作成していました。

三春町38

しかし、そうした情報は三春には届きませんでした。


三春町39

副町長(当時)深谷茂さん:
放射能の拡散、それから放射能が拡散している人体に与える量、といいますかね、
そういったものがどういう状況なのか、
それが一番我々が知りたかった事ですよね。
それによって町民をどういうふうに誘導したり、これから対応するかという事が、一番、今回の事故の一番大事なところだったので、
そういったものをきちっと、我々が知りたい情報が欲しいんだという事は県に問い合わせはしていました。
ただ「それは分からない」と。
残念ながらそういう回答だったので。


3月14日

3月14日、午前11時1分、二度目の水素爆発が起こります(3号機)
この3号機の爆発により、原発は危機的な状況に陥ります。

県の情報を待てないと、深谷さんは自ら情報収集に乗り出します。
吹き流しで風向きを調べる事にしました。
取り付けた吹流しの根元の部分です。
もともとは先端にビニールひもが付いていました。

三春町40

副町長(当時)深谷茂さん:
ここに3m60cmぐらい、4mぐらいの竿の先に吹き流しを付けて風向きを見たということですね。

Q:ここから東(原発方向)というのはどちらになりますか?
深谷:向こうになりますね。
Q:防災無線の方向ですか?
深谷:そうですね。


深谷さんは自ら屋上に吹き流しを設置するとともに、職員たちにさらなる情報収集を指示しました。

副町長(当時)深谷茂さん:
テレビとネットしか実際に情報がないんですね、ニュースソースとしては。
当時私は部下の連中らに言っていたのは、
「そこに想像力と知恵を働かして判断というものが大事なんだよ」と。
「それをまさに、みんなでしよう」と。

14日午後、竹之内さん(保健師)達は独自に動き出していました。
安定ヨウ素剤を県が持っていることを突き止め、県庁のある福島市へ向かったのです。
県はもともと備蓄してあった原発周辺の6つの町のほかにも、薬の配備ができるよう調達を進めていました。

三春町41

保健師 竹之内千智さん:
県の本部の部屋があるんですけど、その前に広い廊下があって、
マスコミとかいろんな関係者が廊下に机を出して並べて、
その雑然とした中に、段ボールと、あとちょっと飛び出たこの箱たちが、
ダダンッて、雑然に並んでいたんですよねw
それを見てちょっとビックリしたところはありました。
なんか、「誰でも持っていけるじゃん」っていう環境だったので、
「薬をいくついくつください」っていう感じで担当者に言ったら、
結構、数え方とかも適当だし、
「これでいいのかな?」みたいな感じで貰ったんですけど。


竹之内さんは服用が必要な40歳未満の町民7248人分を手に入れました。
三春のアドバイザーとなっていた石田さんに薬を飲むタイミングを聞きに行った竹之内さん、
「明日、15日が最も危ない」と告げられます。

竹之内:
なんか、これ(3号機)がさらなるなんかの爆発をしたら、
「その時は僕たちは故郷を失う時です」と言ったのは、すごく強い印象として残っていて
その時の初めて、本当に、こう、
「命がけの事なんだな」っていうのを感じたのと、
「大事なのはやっぱり風向き、東風のタイミング」
「ただ阿武隈山地に引っかかってくれる事を祈っています」とだけは言っていました。



竹之内さんはこの時の石田さんの発言を記録に残していました。

三春町42

石田さんはしきりに原発からの風を気にしていました。
気象情報では明日15日は15時から風向きが変わり、原発方向から吹く東風になると予測されていたのです。
さらに夕方からは雨の予報も出ていました。
もし、東風と雨が重なれば、線量の高いホットスポットができる可能性がありました。

14日夜、明日が危ないという情報を手にした町の災害対策本部は、緊急の課長会を招集しました。
ヨウ素剤配布の是非を決めるのです。
呼びだされたのは12人の課長。
会議では市民感覚を知るため、あえてヨウ素剤に詳しくない人の発言を求めました。

まず、不安の声が上がりました。

三春町43

財務課長 村上正義さん:
原発が爆発していると、
だから個人的には「たぶん放射能は漏れているんだろうな」という認識はあったんです。
ただ、その時点で国とか東電とかマスコミからもですね、
そういう連絡とか報道はなかったわけですよ。

「この辺の線量ってどの程度なの?」と、
「その辺の把握をしたうえで判断すべきでないの?」と、

三春町44

産業課長 新野徳秋さん:
じゃあ、それを配って飲ませるという事になると、
「もう三春町がすでに、その原発の近くの状況と同じような状況になっちゃっているんじゃないの?」
というのを、逆に町民の方々に植え付けてしまうというか、
宣言するような事になってしまうのではないかなと、
逆にその方が、ちょっと心配が先に立ってしまった。


初めて経験する異常事態。
明確な答えは誰も示してくれません。
自分たちで最善の方法を模索します。

三春町45

総務課長(当時) 橋本國春さん:
11日以降、 なかなか、県との平常時の協議というか、そういう状態ではなかったので、
やっぱり、ある意味では、
うちの方だって県から貰ってきているわけですから、(県の指示なしで)それを配る事は、
ある意味では非常時のやむを得ない事かなというふうに思っていました。


三春町46

保健福祉課課長(当時) 工藤浩之さん:
配布はしたけど飲ませる指示を出さなくて、後で、「実は高濃度でした」という場合のリスクと、
後は配って「念のため服用して下さい」と言って飲ませた場合、結果として高くなかった場合と比べた場合、
「どっちが深刻な事が起きるか?」というふうに考えると、
後になって手遅れになって、結局高濃度の被ばくにさらされてしまった方が、
リスクは多いなというふうに考えましたので、
「やはり配るべきだろう」と。



課長会の結論は、可能な限り迅速な配布。
深夜11時過ぎ、結果を町長に報告します。

三春町47

町長 鈴木義孝さん:
いろいろ、その副作用もね、いくらかあるという事も、
保健師やなんかの調査の中でね、やったけれども、
「そんなに人体に影響を及ぼすものではない」という、そういう事の判断から、
「よし」と、
「課長会で結論を出したならそれでやれ」と、
「あとはもう何があっても責任を持つから」ということで、そういうふうな判断をしたと、


会議と同時進行で配布の準備が着々と進んでいました。
保健福祉課が中心となり、薬を渡す町民7000人のリストアップを完了させていました。
さらに役場中から30人の応援を得て、封筒に名前を貼る手筈も整っていました。
各世帯の人数と、年齢に応じた数のヨウ素剤を、一つずつ袋に詰めるのです。

配布前、保健師たちはある覚悟を決めていました。

国が作成したヨウ素剤の取り扱いマニュアルです。
三春町48 三春町49

配布には医療関係者の立ち会いが求められていました。
今回、医師は被災者への医療に専念してもらい、ヨウ素剤の対応は保険した対応しました。


竹之内:
やっぱりこれは、基本的に劇薬ですし、
お薬っていうのは医師の処方があって初めて出せるものだし、服薬させられるものなので、
私たちは看護職なので、自分たちだけで薬を飲ませるっていうのは、基本的には無い行為ですよね。
なので、万が一何かあって、責任を問われた時に、
やっぱり「自分の保健師、看護士、助産師の職業生命が絶たれる可能性もあるな」とは思いましたね。



3月15日

15日午前6時ごろ、第一原発では二つの原子炉が相次いで損壊。
中でも2号機は格納容器の破損と疑われる異変が発生。
極めて高濃度の汚染を引き起こします。
三春町50 三春町51

この時、原発周辺では、南へと風が吹いていました。
高範囲に広がる汚染に三春が気付いたのは、早朝のテレビでした。

NHKニュース 15日午前7時5分:
原発から南におよそ80km離れた福島県との県境にある茨城県の北茨城市では、
今日になって、放射線の量の値が上昇していることが、茨城県の測定でわかりました。
午前4時には1時間当たり4.87マイクロシーベルトと、通常の100倍近い値を示したということです。
三春町52


報道によると、三春よりも1.5倍も離れた茨城県にまで、強い放射能汚染が広がっていました。
朝8時、町長の出勤を待って、町は服用の決断を下します。

副町長(当時)深谷茂さん:
北の風から、南の風に、東の風に変わるという事は想定されていたし、
15日の午後にはこの辺も雨またはみぞれだという事もあって、
そうすれば、そういった放射性のプルームっていうんですかね、
そういったものが雨で叩かれる心配は、一番強くなるのは15日だろうと、その午後だろうと。
そこに2号機、4号機が、朝そういう状況だとすれば、
やはり、今日がそのタイミングだろうという事も踏まえて、
町長がここに出勤すると同時に
「町長、今日がやはり服用のタイミングだと思います」という事は申し上げました。


2号機の破損により周囲の線量は上昇。
午前11時、国は新たに30km圏内に屋内退避を指示します。

深谷さんが取り付けた役場屋上の吹き流しです。
この時、両側にある山の影響で、風が乱れてしまい思うように観測できませんですた。
風を測れるいい場所はないか?と、深谷さんは町の東側に土地勘のある議長の本多さんに相談します。



つづく




1.福島県三春町ヨウ素剤決断に至る4日間 (内容書き出し)



3完.福島県三春町ヨウ素剤決断に至る4日間 (内容書き出し)

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コメント

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三春町・満開の桜

きーこさん、初めて三春町の事知りました。良い動画を紹介して下さってありがとうございます。(我慢出来なくなって、YoutubeでPart3も見てきちゃいました。)

感激しました。
三春町職員の皆様方、あなた方は、掃き溜めの鶴、泥沼の蓮、瓦礫の中の白百合です !! 

日本の政治・行政の土壌は、無責任な事なかれ主義、出る釘は打つ懲罰主義、先例・自己保身優先、人間愛のかけらもない権威主義と言ったヘドロにまみれています。もう「日本人」自体が、根源的にそれで出来ているのかと絶望する位、原発事故後、何度も何度も、これでもかこれでもか、と、その情けない、全くプラス方向に機能しない、日本的なあまりに日本的な、ど臭いヘドロを見せ付けられてきました。

けれど、三春町は、そのヘドロの中に埋もれずに、自力で満開に咲いたしだれ桜の巨木のようです。

国や県の指示を(永遠に)待って、何もせずにいる事も出来たはずです。でも、町の保健師さんから始まって、保険福祉課長、副町長と、あの混乱した緊急時に、自分達で調べて自分達で必要な事を判断し、その時に最適だと思った事を実行しました。その過程では、権威主義・官僚主義の県の地域医療課の職員に、抵抗もしなければならなかったのに、やり通しました。町長も、最後は自分が責任をとると言う勇気がありました。日本のヘドロ土壌では、ほとんど奇跡と言っていいでしょう。

これは、人間愛と勇気の金字塔です。人間性と「日本人」に対する希望を持たせる偉業です。日本国民は、これを顕彰・褒賞するべきです。さらに、三春町大賞と言うのを作って、今後このような勇気ある人間愛に基づいた行動を、独自の判断で、時には上の判断に背いても実行する組織・団体・個人を、顕彰していくべきです。日本の官僚主義の打破の一環としても。

工藤保健福祉課長、久しぶりに日本の「男」を見た思いです。かっこいい。(NHK、折角良い番組を作ってくれたので、ついでにその県の「勝手な事をするな、ヨウ素剤配らないで回収しろ。」と言った職員の名前と顔、インタビューなども入れて欲しかった・・。)


・・・誰だ、三春町が普通なんだ、国と県が、おかしいんだ、とか言うのは? そうです、この国は、おかしい方が普通になってると言う、超おかしく悲しい国なんです。だから、三春町が、燦然と輝く満開の桜なんです。

三春町の皆様に、幸あれ。(誰も、懲罰とか受けてませんように。)

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