この背後に信じられない恐怖の出来事がひそかに進行していた…
ニューメキシコ州で最初の原爆実験を成功させた“原爆の父”ロバート・オッペンハイマーは、
最初の核分裂連鎖反応を成功させたエリンコ・フェルミに対して、
マンハッタン計画中の1943年5月25日付けで、
放射性毒物兵器による「50万人殺戮計画」の書簡を送っていた。
この二人は核開発の中では偉大な二人にされていますが、
このオッペンハイマーはエンリコ・フェルミに対してとんでもない計画を戦争中に進めていたんです。
それは、「放射性毒物兵器」というもの。
いいですか、放射能で人間を殺せるんだ。
50万人殺戮計画という、書簡を送っていた。
本当でしょう。
実際に機密に処理されていて暴露された
エリンコ・フェルミ様とオッペンハイマーが書いた文書があります。
ここにSECRETと書いてある上にCANCELEDと、上に押してある。
これがですね、実をいうとアメリカのピューリッツァー賞を受賞したアメリカの
「プルトニウム人体実験」

これを全部暴露した。
私はこの本の翻訳を頼まれましたので、この事をちょっと引用します。
どういう事を書いてあるのか。
エリンコ・フェルミ様
放射能で食品を汚染させる問題について報告します。
私はすでにいくつかの作業を進めています。
……50万人を殺すのに食べ物を充分に汚染できない場合には、計画を試みるべきではないと考えます。
というのは、均一に分布させる事が出来ないため実際に被害を受ける人間がこれよりはるかに少なくなる事は間違いないからです。……ロバート・オッペンハイマー
50万人を殺すのに食べ物を均等に汚染させられないからどうするかという事をですね、
具体的に考えています。
こういう恐ろしい人間たちが原発開発の裏にいまして、
彼らがいったいどういう世界から出てきたか?というと、
マンハッタン計画の首謀者達がですね、
全米でなんと人間にプルトニウムを注射して人体実験をしようということで、
人体実験をやっていたというのが先程のアメリカの達が考えていた事実で、
これはもう寒気がするようなことですが、
アメリカ人も人体実験をさせられていまして、
それがマンハッタン計画の首謀者たちと、みんな関係がある病院を使って行われました。
で、どういうことか?
マンハッタン計画というのは原爆開発班だけが有名なんですけれども、
その背後に医学班というものも存在しました。
マンハッタン計画には有名な「原爆開発班」だけではなく、
第二の部門として「医学班」が存在していた。
彼らが放射能の危険性を研究した部隊である。
その最高責任者。医療班の主任がスタッフォード・ウォーレンであり、
彼自身がプルトニウム生体実験を認可した当人であった。
医学班、つまり放射能の危険性を研究するという連中がいまして、
さっきは、シールズ・ウォーレンでした。
名前がちょっと違いますが、医療班の方はスタッフォード・ウォーレンで、
もうひとりのウォーレンでして、これがプルトニウム人体実験を認可した当人なんですが、
こうしてですね、スタッフォード・ウォーレンがどこででてきたか?というと、
スタッフォード・ウォーレンはニューメキシコ州での最初の原爆実験で放射性物質の効果を観測し、
多くのものがかなり大量に被曝したことから、
「3.2キロメートル以内の被ばく者には、死亡者または重傷者が出る恐れがある。
放射性降下物によって極めて重大な潜在的危険性が残されている」と報告した。
そのウォーレンが原爆投下後の広島と長崎に姿を現し、後のABCCと共同で被爆者を観察した。
最初の原爆実験をやった時に彼は全部観察をしていてですね、
「・・・・潜在的危険性が残されている」こういう事がすでに分かっていました。
そういう事から、ま、実際にですよ、マンハッタン計画に従事した人間も大量に被ばくをしました。
しかしそれを表にすると大変な事ですから、
全部こういう事は極秘に進めて言ったんですね。
そのスタッフォード・ウォーレンが、さっきのシールズ・ウォーレンの作ったABCCと共同でですね、
被ばく者を観察しています。
つまり、彼の、スタッフォード・ウォーレンの記録を読むと、
彼は、広島、長崎に来ているんです。
原爆が投下されてしばらくしてからですね、来ています。
ということで、今度はソ連がですね、ついに最初の原爆実験を成功させまして、
1949年8月29日
ソ連がシベリアのカザフ共和国セミパラチンスク核実験場に於いて
最初の核実験(アメリカのFat Manのコピーとして製造されたプルトニウム型原子爆弾)に成功。
セミパラチンスクでは、1949年~1989年までに470回の核実験が行われ、
うち100回以上は大気中であった。
アメリカにも負けていないで、こういうですね最初のソ連の原爆です。
1949年、ソ連最初の原爆RDS-1の模型。
写真の人物はイーゴリ・クルチャトフとともに核開発就任となったユーリー・ハリトン。
こうして、東西冷戦というものがいわゆる核兵器の対立になって行ったわけです。
その翌年の1950年
国際X線及びラジウム防護委員会が
名称をICRP(国際放射線防護委員会ーInternational Commission on Radiological Protection )
に変更し、許容線量の値を改定した。
この時…放射線医学、放射線遺伝学の専門家以外に
原子力(核兵器)関係の専門家も委員に加わるようになり、
放射線被ばくを正当化しようとする勢力が介入して、
委員会は「放射能の危険性を隠蔽する組織」へと変質し始めた。
このICRPが、現在の全世界の放射線安全基準の作成者である。
許容線量を改定したんですが、この時に、こういう時代だからなにが必要か、
まず、核兵器をつくることが重要なんです、彼らは。
被ばく者がどんなに出てもしょうがない。
減らせるものなら減らしたい、しかし、その人間たちがどれ位の被ばくをするかは、
調べながら、同時にですね、
彼らは被ばく者をモルモットにしながら、
このICRPが現在の全世界の放射線の安全基準を作成するという事からはじまりました。
この時に核兵器の専門家が専門委員会の中に介入し始めた訳です。
戦争のために介入し始めたんですね。
そしてですね、この時から、
ICRPに改組されてから、核実験や原子力利用を遂行するにあたり、
一般人に対する基準が設けられ、
1954年には暫定線量限度、1958年には線量限度を勧告した。
一般人に対する基準が新たに設定された事に対して、
アルベルト・シュバイツァー博士は、
「誰が彼らに許容することを許したのか」と憤った。
一般人に対する基準。
だって大気中核実験をやるんですからね、
世界中の人間が被ばくする訳ですから、
それなら基準を設けなければいけないという事で、
基準を設けてそれから線量限度を勧告するようになって行ったんです。
そしてこの基準というものがどこから出てきたかと言いますと、
そのひとり恐るべき主導者がジョゼフ・ハミルトン。
プルトニウム人体実験で中心的な役割を果たした医師。
カリフォルニア大学の放射線医学の権威として、
1936年おそらく世界で最初に放射性物質を人体に注射した人物として知られる。
マンハッタン計画の研究プロジェクトの主任を務め、
のちに、核実験を主導した原子力委員会と、
国際放射線防護委員会(ICRP)の放射能許容値データの大半を作成して大きな役割を果たした。
ジョゼフ・ハミルトンは人体実験をした中心的な医師。
医者なんですよ。
マンハッタン計画の主任を務め、そしてこの核実験の主導者原子力委員会、
そしてICRPの許容値データの大半を作成している。
こういう事で、我々の被ばく量が決められている、とんでもないですね。
現在チェルノブイリ事故と福島原発事故の被ばく者をはじめ、
国際的に問題となっている原子力発電の放射能被曝量は、
国際法さ線防護委員会(ICRP)が定めた安全基準、
いわゆる閾値と呼ばれるがんなどの発生限界を基に危険性が議論されている。
その基準となったデータは、
広島・長崎で分析された被ばく量が大きな算定基準になったと言われてきたが…
これがいま、ICRPのインチキと言われる安全基準は、
広島・長崎の被爆者のデータを基にしたと言われています。
今でもそれしか語られませんが、そうじゃないんです。
先程のアメリカのハミルトンが、ぞっとするんですが、
実は恐るべきことに、この人体実験医ハミルトンの指導のもとに
カリフォルニア大学バークレー校クロッカ―研究所から大半のデータが供出されていた。
今人類は、その殺人医師のデータに子どもたちの生命を賭けているのである。
この人体実験をやった人間たちがですね、大半のデータを供出して
今それを我々が、安全基準だという事で、
新聞記者たちが「分かりやすい放射能の話し」なんていうのを新聞に書いている。
そういう物の根拠がこういう所にあるわけです。
皆さんそんなもの信じますか?
殺されますよ、本当に。
その連中は殺人鬼ですから、ハッキリ言っておきますけれども。
それからもう少し詳しいお話をしますけれども、
アメリカ人がソ連と対立するためにもっと核実験を大々的にやらなければならない。
核兵器をどんどん大型にして強力にする計画ですね。
1951年1月27日
アメリカネバダ州で最初の原爆実験Ableが実施された。
朝鮮戦争の勃発とともにネバダ州での大気中核実験が大規模に開始され、
ABCC創設者のシールズ・ウォーレンがその・・・・
そしてついには自分の、アメリカ政府があそこは砂漠だから大丈夫だろうというんで、
そこで原爆実験を始めました。
そしてその時にABCCを設立したシールズ・ウォーレンがですね、
その放射能関係の最高責任者を務めて、
そして死の灰について安全量の世界一の権威者になっていきます。
そして、沢山のがん患者が風下地帯に生み出されました。
全世界、5カ国の合計で525回の大気中核実験です。
我々の子どもの時代です。
見て下さい、これアメリカの兵士ですよ。

この、ドーン!といってキノコ雲が上がっているところへ鉄砲を持って突っ込んでいくんですよ、
信じられますか?
こうやって見ているんですよ、目の前で。
やりたいですか?みなさん。
これは全部当時の記録が残っています。
全部記録映画が残っているんです。
そしてキノコ雲に向かって突っ込んでいく。これでなにも起こらないんですか?
30万人を超えるアトミックスが、いろんな癌やなんかになっていって、
80年代から90年代に掛けて全米で訴訟が起こされているんです。
「我々はアメリカ国民なのに国に騙された」」
と言ってみんなが立ちあがったんですね。
それ以後、
ここのところがネバダ州なんですが、隣のユタ州で風下。
わかるでしょ?これ。

なんで死の灰がこっちへばっかり流れているか?っていうと、
こっちに流れている時だけ核実験をやったんです。
こっち側のカリフォルニア州は何にも落ちていないでしょ?
だからそっちには行かないようにしたわけです。
という事で全米にこうして大量の放射性物質をばらまいたんですが、
とくにこのユタ州の町等は町中が癌になって倒れていく。
という事で大変な被害を受けました。
しかしですね、
ネバダ州で行われた大気中の原爆実験100発に比べて、
福島第一原発から放出された放射性物質は遥かに多い。
ネバダ州の核実験100発で出た放射能は福島に比べてはるかに少ないです。
福島の方がはるかに多いです。
それから距離から言いまして、この風下になった町は200kmぐらい離れているんですよ、爆心地から。
という事は、福島第一から私の家東京は230kmぐらいですか。
だからそれぐらい離れているんです。
ところがそれぐらい離れたところで、大量の被ばく者が出まして、
そして次々と死んでいく

当時のアメリカ政府はご存じのように
原爆実験には危険の可能性はある、しかしそれは人間が死ぬという可能性ではない。
医学的に絶対安全とされている量よりも、
わずかに上回る放射線を浴びるかもしれないという危険にすぎない。
ということです。
そしてですね、
被害住民は
汚れた雲が通った後、子どもたちが次々と白血病にかかっている。
目の無い赤ちゃんが生まれた。
流産が増えている。
子どもたちの甲状腺異常が増えている。
癌が増えている。
風下地帯のユタ州では白血病のは成立が370%にも達した。
女性の甲状腺がんが300%近くになった。
アメリカ政府は
あのような微量の放射能で人が死ぬはずありません。
政府は言い続けました。
そしてこの言葉をよーく読んで下さい。
放射線被ばくで大量のがん患者を出した町民に対してアメリカ原子力委員会が語った言葉。
全く危険はありません。
放射能について心配しない事こそ、あなたにとって最善の行動なのです。
一番汚染された町の年間の被ばく量は最高で500ミリレム(5ミリシーベルト)でした。
これらは、私たちが自然界から受ける放射線100ミリレム(1ミリシーベルト)とくらべて、
殆ど変わらない安全な量です。
高い山に登ると240ミリレムの放射線を受ける場所が沢山あります。
人間の体内にも、もともと放射線を出す物質があります。
福島県民がどこかで聞いた言葉ではないか?
みなさんもこの事と同じ事を聞いたでしょ?
同じなんです昔から、手法が全く変わっていません。
だから被害が出るんです。
いいですか、
恐ろしい人たちがいう言葉はこの1950年代の原発実験の記録を見ると全部わかります。
山下俊一たちが言っている言葉と一語一句変わりません。
何も変わりませんよ。
つづくーー
動画はこちら↓
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コメント
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| 2012.12.18 14:23 | 編集
きーこさん、いつもありがとうございます。
広瀬さんの講演、1~3まで転載させていただきました。
http://www51.atwiki.jp/omotochikatatsuya/pages/100.html
よろしくお願いします。
広瀬さんの講演、1~3まで転載させていただきました。
http://www51.atwiki.jp/omotochikatatsuya/pages/100.html
よろしくお願いします。