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12.20
Thu

Youtubeに画像がクリアな動画が出ていましたので、
今回からこちらを見て文字起こしします。


1:11:56


日本における被ばく隠しの黒幕

さぁ、皆さんの命を握っている人間たちの正体を暴いていかなくてはいけないんですが、
同じ今のIAEA、ICRPの仲間が福島県に入って、
放射線リスク関係アドバイザー、長たらしいわけの分からない名前をもらった連中が徘徊していますが、

放射線医学総合研究所(放医研)
日本アイソトープ協会
日本財団(笹川財団)
放射線影響研究所(放影研)
文部科学省
とは何者か?


先程の放射線医学総合研究所、放医研、それから日本アイソトープ協会、日本財団、旧笹川財団、
それから放射線影響研究所、これは千葉にありますが、それから文部科学省。
こういう連中がどうも怪しいという事はみなさんうすうすお感じになっているでしょうが、

そもそもはさっき言ったように日本放射性同位体元素協会、非常に優れていた核実験反対のためにですね、
亀井文夫監督たちと組んでいた人たちだったんですが、
1957年にですね、さっきのような時代に、
放射線医学研究所が同時に設立されます。

1957年7月
放射線の人体への影響、放射線による人体の障害の予防、診断と治療、
放射線の医学的利用に関する研究開発などの業務を総合的に行い、
放射線医学に関する科学的技術の水準の向上を図るとの名目で
放射線医学総合研究所(放医研)設立


で、武谷三男さんって皆さんご存じだと思います。
本当はノーベル賞を受けるほどの物理学者で、
かつては原子力平和利用を信じていた人ですが、「原水爆実験」とか「安全性の考え方」
それから「原子力発電」とかこういう本を書かれまして、

かつて原子力の平和利用を主張していた物理学者・武谷三男
「原水爆実験」(1957年)、「安全性の考え方」(1967年)等を出版して、
アメリカの核実験による放射能汚染放置を批判し、
「原子力発電」(1976年)で原発の危険性を論破した。


私たちが市民運動を始めた時に、武谷さんをお呼びしてですね、講演会を何度も開きました。
武谷さんはその時、最初私が武谷さんに電話して
「武谷さん、講演会を開きたいんですが来て下さいますか?」って言ったら、
「君はどこの住民だ」っていうから、
「杉並区です」って言ったら、
ちょうど杉並区ってゴミ戦争というのがありまして、
我々杉並区民から出た大量のゴミを江東区やなんかのいわゆる下町に
どんどん送り込んで平気な顔をしている、そういう時代でしたので、
武谷さんはそういう物事の倫理というものを理解していない所には行きたくないんですね。
だから私はちょうど自分の思っている事を言いました。
「いま、むこうが、下町がゴミをみんな拒否してくれたんで、街中にゴミが散乱してみんな困っています。
私は『ざまぁみろ』と思っています」って言ったら、
「行きます」って、
それで飛んで来てくれて、私をずっと指導してくれました。
その武谷さん達と原発の危険性をどんどん論破しておりました。

しかしですね、先程のような流れの中で、

しかしすでに1954年の原子力予算さんからスタートした
政界・産業界・学界が連携した日本の原発運転再開計画は軌道に乗り、
1966年7月25日に
わが国最初の商業原子炉・東海発電所(ガス冷却式の16.1万kw)が運転を開始。
続いて1970年3月14日に、大阪万博の開会日に合わせて、
原電の敦賀原発1号機が大々的に営業運転を開始した。

もう、ついに1960年代に入りまして、茨城県東海村で1号機が運転を開始する。
そして70年にはちょうど大気汚染の時代、大阪万博が開かれたその日に合わせて、
日本原電の敦賀原発1号機が大々的に運転を開始しました。


今我々がみているニュース

広瀬隆121448

真下に活断層がある
これが1970年に動き出したんです。
まさにこれ、この原子炉は40年間ずーっと運転していて、平気だった。
このニュースを今、今月見ているわけです。

ね、分かるでしょ?どれほど狂った国か。

だけどその狂ったのはそれだけじゃない。

同年1970年11月28日に
電力会社の原子炉として最初の関西電力美浜原発1号機が運転開始。
続いて1971年3月26日に東京電力の福島第一原発1号機が運転開始。


ちょうどその年、今度は電力会社として関電の美浜1号が動き出して、
翌年この東電の福島第一原発1号機が運転を開始した。
そういう時代でした。

そしてですね、その時に、
日本放射性同位元素協会が日本アイソトープ協会というアルファベット名に代わりまして、
これから、豹変していきます。

その年、1971年8月1日に日本放射性同位元素協会が日本アイソトープ協会と改称して、
良心的な科学者を追放(パージ)して
「放射線の有効利用」を看板に、原発推進組織に豹変し始めた。
その中心人物は東京大学総長の茅誠司ら、原子力発電推進者であった。
また放射線医学総合研究所(放医研)も原発推進組織の正体を見せ始めた。


まさに、原子力の時代をリードしていかなければいけない。
それは、先程のアメリカのAEC原子力委員会と同じ発想で、
要するに、放射能の安全論を広めって行かなければならない
そのために放射性同位元素をどんどんどんどんいろんなところに普及させる、使わせる。
そういう事をやっていけばみんな慣れてくる。

そういう形で東大総長の茅誠司らがですね、原発推進学者達が動き、
そして、このアイソトープ協会が完全な原子力推進組織に豹変して、
そして良心的な科学者は全部パージしました。
そうして、放医研も原発推進組織に豹変しはじめた。
これがちょうど福島の原発が動きだした時と全く同じです。

そして放射線の有効利用キャンペーンがどんどん広がっていく訳です。
日本は世界で飛び抜けたX線CTスキャンの検査回数を誇る異常国家です。

「放射線の有効利用」キャンペーンのため、
日本は世界で飛び抜けたX線CTスキャン(コンピューター断層撮影Comruted Tomography)の
検査回数を誇る異常国家となった。
これは、日本の医療界の病院収入を検査日が支える構図を生みだし、
医療界・医学界がほとんど、放射線・放射能の危険性を主張しなくなった。


これはお分かりと思います。
医療関係の方ならば特にわかると思うんですが、
ともかく医療界の病院収入を支えるのは、今、検査費とそれから薬代なんですね。
ここに依存するようになってきた、それがどんどんどんどん広がっていく。

これを見て下さい。
CTスキャナーの保有台数。

広瀬隆121449

日本だけ異常に多いでしょ?
こういう形でみなさん、どんどん被曝させられてきている。
こういう国が日本。

だから今、これだけの福島で大変な事故が起こっているのに、
私が一番腹が立つのは医学界なんですよ。
日本の医学界が立ちあがらないでしょ?
こんな危険な状態を放置して、声明一つ出さないでしょ?


ここが外地との違いなんです。
ドイツの場合再処理工場を閉鎖させるために、先頭になって動いた人たちはお医者さん達なんです。
それで国民がどんどんどんどん変わって行ったんです。

「本当に危険なものだ」その事を教える人たちがいないんです。

だから恐ろしいんです、私はこの日本という国が。

そして先ほどの広島長崎の被爆者をモルモットにしていた、あの恐るべきABCCが、
1975年から日本に受け継がれて放射線影響研究所・放影研と名を変えます。

一方で、1946年から広島・長崎の被爆者をモルモットにして観察してきた
アメリカの原爆傷害調査委員会(ABCC)が、
1975年に日本に受け継がれて改組され、
放射線影響研究所(放影研)となった。


この時なんですが、この受け皿になったのが、厚生省の国立予防衛生研究所、予研と呼ばれる組織です。
これは歴史を調べた事のある人なら、すぐにピーンッ!とくるでしょう。

このとき、ABCCの受け皿となったのが
1948年からABCCの調査プログラムに正式に参加していた
厚生省国立予防衛生研究所(予研)であり、
予研にはなぜか、戦時中の細菌・化学戦研究のために生体解剖などをおこなった
大日本帝国陸軍“七三一部隊”の残党が大量に流れ込んでいた。
このおぞましい殺人部隊の犯罪を、細菌戦資料の提供を交換条件に、東京裁判で免責にしたのは、
戦後の米軍であった。


戦時中ですね、恐ろしい。
中国人たちを丸太と呼んでですね、人体実験をやった、
あの生物化学兵器の人体実験をやった
恐るべき組織“七三一部隊”の残党がこの予研に大量に流れ込んでいる。

そして戦後東京裁判で、この“七三一部隊”が何故裁かれないのか?といいますと、
アメリカが乗り込んできた時、“七三一部隊”の殺人の、要するに実験データを「全部よこせ」と、
「そうすればお前たちは免責してやる」ということで、
たった一人もですね、今日まで裁かれていないんです。
あの恐るべき部隊がですね。

そういう構造の中でABCCが、この日本に受け継がれてきました。

また、戦後からすぐ、広島・長崎の医学者と医者のかなりの人間が、
ABCCの調査に協力して、被爆・被曝の被害隠しに努めた
それらの人間の後継者が、「放射線はこわくない」と言い続け、長崎大学の教授になって行った。


ですから広島・長崎の良学者と医者の良心的な人と、
一方ではですね、このABCCの調査に協力して、被害隠しに努めた人間が沢山いて、
それがですね「放射線は怖くない」と言い続け、長崎大学の教授に次々となっているという、
こういう構造です。



つづくーーー


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