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12.31
Mon

下地先生と一緒に逮捕され、一緒に釈放された方の報告会見です。
とても明るく報告されていますが、
このような方が20日間も拘留されていたという事は、私はとても許せません。
文字に起こしてしまっていいものかどうかちょっと悩みましたが、
ごく普通の家族を巻き込んで突然このように権力を振りかざしてくるという事があるという事実を、
私たちは知っておくべきだと思いますし、
また、このような事を知らん顔して放置していたらいけないと思います。


下地先生釈放会見11




2012年12月29日 釈放記者会見





30:09~
下地先生釈放会見14


拘留後半の時多くの方に来ていただきましてありがとうございました。
それも含めましてみなさんのおかげで、こうやってここにおるんですけれども、
まぁ、感想と言えばいろんな面で霜で先生がお話しいただいたのとほとんど重複しまして、
「がれきに何故反対するのか」というのは拘留後半で三日三晩寝ながら考えた演説をうちまして、
その時は普段全然無関心を装っている嫁さんと長男も来まして、
「まァまァ出来が良かったよ」と言われましたので、
そうした評価もありますので、今度、来年の16日ですか、
此花説明会で、私や下地さんはなんぼ手をあげても当ててくれないでしょうから、
タマちゃんとか、フェイントをかけて当たる人がいますんで、
当たった人がまた回してくれたら一席ぶちたいなと考えております。
最初にお願いしておきます。


そういう事も含めまして、私はネット上では、丑年生まれだからウシなんで、
今後はですね、北堺141号のウシですというかたちで、
橋下君はじめみなさんが新たなキャラクターで私に名前をくれたと思いましてね、

実は下地先生もちょっとおっしゃっていましたけれど、
私も暇だったもんですから、3直の弁当がこういうもんだっていうのをね、
場内はこういうもんだとか、
で、朝7時から始まっての、こう、いわゆる体育会系なんですよね。
私なんかは普段早く寝て早く起きているもんですから、
9時に電気が落ちちゃうんで、どうしても寝なくちゃいけないんですけれども、
その前に私なんかもう寝てるんですよね。
酒がないでしょ、
煙草も、たばこは吸わないんですけど、5時ですから、ご飯食べるの。
5時ですからね、だから8時に寝るとすこし窓を見るんです、鉄格子の外側にはられた。
それが白けてくるのが何時かなというのを何回かやっていると、
最近、この2~3日は違ってきましたけれど、
入った当初はちょうど7時になるとポッと白くなったんです。
まだ、朝が遅いというか、
それを見てそろそろいいかなぁ、と思うんですけれども、
あんまり早いとまた怒られますんで、
ま、そんな形の中でこんなふうな問題をやったり、
ずーっと毎日やっていますと、本当に、出てきた方がちょっとアレでしてね、
いる方が調子いいかなと思う位の―笑ー
コント141号みたいなですね、
なんか脚本でも書いて大阪発で全国ネタにしてもらえないかなと、思う位な感じなんですけれども、
まぁ、それはそれとして、
ちょっとそういう意味で私も貴重な体験をしましたので、
その中でちょっと考えた事を先に申し上げます。

今日来られているんですけどもね、たまたま下でお会いしたんですけど、
何カ月か前に成田の空港問題で、
「成田空港をもう一度農地に取り戻そう」と言う、将来的な仕事をやっている農家の方がおられます。
多分そういう方がつくられた農作物を、福島の新鮮な野菜が欲しい方に届けている。
そういう事をやってた方がおられたみたいで、私は知らなかったんですけれども、
そういう方が逮捕されて、
それを支援されてる牧師さんまで自宅にガサが入ったと。
その集会にたまたま行ってその話を聞きまして、
「そんな事が今でもあるんかい」と。
ま、私は実は今は63ですけど、成田抗争とかいろいろありましたんで、全然知らない事はなかったんで、
ああ、そんな事を今でもやっている人がいるんだし、
そんな事を追っかけている奴がいて、
さらにガサ入れまで今でもやっているんだという事に、
一種他人ごとながら「えェッ!」って思っていたんですけれど、

2~3カ月したら私の家に朝が来まして、
ピンポーンって言って、パッと目が覚めたんですけれども、
その後、出ないで「誰かな?」って思っていたら、ガタガタガタって、やるんですよね。
そこまでやるのは、近くに住んでいる息子が小学生に今度なる孫を連れてきた時に、
孫が「ジージ早く開けてよ」って、こうやるんですね。

もう、ピンポーンの次にガタガタっていたから、孫が来たなと思って開けたら、
バーッ!となんか令状みたいのを出して、
ドドドドッ!と7人ほど入ってきて、「あれやこれやですぐに来い」と。
こっちの部屋で嫁さんは寝てたんですけど、「どうしたんだ」って起きてきて、「あれやこれや」と言って、
嫁さんの部屋にも入ろうと思ったらしいんですけど、
「うちの旦那の容疑だったら私の部屋には入らんといて」いうて、
断固としてなんか、部屋には入らせないでですね、
ま、最もすぐビニールに、携帯とパソコンはその夜使ったまま、
夜中の12時ぐらいまで私は仕事をして、普段は夜ほったらかして寝ちゃうもんですから、
持って行ったものを見ても結果的にはパソコンと携帯と、それから私の部屋からチラシを何枚かと、
それから最近ちょっと企画をした、白い放射能に禁原発と入れたですね、
お金のかかったユニフォームを持って行かれまして、
それぐらいなんですけれども、
「そういうものに興味があるんだな」というような感じで、

それで北堺署の141号になりまして、10日20日とお世話になったんですけれども、
拘留の経験の時も延期の時ももう一回の時も、いちいち地検にきて、地方裁判所に行くんですけど、
その時の車がですね、運転している人が地検に入る時も裁判所に入る時も
ある時は曽根崎暑ですとか、ある時は天満署ですとか言うんですよ。
運転手の人が。
で、護送する車は北堺署なんですよ。
右と左に必ず付く、腰縄付けている人は北堺署なんですよ。
2回も3回もするもんですから、私も何の気なしに
「これどういうことなの?」と、
俺は管轄が、なんか話としては大阪駅の管轄は曽根崎暑だと。
曽根崎署に引っ張っていかれるのを、話しでは
大阪府課は全部部一緒なんで、空いているところに入れるんだという事で、
私は北堺署が空いていたから入れられたと、
ま、それはそれでいいわ。
だけど、なんで毎回天満署とか曽根崎署に人とかが運転手で、
わざわざ電車に乗って来るんですね。
で、また降ろしたら電車に乗って帰るんです。
「なんでそういうことするの?」って言ったら、
「いやいや、いろいろとね、天満署と話しながらやっているんだよ」
そういうような事をちらっと言ったんですよね。
で、この救援のセンターと、弁護士の救援センターがありますよね、機関関西救援センター。
非常によく連絡を取って、入ったその晩から弁護士さんに来ていただいて、
私初めてだったので大変助かってきてるんですけど、
何回目かの時にそういう話をしたら、

天満署では結局今回大阪での原発関係の取り締まり。
つまり公安が中心となった、原発関係の取り締まりの拠点になっているみたいだから、
多分、言ってみれば天満署が
原発における大阪関係の取り締まりみたいな拠点になって、
虎視眈々と獲物を、ターゲットを狙っていて、
たまたま曽根崎署管轄のあれであったと。
だけど引っ張ってきたら北堺暑だった。
しかしまぁ、基本となるキーステーションからは、
常にひとりが派遣されてくるというか、連絡取り合っているというのか、
どういうんでしょうかね、ま、そんな感じの構造があるって。
弁護士の先生もやっぱりそういう事じゃないかというようなお話でしたんで、
今回、この大阪におけるあれはどうやら北天満署とか公安三課でしたけれど、
そう言ったところが中心となって動いていると。

ま、それはそれで一つで、
私が入ったところは畳3枚のトイレ付で、ま、1DK、Dは無いんですね、1K。
ちょうど3人一緒で、私は63で、後は27と22の若者で、こんなふうな事を言っていました。
「これできたんだ」って言ってね、
要するに、麻薬ですよね。それとか脱法ハーブ。
中でも一番若い人が一番年季の入った人で、
シンナー、名前は言わないですからね、絶対に、これ撮っていますからね。
20なんですけれど、シンナーで少年院に行って、
出てきて監察中にタクシーの乗り逃げを何十回となくやって、
そのすべてアメ村とかの脱法ハーブを売っているところに買いに行って、
もともとお金がないんで、脱法ハーブの店についてちょっと運ちゃんに、
離れたところから来るもんですから、
「ちょっとここにいてハーブ買ってくるから待っといて」と言って降りると、
ほとんど例外なく下りてきたらタクシーはいなくなっちゃうらしいんです。
お金払ってないのに。
それに味占めて、常にやってて、
「自分は何十回と乗り逃げをやっているけど俺は一度も逮捕された事がないんだ」と言ってるんですよね。
最終的にはちょっと捕まってきて、
「おっちゃん、どういう事情で来たんや?」
「これこれこうで大阪駅でビラまいたら逮捕されちゃったんや」と
「いつのことや?」
「10月何日かで、それも覚えてないんや」って言ったら、そのお兄さんがこういう事を言うんですね。
10人ぐらいいろいろいるんですけど、出たり入ったりしている人たちが。
で、たばこ吸っている時に話しが出来てて、情報通なんですけど、
1ヵ月半前の事は私は全然覚えてないんですけど、
その常連のお兄さん達に言わせると、
検察が1ヵ月半位の間で逮捕状を取って入ってくるというのは、相当慌てているよ」と。
「なんか非常に慌てているよ、おっちゃんの逮捕は」
「多分これは証拠不十分で不起訴だから、間違いないから。俺が保証するから」
もう、最初に言われましてね、
「なにいってんの、このガキは」って思ったんですけど、
キッチリ昨日。
昨日が最終日なんですよ、拘留期限の。
普通は午前中に来るらしいですよ、彼曰く。
「起訴の場合は午前中に来る」と。
「それも電話一本で来る」と。
「起訴された、何号起訴されたよー」で終わり。そこから拘留。
1ヵ月半とか2ヶ月とか、裁判までやられると。
ところが夕方まで来ないんですよ、私ね。
もうその時点で、
「おっちゃん、俺が言った通り、これはね、保釈される可能性100%だ。もう間違いない」
って言っているうちに、
「来なくてね、どうなってるのかな?」と思っていたら監守がきて、
「141号、持ち物持って出なさい」
そしたらそのお兄ちゃんが握手を求めてきてね、
「俺の言った通りやろう」

で、結論はですね、どうも1ヵ月半位私と年配の方も多いですけど、
私が10月17日と何べん言われても思い出さないんですよ。
「あんたは、なんか首からぶら下げていた」と。
「いや、そんな覚えはない」と。
「スピーカー持ってた」
「あ、それは持ってた。重そうだから俺が持ってたんや」と。
「一番先頭歩いてた」
「俺先頭歩いてた」
それがリーダーなんだ」と言って、
「先頭を歩いてたからあなたが首謀者なんだと、あなたがリーダーなんだ」と、
全然ね、「何を言ってんだ?」と。
で、「ガンガンコンコースの中でデモってた」と、
「悪いけど私ね、スピーカーでしゃべるより地声でしゃべっている方が響いちゃうんで、
持ってたからといって、『スピーカー使ってた』って言わんといてくれる?」
というような話で、もうそんなに話す事がないんですよね。

そんな話の中でやってきまして、
毎日毎日何時間も天満署と曽根崎署から二人きて、取り調べという名のあれがあるんですけど、
しゃべる事がないんですよ。
私の事はもう、本人が覚えてないしね、事実かどうかも覚えてないし、
でも「言った」と。

「ビラまこうと思ったけれども出されて歩道に立っててまけなかったんだ」と
「まこうと思ったけれどもまけなかった」んです、それだけの話。
通り抜けたのも、俺の声は大きいからもしかしたら響いたかもしれないけど、
マイク使ったんじゃなくて、それより大きかったらご免やけど、
とにかく「通るな」っていうから「通せ」って言って通っただけやというような事だけの話で、
結局後は、下地さんもどうもそうだったらしいですけど、
あれやこれやの世間話ばっかりで、
結局話を最初にしてきたのは、さっき出てきましたけど、ある党派。
わたしはいわゆる全共闘世代ですからね。あの、こう、一番最後は出てきたら…。
ま、たとえばね、革共同革マル派、革共同中核派とかね、
向こうは下だけ言ってくる訳ですよ。
「それはね、正式に革共同革マル派って言うんだよ。
それは正式には革共同で、もともとの派閥はこうで、
この派閥はこっちの先生で、こっちの派閥はこうだって、
いや、俺らは学校に7年行ったけど、ずっと最初から最後までそればっかりだったから、
もうそれしか知らないぐらいだから、知ってるねん。聞いてくれる?」みたいな話で、
で、なんだかんだ言いながら、向こうもさるもので
「誰誰知ってるか?」「だれだれ知ってるか?」
「あんたの携帯にはこの名前があったけど、何で名前があるんだ?」とか、
チクチクと、刺してくる訳ですよね。

で、そういう事の中から、ちょっと今回これからの事に繋がるんですけれど、
だんだん最後の方になってきますとね、
「あなた中之島公会堂でしゃべってましたね」とかね、
「此花集会でもしゃべってましたね」とかね、
「春日集会でもしゃべってましたね」と、核心に迫ってくるんですね。
そうするとね、「なにがこいつ言いたいのかな?」と思いながらも、間違いなくしゃべっていましたよね。
で、…あの、なんて申しましょうか。
此花集会のいくつかの中では、
たとえば此花住民じゃないと入れないのにしゃべってたりする人がいたりするんですよね。
堂々と。
マイク持ってね。
中央公会堂なんかですと、広く大阪市民でしたからね、
春日中学なんていうのは、私は入ってないんですけど、
文字通り此花住民じゃないと入れない集会に、
何故かそのグランドの中に私のバイクが突っ込んで置いてあったりね。
その時はわざと私、嫌がらせじゃないんですけれど、停めさせてもらったんですけどね。
で、後から考えると、何で私の名前が特定できたのか?って言うと、
「あなたあちこちにみんなバイクで行って、ナンバープレートがあるじゃないか」と。
「一発でそんなん、住所氏名が分かる」というようなことと、

橋下さんというのは、弁護士やっているだけあって、
まぁ、ここまでかしこい人なのか知りませんけど、
如何にもオープンじゃないですか、あれ。
今日来ている我々の側といったらおかしいかもしれませんけれど、
そういうフリージャーナリストのカメラマンも許すし、
24時間全部撮ってますでしょ?
最初から最後まで。
「ネットで誰にでも見せる」って言ったら公明正大に見えるじゃないですか。

でも今回の事で見ると、あれ全部証拠固めになるんですね、あれ。
ばっちり。バッチリ証拠になって、
で、最後我々の仲間が不当に逮捕された、最後の此花説明会なんかでも撮られてますよね。
我々の側でも撮ってて、ついせんだての会議でも
「どこまで、ああいうビデオっていうのは味方になるのか味方にならないのか紙一重だな」
って言う話がありましたよね。
今回はつくづくやっぱりそれを感じましたね。
紙一重ですね、これね。
今日も映されていますけど、

今日の朝日新聞に出ていました。
「二人容疑不良で保釈したけど、当局はなおかつ任意で取り調べを続行する」って、
わざわざ脅して書いてありました。

こういうふうなことがプラスになるのかマイナスになるのかわかりませんけれども、
全てそういう事で証拠っていうのは、
どういうふうに我々にとっての証拠が無効に取っての証拠になるか?って言うのが
常に紙一重の状況出来ていますから、
今度の1月16日でも、
向こうにとっても一つの総決算でしょうし、
我々にとってみても、ま、とりあえず
向こうが設定した住民説明会というのは、一応予定としては最後ですから、
それなりに気合が入るかもしれませんけど、
ま、先生もおっしゃっていましたけど、
気合の入れ方というのがちょっと我々もあんまり同じパターンでやっていると、
同じ囲みの中というか、仕掛けの中に放り込まれて行っているような事もあり得るかなと
いうような事も考えますんで、
ま、ちょっといろいろと散文的なことで申し訳なかったんですけど、
非常に勉強させてもらいました。

それから、最後ですね、東京の方で支援に立ち上がってくれたところからの、
私は中に入っている時に情報を教えてもらったんですけれども、
私は嫁さんと、ま、働いていまして、
息子二人と娘とってみんな結婚して、それぞれ独立して孫もいるんですけど、
一切かかわりない形で私は一人で、おっさんの自由でやってきたんですけれど、
なんか、突然ですね、東京の集会に私の息子が名乗りをあげて、
「えらい迷惑かけていますが、実はあれはうちのおやじなんです」と、
なんか「名乗った人がいるよ」と言う事で、
「それがツイッターに出ているから見たら?」って言うんで
弁護士の先生がプリントアウトした奴を窓際にこう、貼りつけて、
私もあらためて、監視さんに老眼鏡を取ってきてもらって読んだら、
私の息子がなんか偉そうに書いているよね。

「このたび親父がお世話になります」って言って、(笑)
「二日後の拘留公判には母親と長男を行かせますんで、よろしくお願いします」っていうんで、
で、公判になったら本当に一番前に嫁さんと長男がおりましてね、
で、終わって私はすぐに出て行っちゃったんですけれども、
あとで聞いたらその弁護士先生にうちの嫁さんがですね、
「20日も拘留させるのはどういうこっちゃ」と、
「大阪駅でビラまいたぐらいで、2泊3日ぐらいなら本人のためにちょうどいいけど
20日もはおかしいだろう!」と、
「なんぼなんでもおかしい」と弁護士さんにガンガン言ったらしいんですよ。

弁護士さんもなんかその時の話では、
「確かに私もこういう事ばかりやっているんで、慣れ過ぎているかもしれない」
「本当は2日や3日で、もうこんなものは収まりさせなきゃあかんのに、確かにおっしゃる通りだ」と
で、今でも怒っていまして、
「お父さんどうすんの?」と。
「出てきたのは良いけど、こんなもんだまっとったらアカンよ」
逆になんか、ねじ巻かれるような状態で、
いや、そこまで私もファイトないんですけど、
そんなことで、こうやって権力というものはですね、自ら敵をつくっていくんだなぁと、

・・・・読んだらいいですか?
なんか息子の方がしっかりしているみたいなんで、
こっちを読んで終わりにしろということ何で(笑)じゃあ読ましてもらいます。


支援の皆様、また本日お集まりいただいたみなさま、
このような機会を頂き誠にありがとうございます。
心より感謝しております。

このたび父への突然の逮捕は、家族一同まことに驚き当惑しております。
父は私が幼い時から弱者の立場に立つ事を教え、
(いや、こんなん教えた事無いです)-笑ー

阪神大震災では当時父が勤めていた会社に休暇を申請し、
数週間にわたってボランティアを行ってきました。
(これは、阪神の事なんですけど、この時私はビルを解体する機械を売っている営業マンで、
阪神が担当だったんで、倒れたのを見て翌日に行きましたけど、「絶対にこれはモノが売れるぞ」と、
思って入ったんです)―笑―

その姿勢は60を過ぎた今も変わらず、
昨年の大震災では大阪から数回にわたり東北の現地を訪れ、ボランティア活動をし、
かたや和歌山の(那智の大災害の時ですけど)その時にも駆け付け援助活動を行ってまいりました。

父には私の息子を含め4人の孫がおり、もうすぐ5人目の孫が出産を控えております。
そのような父が、孫の世代を思い、安心できる社会を望んで必死に世間に呼び掛けていたところ、
突然逮捕されました。

12月9日の家宅捜索では、
一般家庭に7人もの警察官が踏み込んで写真を撮り、私物を押収しました。

これまで弱者を思い行動してきた父が、警察官の指示で腰に縄を巻かれて連行されました。
同じく60歳を過ぎた母が、事情をつかめず立ちすくんでおりました。

孫に囲まれて楽しいクリスマスを過ごす予定だった父は、プレゼントを買う事も出来ず、
今も見張られた生活をしているようです。
(留置されているという事ですね)

原発やがれき受け入れの様な、国民の健康に重大な影響があるかもしれない決定を下されるとき、
官邸前や、梅田の中心で、国民の必死の呼びかけが鳴り響かない社会は、むしろ不気味ではないでしょうか。

ごくごくありふれた私たち家族は、原発やがれき受け入れの複雑な論点を主張するすべはございませんが、
弱者の立場に立って実際に行動し、人に危害を与える事でもない父が、
自由に意見を主張できる社会こそ、民主主義であり、平和な社会だと痛感しております。
社会的には名もなき父ですが、家では大切に慕われている父であります。
(違います)―爆笑ー

見せしめとして逮捕した無名の国民にも、
その帰りを心配して待つ沢山の家族や友人がいます。
(これは本当にその通りです)

父の即時釈放を待ち望んでおります。
皆様のご支援誠にありがとうございます。


ー拍手ー


ちょっとこの、この息子は、東京電力じゃないんですけどね、
殆どそういう所に近いところの会社にいますんでね、
こんなこと言ったらヤバいんじゃないかって思うんですけどもね。

まぁ、あの、良くまとめてもらいましたんで、
どうもー拍手ー




質問

Q:検察の方の取り調べというのはどんな感じでしたか?


私の場合は刑事調べをそのまま要約するような形でしたね。
警察が毎日毎日来てまとめていくやつの、
そのレポートを、自分なりにちょっとまとめていくっていうか、確認するようなところです。
私の場合特に、振り切った形。
「あなたが入ろうとした時に、どういう恰好をしてきたか」とかね、
「手を広げてきたか」とか、「体がぶつかってきたんじゃないか」、「格闘したんじゃないか」とか、
そういうようなところを執拗に、ちょっとずつ言葉を変えて、しつこくしつこく。
だから、逆にそこで、ポイントが分かるんですね。
「ああ、ここが知りたいんだなぁ」って言う感じですね。
その時の私の警察官が中川さんっていう人なんですけど、
メガネが、ピキッ!って、こう光るんですね。
「きたな」っていう感じでね。
あの…非常に分かりやすい方でした。



下地先生釈放会見12
私の取り調べも中川義雄でした。
善悪の善に英雄の雄と書いて義雄と読みます。


下地先生の釈放会見はこちら↓
不当逮捕で拘留20日間!下地先生釈放記者会見12/29(内容書き出し)



<1>ー支援者による説明ー下地准教授らの不当逮捕抗議記者会見 12/22(文字起こし)


<2>ー大学側は逮捕の3日前、すでに下地先生が逮捕されることを知っていたー
下地准教授らの不当逮捕抗議記者会見 12/22(文字起こし)


<3>ー「立派な独裁国家、警察国家ですよね、もう完全な」山本太郎・メディア質疑応答ー
下地准教授らの不当逮捕抗議記者会見 12/22(文字起こし)~テレビ局にお願いしよう~



<許されない!>下地先生不当逮捕 
「駅での訴え 犯罪?」東京新聞こちら特報部12/21(書き出し)

●憲法学者の声明
JR大阪駅頭における宣伝活動に対する威力業務妨害罪等の適用に抗議する憲法研究者声明
●大学研究者が呼びかけ人の署名
放射能と有害物質を含む震災がれきの広域処理に反対する市民の逮捕は不当です。
下地真樹准教授らの即時釈放と謝罪を求めます。
●獄中からの下地先生の手紙
●その他、下地先生の抗議活動などへのリンクがあります




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