原発事故は終われない~目標は「脱被曝」2/11荒木田岳氏(内容書き出し)



「脱被曝」 荒木田岳氏(音声)

動画はこちら↓
http://www.ustream.tv/recorded/29195314
2013年2月11日
アカデミズムは原発災害にどう向き合うのか
21分ごろ~荒木田岳氏 福島大学(福島大学行政政策学類准教授)

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みなさんこんにちは、荒木田です。
福島大学に勤めています。
えっと、正直に申しますと、何を話していいのかがよく分からないんです、頭の中が混乱していて。
で、わたしはだから、パワーポイントもレジメも準備できなかったんで、
思いつくままにいくつか話をさせていただきたいと思います。

ただ、そこでお話しようとする内容とかかわってですね、資料を準備したんです。
折に触れてみていただければ良いかなというふうに思っています。

まず、「アカデミズムは原発災害にどう向き合うのか」という今回のテーマ。
「向き合うのか?」というのは多分未来志向で
「これからどうするのか?」という事がそこに込められていると思うんですけれども、

私の立場は、それは「災害に」ではなくて「放射能に」というふうにまず説明したいんですけど、
「放射能に私は人間は勝てない」と思っているんですよ。
それは将来、未来永劫「そうだ」という訳ではなくて、
少なくても今の段階では「放射能に人間は勝てない」

その段階で
「将来勝てるかもしれないから」と言って被曝し続けるという事は「やはりおかしいんじゃないか」
というふうに思っているんですね。

ですから「どういうふうに放射能問題と向き合うか」という点でいうと、
「いかにこの被ばくを避けるか」
そういうところを問題の出発点にしているというのが私の大体の考え方です。
ですからそういう考え方で、原発災害に向き合うと言う問題であるというふうに今整理しています。

正直に申しますと、先程質問が出ました、
福島大学でね、「通常通り授業をやっているのはどうなんだ?」と、
で、私はそれを聞くと本当に心が痛いんですよ。

その事は2011年の4月からずっと言ってまいりました。

私自身も福島に本当は居たくないし、
「そこで人さまの子どもを集めて授業をしているっていうのは何だろう?」って思います。
他面でですね、じゃあ自分にはほかにどういう道があるか?
それもよく分からないんですよ。

どうもできない自分がいます。

だからそういう事はまさに自分の問題として、
みなさんに正直にお話をしていこうと。
だから、早川先生もね、多分同じ事をおっしゃると思うんです。
で、それは痛いほどよく分かるんです、私は。

最終的にね、福島で残っている人。
「この位の放射線料だったら我慢すれば住める」っていうふうに思っているか、
「我慢しても住めない」
その出発点、議論の出発点のね、どちらかで、多分かなり違うんだと思います。
それは、福島大学のスタッフの中でもかなり温度差があると思いますし、
えー、ま、いろいろそういう事を思っています。

で、今日一応お話しようと思ったのは、
やがて今度原発事故から2年になります。
その2年目をどういうふうに迎えるか?
っていう事をちょっと考えてみたいなというふうに思ったんです。
これも非常に時間が無いので、ざっくりした話なんですけれども、

「2年も経ったのに」という問題と、
「2年しか経っていないのに」という二つの問題があるだろうと思っています、私は。

で、「2年しか経っていないのに」という事で言えば、
実際原発事故っていうのは皆さん収束したと思われますか?
おそらくそうではないでしょう。

で、たとえ冷温停止がもし成されたとしても、
「それで原発事故は終わりか?」って言うと「そうではない筈」なんです。


だから、結局原発事故って「終われない」んですよ。
そうでしょ?
その放射性物質が残る限りずーーっと続いていく問題なわけです。
だから、100年1000年のオーダーで。

だから終わりたくても終われないその問題を僅か2年でね、
あたかも「終わってしまったような」あるいは「忘れてしまっているかのような」、
「この現状は何なのか?」という事をまず問題提起したいと思います。


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それからもうひとつ。
「2年しか経っていないのにわかる事」もいくつかありまして、

2011年4月ぐらいでしたか、5月ぐらいでしたかね、
あそこに座ってらっしゃる京都精華大学の細川先生等と一緒に
福島市内の、特に通学路とか、学校の近辺を中心に除染活動に加わった事があります。

私は放射能が怖いですから、除染活動なんかやりたくないんですよ。
で、それはね、あの、これは本心なんですけど、
しかし150マイクロシーベルトとかあるホットスポットをね、子どもたちが毎日歩いていく訳です。
何も知らずに。
マスクもしないで。

それはやっぱりね、放置できなかったんですよ。

にもかかわらず、放射線を怖がっている人しか除染する人がいないんです。
「安全だ」と思っている人はする必要がないわけですから。


こういう矛盾があるんですよ。
だからこの放射能問題って、本当に矛盾の体系だというふうに私は思ってて、
この問題とどういうふうにつき合っていくか?
そういう問題なんだろうなというふうに、ま、正直なところお話しておきたいと思います。


2年も経ったのに」という点で言うと、
いやもちろん私の生活からすればね、2年も経ったのにね、
「なんでお前は福島で震災前と同じように暮らし、学生の前で授業をして、平気でいられるのか」
それは私自身もいつも自問していますが、
そういう私の個人的な話だけではなくて、

2年も経ったのに、いろんなデータが全然そろってないですよね。

私、小山さんってすごいなと思うんですけど、
先程の調査の報告をお聞きになってみなさんどういうふうに思われたかわかりませんけど、
結局ああやって淡々とデータを集める事によって、初めて実態が明らかになる。
だからそういうデータの積み重ねを、つまりなんて言うんでしょうかね、
民間とかあるいは大学とか、ちまちまと足元から草の根レベルで積み上げていくしかなかった。
よって、データがですね、全然2年経っても貴重なデータは集まっていないですよね。

それから初期被ばくについてもよく分からない。

多分復元できるはずなんです、もっと。
だけどそのことも今の時点では十分になされていない。

たとえば、私が一番福島に住んでいて問題だなと思うのは、
福島に住んでいる人、それは東京に人も含めてですけど、
「自分が一体どれだけ被曝しているか?」って言う事を知らないんですよ。

そうでしょ?みなさん自分が一体どれ位被ばくしているかご存知ですか?

それが分からないのに、「どこまで大丈夫」とかという議論は全く、何の役にも立たない。
だからそういう事態、その事自体からしてですね、
今の状況をなんというか非常に象徴しているんだろうなというふうに思っています。

で、結局やっとここまできたんだけれども、
いつか使う事になるかもしれない証拠の保全みたいな事を、
この2年も経つのに「相変わらずやっていかなければいけない」というのが現在の状況かな
というふうに思っています。

時間が無いので結論だけ行きますが、
私が今考えているのは、今後は、
もちろんここの集会に集まっておられる方はどういうお考えをお持ちかは私はよく分かりませんけれども、

「脱原発」を言う人は多いんだけれども、
私はそれとは別にね、
「脱被曝」という事を、それ自体を目標としてやっていかなければいけない

それは単に福島の中だけの問題じゃなくて、
皆さん自身の、皆さんというか、福島以外の方の問題としても、
「脱被曝」についての問題を考えていただければと思っています。

で、小山さんから私は教えていただいたんですけれども、
福島産の農産物って2011年度分、12年度分も、あのー、
出荷規制になったもの以外はほとんど売れているそうですよ。

末端まで流通しているかどうかは分からないけれども、
在庫はすでに一掃しているというような状態、あるいはそれに近い。

だからその事の意味を「もう一度考えていただきたい」というふうに思います。

それから、今から振り返って、2011年の3月4月の事を申し上げたいんですが、
正直言って私、同僚からですね恫喝を受けたり、あるいは私自身もそうですけれども、
あるいは上司から恫喝を受けたという知人が何人かおります。

それで私は同僚の森さんという方にお願いして、メーリングリストを作ってもらいました。
それがFGF(福島大学原発災害支援フォーラム)の母体になったわけです。

結局いろんな情報交換をして、学内でどういう…
で、そのメーリングリストに実は誰が入っているかも知らなかったんですよ。
私はあんまり・・・不用意なもんだから、率直に色々書いていますけれども、
実は誰が読んでいるか?って言うのがよく分からなくて、

でも、それを3月4月と動かしていた訳です。
で、4月の何日ぐらいでしょうか、半ばぐらい、正確には覚えていませんけれども、

私は「授業再開」をするという事に非常に大きな懸念をもっていました。
で、「何で授業が再開できるのか?」という事を学長の問いただすために公開質問状を作ったんですね。
それを、私は自分の名前で出そうと思ったんだけど、そういう勇気が無かったんです。
で、それをそのメーリングリストに流して、
いろいろ添削していただいて、資料に入っていますけれどもね、
それがFGFとしての、事実上最初の動きでした。

私がここで言いたいのは、
結局そうやって、その、授業は再開されたんだけれども、
声を、自分が思ったことを率直に声をあげて、少しでも現状を変えていけるような、
そういう事につなげていくっていう事が、今いかに大事かという事が一つと、

もうひとつはそのためには、やっぱり仲間が大事だなという事を感じました。

という事を、みなさん、本を購入していただいた方には、
なんか一人だけね、私元気のない事書いてるんですが、
そこにも同じような事が書いてあります。

だから世で行われている不正義とか不条理とか、
そういう事をみんながね、黙認するんじゃなくて、少しでも声をあげていく。
だからその姿をね、学生たちに見せる事って「すごい教育上大事なんじゃないか」って
私自身は思っています。

だから結局、その除染の話しにしろ、授業開始の話しにしろ、敗北の歴史なんですよ。
結局、「んーー、ダメだったんじゃないの」なんていうふうに思っているんですが、
結果はともかくですね、そのこともやはり糧にしながら、
今後、どのように、なんていうんですかね、まとめにならないんですが、
「活動を続けていくか」という事。

それを今日のシンポジウムなんかでは、
みなさんのご意見なんかも頂きながら、考えていきたいというふうに思っております。

えっと、難しいですねw
放射能を浴びるとなんかいろんな事が促進されるそうですよ。
で、前からそういう傾向があったんですけれど、
他の方はみなさんすごい前向きで元気でしょ?
元気な人はますます元気になって、
私はもとから、その、暗い正確なもんだから、ますます落ち込んでしまって、
本当はここに来るのもね、随分躊躇したんです。

で、本を書く予定も無かったんで、
「いや、私出版記念パーティーに呼ばれても本書かないから」って言ったら、
あそこにいらっしゃる平井さんがですね、
12月も後半になってですよ、
「まだ書いてもらうこともできるから。その時は来てね」みたいな話でですね、
1か月足らずの締め切りでやむなくまとめたのが、
今みなさんのお手元にあるかもしれないその本の原稿です。

えーっと、一人だけトーンが暗いので、
え・・ww、でもね、そういう人もいて良いし、
そういうことも許容してもらわないと困るなというふうに思っています。

おわります。



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あの、インセンティブとはちょっと話は違うんですけど、
私はあんまりその、「やっぱり放射線は浴びない方がいいよ」とか、
そういうふうに変わってくるという事に対してはそんなに悲観的じゃないんです。

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ただ、「変わってももう遅い」っていう面がどこかにあるじゃないですか。
その事と同時に、変わっても「前からそうだったんだ」というふうな事を言う人がいますよね。
で、 加藤典洋さんっていう方が、「敗戦後論」という本の中でね、引用しているんですけど、
太宰治が戦争が終わってみんな世の中が、社会がこんなに変わったというのを聞いて、
「あほらしい感じ」って書いている。

で、私はそれを読んでみて「あ、なるほど」と思ったんですけど、
私も似たような事を考え、なんか感じる事があって、
たとえば、福島大学で行政政策学類の同僚が、燃料が無い頃、学区外に学生を、
ようするに“福島脱出バス”を仕立てた事があって、
燃料代が2倍とか言われて吹っ掛けられたんだけども「それでも良いから行ってくれ」って言って、
何台出したかな、
その事がですね、最近「いや、大学はそういう事をうやったんだ」と、
なんか自分の手柄のように大学当局が言ってるっていう話があります。

それから私が先ほど言ったように、
細川先生たちと除染をやっていた時に、
私、大学のトラックを借りたんですよ、お金がないから。
梯子を運ぶのに。
それがテレビに映ってしまって、で、呼び出されました。
で、言われたのは、
「市民の不安をあおるから、除染なんかやめろ」って。

つまり、5月6月ごろなんてそんなもんでしたよ。

ところが今は全く逆ですよね。
今は除染すれば住めるというふうに変わって。
だから、世論は変わらないっていうふうに私は思っていないんだけど、
コロコロ変わるのに、なんか、ほんとにあほらしい感じなんですよ。

全然反省なく、何かサラサラと流れていく流れのようにね、
何の総括も無く変わってしまうって、
この事の方がすごく問題が大きいんじゃないかなっていうふうに思っています。
だから、全然お答になりませんけど、
だから、そういう事なんじゃないでしょうか、ね。











明日に向けてというブログで
荒木田先生が話されていた除染に関しての記事(2011年10月27日)を見つけました。

以下転記ーー

除染するほど、「住めない」と思う
荒木田岳(あらきだたける)


5月から福島大の同僚や京都精華大などの先生たち、市民の方々と一緒に福島県内の除染に取り組んでいます。
最初は、通学路や子どものいる家から作業を始めました。

政府は「除染をすれば住めるようになる」と宣伝していますが、
それは実際に除染活動をしたことのない人の、机上の空論です。
現場で作業している実感からすれば、除染にかかわるたびに、
「こんなところに人が住んでいていいのか」と思います。

原発から約60キロ離れた福島市内ですら、毎時150マイクロシーベルトなんて数字が出るところがあります。
信じられますか?今日もその道を子どもたちが通学しているんです。

30マイクロくらいの場所はすぐ見つかります。
先日除染した市内の民家では、毎時2マイクロシーベルトを超えていました。
つまり、家の中にいるだけで年20ミリシーベルト近くを外部被曝する。
これに内部被曝も加味したらどうなるのか。
しかもそんな家でも、政府は特定避難推奨地点に指定していません。

そしてどんなに頑張って除染しても、放射線量はなかなか下がりません。
下がっても雨が降ったら元の木阿弥(もくあみ)です。
一回除染して「はい、きれいになりました」という話じゃないんです。

今、私の妻子は県外に避難していますが、
電話するたび子どもたちが「いつ福島に帰れるの」と聞きます。故郷ですからね。
でも私には、今の福島市での子育てはとても考えられません。

そんな私が除染にかかわっているのは、「今しかできない作業」があり、
それによって50年後、100年後に違いが出てくると思うからです。
多くの人が去った後の福島や、原発なき後の地域政策を想像しつつ、淡々と作業をしています。
歴史家としての自分がそうさせるのでしょう。

結局、福島の実情は、突き詰めると、元気の出ない、先の見えない話になってしまいます。
でもそれが現実です。
人々は絶望の中で、今この瞬間も被曝し続けながら暮らしています。
こうして見殺しにされ、忘れられようとしているわが町・福島の姿を伝えたいのです。
そうすれば、まだこの歴史を変えられるかもしれない。今ならまだ・・・・・。


*******転記ここまで******


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