03.13
Wed
鎌仲ひとみ氏(映画監督)「内部被ばくについて」
キックオフイベント
「子どもたちを放射能から守るために信州でできること」
2013年3月9日 動画はこちら↓
http://www.ustream.tv/recorded/29842796
01:15:41~

マコさん達のようにエンターテーメントでない、
ちょっとお勉強になりますが、ちゃんと聞いて下さいね。
よろしくお願いします。そして今日の信州ネットワークの発足本当におめでとうございます。
今日は私たち日本人の全員の課題であります、
これから子どもたちをどうやって守っていくのか?
被ばくから守れるのか?という事を一緒に考えていければと思っています。
そして、どうやって守っていくのか?のためには、
やはり被ばくについて知らなければいけないんですけれども、
先程もマコさん達の話にあったようにですね、
被ばくについて情報が混乱しているんですよね。
その情報の混乱の根っ子というのがあるんですよ。
その根というのがどこにあるのか?というと、
まず被ばくを理解するための壁が、理解させないための壁が立ちはだかっておりまして、
その壁はいったいいつ立ったんだ?といいますと、
広島長崎に原爆が落とされた時にこの壁は立てられたみたいなものなんです。
そのおかげで、日本は唯一の被爆国と言われているんですけれども、
教育では一切被ばくを教えないですね。
放射線は人間にどんな影響を与えるのか?
こんなにも日本で、1945年の8月6日と8月9日に世界中で最も多くの被爆者を一遍に出した国なのに、
「被ばくの中身」というものを教育の中で一切日本人に教えてこなかったんですね。
だから、今回福島原発事故が起きた時も、ほとんどの日本人は「なに?」と。
確かに原発が爆発したのは恐ろしい事だし、
放射能はなんだか危険だし、という事は分かっているんだけれども、
「じゃあどれだけ危険なの?」
「逃げなきゃなんないわけ?」って言う、その危険の程度が分からない。
私は東京だったんですけれども、
本当に、「こんな時に仕事に行くか!」って思う位にみんな平気で仕事に行っていました。
放射性物質が飛んできている。
そういう予測が私は出来ているので、もちろんいろんな人に、
出来るだけ子どもを連れて遠くに「旅行だと思っていってしまいなさい」というふうに勧めましたけれども、
でもなに一つ国からは、避難勧告とか、
たとえば家の中に屋内退避して目張りをして換気扇を回さずに
みだりに外に出ないでしばらく閉じこもっていなさいとか、
本来はそういう事をすべきだったんですね。
そういうことを一切しませんでした。
そのさっき言った根っ子というのはですね、
原爆を落とした後にアメリカが行った言論統制というのがあって、
原爆を落とした後にアメリカがGHQで日本にやってきて、
そしてそこで生き残った被爆者の人達にですね、
その人達はすごい悲惨な体験をしたんですけれども、そして体がぼろぼろになったんですね。
「それに関して何一つしゃべるな」と。
で、お医者さんが治療すると、これまでに見たこともないような症状がでている。
「そういう事もしゃべるな」という、すごい厳しい言論統制を5年間やったんですね。
その5年間の間に、
言論統制をするくらいですから、被爆者の救済というものはほとんど無かったんですね。
だからその間に、本当に弱い人から死んでいったんです。
先程も花粉症のたとえがありましたけれども、
やっぱり被ばくに弱い強い、そして敏感とか鈍感とかあるわけですよ。
やっぱり被ばくに影響を受けやすいのは子どもですから、
子どもからどんどん、被ばくした子どもから死んでいった。
で、その5年経った後にですね、
今度はアメリカはABCCといいまして、「被ばくの影響を調査する」と言い出したんです。
5年後に。
その5年後にですね、何をしたか?って言うと、
今度はその5年間生き延びた。
つまり被ばくはしたけれども生き延びる事が出来た人たちを合わせて8万9000人捕まえて、
そして、捕まえて離さないんですよ。
本当に失礼なやり方で、人権無視するやり方で、
治療しないで検査だけして、
いろんな、その人たちの人体的なデータをただただ集積していって、
そしてその中身に関してはずーっと隠していたんです。
つまり被害を隠蔽したんですね。
もうひとつしたのは被ばくの過小評価をしました。
つまりいろんな調査をしました。
こんな大規模な調査を専門家たちでやったんです。
「私たちの見解が一番信憑性があるんです」だとかと言いながら、
そういうことをやり続けてきて、その生き証人がいるんですけれども、
肥田先生、肥田舜太郎さんという、私に被ばくの事を教えてくれたお医者さんなんですけれども、

この方は27歳の時に広島にいて、
原爆がまさしく落ちた時に、その爆心地、
広島の真ん中から6km離れた村にいて、その原爆が落ちるのを見てたんですね。
その後にその村に、わらわらわらわらと爆心地から何千人もの被ばく者がボロボロになって避難してきて、
本当に人類史上医師として初めてそんなにも多くの被爆者を一遍に見て、
一遍に治療しなくちゃいけないという局面に立った人なんですけれども、
弱冠27歳だったんですよね。
しかも、今度はその後にですね、
原爆が落ちた時に、そこにいなかった人たちがわらわらとこの村にやってきたんですね。
つまり、広島がすごい被害を受けたというのを聞いて、
日本海側にいたり、九州にいたり、四国にいたり、
原爆が落ちた後に肉親を捜しに来た人たちが、
放射能まみれの爆心地をうろうろとがれきの中をさまよって、
そこで食事もし、水も飲み、埃も吸いこんで、
そして、内部被ばくをいっぱいして、で、その肥田先生がいる戸坂村に来た時に、
実際原爆に遭った人たちと同じ症状を出し始めたんですね。
紫斑が出来る、熱を出す、髪の毛が抜ける、ありとあらゆる粘膜から出血する、下血する、っていう感じで、
肥田先生は何の情報も無いので、
「これはうつるんだ」と、「伝染病かもしれない」
何の情報も無いわけですからね。
で、肥田先生がGHQに「情報をくれ」と、
「治療するためには原爆で引き起こされたこの病気が何なのか知りたい」という事を聞きに行って、
それで、4回刑務所に叩きこまれているんです。
でもなに一つ教えてもらえなかったんです。
その時から内部被ばくは、ずっと隠蔽され続けてきました。
そういうふうに内部被ばくを隠しつつ、なにが起きたのかというと、
今度は被ばくした人たちの事をやっぱり補償しなければいけないと、
ある程度認めてやらなければ収まりが付かないということになって、
こういうふうに、これは同心円というんですけれども、

これが原爆が投下された爆心地のグランドゼロなんですけど、
この真ん中から線を引いて2km、4km、6kmとか。
「この円の中にいた人は同等の被曝をした」というふうに考えて、
「この2km圏内にいた人には補償しましょう」
ところが一歩でも外に出ると、「補償しません」というやり方をやったんですね。
そうすると、同じ被ばくをした人たちの中で、こう…感情的ないがみ合いが引き起こされて、
なんか市民が、自分たちの権利・人権というものを獲得するために運動しようと思うと、
同じ手が使われます。
私たちも今気をつけなければならないのは、
やはりやり方の違いとか、補償の違いによって、同じ被害者が、被害者同士でいがみ合うっていうか、
一緒に手を握れないっていう状態が起きるんですね。
それは運動全体の弱体化に繋がるんです。
今回こうやって信州ネットが立ち上がりました。
本当にいろんな考え方の人達が、ただ一つ
「子どもたちをいかに迅速に効果的に被ばくから守って、健康で安全で安心な毎日を送る事が出来るか」
っていうその事に一点集中して、
やり方の違いとか考え方の違いとか、なんかそういういろんな違いを乗り越えていくっていう課題は、
私はあると思うんですよ。
でも歴史的にみると、差別。
で、原爆が落ちた後にですね、何十万人という軍隊の兵士たちが全国から集められてきた若者たちがですね、
広島だけでも14万人が即死したわけですから、
その14万人の遺体を…こう…処理するっていう作業をさせられました。
たとえばそこに遺体を重ねて焼くとかですね、
そうすると、遺体全体が放射性物質になっているので、
そんな、戦後にマスクもある訳んですよ、全部吸いこんじゃう。
で、内部被ばくもしたその人たちの被害を日本政府はほとんど認めてきていないんです。
やっぱりその後からいろんな病気が出てきて、
入市被ばくの人達が、「自分たちの被害も原爆のせいだという事を認めてくれ」という事を申し立てたら、
直爆に遭った人も、後から入った人も同じように、
「あれは戦争だったんだから、その被害に関しては受忍しなさい」と、
「受け止めて耐えなさい」「耐え忍びなさい」という返答が国から帰ってきて、
それでほとんど数%ぐらいしか被害を認めて医療支援をしてもらっていないんですね。
そういうことを67年間やってきたので、
肥田先生は、その集団訴訟をやっているんですね。
死ぬ前に、やっぱりこの人生の健康被害の苦しみ、
「普通の人生を奪われた苦しみを認めてほしい」という事の裁判をやって、
7回やったんですけれども、7回とも地裁では勝ったんです。
でも日本政府は控訴して、認めようとしていないんですよ。
先程も水俣病の裁判の事をご紹介いただいていましたけれども、同じような…。
裁判、裁判というよりも司法そのものが、やっぱりこう、
独立性を失わせるような事があるんじゃないかなと思われます。
でもそうやって、実際明らかに被ばくしたと、原爆が落とされた、
そしてそこに入っていった、そこにいた人たちに関してすら、
日本政府は67年間その被害をまっとうに評価しようとしてこなかったんですから、
今回福島で起きた事を進んで、
被曝によっておこる被害をですね、救済するような仕組みが果たしてあるのかな?と、…。
まぁ、ないんですね。
無いんですよ、今。
だからここは私たちの頑張りどころなんですね。
で、低線量と呼んでいますけれども、
100ミリシーベルト。
1年間に100ミリシーベルト以下の被ばくの事を低線量と呼んでいるんですけど、
こういう言い方が、まァ、そういう専門家たちは低線量って言うんですけれど、
私は高線量だと思うんですね。
でもそれに関しては、「確執」と私は呼んでいるんですけれど、
二つの意見がずーーっと平行に対立していて、決定打というか、一つにまとまっていないんです。
だから、もちろん私たち普通の人は、それに関して混乱するのは当たり前なんですね。
で、無害派と言って
「大したことないんだよ、100ミリ浴びても大丈夫だよ」っていうふうに言っている人たちは確実にいます。
その人達は、たとえばIAEA国際原子力機関。
これは「世界中に原子力技術を普及させよう」「原発を建てよう」という人たち。
WHO,WHOはですね、
本来はそういう子どもたちの健康被害、
放射線による健康被害を真っ先に防護しなければならない国際機関なんですけれども、
何故だか、手が出せないんですね、今回の問題には。
それは、IAEAと協定を結んでいて、
WHOが、どんな、すごく重大な低線量の被ばくに関する健康の事実をつかんだとしても、
この「IAEAのお許し無しには発表することはできない」というふうに、
もう約束してしまっているんですね。
つまり、WHOの独立性というものはここで失われてしまっている訳なんですけど、
だからあんまりいい事をしていないんですよ、被曝問題に関しては。
私は「なんでかなぁ?」とずーっと思っていたのは、
イラクに行った時にですね、イラクの子どもたちが、
ものすごい小児癌や小児白血病が増えていて、で・・・薬が無いんですよ。

その薬を国連が、安保理ですけれども安全保障理事会が、
大量破壊兵器を持っているイラクには経済制裁を課せようという事で、経済制裁を課したその中に、
「抗がん剤をイラクに輸出してはいけない」
「新しい医療情報をイラクに教えてはいけない」みたいなのが入っていて、
で、何とか白血病には、そういう抗がん剤なしには子どもたちが治らないので、
どんどん、こう、死んでいくっていう現場に98年に私は居あわせたんですね。
その時WHOの事務局がバグダットの国連の事務所の中にあったんですよ。
「なんか、おかしいじゃないですか」というふうに私が言いに行ったら、
そしたらその、ま、
「サダムフセインが大量破壊兵器を作るかもしれないから、抗がん剤はイラクには輸出させないんだ」
という話をしたんですけど、
でも、その後に、
「経済制裁を課した。
それが原因ですごく多くのイラクの子どもたちが亡くなっているということは承知している」って言うんです。
でもそんなのは公式的にはWHOからは全く何の発表もないですね。
で、やっぱり国際的に「低線量の内部被ばくはあんまり大したことはないんだ」と、
私はプロバガンダされてきたと思うんですね。
それは何故か?って言うと、やっぱりIAEAとかWHOとか、ICRPという、
さっきアメリカの8万9000人調べた、そのデータを基に、
このICRPというところが放射線の危険と安全の線引きをしているんですけれども、
こういうところとか、国連科学委員会とか、日本財団とかですね、日本原子力委員会っていうのは、
「大したことはない」っていうのをずーーーーっとアピールし続けているんですね。
一方で「いや、すごく心配だ」と、
「これは由々しき事だ」「気をつけなきゃいけないよ」というふうに言っているのが、
アメリカのニューヨーク科学アカデミーや、ドイツ放射線防護委員会とか、
ヨーロッパの放射線防護委員会とか、そういうところはですね、
この人達が評価する安全のレベルよりももっともっと
「100倍も1000倍も低線量の被ばくは危険だよ」っていうような発信をしているんですね。
で、私たちはこういう二つの情報が同時にあるので混乱している訳なんですけれども、
でも、今こうやって申し上げてきたように、
原爆から始まって、「いったいどういうふうに被ばくが評価されてきたのか?」
っていう歴史的な経緯を考えると、
やっぱり、「何か意図があってこの人達はやっているんじゃないかな」と思いますよね。
だからそんなに呑気に「大丈夫」って言われている事をうのみにしてはですね、
「子どもたちを守ることはできない」っていうのが
私の、ずっとこの間やってきた感覚なんですね。
ーーーつづく
<後半>
「どんな病気になっても『それは放射線のせいではありませんよ』って言われる可能性は非常に高い」
鎌仲ひとみ3/9子ども信州ネットキックオフイベント(内容書き出し)
<1>「昼夜問わず放出してございます」おしどりマコ&ケン
3/9子ども信州ネットキックオフイベント(内容書き出し)
<2>「ちょっと人数が多くないですか?」おしどりマコ&ケン
3/9子ども信州ネットキックオフイベント(内容書き出し)
<3>「いろんなところに良い人と悪い人がいます」おしどりマコ&ケン
3/9子ども信州ネットキックオフイベント(内容書き出し)
キックオフイベント
「子どもたちを放射能から守るために信州でできること」
2013年3月9日 動画はこちら↓
http://www.ustream.tv/recorded/29842796
01:15:41~

マコさん達のようにエンターテーメントでない、
ちょっとお勉強になりますが、ちゃんと聞いて下さいね。
よろしくお願いします。そして今日の信州ネットワークの発足本当におめでとうございます。
今日は私たち日本人の全員の課題であります、
これから子どもたちをどうやって守っていくのか?
被ばくから守れるのか?という事を一緒に考えていければと思っています。
そして、どうやって守っていくのか?のためには、
やはり被ばくについて知らなければいけないんですけれども、
先程もマコさん達の話にあったようにですね、
被ばくについて情報が混乱しているんですよね。
その情報の混乱の根っ子というのがあるんですよ。
その根というのがどこにあるのか?というと、
まず被ばくを理解するための壁が、理解させないための壁が立ちはだかっておりまして、
その壁はいったいいつ立ったんだ?といいますと、
広島長崎に原爆が落とされた時にこの壁は立てられたみたいなものなんです。
そのおかげで、日本は唯一の被爆国と言われているんですけれども、
教育では一切被ばくを教えないですね。
放射線は人間にどんな影響を与えるのか?
こんなにも日本で、1945年の8月6日と8月9日に世界中で最も多くの被爆者を一遍に出した国なのに、
「被ばくの中身」というものを教育の中で一切日本人に教えてこなかったんですね。
だから、今回福島原発事故が起きた時も、ほとんどの日本人は「なに?」と。
確かに原発が爆発したのは恐ろしい事だし、
放射能はなんだか危険だし、という事は分かっているんだけれども、
「じゃあどれだけ危険なの?」
「逃げなきゃなんないわけ?」って言う、その危険の程度が分からない。
私は東京だったんですけれども、
本当に、「こんな時に仕事に行くか!」って思う位にみんな平気で仕事に行っていました。
放射性物質が飛んできている。
そういう予測が私は出来ているので、もちろんいろんな人に、
出来るだけ子どもを連れて遠くに「旅行だと思っていってしまいなさい」というふうに勧めましたけれども、
でもなに一つ国からは、避難勧告とか、
たとえば家の中に屋内退避して目張りをして換気扇を回さずに
みだりに外に出ないでしばらく閉じこもっていなさいとか、
本来はそういう事をすべきだったんですね。
そういうことを一切しませんでした。
そのさっき言った根っ子というのはですね、
原爆を落とした後にアメリカが行った言論統制というのがあって、
原爆を落とした後にアメリカがGHQで日本にやってきて、
そしてそこで生き残った被爆者の人達にですね、
その人達はすごい悲惨な体験をしたんですけれども、そして体がぼろぼろになったんですね。
「それに関して何一つしゃべるな」と。
で、お医者さんが治療すると、これまでに見たこともないような症状がでている。
「そういう事もしゃべるな」という、すごい厳しい言論統制を5年間やったんですね。
その5年間の間に、
言論統制をするくらいですから、被爆者の救済というものはほとんど無かったんですね。
だからその間に、本当に弱い人から死んでいったんです。
先程も花粉症のたとえがありましたけれども、
やっぱり被ばくに弱い強い、そして敏感とか鈍感とかあるわけですよ。
やっぱり被ばくに影響を受けやすいのは子どもですから、
子どもからどんどん、被ばくした子どもから死んでいった。
で、その5年経った後にですね、
今度はアメリカはABCCといいまして、「被ばくの影響を調査する」と言い出したんです。
5年後に。
その5年後にですね、何をしたか?って言うと、
今度はその5年間生き延びた。
つまり被ばくはしたけれども生き延びる事が出来た人たちを合わせて8万9000人捕まえて、
そして、捕まえて離さないんですよ。
本当に失礼なやり方で、人権無視するやり方で、
治療しないで検査だけして、
いろんな、その人たちの人体的なデータをただただ集積していって、
そしてその中身に関してはずーっと隠していたんです。
つまり被害を隠蔽したんですね。
もうひとつしたのは被ばくの過小評価をしました。
つまりいろんな調査をしました。
こんな大規模な調査を専門家たちでやったんです。
「私たちの見解が一番信憑性があるんです」だとかと言いながら、
そういうことをやり続けてきて、その生き証人がいるんですけれども、
肥田先生、肥田舜太郎さんという、私に被ばくの事を教えてくれたお医者さんなんですけれども、

この方は27歳の時に広島にいて、
原爆がまさしく落ちた時に、その爆心地、
広島の真ん中から6km離れた村にいて、その原爆が落ちるのを見てたんですね。
その後にその村に、わらわらわらわらと爆心地から何千人もの被ばく者がボロボロになって避難してきて、
本当に人類史上医師として初めてそんなにも多くの被爆者を一遍に見て、
一遍に治療しなくちゃいけないという局面に立った人なんですけれども、
弱冠27歳だったんですよね。
しかも、今度はその後にですね、
原爆が落ちた時に、そこにいなかった人たちがわらわらとこの村にやってきたんですね。
つまり、広島がすごい被害を受けたというのを聞いて、
日本海側にいたり、九州にいたり、四国にいたり、
原爆が落ちた後に肉親を捜しに来た人たちが、
放射能まみれの爆心地をうろうろとがれきの中をさまよって、
そこで食事もし、水も飲み、埃も吸いこんで、
そして、内部被ばくをいっぱいして、で、その肥田先生がいる戸坂村に来た時に、
実際原爆に遭った人たちと同じ症状を出し始めたんですね。
紫斑が出来る、熱を出す、髪の毛が抜ける、ありとあらゆる粘膜から出血する、下血する、っていう感じで、
肥田先生は何の情報も無いので、
「これはうつるんだ」と、「伝染病かもしれない」
何の情報も無いわけですからね。
で、肥田先生がGHQに「情報をくれ」と、
「治療するためには原爆で引き起こされたこの病気が何なのか知りたい」という事を聞きに行って、
それで、4回刑務所に叩きこまれているんです。
でもなに一つ教えてもらえなかったんです。
その時から内部被ばくは、ずっと隠蔽され続けてきました。
そういうふうに内部被ばくを隠しつつ、なにが起きたのかというと、
今度は被ばくした人たちの事をやっぱり補償しなければいけないと、
ある程度認めてやらなければ収まりが付かないということになって、
こういうふうに、これは同心円というんですけれども、

これが原爆が投下された爆心地のグランドゼロなんですけど、
この真ん中から線を引いて2km、4km、6kmとか。
「この円の中にいた人は同等の被曝をした」というふうに考えて、
「この2km圏内にいた人には補償しましょう」
ところが一歩でも外に出ると、「補償しません」というやり方をやったんですね。
そうすると、同じ被ばくをした人たちの中で、こう…感情的ないがみ合いが引き起こされて、
なんか市民が、自分たちの権利・人権というものを獲得するために運動しようと思うと、
同じ手が使われます。
私たちも今気をつけなければならないのは、
やはりやり方の違いとか、補償の違いによって、同じ被害者が、被害者同士でいがみ合うっていうか、
一緒に手を握れないっていう状態が起きるんですね。
それは運動全体の弱体化に繋がるんです。
今回こうやって信州ネットが立ち上がりました。
本当にいろんな考え方の人達が、ただ一つ
「子どもたちをいかに迅速に効果的に被ばくから守って、健康で安全で安心な毎日を送る事が出来るか」
っていうその事に一点集中して、
やり方の違いとか考え方の違いとか、なんかそういういろんな違いを乗り越えていくっていう課題は、
私はあると思うんですよ。
でも歴史的にみると、差別。
で、原爆が落ちた後にですね、何十万人という軍隊の兵士たちが全国から集められてきた若者たちがですね、
広島だけでも14万人が即死したわけですから、
その14万人の遺体を…こう…処理するっていう作業をさせられました。
たとえばそこに遺体を重ねて焼くとかですね、
そうすると、遺体全体が放射性物質になっているので、
そんな、戦後にマスクもある訳んですよ、全部吸いこんじゃう。
で、内部被ばくもしたその人たちの被害を日本政府はほとんど認めてきていないんです。
やっぱりその後からいろんな病気が出てきて、
入市被ばくの人達が、「自分たちの被害も原爆のせいだという事を認めてくれ」という事を申し立てたら、
直爆に遭った人も、後から入った人も同じように、
「あれは戦争だったんだから、その被害に関しては受忍しなさい」と、
「受け止めて耐えなさい」「耐え忍びなさい」という返答が国から帰ってきて、
それでほとんど数%ぐらいしか被害を認めて医療支援をしてもらっていないんですね。
そういうことを67年間やってきたので、
肥田先生は、その集団訴訟をやっているんですね。
死ぬ前に、やっぱりこの人生の健康被害の苦しみ、
「普通の人生を奪われた苦しみを認めてほしい」という事の裁判をやって、
7回やったんですけれども、7回とも地裁では勝ったんです。
でも日本政府は控訴して、認めようとしていないんですよ。
先程も水俣病の裁判の事をご紹介いただいていましたけれども、同じような…。
裁判、裁判というよりも司法そのものが、やっぱりこう、
独立性を失わせるような事があるんじゃないかなと思われます。
でもそうやって、実際明らかに被ばくしたと、原爆が落とされた、
そしてそこに入っていった、そこにいた人たちに関してすら、
日本政府は67年間その被害をまっとうに評価しようとしてこなかったんですから、
今回福島で起きた事を進んで、
被曝によっておこる被害をですね、救済するような仕組みが果たしてあるのかな?と、…。
まぁ、ないんですね。
無いんですよ、今。
だからここは私たちの頑張りどころなんですね。
で、低線量と呼んでいますけれども、
100ミリシーベルト。
1年間に100ミリシーベルト以下の被ばくの事を低線量と呼んでいるんですけど、
こういう言い方が、まァ、そういう専門家たちは低線量って言うんですけれど、
私は高線量だと思うんですね。
でもそれに関しては、「確執」と私は呼んでいるんですけれど、
二つの意見がずーーっと平行に対立していて、決定打というか、一つにまとまっていないんです。
だから、もちろん私たち普通の人は、それに関して混乱するのは当たり前なんですね。
で、無害派と言って
「大したことないんだよ、100ミリ浴びても大丈夫だよ」っていうふうに言っている人たちは確実にいます。
その人達は、たとえばIAEA国際原子力機関。
これは「世界中に原子力技術を普及させよう」「原発を建てよう」という人たち。
WHO,WHOはですね、
本来はそういう子どもたちの健康被害、
放射線による健康被害を真っ先に防護しなければならない国際機関なんですけれども、
何故だか、手が出せないんですね、今回の問題には。
それは、IAEAと協定を結んでいて、
WHOが、どんな、すごく重大な低線量の被ばくに関する健康の事実をつかんだとしても、
この「IAEAのお許し無しには発表することはできない」というふうに、
もう約束してしまっているんですね。
つまり、WHOの独立性というものはここで失われてしまっている訳なんですけど、
だからあんまりいい事をしていないんですよ、被曝問題に関しては。
私は「なんでかなぁ?」とずーっと思っていたのは、
イラクに行った時にですね、イラクの子どもたちが、
ものすごい小児癌や小児白血病が増えていて、で・・・薬が無いんですよ。

その薬を国連が、安保理ですけれども安全保障理事会が、
大量破壊兵器を持っているイラクには経済制裁を課せようという事で、経済制裁を課したその中に、
「抗がん剤をイラクに輸出してはいけない」
「新しい医療情報をイラクに教えてはいけない」みたいなのが入っていて、
で、何とか白血病には、そういう抗がん剤なしには子どもたちが治らないので、
どんどん、こう、死んでいくっていう現場に98年に私は居あわせたんですね。
その時WHOの事務局がバグダットの国連の事務所の中にあったんですよ。
「なんか、おかしいじゃないですか」というふうに私が言いに行ったら、
そしたらその、ま、
「サダムフセインが大量破壊兵器を作るかもしれないから、抗がん剤はイラクには輸出させないんだ」
という話をしたんですけど、
でも、その後に、
「経済制裁を課した。
それが原因ですごく多くのイラクの子どもたちが亡くなっているということは承知している」って言うんです。
でもそんなのは公式的にはWHOからは全く何の発表もないですね。
で、やっぱり国際的に「低線量の内部被ばくはあんまり大したことはないんだ」と、
私はプロバガンダされてきたと思うんですね。
それは何故か?って言うと、やっぱりIAEAとかWHOとか、ICRPという、
さっきアメリカの8万9000人調べた、そのデータを基に、
このICRPというところが放射線の危険と安全の線引きをしているんですけれども、
こういうところとか、国連科学委員会とか、日本財団とかですね、日本原子力委員会っていうのは、
「大したことはない」っていうのをずーーーーっとアピールし続けているんですね。
一方で「いや、すごく心配だ」と、
「これは由々しき事だ」「気をつけなきゃいけないよ」というふうに言っているのが、
アメリカのニューヨーク科学アカデミーや、ドイツ放射線防護委員会とか、
ヨーロッパの放射線防護委員会とか、そういうところはですね、
この人達が評価する安全のレベルよりももっともっと
「100倍も1000倍も低線量の被ばくは危険だよ」っていうような発信をしているんですね。
で、私たちはこういう二つの情報が同時にあるので混乱している訳なんですけれども、
でも、今こうやって申し上げてきたように、
原爆から始まって、「いったいどういうふうに被ばくが評価されてきたのか?」
っていう歴史的な経緯を考えると、
やっぱり、「何か意図があってこの人達はやっているんじゃないかな」と思いますよね。
だからそんなに呑気に「大丈夫」って言われている事をうのみにしてはですね、
「子どもたちを守ることはできない」っていうのが
私の、ずっとこの間やってきた感覚なんですね。
ーーーつづく
<後半>
「どんな病気になっても『それは放射線のせいではありませんよ』って言われる可能性は非常に高い」
鎌仲ひとみ3/9子ども信州ネットキックオフイベント(内容書き出し)
<1>「昼夜問わず放出してございます」おしどりマコ&ケン
3/9子ども信州ネットキックオフイベント(内容書き出し)
<2>「ちょっと人数が多くないですか?」おしどりマコ&ケン
3/9子ども信州ネットキックオフイベント(内容書き出し)
<3>「いろんなところに良い人と悪い人がいます」おしどりマコ&ケン
3/9子ども信州ネットキックオフイベント(内容書き出し)
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コメント
ドキュメンタリー「非暴力革命のすすめ ~ジーン・シャープの提言~」
http://www.at-douga.com/?p=5924
支配者を倒す必要はない。支えている柱を取り払えば良い・・・
シャープ博士やヘルベイ大佐へのインタビューや、民主化運動のリーダーたちの証言、そして現代の非暴力闘争の歩みを映し出す貴重な資料映像で、世界の影響を与えてきたシャープ博士の非暴力革命の全貌を描く。
http://www.at-douga.com/?p=5924
支配者を倒す必要はない。支えている柱を取り払えば良い・・・
シャープ博士やヘルベイ大佐へのインタビューや、民主化運動のリーダーたちの証言、そして現代の非暴力闘争の歩みを映し出す貴重な資料映像で、世界の影響を与えてきたシャープ博士の非暴力革命の全貌を描く。
| 2013.03.31 19:29 | 編集