2.炎の下、黄金の世界。 その中で生きることも死ぬことも考えなかった 8/4橋爪文氏(文字起こし)

1.その瞬間に、わたしは 「太陽が目の前に落ちた」と思いました 8/4橋爪文氏(文字起こし)
上記の続き。音声は↑にあります。



16:46~
橋爪:
で、地上にね、おり立ちましたら、
みんな、本当に亡霊のような姿の人達が茫然として、
「いったい何が起きたんでしょう、何が起きたんでしょう?」って
もう、その一言をみんな呟いて茫然としてらして、
中の何人かが、私を見て悲鳴をあげたんですね。

それは、私の肘をつたって流れる血が、ポトポトじゃなくて、
サラサラ、小川みたいに、血管が切れたんだと思いますよ。
そして、たちまち私の足元に血だまりが出来て、
それを見た同じ係りの友柳さんという女性なんですけれど、
彼女がすぐに私を抱きかかえるようにして、
20m位あるかしら、そこに日赤病院がありましたから、そこに運んで下さいました。

で、日赤病院に行きましたら、
外で作業していた人達ですよね、もう、みんな着ている物は焼けたでしょう。
皮膚が焼けただれて、皮膚が海草みたいに垂れ下がって、
手をみんな、胸の前にぶら下げて歩いているんですけれども、
手も顔もね、赤黒く焼けただれて、倍ぐらいに膨れ上がっているんです。
唇なんかも上下にね、こう、めくれ上がってね、・・・・
男性か女性かもわかりませんし、年齢も分かりませんし、
13~4歳位のね、私ぐらいの年齢の中学生が一番多かったかなって思うんですけれどもね、
そういう人たちが日赤に来ていましたけど、
ただ、阿鼻叫喚(あびきょうかん)なんかは私は聞いていないんですよ、

 ※阿鼻叫喚(あびきょうかん)
  1 仏語。阿鼻地獄と叫喚地獄とを合わせた語。地獄のさまざまの責め苦にあって泣き叫ぶようすにいう。
  2 悲惨な状況に陥り、混乱して泣き叫ぶこと。「一瞬の事故で車中は―の巷(ちまた)と化す」



聞き手:ああ、そういう叫び声なんかなんにもない

橋爪:
なんにもない。
何にもなくて、ただね、茫然とした形で、ただ彷徨っている。
「助けて」もないし、「痛い」もないし、
なにも・・・声がなかったですね。
もう、通り越していたんだと思いますね。

それで私は、そういう人たちがどんどん増えてきますのでね、
それで、私は、きっと、怖ーい夢の中にいるんだと思いました。
現実だとは思えませんでした。

そう思いながら、また、こう、気を失っていったんですね。

友柳さんが、日赤病院の、今思うと、
昔の日赤病院です。今は建てなおしましたけれど、
そこの待合室で、床に横たえて下さって、
もう、その時には目を開ける力も口をきく力も失っていましたね。

ただ、耳だけが聞こえてきて、
友柳さんが、誰か男の方を連れてらして、
その方が、「これはひどい出血だから、眠らせると死にますよ」って、
また足早に、他にも患者、患者というかそういう瀕死の人がいるので、そっちにいらして、
その声と足音だけが、ずっと、耳に残っていますけれど。

その一言がなかったら、その時点で私は死んでいたんですよ。
というのは、とってもね、深ーい、気持ちの良い眠りに、スーッっと吸い込まれるんです。
そうすると、友柳さんがその方の一言があったものだから、
眠らさないように、名前を呼び続けて下さった。

で、また、スーっと深いところに吸い込まれていくと、また呼び戻される。
でも、それ、気持ちがいい眠りなんですよ。
だから、「もう、戻さないで、呼ばないで」って、心の中で思いながらもね、
どれぐらいの時間呼んで下さったんでしょうね、

聞き手:
その友柳さんはまさに命の恩人でいらっしゃるんですが、
その友柳さん自身も、その…、早くお亡くなりになったそうですね。

橋爪:ええ、次の年に原爆症で亡くなったそうですね。

聞き手:
その友柳さんはね、はい。
そうしたやはり被ばくの悲惨な状況の中でも、そうして助けて下さる方もいらしたわけですね。

橋爪:ええ
で、どれぐらい経ったのか、敵機が再来したということで、みんな地下室に逃げたんですね。
その時、友柳さんが私を引きずるように、もう私が自分で立つ力がないので、
引きずるようにして階段を下りて下さったのを、あの、覚えていますね。

で、地下室に大勢避難していて、

友柳さんの同僚も二人いらしたので、
耳が聞こえますので、耳元で
「何があったんでしょうね、いったいどうしたんでしょう?」って、
そういう事ばかり呟いていましたけれど、

しばらく経ったら、私もなんか、体の中にね、すこーしだけ力が湧いてきたような感じがあって、
本当に小さい声ですけれど、「いったい何があったんでしょう」って、つぶやいてたんですね。
それを聞いた時に、友柳さんは、私が死ななかったっていう事でね、
嬉しくて声を立ててお泣きになりましたね。

で、私が一応死ななかったっていう事に少し安心なさったんでしょう。
「私はこれから家に帰って母の安否を調べに帰るから、必ずここに戻ってくるから、動かないでね」って、
何回も私に言って、
その友達に、「これ、学生、子どもだから頼みます」って言って帰っていきましたけれど、

さっき、「何が起こったんでしょう」って小さい声で言ったら、その力で、また、すーっと力が抜けて、
「ありがとう」も言えなかったですね。
だから、彼女がうれし泣きのようにお泣きになった声と、去って行く足音が、やっぱり耳に残っていますね。

で、友柳さんがおうちにお帰りになった後で、日赤病院に火が回ってきて、
きな臭いにおいがしてきたんですね。
で、みんな逃げて行ったようです、
そうすると私のそばにいた友柳さんの友達二人が、
「この娘はどうしましょう、私たちもこんなに怪我しててね、連れて逃げることができないけれど、
でもあんなに友柳さんさんに頼まれたの」と困っていらして、
で、私はまたすこーし、体の中に力が湧いてきたようなので、
「私は動けませんので、どうかおいて逃げて下さい」って言いました。
彼女たちは「私たちもこんなに怪我してて連れていけなくて、ごめんなさい、ごめんなさい」って言いながら、
逃げて行きました。

で、地下室に私一人になったって、もう周りの気配でね、
そしてじっと横たわっていたら、
うっすらと目を開けることは出来たんです。

向こうの左の奥のところからちょっと明かりがして煙が入ってくる。
「ああ、あそこが出口なんだな」と思って見てましたら、
最初はこう、うっすらと白い煙で、だんだん濃くなって、
最後に入道雲みたいに黒い煙の勢いの塊りがどっと入ってきたんですね。
「それが私のところに来たら死ぬんだなあ」って思って、
ま、自然に死がやってきて連れていくっていうふうに、傷も痛くないですし、死ぬことも怖くないし、
非常に静かな気持ちでした。


聞き手:はぁ…14歳の少女でいらしたんですけれど、そういうお気持ちでしたか、はい。

橋爪:
そしたらその煙が私のところに来ました。
するとその煙の中にね、黒い袖が走って、
「まだ誰かいるか、早く逃げろー!」ってものすごく大きな声で叫んだんですね。
その声の勢いに押されるようにフワッっと立ち上がる事が出来て、
そして出口の方へ向かって歩いたんですけど、
その時私ね、鏡があって自分の姿を見ちゃったんですよね。

聞き手:あ…鏡があったんですか

橋爪:
最初はその煙の中からね、私の方へ近づいてくる、
すごい形相をして真っ青な顔で、痩せて、長い髪の毛を垂らしてるんですけど、
顔にべっとりと血が付いていて、その上に髪の毛を垂らして、おびえた目をしてね、
蒼白な顔で私の方へ近づいてくるので、
私はもう襲われると思ってね、怖いから両手で顔を覆いました。
すると襲ってこないんですね。
それで指の間からそーっと相手を見たら、向こうも怖そうに指の間から私を見ている。
自分ですっと近づいて見たら壁があって鏡がありました。
だからその時の姿を偶然見ちゃったんですけれど、


聞き手:ご自身の姿におびえるぐらいに悲惨なお姿だったんですね。

橋爪:
そうです。
で、表に階段を這って出たような気もするんですけれども助け出されたのか…
這って出たような記憶の方がするんです。
で、出てビックリしましたね。
今朝まであった町がもうすっかり消えているんですよ。
それで、目をパチパチしてもやっぱり消えているので、
私「まだ夢を見ているな」と思いましたね。


聞き手:明るいですよね、外は。

橋爪:
でもね、なんか夕暮れみたいな、こう 薄ぼんやりした色で町が本当に姿を消しちゃっているので、
…唖然としましたね。
それからもう夕方、時間も分かりませんけれども、
広島市内、平らになった広島のあちこちから火が燃えてきて、日赤病院はもちろん裏から、
建物は鉄筋で燃えなかったんですけれど、
中と裏にあった看護婦さんの宿舎かなんかが燃えたんだと思いますよ。
窓という窓から炎を噴き出して、すごい炎で。
で、その時、日赤病院で大勢の人が避難していましたけれど、
歩ける人はみな歩いていきましたし、兵隊さんなんかは担架で運ばれましたね。
で、私は動けないし、逃げる気持ちもありませんでしたら、
その時に飯田義昭(よしあき)さんっていう16歳の少年なんですけれど、

聞き手:二つ年上の方ですね。

橋爪:
そうです。
彼が額と胸に、彼も重傷を負っていたんですよ。
だけど、足はどうにか歩く事ができたのに、私のために火の中に残ってくれました。

聞き手:それは見知らぬ方だったんですね?

橋爪:
そうです、そうです。
そして日赤病院のお庭の前に植え込があって、
低い木が、今はソテツが、前からソテツもありましたけど、
その横の方に松の、ちっちゃい松の木があったと思うんです。
その陰に連れて行ってくれました。
と言いますのはね、日赤病院から噴き出す炎からね、雨のように火の粉が降ってくるんです。
それを避けるために木の陰に連れて行ってくれました。
で、そこで一晩彼と過ごしたんですけれどね、火の中で。

聞き手:ああ・・・その少年も非常に、その16歳の飯田さんも、非常のその御親切な方ですね。

橋爪:
彼がその火・・で、彼もね、
ま、私は、あの、もう生きることも死ぬことも考えていませんでしたから、
もう広島中が燃えて私たちの頭の上はすごい黄金の炎がすごい音を立てているんですよ。
市内が燃えるのもすごいね、轟みたい、地の、地鳴りみたいな大きな音で、
で、天、頭の上を走るね、炎もね、怖いような大きな音を立てます。
だけど金色の世界ですよ。黄金の世界、炎の下ですから。
その中で生きることも死ぬことも考えなかったけれども、多分彼もそうでしょう。
だから静かな、いずれもう死ぬでしょう、火の粉に包まれてね、
で、その時に彼が話しかけてきて、その時に名前をね、名乗って、
私の名前を聞いたから名前を知っているんですけれど、
彼はその朝妹さんと二人で家にいて、潰れた家の下敷きになって、
彼はどうにか這い出したんだそうです。
ところが妹さんが、声は聞こえるけれども深い、その崩れた家屋の下にいて、
いくら一生懸命やってもどうしても自分の力でどうする事も出来ない。
で、そのうち火が回ってきて、妹さんが
「熱い熱い、お兄さんの水かけて」って言うので、
当時防火用の水槽がありましたから、そこにもバケツが置いてあったので
その防火用水の水をバケツでくんで声のする方へザバザバかけてて、
そうするともう、足もとまで火が迫ってきて、
妹さんが「お兄さんありがとう」って、「早く逃げてちょうだい」って言ったそうです。
で、もうそこを離れる以外になかったんですよ。
そしてお母さんが主婦動員で働いている宇品ていう南に軍事工場があったんですけれども、
そこに行こうと思って川を歩いて渡って、
広島は川が多いですから、そして日赤病院の前を通りかかった時に、
自分も重傷を負っていますので、入ってきて私と会ったという事です。
だから妹さんの変わりに私を助けてくれたんですよ。

「君いくつ?」って最初聞かれた時に、
「14歳」って言ったら、その途端に黙ってしまいましたから。
黙ってこう、まだその時燃えていなかったんですけど、広島市が平らになっていますね、
それの遠いところをこう眺めてね、
妹さんの事を思ったんでしょうね。

その後私は眠くなりますし、で、眠ったんですね。
そして今度寒くて目が開いたら、頭の上の炎無くなっていて、広島市の火もだいぶこう下火になっていて、
で、傍に飯田さんがいないのでね、始めて怖さを覚えましたね、恐怖感を。
底から、地の底からわき上がるようにね、うめき声、
苦しいんでしょうね、うめき声が非常に怖かったです。
で、飯田さんをとにかく探そうと思って、座って、
立ち上がる力が無くて座って探してから、
日赤病院の中で裏の方は、まだ赤かったです、燃えていました。
だけど影絵のように人影がいて、彼だったんですけど。
それでヤカンにお水を入れて死んでいく人達に一口ずつあげてはまた、しゃがんであげてはまた立ちあがって、
っていう…だから一晩中死んでいく人にお水をあげて歩いていましたね。
彼がその炎の火の下でね、私に「趣味は?」って本当に静かな、
あの中でね、「趣味は?」なんて聞いて、私が「読書」って言ったら、
「僕は読書と音楽です」って「音楽は神の言葉です」って言ったんですよ。
で、それを私は彼が一口ずつね、死んでいく人にお水をあげている姿を見てね、
「ああ、神様はそこにいる」と思いましたね。

聞き手:飯田さん自身が神様に見えましたか。

橋爪:ええ、地上にいると思いました。天じゃなくて。

聞き手:その飯田さんは、今はどうなさっているんでしょうか?

橋爪:飯田さんは10年後に交通事故で亡くなったんですよ。
     (注:20年後・37歳で亡くなられたと本に書かれている)
聞き手:あぁ・・・・じゃあ、その原爆症ではなかったんですね。

橋爪:
はい。
ただ…あの…30歳過ぎてから結婚なさった、男の子が、坊やが一人あるんですけれども、
その坊やが赤ちゃんの時に亡くなっていますから、
家族には、その後奥さんともお会いしたんですけれども、
原爆の事をお話しにならなかったそうです。


聞き手:
…飯田さんは…ああ…
そういうわけで一命をとりとめられて今ここにいらっしゃる橋爪さんですけれど、
そのあと、その橋爪さんのご家族、
おうちの方へ帰られるというか、ご家族に会われるのはその当日じゃなくてその後ですか


翌日 8月7日

橋爪:
その日、その夜は火の中で飯田さんと過ごしましたよね。
で、次の日は火がだいぶおさまっていました。で、寒かったです、とても。
夜明けとともに飯田さんがお母さんがいるところ
宇品(うじな)って、一番南のところは
「もしかしたら焼けていないかもしれない。だから傷の手当てをしよう」って言って、
そっちに向かって歩きました。

途中まで行ったところで、御幸橋って言って一番南の橋なんですけれども、
そこのところに何軒か壊れているけれども焼けていない家があって、
その中の一軒に私の母の叔母の家があったので、ちょっとそこに行ってみようと思って、
飯田さんに橋のたもとで待っていただいて行ったんですね。

そしたら叔母がもうびっくりしまして、30分ぐらい前に私の父が行って、
家族はみんな怪我をしているけど一カ所に集めたけど、
私は文子っていうんですけど、「文子だけがどうしてもわからない」
で、今日は諦めてね、貯金局に行ったら似島(にのしま)っていってね、
瀬戸内海に綺麗な富士山みたいな島があるんです。
そこに運んだって言ってたけど、船で行かなければなりませんね。
「だから今日は無理だからまた日を改めてきます」って言って帰ったばっかりだっていうので、

聞き手:お父様がね、

橋爪:
私の父が。
それで「ああ、みんな生きているんだ」って思って、
とにかく母に会いたかったですね。

聞き手:あぁ、お家族の無事を知らされて、ん…

橋爪:
で、飯田さんに「これから帰ります」って言ったら。
「到底その体では無理だから」
南から北、広島市を縦断することになりますから、
「とにかく宇品に行って、治療をして、少しでも君が元気になったら必ず僕が連れて行ってあげるから」ってね、
説得して下さったんですけど、
もう母に会いたくて会いたくてね、
それを振り切って歩き出しました、北に向かって。

こう、「イチ・ニ」って、
自分の中で声掛けないと、止まったらそこでバタバタッ!と倒れるような歩き方でしたね。


聞き手:
そうしますと、原爆での焼け跡、
全滅になった広島市を南から北へほぼ縦断されたんですか?

橋爪:縦断したんですね。

聞き手:5~6kmはあるでしょうね。

橋爪:
そうかもしれませんね。
いろんな不思議な事がその間にもありましたけれどね、
水槽、一滴もお水が無くなった水槽の中へ白骨がいっぱいありましたしね、
立ったままの白骨とか、ま、寄りかかっていますけれども、
「なんで白骨が崩れないで立ってられるんだろう?」とかね、
不思議な事がいっぱいありました。


聞き手:
そうした広島の、被爆直後の広島の街を縦断されて、
そしてお母様に無事お会いになった時のお気持ち、喜びというのは

橋爪:
そうですね、わたしが飯田さんと別れて歩き始めて、何時間経っているのかわかりませんけれども、
その間に本当に生きて動くものを全然見ないんですね。
で、草もなにもないですから、風にそよぐものもないから、
本当に「死の街」でしたね。

で、それをずっと歩いて、北の方に「逓信局」(ていしんきょく)って、
私が最後に、就職することになっていた、L字型のユニークな建物なんです。
それが残ってた、見えたんです。

「ああ、私は帰ってくる事が出来た」

そこから、でも私が見えたところからそこまでも15分ぐらい健康体でもあるんですよ。
でもとにかく「帰ってきた」と思ってそっちに行って、
そのL字に沿って曲がったら向こうから3人の人がね、
こう、肩を寄せ合うっていうか、肩を組み合うみたいにしてね、よろよろ歩いてくるんですよ。

私またね、自分が夢を見ていると思いました。
朝から生きて動くものを見てませんので、
しかもそれが、人間が3人もね、生きて歩いているっていう事は夢だと思いました。

それが、本当に幸せだったんですけれど、
母と叔母と姉で、

聞き手:ああ…それは本当に偶然ですね。

橋爪:偶然なんです。

聞き手:
じゃあ、傷つかれた身でお母様に会われた時には、
本当に…なんとも言えないお気持ちだったでしょうね。

橋爪:
いえ、でもね、
いまのこんな状態ですよね、その時に感じるような感動とか喜びとかそういうものはね、
もう感じる、人間の、なんていうのかしら、喜怒哀楽を通り越したところにみんな居たんだと思いますよ。
私も、もうふらふらですよね、当然。
で、母も。
みんなね全身にガラスの破片とか、家が倒れた木の破片だとか、
母は腕からいっぱい木くずが、その後ね、何年も経っても出たから、
いっぱい怪我してるんですけど、致命傷みたいな傷以外は怪我と思わなかったんですよ。

で、母は腕が、左かな?右かしら、ぶらさがってましたね、ガクンと。

聞き手:あぁ…

橋爪:
それから叔母はね、電車に乗っていたらしいんですけど、頭をやられてね、
だからもう、頭がフワッとなって、
姉はお台所にいて被爆したので、顔にお鍋かなんかが当たったんでしょうね、棚にあったものが、
分からないですけど、
顔がこう、目のまわりが特に、顔がはれ上がって目が見えなくて、

叔母は頭がふらふらしているから、目の見えるね、母にみんなが寄りかかって歩いてたんです。

聞き手:
あぁ…、じゃあ、喜びとか悲しみを本当にまさに超越して、
もうしていらっしゃる世界ですね。
衰弱の極みと言いますか、あぁ・・・、
そしてあの、弟さんはお亡くなりになった

橋爪:
弟はね、小学校1年生だったんですね。
ちょうど夏休み中の登校日で学校に行ってたんですね。
で、鉄棒で遊んでいて後ろから光線を受けて。
だから前は綺麗なんですよ。
でも後ろはね、もう血も出ていないんですね。
真皮からがめくれている。
するめを焼く時にくるくるっと巻きますね。
ああいうふうに前に向かって皮膚が全部めくれて血も出ていませんでしたね。
そういう状態で次の日に避難先の戸坂小学校の校庭で弟は亡くなりました。



聞き手:
今いろいろ、橋爪さんに原爆当日、被爆当日のお話を伺いましたけれども、
こうした事を海外でもいろいろお話になっているんですね。

橋爪:
そうですね、海外では通訳の方が助けて下さるので、
そんなに私が話す時間がゆっくりないのと、
聞いて下さっている人たちの質問をいただきたいと思うので、
その時間も取りますので十分には話せませんけど、
本当は私は、その原爆のその日のこともですけれど、
その後、被曝後で焼け跡で生きた、みんな傷ついて病気をしながら、
そして何の援助もなかったですから、食べるものもないし、
みんな重症を負っていましたけれど、全部自然治癒です。
お医者さんに行った事は、みんな一度もない。
そしてお水は雨水ですね。
で、草を、焼け跡に草が生えるとその草を食べましたけれど、
草が生えるまではね、「何食べてきたのかしら?」って。
生前の時の母だとか、今生き残っているのは私と叔母ですけど、
話すんですけど何を食べたか分からない。

聞き手:
そのぐらいやはりあの、大変だったんですね。
そうした、被爆当日、原爆当日も大変でしたけれども、その後のご生活がいかに大変だったか、
そういった事をお話になる時間が海外でも、そして国内でもない。ということのようですが、
じゃあ、こうしたことも含めてですね、明日一つこの続きをよろしくお願いいたします。

橋爪:はい

聞き手:どうもありがとうございました。


ーーー8月5日放送に続く

「原爆体験を世界に」NHKラジオ深夜便橋爪文(広島被爆者)2011年8月4日放送 より文字起こし




【内容情報】(「BOOK」データベースより)
勤労動員先で被爆、奇跡的に生きのびた少女は、翌朝、たった一人で死の街を縦断、
わが家へ向かって歩き始める…。
それから半世紀、60歳を超えての英国留学はやがて「反核海外ひとり行脚」へと発展、
訪れた国は30カ国以上。その被爆者がいま、フクシマと向き合って…。

【目次】(「BOOK」データベースより)
太陽が落ちた日/父の場合/母と弟/戸坂小学校/終戦/夕焼けと鴉/伯父の死/祖母/天と地といのちだけの日/子供たちの周辺/緑/被曝症状/ABCC/骨仏/友柳さんのこと/飯田さんのこと/私のその後

【著者情報】(「BOOK」データベースより)
橋爪文(ハシズメブン)
1931年1月、広島に生まれる。14歳で被爆。日本ペンクラブ、日本詩人クラブに所属(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)


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No title

この書き起こしはすごかった。
橋爪さんにはことばもない。がんばりたい。ひととして・・・。
この国に生きてきたものとして。

ああ!
つらいが、なんとかしなきゃなあ!!

ああ!!!