5完.「あなたは原爆と原発と同じものだと思いますか?」「同じものです」と言いました。 8/5橋爪文氏(文字起こし)

2011年8月5日放送
音声はこちら


29:10

聞き手:あぁ…なるほど。
それで橋爪さんはですね、先程から何度か伺っておりますけど、
原爆を受けられて以後現在に至るまで、ご体調がいろいろ悪かったと。
具体的には、どういう体調ですか?

橋爪:
一番最初の、いま思うと原爆症ですけれども、
当時は原爆症なんていう言葉も知らなかったんですけど、
7日の朝ですね、6日に被曝して7日の早朝にひどい下痢をしました。
それからずーーーっと下痢は続きました。

そして、バラック生活で、
4本柱のところからややましなバラックを建ててそこに移った頃が、20日ぐらい…、
はっきり覚えていないんですけど、日にちはね。
そこに移ってから、あの、本当に、急性原爆症と今言われている症状になりました。
高熱が出て、それから全身が、だから熱のせいもあるんでしょう。
もうガタガタに崩れるような痛み方、骨がバラバラになるように。
それから鼻血ですね、歯茎からも、口から血が。
それと、全身に斑点、紫斑が出来ました。

そんなになったら大抵の方が亡くなっているのに、また私は不思議に生き延びたんですね。
いろいろ辛かったんですけれどもね、ずっと、本当に私が知ったのは、東京に来て、
あれは60過ぎてから原爆ぶらぶら病っていうんですね、
それは非常に倦怠感、
もう体が動こうと…気持ちがいくらあっても動かなくなる倦怠感があります。
それでも生活しなければいけない。
結婚すれば子育てもありますし、


聞き手:本当に極度の倦怠感とだるさですかね、それも。

橋爪:ええ。

聞き手:
そして焼け跡の広島には病院もまともには無かったでしょうし、
そのうちにアメリカの進駐軍が来て
ABCC原爆傷害調査委員会というふうな施設は作ったと伺っていますけれども、
そこへいらしたんですね。

橋爪:
行ったというかね、ジープが来て連れて行かれたんですけど、
わたしたちはABCCと言ってたんですけどね、
そこに被爆者を連れて行って、いろんな検査をしますね、放射能の人体に及ぼす影響を。
病気をみんな持っていますけれども、治療は一切しません。
私の時は、私は一回行って、人間扱いをされなかった、その時の扱いがね。
まるで品物みたいに扱われた時に、わたし…まだ10代の少女ですけど、
「私もあなたと同じ人間ですよ」と心の中で叫んでいたんです。
非常に大きな屈辱感を覚えました。

私たちはね、噂みたいですけど、
後になったらアメリカの指令があったって聞くんですけど、
被ばく者同士はあの時、「原爆の時の話をしてもいけない」というような雰囲気をつくられたんですね。
後で知ったらプレスコードをひいて報道陣も全部シャットアウトしましたよね。


聞き手:
今は被爆者手帳というのがあって、被爆者の方は医療費が免除されるとか出来ていますけれども、
当時は全くそれが無かったんですってね、
あの、…病院に行っても普通に料金を払われるとか、


橋爪:
全部自費ですから、みんなお医者さんに行ってもお金がかかるから、そのお金が無いから行けない。
で、被爆援護法が出来たのは12年後と言いますから、
その間にね、苦しくてお医者さんに行けなくて死んだ人が沢山いると思いますね。

聞き手:
そうですよね、その12年後じゃいくら何でも遅くて、
10年も経てばひどい被ばくの方は大体もう、亡くなられた方も多いですよね。

橋爪:
だから私の家族も父も、
父は外傷はなかったんですけれども、紫斑が出たり、悪性貧血、
いろんな、ま、大腸癌だったんですけど、最後。

聞き手:
そして今も、橋爪さんはこうして被爆体験をお話になっているんですけれど、
同時にいま新たに手記をですね、前のと合わせてお書きになっているようですね。

橋爪:
10年前にある出版社が私の体験記を本にして出したくださいました。
去年それが絶版になったんですね。
それを今度はね、ふくらませて書いているんですね。
もう大分書き進んで、もう終わりに近い頃に、今年、福島が起こったんですね。


聞き手:あ、福島の大地震に伴う原発の…、

橋爪:
ええ、原発。
起こりまして、
その後余震が東京毎日ありました、一日中。
それから計画停電で。
これは書ける状態じゃなかったのと、
やっぱり福島の事故というのは、私原発の、原爆だけじゃなくて原発という言葉、
核というものに、放射能の影響をずっと受けてきましたから、

一番怖いのは「近い将来、世界のどこかで原発事故が起きるだろうな」って、
ある程度確信みたいなものが私はあったんですね。
だからその原発を訴えて歩いていました。

ところが今までは、原爆の話しはみなさん真剣に聞いて下さるけど、
原発の事はやっぱり、あんまり、そんなに強い関心がなかったんですね。
でも私の中では「これがいつか起こる」と思って、
こんなにすぐ近くに、しかも日本で起きたという事に、大きな衝撃を受けましてね、
これは原稿を持って、やっぱり広島の原点に立って最終稿を書こうと思って、
すぐ広島に行きました。

最初は1週間かせいぜい2週間と思ったんですけど、
結果的に40日滞在することになったのは、
行ったら毎日インタビューがありました。
それでインタビューが私の場合全部フランスからでした。
フランスの新聞・ラジオ・テレビ・マガジン連日あって、

聞き手:
あ、フランスは原発の大国。
原発大国ですから、それで広島の被爆者の方のご意見を聞きたいということで、
体験記などをお書きになっている橋爪さんのところに取材に来たんですね。

橋爪:
はい。
で、10年前の本がね、フランスで一回出版された事があるんです。
それを読んで来た人が最初だと思いまけれども、
私は4~5年前からフランスに行って話す時に
原発立国だという事を行っているうちに分かってきましたから、
その原発立国のフランス人が、私のところに来たのはフランス人ばかりだったので、
これだけ関心を持つっていう事にね、私なりにある種の感動を覚えましたね。

フランス人の質問でね、一つだけあげるとしたら、
もう最後の最後の頃で、
「あなたは原爆と原発と同じものだと思いますか?」と聞きました。
だから「同じものです」と言いました。

でも原爆は戦争に兵器として人を殺すためにつくられたものです。
原発は平和利用、クリーンエネルギーとしてつくられた。全然違うじゃないですか。って言いました。

だから、つくる過程も同じですし、
それから核を燃やしてエネルギーを作る。同じだし、
放射能の被害があるというのも全く同じだから同じ事です。っていうことは、
その時にハッキリ言いましたね。


聞き手:
確かにこの原発・原爆。
かたや平和利用、かたや戦争のため。
これは全然違う、真反対とも言えますけれども、
「放射能」という意味では同じですね。

橋爪:
同じですね、全く。
原発を動かしている限り、廃棄物は常に出ますね、プルトニウムを含んで。
それがどんどん世界中に溜まって行って、それの、まだ処置の仕方も分かってませんね、世界のどの国もね。
今度は福島の原発で、あれだけのがれきが出来たじゃないですか。
あの、放射能を含んだね。
いまだにお水、海水、漏れて地上も汚してるし、
校庭の砂とかね、幼稚園の砂を削ったりすると、その砂の置き場もないわけですよ。
ほんと、私ね、どうするんだろう?と思ってね、
今、牛肉の問題ですけれども、遠いところ100kmも離れたところで、
やっぱりすごい量のね、放射能が牛の餌からも肉からも。
そんな事を思うとね、これは福島だけでも、日本だけでも、もう世界の問題ですから、
そこにこう、目を向けないと。
原子力はいったい現代の世界の未来のね、地球の問題です。
広くそこを見据えながら、だけど目の前の救援がありますね、救済。

人間が制御できないものにね、人間が手をつけたというところが誤りですけれども、
今はもうそれは、言ってもなっちゃったことは。
だからこれと、放射能と人間が、ま、人間はじめ生き物全てが、
どういうふうに共存していくかという事を、
人間がこれから放射能とともに生きるっていう事を考えていかなければいけませんね。

将来はもちろんですけれども、
先ず身近なところで次世代ですね、私たちの。
それに重いバトンをね、渡すことになってしまったっていうことが、
今ずーっと福島以来気持ちを重くしててね、書く方が進まないんですよね。

それから、原発の工場ですか、原発の施設。
そのものも、もう何年か経つと大きな廃棄物、核廃棄物に。
チェルノブイリみたいに石棺で覆っても、25年経ったらまたヒビが出てきて漏れてるっていうけど、
膨大なお金がかかるからもう一重にやる事が出来ないって言って、そんなのが…、
福島も最後は石棺にするって言っていますから、
もうセメントで埋めたからって言っても、中は燃え続けていますからね。


聞き手:閉じ込めるだけですね。

橋爪:
閉じ込めるだけですから。
いまだにチェルノブイリも25年経って、元に住民たちも戻れないし、
これはね、なにかじっとしていられない気持ちで、
広島からのメッセージみたいなものを書いたんですけど、
じゃ、それの一部を読ませていただきましょうか。
一番言いたいところなので。


地球上に生を受けているのは人間だけではありません。
人間が自らの利得のために、他の生物を犠牲にするのは不遜ではないでしょうか。
自然と調和して生きていく道を開くのが、人間の英知ではないでしょうか。
また、20世紀から21世紀に生きるわたしたちは、
長い人類史のほんのひと時を与えられているにすぎません。
先達(せんだち)から引き継ぎ未来へバトンタッチをする、
ほんのひと時を預かっているだけではないでしょうか。


ほんの一部ですけれど。
これからの大きな課題ですね。


聞き手:
どうもありがとうございました。
これからもいろいろ、橋爪さん、ますます意気盛んにご活躍頂きたいと思いますけれども、
なによりもお体を大事にして下さいまして、
さらに私どもにメッセージを頂きたいと思っております。

橋爪:ありがとうございます。

聞き手:ありがとうございました。




ーーー



1.その瞬間に、わたしは 「太陽が目の前に落ちた」と思いました 8/4橋爪文氏(文字起こし)

2.炎の下、黄金の世界。 その中で生きることも死ぬことも考えなかった 8/4橋爪文氏(文字起こし)

3.「生き残り」というのは「あ、こういう事なのか」と思ったんですね 8/5橋爪文氏(文字起こし)

4.「知っているつもりで知らないのは日本だな」私は痛感しながら海外を歩いた 
   8/5橋爪文氏(文字起こし)


5完.「あなたは原爆と原発は同じものだと思いますか?」「同じものです」と言いました。 
   8/5橋爪文氏(文字起こし)



橋爪文さん「広島からのメッセージ」2011





【内容情報】(「BOOK」データベースより)
勤労動員先で被爆、奇跡的に生きのびた少女は、翌朝、たった一人で死の街を縦断、
わが家へ向かって歩き始める…。
それから半世紀、60歳を超えての英国留学はやがて「反核海外ひとり行脚」へと発展、
訪れた国は30カ国以上。その被爆者がいま、フクシマと向き合って…。

【目次】(「BOOK」データベースより)
太陽が落ちた日/父の場合/母と弟/戸坂小学校/終戦/夕焼けと鴉/伯父の死/祖母/天と地といのちだけの日/子供たちの周辺/緑/被曝症状/ABCC/骨仏/友柳さんのこと/飯田さんのこと/私のその後

【著者情報】(「BOOK」データベースより)
橋爪文(ハシズメブン)
1931年1月、広島に生まれる。14歳で被爆。日本ペンクラブ、日本詩人クラブに所属(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)








関連記事

コメント

非公開コメント

それどころか【原発】の方が『原爆』より「はるかに」恐ろしいのです!

おそれながら申します。【原発】は『原爆』と同じじゃない!
【原発】の方が、『原爆』より有る意味「はるかに」恐ろしいのです!
【A】核兵器の「核反応」は一瞬です!これに対し「原発」は発電のため原理的に『四六
時中反応』を起こし続けなければならず核兵器とは比較にならないほど大量の放射ゴミを
発生させるある意味で遙かに危険な機械です(そうしないとそもそも発電ができない!)。
1カ所の「原発」には『原爆数千発分』の核物質が蓄えられている・・という話を聞いて
よく何かの間違いだろうという人がいますが本当です!このようなことが真実なのも常時
最悪ゴミを発生させる悪反応そのものが仕事というオバカな宿命的理由からきています。
★収束していない福島原発の4号機だけでも約1600発の大量の使用済み燃料のプール
にひびが入れば首都圏の数千万人が移住しなければならないのも世界中から指摘通り
http://blog.goo.ne.jp/banbiblog/e/24fae3cd0f8482c11043090d5a95fc01
http://www.asyura2.com/12/genpatu25/msg/552.html
★7年後にピークで数千万人→ http://ameblo.jp/sunamerio/entry-11380553912.html
★東日本の汚染地図 http://twitpic.com/a6b89y/full