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04.06
Sat
2013年4月2日
「原子力規制を監視する市民の会」
アドバイザリーグループ 5人の元原発技術者が「新安全基準骨子案」の問題点を暴く
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/72000

■出席者 「原子力規制を監視する市民の会」アドバイザリーグループメンバー
 小倉志郎氏(元東芝原発技術者)
 後藤政志氏(元東芝原発設計技術者、元ストレステスト意見聴取会委員)
 滝谷紘一氏(元原子力技術者、元原子力安全委員会事務局技術参与)
 田中三彦氏(元日立原発設計技術者、元国会事故調査委員会委員)
 藤原節男氏(元三菱重工原発設計技術者、元原子力安全基盤機構検査員)


司会 菅波(すげなみ)
2013040511.jpg


「原子力規制を監視する市民の会」アドバイザリーグループとして、
今回 5人の元原発技術者が新安全基準の問題点を暴くということで、
主に報道機関への解説をしていただくということでこの場を設けさせていただきました。
私は今日の司会を務めさせていただきます、「原子力規制を監視する市民の会」事務局の菅波と申します。
柏崎刈羽科学者の会の事務局長もしております。
どうぞよろしくお願いします。

今日の場では、いま規制庁の方で進められている新安全基準の問題点について、
直接原発のリスクに関わってこられた経験をお持ちの方に解説をしていただこうと思います。
この「原子力規制を監視する市民の会」では、3月26日にも記者会見を開催させていただいておりまして、
規制庁の方が、「さらなる信頼性の向上のための措置だ」と言っていることについて、
5年の猶予をするだとか、
大飯原発については今稼働中のものをそのまま、
7月の新しい新安全基準の施工に合わせて止めずに、
そのまま次の定期検査のところでこれを適用するという事を言って、
結局こういった形で新安全基準の施工自体を骨抜きにされて、
再稼働の突破口にされようとしている問題があります。

で、今日のこの記者会見ではそれ以前の問題で、
その背景になるそもそもの新安全基準の問題性について、
専門の方からコメントを頂こうということで考えております。

短い時間ですので5人の方に5分程度でコメントをしていただいて、
その後でみなさんから質問を出していただくというような形で進めたいと思います。
最初の方は滝谷紘一さん。
元原子力技術者で元原子力安全委員会の技術参与を務められた方です。
まず新安全基準、重大事項の敷地境界の線量評価という案件についてのコメントを
滝谷さんの方から頂きたいと思います。
早速始めていただきたいと思います。



滝谷紘一氏(元原子力技術者、元原子力安全委員会事務局技術参与)
2013040512.jpg

「重大事故の敷地境界線量評価をせよ」という題で、
法律規則への複合性という切り口から問題の一つを述べさせていただきます。

敷地境界での線量積算値ですね、
それに着目する理由をまとめました。

2013040513.jpg


原子炉の位置、これが適切であるかどうかは立地審査指針で的確に評価されます。
そこでは判断の目安線量というのは、
現在100ミリシーベルトとなっています。

じゃあ、福島第一原発の実態はどうなのか?という事について調べますと、
事故発生後から3月末までですね、20日あまり。
そこで実測の最大値が234ミリシーベルトという値で、
モニタリングポストNo7というのが一番大きな値を示しています。

それはこの100ミリシーベルトを倍も上回っているんですね。

さらに4月1日から翌年3月31日までの丸一年間。
ここでは956ミリシーベルトになっていまして、これは国会の環境委員会でも取り上げられた問題です。

ご承知の様に今なお、線量は増加の一途をたどっている訳ですね。
そういう事から福島第一原発はこの立地不適合を自ら実証したという事になります。

ここで、じゃあ、他の全国の原発はどうなんだろう?
重大事故が発生した時にですね。
そういう問題が湧いてきます。
また、新安全基準では重大事故対策としてフィルターベントをする事を求めたりもしてきています。

じゃあ、フィルターベントをした時には、線量はどうなっていくのか?
現行法になるんでしょう(?)
という論点でこの問題を取り上げております。


「重大事故の線量基準を逃げる新安全基準」というタイトルにしていますが、
現行の安全審査指針ではどうなのか?

2013040514.jpg


敷地の境界での値がですね、重大事故、仮想事故、この場合にはどちらも全身被ばく線量、
ま、ガンマ線による。
それは100ミリシーベルト以下。
先ほども申しましたがそういう基準になっています。

じゃあ、今回の新安全基準骨子案ですね、そこではどうなっているか?といいますと、
重大事故対策の有効性評価というのが、一つ章を設けられています。
そこでは放射性物質の総放出量はその性能要求値以下という事が記載されておりまして、
敷地境界の線量評価というのは…、入っていないんです。


で、私はパブリックコメントでこの点について、「これをやるように」と記載した事に対して、
先日の28日の検討チームの中で、こういう意見に対する考え方という資料が配られておりまして、
その中に書いてあります。

それは「敷地境界での線量評価は安全性の向上のための評価というなかで、
格納容器の機能が維持されている場合、およびフィルターベントによる管理放出の場合には行う」という、
これは、そういう限定条件付きの評価をしています。

ただしそれは運転と安全性向上のための評価というのは、
運転開始後ですね、定める時期ごとに行う総合的安全評価ということで、
改正の原子炉等規制法で、新たに創生されたものですね。

これは届け出制。
事業者が自主的に行ってそれを届け出るというような扱いなんです。

そういうことで現在のこういった状況はですね、
私としては参加できないような改悪であるというふうに言わざるをえません。


限定条件無しでの重大事故の敷地境界線量が目安線量内に収まらないから
こういう方法を打ち出しているというふうに思っています。

つまり、立地条件の不適合隠しじゃないかと。


これを裏付けるような検討が出来ないかと思って、次のような事をやってみました。
「重大事故の敷地境界線量の推算」というのをしました。

2013040515.jpg

計算しようとしまして、敷地境界の全身被ばく線量を、公開されている安全審査資料ですね、
それを基に放出量比例で概略計算するというやり方であります。

計算対象及びその条件として、BWRとPWR。
お手元の資料の89が890とか、135が1350と、ゼロが一つ多くなっておりますので、
そこだけ申し訳ないんですが訂正をお願いします。

で、こういった100万キロクラスをいくつか、および希ガスに注目しまして、
その炉内蓄積全量が排気筒から放出されるケースをやりました。

計算結果ですが、BWR、PWRともに、1000メガ(ミリ?)シーベルト以上の値。
先ほどの100ミリシーベルトの10倍以上ですね。
で、細かな数字はですね、最後のページの表の一番下の量が相当します。
2000から、…原発によってそれぞれ違うんですが、
2000から9000ミリシーベルトぐらいの値がついています。

こういうことで明らかに
立地審査指針の判断目安の100ミリシーベルトを大幅に超えるような見通しが出ております。

次に、格納容器のフィルターベントをするとどうなるのか?
この時に取り上げました希ガスというのはですね、
その性質上、現在考えられているフィルターではほとんど除去できません。
非常に不活性ですし、ガスですし、

ま、セシウムとかヨウ素、
それはフィルターベントのフィルターでかなり低減することは事実だと思うんですが、
希ガスではそうはなりません。

ということで、単純な計算ですが、
本積算レベルの線量になる可能性が大きい、ベントをするとですね。
そういう事になります。
立地条件が不適合の疑いがあると、私は思っています。

で、これはかんりょう計算ですので、規制委員会に求めたい事は
設置許可申請の安全審査の計算書で詳細に線量評価をする事を求めたいとおもいます。
以上です。



つづくーー




「『シビアアクシデントは許さない』という記述を入れるべき」
小倉志郎氏4/2原子力規制を監視する市民の会「新安全基準骨子案」の問題点を暴く(文字起こし)


「新“告示501号”を使っていない原発は古くて駄目だというのをまず認識すべき」
田中三彦氏4/2原子力規制を監視する市民の会「新安全基準骨子案」の問題点を暴く(文字起こし)


「3号機燃料プールの核爆発が新安全基準には全然反映されていない」
藤原節男氏4/2原子力規制を監視する市民の会「新安全基準骨子案」の問題点を暴く(文字起こし)


「安全系設備に猶予期間を設けて運転するのは 故障した航空機をそのまま飛ばしているのと全く同じ」
後藤政志氏4/2原子力規制を監視する市民の会「新安全基準骨子案」の問題点を暴く(文字起こし)


<5年猶予問題>原子力規制を監視する市民の会4/2坂上武氏&デモクラTV4/5


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被災地の大人たちよ―子ども達に胸を張れる“決断”をしたのか
<3.11東北大震災と福島第一原発災害から3年目の春に、被災地相馬を舞台にした「HIKOBAE 2013」を観て>
3月30日(土)、31日(日)にリトル東京のJACCC ARATANI 劇場で、東北大震災被災地の福島県相馬を舞台とした「HIKOBAE 2013」(塩屋俊監督)が上演され、私は31日の部を観劇しました。とりわけロサンゼルスは、毎年の春の訪れと共にサンタアニタ競馬場で南相馬からの騎馬武者の皆さんによる“野馬追い祭り”の内の“神旗争奪戦”が披露されるというところなので、福島県旧相馬藩地域とは馴染み深い関係にあります。両日ともに日系人、アメリカ人の観客で満席に近い入りの様でした。 英語のせりふのときは字幕に日本語が、日本語のせりふのときは字幕に英語が出されました。

 物語は、祭囃子の音楽をバックに、福島県相馬市の病院にNYから研修に来ているアメリカ人青年医師ALANの愛の告白とプロポーズの練習シーンから始まります。お目当ては看護婦のSAKI。しかしSAKIには院長の息子であり、地元消防団員でもあるEIJIという恋人がいます。それを取り巻く3人の看護師と婦長、医者である院長も加えたドタバタの日常が続く中、3月11日マグニチュード9の東日本大震災が直撃します。それから始まる彼らが直面する困難にどんな「決断」を下していったのかがこの被災地の病院を舞台に演じられていきます。
①市長の命令の下、EIJIの地元消防団員としての被災者救援の活動の中での殉職。
②爆発した「原発」より40Kmの場所にある病院内における子どもを持つ看護士と看護婦の葛藤。看護士は一度は子どもを連れての避難を選ぶも結局は戻ってくる。
③アメリカ政府による「80Km 圏外への避難勧告」を受けての、アメリカ人医師ALANの帰国するべきか、否かの葛藤。いざ帰国を決断した時点で飛び込んでくる子どもの緊急手術、そして結局は残ることになる医師ALAN。
④自衛隊員と思わしき防護服の男たちによる「避難勧告(?)」を前に、二次災害の恐れと共に、国からの「避難命令」が出ていないことを理由に避難を決断できない相馬市市長の葛藤。
そして、2年後の春。殉職したEIJIをはじめとする消防団員の鎮魂が“殉職”した消防団員の名前を読み上げる形で示されます。また病院として避難をせずに頑張り、被災地で災害弱者たる子どもと老人のケアに尽くした病院スタッフへの慰労が笑いさざめく子ども達の姿と通院するお年寄りの感謝で示されます。そして“復興”の象徴たる“祭り”の継続が、EIJIが述べる筈であった“侍大将の口上”をALANが日本語で堂々と述べるかたちで確認され、華やかな祭囃子の高鳴りのうちにフィナーレを迎えます。これまでと変わらないことの象徴としての祭り! 浜通り北部の旧相馬藩における“相馬野馬追い祭り”の華やかな復活が“復興の象徴”として演出されて終ります。
終演と同時に、ほぼ観客全員のスタンディングオベーションと拍手。そのなかで私は、彼、彼女らの演技に泣かされながらも立てませんでした。拍手もできませんでした。劇中で示された大人たちの「決断」は、“子ども達にとってはどうなんだ”との思いがぬぐえなかったのです。

劇中で示された「困難」を前にした、それらの「決断」は果たして正しかったのでしょうか? 福島第一原発は依然として毎時1000万ベクレルもの放射性廃棄物を噴出させています。福島県内に於いて浜通りは比較的空間放射線線量が低いといっても、2012年の8月から9月の時点で、相馬市の山側では0.5μSv/h~1.0μSv/hという十分“放射線管理地域”としなくてはならない地域が点在しています。南相馬市に於いては3.8μSv/h~9.5μSv/hという年間20mSv/yをはるかに超える“居住制限区域”や“帰還困難区域”に該当する線量地帯がほとんどの状況です(数値は文科省調べによる)。
物語の舞台として設定された原発から40Km地点にある病院内でのやりとりは、“放射線被曝の危険性”についての知見を持っている筈の医療関係者とはとうてい思えぬものでした。看護士の“危険を警告する世界からの報道”を根拠とした子どもを連れての避難や、アランの米国政府の「避難勧告」を受けての帰国の決断が、「患者や地元を裏切るか否か」の問題として問われることによって被曝の危険性の問題は切り捨てられてしまいます。なぜ被災者の緊急医療に対応しつつも、放射線被曝の危険性をも如何に回避するかと問題が立てられないのでしょうか? 事態が落ち着いた後でも、なれ親しんだ病院に通いたいおばあと放射線被曝を心配して県外(長野)への転院を主張する息子の対立において、息子を説得する病院スタッフ。こうした被曝を回避するための避難をどうしても阻止したいのはなぜなのでしょうか。
あるいは市長に於いても、自衛隊員による「避難勧告」(事実としてあったとは思えぬが、防護服姿で計測し歩く所属不明のグループを異様に思い住民が問い詰め、「危険を警告された」ケースはいくつか報告されている)を、国による「避難命令」が出ていないことを以って拒否するわけですが、米国と自衛隊という“放射能の実態をよく知るもの”からの情報や勧告をまったく無視して一顧だにしない「決断」というのはどうなのでしょうか。生活物資も医薬品も流通を担う労働者が被曝を恐れて入ってこない。おなじくマスコミも50Km圏内での取材を禁止されているという孤立の中で、被曝に対する恐れを持たないというのはどういうことなのでしょう。パニックなどによる二次災害を避けつつの避難が選択肢にはいってこないのも不思議です。実際に被曝を避けて、町全体で県外に避難した双葉町井戸川町長、ヨウ素剤を配った三春町、自主避難を決断した広野町、葛尾村、という住民の健康を優先して国の方針に先がけて「決断」した自治体も存在します。国は住民の健康よりパニックや莫大な賠償を恐れて施策を立案したことが今や明らかにされています。相馬市及び南相馬市の当時の(そして今の)空間線量を考えると、その「決断」は改めて検証されなくてはなりません。

でも塩谷監督は仕組んだのかもしれません。EIJIの死の直接の原因はどう考えても“おじいのわがまま”として設定されています。津波を目前にしてもなお、「自分の家で死にたい」とのおじいのわがままに若い消防団員が付き合ったり、自治体の長が地元消防団に「被災者救助命令」を出したりなど。どうして歴史的に津波被害を受けてきた被災地で、津波被害の教訓を引き継ぐべき年寄りたちがそろって教訓を無視する話にしているのか? 有名な“津波デンデンコ”(津波のときは、ひとりひとりがばらばらにでも、他人にかまうことなく、先ず逃げろ)の教えがまったく年寄り連中の頭にないのはなぜなのか? なぜ監督はEIJIが被災者とともに避難することが間に合わず殉職に至ったのかの過程を、理にかなったもの、例えば倒壊した家に阻まれて被災者を引き出すのに手間がかかったなどの話にしなかったのか。ここに監督自身の、彼らの「決断」に対する“疑問”が反映しているのかもしれません。
しかしまた監督は、被災現地の大人たちによる“被災当時のすべての判断の正当化”! との現状を反映して物語を創作したとも思われます。
 いまや、甲状腺がんは福島現地に於いて3万8千114人の子供に10人の発症が確認され(2011年度分)、2012年度分の検査に於いては5万7千8百40人の子どもに17人以上の発症が予想されています。放射能汚染を原因とする健康被害が顕在化しつつありますが、そのピークは4、5年後からだといわれています。累積放射線量を測るガラスバッチを身に着け、屋外での活動が3時間のみに限定されるなかでの生活を強要されている子ども達。子どもを守って避難した福島の母親たちは、「子どもたちを安全なところに逃がして、その命と健康を大人たちが守ってこそ、守ってくれた大人たちの居る福島に帰ってくる」と言っています。はたして守ってくれなかった事実が明らかになったときに、伝統の継承や、共同体維持の努力をしてくれる次世代がいるでしょうか。
原発は依然としてあり、再稼動どころか、海外輸出すら国策として推し進められようとしています。すでにHIROSHIMA・NAGASAKI、DAI 5 FUKURYUMARU、FUKUSHIMAと三度の莫大な被曝を経験している日本が、そこから何も学ばずに、再び国が吹っ飛ぶほどのリスクを背負おうとすることは愚かの極みです。これまでの原発の稼動によって生み出してしまった膨大な量の放射性廃棄物の処分もできないわれわれの世代は、すでに次代を引き継ぐ子ども達に顔向けができない罪を犯してしまっているのです。
原発の立地を認め、放射能汚染の只中で子ども達に生活させることを強要し、逃げなかったことを正しい判断だったと正当化し、伝統を受け継ぎ変わらないことを誇示する被災地の大人たちよ! 子ども達に胸を張れる「決断」をしよう。
  4月3日2013年 ロサンゼルス、サンファナンドバレー住人 SAM KANNO
sam kanno | 2013.04.06 14:04 | 編集
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