福島県の白河市、県南地域からの避難案件としては初めての和解
より被害の実態に即した賠償が行われるための一つのステップになって欲しい
国や東電が引い目に見えないラインに関係なく放射能というのは広がってそこに汚染があるのは事実。
その汚染から逃げたい気持ちはみんなの権利であって、
私たちはその権利を行使して、賠償していただくということも私たちの権利
今回、「合理性がない」と一度言いきった事に関して慰謝料が出たというのは、
実は汚染があって、「そこから逃げた事は合理性があるんだ」という事をはっきり認めたという事。
2013年4月17日(水)
「自主的避難等対象区域外からの避難者への賠償実現記者会見」
対象区域外の母子避難、賠償実現 SAFLAN福田弁護士
Aさん福島県白河市から札幌市へ母子避難

私は2011年の12月からサフランの先生方にお力添えを頂きながらADRの方を進めてまいりました。
すでに1年と4カ月の時間が経っております。
私どもが最初にこのADRという事を耳にして、こういった方法があるんだよという事が分かったのは、
本当に避難後間もない時期でした。
確かまだ夏から秋にかけての時期に「こういう方法がありますよ」というのが
サフランの先生方の方から、郵送で送られてきたんですね、避難者宛に。
で、それを見まして、全く知識もなく、
これがどういう方法であるのか、これで何を認めてもらえるのかが分からないという
手探りの状態だったんですけれども、
やはり私たちが避難をしたという事を、全く意味のないものとして済ませようとしている
東電あるいは国に対して、私たちが出来るまず第一歩なんではないかと思いまして、
いろいろ考えて、家族の中でも相談をしまして、
2011年11月に正式にADRの方のスタートが切られたんですけれども、
スタートした時点では3~4か月ほどで何らかの結果が出るんではないかというような話がなされていました。
ADRというのは「裁判とは違って素早く結果が出るんだ」というところがメリットの一つであるという事が、
私たちの中では一つの知識としてあったので、
それもあって、それだったらと思ってスタートしたんですけれども、
実際は本当に店晒しにされたまま、何の反応もなく、ほったらかしにされていたような状態で、
すごく長かったんですね。
で、その間も少しでもこちらの思いを分かってもらおうと思いまして、
私たちが避難するまでの間に
白河市の自宅周辺の放射線量を私は毎日毎日数カ所測って表にまとめておりました。
そういったものを全部提出させていただいたり、
残っている主人の心情を綴った手紙などを書かせていただいたり、
子どもの言葉として提出させていただいたりしながら、
こちらがどういう思いで避難という事に至ったのかというのを分かって頂こうと、
本当にあらゆる手段を尽くしてきたんですけれども、
この1年4カ月、この3月に和解という形でご連絡を頂くまでは、
「なぜわかってもらえないんだろう?」という気持ちがこちらの方でも湧いてきてしまう位に
店晒しの状態が続いておりました。
「店晒し」というと、本当に「放っておかれて何にも反応がない」というふうに思われがちなんですけれども、
それだけではなくて、私たちの方から提出したものに対して、
「あなた達の避難は合理性がない」とはっきり書かれた書類が送られてきたこともございました。
本当にその書類を見た時には、福田先生と電話で話しをしながら、
「もうこの手紙破いてもいいですか?」と福田先生がおっしゃったように、私もそれを見た時に、
あれだけはっきりとした汚染があって、
今現在も除染が勧められているような場所から避難をしたにもかかわらず、
「あなた達の避難に合理性はありません」という答が返ってきた時のあの悔しさと、
なんて言うんでしょう…遺憾という言葉では現わせない位の本当に悲しい怒りがいっぱいでして、
もしこのまま何も方向性が決まらずにADRが進まなければ私たちはどうしたらいいんだろうなというのを、
少しずつ、こうなんとなく福田先生と話を進めていたころの
本当に突然の、実は、和解というご連絡だったんですけれども、
わたしたちがこのADRというものをやろうと決めたのは、
もちろん避難には沢山のお金がかかりまして、
私たちが「これだけあれば足りるだろう」と思った、本当にその数倍のお金が実際はかかってしまっていて
いろいろなものを切り崩しながら今まで生活をして来ているんですけれども、
「お金を目当てにしてこういった事をしているんだろう」という言葉も、実は言われたりもするんですが、
私はそうではなくて、
あの場所に実際に汚染があったという事を、
私たちはそれを怖がって逃げる権利があるという事を
ぜひ、実際に怖くても我慢をしている人や、
怖くて逃げたのにそこにかかった費用が請求できていない方々に
「あなた達の避難は正当だったんだよ」という事を伝えるために、
この国や東電が引いたラインを、
本当に目に見えないラインですけれども、
そんなラインに関係なく放射能というのは広がって、そこに汚染があるのは事実なので、
その汚染から逃げたい気持ちはみんなの権利であって、
私たちはその権利を行使して、
逃げた先にかかったお金をまた、きちんと受け取る、賠償していただくということも、
それも私たちの権利なんだという事をしっかりと認めていただくために、
「ADRをやろう」というのを私は決心をしたので、
今回、多分この金額を見た時に、たとえば私の慰謝料4万円というのも、
「この4万で果たして何が出来るんだろうか?」と思ったりもするんですけれども、
もちろん金額的に満足がいくかと言えば、
私がこの1年8カ月、9カ月、避難してからたっている時間の間に、
本当にいろんな思いをしてきました。
お金も沢山かかりました。
でも「その4万円で、じゃあ何がカバーできるのか」と言われてしまえば、
なにも、実はできません。
でも今回、「合理性がない」と一度言いきった事に関して慰謝料が出たというのは、
実は汚染があって、
「そこから逃げた事は合理性があるんだ」という事をはっきり認めたという事だと思っています。
ですから、今まだ悩んでいる方、
または悩んで考えて避難をしたけれども、
そこから先、一方的にお金が出ていってしまって何にも貰えていない方々に、
「あなた方にも同じ事をする権利があるんだよ」という事を是非分かって頂きたいなと思ったので、
この金額云々というのはちょっと横に置いておきまして、
今回ちょっと主人の分の慰謝料が出ていないというのが、私も本当に悔しい思いでいっぱいなんですけれども、
大まかな部分に関しては認めていただいた部分は、
私としては評価できる点で特筆できる天だなと思っております。
本当にずっと、店晒しの時間が長かった間、励まして下さったサフランの先生方、
福田先生、本当に感謝をしております。ありがとうございます。
Q:北海道にはなにか親戚がいらっしゃったりするんですか?
A:全くおりません。
Q:札幌を選ばれた理由は?
A:
まず避難先を考えた時に「福島からある程度の距離がなければ何の意味もないな」と思いまして、
北に行くか南にいくかしか場所的には選べないので、
「北か南か?」と子どもに聞きましたら「北がいい」と言ったというのがあるんですけど、
実は当時、札幌、北海道からの情報発信が一番インターネットですぐれていたというのが私の感想ですね。
それが理由です。
Q:
避難された時の家の周辺の線量を測られていたという事なんですけれども、
大体どのくらいで、いつ引っ越しをされたのか教えて下さい。
A:
引越し…、避難をしたのは2011年7月21日です。
ちょうど子供たちの1学期の学校が全部終わった翌日に避難をしました。
これが4カ月経っているという事で、
「この4カ月何をしていたんだ」という事を言ってこられたこともあるんですけれども、
この4カ月間はですね、
「安全である」と「焦るな」というのを繰り返し言われていたというのが現実です。
避難をしようとした人たちを笑うという人もいましたし、
そういう中で焦って飛び出ていくのをみっともない事であると、
そういった風潮もありました。
実際に私が、最後に家を出る時に測った玄関付近の線量は、0.68でした。
0.68マイクロシーベルト/時でした。
で、私が一番「これはもうここにはいられない」と思った決定的なものは、
2階に子どもの部屋があるんですけれども、
その子どもの部屋の2段ベットの上の段がものすごい線量だったんですね。
それはもう、しばらく子どもたちをそこに寝かして生活をしてしまってから、
ふと気が付いて調べようと思って、
普段は通常自分が生活をする状態で調べていたんですけれども、
ふと思って2段ベットの上の段に上って天井付近を調べてみたら、本当にものすごい線量でした。
あの時多分最初に測った時は0.7~8ぐらいありまして、
そこに子どもたちを結局「数か月寝かして生活をしてしまった」という、
自分のこの無知さと、「いや大丈夫だ」と言われ続けて、いい続けていた事についての、
すごい怒りが一気にその時に噴き出しまして、
「もうここにはいられないな」と。
「ここで子育てをするのは私にとっては絶対に無理なことである」と思いまして、
7月21日に最終的に避難する事になりました。
福田健治弁護士 福島の子どもたちを守る法律家ネットワーク副代表サフラン

「福島の子どもたちを守る法律家ネットワーク」という自主避難者の支援を行っている
法律家の団体の副代表をしています。
本日は私たちの団体で、何件か東京電力に対する原発事故に関する損害賠償の案件を代理してきましたが、
その中の1件において和解が成立したという事でご報告をさせていただきます。
福島県白河市という、福島県の一番南のところから札幌に
母子避難された世帯の賠償請求の件についてという事になります。
白河市からの避難ということが特筆すべきであるのは、
当初賠償の指針を定めていた原子力損害賠償紛争審査会が
「自主避難者に対する賠償指針」というのを2012年12月6日に定めていたんですが、
この時に賠償の対象となった区域、これ「自主的避難と対象区域」という長い名前になっていますが、
そこから外れた、福島県内であるにもかかわらず「外れた」という事で、
「この案件が実際に賠償されるかどうかが分からない」という事で、すっと東京電力との間で
原子力損害賠償紛争解決センター(原発ADR)を通じてやり取りをしていた案件です。
最終的には4月5日に、
福島市や郡山市などの自主的避難等対象区域と同様の水準で和解が成立することになったという事で、
ご報告させていただきます。
事案の概要ですが、
今申し上げた通り避難されたのは4人のご家族のうち、お母さんと子ども2名。
事故当時に中1小5。
実際に避難されたのは2011年7月ですので、その時には中2と小6という事になりますが、
この3名の方が札幌市に避難をされた事案です。
で、お父さんの方は白河市に残っていらっしゃって、
今でも白河市で生活を続けていらっしゃいます。
この世帯が東京電力に対して、避難の費用あるいは慰謝料について賠償を求めたという事案で、
私たちサフランの弁護士が弁護団を務めてこれまでこのセンターを通じて行ってきました。
今回、和解の内容という事になりますが、
原発ADRから和解案が出たのは3月の事でして、
その和解案に基づいて、最終的に東京電力も含めて和解を受諾するという事になりました。
具体的内容としては、請求していたのは2011年分の損害という事で、
この白河市の子ども妊婦に対してひとり当たり20万円。
今回の世帯の場合は40万円支払われていた以外に、
「合計134万7190円を支払う」という内容で和解が成立しています。
合計額としては174万7190円ということになります。
具体的な中身としては、避難をされたお母さんと子ども2名に対して、
お母さんについては慰謝料4万円、
それから子どもについては一人当たり20万円の慰謝料が認められたほかに、
具体的な費用として、避難にかかった交通費、家財道具の購入費、
日常生活、お父さんがまだ白河市に残っていますで、2重生活に伴って増加した生活費の増加分。
それから、お父さんが札幌にいる家族のところを訪問するための面会交通費。
それから、お母さんが白河市で英語教室を行っていましたので、
これを辞めざるを得なくなったという事で、それに伴う減収分等が今回賠償の対象として認められております。
一方ですね、もうひとつ特筆すべきなのは、
白河市にまだ残っているお父さんの慰謝料。
お父さんについては慰謝料が認められなかったという事になっております。
今回の和解に対する評価申し上げたいと思います。
今回、原発ADRが少なくても2011年4月22日以降に避難した案件としては、
この福島県の白河市、県南地域からの避難案件としては初めての和解であるというふうに
当方としては認識しております。
これまで東京電力は福島市、郡山市からの避難者に対しては賠償の請求を認めてきたわけですが、
県南地域については基本的には「子ども、妊婦の方には20万円配る」という対応しかしておらず、
それ以外の請求は一切認めていないという事になります。
今回それを相当上回る水準での和解がなされたということで、
今後県南地域から避難された方々が東京電力に対して賠償請求していくという案件が
増えていくのではないかと思っておりますし、
また、東京電力の方はこの県南地域についてもきちんと避難者に対する賠償を直接。
原発ADRにわざわざ申し立てるまでもなく直接受け付ける体制を確立すべきであろうと考えております。
特に今回の件が重要であるのは、
原発事故後様々な形で政府が区域分け、線引きをしてきました。
今回、この自主的避難対象区域という事で、
「郡山市と白河市の間に賠償の差が出てきてしまっている」という事についても、
まさに政府がこれまで行ってきた線引きの非常に良くない一面だと思いますが、
その線引きが今回一つの事案ではありますが打破することが出来たと。
より被害の実態に即した賠償が行われるための一つのステップになって欲しい
というふうに私たちは期待しております。
一方ですね、問題点として2点ほど申し上げたいと思います。
まず一つは慰謝料の判断。
これは今、原発ADRの特に自主避難案件に対する慰謝料の判断が極めて画一的でありまして、
とにかく大人4万円子ども妊婦20万円、それ以外は認めないという対応をずっと続けてきておりまして、
個別具体的なその家庭あるいは個人の思い事情というものを詐称した形で
ずっとこのような一定額の賠償という事にセンターが固執しているというのは非常に問題だと思います。
そして今回の場合さらに問題だと思うのは、
実際に今、まだ白河市に居住していらっしゃるお父さんの賠償請求の慰謝料の部分を
全くセンターが認めなかった事であります。
もちろんお父さんは原発事故による恐怖、
あるいは、まだ放射線量が決して低くはなっていない中で生活していると、
これに伴う精神的苦痛というのもあります。
で、それだけではなくてですね、実際このような形で母子避難という形になって、
子ども、あるいは奥さんと離れ離れの状態で一人で白河市にお仕事の関係で住まなくてはいけないと。
この精神的苦痛に対して今回の和解案というものが対応していないと、
「そのようなものは認めない」という対応に、
センターが終始したという事が極めて遺憾であると考えております。
センターが今回賠償をするという和解案を出した理由というのは、
これは和解案の提示理由書というものを昔はいっぱい作っていたんですけれども
今センターが作らなくなっていまして、
私たちもこれを今回のケースについては貰っていません。
ただ、センターとの議論の中で聞いているのは、
「基本的には線量の問題である」と聞いています。
具体的には自主的避難等対象区域の線量が色々なんですね。
高いところは福島市や郡山市なんかは結構高いですし、
いわき市とか相馬市というのも対象区域なんですけれども、それほど高くありません。
で、白河市というのは大体その中間ぐらいの線量であるという事なので、
「この件については自主的避難等対象区域と同様の線量の状況にあるという事にかんがみて
避難の合理性を認めるという事にした」という事をセンターから口頭で説明を受けております。
自民党の憲法改憲案と東電が作った賠償請求書12/192012年FFTV(一部文字起こし)
福田弁護士 賠償額に関して、重要な部分の要旨
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より被害の実態に即した賠償が行われるための一つのステップになって欲しい
国や東電が引い目に見えないラインに関係なく放射能というのは広がってそこに汚染があるのは事実。
その汚染から逃げたい気持ちはみんなの権利であって、
私たちはその権利を行使して、賠償していただくということも私たちの権利
今回、「合理性がない」と一度言いきった事に関して慰謝料が出たというのは、
実は汚染があって、「そこから逃げた事は合理性があるんだ」という事をはっきり認めたという事。
2013年4月17日(水)
「自主的避難等対象区域外からの避難者への賠償実現記者会見」
対象区域外の母子避難、賠償実現 SAFLAN福田弁護士
Aさん福島県白河市から札幌市へ母子避難

私は2011年の12月からサフランの先生方にお力添えを頂きながらADRの方を進めてまいりました。
すでに1年と4カ月の時間が経っております。
私どもが最初にこのADRという事を耳にして、こういった方法があるんだよという事が分かったのは、
本当に避難後間もない時期でした。
確かまだ夏から秋にかけての時期に「こういう方法がありますよ」というのが
サフランの先生方の方から、郵送で送られてきたんですね、避難者宛に。
で、それを見まして、全く知識もなく、
これがどういう方法であるのか、これで何を認めてもらえるのかが分からないという
手探りの状態だったんですけれども、
やはり私たちが避難をしたという事を、全く意味のないものとして済ませようとしている
東電あるいは国に対して、私たちが出来るまず第一歩なんではないかと思いまして、
いろいろ考えて、家族の中でも相談をしまして、
2011年11月に正式にADRの方のスタートが切られたんですけれども、
スタートした時点では3~4か月ほどで何らかの結果が出るんではないかというような話がなされていました。
ADRというのは「裁判とは違って素早く結果が出るんだ」というところがメリットの一つであるという事が、
私たちの中では一つの知識としてあったので、
それもあって、それだったらと思ってスタートしたんですけれども、
実際は本当に店晒しにされたまま、何の反応もなく、ほったらかしにされていたような状態で、
すごく長かったんですね。
で、その間も少しでもこちらの思いを分かってもらおうと思いまして、
私たちが避難するまでの間に
白河市の自宅周辺の放射線量を私は毎日毎日数カ所測って表にまとめておりました。
そういったものを全部提出させていただいたり、
残っている主人の心情を綴った手紙などを書かせていただいたり、
子どもの言葉として提出させていただいたりしながら、
こちらがどういう思いで避難という事に至ったのかというのを分かって頂こうと、
本当にあらゆる手段を尽くしてきたんですけれども、
この1年4カ月、この3月に和解という形でご連絡を頂くまでは、
「なぜわかってもらえないんだろう?」という気持ちがこちらの方でも湧いてきてしまう位に
店晒しの状態が続いておりました。
「店晒し」というと、本当に「放っておかれて何にも反応がない」というふうに思われがちなんですけれども、
それだけではなくて、私たちの方から提出したものに対して、
「あなた達の避難は合理性がない」とはっきり書かれた書類が送られてきたこともございました。
本当にその書類を見た時には、福田先生と電話で話しをしながら、
「もうこの手紙破いてもいいですか?」と福田先生がおっしゃったように、私もそれを見た時に、
あれだけはっきりとした汚染があって、
今現在も除染が勧められているような場所から避難をしたにもかかわらず、
「あなた達の避難に合理性はありません」という答が返ってきた時のあの悔しさと、
なんて言うんでしょう…遺憾という言葉では現わせない位の本当に悲しい怒りがいっぱいでして、
もしこのまま何も方向性が決まらずにADRが進まなければ私たちはどうしたらいいんだろうなというのを、
少しずつ、こうなんとなく福田先生と話を進めていたころの
本当に突然の、実は、和解というご連絡だったんですけれども、
わたしたちがこのADRというものをやろうと決めたのは、
もちろん避難には沢山のお金がかかりまして、
私たちが「これだけあれば足りるだろう」と思った、本当にその数倍のお金が実際はかかってしまっていて
いろいろなものを切り崩しながら今まで生活をして来ているんですけれども、
「お金を目当てにしてこういった事をしているんだろう」という言葉も、実は言われたりもするんですが、
私はそうではなくて、
あの場所に実際に汚染があったという事を、
私たちはそれを怖がって逃げる権利があるという事を
ぜひ、実際に怖くても我慢をしている人や、
怖くて逃げたのにそこにかかった費用が請求できていない方々に
「あなた達の避難は正当だったんだよ」という事を伝えるために、
この国や東電が引いたラインを、
本当に目に見えないラインですけれども、
そんなラインに関係なく放射能というのは広がって、そこに汚染があるのは事実なので、
その汚染から逃げたい気持ちはみんなの権利であって、
私たちはその権利を行使して、
逃げた先にかかったお金をまた、きちんと受け取る、賠償していただくということも、
それも私たちの権利なんだという事をしっかりと認めていただくために、
「ADRをやろう」というのを私は決心をしたので、
今回、多分この金額を見た時に、たとえば私の慰謝料4万円というのも、
「この4万で果たして何が出来るんだろうか?」と思ったりもするんですけれども、
もちろん金額的に満足がいくかと言えば、
私がこの1年8カ月、9カ月、避難してからたっている時間の間に、
本当にいろんな思いをしてきました。
お金も沢山かかりました。
でも「その4万円で、じゃあ何がカバーできるのか」と言われてしまえば、
なにも、実はできません。
でも今回、「合理性がない」と一度言いきった事に関して慰謝料が出たというのは、
実は汚染があって、
「そこから逃げた事は合理性があるんだ」という事をはっきり認めたという事だと思っています。
ですから、今まだ悩んでいる方、
または悩んで考えて避難をしたけれども、
そこから先、一方的にお金が出ていってしまって何にも貰えていない方々に、
「あなた方にも同じ事をする権利があるんだよ」という事を是非分かって頂きたいなと思ったので、
この金額云々というのはちょっと横に置いておきまして、
今回ちょっと主人の分の慰謝料が出ていないというのが、私も本当に悔しい思いでいっぱいなんですけれども、
大まかな部分に関しては認めていただいた部分は、
私としては評価できる点で特筆できる天だなと思っております。
本当にずっと、店晒しの時間が長かった間、励まして下さったサフランの先生方、
福田先生、本当に感謝をしております。ありがとうございます。
Q:北海道にはなにか親戚がいらっしゃったりするんですか?
A:全くおりません。
Q:札幌を選ばれた理由は?
A:
まず避難先を考えた時に「福島からある程度の距離がなければ何の意味もないな」と思いまして、
北に行くか南にいくかしか場所的には選べないので、
「北か南か?」と子どもに聞きましたら「北がいい」と言ったというのがあるんですけど、
実は当時、札幌、北海道からの情報発信が一番インターネットですぐれていたというのが私の感想ですね。
それが理由です。
Q:
避難された時の家の周辺の線量を測られていたという事なんですけれども、
大体どのくらいで、いつ引っ越しをされたのか教えて下さい。
A:
引越し…、避難をしたのは2011年7月21日です。
ちょうど子供たちの1学期の学校が全部終わった翌日に避難をしました。
これが4カ月経っているという事で、
「この4カ月何をしていたんだ」という事を言ってこられたこともあるんですけれども、
この4カ月間はですね、
「安全である」と「焦るな」というのを繰り返し言われていたというのが現実です。
避難をしようとした人たちを笑うという人もいましたし、
そういう中で焦って飛び出ていくのをみっともない事であると、
そういった風潮もありました。
実際に私が、最後に家を出る時に測った玄関付近の線量は、0.68でした。
0.68マイクロシーベルト/時でした。
で、私が一番「これはもうここにはいられない」と思った決定的なものは、
2階に子どもの部屋があるんですけれども、
その子どもの部屋の2段ベットの上の段がものすごい線量だったんですね。
それはもう、しばらく子どもたちをそこに寝かして生活をしてしまってから、
ふと気が付いて調べようと思って、
普段は通常自分が生活をする状態で調べていたんですけれども、
ふと思って2段ベットの上の段に上って天井付近を調べてみたら、本当にものすごい線量でした。
あの時多分最初に測った時は0.7~8ぐらいありまして、
そこに子どもたちを結局「数か月寝かして生活をしてしまった」という、
自分のこの無知さと、「いや大丈夫だ」と言われ続けて、いい続けていた事についての、
すごい怒りが一気にその時に噴き出しまして、
「もうここにはいられないな」と。
「ここで子育てをするのは私にとっては絶対に無理なことである」と思いまして、
7月21日に最終的に避難する事になりました。
福田健治弁護士 福島の子どもたちを守る法律家ネットワーク副代表サフラン

「福島の子どもたちを守る法律家ネットワーク」という自主避難者の支援を行っている
法律家の団体の副代表をしています。
本日は私たちの団体で、何件か東京電力に対する原発事故に関する損害賠償の案件を代理してきましたが、
その中の1件において和解が成立したという事でご報告をさせていただきます。
福島県白河市という、福島県の一番南のところから札幌に
母子避難された世帯の賠償請求の件についてという事になります。
白河市からの避難ということが特筆すべきであるのは、
当初賠償の指針を定めていた原子力損害賠償紛争審査会が
「自主避難者に対する賠償指針」というのを2012年12月6日に定めていたんですが、
この時に賠償の対象となった区域、これ「自主的避難と対象区域」という長い名前になっていますが、
そこから外れた、福島県内であるにもかかわらず「外れた」という事で、
「この案件が実際に賠償されるかどうかが分からない」という事で、すっと東京電力との間で
原子力損害賠償紛争解決センター(原発ADR)を通じてやり取りをしていた案件です。
最終的には4月5日に、
福島市や郡山市などの自主的避難等対象区域と同様の水準で和解が成立することになったという事で、
ご報告させていただきます。
事案の概要ですが、
今申し上げた通り避難されたのは4人のご家族のうち、お母さんと子ども2名。
事故当時に中1小5。
実際に避難されたのは2011年7月ですので、その時には中2と小6という事になりますが、
この3名の方が札幌市に避難をされた事案です。
で、お父さんの方は白河市に残っていらっしゃって、
今でも白河市で生活を続けていらっしゃいます。
この世帯が東京電力に対して、避難の費用あるいは慰謝料について賠償を求めたという事案で、
私たちサフランの弁護士が弁護団を務めてこれまでこのセンターを通じて行ってきました。
今回、和解の内容という事になりますが、
原発ADRから和解案が出たのは3月の事でして、
その和解案に基づいて、最終的に東京電力も含めて和解を受諾するという事になりました。
具体的内容としては、請求していたのは2011年分の損害という事で、
この白河市の子ども妊婦に対してひとり当たり20万円。
今回の世帯の場合は40万円支払われていた以外に、
「合計134万7190円を支払う」という内容で和解が成立しています。
合計額としては174万7190円ということになります。
具体的な中身としては、避難をされたお母さんと子ども2名に対して、
お母さんについては慰謝料4万円、
それから子どもについては一人当たり20万円の慰謝料が認められたほかに、
具体的な費用として、避難にかかった交通費、家財道具の購入費、
日常生活、お父さんがまだ白河市に残っていますで、2重生活に伴って増加した生活費の増加分。
それから、お父さんが札幌にいる家族のところを訪問するための面会交通費。
それから、お母さんが白河市で英語教室を行っていましたので、
これを辞めざるを得なくなったという事で、それに伴う減収分等が今回賠償の対象として認められております。
一方ですね、もうひとつ特筆すべきなのは、
白河市にまだ残っているお父さんの慰謝料。
お父さんについては慰謝料が認められなかったという事になっております。
今回の和解に対する評価申し上げたいと思います。
今回、原発ADRが少なくても2011年4月22日以降に避難した案件としては、
この福島県の白河市、県南地域からの避難案件としては初めての和解であるというふうに
当方としては認識しております。
これまで東京電力は福島市、郡山市からの避難者に対しては賠償の請求を認めてきたわけですが、
県南地域については基本的には「子ども、妊婦の方には20万円配る」という対応しかしておらず、
それ以外の請求は一切認めていないという事になります。
今回それを相当上回る水準での和解がなされたということで、
今後県南地域から避難された方々が東京電力に対して賠償請求していくという案件が
増えていくのではないかと思っておりますし、
また、東京電力の方はこの県南地域についてもきちんと避難者に対する賠償を直接。
原発ADRにわざわざ申し立てるまでもなく直接受け付ける体制を確立すべきであろうと考えております。
特に今回の件が重要であるのは、
原発事故後様々な形で政府が区域分け、線引きをしてきました。
今回、この自主的避難対象区域という事で、
「郡山市と白河市の間に賠償の差が出てきてしまっている」という事についても、
まさに政府がこれまで行ってきた線引きの非常に良くない一面だと思いますが、
その線引きが今回一つの事案ではありますが打破することが出来たと。
より被害の実態に即した賠償が行われるための一つのステップになって欲しい
というふうに私たちは期待しております。
一方ですね、問題点として2点ほど申し上げたいと思います。
まず一つは慰謝料の判断。
これは今、原発ADRの特に自主避難案件に対する慰謝料の判断が極めて画一的でありまして、
とにかく大人4万円子ども妊婦20万円、それ以外は認めないという対応をずっと続けてきておりまして、
個別具体的なその家庭あるいは個人の思い事情というものを詐称した形で
ずっとこのような一定額の賠償という事にセンターが固執しているというのは非常に問題だと思います。
そして今回の場合さらに問題だと思うのは、
実際に今、まだ白河市に居住していらっしゃるお父さんの賠償請求の慰謝料の部分を
全くセンターが認めなかった事であります。
もちろんお父さんは原発事故による恐怖、
あるいは、まだ放射線量が決して低くはなっていない中で生活していると、
これに伴う精神的苦痛というのもあります。
で、それだけではなくてですね、実際このような形で母子避難という形になって、
子ども、あるいは奥さんと離れ離れの状態で一人で白河市にお仕事の関係で住まなくてはいけないと。
この精神的苦痛に対して今回の和解案というものが対応していないと、
「そのようなものは認めない」という対応に、
センターが終始したという事が極めて遺憾であると考えております。
センターが今回賠償をするという和解案を出した理由というのは、
これは和解案の提示理由書というものを昔はいっぱい作っていたんですけれども
今センターが作らなくなっていまして、
私たちもこれを今回のケースについては貰っていません。
ただ、センターとの議論の中で聞いているのは、
「基本的には線量の問題である」と聞いています。
具体的には自主的避難等対象区域の線量が色々なんですね。
高いところは福島市や郡山市なんかは結構高いですし、
いわき市とか相馬市というのも対象区域なんですけれども、それほど高くありません。
で、白河市というのは大体その中間ぐらいの線量であるという事なので、
「この件については自主的避難等対象区域と同様の線量の状況にあるという事にかんがみて
避難の合理性を認めるという事にした」という事をセンターから口頭で説明を受けております。
自民党の憲法改憲案と東電が作った賠償請求書12/192012年FFTV(一部文字起こし)
福田弁護士 賠償額に関して、重要な部分の要旨
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- <2>ー大学側は逮捕の3日前、すでに下地先生が逮捕されることを知っていたー下地准教授らの不当逮捕抗議記者会見 12/22(文字起こし)
- <1>ー支援者による説明ー下地准教授らの不当逮捕抗議記者会見 12/22(文字起こし)
- <杉並区・東京8区>高円寺街頭演説後半・山本太郎さん(文字起こし)
コメント
kiikoさん、インデックスをいくら見ても、載っていたはずのこの記事がないのですが...?
「自民党の憲法改憲案と東電が作った賠償請求書12/19FFTV」
http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-2648.html
どうしてでしょうか。 さしつかえなければ教えてください。
「自民党の憲法改憲案と東電が作った賠償請求書12/19FFTV」
http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-2648.html
どうしてでしょうか。 さしつかえなければ教えてください。
セワヤキ | 2013.04.21 05:52 | 編集
>kiikoさん、インデックスをいくら見ても、載っていたはずのこの記事がないのですが...?
「自民党の憲法改憲案と東電が作った賠償請求書12/19FFTV」
http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-2648.html
いつもありがとうございます。
この記事はなにもいじっていないので、そのままです・・・。
ためしに見てみたらブログは見る事が出来ました。
インデックスとはどこの?でしょうか?
「自民党の憲法改憲案と東電が作った賠償請求書12/19FFTV」
http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-2648.html
いつもありがとうございます。
この記事はなにもいじっていないので、そのままです・・・。
ためしに見てみたらブログは見る事が出来ました。
インデックスとはどこの?でしょうか?
きーこ | 2013.04.21 07:59 | 編集
Kiikoさん
「インデックス 」 とはもちろんここ ⇓ のインデックスです。
http://kiikochan.blog136.fc2.com/archives.html
4月18日のあたりに下のタイトルが出ていたはずなのに見えないのです。⇓ この部分です。
「自民党の憲法改憲案と東電が作った賠償請求書12/19FFTV」
http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-2648.html
私はそうとうそそっかしいので、またなにか勘違いしているのかもしれませんが、本当はどうなのか知りたいので、しつこくお便りします。
セワヤキ | 2013.04.21 21:59 | 編集
「自民党の憲法改憲案と東電が作った賠償請求書12/19FFTV」
http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-2648.html
この記事は2012年12月20日に書いたものです。
ですので、
> 「インデックス 」 とはもちろんここ ⇓ のインデックスです。
> http://kiikochan.blog136.fc2.com/archives.html
こちらのインデックスの2012年12月20日まで下がってみていただければ、タイトルが出てきます。
4月18日という事ですが、わたしが4月18日に書いた記事
「自主的避難等対象区域外からの避難者への賠償実現会見」4/17福田弁護士・避難者(内容書き出し)
http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-2920.htmlの最後に、
関連しているブログなので「自民党の憲法改憲案と東電が作った賠償請求書12/19FFTV」のリンクを書いて載せましたが、そちらをご覧になってのお間違えではないでしょうか…、
これでお答えになったでしょうか。
きーこ | 2013.04.22 11:57 | 編集
お忙しいところ、お手数をおかけして申し訳けありませんでした。
やっぱり私の勘違いであったのだとわかり
恐縮したのと同時に安心しました。消されてしまったのではと案じていたので。また「もしや、・・・・・・?」という被害妄想を自分が持ちやすくなっているのだと自覚しました。以後気をつけます。
やっぱり私の勘違いであったのだとわかり
恐縮したのと同時に安心しました。消されてしまったのではと案じていたので。また「もしや、・・・・・・?」という被害妄想を自分が持ちやすくなっているのだと自覚しました。以後気をつけます。
セワヤキ | 2013.04.22 17:54 | 編集