菅原文太 日本人の底力 客人・井戸謙一(其の一)
2013年6月30日 ニッポン放送
菅原:
菅原文太 日本人の底力。
今日は客人に元裁判官で志賀原発の運転差し止めの判決を出された
弁護士井戸謙一さんに来ていただいて話を伺います。
井戸 謙一さん、
井戸:はい。井戸でございます、よろしくお願いいたします。
菅原:裁判官を辞められましたね。
井戸:2年前ですね、はい、辞めました。
菅原:
原発に関わる裁判で、
ようするに何と言ったらいいのか、有罪と言っていいのでしょうか?そうじゃないのかな。
井戸:
住民の方がですね、北陸電力の志賀原子力発電所2号機っていう原子炉なんですが、
「それの運転をしないでくれ」という差し止めを求める民事裁判を起こされたんです。
それをたまたま私は金沢地裁にいまして、その事件を担当した。
それで判決で、住民の方々の請求を認めて、
「北陸電力に対して志賀原子力発電所2号機を運転してはならない」という、そういう判決をしたんです。
で、今までたくさんのそうした原発訴訟がありましたけど、
住民が勝ったのは、私の例とも1例あるんですけど、
ま、2例のうちの1例だという事で、みなさんから注目していただくようになったと、最近。
そういうことですね。
菅原:
あの、原発のその、東電であれ、北陸であれ、どこであれ、
電力会社の敗訴っていうのは、時々はあるのかな?なんて思ってはいたのだけど、
ないんですね、滅多に。
井戸:
そうですね、2例だけですし、その2例も上級審でひっくり返りましたから、
最終的には住民側全て敗訴。
電力会社が全て勝訴ですね。
菅原:
上級審と言うと、高裁ですか?それとも最高裁までは行かなかった?
井戸:
私がした判決は高裁。
名古屋高裁金沢支部で住民側が逆転敗訴しまして、住民が最高裁に上告したんですけど、
最高裁も高裁の判断を維持したので、それで最終的に住民敗訴で確定したと、
そういう事になりました。
菅原:もうひとつの、井戸さんと同じように電力側の敗訴を言った裁判官はどういう方ですか?
井戸:
川崎裁判長(川崎和夫裁判長)と言いまして、その判決も同じ金沢なんですが、
それは名古屋高裁金沢支部で1審は住民は敗訴だったんですが、
それを逆転して住民を勝訴させたんですが、
それは最高裁にいって逆転、もう一度逆転で住民側の敗訴ですね。
菅原:
どうしてそういう、電力会社、
ま、ほとんど電力会社だけなのかもしれないし、この行政サイドといってもひろく、
そういう裁判になると、国民の側というか住民の側が負けるケースが多いですね。
井戸:多いです。
菅原:
多いですね。
だから、なぜその…、しかしあれでしょ、憲法なり法律上は「平等であるべき」とは書かれていますよね。
井戸:当然ですね、はい。
菅原:
そして裁判官も、それ以外の感情というか、そういうものを持ってはいけないと。
本当によく良く平等に判定をしなさいという、ま、綺麗事にはなっているけど、
井戸:法律と良心に従って判断すると、そういう事になっております。
菅原:
それがなかなか通らないという事は、
日本の裁判"制度"というか、裁判"官"のあり方というか、
もうひとつ言えば"裁判"のあり方。
高裁であれ、最高裁であれ、住民側の敗訴に終わってしまう。
というような、我々から見るとどうもそれが釈然としないというか。
そこに、井戸さんはもう、今裁判官を辞められて今は弁護士ですね。
井戸:弁護士2年目、3年目に入りましたね。
菅原:だとすると、ま、遠慮なしに忌憚(きたん)のないご意見をお聞きしたいなと思うんですが、
井戸:
一般的に、国、行政が勝つケースが多い、
それから大きな企業が勝つケースが多いという事で、菅原さんが言う通りだと思うんですが、
原発訴訟はさらにプラスしてですね、内容が非常に専門的だという問題があるんです。
裁判官も文系の人間ですから、ほとんど。
まず原子力発電の仕組みから知らない、そういう目で素人の立場で事件に関与して行くんですけれど、
やっぱり非常にその中身は専門的な内容になりますのでね、
それを理解するのがなかなか大変なんですね。
で、電力会社や国側にはその一流の、
肩書は一流の学者たちが付いている訳じゃないですか、東大教授ですとかね。
原告側にも専門家の方はついているんですけれども、
肩書としては、どこそこ大学の助手とかですね、そういう事になりますでしょ。
で、そういう専門的な内容を裁判官が判断する時に、
立派な肩書の方々の意見が「間違いだ」というのは、なかなか素人の立場としては言いにくいという、
そういう問題が原発訴訟の場合にはさらにプラスされますね。
一般的に言えば、国とか行政とかをなかなか勝たせないというのは、やっぱり
裁判官の世界というのは非常に小さな世界なんですね、実は。
全国で今2千数百名です。
菅原:随分少ないですね。
井戸:
で、実はですね、その裁判官の人事権、給与だとか、任地だとか、
そういうものは全て最高裁判所が握っているんですね。
だから、最高裁でそういう司法行政をしているのも裁判官なんですけど、
すると裁判官の中に、そういう出世をして、司法行政を担当する裁判官と、
現場で裁判をしてですね、する裁判官とで、ある意味階層ができるんですね。
評価する立場の裁判官とされる立場の裁判官ができる。
二千数百人ぐらいの小さな世界ですから、
裁判官になった以上はやはりその世界の中で、その社会の中で承認されて評価されて、
それなりのポストといいますかね、
それなるの評価をされてそれなりの大きな仕事ができるポストに付きたいと、
これは人間ですから、誰でもがそう思いますよね。
そうなると、
やはり最高裁判所が考えているような枠内で仕事をしてしまおうという発想に囚われがちなんですよ。
それではいけないんです。
いわれる通り憲法と法律と良心に従って仕事をするわけだし、
それで国が間違えていれば国を負かさなければいけない。
大企業が間違えていたら、大企業を負かさせなきゃいけないんですけれども、
現実にそうやって国を負かしているケースもあるんですけど、
ただ、全体的に言えば、最高裁がどちらかというとそういう事に消極的なものですから、
現場の裁判官もついつい消極的になりがちだという、そういう傾向があるのではないかなと思いますね。
菅原:
という事は、最高裁判所というのは必ずしも国民が認識している最高裁判所、
わたしどもも、「間違う事はない」というようななんか前提がね。
それも一人ではない訳だから、
何人かの最高の人達が、いろんな事を考え勉強してるんだろうと実は思って、
私のみならず国民はほとんどそう思っているんじゃないかなと。
でもそれがどうもね、どうもそうではないという事は最近ね、
私なんかも「あれ?」という。
という事はね、最高裁の裁判官に任命される人に、疑問を感じ始めたんですよ。
そうすると日本の裁判制度というのは一体どうなんだろう?
たとえば、三権分立と言いますね。
一つは政治ですか。あと行政と、それと法律。
井戸:立法行政司法ですね。
菅原:
立法行政司法という、
それがどうも、三権分立じゃないのかな?という。
いまの仕組みをね、素人が見ても、
だってあの最高裁判所長官っていうのは総理大臣が最終的には任命する、ね。
検察庁長官も総理大臣が任命する。
そして三権分立はないだろうと。
なんか、改めて、この中に井戸さんの事が書いてあった。
それでこの本をね、読んでいたんだけど、
ドイツやイギリスやアメリカすらも、
裁判官の身分というのは、他の国では終生の職業として
簡単にやめさせたり出来ないというふうになっていたり、
それと、思想、所属する団体等も含めて自由に選べると、それが。
裁判所という身分と別途に考え方も思想もその人の自由に選択できるって書いてある。
井戸:市民生活は自由にしているみたいですね、ドイツの裁判官なんかも。
菅原:
それなのに日本だけは、
最高裁判所の判断で、裁判官は偏った思想を持ってはいけない。
そういう意味で普通の人のような自由は与えられない。
ましてね、最高裁の長官が言っている
「共産主義者は裁判官としてはふさわしくない」ということを明言している。
我々ですら、共産主義であろうと、社会主義者であろうと、
そういう自分の中に責任と公平な心さえ持っておれば、それはなんだろうと自由になれる筈だというのが、
全く日本でな成されてないですね。
井戸:
その「共産主義者はふさわしくない」という発言があったのは、
司法ハンドと言われた時代の事なんですけど、
実は戦後日本の裁判所とドイツの裁判所というのはわりと同じような歩みをたどっていましてね、
1970年位までは、新しい新憲法を学んだ若い裁判官がどんどん増えてですね。
それで裁判所の中は非常に自由闊達で、非常にリベラルな判決もどんどん出たんですよ。
それに対して当時の政府、自民党がですね、
「このまんま裁判所に自由にやらせてたら、どんどんまずい判決が出る」という事で、
裁判所に圧力をかけ出したんですね。
菅原:あぁ・・・、
井戸:
その時に当時の最高裁の首脳部がどう対応するか?という事で、
それはもう「裁判所に対する干渉であるから」という事で、
裁判所が一丸となって政府自民党の干渉を跳ねつけると。
それに抵抗して闘うという対応をすべきだったと私は思いますけど、
当時最高裁の首脳はどうしたかというと、
政府に干渉させないために、自主的に、言わば跳ねっかえりの裁判官たちを絞め上げた訳ですよ。
当時その青年法律家協会裁判官部会というグループ、
それに参加するグループの裁判官たちが、結構リベラルな判決を出してたんですけど、
その青法協という団体が赤攻撃をされたんですけど、
「裁判官はその青法協から脱退せよ」という圧力を最高裁がかけてですね、
ま、脱退した人もいるし、「そんなのはけしからん」と言って脱退しなかった裁判官も沢山いるんですけど、
その頃から裁判所の雰囲気が非常に悪くなったんですね。
で、結局最終的には青法協の裁判官部会も消滅しましたし、
それから、それに代わる裁判官の実質的な集まりである、全国裁判官懇話会という、
これは活発な時には全国から300人ぐらいの裁判官が集まって集会を持ったりとかしていたんですけど、
それもどんどんどんどん消滅して、今はもう無いんですけどね。
で、裁判官の今は実質的な集まりというのは殆ど無いんですよ。
そういう意味で最高裁のもとに、もう一枚岩のヒエラルキーみたいな形になっているんです。
それに対してドイツではですね、そのままの流れで、
どんどん若い裁判官が積極的に発言をして、組合をつくる。
裁判官の組合をつくって、社会的な活動もする、デモにも行くという、
「それがどうして悪いんだ」という事で、そのままの流れできたんですね。
だから、途中までは一緒だったんですけれど、
1970年前後に、日本は急速に変わって、ドイツはそのまま言ったので、今は大変な落差がある。
菅原:
どうしてなんでしょうね。
アメリカですら、思想的には自由だというふうに書いてあるし、
そして共産主義に入ってもなおかつ自由なのかどうかはわからないけれど、
しかし、一時のマッカーシー旋風なかが吹いた頃よりははるかに今は自由になっているんじゃないかとね、
推測するんですけど。
あの、そうするとあれですか?
井戸さんはあの、どこかで、そういうものが退職へ、
別にその、クビになったりしたわけではないんだろうけれども、
自ら裁判官を辞めるについて、やっぱり
「このままでは裁判官としての自分の信念も通せない」
裁判官をやっている意味が無くなるというふうに判断されたのかどうか、
そうじゃないのかと、
井戸:
決して、辞めた事とは直接は関わりはないんで、
それはその、非常に私的な理由で辞めましたので、
別に、裁判官として冷遇されて大きな仕事ができないからとか、そういう事では全然ないんです。
で、あの、むしろですね、
確かに原発を止める判断をした時は、やはり思い切った判断ですから、
ある意味そんな判断をしたら「こいつはちょっと跳ねっかえりだ」というふうに評価されて、
その後冷遇されるかもしれないと、
しかしそんな事が仮にあったとして、
だからと言って判決の内容を変えるわけにはいきませんから、そのまま言い渡しましたけれども、
ある程度その覚悟がなかったわけではないんですが、
しかしその後最高裁は、私を冷遇するようなことはしませんでした。
それは、分かりません、あくまで憶測ですけど、
一時期先ほど申し上げたような形でかなり、裁判官を締め上げた時期があったんですが、
逆にですね、国や行政、力の強いものを多く勝たせるような判決が続くと国民の信頼を無くする訳ですよ、
そもそも司法というものに対するね。
で、2003年か4年かな、当時の最高裁長官がですね訓示で
「ヒラメ裁判官はいらない」というふうに言われたことがある
菅原:ほぉー。
井戸:
外からは最近の裁判官はヒラメ裁判官ね、上ばかり見ているばっかりだっていうふうに言われてたけど、
最高裁は「そんなことはない」と言っていたはずなんですが、
最高裁長官自身が「ヒラメ裁判官はいらない」と。
「上を見るような裁判官じゃなくて自分で考えてちゃんと仕事をしろ」という事を訓示で言われたんですよ。
で、やはり最高裁もこれはちょっと良くないという認識があって、
だからちょっと目立つような思い切った判断をした裁判官をですね、
その後冷遇してしまうと…、
かえって裁判官全体を委縮させることになるので、最近はそういう人事はしない。のではないかなと。
私もそういう人事は受けなかった。
辞めたのは、決してそういう事が理由ではないです。
菅原:
しかしやはり、決してクビになったわけでもないし、
そういうプレッシャーがあったわけではないとは言っても、
後に高裁に移って高裁のトップになったり、さらに最高裁なんていう望みはどうも・・・。
持ち得なくなると…、ね。
井戸:それは、ま、そうですね。
菅原:だから、その辺がやっぱり「不公平な国」と言うしかないんでね、
井戸:
わたし、最近の裁判官の世界を見てて、ちょっとどうかな?と思うのは、
今申し上げたのは、冷遇とかそういうことは、目立つような人事はないんですけど、
裁判官だって人間の集まりですからね。
人間にいろんな個性の人がいるように、裁判官の世界にもいろんな個性の人がいて当然じゃないですか。
で、考え方もいろんな、右から左までいろんな考え方がある、個人的にはね。
仕事をする時にはもちろんそういう事は抜きに法律に従って判断する訳ですけど、
私的な考え方としてはいろんな考え方があっていい訳です。
ただその、個性の豊かな人というのが、非常に居辛い。
居づらい世界になってきていてですね、私たちキャリア裁判官と言って一応定年は65なんですが、
ほとんどの人間は65まで裁判官を勤め上げるつもりで裁判官になるわけですけど、
やっぱり途中で退官していく人が結構いるわけです。
ま、私も退官しましたけれどもね。
そういう、非常に個性の豊かな人、
そういう人がどうもその、居づらくてですね、途中で抜けていく辞めていく。
で、残っているのが、皆さん真面目で素直で、
あの・・・、ま、一見いいんですけど、
頭も良いし、一見良いんですけど、なんか、良く似た感じの人ばっかりが残っていると、
そういうような世界になりつつあるような、そういう感じがして、
「これは少し不健全なんではないか」という感じがしてますね。
菅原:
いや、それはもう、裁判官だけじゃなくて、あらゆる階層でね、私なんかは感じますね。
本来は、民主主義というのは自由に、個人が一番根っこにあるんですから。
そこからいどんなものが派生して人間というものの仕事なり行き方が決められて自分で決めていくという、
それが今ともかく、なにかある一面的な生き方しか許さないみたいな事が起きてる。
「これは何なんだろうな?」と思っているんですけどね。
井戸さんもいろんな、裁判官になるについて、過去の歴史とか、司法の。
ということも勉強されたと思うんですけれど、
日本の戦前、戦前と言っても、歴史をたどって行って、
いまのような思想のようなものをを持ってはいかんと、裁判官は。
常に、なんていうんでしょうか、透明人間みたいなことだと言っている訳ですから、最高裁の長官あたりが。
だからそういうようなことは、たとえば戦争なんか、
戦前・戦争があったり、その前は戦争がない時代もわずかにあったとしても、
明治にさかのぼって行って、
いまのような時代はやはりあったんでしょうか?
それとも、もっと自由な時代は、短くてもあったんでしょうか?
井戸:
実は、もっと戦前の方が自由だったんじゃないかと思います。
これは非常に歴史の皮肉なんですが、
戦前は司法の独立というのがなかったわけです。
だから裁判官の人事権というのは司法省が握ってたんですね、司法大臣が。
いまの法務大臣ですよ。
菅原:ほぉー。
井戸:
で、その支配下にあったわけです、裁判官は。
だから簡単に言うと裁判官は対司法省との関係ではまとまれる事が出来るわけです。
裁判官の中に評価するもの、評価されるものというのはないわけですよ。
司法省が評価する訳ですから。
だから、案外、それは戦前ですけれども裁判官同士の間柄は自由だったんですよね。
で、戦後司法は独立しなければいけない。
三権分立のために独立しなければいけないというので、
裁判官に対する人事県は全て最高裁が持つことになった。
すると裁判官の世界の中に評価するものとされるものというのが出来るので、
裁判官同士の中で自由闊達にしゃべると
これはやっぱり自分の出世にまずいとかということはしゃべれなくなるわけですよ。
それで自主規制が始まる。
それで裁判官の世界全体が雰囲気が悪くなるということですね。
だから戦後の改革で司法を独立させたっていうのは、それ自体は間違いではないんでしょうけど、
だけどそれが非常に皮肉なことに、
裁判官の自由闊達な裁判官同士の関係というものを奪っていく結果に結び付いていくという。
そういう、なんか歴史の皮肉みたいな事があるんですよね。
菅原:ん・・・、
いや、北陸の原発の問題だけを、今日はお聞きして済まそうかななんて思ってたんだけど、
短い小さな番組なんで、一回では収めきれないので、
2州に分けて放送しようと思います。
井戸:わかりました。
菅原:今日はこの辺で話を止めて、来週またよろしくお願いします。
井戸:よろしくお願いいたします。
2013年6月30日 ニッポン放送
菅原:
菅原文太 日本人の底力。
今日は客人に元裁判官で志賀原発の運転差し止めの判決を出された
弁護士井戸謙一さんに来ていただいて話を伺います。
井戸 謙一さん、
井戸:はい。井戸でございます、よろしくお願いいたします。
菅原:裁判官を辞められましたね。
井戸:2年前ですね、はい、辞めました。
菅原:
原発に関わる裁判で、
ようするに何と言ったらいいのか、有罪と言っていいのでしょうか?そうじゃないのかな。
井戸:
住民の方がですね、北陸電力の志賀原子力発電所2号機っていう原子炉なんですが、
「それの運転をしないでくれ」という差し止めを求める民事裁判を起こされたんです。
それをたまたま私は金沢地裁にいまして、その事件を担当した。
それで判決で、住民の方々の請求を認めて、
「北陸電力に対して志賀原子力発電所2号機を運転してはならない」という、そういう判決をしたんです。
で、今までたくさんのそうした原発訴訟がありましたけど、
住民が勝ったのは、私の例とも1例あるんですけど、
ま、2例のうちの1例だという事で、みなさんから注目していただくようになったと、最近。
そういうことですね。
菅原:
あの、原発のその、東電であれ、北陸であれ、どこであれ、
電力会社の敗訴っていうのは、時々はあるのかな?なんて思ってはいたのだけど、
ないんですね、滅多に。
井戸:
そうですね、2例だけですし、その2例も上級審でひっくり返りましたから、
最終的には住民側全て敗訴。
電力会社が全て勝訴ですね。
菅原:
上級審と言うと、高裁ですか?それとも最高裁までは行かなかった?
井戸:
私がした判決は高裁。
名古屋高裁金沢支部で住民側が逆転敗訴しまして、住民が最高裁に上告したんですけど、
最高裁も高裁の判断を維持したので、それで最終的に住民敗訴で確定したと、
そういう事になりました。
菅原:もうひとつの、井戸さんと同じように電力側の敗訴を言った裁判官はどういう方ですか?
井戸:
川崎裁判長(川崎和夫裁判長)と言いまして、その判決も同じ金沢なんですが、
それは名古屋高裁金沢支部で1審は住民は敗訴だったんですが、
それを逆転して住民を勝訴させたんですが、
それは最高裁にいって逆転、もう一度逆転で住民側の敗訴ですね。
菅原:
どうしてそういう、電力会社、
ま、ほとんど電力会社だけなのかもしれないし、この行政サイドといってもひろく、
そういう裁判になると、国民の側というか住民の側が負けるケースが多いですね。
井戸:多いです。
菅原:
多いですね。
だから、なぜその…、しかしあれでしょ、憲法なり法律上は「平等であるべき」とは書かれていますよね。
井戸:当然ですね、はい。
菅原:
そして裁判官も、それ以外の感情というか、そういうものを持ってはいけないと。
本当によく良く平等に判定をしなさいという、ま、綺麗事にはなっているけど、
井戸:法律と良心に従って判断すると、そういう事になっております。
菅原:
それがなかなか通らないという事は、
日本の裁判"制度"というか、裁判"官"のあり方というか、
もうひとつ言えば"裁判"のあり方。
高裁であれ、最高裁であれ、住民側の敗訴に終わってしまう。
というような、我々から見るとどうもそれが釈然としないというか。
そこに、井戸さんはもう、今裁判官を辞められて今は弁護士ですね。
井戸:弁護士2年目、3年目に入りましたね。
菅原:だとすると、ま、遠慮なしに忌憚(きたん)のないご意見をお聞きしたいなと思うんですが、
井戸:
一般的に、国、行政が勝つケースが多い、
それから大きな企業が勝つケースが多いという事で、菅原さんが言う通りだと思うんですが、
原発訴訟はさらにプラスしてですね、内容が非常に専門的だという問題があるんです。
裁判官も文系の人間ですから、ほとんど。
まず原子力発電の仕組みから知らない、そういう目で素人の立場で事件に関与して行くんですけれど、
やっぱり非常にその中身は専門的な内容になりますのでね、
それを理解するのがなかなか大変なんですね。
で、電力会社や国側にはその一流の、
肩書は一流の学者たちが付いている訳じゃないですか、東大教授ですとかね。
原告側にも専門家の方はついているんですけれども、
肩書としては、どこそこ大学の助手とかですね、そういう事になりますでしょ。
で、そういう専門的な内容を裁判官が判断する時に、
立派な肩書の方々の意見が「間違いだ」というのは、なかなか素人の立場としては言いにくいという、
そういう問題が原発訴訟の場合にはさらにプラスされますね。
一般的に言えば、国とか行政とかをなかなか勝たせないというのは、やっぱり
裁判官の世界というのは非常に小さな世界なんですね、実は。
全国で今2千数百名です。
菅原:随分少ないですね。
井戸:
で、実はですね、その裁判官の人事権、給与だとか、任地だとか、
そういうものは全て最高裁判所が握っているんですね。
だから、最高裁でそういう司法行政をしているのも裁判官なんですけど、
すると裁判官の中に、そういう出世をして、司法行政を担当する裁判官と、
現場で裁判をしてですね、する裁判官とで、ある意味階層ができるんですね。
評価する立場の裁判官とされる立場の裁判官ができる。
二千数百人ぐらいの小さな世界ですから、
裁判官になった以上はやはりその世界の中で、その社会の中で承認されて評価されて、
それなりのポストといいますかね、
それなるの評価をされてそれなりの大きな仕事ができるポストに付きたいと、
これは人間ですから、誰でもがそう思いますよね。
そうなると、
やはり最高裁判所が考えているような枠内で仕事をしてしまおうという発想に囚われがちなんですよ。
それではいけないんです。
いわれる通り憲法と法律と良心に従って仕事をするわけだし、
それで国が間違えていれば国を負かさなければいけない。
大企業が間違えていたら、大企業を負かさせなきゃいけないんですけれども、
現実にそうやって国を負かしているケースもあるんですけど、
ただ、全体的に言えば、最高裁がどちらかというとそういう事に消極的なものですから、
現場の裁判官もついつい消極的になりがちだという、そういう傾向があるのではないかなと思いますね。
菅原:
という事は、最高裁判所というのは必ずしも国民が認識している最高裁判所、
わたしどもも、「間違う事はない」というようななんか前提がね。
それも一人ではない訳だから、
何人かの最高の人達が、いろんな事を考え勉強してるんだろうと実は思って、
私のみならず国民はほとんどそう思っているんじゃないかなと。
でもそれがどうもね、どうもそうではないという事は最近ね、
私なんかも「あれ?」という。
という事はね、最高裁の裁判官に任命される人に、疑問を感じ始めたんですよ。
そうすると日本の裁判制度というのは一体どうなんだろう?
たとえば、三権分立と言いますね。
一つは政治ですか。あと行政と、それと法律。
井戸:立法行政司法ですね。
菅原:
立法行政司法という、
それがどうも、三権分立じゃないのかな?という。
いまの仕組みをね、素人が見ても、
だってあの最高裁判所長官っていうのは総理大臣が最終的には任命する、ね。
検察庁長官も総理大臣が任命する。
そして三権分立はないだろうと。
なんか、改めて、この中に井戸さんの事が書いてあった。
それでこの本をね、読んでいたんだけど、
ドイツやイギリスやアメリカすらも、
裁判官の身分というのは、他の国では終生の職業として
簡単にやめさせたり出来ないというふうになっていたり、
それと、思想、所属する団体等も含めて自由に選べると、それが。
裁判所という身分と別途に考え方も思想もその人の自由に選択できるって書いてある。
井戸:市民生活は自由にしているみたいですね、ドイツの裁判官なんかも。
菅原:
それなのに日本だけは、
最高裁判所の判断で、裁判官は偏った思想を持ってはいけない。
そういう意味で普通の人のような自由は与えられない。
ましてね、最高裁の長官が言っている
「共産主義者は裁判官としてはふさわしくない」ということを明言している。
我々ですら、共産主義であろうと、社会主義者であろうと、
そういう自分の中に責任と公平な心さえ持っておれば、それはなんだろうと自由になれる筈だというのが、
全く日本でな成されてないですね。
井戸:
その「共産主義者はふさわしくない」という発言があったのは、
司法ハンドと言われた時代の事なんですけど、
実は戦後日本の裁判所とドイツの裁判所というのはわりと同じような歩みをたどっていましてね、
1970年位までは、新しい新憲法を学んだ若い裁判官がどんどん増えてですね。
それで裁判所の中は非常に自由闊達で、非常にリベラルな判決もどんどん出たんですよ。
それに対して当時の政府、自民党がですね、
「このまんま裁判所に自由にやらせてたら、どんどんまずい判決が出る」という事で、
裁判所に圧力をかけ出したんですね。
菅原:あぁ・・・、
井戸:
その時に当時の最高裁の首脳部がどう対応するか?という事で、
それはもう「裁判所に対する干渉であるから」という事で、
裁判所が一丸となって政府自民党の干渉を跳ねつけると。
それに抵抗して闘うという対応をすべきだったと私は思いますけど、
当時最高裁の首脳はどうしたかというと、
政府に干渉させないために、自主的に、言わば跳ねっかえりの裁判官たちを絞め上げた訳ですよ。
当時その青年法律家協会裁判官部会というグループ、
それに参加するグループの裁判官たちが、結構リベラルな判決を出してたんですけど、
その青法協という団体が赤攻撃をされたんですけど、
「裁判官はその青法協から脱退せよ」という圧力を最高裁がかけてですね、
ま、脱退した人もいるし、「そんなのはけしからん」と言って脱退しなかった裁判官も沢山いるんですけど、
その頃から裁判所の雰囲気が非常に悪くなったんですね。
で、結局最終的には青法協の裁判官部会も消滅しましたし、
それから、それに代わる裁判官の実質的な集まりである、全国裁判官懇話会という、
これは活発な時には全国から300人ぐらいの裁判官が集まって集会を持ったりとかしていたんですけど、
それもどんどんどんどん消滅して、今はもう無いんですけどね。
で、裁判官の今は実質的な集まりというのは殆ど無いんですよ。
そういう意味で最高裁のもとに、もう一枚岩のヒエラルキーみたいな形になっているんです。
※ヒエラルキー(ドイツ語: Hierarchie、ヒエラルヒー、英語: hierarchy、ハイァラーキ)
階層制や階級制のことであり、主にピラミッド型の段階的組織構造のことを指す。
それに対してドイツではですね、そのままの流れで、
どんどん若い裁判官が積極的に発言をして、組合をつくる。
裁判官の組合をつくって、社会的な活動もする、デモにも行くという、
「それがどうして悪いんだ」という事で、そのままの流れできたんですね。
だから、途中までは一緒だったんですけれど、
1970年前後に、日本は急速に変わって、ドイツはそのまま言ったので、今は大変な落差がある。
菅原:
どうしてなんでしょうね。
アメリカですら、思想的には自由だというふうに書いてあるし、
そして共産主義に入ってもなおかつ自由なのかどうかはわからないけれど、
しかし、一時のマッカーシー旋風なかが吹いた頃よりははるかに今は自由になっているんじゃないかとね、
推測するんですけど。
※マッカーシー旋風 マッカーシズム(英: McCarthyism)
1950年代にアメリカ合衆国で発生した反共産主義に基づく社会、政治的運動。
あの、そうするとあれですか?
井戸さんはあの、どこかで、そういうものが退職へ、
別にその、クビになったりしたわけではないんだろうけれども、
自ら裁判官を辞めるについて、やっぱり
「このままでは裁判官としての自分の信念も通せない」
裁判官をやっている意味が無くなるというふうに判断されたのかどうか、
そうじゃないのかと、
井戸:
決して、辞めた事とは直接は関わりはないんで、
それはその、非常に私的な理由で辞めましたので、
別に、裁判官として冷遇されて大きな仕事ができないからとか、そういう事では全然ないんです。
で、あの、むしろですね、
確かに原発を止める判断をした時は、やはり思い切った判断ですから、
ある意味そんな判断をしたら「こいつはちょっと跳ねっかえりだ」というふうに評価されて、
その後冷遇されるかもしれないと、
しかしそんな事が仮にあったとして、
だからと言って判決の内容を変えるわけにはいきませんから、そのまま言い渡しましたけれども、
ある程度その覚悟がなかったわけではないんですが、
しかしその後最高裁は、私を冷遇するようなことはしませんでした。
それは、分かりません、あくまで憶測ですけど、
一時期先ほど申し上げたような形でかなり、裁判官を締め上げた時期があったんですが、
逆にですね、国や行政、力の強いものを多く勝たせるような判決が続くと国民の信頼を無くする訳ですよ、
そもそも司法というものに対するね。
で、2003年か4年かな、当時の最高裁長官がですね訓示で
「ヒラメ裁判官はいらない」というふうに言われたことがある
菅原:ほぉー。
井戸:
外からは最近の裁判官はヒラメ裁判官ね、上ばかり見ているばっかりだっていうふうに言われてたけど、
最高裁は「そんなことはない」と言っていたはずなんですが、
最高裁長官自身が「ヒラメ裁判官はいらない」と。
「上を見るような裁判官じゃなくて自分で考えてちゃんと仕事をしろ」という事を訓示で言われたんですよ。
で、やはり最高裁もこれはちょっと良くないという認識があって、
だからちょっと目立つような思い切った判断をした裁判官をですね、
その後冷遇してしまうと…、
かえって裁判官全体を委縮させることになるので、最近はそういう人事はしない。のではないかなと。
私もそういう人事は受けなかった。
辞めたのは、決してそういう事が理由ではないです。
菅原:
しかしやはり、決してクビになったわけでもないし、
そういうプレッシャーがあったわけではないとは言っても、
後に高裁に移って高裁のトップになったり、さらに最高裁なんていう望みはどうも・・・。
持ち得なくなると…、ね。
井戸:それは、ま、そうですね。
菅原:だから、その辺がやっぱり「不公平な国」と言うしかないんでね、
井戸:
わたし、最近の裁判官の世界を見てて、ちょっとどうかな?と思うのは、
今申し上げたのは、冷遇とかそういうことは、目立つような人事はないんですけど、
裁判官だって人間の集まりですからね。
人間にいろんな個性の人がいるように、裁判官の世界にもいろんな個性の人がいて当然じゃないですか。
で、考え方もいろんな、右から左までいろんな考え方がある、個人的にはね。
仕事をする時にはもちろんそういう事は抜きに法律に従って判断する訳ですけど、
私的な考え方としてはいろんな考え方があっていい訳です。
ただその、個性の豊かな人というのが、非常に居辛い。
居づらい世界になってきていてですね、私たちキャリア裁判官と言って一応定年は65なんですが、
ほとんどの人間は65まで裁判官を勤め上げるつもりで裁判官になるわけですけど、
やっぱり途中で退官していく人が結構いるわけです。
ま、私も退官しましたけれどもね。
そういう、非常に個性の豊かな人、
そういう人がどうもその、居づらくてですね、途中で抜けていく辞めていく。
で、残っているのが、皆さん真面目で素直で、
あの・・・、ま、一見いいんですけど、
頭も良いし、一見良いんですけど、なんか、良く似た感じの人ばっかりが残っていると、
そういうような世界になりつつあるような、そういう感じがして、
「これは少し不健全なんではないか」という感じがしてますね。
菅原:
いや、それはもう、裁判官だけじゃなくて、あらゆる階層でね、私なんかは感じますね。
本来は、民主主義というのは自由に、個人が一番根っこにあるんですから。
そこからいどんなものが派生して人間というものの仕事なり行き方が決められて自分で決めていくという、
それが今ともかく、なにかある一面的な生き方しか許さないみたいな事が起きてる。
「これは何なんだろうな?」と思っているんですけどね。
井戸さんもいろんな、裁判官になるについて、過去の歴史とか、司法の。
ということも勉強されたと思うんですけれど、
日本の戦前、戦前と言っても、歴史をたどって行って、
いまのような思想のようなものをを持ってはいかんと、裁判官は。
常に、なんていうんでしょうか、透明人間みたいなことだと言っている訳ですから、最高裁の長官あたりが。
だからそういうようなことは、たとえば戦争なんか、
戦前・戦争があったり、その前は戦争がない時代もわずかにあったとしても、
明治にさかのぼって行って、
いまのような時代はやはりあったんでしょうか?
それとも、もっと自由な時代は、短くてもあったんでしょうか?
井戸:
実は、もっと戦前の方が自由だったんじゃないかと思います。
これは非常に歴史の皮肉なんですが、
戦前は司法の独立というのがなかったわけです。
だから裁判官の人事権というのは司法省が握ってたんですね、司法大臣が。
いまの法務大臣ですよ。
菅原:ほぉー。
井戸:
で、その支配下にあったわけです、裁判官は。
だから簡単に言うと裁判官は対司法省との関係ではまとまれる事が出来るわけです。
裁判官の中に評価するもの、評価されるものというのはないわけですよ。
司法省が評価する訳ですから。
だから、案外、それは戦前ですけれども裁判官同士の間柄は自由だったんですよね。
で、戦後司法は独立しなければいけない。
三権分立のために独立しなければいけないというので、
裁判官に対する人事県は全て最高裁が持つことになった。
すると裁判官の世界の中に評価するものとされるものというのが出来るので、
裁判官同士の中で自由闊達にしゃべると
これはやっぱり自分の出世にまずいとかということはしゃべれなくなるわけですよ。
それで自主規制が始まる。
それで裁判官の世界全体が雰囲気が悪くなるということですね。
だから戦後の改革で司法を独立させたっていうのは、それ自体は間違いではないんでしょうけど、
だけどそれが非常に皮肉なことに、
裁判官の自由闊達な裁判官同士の関係というものを奪っていく結果に結び付いていくという。
そういう、なんか歴史の皮肉みたいな事があるんですよね。
菅原:ん・・・、
いや、北陸の原発の問題だけを、今日はお聞きして済まそうかななんて思ってたんだけど、
短い小さな番組なんで、一回では収めきれないので、
2州に分けて放送しようと思います。
井戸:わかりました。
菅原:今日はこの辺で話を止めて、来週またよろしくお願いします。
井戸:よろしくお願いいたします。
菅原文太・日本人の底力 井戸謙一さん出演文字起こし
其の一
「日本の裁判"制度"というか、裁判"官"のあり方というか、 もうひとつ言えば"裁判"のあり方」
6/30"菅原文太 日本人の底力"井戸謙一(文字起こし)
其の二の1
「緩んでしまったニッポン人」7/7"菅原文太 日本人の底力"井戸謙一(文字起こし)
其の二の2
「日本だけ、報道していないんです」7/7"菅原文太 日本人の底力"井戸謙一(文字起こし)
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コメント
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| 2013.07.07 11:05 | 編集
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| 2013.07.07 14:11 | 編集
この番組を初めて知りました。いつも情報ありがとうございます。
このインタビューは1ですね。続きを探して聴きました。
「原発事故2年目にして、福島の甲状腺癌の子が70人に増えている。
しかもまだ半分しか調査していない」と、井戸さんが語っています。
知りませんでした・・・言葉がありません。
近県の子供たちも検査してあげるべきです。
このインタビューは1ですね。続きを探して聴きました。
「原発事故2年目にして、福島の甲状腺癌の子が70人に増えている。
しかもまだ半分しか調査していない」と、井戸さんが語っています。
知りませんでした・・・言葉がありません。
近県の子供たちも検査してあげるべきです。
鎮守の森 | 2013.07.07 16:58 | 編集
いつもいつもありがとうございます
真宗大谷派寺院に住まいするものです
お寺の通信にキーこさんの文字起こし使わせていただいたりしています
9.14日に井戸弁護士の講演会をしました
その内容はトータルでとてもきめ細かく素晴らしい認識を与えてくれるものでした
厚かましいお願いですが、もし可能でしたら
キーコさんに文字起こしお願いできないでしょうか
無理なら捨て置いてください
井 戸謙一弁護士講演会「ふくしま集団疎開裁判から見えてきたふくしまの現状」
2013 年9月14日(土)14時より、兵庫県加古川総合庁舎 主催 脱原発はりまアクション
映像 期間限定視聴可
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/10158
真宗大谷派寺院に住まいするものです
お寺の通信にキーこさんの文字起こし使わせていただいたりしています
9.14日に井戸弁護士の講演会をしました
その内容はトータルでとてもきめ細かく素晴らしい認識を与えてくれるものでした
厚かましいお願いですが、もし可能でしたら
キーコさんに文字起こしお願いできないでしょうか
無理なら捨て置いてください
井 戸謙一弁護士講演会「ふくしま集団疎開裁判から見えてきたふくしまの現状」
2013 年9月14日(土)14時より、兵庫県加古川総合庁舎 主催 脱原発はりまアクション
映像 期間限定視聴可
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/10158
後藤由美子 | 2013.09.16 23:59 | 編集