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<物言えぬ社会>「判断する能力、考える能力、怒り、勇気、熱意、 そういうものを日本の社会と日本人が失ってきた」岡山博先生

「物言えぬ日本社会の中で失ったもの」
岡山博医師(仙台赤十字病院呼吸器科、東北大学臨床教授)

2013年7月29日 衆議院会館
ティモシー・ムソー講演会「福島における動植物の変異とチェルノブイリとの比較」にて




私は福島の事故が起きた時に、ツイッターをやっているんですけれども、
ツイッターの自分の自己紹介のところに、
「福島の事故の本当の一番の原因は、自分の意見を自由に安全に発言する事が出来ない
そういう社会であると。

福島原発の中で「あれ、これはまずい」と考えた人は沢山いたはずです。
しかし、言う事が出来ない。
言うとひどい目に遭う。
だから黙ってしまう。

という事で、自由に安全にものが言えない。
それから真面目な、正当な、変幻な議論が出来ない。
そういう世の中であることが今回の福島原発の一番の大きな原因で、
そしてそれにはもうひとつセットがあって、
そういうもの言うと危ない社会の中で、
物を言う意思とエネルギーと自覚が無くなってしまって、過剰に適応して、
だから物を言わない。
物を言う必要が無いから判断をする必要が無い。


という中で、判断する能力、考える能力、怒り、勇気、熱意
そういうものを等しく日本の社会と日本人が失ってきたんじゃないかという事を私は考えています。

それで今、放射能の問題がとても危ないわけですけれども、
危ないことはもうひとつあって、
それは物を言える社会だと感じます。

私は仙台ですが、
事故のあと、小さい子どもを持つお母さんたちがいろいろ心配しても、
学校から言われることは「安全だ、安全だ」
しかしどうも真面目に考えると安全ではない。
しかしそういうことを話題にあげる人がいない。という事でみんな孤立しちゃうんですね。

それで、そういう人たちがどんどん、どんどん集まってきて、
20位グループが出来て、それでいろんな事を始めたんですが、

「学校の給食も危ないから測って欲しい」今測らないんですね。
じゃあ、「測らないんだったら弁当を持っていきたい」って言うと、
「給食は教育だから、そんな勝手は許さない」
牛乳は止めたいから水筒を持っていくと、アレルギーがあるからと水筒を持っていくと、
「牛乳飲まないのは良い」と。
だけど「水筒を持ってくるのはダメだ。学校の水を飲め」と言って、
水筒の水を捨てさせるんですね。


それで、「じゃあ測って欲しい。測らないんだったら自分たちで測ってもいいか」というと、
持ち出し禁止だ」というんです。

それで、持ちだして測った人に対しては、これは窃盗扱いですよ。

それからそこの担任は、別に担任があおったわけでも何でもないんだけど、
「あなたが不安をあおるような事をなにか言ってませんか」といって、教育委員会から注意です。
この注意というのは法的な中身があってね、3回やると処分なんです。

それで今、学校の先生はどういうふうになっているかというと、
ほとんどの先生は関心ない。
もう、関心がある人はとっても辛いです。
こんな給食を食べさせるという事を強制したくない。
だけど給食教育という事で全部食べる事を点検する。
それから「食べなさい」と言う事を命じられる。

それで「給食も含めて放射能の事を考えます」と言いたいけれども、
放射能のことを話題にすると、生徒も親も不安になるから、教師ごとに違う事を言ってはいけないと。

もう戦前と同じなんです。

学校で教師が「言ってはいけない」という事を言われるとか、
「言いたい事を言ってはいけない」というところで子どもが教育されて、
このようなことも恐ろしいことだ
と、私は考えています。

そして、今度の事故が起きたことの背景には、物言わぬ社会というものがあるんだけれども、
これに懲りて良くなってきているか?というと実は逆で、
ますますもの言えない社会になっていっている。

これ、外からみたら「とても日本って不思議な世界だ」と思うと思います。
こんな事故を起こしたのに、一番それを推進してきた人たちが一番いま威張っている。


これはいろんな考え方があるんじゃなくて、
まともに考える意思と熱意と能力と、どんどん人の社会は失ってきたんじゃないかと。

私はここを何とかしないと、原発の問題だけじゃなくて、
同じような背景の問題がどんどんどんどんこれからも出てくる。
いま、日米の問題なんかもそうだと思うんですね。

という事があって、
学校の先生が、あるいは親が、自分の子どものために給食の話題を家族でする事が出来ない
そういうところまで教育がおこなわれている。

という事を私は一緒に話題にしたいと思います。



岡山博先生のその他の文字起こし
「地元の人々に十分な補償をしたうえで福島第一原発の近所に集めて管理する」
仙台赤十字病院岡山博先生9/9(2012年)「おひさまプロジェクト」発足記者会見 (内容書き出し)


岡山先生のブログ
良い議論をしよう/良い議論のしかた 良い議論がなぜ大切か  




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コメント

非公開コメント

No title

ガッコウに依存することもやめましょう。自分で考えるための一歩です。

No title

きーこさん、岡山先生、事故後、福島医科大のいくつかの研究チームが被曝状況を調査研究を希望したが、学長が「それは国がやること」。どうりで、福島の汚染状況の調査研究を関西などの遠いところの大学研究者がやらなあかんはずです。さらに、岡山先生は、「これは憲法の学問の自由をおかす重大事件」と。「〜の研究をしてはならぬ!というのは、個々の独立した研究者である大学の研究者ではありえない。ここんとこ文字おこししてもらえればありがたいっす。こんな先生も東北大にいたのがせめてもの慰めか。

どうでしょう

放射能、原発…いまだに実社会においてなかなか話題にしづらい。
心の中はそれで一杯なのに。みんなと問題を分かち合いたいのに。
「こんにちは、いいお天気ですね。」「毎日暑いですね。」なんとなく無難な話で終わってしまう。
普段、選挙や政治の話とかも日本人ってなかなかしませんよね。
するとしても、よほど気心のしれた人位かな?
(外国では選挙前に家族会議が開かれたり、学生が政治について居酒屋みたいなところで熱く語りあってたりすると何処かで聞きましたが…)
無難な話でみんなと仲良く、ソツ無く。浮かないように…みんなと一緒。
いい意味でも悪い意味でも非常に協調的で、従順。あんまり意見を言わない国民性なんですかねぇ。
以前からチラッと思っているのです、同じような考えを持っている(けど表明できない)人を繋ぐユルイ方法がないものかと。
たとえば、何かステッカーやピンバッジみたいなものでもいい。
脱原発を支持する人々の、気軽に身につけられるマークはないものかしら…
中々あえて話題には出しにくいけど、そういうのを身につける事によって
意思表示ができて、そこに新しい人との繋がりや話題が生まれるんじゃないかな??
私だったら同じマークつけてる人に話しかけちゃう!そうでなくても、まわりにこんなに気にしてる人がいるんだって自信になるし、無関心な人に対してはアピールになるよね。
こんな感じで、無関心な人たちや、関心はあるけどあまり知らない…っていう人たちを巻き込んでいけるんじゃなかろうか。
なんか、バカみたいな話ですがちょっと真剣に考えてます。
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