スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

<1.長崎原爆>大変有名な被ばくした少年の写真・谷口稜曄さん8/9 岩上安身氏インタビュー(文字起こし)

8月9日は長崎に原爆を撃ち込まれた日。
広島の原爆については、はだしのゲンはじめ、いろいろなところから、良く話を聞きますし、
このブログでも、肥田舜太郎先生や、橋爪文さん
8月6日の原爆の日の事については文字起こしをしました。

けれど、私は、長崎については、あまり知らない・・・、と思っていました。


この「有名な」と、岩上さんがおっしゃられた背中が真っ赤に焼けただれている少年の写真。
私も何度も見た事がありますが、これが長崎原爆で被爆した少年だったということは、初めて知りました。
そして、その少年が長崎原爆被災者協議会会長になっていらっしゃるという事も、初めて知りました。

岩上さんのインタビューはとても貴重で大事なものだと思います。
ちゃんとお話を聞いて心に刻みつけるため、文字起こしをしました。





2013/08/09 岩上安身による谷口稜曄(すみてる)
長崎原爆被災者協議会会長インタビュー



Video streaming by Ustream




岩上:
みなさんこんにちは。
ジャーナリストの岩上安身です。
大変暑い夏の昼下がり。本日は私、長崎の方に伺っております。

2013081012.jpg

この、大変有名な被ばくした少年の写真があります。
背中が一面焼けただれてしまった。
長崎の原爆によって被爆したわけですけれども、
この方が谷口稜曄さん。
そして、本日お伺いするのはその谷口さんです。
谷口さん、よろしくお願いします。

谷口さんは日本原水爆被害者団体協議会、約して被団協という、
その代表委員という事なんでしょうか?


谷口:はい、そうですね。
2013081013.jpg

岩上:
長崎原爆被災者協議会、こちらの会長もお努めになっている。
今ちょっと、お名刺の裏側の写真をみなさんにお見せしたんですけれども、
この背中の具合はどうなんですか?
大変やっぱり後遺症がきつい状態にある?

2013081011.jpg

谷口:
完全に焼けてしまっている関係でですね、
結局皮膚呼吸ができない関係で、非常に夏というのは苦しいんですね。
特に今年は暑くてね、もう背中が沸騰するみたいで苦しいですね。

岩上:
申し訳ありません、そのコンディションの良くない時にですね、
お時間を少し割いていただきました。
今年は長崎に原爆が投下されて68回目。
本日はその68回目の当日に当たります。
そして午前中から式典も行われました。
ご出席もなされたと思いますけれども、我々も中継を行っていたんですが、
改めてですね、一般的な事でもあるんですけれども、
68回を迎えての思いというものを一言いただけないでしょうか。


谷口:
それはやはり、犠牲になってはそういう事が出来ないですけど、
あらためて68年目の8月9日というものを思い、否が応でも生まれたのが大事という日なんですね。
その当時私は16歳で、爆心地から約1.8kmのところを自転車で郵便配達を配っていました。

岩上:
郵便配達の仕事をしていた。
あの、思いだすという事は大変お辛い事と思いますが、当時の忘れられない事ですけれども、
その郵便配達の仕事をしている時に、どのように爆発に出会い、大けがを負われたのか。
ちょっとひとこと。

谷口:
結局爆心地から約1.8kmのところを走っていて、後ろから焼かれました。
それで、空襲警報が解除になってね、配達を開始したんですが、
その時にかすかに飛行機の爆音がして「おかしいな」と思って をした途端にあっという間の出来事ですよね。

岩上:あー、なにか飛行機の爆音が聞こえておかしいなと思った瞬間に閃光が走ったと。

谷口:そうです。

岩上:え…、あっという間の出来事だったと。

谷口:
結局よく言われる3000度、4000度と言われるね、石や鉄を溶かす熱線と、
目には見えない放射線とで後ろから焼かれて、
次に秒速で200億300億と言われる爆風で自転車もろとも飛ばされて、道路に叩きつけられました。
道路に伏せていた時にね、「これじゃ死んでしまう」という死の恐怖を味わいましたけど、
「ここで死ぬもんか」「死んじゃならんぞ」と自分を励まして生きてきたんです。
そして途中で へ入って見てみると、ずーっとあった家はほとんど焼けてしまって、
溶けてしまって、焼けてしまって、
近くで遊んでいた子どもがこっちへ飛ばされてしまっていた。
それでまた大きな石がね、直径31ぐらいある石でしょうかね、
私の方ををめがけて飛んでくるというのも見えました。

そこでね、「ここで死んじゃう」と死の恐怖に襲われましたが、
「ここで死ぬもんか」「死んじゃならん」と自分を励ましてきた。

しばらくして、がおさまって起き上ってみると、
左の手は腕から手の先までおもりを下げたように皮膚が垂れ下がり、
背中に手を当ててみると左側はなんにもなく、焼けただれたように黒く が手に付きました
それで乗ってた自転車を見てみると、車体も車輪も使い物にならない位に曲がってしまってた。
あの時 でやったのが だと思います。
一滴の血も無い、痛みも全く感じない それも皮の状態
そのなかで放心の状態でとぼとぼ歩いて、あれからは何処にいけば  火事で焼けたりしていました。


岩上:あの、痛みが全くない状態というのはどういう事ですか?

谷口:
結局、なんていうんでしょうかね、
よく鞭などでピシャッ!と叩かれる時にね、アイタッ!って言うだけでね痛みをしばらく感じない、
そんなものだよね。
しばらくしてから痛みが出てくる。
 ってしまえば 殆ど痛みってなかった。

岩上:いつ頃感じるようになったんですか?

谷口:
だから、結局なんていうのか、血は出ないし、痛みは感じないし、
だから夢遊病者みたいにね、 の行き先は で焼いていったんだ

岩上:え、どこへ向かったんですか?

谷口:
その時、250ちかく離れた所にね、トンネル工場に避難しました。
途中で、先ほど言ったここに飛ばされた子どもがね、一人の子どもは黒焦げになって死んでいて、
ひとりの子どもは何の傷もうけないで死んでしまった。
そういうのを見ながら、またまわりには、女性の人達は男か女か分からない状態で それを見ながら
様子を見ながら「どうしよう」という気も起らなかった。
で、トンネルまで行って、
そこでその中にいた女の人に頼んでね、
腕に下がった皮膚が邪魔だからそれを取ってもらいました。


岩上:手に下がって皮膚が邪魔だからと、どんな状態で

谷口:
結局、ここからダラーッと下がっている訳ね。
ここから剥げていて、ここに溜まってダラーッと下がっている。

岩上:それは背中の方からの皮膚?

谷口:いや左の手、

岩上:左の手

谷口:
左手。
背中はもう焼けてしまっていますから、何もなかった。
これが約1カ月後の写真です。

2013081014.jpg

これが頭ですね、こっちがお尻の方です。
これが左手ですね。
 ですから、これ下は焼けていませんから皮膚がありますけど、
こう焼けたところは骨。
皮膚も何もなくて骨ばかり。ここに骨が見えてる。

2013081015.jpg

下の方は腐って溜まっていますけどね。

岩上:なにが溜まっているんですか?


谷口:
腐って流れて溜まっている。

2013081016.jpg

これ真ん中に黒いところがありますけど、
ここは15年経ってもこの傷はふさがらなかった。

2013081017.jpg

これは結局芯の底まで焼けてしまって、石みたいのが出てくるんです。


岩上:白くなっているのはどういうことなんですか?

谷口:これは薬なんです。

岩上:あ、薬なんですか。

谷口:ええ。

岩上:これは、痩せてて本当にご飯ものどを通らなかったんじゃないですか?

谷口:
そうですね、食べ物だって今みたいにそんなに無いですからね。
こうやってうつぶせに寝たっきりですから。
で、こいつは、これは半年位。

岩上:あーこれは半年経って・・・。

2013081018.jpg

谷口:
こっちはアメリカのカメラマンのジョー・ダンナルという人が写した
こっちは約半年後で、アメリカの原爆、新爆弾調査のハーバード・スミスさんという人が写したもの。
これは なんかに記録されていますけれどもね、21年の1月31日に撮影。

2013081019.jpg

こんな状態でですね、1年9ヶ月寝たきりですから、
だから骨が腐ってしまいました。

岩上:骨が?

谷口:骨が腐ってしまった。

岩上:腐ってしまった。

谷口:だから今でも骨と骨の間からね、心臓が動いているのが目で見る事が出来る。

岩上:・・・

谷口:ピクピクッてね、動いている。

岩上:心臓が見える。

谷口:ええ。ピクピクッと動いているのが見えます。

岩上:・・・・いや・・・・奇跡的ですね

谷口:
誰一人としてね、「生きる」っていう人はいなかったんです。
毎朝看護婦さんが病室に出てきて、「今日も生きてる」「今日も生きてる」と廊下でささやいてた。

このように被爆した関係でトンネルへ入って、左手の皮膚を切り取ってもらって、
しばらくすると、そこへね、まだ攻撃されるかもわからないから避難所へと言われましたけど、
10分も過ぎてなかったかな、とにかく自分の力で立ち上がる事が出来なかった。
で 元気な人に背負われて、山の上の木の陰の草の上に寝かされた。
そこで二晩過ごして、3日目の朝にやっと救出されて、
なんか2km離れている医者のところにおくられました。

ま、そこでもしばらく治療は受けられなくてね、
で、送られていって、それから3日ぐらい経ってから、
やっと傷から血が少しずつじわじわと出てきました。


岩上:それまで血が出なくて、火ぶくれのようになってたんですか?

谷口:
結局全然血が出なかったね。
もうあの時に完全に、血管からなにまで全部侵されてしまったんでしょう。
だから、6日ぐらいしてからやっと血が出始めて、
それでたまに痛みがじわじわと襲ってくるけどね、
それは私にとって、まだ痛いというほどじゃなかったね。

それで、1ヶ月ぐらい全く血が ができなくて、
9月になってから、やっと が出来るように多少はこう、
そこで 大丈夫だろうという事で に送られてきました。

そこで一番初めにやったのが輸血ですが、
輸血だって、血管に注射針をさせますが、入っていかない。

岩上:注射が打てない。

谷口:はい。

岩上:輸血が出来ない。

谷口:
輸血でもね、入っていかない。
なんかそれで結局、内臓も全部侵されてしまっていたんでしょうね。

岩上:内臓が全部・・・

谷口:はい、心臓からなにから侵されてしまって、

岩上:侵されてしまっていた。

谷口:
だからそんな中で、あの時は牛を殺して肝を持ってきてね、
目の前に小さく切って、それを「生で食べなさい」と言われて、
「焼いたり炊いたりしたんじゃだめだ」っていうのね。

岩上:焼いたり炊いたりしちゃダメだと、生じゃないと…

谷口:はい。

岩上:どうしてですか?

谷口:それは結局血液がね、出来ないからでしょうね。

岩上:たとえば生のレバーみたいなものを食べると。そうすると血を取りこめるという事ですか?

谷口:
そうでしょうね。
だけどその頃は、原爆症のことは誰も知らないですからね。
なんか、そんな事をしてもよくならないし、
ずっと日にちが経つにつれて、焼けたところが腐って、流れていくわけね。


岩上:ああ・・・火ぶくれが大きくなって破れて、血が出て、・・腐っていくんですか?

谷口:
腐っていく。
そのやけどの写真のようにね、ただ横に溜まって、1日何回もぼろ切れでつまんで背中を洗ったんです。

岩上:痛かったですか?

谷口:
もう、痛いというんじゃなくて、苦しくて苦しくてね、
もう痛みというのはそんなに感じないわけですね。
もう背部を鞭でピシャーっ!と叩かれてね、対外的に「痛い」っていうだけでね、しばらくは痛みを感じない。
またそういうもんなんですね。

11月になって、今の の海軍病院ですね、
いまは(高知病院?)になっていますけれどもそこに送られていきました。
それもうつぶせのままでね、担架に乗せられて送られていって、
それからそうやってうつぶせになってて、さっきも言いましたようにね、とこも全部腐っていきますね。
  ってね、  になってしまいます。

まあ、そうしていきますけど、背中がだんだん腐って流れていくばかりでね、
結局そこでアメリカが持っていたペニシリンを使いましたけど、
これだってほとんど効果が無い。


岩上:アメリカが

谷口:ペニシリンでね。

岩上:ペニシリン。ああ、効果が無かったですか。

谷口:
ペニシリンっていうのはね、化膿止めですからね。
全然良くならないし、
結局、やっぱりそこら辺で原爆症だって分かったわけですよね。

岩上:原爆症。

谷口:
これはある特殊な薬を使いましたけど、
その薬というのは戦時中に軍の命令でプロジェクトチームが作って、軍の海上点検されてと言われています。
ナサは研究投与で をいかなくして、全部  してしまったわけね。


岩上:え?な、なにが?

谷口:終戦になってプロジェクトチーム全部が解散してしまった。

岩上:あ、プロジェクトチームが解散しちゃった。

谷口:それを したものを の にもってした

岩上:なんていう薬なんですか?

谷口:それは、

岩上:日本軍が作った薬なんですね?

谷口:
いやいや、熊本医大でね、研究されてと言われています。
それを使ってから、血液が非常によく立ち上がって、そして傷が徐々に良くなっていった。

岩上:そうなんですか。それは塗り薬なんですか、飲み薬なんですか?

谷口:飲み薬。

岩上:飲み薬なんですか。

谷口:
それから結局4カ月してですね、
4カ月経ってやっと、傷が良くなっていくと。
その時は主治医が看護婦さんにいってね、控室の壁に掛けられている大きな鏡を持ってこられて、
こうやって、よくなっている傷を見せてくれました。
たいがい傷の端の方から薄いシワがあってよくなっていました。

岩上:あー、そうですか。

谷口:
そうやって、21年の10月頃にね、 行ってて、
1年9カ月経って、22年の5月にね、やっと自分の力でベットから できました

岩上:寝たきりだったんですね。

谷口:
それまで全く動けなくてね、寝たきりで。
ある日突然「起きれるんじゃないかな」と思って、
自分でベットで自分の身体をずっと動かして、それで立ちあがって  して
その立ち上がった時の痛みっていうのはね、
これは誰もそんなこと言っても信じないし、体験したことないんじゃないかと
何故かというと、1年9カ月寝たきりですから、
起き上がる時にね、頭から足に向かってね、血管の中を血液が流れていくのが分かる。

岩上:頭から足へ流れていくのが、

谷口:
血液がずーっと下へ流れていくのがわかる。
それがものすごく痛くてですね、ちょうど針を刺すような痛みでね。

岩上:これ、背中を通る時が痛いという事ですか?

谷口:
血液が。
普通はこう寝たきりですから、普通は寝たきりで、 ないわけでしょ、
それが起き上がった時に結局、血管の中を血液がずっと流れていくからね。
もうすごい、足だってどこにあるのか分からない状態にね、なりました。

岩上:全身が痛いっていう事ですか?

谷口:
そうですね。
しばらくもう目を閉じてね「エエイッ!」って我慢しなきゃいけなかった。
そうこうして を行っていって、
3年7カ月経ったときにやっと、「退院しても良い」という許可が出ました。
普通だったら「退院していい」と言われたら喜ぶんですが、私には喜ぶことができなかったね。


岩上:喜べなかった、

谷口:
こんな体でね、社会に出て してみんなと一緒に仕事ができるだろうか、自分に出来るだろうかと、
みんなはダメだと言わなかったけれども、情けなくて歯がゆくてね、
なんたって戦争が憎い、原爆が憎い。
世の中は私にウソ言ってたと。
日本は絶対に負けないんだと。
お国のために、天皇陛下のために死ぬことは名誉誉れと美化していってて、いわないでいて、
なぜ戦争に反対しないで  でいって、  なんで  たのかと、出てないと思った。

岩上:
天皇陛下のために死ぬのが日本人の誉れだというふうに言われてきたけれども、
ごめんなさい、ちょっと聞こえなかったんですけれども、
日本人がそのように生きてね、天皇陛下のために死ぬのが誉れだと言われてきたけれども、

谷口:
だからそのね  がねウソだったんだと。
まずはそんなことはないというね、
だから世の中の親たちはね、  だったんだと。
まだ16歳ですからね、子どもの時に被爆しているわけですから。
もうその頃というのは本当に軍国主義をね、叩きこまれることばかりですよ。
だから、それが正しいとみんなが思っている訳ですよ、ね。


岩上:正しいと思って。

谷口:
今でも小さい子どもたちにいろいろと親が言うとね、それは正しいと思う訳ですね。
それと同じですね、子どもの頃はそう思ってました。
いざ退院してみた時に、 そんなね、思いましたね。
20年の3月20日に  が入ってきて、

岩上:20年の3月20日

谷口:3月20日ね、24年ですね、24年の3月20日に が入ってきて、

岩上:なにが入ってきたんですか?

谷口:病院を退院して、長崎に帰って来た。

岩上:ちょっと長崎から離れた病院だったんですね?

谷口:大村ですから

岩上:大村ですね。

谷口:
ま、その後ずっとですね、治療を続けていますけれど、
退院して12日目に元の職場にやっと復帰して、

岩上:12日後には働きだしたんですか?

谷口:はい。

岩上:そうすると、もともと郵便配達の仕事。それに戻れた。

谷口:
その頃は結局、逓信省でね、郵便配達や電報やらが一緒だったけど、
23年に省が分割になってね、私は電通省に配属されて、
そして今度は郵便配達じゃなくて電報配達のね、

岩上:電報配達…動けたんですか?

谷口:
結局それも動かなきゃいけないと思ってね。
自転車に乗って走りまわっていました。

岩上:
背中から血が出るとか、その、火ぶくれのようになっていてね、またこすれて、破れてというような、
そんな事はなかったんですか?
もう、大丈夫、ふさがっていたんですか?

谷口:
結局、その後ずっと次から次へね、あの…よくなくて、
これまで14回入院してね、24回手術をしてます。

岩上:24回も手術を

谷口:24箇所

岩上:24箇所。

谷口:
被害で言うと、皮膚を移植しなきゃ。
皮膚を移植しても、移植した皮膚はね、全くやられたところもダメになってしまうと。
これだってそう。

2013081020.jpg

これだって全部ここ、これだけずーっと全部剥ぎ取ってしまってここが伸びない訳ね。
初めは寝たままで、 をしてるから。
だから関節が変形していますよね。
だからここを延ばすために一応手術しましたけど、こっちは剥げてしまって、
初めはこのくらいしか伸びなかった。ずーっと今はこう、110度まで伸びます。
そしてここに皮膚ね、太ももからこんなに大きな皮膚を取ってきて、貼った。
その時は綺麗に、綺麗に貼ったけど、貼ったあとはこないしてね、貼ったけど後でこないになってしまう。

岩上:初めは綺麗だったけど変わっていっちゃうんですか?

谷口:
結局こんなにね、ケロイドになってしまう。
背中だってそうだね。
背中も始め綺麗なのを持ってきて貼ったけど、
全部焼けたところは同じになっちゃうね。

岩上:同じになっちゃう。変化してしまうんですか?

谷口:
そうだね。
だからそんな状態で、また悪いところは悪くなっていくし。

岩上:ご家族は無事だったんですか?

谷口:
家族は、私の家はずっと、爆心地から約2.7km~8kmありましてね、
ある程度家の方は大丈夫でしたね。壊れていはいますけれどね。
 って、家族というのは非常に からね、複雑なところですから、
そこに私とお姉さんとおじいさんとおばあさんとね、
まあそこで、まずお姉さんが子どもをかばってね、いったけど、
その子どもは全然怪我も何にもしていなかったけど
なんか、1ヶ月ぐらいが過ぎてから、甲状腺がいかれてね、2回手術したと聞いていますね。
その頃は2歳ですかね。
2歳ぐらいね、女の子ね。
まあその、早くここ(甲状腺)に出たからいいんだと思いますね。
その後は全くね、今は異常が無い状況でいま生活しています。

岩上:今もお元気で。

谷口:はい

岩上:ああ、よかったです。



つづくーー





<1.長崎原爆>
大変有名な被ばくした少年の写真・谷口稜曄さん8/9 岩上安身氏インタビュー(動画・文字起こし)


<2.長崎>
「核兵器は“核”という事でね、綺麗な核もね、汚い核も無い」
谷口稜曄氏8/9 岩上安身氏インタビュー(文字起こし)


<3.長崎>
「私たちは日本は完全にアメリカの人質のなかにある」
谷口稜曄氏8/9 岩上安身氏インタビュー(文字起こし)






IWJ会員登録はこちら↓
IWJ会員登録





関連記事

コメント

非公開コメント

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。