2013/08/09
岩上安身による谷口稜曄長崎原爆被災者協議会会長インタビュー
動画はこちらにあります↑↓
<1.長崎原爆>
大変有名な被ばくした少年の写真・谷口稜曄さん8/9 岩上安身氏インタビュー(動画・文字起こし)

一部の人の欲のためにね、戦わされてきたんだ
26;05
岩上:
あの、ものすごい御苦労をなさって、
そして戦争、これは正しい戦争をやっているんだ。
そして天皇陛下のために死ぬんだという思いで、そういう教育を受けて、
そして、自分が原爆の直撃を受けてですね、
何年間か寝たきりで、社会に復帰して、そしたら社会ががらっと変わっていて、
受け入れるのも大変だったと思うんですけれども、
世の中の価値観ががらっと変わっている時に、なんとか動いて働きだすのも苦しかったと思いますが、
そういう社会の変わりようと言いますかね、
信じていたものが全然違う事になっていた時の驚きとかはどんなものだったんですか?
谷口:
そうね、
よく、いろんな人たちがね、「日本のために働いてくれた」と、これは今でも言いますけど、
「誰が日本のために働いたのか?」という事ですよね。
本当に日本のために働いていたならね、こんなに国民は苦しまなくていいんじゃないかとね。
まさに戦後直後あたりはね、戦後直後、その頃になると食べ物はないしね。
住むところも無いし。
そのなかでもね、言われますよね、「国のために働いた」って。
誰が「国のために」と言いだしたのか?っていうね。
今でもですね、「国のために亡くなった人たちをね、祭っているんだ」と、こう言っているけど、
岩上:靖国神社ですね。
谷口:
ええ。
それだって本当に国のためであったのならばね、
日本国民がね、苦しまなくていい状態になっているわけですけれども、それが全くなっていないと。
だからそれが「国のため国のため」と言いながらね、
それは確かに戦争に駆り出された人達はね、亡くなっているわけ。
その人達は けど、それ以外のね、
戦争に行かなかった人たちもね、ものすごく沢山の人達が殺されていった。
それは国のためにね、戦争をした、その「国のために」と一緒ですから。
だからその事について全くね、知らないと目をつぶったような状況でね。
岩上:今日でも目をつぶっているとお感じになりますか?
谷口:そうですね。
岩上:
お感じになります。
「国のため」と言っても「国民のためじゃなかった」という事ですか?
谷口:
そうですね。
一部の人のためのね、一部の人の欲のためにね、戦わされてきたんだということでね。
そういうふうにね、考えられていますね。
核と人類は共存できない
岩上:
あの、核廃絶を求める運動をそれからずっとやってこられました。
広島・長崎と原爆投下、この災禍を繰り返すまいと思って運動をされてこられたんだと思うんですけれども、
同時にその「平和利用」という言葉がですね、1960年代から始まって、
それからずっと容認してきた原発がですね、大変大きな事故を起こした。
今ですね、「原発を止めよう」という声が上がっているんですが、
推進派の人は止めるどころかですね、これを輸出して再稼働して、
あろうことに今、猛烈な勢いで軍国化を進めて、
そして「原発を持ち続けるには原爆をつくるためだ」と、
「核保有するために必要なんだ」という事を公言する政治家まで出てきましたよね。
石原さんみたいな、ハッキリとそういう事を言う人が出てきています。
原発の事故、それからこれまでの運動の事、
それから今後急性向かいでですね、日本が軍国化しつつある事。
ちょっと沢山の質問になって申し訳ないんですけれど、
今どのようにご覧になっていますか?
谷口:
結局私たちはね、「核と人類は共存できないんだ」と。
核兵器は“核”という事でね、綺麗な核もね、汚い核も無い。
人類は共存できないんだという事でね、そのことを。
そんな中で原子力発電所の建設についても、
昔はですね、初めごろは原子力発電所はどこにつくっているんだ?と。
海の近くにつくって、海からきれいな水を引いてきて冷やして、そして海へ温かい水を流すんだと。
それがどんどんどんどんその層がね、深くなって広がっていって。
だからそれがね、地球温暖化に繋がっているんだということでね。
しかし今はその事については全く誰も言わなくなったのね。
その中で今回の福島のね事故だって、
ああやって結局 のと、自然のものじゃなくて、
人がつくって人が壊したものであるんじゃないかと。
そんな中でも今でもね、収束していないどころか放射能が漏れて、どんどん進んでいるというね、
これについて結局私はね、広島・長崎の被ばく者、放射能を浴びた被ばく者と、
それから今原発から出ている放射能が全く同じものであるという事でね。
だからこうやって私ら被ばく者は、
原発をなくさなきゃいけないと言うと同時に、核兵器も無くさなければいけないと言ってきたわけです。
岩上:
ずっと、そうしますと、谷口さんとしては、皆さんとしてはですね、
原発はですね、核の平和利用だからいいんだという言い分には与しない(くみしない)と、
あるいは危険だというふうにお考えになってきているんですか?
谷口:そうですね。あれは絶対にね、あってはいけないものでね。
岩上:原爆はもちろん原発も
谷口:ええ。
岩上:あってはならない。
長崎は完全に実験だった
谷口:はい。
何故かというと、今世界にある核兵器というのは全部長崎型の原爆でしょ。
そこを遡ってみますとね、アメリカの人達はみんな言っているんだけど、
「戦争を早く終わらせるために正しかった」
それだったら広島と同じ爆弾だけでよかったじゃないかってね。
それなのに長崎に違う原爆をね、プルトニウム爆弾を使って、
これは、長崎は完全に実験だったんだと。
それが成功した。
そうやって結局、ずっとアメリカ政府はね、被ばく者の実態を調査して、
そしてどんどん核兵器をつくっていった。
長崎の原爆がそういうふうに成功したために、コロンビアのほとりに原子力発電所をずっと増設して、
で、そこでプルトニウムをたいて、そして出てきたウラニウムをね、燃やしてプルトニウムを取り出して、
そして核兵器をどんどん作ってきたわけだ。
だからそないしてやってきてね、それは結局今だったら、5カ国がね、協定を結んでいるけど、
それ以外にそこにかかっていない国がどんどん増えてきて、
そのなかで被ばく国の日本政府だってインドとか、パキスタンとかに原子力発電所を建設をやると。
原子力をやるって、「何を言ってるんだ」っていう事ですよね。
だから今日も安倍総理がいましたけれど、
そのことについて、田上市長も平和宣言の中で言ったように、
結局、原発の「政府がやっていることは絶対に許せない」という事を言ったけどね、
岩上:「政府がやっていることは許せない」と安倍総理に対して長崎の被ばく者の方がおっしゃった。
谷口:結局平和宣言として、田上長崎市長が今日読みあげたけど、
岩上:あ、平和宣言の中でね。
谷口:
その中でね、その事に触れています。
原子力発電の問題に触れています。
岩上:
あ、そうですか。
広島と長崎、よく簡単にね、遠くからみている人にとっては同じように捉えられるんですけど、
やっぱり1発目と2発目では意味が違う。
それと2発目はプルトニウム型だった。
実験だったと。
それから移行の運動が、そういう事によってやっぱり影響を受けているんでしょうか?
広島の市長が出すね、今回実際そうは言いませんでしたが、
知事、「原発と原爆は違うんだ」と。
原爆はひどいんだけど原発に関してはですね、容認するような発言をすると言う話が、
産経新聞とかに書いてありました。
実際そんな言い方ではなかったようですけれど、
広島と長崎とでは、今日も運動している方も一般の市民も行政も政治家も、温度差があるんでしょうか?
谷口:それはやっぱり長く生きているとね、ありますよね。
岩上:ありますか。
谷口:
まぁ、人間的なものもあるかもわかりませんけれど、
がちがうのがあります
だから広島の場合はね、先ほど言った核兵器廃絶という事については真剣に捉えていますけど、
原子力発電所の問題についてはね、まったふれていなかったというかね。
岩上:
これまでもね、うん。
それじゃ、長崎の方がより徹底して原発も原爆もダメだと言うような事を言う方が多かったり、
そういう話し合いをしてもそういう見解がおおいと。
谷口:
そうですね。
だから、市長の宣言も、そういう宣言を作るのも、全部が集まってその中で検討して出来上がっていく訳。
岩上:
あ、そうですね。
これは広島は市長が書くけれども、
長崎では委員会を作って、市民のみんながかかわって話し合って作ると聞きました。
谷口:
そうですね。
そのなかにも時間的なねいろいろと事がありましてね、
長くは出来ない部分もありますけれどね。
岩上:
だからそこで、市民の声が寄せられる過程で、
やっぱり311の福島の原発事故は、
これはやっぱり相当深刻に受け止めて、「原発はダメだ」という事に思いを込めようというのが、
長崎のそういう人たちの総意と言ったら言い過ぎかもしれませんが、
思いは大方の思いになっていますか?
谷口:
そうですね、はい。
そういうことです。
ーーつづく
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田上長崎市長の長崎平和宣言
長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典 長崎市長の長崎平和宣言(2013/8/9)
平成25年長崎平和宣言
68年前の今日、このまちの上空にアメリカの爆撃機が一発の原子爆弾を投下しました。
熱線、爆風、放射線の威力は凄まじく、直後から起こった火災は一昼夜続きました。
人々が暮らしていたまちは一瞬で廃墟となり、24万人の市民のうち15万人が傷つき、
そのうち7万4千人の方々が命を奪われました。
生き残った被爆者は、68年たった今もなお、
放射線による白血病やがん発病への不安、そして深い心の傷を抱え続けています。
このむごい兵器をつくったのは人間です。
広島と長崎で、二度までも使ったのも人間です。
核実験を繰り返し地球を汚染し続けているのも人間です。
人間はこれまで数々の過ちを犯してきました。
だからこそ忘れてはならない過去の誓いを、立ち返るべき原点を、折にふれ確かめなければなりません。
日本政府に、被爆国としての原点に返ることを求めます。
今年4月、ジュネーブで開催された
核不拡散条約(NPT)再検討会議準備委員会で提出された核兵器の非人道性を訴える共同声明に、
80か国が賛同しました。
南アフリカなどの提案国は、わが国にも賛同の署名を求めました。
しかし、日本政府は署名せず、世界の期待を裏切りました。
人類はいかなる状況においても核兵器を使うべきではない、という文言が受け入れられないとすれば、
核兵器の使用を状況によっては認めるという姿勢を日本政府は示したことになります。
これは二度と、世界の誰にも被爆の経験をさせないという、被爆国としての原点に反します。
インドとの原子力協定交渉の再開についても同じです。
NPTに加盟せず核保有したインドへの原子力協力は、
核兵器保有国をこれ以上増やさないためのルールを定めたNPTを形骸化することになります。
NPTを脱退して核保有をめざす北朝鮮などの動きを正当化する口実を与え、
朝鮮半島の非核化の妨げにもなります。
日本政府には、被爆国としての原点に返ることを求めます。
非核三原則の法制化への取り組み、北東アジア非核兵器地帯検討の呼びかけなど、
被爆国としてのリーダーシップを具体的な行動に移すことを求めます。
核兵器保有国には、NPTの中で核軍縮への誠実な努力義務が課されています。
これは世界に対する約束です。
2009年4月、アメリカのオバマ大統領はプラハで「核兵器のない世界」を目指す決意を示しました。
今年6月にはベルリンで、「核兵器が存在する限り、私たちは真に安全ではない」と述べ、
さらなる核軍縮に取り組むことを明らかにしました。
被爆地はオバマ大統領の姿勢を支持します。
しかし、世界には今も1万7千発以上の核弾頭が存在し、その90%以上がアメリカとロシアのものです。
オバマ大統領、プーチン大統領、もっと早く、もっと大胆に核弾頭の削減に取り組んでください。
「核兵器のない世界」を遠い夢とするのではなく、人間が早急に解決すべき課題として、
核兵器の廃絶に取り組み、世界との約束を果たすべきです。
核兵器のない世界の実現を、国のリーダーだけにまかせるのではなく、
市民社会を構成する私たち一人ひとりにもできることがあります。
「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにする」という日本国憲法前文には、
平和を希求するという日本国民の固い決意がこめられています。
かつて戦争が多くの人の命を奪い、心と体を深く傷つけた事実を、
戦争がもたらした数々のむごい光景を、決して忘れない、決して繰り返さない、
という平和希求の原点を忘れないためには、戦争体験、被爆体験を語り継ぐことが不可欠です。
若い世代の皆さん、被爆者の声を聞いたことがありますか。
「ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキ、ノーモア・ウォー、ノーモア・ヒバクシャ」と叫ぶ声を。
あなた方は被爆者の声を直接聞くことができる最後の世代です。
68年前、原子雲の下で何があったのか。
なぜ被爆者は未来のために身を削りながら核兵器廃絶を訴え続けるのか。
被爆者の声に耳を傾けてみてください。
そして、あなたが住む世界、あなたの子どもたちが生きる未来に核兵器が存在していいのか。
考えてみてください。
互いに話し合ってみてください。
あなたたちこそが未来なのです。
地域の市民としてできることもあります。
わが国では自治体の90%近くが非核宣言をしています。
非核宣言は、核兵器の犠牲者になることを拒み、平和を求める市民の決意を示すものです。
宣言をした自治体でつくる日本非核宣言自治体協議会は今月、設立30周年を迎えました。
皆さんが宣言を行動に移そうとするときは、協議会も、被爆地も、仲間として力をお貸しします。
長崎では、今年11月、「第5回核兵器廃絶-地球市民集会ナガサキ」を開催します。
市民の力で、核兵器廃絶を被爆地から世界へ発信します。
東京電力福島第一原子力発電所の事故は、未だ収束せず、放射能の被害は拡大しています。
多くの方々が平穏な日々を突然奪われたうえ、将来の見通しが立たない暮らしを強いられています。
長崎は、福島の一日も早い復興を願い、応援していきます。
先月、核兵器廃絶を訴え、被爆者援護の充実に力を尽くしてきた山口仙二さんが亡くなられました。
被爆者はいよいよ少なくなり、平均年齢は78歳を超えました。
高齢化する被爆者の援護の充実をあらためて求めます。
原子爆弾により亡くなられた方々に心から哀悼の意を捧げ、
広島市と協力して核兵器のない世界の実現に努力し続けることをここに宣言します。
2013年(平成25年)8月9日 長崎市長 田上 富久
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岩上安身による谷口稜曄長崎原爆被災者協議会会長インタビュー
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<1.長崎原爆>
大変有名な被ばくした少年の写真・谷口稜曄さん8/9 岩上安身氏インタビュー(動画・文字起こし)

一部の人の欲のためにね、戦わされてきたんだ
26;05
岩上:
あの、ものすごい御苦労をなさって、
そして戦争、これは正しい戦争をやっているんだ。
そして天皇陛下のために死ぬんだという思いで、そういう教育を受けて、
そして、自分が原爆の直撃を受けてですね、
何年間か寝たきりで、社会に復帰して、そしたら社会ががらっと変わっていて、
受け入れるのも大変だったと思うんですけれども、
世の中の価値観ががらっと変わっている時に、なんとか動いて働きだすのも苦しかったと思いますが、
そういう社会の変わりようと言いますかね、
信じていたものが全然違う事になっていた時の驚きとかはどんなものだったんですか?
谷口:
そうね、
よく、いろんな人たちがね、「日本のために働いてくれた」と、これは今でも言いますけど、
「誰が日本のために働いたのか?」という事ですよね。
本当に日本のために働いていたならね、こんなに国民は苦しまなくていいんじゃないかとね。
まさに戦後直後あたりはね、戦後直後、その頃になると食べ物はないしね。
住むところも無いし。
そのなかでもね、言われますよね、「国のために働いた」って。
誰が「国のために」と言いだしたのか?っていうね。
今でもですね、「国のために亡くなった人たちをね、祭っているんだ」と、こう言っているけど、
岩上:靖国神社ですね。
谷口:
ええ。
それだって本当に国のためであったのならばね、
日本国民がね、苦しまなくていい状態になっているわけですけれども、それが全くなっていないと。
だからそれが「国のため国のため」と言いながらね、
それは確かに戦争に駆り出された人達はね、亡くなっているわけ。
その人達は けど、それ以外のね、
戦争に行かなかった人たちもね、ものすごく沢山の人達が殺されていった。
それは国のためにね、戦争をした、その「国のために」と一緒ですから。
だからその事について全くね、知らないと目をつぶったような状況でね。
岩上:今日でも目をつぶっているとお感じになりますか?
谷口:そうですね。
岩上:
お感じになります。
「国のため」と言っても「国民のためじゃなかった」という事ですか?
谷口:
そうですね。
一部の人のためのね、一部の人の欲のためにね、戦わされてきたんだということでね。
そういうふうにね、考えられていますね。
核と人類は共存できない
岩上:
あの、核廃絶を求める運動をそれからずっとやってこられました。
広島・長崎と原爆投下、この災禍を繰り返すまいと思って運動をされてこられたんだと思うんですけれども、
同時にその「平和利用」という言葉がですね、1960年代から始まって、
それからずっと容認してきた原発がですね、大変大きな事故を起こした。
今ですね、「原発を止めよう」という声が上がっているんですが、
推進派の人は止めるどころかですね、これを輸出して再稼働して、
あろうことに今、猛烈な勢いで軍国化を進めて、
そして「原発を持ち続けるには原爆をつくるためだ」と、
「核保有するために必要なんだ」という事を公言する政治家まで出てきましたよね。
石原さんみたいな、ハッキリとそういう事を言う人が出てきています。
原発の事故、それからこれまでの運動の事、
それから今後急性向かいでですね、日本が軍国化しつつある事。
ちょっと沢山の質問になって申し訳ないんですけれど、
今どのようにご覧になっていますか?
谷口:
結局私たちはね、「核と人類は共存できないんだ」と。
核兵器は“核”という事でね、綺麗な核もね、汚い核も無い。
人類は共存できないんだという事でね、そのことを。
そんな中で原子力発電所の建設についても、
昔はですね、初めごろは原子力発電所はどこにつくっているんだ?と。
海の近くにつくって、海からきれいな水を引いてきて冷やして、そして海へ温かい水を流すんだと。
それがどんどんどんどんその層がね、深くなって広がっていって。
だからそれがね、地球温暖化に繋がっているんだということでね。
しかし今はその事については全く誰も言わなくなったのね。
その中で今回の福島のね事故だって、
ああやって結局 のと、自然のものじゃなくて、
人がつくって人が壊したものであるんじゃないかと。
そんな中でも今でもね、収束していないどころか放射能が漏れて、どんどん進んでいるというね、
これについて結局私はね、広島・長崎の被ばく者、放射能を浴びた被ばく者と、
それから今原発から出ている放射能が全く同じものであるという事でね。
だからこうやって私ら被ばく者は、
原発をなくさなきゃいけないと言うと同時に、核兵器も無くさなければいけないと言ってきたわけです。
岩上:
ずっと、そうしますと、谷口さんとしては、皆さんとしてはですね、
原発はですね、核の平和利用だからいいんだという言い分には与しない(くみしない)と、
あるいは危険だというふうにお考えになってきているんですか?
谷口:そうですね。あれは絶対にね、あってはいけないものでね。
岩上:原爆はもちろん原発も
谷口:ええ。
岩上:あってはならない。
長崎は完全に実験だった
谷口:はい。
何故かというと、今世界にある核兵器というのは全部長崎型の原爆でしょ。
そこを遡ってみますとね、アメリカの人達はみんな言っているんだけど、
「戦争を早く終わらせるために正しかった」
それだったら広島と同じ爆弾だけでよかったじゃないかってね。
それなのに長崎に違う原爆をね、プルトニウム爆弾を使って、
これは、長崎は完全に実験だったんだと。
それが成功した。
そうやって結局、ずっとアメリカ政府はね、被ばく者の実態を調査して、
そしてどんどん核兵器をつくっていった。
長崎の原爆がそういうふうに成功したために、コロンビアのほとりに原子力発電所をずっと増設して、
で、そこでプルトニウムをたいて、そして出てきたウラニウムをね、燃やしてプルトニウムを取り出して、
そして核兵器をどんどん作ってきたわけだ。
だからそないしてやってきてね、それは結局今だったら、5カ国がね、協定を結んでいるけど、
それ以外にそこにかかっていない国がどんどん増えてきて、
そのなかで被ばく国の日本政府だってインドとか、パキスタンとかに原子力発電所を建設をやると。
原子力をやるって、「何を言ってるんだ」っていう事ですよね。
だから今日も安倍総理がいましたけれど、
そのことについて、田上市長も平和宣言の中で言ったように、
結局、原発の「政府がやっていることは絶対に許せない」という事を言ったけどね、
岩上:「政府がやっていることは許せない」と安倍総理に対して長崎の被ばく者の方がおっしゃった。
谷口:結局平和宣言として、田上長崎市長が今日読みあげたけど、
岩上:あ、平和宣言の中でね。
谷口:
その中でね、その事に触れています。
原子力発電の問題に触れています。
岩上:
あ、そうですか。
広島と長崎、よく簡単にね、遠くからみている人にとっては同じように捉えられるんですけど、
やっぱり1発目と2発目では意味が違う。
それと2発目はプルトニウム型だった。
実験だったと。
それから移行の運動が、そういう事によってやっぱり影響を受けているんでしょうか?
広島の市長が出すね、今回実際そうは言いませんでしたが、
知事、「原発と原爆は違うんだ」と。
原爆はひどいんだけど原発に関してはですね、容認するような発言をすると言う話が、
産経新聞とかに書いてありました。
実際そんな言い方ではなかったようですけれど、
広島と長崎とでは、今日も運動している方も一般の市民も行政も政治家も、温度差があるんでしょうか?
谷口:それはやっぱり長く生きているとね、ありますよね。
岩上:ありますか。
谷口:
まぁ、人間的なものもあるかもわかりませんけれど、
がちがうのがあります
だから広島の場合はね、先ほど言った核兵器廃絶という事については真剣に捉えていますけど、
原子力発電所の問題についてはね、まったふれていなかったというかね。
岩上:
これまでもね、うん。
それじゃ、長崎の方がより徹底して原発も原爆もダメだと言うような事を言う方が多かったり、
そういう話し合いをしてもそういう見解がおおいと。
谷口:
そうですね。
だから、市長の宣言も、そういう宣言を作るのも、全部が集まってその中で検討して出来上がっていく訳。
岩上:
あ、そうですね。
これは広島は市長が書くけれども、
長崎では委員会を作って、市民のみんながかかわって話し合って作ると聞きました。
谷口:
そうですね。
そのなかにも時間的なねいろいろと事がありましてね、
長くは出来ない部分もありますけれどね。
岩上:
だからそこで、市民の声が寄せられる過程で、
やっぱり311の福島の原発事故は、
これはやっぱり相当深刻に受け止めて、「原発はダメだ」という事に思いを込めようというのが、
長崎のそういう人たちの総意と言ったら言い過ぎかもしれませんが、
思いは大方の思いになっていますか?
谷口:
そうですね、はい。
そういうことです。
ーーつづく
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長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典 長崎市長の長崎平和宣言(2013/8/9)
平成25年長崎平和宣言
68年前の今日、このまちの上空にアメリカの爆撃機が一発の原子爆弾を投下しました。
熱線、爆風、放射線の威力は凄まじく、直後から起こった火災は一昼夜続きました。
人々が暮らしていたまちは一瞬で廃墟となり、24万人の市民のうち15万人が傷つき、
そのうち7万4千人の方々が命を奪われました。
生き残った被爆者は、68年たった今もなお、
放射線による白血病やがん発病への不安、そして深い心の傷を抱え続けています。
このむごい兵器をつくったのは人間です。
広島と長崎で、二度までも使ったのも人間です。
核実験を繰り返し地球を汚染し続けているのも人間です。
人間はこれまで数々の過ちを犯してきました。
だからこそ忘れてはならない過去の誓いを、立ち返るべき原点を、折にふれ確かめなければなりません。
日本政府に、被爆国としての原点に返ることを求めます。
今年4月、ジュネーブで開催された
核不拡散条約(NPT)再検討会議準備委員会で提出された核兵器の非人道性を訴える共同声明に、
80か国が賛同しました。
南アフリカなどの提案国は、わが国にも賛同の署名を求めました。
しかし、日本政府は署名せず、世界の期待を裏切りました。
人類はいかなる状況においても核兵器を使うべきではない、という文言が受け入れられないとすれば、
核兵器の使用を状況によっては認めるという姿勢を日本政府は示したことになります。
これは二度と、世界の誰にも被爆の経験をさせないという、被爆国としての原点に反します。
インドとの原子力協定交渉の再開についても同じです。
NPTに加盟せず核保有したインドへの原子力協力は、
核兵器保有国をこれ以上増やさないためのルールを定めたNPTを形骸化することになります。
NPTを脱退して核保有をめざす北朝鮮などの動きを正当化する口実を与え、
朝鮮半島の非核化の妨げにもなります。
日本政府には、被爆国としての原点に返ることを求めます。
非核三原則の法制化への取り組み、北東アジア非核兵器地帯検討の呼びかけなど、
被爆国としてのリーダーシップを具体的な行動に移すことを求めます。
核兵器保有国には、NPTの中で核軍縮への誠実な努力義務が課されています。
これは世界に対する約束です。
2009年4月、アメリカのオバマ大統領はプラハで「核兵器のない世界」を目指す決意を示しました。
今年6月にはベルリンで、「核兵器が存在する限り、私たちは真に安全ではない」と述べ、
さらなる核軍縮に取り組むことを明らかにしました。
被爆地はオバマ大統領の姿勢を支持します。
しかし、世界には今も1万7千発以上の核弾頭が存在し、その90%以上がアメリカとロシアのものです。
オバマ大統領、プーチン大統領、もっと早く、もっと大胆に核弾頭の削減に取り組んでください。
「核兵器のない世界」を遠い夢とするのではなく、人間が早急に解決すべき課題として、
核兵器の廃絶に取り組み、世界との約束を果たすべきです。
核兵器のない世界の実現を、国のリーダーだけにまかせるのではなく、
市民社会を構成する私たち一人ひとりにもできることがあります。
「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにする」という日本国憲法前文には、
平和を希求するという日本国民の固い決意がこめられています。
かつて戦争が多くの人の命を奪い、心と体を深く傷つけた事実を、
戦争がもたらした数々のむごい光景を、決して忘れない、決して繰り返さない、
という平和希求の原点を忘れないためには、戦争体験、被爆体験を語り継ぐことが不可欠です。
若い世代の皆さん、被爆者の声を聞いたことがありますか。
「ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキ、ノーモア・ウォー、ノーモア・ヒバクシャ」と叫ぶ声を。
あなた方は被爆者の声を直接聞くことができる最後の世代です。
68年前、原子雲の下で何があったのか。
なぜ被爆者は未来のために身を削りながら核兵器廃絶を訴え続けるのか。
被爆者の声に耳を傾けてみてください。
そして、あなたが住む世界、あなたの子どもたちが生きる未来に核兵器が存在していいのか。
考えてみてください。
互いに話し合ってみてください。
あなたたちこそが未来なのです。
地域の市民としてできることもあります。
わが国では自治体の90%近くが非核宣言をしています。
非核宣言は、核兵器の犠牲者になることを拒み、平和を求める市民の決意を示すものです。
宣言をした自治体でつくる日本非核宣言自治体協議会は今月、設立30周年を迎えました。
皆さんが宣言を行動に移そうとするときは、協議会も、被爆地も、仲間として力をお貸しします。
長崎では、今年11月、「第5回核兵器廃絶-地球市民集会ナガサキ」を開催します。
市民の力で、核兵器廃絶を被爆地から世界へ発信します。
東京電力福島第一原子力発電所の事故は、未だ収束せず、放射能の被害は拡大しています。
多くの方々が平穏な日々を突然奪われたうえ、将来の見通しが立たない暮らしを強いられています。
長崎は、福島の一日も早い復興を願い、応援していきます。
先月、核兵器廃絶を訴え、被爆者援護の充実に力を尽くしてきた山口仙二さんが亡くなられました。
被爆者はいよいよ少なくなり、平均年齢は78歳を超えました。
高齢化する被爆者の援護の充実をあらためて求めます。
原子爆弾により亡くなられた方々に心から哀悼の意を捧げ、
広島市と協力して核兵器のない世界の実現に努力し続けることをここに宣言します。
2013年(平成25年)8月9日 長崎市長 田上 富久
<1.長崎原爆>
大変有名な被ばくした少年の写真・谷口稜曄さん8/9 岩上安身氏インタビュー(動画・文字起こし)
<2.長崎>
「核兵器は“核”という事でね、綺麗な核もね、汚い核も無い」
谷口稜曄氏8/9 岩上安身氏インタビュー(文字起こし)
<3.長崎>
「私たちは日本は完全にアメリカの人質のなかにある」
谷口稜曄氏8/9 岩上安身氏インタビュー(文字起こし)
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コメント
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広島市長 松井一實氏の経歴 (wikipediaより)
1953年 - 広島県広島市東区牛田出身[1]
1976年 - 京都大学法学部卒業、労働省入省[1]
1989年 - 在英国日本大使館一等書記官[1]
1993年 - 労働省婦人局婦人労働課長[1]
1994年 - 労働省職業安定局高齢・障害者対策部高齢者雇用対策課長[1]
2002年 - 厚生労働省大臣官房総務課長[1]
2006年 - 厚生労働省大臣官房総括審議官[1]
2008年 - 中央労働委員会事務局長[1]
2011年 - 広島市長に就任[1]
これを見たら一目瞭然。
松井氏が「原子力発電反対」なんていえるわけがないんです。
彼の心の中はわかりませんが・・・
広島市長 松井一實氏の経歴 (wikipediaより)
1953年 - 広島県広島市東区牛田出身[1]
1976年 - 京都大学法学部卒業、労働省入省[1]
1989年 - 在英国日本大使館一等書記官[1]
1993年 - 労働省婦人局婦人労働課長[1]
1994年 - 労働省職業安定局高齢・障害者対策部高齢者雇用対策課長[1]
2002年 - 厚生労働省大臣官房総務課長[1]
2006年 - 厚生労働省大臣官房総括審議官[1]
2008年 - 中央労働委員会事務局長[1]
2011年 - 広島市長に就任[1]
これを見たら一目瞭然。
松井氏が「原子力発電反対」なんていえるわけがないんです。
彼の心の中はわかりませんが・・・
ドイツ在住 | 2013.08.15 16:38 | 編集
>核と人類は共存できない
だったらどうして新規の原発の建設が産油国においても行われてるんでしょうね。みんな上のカルト教みたいな戯言に聞く耳は持っていない、と言う事なんでしょうね。上の信念(爆笑)に確信を持つなら日本国内に引きこもってないでどうか原発を稼働、建設中の国々に行って訴えてきなさいな。
>綺麗な核もね、汚い核も無い
冷戦時代の反核運動で、東側の核はどうだと反戦団体が言ってきたのかもう無かった事にしたいみたいですね。あのダブスタを恥じるなら、こんな事は正面切って言えないはずです。
「被爆国の原点」って何ですか?安倍首相は追悼式典で「我が国は唯一の戦争被爆国」と言いましたが、これは「戦争以外の核実験で被爆した国もある」と言う事を言外に述べたものでしょう。それは言うまでもなくチベット、ウイグルです。両者とも元は独立国だったのに、戦後中国の一方的侵略を受け、ナチスまがいの民族浄化が現在進行形で行われています。当然核実験場にされ、周辺土地の汚染は言うまでもありません。そして汚染された砂は季節風に乗って「黄砂」となり毎年春先に日本に向けてやってくるのですが、こういった初歩的な事も知らずに「原発事故を避けて西日本へ避難」ってどれだけ笑わせてくれるのでしょうね。チベットやウイグルの実情から目をス向けて「被爆国の立場云々」て虫が良すぎますね。どうせ馬耳東風でしょうが。
そして広島市長は勇気をもって「核兵器と原発は分けて考えるべき」と言いましたがここではしっかり無視していますね。冷戦時代の反省も総括もやってない反核運動など、何処に存在意義があるのでしょうね。
「非核宣言都市」など、知的レベルの低さが真っ先に疑わる宣言ですね。
だったらどうして新規の原発の建設が産油国においても行われてるんでしょうね。みんな上のカルト教みたいな戯言に聞く耳は持っていない、と言う事なんでしょうね。上の信念(爆笑)に確信を持つなら日本国内に引きこもってないでどうか原発を稼働、建設中の国々に行って訴えてきなさいな。
>綺麗な核もね、汚い核も無い
冷戦時代の反核運動で、東側の核はどうだと反戦団体が言ってきたのかもう無かった事にしたいみたいですね。あのダブスタを恥じるなら、こんな事は正面切って言えないはずです。
「被爆国の原点」って何ですか?安倍首相は追悼式典で「我が国は唯一の戦争被爆国」と言いましたが、これは「戦争以外の核実験で被爆した国もある」と言う事を言外に述べたものでしょう。それは言うまでもなくチベット、ウイグルです。両者とも元は独立国だったのに、戦後中国の一方的侵略を受け、ナチスまがいの民族浄化が現在進行形で行われています。当然核実験場にされ、周辺土地の汚染は言うまでもありません。そして汚染された砂は季節風に乗って「黄砂」となり毎年春先に日本に向けてやってくるのですが、こういった初歩的な事も知らずに「原発事故を避けて西日本へ避難」ってどれだけ笑わせてくれるのでしょうね。チベットやウイグルの実情から目をス向けて「被爆国の立場云々」て虫が良すぎますね。どうせ馬耳東風でしょうが。
そして広島市長は勇気をもって「核兵器と原発は分けて考えるべき」と言いましたがここではしっかり無視していますね。冷戦時代の反省も総括もやってない反核運動など、何処に存在意義があるのでしょうね。
「非核宣言都市」など、知的レベルの低さが真っ先に疑わる宣言ですね。
日本語能力のない人たちへ | 2013.08.20 19:17 | 編集