3.「私は逃げた事がありません。1日も役所を閉鎖することがありませんでした」桜井勝延南相馬市長8/6 未来への福島、そして脱原発(内容書き出し)

2013/08/06
シンポジウム「未来への福島、そして脱原発」

出演:坂本龍一 / 桜井 南相馬市長 / YAE / 吉原毅 城南信用金庫理事長 / 藤波心 / 広瀬隆 / スイスより政治家を含む60人の福島視察団 / (財)グリーンクロスジャパン&スイス /


58:15
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桜井 南相馬市長

みなさんこんにちは。
福島県の南相馬市からお邪魔しました、市長の桜井勝延でございます。
広瀬さんにあのような形でお話しされると、
私が南相馬に住んでいる事が悪のような感じがいたしますけれども


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あの、現実的に我々はこの原発事故と対峙していかなければいけないんだろうと思っています。
私はそういう意味では最前線に立っていますし、あの現場からはほとんど逃げた事がありません。
逃げた事というよりも、逃げたためしがないわけですけれども、
ここで、今日20分という時間を与えていただきましたので、
「命」という問題をみなさんがどのように捉えているのか、
「命」ということにどういうふうにみなさんが自分自身の問題として考えているのかということを、
原発事故のみならずこの震災で我々が経験させられている現場を通して、
皆さんに考えていただければありがたいなと思っています。

3月11日。
2011年3月11日の2時46分、あの激震がまいりました。
が、その午前中、県内のすべての公立中学校の卒業式で、
南相馬市内の原町第二中学校の3年生の卒業のお祝いに祝辞を述べに行っておりました。
帰ってきて、議会の一般質問を受けておりました。
その最中にマグニチュード9.0、我々のところは震度6弱、津波最大21m、そういう津波がやってきて、
前途洋洋たる若者たちが、残念ながら自宅に戻った瞬間に、津波にのまれて死んでしまう。

南相馬市全体で、被災面積41平方km。
亡くなられた方636人。
ひとりでも自分の知人が亡くなった、肉親が亡くなった時、どれほどの悲しみを覚えるんでしょうか?
それが636人で、110人もの遺体がまだあがっていない。

そういう現実に、南相馬市民が直面をしてるわけです。

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3月12日、
福島第一原発1号機、爆発しました。
信じられない事が起こって、皆さん避難をし始めました。
信じられない事が起こったのは、多分霞が関も永田町も同じだったと思いますけれども、
あのときすでに「爆発するであろう」という事が政府内では予測されていて、
さき程の(広瀬さんの講演中の)双葉町も大熊町も、バスが準備されていた。

南相馬は20km圏内に1万4000人住んでいる自治体で、双葉町の2倍の人口、そこだけでも。
双葉郡全体8市町村で7万6000人。
南相馬1自治体で7万1500人いるわけですね。

なぜ双葉郡には…、浪江町にも連絡がこなかったそうですけれど、
連絡がいって、
20km圏内で3番目に人口の多い南相馬市は連絡が来ないのか。

…連絡来ないばかりじゃなかったんですね。

20km圏内避難指示が出ました。
我々はテレビでそれを夕方ようやく知りました。
震災で、大津波で捜査最中で、
避難所を設けて避難所がいっぱいになっている最中で避難指示が出たというのを
我々に連絡も来ませんでしたし、テレビでようやくテロップで見ると、
結果的には国は南相馬市を20km圏内の対象に指定しておりませんでした。

後々知った避難指示の文書によると、南相馬市というのが書かれておりませんでした。

これが実態で、30km圏内避難指示が出た、
屋内退避指示が出た3月15日の日にようやく南相馬市という言葉がそこにあったわけですけれども、
それも我々のところには連絡が来ない。

あの時現場でどんな事が起こっていたか?

津波で亡くなった方々、また、見つかっていない方を、
消防団はじめ多くのみなさんが捜索をしている最中の原発事故ですから、
家族をおいて探せなくて逃げ出さなければならない人もいたし、
家族を見つけるまでは逃げ出すこともできなかった、逃げ出さなかった人達も多くいて、
消防団員は津波であの最中に9名亡くなりました。
消防車両14両、14台流出しました。
地域の行政区の代表の方々が、救うために津波で4名亡くなりました。

原発事故で、あれから2年5ヶ月、間もなく経とうとしておりますけれども、
避難させられた、避難によってなくなられた方々の認定死が南相馬市だけで、428名になっています。

どこかの政調会長の、
「原発事故で亡くなった人間はいない」というような発言が、日本のマスコミから次第に消されていく。
「自民党大勝利、圧勝」
南相馬市内でも自民党の候補者の得票数が多い。

※自民党高市早苗政調会長
「福島第一原発で事故が起きたが、それによって死亡者が出ている状況ではない」




信じられない事ばかりが起こるのですけれども、なぜこんなことが起こるんでしょうか?

「命」が、ある危機にさらされた時に本当に大切だったはずなのに、
今は、生きている人たちは生活することが何よりも大切になってくる。


また一方で、子どもを持つ親御さんは、南相馬市に戻ることをためらっている人たちが多いことは現実です。

一時期6万人、南相馬市から避難しました。
現在4万6500人南相馬市に戻っておりますし、
先ほどの(広瀬さんの講演中の)双葉町、隣の浪江町、飯舘村からも、
南相馬市に避難をして暮らしている市民もおります。

合わせて、今南相馬市は5万1000人ほど毎日暮らしております。
双葉郡は全体でも5000人も戻っておりません。
南相馬市よりも線量の低いところであっても、たとえば広野町、川内村もそうですけれども、
広野町は5800人の町で1割弱。
川内村は帰村宣言しましたけれども、3000人の村で、1000人も戻れていない。

なぜ南相馬市が、同じ20km、30km圏内に役所があるにもかかわらず、
今4万6500人が戻っているのか?

それは、我々避難できなかった方々が1万人弱いました。
市職員を預かって、
市の幹部の中には「もうここから避難をしなければいけない」と言って、
私のところに直訴するような職員もいました。


3月14日。
3号機が爆発しました。
夕方自衛隊が我々のところに入ってきて、
「国が100km避難指示出した」と。
100km避難指示だという事で、役所に迷彩服を着た自衛隊がやってきた時に、
役所職員は大慌てで避難を始めた職員達もいました。

ただ一方で、避難が出来ない人たちがいて、障害者も含めて。
この人達を誰が助けるのか。
3月15日から私は、自分の勝手な判断で、
30km県外に、相馬市・伊達市、そして宮城県の丸森町まで避難をさせましたけれども、
約1500人、一晩で、バスで運びました。

これも全く誰の指示でもありません、私の独断でした。

が、こういったことは日本の政府の中では全く予想していなくて、
私の避難指示を出した事が、後々罰せられることもありませんでした。


3月16日。
NHKの取材を受けて、その直後、朝のニュース7の直後、
電話取材の直後に新潟県の泉田裕彦知事が私のところに電話をくださいました。

南相馬市市民全員を避難させていいですよ」と。
新潟県が引き受けます
そう言って下さったので、その夕方から、「明日から避難をさせる」という判断をして、
新潟方面へ避難を誘導しました。

一時的に、本当に安心をしました。
が、いまどんな事が起こっているんでしょう?

津波で亡くなった方々の命は戻ってきません。
津波を経験していない南相馬市民が圧倒的に多い中で、
「我々だけが原発で苦しまなければいけない」
そういうふうな声を上げる人たちも少なくありません。

「なぜ、南相馬市に戻らなければいけないんだ」という人たちもいます。

我々は「南相馬市に戻れ」といったことは一度もありません。
が、「戻れる環境を取り戻すための努力をする」という事は、当初からしておりましたし、
1日も避難しなかったのは、1万人弱がいる中で、
どうして役所を避難させるような事ができたでしょうか?

ましてや国から連絡が来ない時に、
自己判断で役所を30km県外に移すなんていう事を、なぜできたでしょうか?

南相馬市は幸い国からも県からもそういう判断の連絡がこなかったことが幸いして、
1日も役所を閉鎖することがありませんでした。

地震で上水道が寸断されて漏水状態になっても、
水道職員が、民間の職員が避難しても、
役所職員は自ら漏水を防ぐための仕事をして、3日間でほぼ水道を復旧しました。

東北電力、東京電力ではありません。
東北電力は私が役所に残るという事を宣言した後に、
隣の営業所長は「南相馬市市長が残るんであれば、私も残る」と言って、
1日たりとも停電をさせませんでした。

東京電力とどれほどの違いがあるかは、
「命」という問題に直面して、ひるまない活動をするかどうかだと思っております。

南相馬市の子どもたちの検診は、ホールボディカウンターの検診は、
7月から始めました。
県内で一番最初でした。
鳥取県からホールボディカウンターをお借りをしました。
9月からは精度の高いキャンベラ社のものを購入して、
これも県内で最初のキャンベラ社のホールボディカウンターで検査をしておりますが、
当初は確かに内部被曝が出ておりました。
が、いま現在は子どもたちは全て検出されておりません。


これは何よりも、先程広瀬さんもおっしゃっておりました
そして、グリーンクロスの方もおっしゃっておりましたけれども、
水、食べ物、食するものに気を使って、検査をして、
検査をした物のみを子どもたちに食べさせる努力をしてきました。
結果として、いま若干内部被曝がある、若干というのは1%程度あるのは、
大人の方々で、「もう自分はこの先長くないから自分の畑でつくったものを食べてもいいだろう」
と思って食べている人の中には、内部被ばくをする人もいる。

今、南相馬市の将来を考えた時に、
さき程の廃炉の問題もありましたし、汚染水の問題もありましたけれども、
東京電力は「40年後には廃炉にす」ま、国もそういう方針で動いています。

みなさんどうでしょうか?

40年後に日本を想像した事があるでしょうか?
ましてや100年前の日本。
1000年前の日本。
100年後の日本。
1000年後の日本を、想像したことがあるでしょうか?

我々は津波に出くわして、1000年前を想像しました。
干拓で作り上げた水田は湾でした。
津波で一瞬に湾になってしまいました。
けれどもそれを再興してもう一度やり直したいという農家の方々は、
今5割を切ろうとしています。
20km圏内では90%以上諦めようとする人たちも出ています。

こういう現実の中で40年後、今一番多いのは団塊の世代以降の人口ですので、
廃炉が確定した時にどれだけの人間が南相馬を含めて生活をしているんでしょうか?
電気がどれだけ必要なんでしょうか?

考えると恐ろしくなるほどいらない世界が現出します。

こういう事に一つ一つ、
今だけを考えるのではなくて、明日を、そして3年後、5年後、10年後、50年後、100年後を考えて、
「今」という事をしていかないと、
亡くなられた方々、私が本当に大切にしていた少女がいます。
ゼロ歳児から面倒を見ていた場所が津波で亡くなりました。
7人中、この家は6人死んでしまいました。

その彼女たちの将来に、我々が言い訳を出来ないような生き方はしたくない。
従って、南相馬市を取り戻したいし、このままにはしておけない。

原発再稼働、そして、原発輸出。
自民党圧勝。
再稼働を進める。
原発輸出をするといいつつ、県内の自民党の公約は全基廃炉。

これが、現場で進められている政治的なまやかし、ですね。

「命」というものと対面した時に、今を生きるのではなくて我々が与えられた命を誰に繋いでいて、
この与えられた地域をどのようにして守り発展して次の世代に移していくのか、
この事が今一番問われているんでしょう。

東京は素晴らしく発展していて、
今朝も大雨が降ったかと思うと晴れてしまって、
毎日素晴らしい生活をしているように見える人たちが多い中で、
田舎は、原発立地地帯は、高齢化をして、
再稼働をしないと自治体の運営もできなくなると言って、
柏崎刈羽が申請を許すという報道がされていく。

悲しい現実以外何物でもないです。

エネルギーは自分たちが使うものであります、間違いなく。
けれども、何のために今使い、自分は何故使うのかという事を
意識して以内人たちが、あまりにも多いのではないでしょうか。


最後に、私があの被災した現場を役所から、
役所に50日間止まり続けて、次の日からあの被災地を走り続けていますが、
素晴らしい命の発見が次々にあるんですね。

天昼顔が花を咲かせ、
小鮒があの被災地を泳ぎ回り、
そして、絶滅危惧種の糸トンボが昼間糸トンボが命を燃やしている現実を見ます。
その時に人間たちは、彼らの命を奪い、残念ながら自分たち中心で生きようとしている。
これが悲しい現実です。

でも、南相馬の我々は、この地域を再興するために諦めずに、
国の官僚にもしっかりとこの現実を見てもらい、
永田町の政治家のみなさんにも、現場というものをしっかりと見ていただいて、
この地域、日本の再興、福島の再興、
そして世界というものに対して我々は今後も発信していくというふうに考えています。

みなさんの本当にご支援に感謝をしながら、
一緒に日本というものを再生し、もっともっと発展させる素晴らしい国にしていきたいなと思っております。

今日はありがとうございました。








ーーー


むずかしい。
とっても。
ため息が出ます。

市長の気持ちも理解できるけど、
けど、難しい・・・

避難したくてもできなかった市の職員もいたかと思うととても苦しくなる。
小鮒や糸トンボを救うために犠牲になる人間がいるかもしれないという事はどうなんだろうか?
だからと言って、簡単に桜井市長が間違っているとも言えない。
けど「逃げる」という言葉いやだ。
そこに放射能があるから、避難しなければいけないんじゃないか。
放射能から逃げないで戦う事は美徳では無いと思う。
でも、町を失えない。

簡単じゃない。
簡単に答えが出ない。

わたしは賛同できないけれど、この市長の考え方も分からなくはない。
だから苦しくなる。

原子力の事故はこうなるから最悪なんだ。



書き出していて、ものすごく辛い気持になりました。







未来への福島、そして脱原発2013年8月6日 文字起こしのブログ↓
1.原発をどうやって止めるか
「私は多分招かざる客だと思いますが…」広瀬隆8/6 未来への福島、そして脱原発(内容書き出し)


2.原発をどうやって止めるか
「 ゴーストタウン・福島の汚染地帯」広瀬隆8/6 未来への福島、そして脱原発(内容書き出し)


3.「私は逃げた事がありません。1日も役所を閉鎖することがありませんでした」
桜井勝延南相馬市長8/6 未来への福島、そして脱原発(内容書き出し)


4.「これほどおかしなことが行われている。みんな狂っています」
吉原毅氏(城南信用金庫理事長)8/6 未来への福島、そして脱原発(内容書き出し)


5.「あれと同じものがまだ50基、事故が起きるのを待っているかのように日本中にある」
坂本龍一・藤波心8/6 未来への福島、そして脱原発(内容書き出し)


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吉原「TPPは“のび太・ジャイアン式システム”」8/6 未来への福島、そして脱原発(内容書き出し)






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コメント

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本当に難しい問題です

いつも書き起こしをありがとうございます。
毎日欠かさず読ませていただいています。

私も桜井市長さんの話を読んでモヤモヤとしてしまいました。
「でも・・・」という言葉が何度も何度も出そうになりました。
南相馬市を取り戻したい、その気持ちはいたいほどわかるのですが、
それだけに悲しくなってしまいました。

でも絶えず誰かに犠牲を強いながらの「本当の再興」というのが一体どんな意味を持つのか、何度でも考え直していきたい気がします。

No title

大切なのは市民が生活を再建することで、市が復興することではない。生活の再建にあたって住居地は何処でもよく、南相馬市に固執する必要はありません。

しかし桜井とやらは自らの地位を守ることで頭が一杯で、人口を流失させてまで命を守る気はないのでしょう。美辞麗句で糊塗したところで本音は人口を取り戻したい。そんな印象しか持てません。

だから、「中には、内部被ばくをする人もいる」なんていう言葉が出てくる。少しでも危険を小さく見せるようなアピール。この期に及んで。HBCを7月までやらなかったのは、もっと早い段階でやったら危険なのが知られてしまうからと思ったからだろう。いい加減にしろといいたい。桜井には桜井の人生設計があるのだろうが、子供達には子供達の人生がある。桜井とやらに付き合う義理はない。道連れが欲しいなら市内の介護施設の老人だけにしろ。

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