2013年9月6日 (金) 報道ステーション
五輪開催地決定直前!猪瀬都知事に聞く

古舘:
そういう中で、今お話しがありましたように、
しゃべりが時間差がありまして、ちょっと聞きにくいかもしれませんが、
是非猪瀬知事にお聞きしたいのはですね、
今おっしゃったように東京都、これはもう運営面とか財政面とか設備面
これはもう本当に素晴らしいものがあるというふうに私も感じます。
さて、その「オリンピックをやる大義、意義とはなんだ」っていうのがまだ分からない。
そこをぜひ聞きたい。
猪瀬:
素晴らしいっていうのはね、だけどね、知らない人がいっぱいいるわけですよ。
え?
古舘:意義ですね。
猪瀬:
だから素晴らしいという事は我々にとっての日常性なんだが、
外国の人はそういう我々の普段の、
「電車が時間通りきますよ」
「タクシーの運転手さんは親切ですよ」
「おもてなしでレストランは美味しいですよ」
こういうことはまず、日本に来た事がある人は分かるけれども、分からない人はいっぱいいる。
もちろんそれをきちっと説明しながらなおかつ、
2020年のオリンピックパラリンピックが素晴らしい大会になりますよという、
その両方、東京の魅力とオリンピックをやろうという、二つを重ねて、説明する必要があるんですね。
古舘:
はい、その中での、
まず根本の東京でオリンピック、パラリンピックを開く
本当の目的、意味というものは何なのか?という事を簡単に伺いたい。
猪瀬:
はい、それはですね、東京都には長期ビジョンというものがありましてね、
誰もがスポーツに親しみ、そして子どもたちに夢を与える。
ま、こういう長期ビジョンがあります。
そういう長期ビジョンを実現させるべきには、
まずは1964年の国立競技場がずっとそういう意味では
あのー、オリンピックのレガシーとして残って我々に様々なスポーツの機会を与えてくれました。
今度は新しい国立競技場は耐震設計でつくり替え、
ま、エアコンも入るようなそういう形になりますよね。
それと、それ以外に
10個の恒久的なスポーツ施設を湾岸エリアにですね、
バスケットボールやバレーボールやいろいろな10個の恒久施設が出来ます。
この10個の恒久施設が出来ることによって、誰もがスポーツに親しむ、そういう東京が生まれてくる。
そして、それは単に東京だけではなくて、
日本、あるいは世界の様々なレベルでの大会が常に東京で開かれている。
そういうスポーツを非常に重要にした世界が出来ていくだろうと。
それは被災地で、
やっぱり被災地は大変ですよ。
でも沢山のカールルイスさんとかいろんな有名な人も、それから有名じゃない人も、
沢山被災地に訪れて、スポーツの力によって沢山の勇気を与えてくれている。
こういうスポーツの力をきちんと、都市政策の中に取り入れて、
そして我々は、我々の世代は、
もう1964年のオリンピックを知らない人たちがいっぱいいるわけですから、
ここでもう一度、そのスポーツの祭典の素晴らしさを次の世代に残す責務がある。
と思っています。

古舘:
猪瀬さんは本当にこの五輪開催へ向けてずっと走ってきた。
いろんな事がおありになったと思いますけれども、
それを乗り越えるようにしてずーーーっとこうやって頑張って来られた。
その猪瀬さんだから私は聞きたいんです。
そういう中でですね、竹田さんの記者会見をお聞きしていても、
正直言いまして「東京は大丈夫だ」と。
この福島の第一原発の汚染水漏れのこの対策事故に関してですね、
「東京は大丈夫だ」と言っても、外国の記者の人達は納得しないと私は思うんですね。
それは東京も福島も含めて日本ですから。
「もっとはっきりしたことをマスコミを通じて国は伝えてくれ」
ということを要求されているように感じてなりません、自分の立場も含めて。
猪瀬さんにじかに伺いたいんです。
プレゼンテーションで福島のことをどうおっしゃるのか?
あるいは言わないなら、安倍総理がどうおっしゃるというふうに推測されるか?
福島についてお聞きしたいです。

猪瀬:
これは非常に大事なことで、
今。福島について様々な問題が起きていますが、これは今に始まった事じゃないんですね。
1000年に一度の津波がきて、ま、福島の事故が起きた。
で、まずはその、取り除かなければいけないのは「風評被害」なんです。
「風評被害」というのは、いまだに、たとえば会津地方にお客さんが来ない。
ま、そういうふうな「風評被害」があります。
じゃ、その「風評被害」を、どのように無くしていくかという事について、
正しい正確な情報を常に公開して、示していくという政府の姿勢が必要です。
今回の福島の汚染水の問題は、
これは、8月7日に安倍首相が「これはやらなきゃいけない」と言って、
茂木経産大臣が8月の中旬に体制を作った。
そして、9月3日にですね、関係閣僚会議を開きまして、
汚染水について分かるデータを全部発表しました。
そして、英語版でも出しました。
こういう事をやった上で、
ま、「エリアとしては0.3平方kmの部分には汚染水がある」と、こういう問題なので、
その部分についてきちんと解決するというのと同時に、
東京電力に任せていてはいけない。
政府が乗り出してガイカクへの予備費を500億円を当座するつぎ込むんだと、
ま、こういう政治の意志、国家の意思が必要です。
その国家の意思が今、出ましたから、
それ以外の事で「風評」があったならば、
その「風評」は経済産業省のホームページに全て英語で出ていますので、
その英語で出ている部分を・・・確認出来ない場合の「風評」のみ対応できる、すればいいと思う。
後は「ちゃんと見て下さいよね」と、これが大事です。
こうやって、正確な情報を出していくことによって、
そして政府がきちんとやるんだと、
東京電力に任せないでやるんだというリーダーシップをきちんと内外に示すことが非常に大事です。
で、東京都は放射線量については毎日毎日公開し、
生産物の出荷、入荷についてもぜーんぶチェックし、水道水も全部チェックして
全部公表して全部英語で出しています。
こういう形で、フェアーな形できちんと実情を説明すれば、
「風評」は減ります。
そこが大事です。
いま、逆に他のところからのネガティブキャンペーンと風評がいろんな形で入り混じってきてますから、
まずは、ファクトと風評を整理して、
そしてファクトについてはきちんとした姿勢を示すと。
これが一番大事だというふうに思っています。
古舘:
ふくしま全体の風評を防がなければいけない。
そのためにもっと発信するとおっしゃることはよーく解ります。
その通りだと思います。
苦しんでいらっしゃいますから。
しかし、ファクト、事実の方に関して言いますと、
470億円の国費投入に関してもまだまだ不足しているところがありまして、
遮水壁、本当に効果がどこまであるのか?
あるいは地下水を汲みだすということももうこれはちょっと計画倒れかと言われていることを
ただネガティブとは済まされない、今現状であると思います。
猪瀬都知事もそして安倍総理も、プレゼンで逃げずにそこに立ち向かっていくことこそ、
2020年にオリンピック、パラリンピックが開催されるという事に向けて
出来る限りのことを、福島を止めるんだという事を
もっと力強く世界に発信して、
このプレゼンテーションの中に組み込んでほしいという願いを持っている方もいらっしゃいます。
それに答えていただけますか?
猪瀬:
はい。
1000年に一度の大津波です、これはね。
そしてこの1000年に一度の大津波に対してスポーツの持つ力が、
沢山の方々がきて、そして励ましてくれました。
そういう中で汚染水の問題が出てくるというのは、これは非常に情けない事なんだ。
だからそこにきちんと、今回その方針を出したという事が重要です。
で、それは、
福島の問題の全ての解決というのは、直接オリンピック2020年と関係ありません。
この福島の問題の解決についてはきちっと政府が工程表を作り、
いつこの原発政策に対して、どういう方針を出すのかという事を、
きちんとこれからやらなければならないなと思います。
それと現在の東京における放射線量を含めた我々の日常性は、
「きちんと確保されているんですよ」という事は、
それは「風評」に対してきちんと言わなければいけない。
それは他のところでネガティブキャンペーンをやったりして、
あえてそういうところを混乱させているところもあるので、
今ここでわれわれの日常生活がきちんと維持されていますよという事は、非常に大事なことであり、
今回の汚染水の問題も、
福島原発そのものの問題もいっぱいありますけれども、
この汚染水について、ピンポイントでここで解決するという部分を、
きちんと早急に、スピーディーに示すと。
こういう意志を今回出すことが大事です。
古舘:
わかりました、
24時間後いよいよプレゼーテーションが始まります。
じーっとこちらは目を凝らしていきたいと思います。
朝早くから大変申し訳ありませんでした、ありがとうございました。
猪瀬:あのね、これはね、
古舘:猪瀬さんこれから共同会見があると思うんですけれども大丈夫ですか?
猪瀬:
我々が今、文部科学省の調査でも、90%以上の国民の支持率が今あるんですね。
ここで、いろんな懸念されている問題もその中で、解決していくことだと思います。
古舘:はい、ありがとうございました。
ーーー
直ちに影響が出ないから、
東京が危険だというのが風評なのか事実なのかまだ答えは分からない。
オリンピックが行われるという2020年ごろには
「風評」なのかどうかの答が分かり始める頃なのではないか?
7年後の2020年に汚染水問題が解決に向かっている可能性と悪化している可能性は
どちらが高いだろうか?
それまでに大きな地震や竜巻やゲリラ豪雨などが、
あの傾いた建屋や乱立したタンクに襲いかかることはないのだろうか?
7年後には使用済み核燃料は無事取り出されているのだろうか?
オリンピックのために政府が表に出てきたとしたら、
東京にオリンピックが来なかった場合、
福島のことはまた忘れたようにほっぽり出されてしまうのではないだろうか?
そんな不安が私の中にあります。
竹田理事長
「福島から250km離れているのでみなさんが心配するような危険性は東京には全くない」
内閣官房長官菅義偉の大嘘
「福島県の年間被ばく量は年間1ミリシーベルトの100分の1以下です」
<汚染水とオリンピック>
「一体どっちが優先順位が高い事柄なんだろうか?」9/7TBS報道特集(内容書き出し)
「つまり、健康問題については、今までも、現在も、そして将来も! 全く問題はない!!」
9/8IOC総会・安倍総理大臣原発事故発言のすべて文字起こし
猪瀬さんが何度も言っている1000年に一度の津波
歴史的な津波の一覧
(1000年ちょっと後から現在までの津波の部分転記)
多すぎるので続きを読むへ
転記
奈良・平安時代
1026年6月10日(万寿3年5月23日)万寿地震、石見国(島根県益田市)の日本海沖で巨大な地震津波が発生し,沿岸の各村落に襲来して未曾有の被害をもたらしたとの口碑がある。益田川沿いにて同時期の津波堆積物と思われる層を確認。[10]
1096年12月11日(嘉保3年11月24日)永長地震(東海地震) - M 8〜8.5、東大寺の巨鐘が落下、伊勢・駿河で津波による大きな被害。
鎌倉・室町・戦国・織豊時代
1241年5月15日(5月22日)(仁治2年4月3日) 鎌倉で地震 - M 7、津波を伴い由比ヶ浜大鳥居内拝殿流失。
1293年5月20日(正応6年4月13日)鎌倉大地震 - 死者23020人。三浦半島にこの地震のものと見られる津波堆積物あり。
1361年7月26日(正平16年・康安元年6月24日)正平(康安)地震(東南海・南海地震?)M8.0〜8.5、摂津、阿波、土佐で甚大な津波被害。
15世紀頃 - 東北地方太平洋岸に巨大津波の痕跡。1454年の享徳地震が候補とされる[11][12]。
1498年6月30日(明応7年6月11日)日向灘地震 - 死者多数。同日に南海地震と見られる記録が東海地方などに残っており、南海地震と同一の地震とも言われている。
1498年9月11日(明応7年8月25日)明応地震 - 東海道沿岸に大津波。死者3-4万人。
1586年1月18日(天正13年11月29日)天正地震(東海東山道地震、飛騨・美濃・近江地震) - M 7.8〜8.1(それ以上の可能性あり)、死者多数。飛騨・越中などで山崩れ多発、白川郷で民家数百軒が埋まる。内ヶ島氏、帰雲城もろとも滅亡。余震が1年以上続く。三河湾と若狭湾という日本海・太平洋両岸での大津波記録が複数あり、複数の巨大地震の同日発生の可能性がある。
江戸時代
1605年2月3日(慶長9年12月16日)慶長地震 - 東海東、南海道で津波による死者多数。津波地震と推定される。
1611年12月2日(慶長16年10月28日)慶長三陸地震 - 東北の慶長津波(千島海溝沿いを震源とする説あり)、津波地震と推定され、伊達政宗領内で溺死者5,000人[13]。仙台平野で内陸を2km溯上したと見られ、北海道南東部沿岸も大きな被害。最古の「津波」という語句の記載(『駿府記』)。
1614年11月26日 (慶長19年10月25日) 高田領大地震 - M 7.7。越後高田藩では地震と津波により死者多数とする記録もあり、震源は直江津沖とされた。同日に会津、伊豆、紀伊、山城、松山諸国などでも地震の記録があり、M7.7 との推定もある。震源は伊豆とする説もあり、伊豆と小田原で被害大。津波被害甚大で多くの死者発生。千葉県銚子市の飯沼観音の境内まで到達したとの記録がある。池上本門寺五重塔が傾く。
1616年9月9日(元和2年2年7月28日) - 三陸地方(宮城県沖)で強震後に大津波。
1644年10月18日(寛永21年9月18日) 羽後本荘 - 象潟で津波死者117名。本荘城廊大破。
1677年4月13日20時頃(延宝5年3月12日戌刻) - 八戸沖(三陸沖)地震。
1677年11月4日(延宝5年10月9日)延宝房総沖地震 - M8.0程度。津波地震と見られており、主に津波による死者569人。
1703年12月31日(元禄16年11月23日)元禄関東地震 - M8.2程度。津波の高さは8m以上。20mの地点もあり。津波が犬吠埼から下田までを襲い、数千人が犠牲となった。もともと湖であった伊豆大島の波浮港がこの津波で海とつながった[注釈 6]。
1707年10月28日(宝永4年10月4日)宝永地震 - M8.6程度。津波は伊豆半島から九州までの太平洋岸から瀬戸内海にまで及んだ。死亡者20,000人、流失家屋20,000戸。東海・東南海・南海連動型地震と考えられたが、日向灘を加えて4連動地震との見方もある。現在の想定東海地震に当たる部分は、この地震では岩盤崩壊が発生していないという見解もある。49日後に富士山が噴火。[14]
1741年8月29日(寛保元年7月19日) 寛保津波 - 北海道西南沖の大島での火山性地震(M 6.9、Mt 8.4)による大津波。死者2033人。佐渡・能登・若狭にも津波。
1751年5月21日(宝暦元年(1751年)4月26日)高田地震(新潟県の越後・越中地震)。[15]
1762年10月31日(宝暦12年9月15日)佐渡姫崎沖
1763年1月29日16時頃(宝暦12年12月16日申刻)- 八戸沖(三陸沖)地震。
1763年3月11日(宝暦13年1月27日)1月29日の八戸沖地震の余震
1771年4月24日(明和8年3月10日)八重山地震 - 石垣島で死者・不明者12,000人。津波の遡上高は古記録により約85mとされてきたが、疑問を示す学者もいる。津波地震とする説あり。
1793年2月17日(寛政5年1月7日)寛政地震 - 宮城沖に発生した地震で、岩手県中部〜牡鹿半島沿岸に3〜5mの津波[16]。
1802年12月9日(享和2年11月15日)佐渡小木地震、大津波。
1804年7月10日(文化元年6月4日)象潟地震。津波あり。
1833年12月7日(天保4年10月26日)(午後 2時頃、昼八ツ時)(出羽・越後・佐渡地震、庄内沖地震、天保四年羽前沖 地震)。輪島で7.2mの津波[17][18]。
1835年7月20日(天保6年6月25日)14時頃。「天保大津波」。仙台城損壊。
1854年12月23日(嘉永7年11月4日)安政東海地震 - 12月、駿河湾から遠州灘を震源とするM8.4の地震。房総で波高3 - 4m。沼津から伊勢湾が被害甚大、死者2,000 - 3,000人。
1854年12月24日(嘉永7年11月5日)安政南海地震 - 安政東海地震のわずか32時間後、紀伊半島南東沖一帯を震源とし同じくM8.4という地震。紀伊半島から四国、九州のみならず大坂市内にまで壊滅的な被害が出た。『稲むらの火』の背景となった津波。津波高さは串本で15m、死者数千人。時間差はあるものの、東海・東南海・南海連動型地震として扱われることもある。
1856年 8月23日12時頃(安政3年7月23日午刻)安政八戸沖地震 - 直前前震とイワシとマグロの大漁。(『時風録』)
1861年10月21日(文久元年9月18日) 宮城県沖地震 - M 6.4、津波、家屋倒壊、死者あり
明治・大正・昭和・平成時代
1894年(明治27年)3月22日 根室半島沖地震 - M 7.9、死者1人。北海道・東北に津波。
1896年(明治29年)6月15日 明治三陸地震 - 岩手県綾里(現・大船渡市)で津波の遡上高38.2m、死者不明者22,000人。津波地震とされる。
1897年(明治30年)8月5日 三陸沖で地震 - M 7.7、宮城県や岩手県で津波により浸水被害。
1923年(大正12年)9月1日 大正関東地震(関東大震災) - 津波の最大波高は静岡県熱海で12m。数百人が犠牲となる。
1933年(昭和8年)3月3日 昭和三陸地震 - 死者・不明者3,000人。
1940年(昭和15年)8月2日 積丹半島沖地震(神威岬沖地震) - 天塩で死者10人。
1944年(昭和19年)12月7日 昭和東南海地震 - 津波の波高は熊野灘沿岸で8mに達する。
1946年(昭和21年)12月21日 昭和南海地震 - 津波は静岡県から九州まで来襲、最高6m。
1952年(昭和27年)3月4日 十勝沖地震 - 津波により、北海道厚岸郡浜中村(現・浜中町)南部が壊滅する。津波は、厚岸湾が最高で6.5m、青森県八戸市で2mなど。
1964年(昭和39年)6月16日 新潟地震 - 津波規模2m。観測地点によっては4m。
1983年(昭和58年)5月26日 日本海中部地震 - 秋田県を中心に、津波による犠牲者100人(遠足中の小学生13名が死亡)。対岸の韓国でも3名の死者・行方不明者を出した。
1993年(平成5年)7月12日 北海道南西沖地震 - 奥尻島で最大波高16.8m、遡上高が30mに達する。死者・不明198人。大津波警報は地震発生後4〜5分で出されるも間に合わず、奥尻町青苗地区は壊滅。対岸のロシアでも3人の行方不明者を出した。
2011年(平成23年)3月11日 東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)- 岩手県大船渡市の綾里湾で遡上高40.1m、観測できた津波の高さでも9.3m以上(福島県相馬港)と、津波において国内観測史上最大。三陸地方では明治・昭和の津波を教訓に築かれていた防波堤・防潮堤の高さを軒並み上回って決壊し、東北地方から千葉県外房までの太平洋沿岸部を中心に甚大な被害が発生。さらにこの地震の規模が大きかったため、これらの沖で発生した津波は世界各地の太平洋沿岸を襲う遠隔地津波になった。
五輪開催地決定直前!猪瀬都知事に聞く

古舘:
そういう中で、今お話しがありましたように、
しゃべりが時間差がありまして、ちょっと聞きにくいかもしれませんが、
是非猪瀬知事にお聞きしたいのはですね、
今おっしゃったように東京都、これはもう運営面とか財政面とか設備面
これはもう本当に素晴らしいものがあるというふうに私も感じます。
さて、その「オリンピックをやる大義、意義とはなんだ」っていうのがまだ分からない。
そこをぜひ聞きたい。
猪瀬:
素晴らしいっていうのはね、だけどね、知らない人がいっぱいいるわけですよ。
え?
古舘:意義ですね。
猪瀬:
だから素晴らしいという事は我々にとっての日常性なんだが、
外国の人はそういう我々の普段の、
「電車が時間通りきますよ」
「タクシーの運転手さんは親切ですよ」
「おもてなしでレストランは美味しいですよ」
こういうことはまず、日本に来た事がある人は分かるけれども、分からない人はいっぱいいる。
もちろんそれをきちっと説明しながらなおかつ、
2020年のオリンピックパラリンピックが素晴らしい大会になりますよという、
その両方、東京の魅力とオリンピックをやろうという、二つを重ねて、説明する必要があるんですね。
古舘:
はい、その中での、
まず根本の東京でオリンピック、パラリンピックを開く
本当の目的、意味というものは何なのか?という事を簡単に伺いたい。
猪瀬:
はい、それはですね、東京都には長期ビジョンというものがありましてね、
誰もがスポーツに親しみ、そして子どもたちに夢を与える。
ま、こういう長期ビジョンがあります。
そういう長期ビジョンを実現させるべきには、
まずは1964年の国立競技場がずっとそういう意味では
あのー、オリンピックのレガシーとして残って我々に様々なスポーツの機会を与えてくれました。
今度は新しい国立競技場は耐震設計でつくり替え、
ま、エアコンも入るようなそういう形になりますよね。
それと、それ以外に
10個の恒久的なスポーツ施設を湾岸エリアにですね、
バスケットボールやバレーボールやいろいろな10個の恒久施設が出来ます。
この10個の恒久施設が出来ることによって、誰もがスポーツに親しむ、そういう東京が生まれてくる。
そして、それは単に東京だけではなくて、
日本、あるいは世界の様々なレベルでの大会が常に東京で開かれている。
そういうスポーツを非常に重要にした世界が出来ていくだろうと。
それは被災地で、
やっぱり被災地は大変ですよ。
でも沢山のカールルイスさんとかいろんな有名な人も、それから有名じゃない人も、
沢山被災地に訪れて、スポーツの力によって沢山の勇気を与えてくれている。
こういうスポーツの力をきちんと、都市政策の中に取り入れて、
そして我々は、我々の世代は、
もう1964年のオリンピックを知らない人たちがいっぱいいるわけですから、
ここでもう一度、そのスポーツの祭典の素晴らしさを次の世代に残す責務がある。
と思っています。

古舘:
猪瀬さんは本当にこの五輪開催へ向けてずっと走ってきた。
いろんな事がおありになったと思いますけれども、
それを乗り越えるようにしてずーーーっとこうやって頑張って来られた。
その猪瀬さんだから私は聞きたいんです。
そういう中でですね、竹田さんの記者会見をお聞きしていても、
正直言いまして「東京は大丈夫だ」と。
この福島の第一原発の汚染水漏れのこの対策事故に関してですね、
「東京は大丈夫だ」と言っても、外国の記者の人達は納得しないと私は思うんですね。
それは東京も福島も含めて日本ですから。
「もっとはっきりしたことをマスコミを通じて国は伝えてくれ」
ということを要求されているように感じてなりません、自分の立場も含めて。
猪瀬さんにじかに伺いたいんです。
プレゼンテーションで福島のことをどうおっしゃるのか?
あるいは言わないなら、安倍総理がどうおっしゃるというふうに推測されるか?
福島についてお聞きしたいです。

猪瀬:
これは非常に大事なことで、
今。福島について様々な問題が起きていますが、これは今に始まった事じゃないんですね。
1000年に一度の津波がきて、ま、福島の事故が起きた。
で、まずはその、取り除かなければいけないのは「風評被害」なんです。
「風評被害」というのは、いまだに、たとえば会津地方にお客さんが来ない。
ま、そういうふうな「風評被害」があります。
じゃ、その「風評被害」を、どのように無くしていくかという事について、
正しい正確な情報を常に公開して、示していくという政府の姿勢が必要です。
今回の福島の汚染水の問題は、
これは、8月7日に安倍首相が「これはやらなきゃいけない」と言って、
茂木経産大臣が8月の中旬に体制を作った。
そして、9月3日にですね、関係閣僚会議を開きまして、
汚染水について分かるデータを全部発表しました。
そして、英語版でも出しました。
こういう事をやった上で、
ま、「エリアとしては0.3平方kmの部分には汚染水がある」と、こういう問題なので、
その部分についてきちんと解決するというのと同時に、
東京電力に任せていてはいけない。
政府が乗り出してガイカクへの予備費を500億円を当座するつぎ込むんだと、
ま、こういう政治の意志、国家の意思が必要です。
その国家の意思が今、出ましたから、
それ以外の事で「風評」があったならば、
その「風評」は経済産業省のホームページに全て英語で出ていますので、
その英語で出ている部分を・・・確認出来ない場合の「風評」のみ対応できる、すればいいと思う。
後は「ちゃんと見て下さいよね」と、これが大事です。
こうやって、正確な情報を出していくことによって、
そして政府がきちんとやるんだと、
東京電力に任せないでやるんだというリーダーシップをきちんと内外に示すことが非常に大事です。
で、東京都は放射線量については毎日毎日公開し、
生産物の出荷、入荷についてもぜーんぶチェックし、水道水も全部チェックして
全部公表して全部英語で出しています。
こういう形で、フェアーな形できちんと実情を説明すれば、
「風評」は減ります。
そこが大事です。
いま、逆に他のところからのネガティブキャンペーンと風評がいろんな形で入り混じってきてますから、
まずは、ファクトと風評を整理して、
そしてファクトについてはきちんとした姿勢を示すと。
これが一番大事だというふうに思っています。
古舘:
ふくしま全体の風評を防がなければいけない。
そのためにもっと発信するとおっしゃることはよーく解ります。
その通りだと思います。
苦しんでいらっしゃいますから。
しかし、ファクト、事実の方に関して言いますと、
470億円の国費投入に関してもまだまだ不足しているところがありまして、
遮水壁、本当に効果がどこまであるのか?
あるいは地下水を汲みだすということももうこれはちょっと計画倒れかと言われていることを
ただネガティブとは済まされない、今現状であると思います。
猪瀬都知事もそして安倍総理も、プレゼンで逃げずにそこに立ち向かっていくことこそ、
2020年にオリンピック、パラリンピックが開催されるという事に向けて
出来る限りのことを、福島を止めるんだという事を
もっと力強く世界に発信して、
このプレゼンテーションの中に組み込んでほしいという願いを持っている方もいらっしゃいます。
それに答えていただけますか?
猪瀬:
はい。
1000年に一度の大津波です、これはね。
そしてこの1000年に一度の大津波に対してスポーツの持つ力が、
沢山の方々がきて、そして励ましてくれました。
そういう中で汚染水の問題が出てくるというのは、これは非常に情けない事なんだ。
だからそこにきちんと、今回その方針を出したという事が重要です。
で、それは、
福島の問題の全ての解決というのは、直接オリンピック2020年と関係ありません。
この福島の問題の解決についてはきちっと政府が工程表を作り、
いつこの原発政策に対して、どういう方針を出すのかという事を、
きちんとこれからやらなければならないなと思います。
それと現在の東京における放射線量を含めた我々の日常性は、
「きちんと確保されているんですよ」という事は、
それは「風評」に対してきちんと言わなければいけない。
それは他のところでネガティブキャンペーンをやったりして、
あえてそういうところを混乱させているところもあるので、
今ここでわれわれの日常生活がきちんと維持されていますよという事は、非常に大事なことであり、
今回の汚染水の問題も、
福島原発そのものの問題もいっぱいありますけれども、
この汚染水について、ピンポイントでここで解決するという部分を、
きちんと早急に、スピーディーに示すと。
こういう意志を今回出すことが大事です。
古舘:
わかりました、
24時間後いよいよプレゼーテーションが始まります。
じーっとこちらは目を凝らしていきたいと思います。
朝早くから大変申し訳ありませんでした、ありがとうございました。
猪瀬:あのね、これはね、
古舘:猪瀬さんこれから共同会見があると思うんですけれども大丈夫ですか?
猪瀬:
我々が今、文部科学省の調査でも、90%以上の国民の支持率が今あるんですね。
ここで、いろんな懸念されている問題もその中で、解決していくことだと思います。
古舘:はい、ありがとうございました。
ーーー
直ちに影響が出ないから、
東京が危険だというのが風評なのか事実なのかまだ答えは分からない。
オリンピックが行われるという2020年ごろには
「風評」なのかどうかの答が分かり始める頃なのではないか?
7年後の2020年に汚染水問題が解決に向かっている可能性と悪化している可能性は
どちらが高いだろうか?
それまでに大きな地震や竜巻やゲリラ豪雨などが、
あの傾いた建屋や乱立したタンクに襲いかかることはないのだろうか?
7年後には使用済み核燃料は無事取り出されているのだろうか?
オリンピックのために政府が表に出てきたとしたら、
東京にオリンピックが来なかった場合、
福島のことはまた忘れたようにほっぽり出されてしまうのではないだろうか?
そんな不安が私の中にあります。
竹田理事長
「福島から250km離れているのでみなさんが心配するような危険性は東京には全くない」
内閣官房長官菅義偉の大嘘
「福島県の年間被ばく量は年間1ミリシーベルトの100分の1以下です」
<汚染水とオリンピック>
「一体どっちが優先順位が高い事柄なんだろうか?」9/7TBS報道特集(内容書き出し)
「つまり、健康問題については、今までも、現在も、そして将来も! 全く問題はない!!」
9/8IOC総会・安倍総理大臣原発事故発言のすべて文字起こし
猪瀬さんが何度も言っている1000年に一度の津波
歴史的な津波の一覧
(1000年ちょっと後から現在までの津波の部分転記)
多すぎるので続きを読むへ

奈良・平安時代
1026年6月10日(万寿3年5月23日)万寿地震、石見国(島根県益田市)の日本海沖で巨大な地震津波が発生し,沿岸の各村落に襲来して未曾有の被害をもたらしたとの口碑がある。益田川沿いにて同時期の津波堆積物と思われる層を確認。[10]
1096年12月11日(嘉保3年11月24日)永長地震(東海地震) - M 8〜8.5、東大寺の巨鐘が落下、伊勢・駿河で津波による大きな被害。
鎌倉・室町・戦国・織豊時代
1241年5月15日(5月22日)(仁治2年4月3日) 鎌倉で地震 - M 7、津波を伴い由比ヶ浜大鳥居内拝殿流失。
1293年5月20日(正応6年4月13日)鎌倉大地震 - 死者23020人。三浦半島にこの地震のものと見られる津波堆積物あり。
1361年7月26日(正平16年・康安元年6月24日)正平(康安)地震(東南海・南海地震?)M8.0〜8.5、摂津、阿波、土佐で甚大な津波被害。
15世紀頃 - 東北地方太平洋岸に巨大津波の痕跡。1454年の享徳地震が候補とされる[11][12]。
1498年6月30日(明応7年6月11日)日向灘地震 - 死者多数。同日に南海地震と見られる記録が東海地方などに残っており、南海地震と同一の地震とも言われている。
1498年9月11日(明応7年8月25日)明応地震 - 東海道沿岸に大津波。死者3-4万人。
1586年1月18日(天正13年11月29日)天正地震(東海東山道地震、飛騨・美濃・近江地震) - M 7.8〜8.1(それ以上の可能性あり)、死者多数。飛騨・越中などで山崩れ多発、白川郷で民家数百軒が埋まる。内ヶ島氏、帰雲城もろとも滅亡。余震が1年以上続く。三河湾と若狭湾という日本海・太平洋両岸での大津波記録が複数あり、複数の巨大地震の同日発生の可能性がある。
江戸時代
1605年2月3日(慶長9年12月16日)慶長地震 - 東海東、南海道で津波による死者多数。津波地震と推定される。
1611年12月2日(慶長16年10月28日)慶長三陸地震 - 東北の慶長津波(千島海溝沿いを震源とする説あり)、津波地震と推定され、伊達政宗領内で溺死者5,000人[13]。仙台平野で内陸を2km溯上したと見られ、北海道南東部沿岸も大きな被害。最古の「津波」という語句の記載(『駿府記』)。
1614年11月26日 (慶長19年10月25日) 高田領大地震 - M 7.7。越後高田藩では地震と津波により死者多数とする記録もあり、震源は直江津沖とされた。同日に会津、伊豆、紀伊、山城、松山諸国などでも地震の記録があり、M7.7 との推定もある。震源は伊豆とする説もあり、伊豆と小田原で被害大。津波被害甚大で多くの死者発生。千葉県銚子市の飯沼観音の境内まで到達したとの記録がある。池上本門寺五重塔が傾く。
1616年9月9日(元和2年2年7月28日) - 三陸地方(宮城県沖)で強震後に大津波。
1644年10月18日(寛永21年9月18日) 羽後本荘 - 象潟で津波死者117名。本荘城廊大破。
1677年4月13日20時頃(延宝5年3月12日戌刻) - 八戸沖(三陸沖)地震。
1677年11月4日(延宝5年10月9日)延宝房総沖地震 - M8.0程度。津波地震と見られており、主に津波による死者569人。
1703年12月31日(元禄16年11月23日)元禄関東地震 - M8.2程度。津波の高さは8m以上。20mの地点もあり。津波が犬吠埼から下田までを襲い、数千人が犠牲となった。もともと湖であった伊豆大島の波浮港がこの津波で海とつながった[注釈 6]。
1707年10月28日(宝永4年10月4日)宝永地震 - M8.6程度。津波は伊豆半島から九州までの太平洋岸から瀬戸内海にまで及んだ。死亡者20,000人、流失家屋20,000戸。東海・東南海・南海連動型地震と考えられたが、日向灘を加えて4連動地震との見方もある。現在の想定東海地震に当たる部分は、この地震では岩盤崩壊が発生していないという見解もある。49日後に富士山が噴火。[14]
1741年8月29日(寛保元年7月19日) 寛保津波 - 北海道西南沖の大島での火山性地震(M 6.9、Mt 8.4)による大津波。死者2033人。佐渡・能登・若狭にも津波。
1751年5月21日(宝暦元年(1751年)4月26日)高田地震(新潟県の越後・越中地震)。[15]
1762年10月31日(宝暦12年9月15日)佐渡姫崎沖
1763年1月29日16時頃(宝暦12年12月16日申刻)- 八戸沖(三陸沖)地震。
1763年3月11日(宝暦13年1月27日)1月29日の八戸沖地震の余震
1771年4月24日(明和8年3月10日)八重山地震 - 石垣島で死者・不明者12,000人。津波の遡上高は古記録により約85mとされてきたが、疑問を示す学者もいる。津波地震とする説あり。
1793年2月17日(寛政5年1月7日)寛政地震 - 宮城沖に発生した地震で、岩手県中部〜牡鹿半島沿岸に3〜5mの津波[16]。
1802年12月9日(享和2年11月15日)佐渡小木地震、大津波。
1804年7月10日(文化元年6月4日)象潟地震。津波あり。
1833年12月7日(天保4年10月26日)(午後 2時頃、昼八ツ時)(出羽・越後・佐渡地震、庄内沖地震、天保四年羽前沖 地震)。輪島で7.2mの津波[17][18]。
1835年7月20日(天保6年6月25日)14時頃。「天保大津波」。仙台城損壊。
1854年12月23日(嘉永7年11月4日)安政東海地震 - 12月、駿河湾から遠州灘を震源とするM8.4の地震。房総で波高3 - 4m。沼津から伊勢湾が被害甚大、死者2,000 - 3,000人。
1854年12月24日(嘉永7年11月5日)安政南海地震 - 安政東海地震のわずか32時間後、紀伊半島南東沖一帯を震源とし同じくM8.4という地震。紀伊半島から四国、九州のみならず大坂市内にまで壊滅的な被害が出た。『稲むらの火』の背景となった津波。津波高さは串本で15m、死者数千人。時間差はあるものの、東海・東南海・南海連動型地震として扱われることもある。
1856年 8月23日12時頃(安政3年7月23日午刻)安政八戸沖地震 - 直前前震とイワシとマグロの大漁。(『時風録』)
1861年10月21日(文久元年9月18日) 宮城県沖地震 - M 6.4、津波、家屋倒壊、死者あり
明治・大正・昭和・平成時代
1894年(明治27年)3月22日 根室半島沖地震 - M 7.9、死者1人。北海道・東北に津波。
1896年(明治29年)6月15日 明治三陸地震 - 岩手県綾里(現・大船渡市)で津波の遡上高38.2m、死者不明者22,000人。津波地震とされる。
1897年(明治30年)8月5日 三陸沖で地震 - M 7.7、宮城県や岩手県で津波により浸水被害。
1923年(大正12年)9月1日 大正関東地震(関東大震災) - 津波の最大波高は静岡県熱海で12m。数百人が犠牲となる。
1933年(昭和8年)3月3日 昭和三陸地震 - 死者・不明者3,000人。
1940年(昭和15年)8月2日 積丹半島沖地震(神威岬沖地震) - 天塩で死者10人。
1944年(昭和19年)12月7日 昭和東南海地震 - 津波の波高は熊野灘沿岸で8mに達する。
1946年(昭和21年)12月21日 昭和南海地震 - 津波は静岡県から九州まで来襲、最高6m。
1952年(昭和27年)3月4日 十勝沖地震 - 津波により、北海道厚岸郡浜中村(現・浜中町)南部が壊滅する。津波は、厚岸湾が最高で6.5m、青森県八戸市で2mなど。
1964年(昭和39年)6月16日 新潟地震 - 津波規模2m。観測地点によっては4m。
1983年(昭和58年)5月26日 日本海中部地震 - 秋田県を中心に、津波による犠牲者100人(遠足中の小学生13名が死亡)。対岸の韓国でも3名の死者・行方不明者を出した。
1993年(平成5年)7月12日 北海道南西沖地震 - 奥尻島で最大波高16.8m、遡上高が30mに達する。死者・不明198人。大津波警報は地震発生後4〜5分で出されるも間に合わず、奥尻町青苗地区は壊滅。対岸のロシアでも3人の行方不明者を出した。
2011年(平成23年)3月11日 東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)- 岩手県大船渡市の綾里湾で遡上高40.1m、観測できた津波の高さでも9.3m以上(福島県相馬港)と、津波において国内観測史上最大。三陸地方では明治・昭和の津波を教訓に築かれていた防波堤・防潮堤の高さを軒並み上回って決壊し、東北地方から千葉県外房までの太平洋沿岸部を中心に甚大な被害が発生。さらにこの地震の規模が大きかったため、これらの沖で発生した津波は世界各地の太平洋沿岸を襲う遠隔地津波になった。
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- 測りながらそこで生活するのってなんかへんだろ?
コメント
1000年に一度、
1000年に一度、って連呼もヒドイし、
>猪瀬:
我々が今、文部科学省の調査でも、90%以上の国民の支持率が今あるんですね。
…これも全く実感ありません。
これらが例え全て大嘘だろうと、テレビをボーッと見ている人の脳に言葉のイメージを流し込むのには成功しているでしょう。
『もう津波は1000年来ないんだ~、
猪瀬知事もオリンピック招致も東京非汚染も、10人に9人は支持しているんだ~』
愚民の頭には嘘でも流し込めばそう信じ込む、
後で聞かれたらあの発言はこういう意味でした、って訂正をしとけばそれで済む。
嘘でもいいから言っときゃ本当になるんだ…
ってところですかね、猪瀬さん!!
あまり馬鹿にすると怒るよ
1000年に一度、って連呼もヒドイし、
>猪瀬:
我々が今、文部科学省の調査でも、90%以上の国民の支持率が今あるんですね。
…これも全く実感ありません。
これらが例え全て大嘘だろうと、テレビをボーッと見ている人の脳に言葉のイメージを流し込むのには成功しているでしょう。
『もう津波は1000年来ないんだ~、
猪瀬知事もオリンピック招致も東京非汚染も、10人に9人は支持しているんだ~』
愚民の頭には嘘でも流し込めばそう信じ込む、
後で聞かれたらあの発言はこういう意味でした、って訂正をしとけばそれで済む。
嘘でもいいから言っときゃ本当になるんだ…
ってところですかね、猪瀬さん!!
あまり馬鹿にすると怒るよ
| 2013.09.07 15:09 | 編集
福島200万人なんて彼らには死のうと生きようとどうでもいい虫けらだ。私も虫けらとして生きて来た。
しかし、イナゴの大群のごとき飛翔でやつらを叩きのめさなきゃならない。ちくちく刺して。
心で。
しかし、イナゴの大群のごとき飛翔でやつらを叩きのめさなきゃならない。ちくちく刺して。
心で。
ふてぶてしい
名前はまだない | 2013.09.17 19:02 | 編集