なぜ?”早すぎる放射能漏れ” 原発揺るがす「地震で破損」
12/28報道SP(内容書き出し・動画あり)
(2011年放送より一部抜粋)
今月半ば、古館伊知郎は福島県内の仮設住宅を尋ねた。
古舘:はじめまして古館でございます。
ー原発作業員、木下聰さん(64)
3月11日1号機の内部で電気設備工として働いていた。
古舘:
原子炉建屋はものすごい大きさなんですが、想像がつかない位に。
どのあたりにいらっしゃったんですか?
木下聰:
えっとね、天井部分まで開口部があるんです。
下から、1階から4階につり物の作業をしてました
ー激しい揺れに見まわれたのは原子炉建屋の一階にいた時、
炉心からわずか10mほどの距離だった。
木下聰:
最初は近くの壁に, 両手でこう、支えていたんですけれども、
それがもうダメで、四つんばえで、それ位揺れがすごかったです。
建物全体が、こう、なんか、地鳴りみたいなそういう感じで
古舘:地震がおさまるまで建屋内で四つんばえみたいな感じだったんですか?
木下聰:
いや、這いつくばりながら、あの、二重ロックをしている通路があるんですね、二重ロックの。
そこまで行って、仲間が来るまで待っているうちに、
他の設備のものが落っこちたりしたもんで
古舘:
どういう物が、その、設備が落ちるって、
木下聰:
天井に、いろいろね、ケーブルとか、そういうものを通す配管とか、いろんなものがあるんですよね。
そういうものが天井からやっぱりドサッ!っとやっぱり、
もう、埃でもう、本当に全然見えなかったですよ、落こった後。
それで、落ちているのを気にしている暇もなにもないしね。
ー4階の使用済み燃料を保管するプールでも異変が起きていた
同僚が目撃していたという。
木下聰:
なんかね、プールの水だと思うんだけど、
「水があふれてきた」とは言ってた。
古舘:
燃料プールの?
木下聰:
そうです。
あれも、横に揺れるとやっぱりバケツ揺らすのと同じで、出ますんでね。
ー40年に渡り、原発で働いてきた木下さん、目にしたのはかつてない惨状だった。
この時インタビューに応じていた木下さんが亡くなっていたという記事がありました。
地震で配管落下 続く場当たり体質 福島第1元作業員の「遺言」
神戸新聞 2013/9/11 07:10

「俺は俺でじたばたして生きてみせる」と語っていた故木下聡さん=5月23日、福島県郡山市の自宅で
東日本大震災から11日で2年半。
節目の日を前に、福島第1原発事故発生時に1号機で働いていた一人の男性作業員が亡くなった。
全身に転移したがんと、石綿(アスベスト)が原因とみられる肺線維症(じん肺)に侵されていた。
男性は5月下旬、神戸新聞の取材に応じていた。
事故後の東京電力の対応を批判し、
「このまま日本各地で原発を再稼働すれば『安全神話』が復活するだけだ」と危機感をあらわにした。
福島県郡山市で暮らしていた木下聡さん。
原発の電気設備を専門にする技術者で、
東電の3次下請けに当たる同県大熊町の会社に40年間勤め、昨秋に退社した。
その直後、肺線維症と診断され、肺がんも判明。8月5日、65歳で亡くなった。
男性は、原発事故の原因となった全電源喪失について、東電が地震の揺れとの関連を否定することに憤った。
「地震発生時、老朽化が進んでいた無数の配管やトレーが天井からばさばさと落ちてきた。
下敷きにならなかったのは奇跡。あれだけの破壊で『無事』なんてあり得ない」
最近も、同原発では汚染水漏れやネズミの侵入による停電などが相次ぐ。
場当たり的な体質は変わらない。
「素人工事の結果だ。
熟練作業員が線量オーバーで現場に入れなくなっており、同様の原発事故は今後も起きるだろう」
と強調した。
「簡単には死ねない。話せるうちに体験を伝えたい」と話していた男性。
この時の取材が「遺言」となった。
(木村信行)
東電のずさん体制糾弾 「現場体験、伝えなくては」
神戸新聞 2013/9/11 08:00
福島第1原発事故が起きたとき、1号機にいた元作業員の木下聡さん(65)が亡くなった。
「余命8カ月」と宣告されていた。
「地震の影響と向き合わない東京電力は、何も変わっていない。私の経験をもっと伝えなくては」。
そう語っていたが、帰らぬ人になった。
地震直後、1号機の冷却装置「非常用復水器」は作動せず、メルトダウンの主因の一つとされる。
木下さんは「現場にいた私たちに明確な指示があれば動かせた」と指摘。
東電などの調査で、当直の社員が使い方を知らなかったことが判明しており
「情けない。結局、すべてがメーカー任せだった」と憤った。
稼働40年になる1号機の老朽化にも言及した。
「重要器具は定期検査で交換するが、周辺の装置はそのまま。
どんどん配管を増やし、防火剤を塗りつけるから、設備の重量は設計基準を大幅に超えていた」
「建屋のコンクリートはずぶずぶでドライバーを当てると白い粉になった。
鉄筋をモルタルで塗り固めるときも竹の棒で突っつくだけ。施工はひどいものだった」
福島第1原発の全電源喪失と地震の関係について、
事故後に設置された政府、東京電力の両事故調査委員会は「無関係」と否定する。
しかし、木下さんは「内部はすさまじい破壊ぶりだった」と証言した。
「解析が必要」と結論づけた民間事故調で委員長を務めた北沢宏一・前科学技術振興機構理事長は
「地震の影響があり得るという前提で調査を継続しないと、国民の信頼は得られない」と指摘する。
木下さんは原発事故の1カ月後、避難先の青森県から呼び戻され、
1~4号機の電源車のケーブル敷設作業に従事した。
木下さんの積算被ばく線量は40年間で96ミリシーベルト。
このうち38ミリシーベルトは事故後の復旧作業で被ばくしていた。
がんとの因果関係について
「私はたばこを吸うし、100ミリシーベルト以下なら問題はない」と否定。
肺線維症は、電気配線に粉末状のタルクを塗る作業でアスベストを吸引したのではないかと疑っていた。
ただ、木下さんを支援していた福島県の労働関係者は
「実際は長年、被ばく線量を低くごまかすため若い作業員の線量計を借りて現場に入った、と本人は言っていた。
放射能と発がんの関係は否定できないのではないか」と話す。
(木村信行)
〈原発作業員の放射線被ばく〉
労働安全衛生法の規則は、
被ばく線量の上限を通常時で1年間50ミリシーベルト、5年間で100ミリシーベルト、
緊急時の作業では100ミリシーベルトと規定。
労災認定基準は白血病が1年当たり5ミリシーベルト、胃がんは積算で100ミリシーベルトなど。
肺がんの認定例はない。
福島第一元作業員の「遺言」詳報 東電、信用できない
神戸新聞 2013/9/13 16:13
福島第一原発事故が起きたとき、1号機内部にいて、
今年8月にがんで亡くなった元作業員の木下聡さん(65)の証言は次の通り。
‐事故当時の様子は
あの日は午後から、1号機で定期検査のための足場を組む作業をしていた。
1階には私と同僚の2人。4階に元請けと協力会社の4、5人がいた。
最初の揺れはそれほどでもなかった。
だが2回目はすごかった。
床にはいつくばった。
配管は昔のアンカーボルトを使っているから、揺すられると隙間ができる。
ああ、危ないと思ったら案の定、無数の配管やケーブルのトレーが天井からばさばさ落ちてきた。
落ちてくるなんてもんじゃない。
当たらなかったのが不思議。
4階にいた人たちは水が大量にゴーと襲ってきたと言っていた。
それが使用済み燃料プールからなのか、非常用復水器が壊れたからなのか、そのときは分からなかった。
皆で集合して、1号機から脱出した。
地震が起きてどれぐらいだったかな。必死だったからはっきりしないけど、10分ぐらいじゃないかな。
途中の様子も恐ろしかった。
タンクはぼこぼこ倒れてるし、潮が引いていて、これは津波が来ると思った。
沖のテトラポットがむきだしになっていた。
敷地内にある元請けの事務所に戻り、装備品を返して、まとまった班から解散になった。
正門を出た。
いつもなら浜側の道を通るが、陥没していたから、山側の道を行った。
あのまま浜の道を通っていたら、津波にやられとった。
東電は「全電源喪失と地震の揺れは無関係」と言っているが、そんなのあり得ない。
謙虚に検証する姿勢がないと、安全神話が復活する。
そもそも、運転開始から40年になる1号機の老朽化はすごかった。
重要器具は定期検査で交換するが、周辺の装置はそのままだ。
追加、追加でどんどん配管を増やし、耐火構造にするために防火剤を塗りつけるから、重量は半端じゃなかった。
設計基準を大幅に超えていたはずだ。
建屋のコンクリートも相当劣化していた。
インパクトドライバーを当てると分かる。ずぶずぶと刺さって、粉は真っ白。
鉄筋をモルタルで塗り固めるときもクレーンで流し込むだけ。
本来はバイブレーターを使うが、竹の棒で突っつくだけ。
施工はひどいものだった。だから水素爆発で粉々に吹き飛んだ。
‐東電への思いは
ずっと世話になったが、今は言っていることの半分も信用できない。
事故後の対応については新聞をずっと切り抜いている。
「4号機の建屋、問題なし」という記事があるが、そんなのうそっぱちだ。
あれだけ揺れて「問題なし」だなんて。
事故後の対応は全てメーカー任せだった。
正常に作動していればメルトダウンを防げた可能性がある非常用復水器(緊急時に原子炉の蒸気で冷却)も、
当直の社員は使い方を知らなかったって言うんだから。
当直の人は、中央制御室の操作はできても、せっかくの冷却装置を使えない。
訓練もしていなかったって言うんだから、恐ろしい話だ。
現場にいた私らに明確な指示があれば、対応できたはずなのに。
3月には仮設の配電盤にネズミが入って停電する事故があった。
侵入を防ぐ初歩的な施工ができていない。
熟練した作業員が線量オーバーで入れなくなっているから。
今後も事故は起きるだろう。
人生のほとんどを原発に捧げてきたのに、情けない。
のんびり暮らそうとした途端、病気が分かった。
体力は元気なときの10分の1になって、ペンも持てなくなった。
だけど、簡単には死ねない。
納得できない。
俺は俺で、じたばたして生きてみせる。
(聞き手・木村信行)
12年末・この国を選ぶ:衆院選、あす投開票
「脱原発」きれいごと 作業員40年、肺がん判明
毎日新聞 2012年12月15日 06時10分
◇立地地域の雇用議論して
あす投開票される衆院選を、福島県会津若松市で避難生活を送る木下聡さん(65)は厳しく見守っている。
「政治家が脱原発って言うのは、票集めのためとしか思えねえ」。
原発作業員として約40年間勤務。福島第1原発事故で自宅のある大熊町から避難し、
今年になって肺にがんが見つかった。
原発の怖さを思い知ったが、選挙で原発の議論が深まっているとは思えない。
「いま議論しなくて、いつするんだ」【町田徳丈、写真も】
雪がこんもりと積もる会津若松市内の仮設住宅。
避難生活は1年9カ月過ぎたのに、自宅に戻れる見通しはない。
近くにいた4人の孫は首都圏に避難した。
「きれいごとばかり言って、選挙は国会議員の就活だな」。木下さんの語気が強まった。
青森県の稲作農家の次男。静岡県内で機械工などをしていた。
20代半ばのころ、石油ショックで仕事が減り、
職場の先輩に誘われて浜岡原発(御前崎市)の建設に携わった。高い給料が魅力だった。
原子炉増設が決まっていた福島第1原発で働くため大熊町に転居。
建設が終わると各地の原発で働いた。
退職まで1年という時、東日本大震災が起きた。
宿舎で寝泊まりしながら福島第1原発の復旧工事に従事。電気ケーブルの敷設などをした。
しかし昨秋、年間被ばく線量が上限に近づき、
福井県の敦賀原発や新潟県の柏崎刈羽原発で放射線の影響を受けない作業をした。
今春の定年は青森県六ケ所村の核燃料再処理工場で迎えた。
退職後はのんびり過ごすはずだった。
だが3年ほど前に肺線維症と診断され、定期的に受けていた検査で肺がんの疑いがあると言われた。
「あちこちで原発を造ったから、事故が起きて罪悪感みたいなものもある。最後はこのざまだ」。
手術で肺を一部切除したが、がんはリンパに及んでいた。
作業との因果関係は分からないが「バチが当たったかな」。
初めて大熊町に来たころ、地元では原発建設への反対運動が盛んだった。
選挙の時、元請けの社員に「あの人は反対の人ですよ」と言われ
「賛成派が負けると仕事がなくなる」と思い、反対派を避けて票を投じた。
「原発でメシを食って、2人の娘を育てられた。急に『おめえが悪い』とは言えないな」。
そう思う一方で、こうも感じている。
「人の手に負えなくなる原発は、将来はやめなくちゃいけない」
原発事故後、初の本格的な国政選挙となる衆院選。
多くの政党が脱原発を掲げるが、木下さんは納得できない。「原発に頼ってきた地域の雇用はどうすんのか。
どうやったら原発がなくても生活できんのか。
『今後検討する』という政治家が多いけど、いま議論しなくて、いつするんだ」
雪に覆われた田んぼを愛犬と歩く。
妻(65)の前では気丈にふるまうが、病状は楽観できない。
自分がいなくなったら、妻はどうなるのか。「田んぼなら大声で泣いても、誰にも聞こえねえから」
声を絞り出し、肩を震わせた。
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