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さようなら原発1000万人アクション 
2013年10月13日
No Nukes Day 原発ゼロ☆統一行動
-福島を忘れるな・再稼働を許すな-




大江健三郎さん

大江健三郎です。
私は今小説を書いていますが、
日本が広島で受けた原爆について日本の文学の人間は非常にいい仕事をずっと続けてきました。
そしてそれも長年にわたって、自分自身が被爆に由来するものに苦しみながら生き続けてこられた
そして自分の人格を作ってこられた方なんですね。
今の日本文学に代表するように、これが日本の文学だという一番すぐれた作品を、
ややもすると、そういう仕事をしている方がいらっしゃいます。
それは林京子っていう方です。

そしてこの林京子さんがですね、被爆した肥田舜太郎先生とお親しい。
そしてですね、ずっと日本政府はアメリカの政府もそうですが、内部被ばくという物を認めなかった。
ところが内部被ばくというものがあって、
それに「子どもたちも含めて広島の人達が今も苦しんでいるんだ」という事を彼らが認めた。
その時「あ、肥田先生が言っておられたことが今、日本政府がそれを認めざるを得ないんだ」という事を知って、
自分は怒りと悲しみとそしてやっと認められたという思いで涙を流した
という非常に美しいシーンを書いていらっしゃいますが、
その林さんを根本的に励ましてこられた方が肥田先生です。
そして今その肥田先生のお話を改めて
この「福島以後の問題」という事を真面目にお考えになる人達とご一緒に伺う事が出来まして、
私はそういう時代の人間として生きることが恵まれているとして、
ありがたい機会を与えていただいたと思います。

ところが私からも原発ゼロ統一行動でお話しするというふうなことだと、
やはりこれは場違いなんじゃないかとお感じになられる方が、私はいられると思うんです。
そういう事を混ぜながらお話ししているんですが、

私はまず福島、この3.11から2年以上ずっと考えていたことは、
この福島の問題は原発の大事故、
そしてそれがもたらした日本中に非常に広い自然と人間への汚染、
放射能汚染ということは本当に根本的な問題であると
将来の私どもにとって何が一番重要かというと、この問題だというふうに考える事をしてきました。

すなわち、福島、3.11後、本質的に考えたいという事を願ってきました。
多分にそれがあります。
そしてもうひとつは実際に市民の方達が、
私たちがこの反原発の集会、運動というものに非常に熱心に働いている
共感的に働いていられるという、今現実があります。
私はこの現実は非常に重要だと思う。

自分としては本質的な問題だと小説家、文学の人間なので考えますが、
それを超えて現実の問題としてこれを進められている方の話を聞きたい、
どうしてもやりたいという気持ちをずっと持っていました。
その点について一つ滑稽な話があるんですが、私にとっては滑稽なんですが、

この前のこの大きい反原発のデモ行進がありまして、私はそれに、
首都圏反原発連合が主催されてそして原発を無くす全国連絡会と一緒に
共催しているさよなら原発1000万人アクションというところに小さく関係している人間なんですが、
そのさよなら原発1000万人アクションという動きでのデモと集会等をいたしました。
そこで私は、ずっとその集会とデモに出ていたんですが、
この前の集会のときに、デモを2時間ほどやりまして、この日比谷公園で流れ解散というような。
そして私はそこまで歩いてきまして、そして周りに人がいないようなところを探してウロウロしているうちに
長椅子があったものですからそこに座ってしまった。
そうしましたら私は眠ってしまった。

そうしましたらね、周りの方が、「あの老人はあそこに座ってもう1時間も眠っている」
という事を発見された方がいるんですね。
そして警察の方に届けられたみたいで。
そして私が眠っていますと肩を叩いて起こして下さった警察官の方がおられて、
「おじいさん」って言われたんです。
「おじいさん、どうしてここで寝てるの?」
「あなたはここへどうやって来たの?」
それで私は「歩いてきました」
そうすると、「歩いてきた。これからどこへ行くの?」
私は、実は首都圏反原発連合が首相官邸で集まって集会をしている。
私はそれを見たいと思ってそれに見物の人間としてでもいい、参加したいと考えている。
それでここへ来たんです。これから首相官邸に行きます。

そうしましたらね、その警察官が態度を改めまして、
「これは危険だ」というんです。
そしてこれからどんなふうに行くんだ?と聞かれた。
ここから首相官邸のデモに加わろうと思っているんですと言って立ち上がった。
その人たちの後について歩いていきます。

「あなたはここまで歩いて1時間寝た。だからもう帰りなさい。生きていれば明日というものがある」

明日というものが無くなる可能性があるから私はここにいるんですが、
そのために行こうとしているんですが、と言おう思いましたが、
そのお巡りさんがあまりに熱心なので彼に地下鉄まで送ってもらいました。

その時に思った事ですが、
私は非常に根本的な問題が、今本質的なな問題としてこの福島の問題。
それをあの2年以上前の3.11に非常に多くの日本人がこれが本質的な問題だと、
日本人がこれから生きていく上で一番根本的な問題なんだという事を、
私は自覚したと思うんです。

あの日以後、私はずっとテレビの前に座っておりましたが、そして考えたんです。
ノートを取ったりしておりましたが、
その時にいろんな人たちが、住民が話されます。
それから官僚すらも、あるいは政治家すらも、彼等たちが言ったことは、
「この3.11というものを忘れないようにしよう」と。

「原発を全廃にしよう」という事が日本人全体の根本的な態度であるというミッションが
私は、あの1カ月後、2カ月後、3カ月後ぐらいまでは続いていた。
ところがいまは、政治家も官僚はもちろん東電の人も含めて、
原発を全廃しようという事を正面に押し出している人たちがどんどん少なくなってきた。
そういう事を言う人達も本気でそれを考えているんではないんじゃないか。

私たちが2年半前に決意したことを、あの一番根本的な私たちの決意というものを
そういう時に私はこういう原発の統一行動に集まってくださる皆さん方と現実の問題として考える。
広島の問題と確実に結びつけて内部被ばくと言う事を日本で初めて言われた肥田先生と共に話をする、
そしてそれを根本的な問題として考え、しかも具体的な問題としてこういう行動をして、いられるという事が
私たちの希望なんだと言うふうに考えています。

「根本的に」という問題ですが、小説家としてよくこの集会に来まして
本質的な問題ということがあったと。
それをフランス人が一番大切だと考えている言葉として、…という言葉があると、
エッセンシャルですね、英語で言えば。
それを使ってフランス人がこういう事を言っているという事を何度か言いました。
そうしますと、エッセンシャルという事、本質的ですとあなたは言うけれども、
そしてそれを言った文学者の言葉を私たちに紹介しようとするんだけれども、
しかし本質的というよりは現実の問題じゃないか。
今起こっている問題で、それとたとえばこのNo Nukes Day という集会を作られて
それに私たちが参加しなくても
そういう現実として考えていられるんじゃないかという投書を何度か頂きました。
私はその通りだと思います。
しかし本質的な問題であり、しかもいま現実の問題であり、
それが本当に現在生きているわれわれの生きている命、将来生きている人々、子どもたちですね、
生きていく可能性を与える。
そういう場所を可能にするという、一番根本的なしかも具体的な問題として意味があるんではないか。
そういう事は本質的であり、しかもいま目の前にある現実の問題なんだと。

そして私たちは今現実の問題として捉えると同時に、
それが本質的な問題だという事を肝に銘じてですね、絶対に譲ることはできない。
それをいま、この半年の間で譲ってしまうと、
私は日本の原発の再稼働の勢いというものを押し返すことができなくなると思う
これからの6ヶ月ぐらいの間に、原発の再稼働というものを確実に押し返し続ける。
そしてそういう事を言う事が出来ない。
それを具体的に言えない。
今日の問題として言えない。
明日の問題として言えない。
それが本質的な問題としてですね、日本人の将来、日本、世界の将来という事を考えたうえで、
どうしても譲ることのできない問題なんだと。
この二つは一緒の問題なんだという事を思っているわけであります。

私はこの会が終わって、この後原発ゼロ統一行動のデモがあるという事を聞いて、もちろんいまして、
家を出る時に妻に「デモにも行ってくる」と言ったら
「あなたは経験上で学ばない人だ」と、
ひとり皆さんのデモの成功という事を祈りながら、
その本質的な事を根本的な事を家で一人考えることになるとおもうんですが、

もう一度、何故本質的な事を私が何度も言ったかといいますと、
ミラン・クンデラというチェコの有名な作家がいまして、
今はフランスに亡命しているのでフランス語で書いていますが、
そのミラン・クンデラが、まだ福島の前ですよ。
福島の3.11が始まる前にですね、彼はこう言っているんです。
それは

自分たちにとって明日の世界を明日の環境を子どもたちが生きて、
そこで生きていくことができる。そういう事としてずっと伝えてきた。
今現在ですね、我々は明日の時代というものが明日の世代というものが、
人間にとって次の世代にとって生きていき得ない場所になってしまう、
そこのところが人間の生活というものがあり得ない場所になってしまう様な事を始めてしまったんだ。
それが原子力によって、核の放散によって人間が、環境が、地球が汚染されるという事なんだと、
それは一番してはいけないことだ。
人間が本質的にやってはいけない一番根本的なことだ。
ということをミラン・クンデラは言っているんです。

そしてその問題をいま私たちは自分たちの環境が自然が生きていく事、
そこで生きていけるかということを、生き難いような場所を作ってしまった。
それを30年40年続いていくというような状態が、
日本中に多くの人々が避難しておられる。
しかもですね、あの大きい事故を起こした放射能の燃料は、あの福島の地面に潜ったまま
それがどういう状態にあるかという事すら分かっていない。

今私たちが感じていることは、肥田先生がおっしゃった通りです。
私たちはこういう危機にいる。
私たちは広島を経験した。
その後50数個の原発をつくった。
そしてこういう大きい事故を起こしてしまった。
そして今どうするか?
それは広島から現在を伝え歩いてですね、
私たちは本当に本質的に将来の子どもたちが生きていける社会、世界というものをつくらなければならない。
それを取り返す、それを達成する事を一生懸命つとめ
出始めているものを押し戻すという事が今必要なんだと肥田先生が言われた。

わたしも本質的な問題として、かつ具体的な問題として、そのことを考えている。
そういう人間として、みなさんの活動の端に加えていただいて今お話をさせていただきました。
それをありがたく思います。
皆さんのご健闘を祈ります。









さようなら原発1000万人アクション 2013年10月13日
No Nukes Day 原発ゼロ☆統一行動-福島を忘れるな・再稼働を許すな-
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「生きている間に今の原発の火を全部止めて死ぬ。
これが今生きている日本人のみなさんの責任である」
10/13肥田舜太郎医師(文字起こし)


「高汚染地帯の無駄な除染と帰還をやめ、
汚染物は原発周辺において汚染者負担のもと処理を行うよう強く求めます」
10/13和田央子さん(文字起こし)


「私たちは本当に本質的に
将来の子どもたちが生きていける社会、世界というものをつくらなければならない」
10/13大江健三郎さん(文字起こし)


「いまちょうど私たちは歴史的な瞬間に立ち会っていると思います。
どういう瞬間か?と言いますと、原発をゼロにするという瞬間です」
10/13鎌田慧さん(文字起こし)




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