原発事故による栃木県内への避難者・栃木県北の乳幼児保護者アンケート報告
―こども・被災者支援法の行方― より

大山香さん
郡山市出身。「とちぎ暮らし応援会」の訪問支援員、「栃木避難者母の会」代表。宇都宮市在住。
(音声)
2013年12月15日
宇都宮市 宇都宮大学峰キャンパス大学会館2階 多目的ホール
わたしは「栃木避難者母の会」の大山と申しますが、
はじめは去年の6月から訪問支援という事で被災者のお宅をまわらせていただきまして
いろいろな避難者の声を聞かせていただきました。
私は富岡町出身となっていたんですけれども、福島市の方から自主避難で来ております。
ですので、双葉郡の方で起こした今回の事故の問題と
自主避難の問題という部分では身近な問題で考えられるというポジションにおります。
そこで、訪問支援だけですと、どうしてもその時だけのこと、
また横同士の連帯と言いますか、そういったことも必要性を感じておりまして、
「母の会」っていうのを今年に立ち上げた次第です。
問題状況という事で先程いろいろなアンケートの報告があったんですけれども、
私自身が率直に感じて印象に残ったところが
那須塩原の方の「観光業務に従事しているので仕事が大変になりますのであまり騒がないで欲しい」と。
だけれどもその方自身は「不安が消えることがない」って。
ここの部分が私はちょっと心に残りました。
この放射能の問題というのはものすごく難しくって、
私もそうだったんですけれども、福島から自主避難するっていう事は、
あの・・・町とか行政の方が「騒がないように」と言いますか、「問題ない」というようなバイアスが、
バイアスと言いますか雰囲気でしたので、
でも自分でいろいろとネットとかを自分で見ますと、「ちょっと待てよ」っていう感じになって、
実際に、「自主避難」っていう選択はものすごく本当に大きな決断が必要なわけでして、
だけれども、「命に、やはり関係する部分なので、大騒ぎせずにはいられない」っていう部分もありますし、
知らない人には知りたいっていう、素朴な、私も母親ですので人の子ですし思いもありますので、
ま、こういう部分もすごく難しいんではないかなと思いまして。
それで私もいろいろな避難者の方のお話を伺いますと、
今回のこの問題というのは、もともと原発事故で起きた問題ではあるんですけれども、
実はこの避難の問題。
もしかしたら今回の被災者支援法とは軸がちょっとそれてしまうかもしれないんですが、
とてつもない大きな問題だと思っているんですね、私は。
それはいろいろな方のお話を聞かせていただくと、
本当に、同苦…同じ苦しみですね、
同じ気持ちを分かち合う、共有する、共感するだけではやはり解決してあげられない問題がありまして、
そこで本当にそういう方の気持ちに、本当になにか力になれないかって思うと。
本当にいろいろな事を私も、
なんで今まで立地地域のそばに住んでいて、本当に原発が近くにあってなんにも考えないできて、
そういったところからいろいろ私なりに深く悩みいろいろな問題を探るように。
もう今まではなんかどこか、政治も任せていた部分ですか、なにか信じていた部分といいますか、
そういった部分があったんですけれど、
なんかそういうものが、ちょっと崩壊してしまったっていいますか。
それでとても自分で本を読んだりしていると、やはりまぁ、
私も、この前学者の方とか専門家の方が言っていたのは、
「科学の失敗」ということもおっしゃっていまして、
あと「政治の失敗」だとか、「マスコミの失敗」だとかいろいろあると思うんですが、
いろいろな問題が、実は考えていると含まれているような感じがします。
それで私が苦しめられたのは、要するに「自分の本当の気持ちが言えない」というところで一番苦しみました。
「放射能が怖い」という事は当たり前の事なんですけれども、
「こういう事がやはり世間に向かって言えない」というところで、
もう本当に誤解されるかもしれないけれども、
「幼稚園でお世話になった近所の人達とか周りの人達を置いて自分しか逃げられない」っていうのが、
これがものすごく。
「どう思われるか」っていうこともそうだったんですけれども、
あの・・・、
なんか私だけが、・・・なんかおかしいのかな?って、私だけが変なのかな?っていう感じで避難してきて、
本当に孤立、孤独感でいっぱいでした。
それで、あの・・・はじめて訪問支援をさせてもらった時には、
強制避難の人の気持ちに寄り添うように、
自主避難の形、自主避難の方には、もう、もうとても私の心は見せられない。
なんていうんですか、自分の気持ちを隠して訪問支援をしていたというのが現実でした。
ところが避難者の声を聞くと、みーんな一緒なんですね。
「みーんな一緒」っていう事を感じた、気付いたんです。
で、「あ、本当に一緒なんだ、深い心の部分で一緒なんだ」と思った時に…何かものすごく、
こういうふうに一緒なんだ。って、
心の底から話していいんだ。
認めてもらえるんだ。
共有してもらえるんだ。っていう、
本当のことを言う場のありがたさ、
聞いてくれる人がいるありがたさ、
それに支えられたこの1年だったように思います。
―こども・被災者支援法の行方― より

大山香さん
郡山市出身。「とちぎ暮らし応援会」の訪問支援員、「栃木避難者母の会」代表。宇都宮市在住。
(音声)
2013年12月15日
宇都宮市 宇都宮大学峰キャンパス大学会館2階 多目的ホール
わたしは「栃木避難者母の会」の大山と申しますが、
はじめは去年の6月から訪問支援という事で被災者のお宅をまわらせていただきまして
いろいろな避難者の声を聞かせていただきました。
私は富岡町出身となっていたんですけれども、福島市の方から自主避難で来ております。
ですので、双葉郡の方で起こした今回の事故の問題と
自主避難の問題という部分では身近な問題で考えられるというポジションにおります。
そこで、訪問支援だけですと、どうしてもその時だけのこと、
また横同士の連帯と言いますか、そういったことも必要性を感じておりまして、
「母の会」っていうのを今年に立ち上げた次第です。
問題状況という事で先程いろいろなアンケートの報告があったんですけれども、
私自身が率直に感じて印象に残ったところが
那須塩原の方の「観光業務に従事しているので仕事が大変になりますのであまり騒がないで欲しい」と。
だけれどもその方自身は「不安が消えることがない」って。
ここの部分が私はちょっと心に残りました。
この放射能の問題というのはものすごく難しくって、
私もそうだったんですけれども、福島から自主避難するっていう事は、
あの・・・町とか行政の方が「騒がないように」と言いますか、「問題ない」というようなバイアスが、
バイアスと言いますか雰囲気でしたので、
でも自分でいろいろとネットとかを自分で見ますと、「ちょっと待てよ」っていう感じになって、
実際に、「自主避難」っていう選択はものすごく本当に大きな決断が必要なわけでして、
だけれども、「命に、やはり関係する部分なので、大騒ぎせずにはいられない」っていう部分もありますし、
知らない人には知りたいっていう、素朴な、私も母親ですので人の子ですし思いもありますので、
ま、こういう部分もすごく難しいんではないかなと思いまして。
それで私もいろいろな避難者の方のお話を伺いますと、
今回のこの問題というのは、もともと原発事故で起きた問題ではあるんですけれども、
実はこの避難の問題。
もしかしたら今回の被災者支援法とは軸がちょっとそれてしまうかもしれないんですが、
とてつもない大きな問題だと思っているんですね、私は。
それはいろいろな方のお話を聞かせていただくと、
本当に、同苦…同じ苦しみですね、
同じ気持ちを分かち合う、共有する、共感するだけではやはり解決してあげられない問題がありまして、
そこで本当にそういう方の気持ちに、本当になにか力になれないかって思うと。
本当にいろいろな事を私も、
なんで今まで立地地域のそばに住んでいて、本当に原発が近くにあってなんにも考えないできて、
そういったところからいろいろ私なりに深く悩みいろいろな問題を探るように。
もう今まではなんかどこか、政治も任せていた部分ですか、なにか信じていた部分といいますか、
そういった部分があったんですけれど、
なんかそういうものが、ちょっと崩壊してしまったっていいますか。
それでとても自分で本を読んだりしていると、やはりまぁ、
私も、この前学者の方とか専門家の方が言っていたのは、
「科学の失敗」ということもおっしゃっていまして、
あと「政治の失敗」だとか、「マスコミの失敗」だとかいろいろあると思うんですが、
いろいろな問題が、実は考えていると含まれているような感じがします。
それで私が苦しめられたのは、要するに「自分の本当の気持ちが言えない」というところで一番苦しみました。
「放射能が怖い」という事は当たり前の事なんですけれども、
「こういう事がやはり世間に向かって言えない」というところで、
もう本当に誤解されるかもしれないけれども、
「幼稚園でお世話になった近所の人達とか周りの人達を置いて自分しか逃げられない」っていうのが、
これがものすごく。
「どう思われるか」っていうこともそうだったんですけれども、
あの・・・、
なんか私だけが、・・・なんかおかしいのかな?って、私だけが変なのかな?っていう感じで避難してきて、
本当に孤立、孤独感でいっぱいでした。
それで、あの・・・はじめて訪問支援をさせてもらった時には、
強制避難の人の気持ちに寄り添うように、
自主避難の形、自主避難の方には、もう、もうとても私の心は見せられない。
なんていうんですか、自分の気持ちを隠して訪問支援をしていたというのが現実でした。
ところが避難者の声を聞くと、みーんな一緒なんですね。
「みーんな一緒」っていう事を感じた、気付いたんです。
で、「あ、本当に一緒なんだ、深い心の部分で一緒なんだ」と思った時に…何かものすごく、
こういうふうに一緒なんだ。って、
心の底から話していいんだ。
認めてもらえるんだ。
共有してもらえるんだ。っていう、
本当のことを言う場のありがたさ、
聞いてくれる人がいるありがたさ、
それに支えられたこの1年だったように思います。
2013年12月15日
原発事故による栃木県内への避難者・栃木県北の乳幼児保護者アンケート報告
文字起こしブログ
原発事故による栃木県内への避難者アンケート報告 12/15宇都宮大学(動画・内容書き出し)
<アンケート実施の背景と目的>
「低認知被災地」栃木県北地域における子育て世帯の不安12/15宇都宮大学清水准教授
(内容書き出し)
栃木県那須塩原市&那須町乳幼児保護者アンケート結果報告
「震災・原発事故後の生活の変化と原発事故当時と現在の行動」12/25宇都宮大学清水准教授(内容書き出し)
<みんな一緒>
「放射能が怖い」と当り前なことが言えない.孤独感でいっぱいでした。
12/15宇都宮(音声・文字起こし)
<差別と分断>
原発事故放射能に対する対策というのは全て差別で成り立っています。
12/15森田省一さん(音声・文字起こし)
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コメント
この冬、ちょっとした講座に出席し、初対面の隣の人と話をするセッションが有りました。
「最近興味を持っている事」のテーマで1分くらい話すのです。
相手の人は、ヨガを始めたはなしでした。
私は「原発事故のことに関心が有って・・・、」と言ったら、もの凄く質問されました。
本当はみんな、知りたいし、聞きたいし、話したいのかな、と思いました。
私は空気を読みませんが、色々気にする人では、隣に座っただけの全然知らない人だったから、原発に関する話題、かえってしゃべりやすかったのかもしれません。
風化させない気持ちで、これからも、原発事故の話題を出し続けようと思います。
「最近興味を持っている事」のテーマで1分くらい話すのです。
相手の人は、ヨガを始めたはなしでした。
私は「原発事故のことに関心が有って・・・、」と言ったら、もの凄く質問されました。
本当はみんな、知りたいし、聞きたいし、話したいのかな、と思いました。
私は空気を読みませんが、色々気にする人では、隣に座っただけの全然知らない人だったから、原発に関する話題、かえってしゃべりやすかったのかもしれません。
風化させない気持ちで、これからも、原発事故の話題を出し続けようと思います。
ナウ | 2013.12.25 21:09 | 編集