今だから話せる参院選の戦略
~三宅洋平はなぜ17万票も取れたのか~斉藤まさし氏
選挙で日本を変えたい市民の会・千葉 2013年8月28日
自己紹介

斉藤まさし氏:
あのー、怪しい人間です。
ネット上では「極左過激派」ということにされています。
2年ほど前の夏の国会では、私は証人喚問まで要求されました、予算委員会で。
でもあの真相を言いますとね、
証人喚問、国会ですよ、全国中継ですよ、NHKの生中継で、
「証人喚問を要求しまーす」って言われたんです。
僕はあんまり頭にきたもんだから、すぐ、
当時は民主党が与党じゃないですか。
だから予算委員会も民主党が多数で、理事も、ま、民主党が決められる訳ですよ。
僕はすぐに連絡したんです、民主党の理事に
「呼べ」
「呼んでくれ」と。
「俺にも発言の機会を与えろ」と言ったんですけど、ヒドイ話で
テレビの前で「はーい、証人喚問要求します」で終わってテレビ中継が終わったのに、
あれをどうするか?を本当はその後理事会というところにかけて、
これをどうするか?呼ぶか呼ばないか?みたいな議論をしなきゃいけないはずなのに、
理事会にもかけてない。
つまり呼ぶ気なんかさらさらないわけ。
ま、当然ですよね。僕に反論の機会を与えるだけだから。
だけどイメージはつくられてしまう訳じゃないですか。
あれだけいろんな委員会でやって最後に、ね、証人喚問なんてそう簡単に出てくる話じゃないじゃないですか。
僕の知る限りそんなに無いでしょ、証人喚問、国会で。「俺も随分大物にされたな」と思ったんですけど、
それが真相でして、
ようはテレビの生中継で印象付けるんですね。
「こういう人間だ」と。
こちらには一切、
もちろん僕は太郎君以上にテレビに出られない人間なので、
発言の場がないから、一方的にイメージをつくるわけです。
あたかも北朝鮮のスパイであるかのように、
極左過激派、テロリストのなんとか・・・。
そういうものを、ま、イメージ付けるわけですよね。
一番ひどかったのは、僕は田英夫の娘婿ということにされていた、国会で。
それはなんで田英夫の娘婿にしようとしたかというと、
田英夫という政治家をみなさんご存知ですか?
もう亡くなられましたけれども、本当に民衆のために身体を張って頑張ってくれた人で、
僕は大好きで仲が良かったんです。
でも、それは全くのデマなんだけど、
何のためにそれをデマと知りながら何度も何度も国会でやるか?というと、
昔、田英夫さんが韓国の政治犯の釈放要求の署名運動をやってたということがあったんですね。
で、その中の一人が、後に北のスパイだという事が分かったということがあって、
つまりそれの北のスパイと僕そ結びつけるために田さんの娘婿にっていうふうにしたわけです。
そういうことを質問する。
全くのウソ。
本人がいるんですよ、娘婿が。実の娘婿が。
とんでもない迷惑じゃありません?
抗議したんですよ、その人は。
でもずーーーーっと応じない訳です。
国会っていうのは全部議事録になるわけですね。
で、官報というのが、すぐにそれを印刷して出るんです。
ところが、これの削除を要求したけれど、自民党の方が応じないもんだから、
出なかったんです、その時の官報だけずーーーーーっと。
やっと去年かな、
磯崎っていうのともう一人が、家族に、実際の娘婿さんと連れ合いに対してやっと謝罪をしました。
すぐやっちゃうと嘘だっていうのがばれちゃうから、っていうか、
嘘をついているっていうのがばれるから、ほとぼりの冷めた頃にそういうふうに言いました。
何でそういうふうにやられたか?あとで聞いたら
その時ちょうど菅さんが総理で、僕と菅さんが古い付き合いだと。
これは事実なんですが、彼が初当選以来の付き合いなんで、30何年の付き合いであることは確かです。
でも、彼に言わせれば、「喧嘩7分に協力3分」って言ってたかな。
誰か人の前で僕を紹介する時にはそういうんですけど、
あのー、たまたま彼が総理で、実は僕はもうその前に、2月か3月、4月ですか、
彼とは僕の方からすでに絶縁していたんですよ。
彼が消費税を容認したんですね。
僕はもう大喧嘩をして、
「ふざけんな、そんな事やったらこの国の経済は終わっちゃうよ」って言って大喧嘩をして、
それ以来僕の方から一切電話をかけていないんです。
でも、それは関係無しに、
再生エネルギー法ってわかりますよね、皆さん。
あれを一生懸命通そうとしていたんです、僕達、超党派で議員の200名以上の署名を付けて。
それは、菅さんは総理だったじゃないですか。
で、ある人の知恵で、
「これを通してくれるまで俺は辞めない」って言えって菅に入れ知恵した人がいるんです。
それが僕だというふうに勝手に自民党が思ったんですよ。
それが直接の動機だったらしい。
で、何でこういう話を自己紹介でするか?というと、
そういう事で山本太郎さんと違ってですね、私はもう、政治に対する関心は若い時からありました。
19の時から政治というものに関心を持つようになりました。
それは自分が逮捕されたからです。
たまたま学校で騒ぎがあって、これも全く無実だったんですが、
「建造物侵入罪」という罪名で逮捕されました。
それは、実は僕はその大学の寮生という事で、
実は建造物は寮が中にあったので僕はその対象じゃないという事で出してもらえたんですけど、
でも逮捕された事があったんです。
それで「何でこういう目にあうんだろう?」と思った時から政治に目覚めました。
でも選挙というのはものすごく嫌いで、
選挙権をもらってから、20代の間は全く一度も選挙に行ったことがありませんでした。
政治家って大嫌いでした。「こいつらサイテー」と思っていました。
でも、ある人を知ってから、これはもう、もうこの方も亡くなられた方なんですけれども、
僕がたった一人だけ素直にいつも「先生」って呼べた人なんですけど、
宇都宮徳馬(うつのみや とくま)さんという方がいらっしゃいまして、
この人の行動を見ていて「あ、こういう人も政治家にいるんだ」と思ってこの人の、実を言うと、
「ロッキード事件」って皆さん覚えておられます?
若い人は分からないですよね、昔そういう事件があったんです。
田中角栄ってわかります?
彼が総理の座を追われるきっかけになった、
最近孫崎享さんが書いた本ご覧になっていますか?「戦後史の正体」というね、
あれの中にも書いてあるように、今では多くの見方は
「アメリカが彼を潰すためにしかけた事件」
僕も間違いなくそう思っているんですが、・・があったんですね。
彼はそれに抗議をし、一番直接にはキムテジュン(金大中)さんってわかりますか?
韓国の初の民選大統領で、それまで韓国はずっと軍事独裁政権でしたからね。
クーデターで軍部が政権を取るという国だったんですけれども、
彼は3度も殺されそうになって、それでも生き残って大統領になって、初めて民選大統領が出来て、
で、今の韓国の民主主義がある。
彼は実は日本に、宇都宮徳馬さんが1973年に金大中さんをずっと応援してて日本に呼んだんです。
当時自民党の中でえええいてんというグループをつくっていて、
金大中さんを呼んで、次の日国会で金大中さんに話をしてもらおうとしたその前の日に、
今でもあります飯田橋のパレスホテルで拉致されるんですね、彼は。
北朝鮮じゃないですよ。
韓国の、当時KCIAという、いったら今のCIAの韓国版、当時の。
これによって拉致をされる訳です。
で、車に押し込められて、まさに拉致ですよ、
危うく海の中に投げ捨てられる直前に、アメリカが抑えて一命を拾って、
ソウルの自宅の門前に投げ出されるという事があったんです。
殺される寸前だった、実際に。後で分かった事では。
で、その呼んでいたのが宇都宮徳馬さんだった。
彼は彼の命を助けるために金大中さんの命を助けるためにあらゆることをやったんです。
「金大中さん救出運動」、年配の方は覚えておられるかもしれません。
「金大中さんを殺すな」まさに全国で今の署名運動だなんだというのが起こってたんですが、
宇都宮徳馬という人はそれに抗議をしてバッチを捨てたんです。
議員バッチを、議員辞職をした。
僕はその行動を見て、もっと言えば自民党って大体衆議院議員が5年連続で当選すれば大臣になれたんですね。
政権を失うまでは。
でも宇都宮徳馬さんだけは、10回連続当選をして一度も大臣になれなかったという素晴らしい人です。
ぼくはそれは後で知ったんですが、
とにかく「金大中事件に抗議をしてバッチを捨てた」あの姿を見て、ちょっと、政治家に対する考えを変えました。
この人が議員バッチを投げたんで、何とかもう一回政治に戻って欲しいと思って、
1980年という年でした。
日本の政治史上初めてのダブル選挙があったんです。
それが管直人の初当選の選挙だったんですけれども、
僕はその時には、最初に分かっているのは参議院選挙だけじゃないですか。
衆議院選挙はいきなり起こっちゃったわけだから。
ダブル選挙だなんて思っていなかったので、ちょうどゴールデンウイークにあるところに、
リサイクルの場所があるところに彼が見に行くという事で誰かがおびき出したんですよ、徳馬さんが。
私はそこで直訴をして、まだ当時若かったんですが
「参議院選挙にどうしても出て欲しい」と直訴したんです。
ま、それで出たんだとは思いませんが、1980年の参議院選挙に東京から無所属で出てくれたんです。
それで若い人達、当時僕も若かったので、友達に声をかけて70人ぐらいボランティアで押しかけました。
「手伝わせて下さい、応援させて下さい」
それで、衆議院と参議院のダブル選挙になっちゃったんですね。
組織がないじゃないですか、無所属で。
で、衆議院と組まないと、どうしても衆議院選挙の方がメインだから負けちゃうじゃないですか。
という事で、衆議院選挙と組まなきゃいけないという事で、
そういう時に新自由クラブと社民連というちいちゃなちいちゃなグループがあって、
その人たちが宇都宮徳馬さんを応援してくれるということになったんです。
その時に田英夫さんという人とも巡り合って、その人が菅さんを僕に紹介したんです。
「こいつも今度うちから衆議院選に出るんだ」と、
「良い玉なんだけど、今まで3回出たんだけどまだ時点にもなったことがない」
「いい玉なんでぜひ応援してやってくれないか」という事で紹介されまして、
で、その時に初めて僕は、生まれて初めて選挙というものをやりました。関わりました直接。
衆議院は中選挙区制度で今の小選挙区制とは違うんですが、
東京の三多摩地域が7区と11区と二つでした。
広かったんですけれども、7区の方で菅直人、東京選挙区で宇都宮徳馬を応援したんですね。
で、いろんな事をやったんですけれども、本当に初体験だったので、生意気にいろんな事を、
「こういう事をやったらどうでしょうか」
「僕はこういう事をやりたいんです」みたいなことを言ったらですね、それをどんどんやらせてくれたんですよ。
菅さんの方は「市民選挙のノウハウ」というパンフレットを僕に渡して、
「とにかくこれをやってくれ」という様だったので、ひたすらポスター貼りとかそういう事をやらされたんですが、
宇都宮先生の方は、とにかく僕の事をあんまり当てにしていなかったこともあると思うんですけど、
いろんな事を好きにやらせてくれたんですね。
その時に僕は実は、今はもうあれですよね、皆さんご存知かどうかわからないんですけど、
選挙の時に法定のチラシというのがあるじゃないですか、参議院選挙の選挙区で。
で、これには証紙を張らなくてはいけないんですね、一枚一枚。
で、枚数が限られている、それぞれの選挙区でですね。
さらに、まく場所が限られているじゃないですか。
選挙カーの音の聞こえる範囲内。
どうやって何が測るんだろう?という様なものだけど、
「選挙カーの音の聞こえる範囲内」というのが一つ。
それからあとは「新聞折り込み」なんですね。
それ以外はまいちゃいけないんですよ。
あとは、「個人演説会の会場」この三カ所に限られている。
まずはですね、これを順守したら半分以上は新聞折り込みでやらざるを得なくなる。
これはすーーごい効果ないじゃないですか。
殆ど新聞折り込みはそのままゴミ箱じゃないですか。
で、僕はこれをなんとか多くの人に読んでもらいたいと思ったので、
選挙カーの後ろを走りながら撒こうと思ってたんです。
ずっとじゃないですよ、人通りが多いところになったら選挙カーのスピードを緩めてもらって、
その後を、僕も当時若かったし昔長距離やってたもんだからわりあい走るの好き、っていうこともあって、
若い人たちでサッカーやっている人とか走るのが得意の人と一緒に、
宣伝カーの後ろにワンボックスカーを置いてもらって、その中に乗ってて、
「繁華街に入った、これは人通りが多い」となると、サインを送ってゆるーく走ってもらって、
「いくぞ!」って言って、本当に道を走りながら渡していったんです。
6月か7月で、めっちゃ暑くてあれだったんですけど、
結構受け取ってくれるんですよ、若い連中が必死でこういう事をやってるっていうんで。
確かにその前は誰もそんな事をやったことはなかったと思うんですね。
で、事務所にどんどん、どんどん電話がかかってくるんですって。
「感動した」って言って。
「あの若い連中は本気だ」って言って、
で、事務所の方でも「おお、これはいい」っていう話になって、
その後どんどんいろんな提案を入れてもらえるようになったんです、事務所の方で。
で、結果が最終日に出たら、なんと、本当にぎりぎり4位で宇都宮さんが当選したんですね、組織がなかったのに。
菅直人はそれまで時点にもなれなかった人がいきなりトップ当選しちゃったんです。
それから彼のとんとん拍子の出世が始まるんですね。
って言うのが実は私と選挙の最初のかかわりです。
自己紹介になっていますでしょうか。
長くなりました。
選挙のやり方

http://youtu.be/sd2w6IIcUKY?t=17m39s
その時、何でそういう手を考えたか?ということなんですね。
そんな、誰もそれまでそんな事をやったことがなかったと思います。
この広い東京でですよ、走りながらチラシを配るなんて、
でも今から振り返ってみますと、どうしても勝たしたかった。
菅直人じゃなかった、ハッキリ。
とにかく宇都宮先生をどうしても勝たせたかった。
「じゃあどうするか」って考えるじゃないですか、やっぱり。
「何かできるだろう」それで思いついたことの一つだった。
他にもいろいろありますけれども、それが最初の僕の選挙とのかかわりで、
僕の最初のアイディアはそれでした。
正直言って一人死にかけました。
あんまり頑張ってて車にはねられて、
見ている前で本当にボンネットの上にのってスポーンと5m以上飛ばされて頭を打って
けいれん起こして死んだと思って、
これで選挙は終わっちゃったかなと思ったけど、お陰さまで大丈夫だったんですけど、
それ位みんな必死でやってたんですね、若いですから。
で、やっぱり選挙って、僕はそれだと思っているんですよ。
どれ位「勝ちたい」というのがやっている人達にあるかどうか。
これがすべてだと。
それさえあればいろんな知恵が、ある程度の人間が集まりさえすればですよ、
無限に出てくるなというのが僕の、この間もう30年以上選挙をやっていますけど、
いまだに変わらぬ信念です。

で、堂本さんと千葉の選挙をやった初めてのきっかけは
ここに何人もおられるんですよ。
バーッ見ただけで10人ぐらいおられますよね、あの時の選挙の。
最初に僕がその選挙にかかわるきっかけをつくったその一人がそこにおられます。
当時千葉のネットの事務局長をやっていた天野さんという女性がいるんですけれど、
この方たちがみんなもう10年も経つけれど、千葉の知事選を、
千葉を何とか変えたいという事で誰か出そうという事で最後にたどりついたのが堂本さん。
当時参議院議員。
私はそれに全然かかわっていなかったんですが、
堂本さんの秘書さんのつながりで、私はいろいろ選挙をやっていましたから、堂本さんから相談を受けた訳です。
「どうしたらいいか」
本もありますのでどうしても詳しく知りたい方は「女たちの反乱」
廃版になったという話もあるけれど手に入るらしいので、図書館に行けばあると思います。
「女たちの反乱」という本が出ています。
そこには僕が知らないことも含めて、堂本選挙の嘘も含めてですよ、
あの中には「僕が選挙に出た事がある」と書いてありますが、僕は選挙に出たことはないです。
少なくても公職の選挙に出た事はありません。
そういう嘘もあるんですけど、でも丹念にいろんな事を追って、
僕が全然知らなかったこともういろいろと書いてありますので、千葉県の選挙はあの本の方がいいと思います。
唯一、僕は千葉県の選挙に関わらせていただいたんですけど、
僕の中ではあの選挙が他の選挙で使った事のない手を使ったのはひとつだけだと思うんです。
堂本さんの最初の選挙だけに使った戦術は、
戦術というか手で他に使ったことがないのが一つだけ。
「演説をしない」
これは、僕が知っている限り青島幸男という人がそういう選挙をやっていました。
一切選挙運動をやらないで、
スイカをほおばっているところをテレビに映させてそれが選挙運動、というのがありました。
だけどそれ以外では、あんまり演説をしない選挙というのは、僕も少1000回以上やってきたと思いますけど、
「演説をしない選挙」は多分あれっきりだと思います。
その後僕の仲間でそれを人にやれと言った人がいましたけれども、その人は負けました。
私はあれ以来そんな事を言った事はありません。
あとはできるだけやっぱり、候補者はしゃべるのが大事だと思っています。
で、それは何でか?というと、理由は簡単なんですよ。
堂本さんの声が演説向きじゃなかったんです。
率直に言います。
聞こえない。
聞こえない、僕とま逆。
僕は悪い声だけど、なんだか知らないけど遠くへ届くんですよ。
声の大きさというか、届く距離で言うとあんまり負けたことがないです。
堂本さんはね、いい声なんだけど届かないんですよ。
ちょっと事前で一緒に回っていたんですね。
事前でまわって見て僕は何時もチェックするんです。
「どうかな」とか、「聞いていて反応はどうかな」って。
全く聞こえないんです、スピーカーを使っても。
「これはもう、演説はダメだな」と思って、
本番、告示が始まる前の日に夜、恐る恐る、同じホテルに泊まらせていただいていたもんですから、
コンコンと部屋を訪ねました。
で、
「堂本さん、悪いけど演説止めない?」って言いました。
「え?」っていう感じでしたけど、僕の意見を言ったんですね。
「これは演説しても票にならない」と。
「だって聞こえないんだもん」で、
どうしようか?と。
この選挙のスタイルを、
当時石原さんという人が都知事でいたじゃないですか。
僕はま逆の選挙が大事だと思ったわけよ。
石原さんとま逆のイメージが堂本さんのイメージだし、
それが県民に伝わるのが一番票になるんじゃないかなと思ったから。
つまり上から独裁的にトップダウンの都政だと、彼はね。
だけど、堂本さんがやろうとしていたのはそうじゃないじゃないですか。
やっぱりボトムアップの県政をつくりたい。
「その基礎は話し合いだ」というのが彼女の、いろいろと話していてあった訳ですよ、
イメージとして、県政のイメージとして。
で、声が聞こえない。
どうすればいいのか?
という事で、演説はしないでインタビューをする。
話を聞いてまわるというのを戦術にしようというのを考えました。
それで提案したら彼女が受けてくれたので、
あの知事選で堂本さんがいわゆる演説をしたのは、初日の第一声と選挙戦最終日の船橋南口の2回だけです。
あとは一切演説はしないです。
その代わりにマイクでがなっていたのはひたすら私ががなっていました。
覚えておられると思うんですが、駅の構内だろうが何だろうが、
駅の構内でプラットホームのこちら側から向こうに並んでいる人に向かって、思いっきり私が演説していました。
ただ街頭で集まってる時には堂本さんにはひたすら聞いてもらいました、話を。
私が集まってもらうじゃないですか、そして集まった人達に堂本さんが一人一人に意見を聞いてまわる。
県政に今何が、これまでの県政をどう思うか、それからこれからの県政に皆さんは何を望みますか?みたいな、
これはですね、だれでも出来る戦略じゃないんです。
声が届かないというのは堂本さんのマイナスの面だったと思います。
でも、知事選にいきなり出た人だと、多分なのインタビュー作戦、対話作戦はできなかったと思います。
やっぱり彼女は元テレビをやってたじゃないですか。
だからすごく取材力があるんですね。
演説はあれだけど、座談はめっちゃうまいし、
それからインタビューは慣れている訳ですよ、仕事でずーっとやってたから。
これは彼女にしかない特徴じゃないですか。
もうひとつは国会議員を長くやってたから、いろんなこと。
国会はいろんな事をやらなきゃならないから政策に明るいんです。
国の情報に関してもいっぱい持っている訳です。
だから問ういっそくみょうに答える。
インタビューをして質問が出た時に答える引き出しを持っている。
これが彼女の強みだったんですね。
インタビューが上手い。
そして聞かれた事には答える力がすごくある。
選挙戦略大切な要素

http://youtu.be/sd2w6IIcUKY?t=27m18s
やっぱり選挙って、僕のイメージで言うと、究極的に玉次第なんです。
玉が悪けりゃ、こっちが死ぬ気でやったって絶対に勝てないです。
悪い玉ならやりません、はなっから。
でしょ?
「こいつ向かない」と思っているのに選挙を応援する気になります?
ならないですよね、だから無いと思うんですよ。
だいたい僕が応援するのは悪い玉じゃないんです。
相対的には一番いい玉しか応援していないつもりです、いつでも。
だから、その候補者の個性をすごく僕は大事にするようにしています、何時も、選挙では。
その人のもっている能力、個性。
これをいかに短期間の限られた選挙戦、限られた人で、限られたお金、
この中でいかに短期間でそれを売り込むか。
これが選挙だと思っています。
それのやり方が選挙の戦略という事です。
選挙の戦術ということになる。
だから僕は言うんです。
「一つとして同じ選挙は無い」というのが僕の選挙に関する戦略・戦術を決める時の一番はこれです。
二つとして同じ選挙は無い。
候補者が変われば選挙は全然別の物。
そして、一人しか当選しない選挙と二人以上当選する選挙と10人以上当選する選挙とは全く別の物です。
というのが一つ、僕の選挙戦略。
もうひとつの選挙戦略。
「100万票も1票の積み重ね」というのが僕の選挙戦略です。
一番基本。
二つしかありません。
東京都知事選挙がそうです。
千葉の知事選も一騎打ちになったらそうです。
東京の選挙区もそうです。
100万票を超える選挙があります。
そういう選挙も、
東京でも100票台の選挙があります。たとえば、区議選挙、300票ですね。
全然違う選挙ですよね、100万票と300票。
1万倍の差です。
でも、1票を積む。これが選挙の一番の基本だよという事は一緒です。
だから良く、小さな選挙は誰でもそうですよね。
300票だと思ったら1票1票みんな分かるから、あんまり戦術もぶれないんですが、
大きくなればなるほど「いっぺんに沢山表を取るにはどうするか?」というふうにだいたい考えます。
戦略戦術が失敗する原因は大体これです。
僕は堂本さんの時にそういうのを選対で出したのを覚えてられます?
これを陣営の合言葉にしよう。
「100万票も1票の積み重ね」っていうのを合言葉にしようというのを堂本さんの時提案して採用されましたよね。
あの時に実はそれを始めて言ったんですけど、
それ以来どこへ行ってもそれを言うようにさせていただいています。
だから、あの選挙でそれを確信させていただきました、改めて。
大きな選挙でね、
そして接戦だったけれども勝てた。
結果が出たという事で一つの確信を与えていただいたという事で、
これが二つ目の僕の選挙セオリーです。
後もいろいろあるんですが、ま、この二つだと思って下さい。
公職選挙法
あとは選挙って違法な行為をしちゃいけないんですね。
違法な事をやったらアウトじゃないですか。
特に、当選無効になる違反をやっちゃったら勝っても当選が無効になっちゃいますから、
これだけは絶対にやっちゃいけないんですね。
でも、公職選挙法というのはヒドイ法律です。
世界の中でも一番ひどい選挙に関する法律だと僕は思っていますが、
逆にですね、公職選挙法というのは、
やってはいけないことが全部具体的に書いてあるんですね。
やってはいけないことが全部書いてある。
逆に言うと、これに書いてないことは全部OKだと。
ここが知恵なんですね。
だから初めてやったことは、誰もやったことのない事は文句が言えないんです。
書いてないから。
そして判例がないから、少なくても選挙が終わるまで、そして判例が出るまで、
これはどうしようもないです。
「これやられたら大変だな」と「こんなことをやられたら選挙史上ひっくり返るよな」と思うようなことも、
これはOKなんですね。
それをさっき言った
「どうしてもこの人を勝たせたい」
その気持ちがあって、必死で考えたら、出てくるもんだと、僕は思っています。
そういう知恵や工夫やアイディアが。
特に若い人がいっぱいいる選挙にはそういうのが出てきます。
今回の三宅洋平の選挙がその典型です。
僕が選挙に関わって、これ位自分のやることが少なかった選挙は初めてです。
三宅洋平君です。
僕がね、今回の参議院選挙で直接かかわった人は4人いた、参議院選挙に関しては。
少ないんです。
3年前もそうですが特に6年前は与野党逆転した選挙です。
僕は民主党と無所属合わせて23人かかわって、そのうち18人が1人区。
あとの4人が3人区以上のところで、
ま、僕のアイディアだったんでもともと、
「2人以上、3人区以上の選挙区に候補者を出さなかったら与野党の逆転なんてできない」って、
小沢さんと菅さんと鳩山さんに、あの3人にしか言わなかったんですけど、
「1人区で勝負をかけるのは当たり前だ」と。
「だけど一人区だけでは勝てないよ」と言った。
「3人区に2人以上出さない限り、そしてこれを勝たせない限りひっくり返らないよ」
公認だけで60取るのを目標にしようと、あの3人だけにサイトメモというのを渡したんですね。
でも言ったことはやらなきゃいけないんでやったんです。
だから僕のところにまわってきたのは党で2人出したところの弱い方がずっと回ってきた。
東京で言えばすずかん(鈴木寛(すずき・かん))は大丈夫だから大河原雅子(おおかわら・まさこ)さんでと。
で、埼玉なんかは途中でひっくり返っちゃったわけです。
最初は行田邦子(こうだ・くにこ)さんが弱いって言って行田さんをやったんですけど、今はみんなに行っちゃった。
途中から変わっちゃったんです数字が。
山根(山根隆治)さんの方がヤバいっていうんで、
途中から山根さんになるっていうとんでもない経験もしましたけど。
つづくーー
~三宅洋平はなぜ17万票も取れたのか~斉藤まさし氏
選挙で日本を変えたい市民の会・千葉 2013年8月28日
自己紹介

斉藤まさし氏:
あのー、怪しい人間です。
ネット上では「極左過激派」ということにされています。
2年ほど前の夏の国会では、私は証人喚問まで要求されました、予算委員会で。
でもあの真相を言いますとね、
証人喚問、国会ですよ、全国中継ですよ、NHKの生中継で、
「証人喚問を要求しまーす」って言われたんです。
僕はあんまり頭にきたもんだから、すぐ、
当時は民主党が与党じゃないですか。
だから予算委員会も民主党が多数で、理事も、ま、民主党が決められる訳ですよ。
僕はすぐに連絡したんです、民主党の理事に
「呼べ」
「呼んでくれ」と。
「俺にも発言の機会を与えろ」と言ったんですけど、ヒドイ話で
テレビの前で「はーい、証人喚問要求します」で終わってテレビ中継が終わったのに、
あれをどうするか?を本当はその後理事会というところにかけて、
これをどうするか?呼ぶか呼ばないか?みたいな議論をしなきゃいけないはずなのに、
理事会にもかけてない。
つまり呼ぶ気なんかさらさらないわけ。
ま、当然ですよね。僕に反論の機会を与えるだけだから。
だけどイメージはつくられてしまう訳じゃないですか。
あれだけいろんな委員会でやって最後に、ね、証人喚問なんてそう簡単に出てくる話じゃないじゃないですか。
僕の知る限りそんなに無いでしょ、証人喚問、国会で。「俺も随分大物にされたな」と思ったんですけど、
それが真相でして、
ようはテレビの生中継で印象付けるんですね。
「こういう人間だ」と。
こちらには一切、
もちろん僕は太郎君以上にテレビに出られない人間なので、
発言の場がないから、一方的にイメージをつくるわけです。
あたかも北朝鮮のスパイであるかのように、
極左過激派、テロリストのなんとか・・・。
そういうものを、ま、イメージ付けるわけですよね。
一番ひどかったのは、僕は田英夫の娘婿ということにされていた、国会で。
それはなんで田英夫の娘婿にしようとしたかというと、
田英夫という政治家をみなさんご存知ですか?
もう亡くなられましたけれども、本当に民衆のために身体を張って頑張ってくれた人で、
僕は大好きで仲が良かったんです。
でも、それは全くのデマなんだけど、
何のためにそれをデマと知りながら何度も何度も国会でやるか?というと、
昔、田英夫さんが韓国の政治犯の釈放要求の署名運動をやってたということがあったんですね。
で、その中の一人が、後に北のスパイだという事が分かったということがあって、
つまりそれの北のスパイと僕そ結びつけるために田さんの娘婿にっていうふうにしたわけです。
そういうことを質問する。
全くのウソ。
本人がいるんですよ、娘婿が。実の娘婿が。
とんでもない迷惑じゃありません?
抗議したんですよ、その人は。
でもずーーーーっと応じない訳です。
国会っていうのは全部議事録になるわけですね。
で、官報というのが、すぐにそれを印刷して出るんです。
ところが、これの削除を要求したけれど、自民党の方が応じないもんだから、
出なかったんです、その時の官報だけずーーーーーっと。
やっと去年かな、
磯崎っていうのともう一人が、家族に、実際の娘婿さんと連れ合いに対してやっと謝罪をしました。
すぐやっちゃうと嘘だっていうのがばれちゃうから、っていうか、
嘘をついているっていうのがばれるから、ほとぼりの冷めた頃にそういうふうに言いました。
何でそういうふうにやられたか?あとで聞いたら
その時ちょうど菅さんが総理で、僕と菅さんが古い付き合いだと。
これは事実なんですが、彼が初当選以来の付き合いなんで、30何年の付き合いであることは確かです。
でも、彼に言わせれば、「喧嘩7分に協力3分」って言ってたかな。
誰か人の前で僕を紹介する時にはそういうんですけど、
あのー、たまたま彼が総理で、実は僕はもうその前に、2月か3月、4月ですか、
彼とは僕の方からすでに絶縁していたんですよ。
彼が消費税を容認したんですね。
僕はもう大喧嘩をして、
「ふざけんな、そんな事やったらこの国の経済は終わっちゃうよ」って言って大喧嘩をして、
それ以来僕の方から一切電話をかけていないんです。
でも、それは関係無しに、
再生エネルギー法ってわかりますよね、皆さん。
あれを一生懸命通そうとしていたんです、僕達、超党派で議員の200名以上の署名を付けて。
それは、菅さんは総理だったじゃないですか。
で、ある人の知恵で、
「これを通してくれるまで俺は辞めない」って言えって菅に入れ知恵した人がいるんです。
それが僕だというふうに勝手に自民党が思ったんですよ。
それが直接の動機だったらしい。
で、何でこういう話を自己紹介でするか?というと、
そういう事で山本太郎さんと違ってですね、私はもう、政治に対する関心は若い時からありました。
19の時から政治というものに関心を持つようになりました。
それは自分が逮捕されたからです。
たまたま学校で騒ぎがあって、これも全く無実だったんですが、
「建造物侵入罪」という罪名で逮捕されました。
それは、実は僕はその大学の寮生という事で、
実は建造物は寮が中にあったので僕はその対象じゃないという事で出してもらえたんですけど、
でも逮捕された事があったんです。
それで「何でこういう目にあうんだろう?」と思った時から政治に目覚めました。
でも選挙というのはものすごく嫌いで、
選挙権をもらってから、20代の間は全く一度も選挙に行ったことがありませんでした。
政治家って大嫌いでした。「こいつらサイテー」と思っていました。
でも、ある人を知ってから、これはもう、もうこの方も亡くなられた方なんですけれども、
僕がたった一人だけ素直にいつも「先生」って呼べた人なんですけど、
宇都宮徳馬(うつのみや とくま)さんという方がいらっしゃいまして、
この人の行動を見ていて「あ、こういう人も政治家にいるんだ」と思ってこの人の、実を言うと、
「ロッキード事件」って皆さん覚えておられます?
若い人は分からないですよね、昔そういう事件があったんです。
田中角栄ってわかります?
彼が総理の座を追われるきっかけになった、
最近孫崎享さんが書いた本ご覧になっていますか?「戦後史の正体」というね、
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あれの中にも書いてあるように、今では多くの見方は
「アメリカが彼を潰すためにしかけた事件」
僕も間違いなくそう思っているんですが、・・があったんですね。
彼はそれに抗議をし、一番直接にはキムテジュン(金大中)さんってわかりますか?
韓国の初の民選大統領で、それまで韓国はずっと軍事独裁政権でしたからね。
クーデターで軍部が政権を取るという国だったんですけれども、
彼は3度も殺されそうになって、それでも生き残って大統領になって、初めて民選大統領が出来て、
で、今の韓国の民主主義がある。
彼は実は日本に、宇都宮徳馬さんが1973年に金大中さんをずっと応援してて日本に呼んだんです。
当時自民党の中でえええいてんというグループをつくっていて、
金大中さんを呼んで、次の日国会で金大中さんに話をしてもらおうとしたその前の日に、
今でもあります飯田橋のパレスホテルで拉致されるんですね、彼は。
北朝鮮じゃないですよ。
韓国の、当時KCIAという、いったら今のCIAの韓国版、当時の。
これによって拉致をされる訳です。
で、車に押し込められて、まさに拉致ですよ、
危うく海の中に投げ捨てられる直前に、アメリカが抑えて一命を拾って、
ソウルの自宅の門前に投げ出されるという事があったんです。
殺される寸前だった、実際に。後で分かった事では。
で、その呼んでいたのが宇都宮徳馬さんだった。
彼は彼の命を助けるために金大中さんの命を助けるためにあらゆることをやったんです。
「金大中さん救出運動」、年配の方は覚えておられるかもしれません。
「金大中さんを殺すな」まさに全国で今の署名運動だなんだというのが起こってたんですが、
宇都宮徳馬という人はそれに抗議をしてバッチを捨てたんです。
議員バッチを、議員辞職をした。
僕はその行動を見て、もっと言えば自民党って大体衆議院議員が5年連続で当選すれば大臣になれたんですね。
政権を失うまでは。
でも宇都宮徳馬さんだけは、10回連続当選をして一度も大臣になれなかったという素晴らしい人です。
ぼくはそれは後で知ったんですが、
とにかく「金大中事件に抗議をしてバッチを捨てた」あの姿を見て、ちょっと、政治家に対する考えを変えました。
この人が議員バッチを投げたんで、何とかもう一回政治に戻って欲しいと思って、
1980年という年でした。
日本の政治史上初めてのダブル選挙があったんです。
それが管直人の初当選の選挙だったんですけれども、
僕はその時には、最初に分かっているのは参議院選挙だけじゃないですか。
衆議院選挙はいきなり起こっちゃったわけだから。
ダブル選挙だなんて思っていなかったので、ちょうどゴールデンウイークにあるところに、
リサイクルの場所があるところに彼が見に行くという事で誰かがおびき出したんですよ、徳馬さんが。
私はそこで直訴をして、まだ当時若かったんですが
「参議院選挙にどうしても出て欲しい」と直訴したんです。
ま、それで出たんだとは思いませんが、1980年の参議院選挙に東京から無所属で出てくれたんです。
それで若い人達、当時僕も若かったので、友達に声をかけて70人ぐらいボランティアで押しかけました。
「手伝わせて下さい、応援させて下さい」
それで、衆議院と参議院のダブル選挙になっちゃったんですね。
組織がないじゃないですか、無所属で。
で、衆議院と組まないと、どうしても衆議院選挙の方がメインだから負けちゃうじゃないですか。
という事で、衆議院選挙と組まなきゃいけないという事で、
そういう時に新自由クラブと社民連というちいちゃなちいちゃなグループがあって、
その人たちが宇都宮徳馬さんを応援してくれるということになったんです。
その時に田英夫さんという人とも巡り合って、その人が菅さんを僕に紹介したんです。
「こいつも今度うちから衆議院選に出るんだ」と、
「良い玉なんだけど、今まで3回出たんだけどまだ時点にもなったことがない」
「いい玉なんでぜひ応援してやってくれないか」という事で紹介されまして、
で、その時に初めて僕は、生まれて初めて選挙というものをやりました。関わりました直接。
衆議院は中選挙区制度で今の小選挙区制とは違うんですが、
東京の三多摩地域が7区と11区と二つでした。
広かったんですけれども、7区の方で菅直人、東京選挙区で宇都宮徳馬を応援したんですね。
で、いろんな事をやったんですけれども、本当に初体験だったので、生意気にいろんな事を、
「こういう事をやったらどうでしょうか」
「僕はこういう事をやりたいんです」みたいなことを言ったらですね、それをどんどんやらせてくれたんですよ。
菅さんの方は「市民選挙のノウハウ」というパンフレットを僕に渡して、
「とにかくこれをやってくれ」という様だったので、ひたすらポスター貼りとかそういう事をやらされたんですが、
宇都宮先生の方は、とにかく僕の事をあんまり当てにしていなかったこともあると思うんですけど、
いろんな事を好きにやらせてくれたんですね。
その時に僕は実は、今はもうあれですよね、皆さんご存知かどうかわからないんですけど、
選挙の時に法定のチラシというのがあるじゃないですか、参議院選挙の選挙区で。
で、これには証紙を張らなくてはいけないんですね、一枚一枚。
で、枚数が限られている、それぞれの選挙区でですね。
さらに、まく場所が限られているじゃないですか。
選挙カーの音の聞こえる範囲内。
どうやって何が測るんだろう?という様なものだけど、
「選挙カーの音の聞こえる範囲内」というのが一つ。
それからあとは「新聞折り込み」なんですね。
それ以外はまいちゃいけないんですよ。
あとは、「個人演説会の会場」この三カ所に限られている。
まずはですね、これを順守したら半分以上は新聞折り込みでやらざるを得なくなる。
これはすーーごい効果ないじゃないですか。
殆ど新聞折り込みはそのままゴミ箱じゃないですか。
で、僕はこれをなんとか多くの人に読んでもらいたいと思ったので、
選挙カーの後ろを走りながら撒こうと思ってたんです。
ずっとじゃないですよ、人通りが多いところになったら選挙カーのスピードを緩めてもらって、
その後を、僕も当時若かったし昔長距離やってたもんだからわりあい走るの好き、っていうこともあって、
若い人たちでサッカーやっている人とか走るのが得意の人と一緒に、
宣伝カーの後ろにワンボックスカーを置いてもらって、その中に乗ってて、
「繁華街に入った、これは人通りが多い」となると、サインを送ってゆるーく走ってもらって、
「いくぞ!」って言って、本当に道を走りながら渡していったんです。
6月か7月で、めっちゃ暑くてあれだったんですけど、
結構受け取ってくれるんですよ、若い連中が必死でこういう事をやってるっていうんで。
確かにその前は誰もそんな事をやったことはなかったと思うんですね。
で、事務所にどんどん、どんどん電話がかかってくるんですって。
「感動した」って言って。
「あの若い連中は本気だ」って言って、
で、事務所の方でも「おお、これはいい」っていう話になって、
その後どんどんいろんな提案を入れてもらえるようになったんです、事務所の方で。
で、結果が最終日に出たら、なんと、本当にぎりぎり4位で宇都宮さんが当選したんですね、組織がなかったのに。
菅直人はそれまで時点にもなれなかった人がいきなりトップ当選しちゃったんです。
それから彼のとんとん拍子の出世が始まるんですね。
って言うのが実は私と選挙の最初のかかわりです。
自己紹介になっていますでしょうか。
長くなりました。
選挙のやり方

http://youtu.be/sd2w6IIcUKY?t=17m39s
その時、何でそういう手を考えたか?ということなんですね。
そんな、誰もそれまでそんな事をやったことがなかったと思います。
この広い東京でですよ、走りながらチラシを配るなんて、
でも今から振り返ってみますと、どうしても勝たしたかった。
菅直人じゃなかった、ハッキリ。
とにかく宇都宮先生をどうしても勝たせたかった。
「じゃあどうするか」って考えるじゃないですか、やっぱり。
「何かできるだろう」それで思いついたことの一つだった。
他にもいろいろありますけれども、それが最初の僕の選挙とのかかわりで、
僕の最初のアイディアはそれでした。
正直言って一人死にかけました。
あんまり頑張ってて車にはねられて、
見ている前で本当にボンネットの上にのってスポーンと5m以上飛ばされて頭を打って
けいれん起こして死んだと思って、
これで選挙は終わっちゃったかなと思ったけど、お陰さまで大丈夫だったんですけど、
それ位みんな必死でやってたんですね、若いですから。
で、やっぱり選挙って、僕はそれだと思っているんですよ。
どれ位「勝ちたい」というのがやっている人達にあるかどうか。
これがすべてだと。
それさえあればいろんな知恵が、ある程度の人間が集まりさえすればですよ、
無限に出てくるなというのが僕の、この間もう30年以上選挙をやっていますけど、
いまだに変わらぬ信念です。

で、堂本さんと千葉の選挙をやった初めてのきっかけは
ここに何人もおられるんですよ。
バーッ見ただけで10人ぐらいおられますよね、あの時の選挙の。
最初に僕がその選挙にかかわるきっかけをつくったその一人がそこにおられます。
当時千葉のネットの事務局長をやっていた天野さんという女性がいるんですけれど、
この方たちがみんなもう10年も経つけれど、千葉の知事選を、
千葉を何とか変えたいという事で誰か出そうという事で最後にたどりついたのが堂本さん。
当時参議院議員。
私はそれに全然かかわっていなかったんですが、
堂本さんの秘書さんのつながりで、私はいろいろ選挙をやっていましたから、堂本さんから相談を受けた訳です。
「どうしたらいいか」
本もありますのでどうしても詳しく知りたい方は「女たちの反乱」
廃版になったという話もあるけれど手に入るらしいので、図書館に行けばあると思います。
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「女たちの反乱」という本が出ています。
そこには僕が知らないことも含めて、堂本選挙の嘘も含めてですよ、
あの中には「僕が選挙に出た事がある」と書いてありますが、僕は選挙に出たことはないです。
少なくても公職の選挙に出た事はありません。
そういう嘘もあるんですけど、でも丹念にいろんな事を追って、
僕が全然知らなかったこともういろいろと書いてありますので、千葉県の選挙はあの本の方がいいと思います。
唯一、僕は千葉県の選挙に関わらせていただいたんですけど、
僕の中ではあの選挙が他の選挙で使った事のない手を使ったのはひとつだけだと思うんです。
堂本さんの最初の選挙だけに使った戦術は、
戦術というか手で他に使ったことがないのが一つだけ。
「演説をしない」
これは、僕が知っている限り青島幸男という人がそういう選挙をやっていました。
一切選挙運動をやらないで、
スイカをほおばっているところをテレビに映させてそれが選挙運動、というのがありました。
だけどそれ以外では、あんまり演説をしない選挙というのは、僕も少1000回以上やってきたと思いますけど、
「演説をしない選挙」は多分あれっきりだと思います。
その後僕の仲間でそれを人にやれと言った人がいましたけれども、その人は負けました。
私はあれ以来そんな事を言った事はありません。
あとはできるだけやっぱり、候補者はしゃべるのが大事だと思っています。
で、それは何でか?というと、理由は簡単なんですよ。
堂本さんの声が演説向きじゃなかったんです。
率直に言います。
聞こえない。
聞こえない、僕とま逆。
僕は悪い声だけど、なんだか知らないけど遠くへ届くんですよ。
声の大きさというか、届く距離で言うとあんまり負けたことがないです。
堂本さんはね、いい声なんだけど届かないんですよ。
ちょっと事前で一緒に回っていたんですね。
事前でまわって見て僕は何時もチェックするんです。
「どうかな」とか、「聞いていて反応はどうかな」って。
全く聞こえないんです、スピーカーを使っても。
「これはもう、演説はダメだな」と思って、
本番、告示が始まる前の日に夜、恐る恐る、同じホテルに泊まらせていただいていたもんですから、
コンコンと部屋を訪ねました。
で、
「堂本さん、悪いけど演説止めない?」って言いました。
「え?」っていう感じでしたけど、僕の意見を言ったんですね。
「これは演説しても票にならない」と。
「だって聞こえないんだもん」で、
どうしようか?と。
この選挙のスタイルを、
当時石原さんという人が都知事でいたじゃないですか。
僕はま逆の選挙が大事だと思ったわけよ。
石原さんとま逆のイメージが堂本さんのイメージだし、
それが県民に伝わるのが一番票になるんじゃないかなと思ったから。
つまり上から独裁的にトップダウンの都政だと、彼はね。
だけど、堂本さんがやろうとしていたのはそうじゃないじゃないですか。
やっぱりボトムアップの県政をつくりたい。
「その基礎は話し合いだ」というのが彼女の、いろいろと話していてあった訳ですよ、
イメージとして、県政のイメージとして。
で、声が聞こえない。
どうすればいいのか?
という事で、演説はしないでインタビューをする。
話を聞いてまわるというのを戦術にしようというのを考えました。
それで提案したら彼女が受けてくれたので、
あの知事選で堂本さんがいわゆる演説をしたのは、初日の第一声と選挙戦最終日の船橋南口の2回だけです。
あとは一切演説はしないです。
その代わりにマイクでがなっていたのはひたすら私ががなっていました。
覚えておられると思うんですが、駅の構内だろうが何だろうが、
駅の構内でプラットホームのこちら側から向こうに並んでいる人に向かって、思いっきり私が演説していました。
ただ街頭で集まってる時には堂本さんにはひたすら聞いてもらいました、話を。
私が集まってもらうじゃないですか、そして集まった人達に堂本さんが一人一人に意見を聞いてまわる。
県政に今何が、これまでの県政をどう思うか、それからこれからの県政に皆さんは何を望みますか?みたいな、
これはですね、だれでも出来る戦略じゃないんです。
声が届かないというのは堂本さんのマイナスの面だったと思います。
でも、知事選にいきなり出た人だと、多分なのインタビュー作戦、対話作戦はできなかったと思います。
やっぱり彼女は元テレビをやってたじゃないですか。
だからすごく取材力があるんですね。
演説はあれだけど、座談はめっちゃうまいし、
それからインタビューは慣れている訳ですよ、仕事でずーっとやってたから。
これは彼女にしかない特徴じゃないですか。
もうひとつは国会議員を長くやってたから、いろんなこと。
国会はいろんな事をやらなきゃならないから政策に明るいんです。
国の情報に関してもいっぱい持っている訳です。
だから問ういっそくみょうに答える。
インタビューをして質問が出た時に答える引き出しを持っている。
これが彼女の強みだったんですね。
インタビューが上手い。
そして聞かれた事には答える力がすごくある。
選挙戦略大切な要素

http://youtu.be/sd2w6IIcUKY?t=27m18s
やっぱり選挙って、僕のイメージで言うと、究極的に玉次第なんです。
玉が悪けりゃ、こっちが死ぬ気でやったって絶対に勝てないです。
悪い玉ならやりません、はなっから。
でしょ?
「こいつ向かない」と思っているのに選挙を応援する気になります?
ならないですよね、だから無いと思うんですよ。
だいたい僕が応援するのは悪い玉じゃないんです。
相対的には一番いい玉しか応援していないつもりです、いつでも。
だから、その候補者の個性をすごく僕は大事にするようにしています、何時も、選挙では。
その人のもっている能力、個性。
これをいかに短期間の限られた選挙戦、限られた人で、限られたお金、
この中でいかに短期間でそれを売り込むか。
これが選挙だと思っています。
それのやり方が選挙の戦略という事です。
選挙の戦術ということになる。
だから僕は言うんです。
「一つとして同じ選挙は無い」というのが僕の選挙に関する戦略・戦術を決める時の一番はこれです。
二つとして同じ選挙は無い。
候補者が変われば選挙は全然別の物。
そして、一人しか当選しない選挙と二人以上当選する選挙と10人以上当選する選挙とは全く別の物です。
というのが一つ、僕の選挙戦略。
もうひとつの選挙戦略。
「100万票も1票の積み重ね」というのが僕の選挙戦略です。
一番基本。
二つしかありません。
東京都知事選挙がそうです。
千葉の知事選も一騎打ちになったらそうです。
東京の選挙区もそうです。
100万票を超える選挙があります。
そういう選挙も、
東京でも100票台の選挙があります。たとえば、区議選挙、300票ですね。
全然違う選挙ですよね、100万票と300票。
1万倍の差です。
でも、1票を積む。これが選挙の一番の基本だよという事は一緒です。
だから良く、小さな選挙は誰でもそうですよね。
300票だと思ったら1票1票みんな分かるから、あんまり戦術もぶれないんですが、
大きくなればなるほど「いっぺんに沢山表を取るにはどうするか?」というふうにだいたい考えます。
戦略戦術が失敗する原因は大体これです。
僕は堂本さんの時にそういうのを選対で出したのを覚えてられます?
これを陣営の合言葉にしよう。
「100万票も1票の積み重ね」っていうのを合言葉にしようというのを堂本さんの時提案して採用されましたよね。
あの時に実はそれを始めて言ったんですけど、
それ以来どこへ行ってもそれを言うようにさせていただいています。
だから、あの選挙でそれを確信させていただきました、改めて。
大きな選挙でね、
そして接戦だったけれども勝てた。
結果が出たという事で一つの確信を与えていただいたという事で、
これが二つ目の僕の選挙セオリーです。
後もいろいろあるんですが、ま、この二つだと思って下さい。
公職選挙法
あとは選挙って違法な行為をしちゃいけないんですね。
違法な事をやったらアウトじゃないですか。
特に、当選無効になる違反をやっちゃったら勝っても当選が無効になっちゃいますから、
これだけは絶対にやっちゃいけないんですね。
でも、公職選挙法というのはヒドイ法律です。
世界の中でも一番ひどい選挙に関する法律だと僕は思っていますが、
逆にですね、公職選挙法というのは、
やってはいけないことが全部具体的に書いてあるんですね。
やってはいけないことが全部書いてある。
逆に言うと、これに書いてないことは全部OKだと。
ここが知恵なんですね。
だから初めてやったことは、誰もやったことのない事は文句が言えないんです。
書いてないから。
そして判例がないから、少なくても選挙が終わるまで、そして判例が出るまで、
これはどうしようもないです。
「これやられたら大変だな」と「こんなことをやられたら選挙史上ひっくり返るよな」と思うようなことも、
これはOKなんですね。
それをさっき言った
「どうしてもこの人を勝たせたい」
その気持ちがあって、必死で考えたら、出てくるもんだと、僕は思っています。
そういう知恵や工夫やアイディアが。
特に若い人がいっぱいいる選挙にはそういうのが出てきます。
今回の三宅洋平の選挙がその典型です。
僕が選挙に関わって、これ位自分のやることが少なかった選挙は初めてです。
三宅洋平君です。
僕がね、今回の参議院選挙で直接かかわった人は4人いた、参議院選挙に関しては。
少ないんです。
3年前もそうですが特に6年前は与野党逆転した選挙です。
僕は民主党と無所属合わせて23人かかわって、そのうち18人が1人区。
あとの4人が3人区以上のところで、
ま、僕のアイディアだったんでもともと、
「2人以上、3人区以上の選挙区に候補者を出さなかったら与野党の逆転なんてできない」って、
小沢さんと菅さんと鳩山さんに、あの3人にしか言わなかったんですけど、
「1人区で勝負をかけるのは当たり前だ」と。
「だけど一人区だけでは勝てないよ」と言った。
「3人区に2人以上出さない限り、そしてこれを勝たせない限りひっくり返らないよ」
公認だけで60取るのを目標にしようと、あの3人だけにサイトメモというのを渡したんですね。
でも言ったことはやらなきゃいけないんでやったんです。
だから僕のところにまわってきたのは党で2人出したところの弱い方がずっと回ってきた。
東京で言えばすずかん(鈴木寛(すずき・かん))は大丈夫だから大河原雅子(おおかわら・まさこ)さんでと。
で、埼玉なんかは途中でひっくり返っちゃったわけです。
最初は行田邦子(こうだ・くにこ)さんが弱いって言って行田さんをやったんですけど、今はみんなに行っちゃった。
途中から変わっちゃったんです数字が。
山根(山根隆治)さんの方がヤバいっていうんで、
途中から山根さんになるっていうとんでもない経験もしましたけど。
つづくーー
<前半>今だから話せる参院選の戦略
~三宅洋平はなぜ17万票も取れたのか~斉藤まさし氏(文字起こし)
<後半>今だから話せる参院選の戦略
~三宅洋平はなぜ17万票も取れたのか~斉藤まさし氏(文字起こし)
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ウルトラのパパ | 2014.01.09 00:53 | 編集