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宇都宮けんじとともに東京都を変えていくキ­ックオフ集会


2014年1月8日 東京・豊島公会堂




地下鉄サリン事件被害者の会代表世話人の高橋シズヱさん
(なくなった霞ケ関駅の高橋一正助役の未亡人)が力強い宇都宮支持メッセージ


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木内みどりさん:
次の方をご紹介いたします
サリン被害者の会の高橋シズヱさん。
サリン事件の時に宇都宮さんは弁護団長でいらっしゃいました。
宇都宮さんがどんな方か?というのを本当に身をもってご存じの方です。
高橋シズヱさん、どうぞよろしくお願いいたします。


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高橋シズヱさん:
今日は雨の中こんなに沢山、宇都宮先生のためにお集まりになって下さいましてありがとうございます。
そして私は実は池袋出身です。
小学校の時にここの舞台で学芸会をやりました。
同じ舞台で宇都宮先生の応援が出来るなんて、すごい幸せです。

実は私は地下鉄サリン事件で主人を亡くしました。
95年の3月20日。
意外とみなさん、あの日何をしていたか?という事を覚えていらっしゃいます。
ですよね。
事件からもう今年の3月で丸19年になります。
ですから25歳ぐらいまでの方は事件を覚えていらっしゃらないかもしれませんけれども、
私は主人を亡くして、
なんでも主人と相談しながら家庭生活をやってきたんですけれども、
そこでパッタリ相談する人もいなくなって、
本当に「どうしよう」「なにをすればいいんだろう」と思った時にですね、
弁護団を組んで下さって、その団長になってくれたのが宇都宮先生でした。


沢山の弁護士さん達を率いて、私たちをサポートしてくれました。

みなさん、アメリカで9.11同時多発テロが起きた時の、
その辺のニュースを覚えてらっしゃるかしれません。
あの時に当時のニューヨークのジュリアーニ市長が、もういち早くグラウンドゼロに駆け付けて、
消防士や警察官やレスキューの人達と一緒にあのがれきの中で指示をしたり働いて、声をかけたりしていました。

地下鉄サリン事件
東京のど真ん中で起きたんです。
あの当時の都知事は青島さんでした。
私は青島さんに会った事がありません。

でもとにかく私たちは民事訴訟を起こして、
オウムを相手にですね、民事訴訟を起こしました。
怖かったですよ、すごく。
どんな仕返しをされるか分からないという事があるので、すごくこわかったんですけれども、
宇都宮先生にも勇気づけられて、

とにかく、オウムに資産を持たせていたらまた何をやりだすか分からない
だから私たちが損害賠償訴訟を起こして、資金を持たせないようにする。
入ったお金は全部被害者が取り上げる、そのための民事裁判だったんですね。
そういうことをしました。

怖かったですよ、本当に。
それでも弁護団と一緒に頑張って民事訴訟を勝訴しました。
で、実際にお金は入ったか?というと、それは一銭もありません。
だって、オウムの信者たちはみんな教団に入る時にお布施として出していたからです。

でもやっぱりみんな、私は主人を亡くしましたし、他の人達も、
現在13人の方が死亡したという、そういう判明をしていますけれども、
そういう人達と、あと何千人という、6300人近くの人がですね、被害に遭った。
実際に本当に大変だったんですよ。
仕事出来なくなっちゃったんです、私。
で「その救済をして欲しい」とずっと私たちは言ってきました。

そのために関係省庁に行ったり、山梨県にも行ったし、都庁にも行きました。
何回も都庁にも足を運びました。
団長である宇都宮先生はじめ弁護士さん達と一緒に。

その時に石原都知事には、私は一度も会っていません。
何回も行ったのに、何回も要請したのに。

しかもですよ、都庁爆弾事件っていうのがあったんですよ。
あれは青島さんが都知事の時だったんですけれども、
そうやって、オウム事件の被害者の気持ちが分かっているはずなのに、
石原さんは私たちに何もしてくれませんでした。

東京都は何もしてくれませんでした。

本当に悲しかったですよ。
そういう状況が13年間続きました。
2008年になってやっとオウム事件の被害者救済法ができました。
本当にそれまでの宇都宮先生を団長とする弁護団がどれだけ苦労してテロ被害者の被害者救済に走ったことか。
私なんかは本当に末席なんですけれども、
衆議院議員会館、参議院議員会館、問題のところに行って、そして大臣のところにも行きました。
で、やっとできたんですね。

それとですね、あとみなさん、地下鉄サリン事件の被害者が何人いるか?
これは今6300人いると私は言いましたけれども、
裁判上は3800人ぐらいなんですよ。
あと、行動なんかでされているのが5000人以上とか、5200人以上とかそんなふうに言われていますけれど、
その被害者数さえ国は把握しようとしなかったんです。
調べようとしなかったんです。

でもその救済法ができて、
この救済法というのは国がお金を出すんですけれども、
オウムの代わりに国が立て替えて私たちに支払ったお見舞い金をオウムから取り立てるという、
ま、そういう順番なんですけれども、
その時に被害者自身が、これは警察が窓口になっていたんですけど、
警察に申請して、警察が被害者だという事を認定して、
それでお見舞い金が出たんですね。

で、申請したことによって、確かに被害者だという事が分かって、
その人数を出せば被害者数が分かるじゃないか。
それも私は警察庁に言ったんですけれども、なかなか出してくれませんでした。
「それは仕事じゃない」って。

で、私はその頃にはもう内閣府の、
犯罪被害者等基本法というのができていましたので、内閣府の担当者に警察庁を突っついてもらいました。
それでやっと警察庁が人数を調べてくれて、
そして正確な人数が6286人です。
そこで被害者数が出来たのも、オウム事件の被害者法ができて、
そしてお見舞い金を出すという、そういうシステムが出来たからこそで、
そういう事をやってくれたのが宇都宮先生なんですね。

もう本当に被害者の事、弱者の事をすごく分かって下さる先生です。




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