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【手紙:伊達市】 「今日ここに言葉を寄せる事でさえ身構えてしまいました。 それだけ相手は大きいのです」 福島原発告訴団3/1(文字起こし)

福島原発事故から3年 これでも罪を問えないのですか 被害者証言集会
2014/03/01



伊達市にお住まいのシマアケミさんの手紙
1:16:25~http://youtu.be/x4n14TcK79U?t=1h16m25s

3年目を迎えて
本日は発言の場所を頂きながらこの場所に伺えなくて残念です。
皆さんのお声をお聞きしたかったですし、私もじかにお伝えしたかったのですが、
家族の入院のため福島を離れることができませんでした。

私の住む伊達市の現状を少しお話したいと思います。
伊達市は福島県の北部に位置し、計画的避難区域になった飯館村の西側で、
特定避難緩衝地点に指定、1年半後に解除された地域を含む市でもあります。
この特定避難緩衝地点については住民はかなり翻弄させられました。
いまだに解決はされていません。
住民同士の分断もそのままです。
学校教育現場においても子どもたちは精神的にズタズタにされたままです。

そのような環境であるにもかかわらず、
行政からは安全安心を刷り込む様な広報が配られ、
教育現場でも「放射線教育」と称して、放射能の安全刷り込み教育がなされている状況です。

復興や風評被害防止の流れの中では、真実さえも見えなくなり、
起きてしまったこともまるでなかった事のようになってきています。

放射能の危険性はいつしか、個人個人の「気にするか、気にしないか」という精神論にすり替えられてしまいました。

確かに事故から3年経ち、セシウム134の半減期が過ぎたおかげで
なにもしなくてもモニタリングポストが表示する空間線量は下がりました。
下がったとしても、事故前に比べるとそれでも10倍ぐらいです。

土壌汚染はかなりひどいままです。
通学路の路肩の土壌で約10万ベクレル/kg
地上近くで3~10マイクロシーベルト/h以上の汚染も点在しています。
「その部分を取り除いてほしい」とお願いしても、行政では放置したままでした。
「仮置き場がない」という理由からです。
だったら線量が高い場所を除染が終わるまで立ち入り禁止にするとか、
何かわかるように目印をつけて下さいとお願いしても放置されたままでした。
「高い場所があっても、その場所にずっといる訳ではないでしょう」
「道路ならば数秒で移動するでしょう、だから影響はありません」と、行政や国から言われました。

その場所の線量が高いと知らない人達、特に子どもたちがその場所だけを避けて遊んだり歩いたりする筈がありません。
子どもたちの行動を見て下さい。
そんな場所で座り込んで砂をいじってあ遊んでいます。
そんな遊びも事故前なら微笑ましい事でした。
今はもうそうではありません。
この環境での砂遊びや草むしりが健康に影響を与えないなんて、誰も言えないと思います。

もちろん子どもたちへの影響だけではありません。
私は通学路をどうしてもそのままにはしておけず、
汚染された土壌を自分で取り除いて、自分の庭に保管するしかありませんでした。
自宅の庭も自分で除染しました。
土嚢袋100袋以上になりました。

「自分で除染するなんて」と否定的な意見もあるでしょう。
でも、避難できない私にとって、毎日の生活をそこで続けていくためには自分でやるしかなかったのです。
そんな住民は沢山います。
子どもたちのために今すぐ線量を低くしたいと思えばそれしかありませんでした。

そんなお母さんたちに対して、
「子どもたちの被ばくを選んだバカな母親」という事を言う人もいます。
とても、胸が張り裂けそうになります。

自分のしている事はこれで良いのか?このままでいいのだろうか?という葛藤ももちろん出ています。

そのような3年間を福島で過ごした私の中では、ある言葉を受け付けなくなりました。
それは「絆」「復興」「風評被害」
とてもじゃないですが受け入れられません。
全てごまかしの言葉に聞こえます。

「復興」ってなんでしょうか?
現実を見て下さい。
「風評被害」って誰のための言葉でしょうか?
生産者のための言葉ではないはずです。

2011年、激しい余震が続く中、
多くのお母さんたちが、なぜか毎日毎日涙が出ていたという話を聞きます。
もちろん私も家族がいない時には涙がこぼれ落ちていました。
子どもの前では明るく元気にと毎日必死でした。
そうしないともたなかったのかもしれません。

2012年、現実がだんだんと見えてきました。
しかし何故か「原発事故での影響はなし」という結論ありきの県民健康管理調査が行われ、
福島県の医療機関に対して疑問が出てきました。
県民健康管理課に直接電話をしたり、国に電話をしたりしても、ますます不信感が募りました。

2013年、現状は何も変わらないのに帰還事業が盛んになりました。
なにも変わっていないのに。

伊達市は「地上1cmで3マイクロシーベルト/h以下ならば安全だから除染はしない」という方針でした。
除染にはお金がかかるし置く場所もないから、どこかで線引きをしないといけないからという判断です。
私たちはそんな線引きでどうやって暮らしていけばいいのでしょうか?
放射能汚染を忘れて生活しなさいという事ですか?
だいたい福島県伊達市というひとつの市が放射能汚染の線引きをしていいのでしょうか?
伊達市だけの基準は、私にはどうしても納得ができませんでした。

「除染なんかしたって仕方ないでしょ」とも言われます。
私だってよく知っています、除染の限界も。
でもどうすればいいのかわかりませんでした。
やはり自主避難しか道は無いのでしょうか?
出来たならもうすでにしているでしょう。
それが出来なかった。


いろいろな人から「自己破産して家も土地も全て捨てて行きなさい」と言われました。
「年老いた親も親戚も全て捨てて行きなさい。行ける人だけでも行きなさい」と。
自主避難はそうも簡単ではありません。
タイミングもあるでしょう。
今現在それができる状況ではないのです。

国や行政からは帰還事業の声ばかり聞こえてきます。
その中で声を上げることもできない状況です。
原発事故の責任はうやむやにされ、今度はすべて自己責任、こんなことってありますか?

あれから3年になります。
遠い昔の様な気もしますが、でもまだ3年です。
何一つ始まってさえないと思っています。

今年1月26日に行われた伊達市長選挙で、現職の市長は公約を追加除染に急きょ転換して当選してしまいました。
しかし残念ながら市長の考えは、年間5ミリシーベルト被曝容認のまま変わりありません。
行政だって板挟みで苦しいのかもしれません。
でももっと住民の声を吸い上げて国にあげていってくれないと、行政の意味がありません。

声を上げられない人達もいます。
だからこそ気が付いた人から、声を出せる人からどんどんあげていかないといけません。
3年経ちましたが何も変わっていないし、逆に諦めも出てきて悪化しているように見えます。

「風評被害」とか「復興」という言葉でごまかさないでください。
私たちはこれ以上切り捨てられたくありません。

果たして日本政府は本当に放射性物質の汚染について前代未聞の事で分からなかったのでしょうか?
広島長崎での原爆経験、チェルノブイリ原発事故、原水爆実験でのマーシャル諸島などでの被爆、
第5福竜丸事件も、世界にはもっともっと放射能汚染のデータがあったはずです。

飛行機の搭乗とか医療被曝と比較しなくても、
過去の放射性物質の被ばくと比較すればいいじゃないですか。
データもある筈です。
知っているでしょ?
知っているからこそこの3年間国や東電や県のやってきた事は被害を小さく見せる事だけだったのではないでしょうか?

県の健康管理調査を見てもハッキリわかると思います。
被害をできるだけ小さく見せようとすること。
そのために私たちはあらゆる方向で翻弄させられ、
住民自ら分断するように仕組まれてしまったのではないかと思っています。

被害者本人から被害を語れなくされています。
被害を語っても自分たちにはなんにもよいことがないからです。

「実害」なのに「風評被害」という言葉でごまかされてしまっています。
差別される恐怖。

この原発事故被害とは矛盾ばかりを生み出しました。
被害にあったのに無かったかのようにしていくのです。
全て切り捨ての考えでしょう。
私たちは今までの被ばく者の方々が味わった事を無駄にしてはいけないのです。
どんなに苦しく悲しかったか。
声を上げることもどんなに勇気が必要だった事か。

私は当事者になってまだ3年ですが、
被ばく者の方々の悲しみや苦しみがちょっとだけ理解できました。
今日ここに言葉を寄せる事でさえ身構えてしまいました。
それだけ相手は大きいのです。
でも泣き寝入りはしたくありません。
切り捨てられたくありません。

事故から3年です。
まだ3年です。

おかしいことはおかしいと、声を出させて下さい。




【福島原発告訴団】
「沢山の被害者がいるのに加害者がいないのはおかしなことです」武藤類子さん3/1(文字起こし)




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コメント

非公開コメント

No title

書き起こし大変でしたね。

とても理知的で正しい情報認識をしておられる
お母さんだと感心しながら読まして貰いました。

当然線量で3μsvも5μsvも受け付けられる数値では
無いのが当然です。それでも「行政も板挟みで大変」と
一言入れざるを得ない配慮をしているのが哀しいです。
外部被曝でこの数値であって、内部被曝を加えると
全部で6とか10だという感覚です。ヒドイ。

あれから3年としてセシウムの半減期が2年のが
ありますから相当低くなったとしてもこの数値で
唖然とします。関東で知っている所で0.1μsv、
沖縄で0.06μsv程度が所持している「SOEKS-01M
ガイガーカウンター放射能・放射線測定器」の数値。
台湾の台北のホテルの部屋で0.18μsvでしたし、
台湾の原発の廃棄物管理が悪くて使い回し物の
悪影響があるところ、例えば市内の飲食街にある
地元の家庭料理がウリのお店で0.28μsvが出て
慌てて飲み込んで外に出た経験があります。

そんなところに・・気を悪くして貰っては申し訳ない
のですが、とても人の住む地ではないという気持ち
です。

「絆」「復興」「風評被害」・・世論・情報操作の言葉、
本当に良くわかりますよ。このブログでさえも少しだけ
まともな反論の糸口になるコメントを出すと直ちに
突然言論封殺的なのが飛び込んできてしまうのが
日本列島状態ですからね。でも真実は具体性の中に
あると言うし、中国のnet論壇ではそういう体制擁護の
一口コメントをする事に五毛(約40円程度かな?)貰える
工作員の組織があり、みんなから軽蔑されているので
ま、負けないように正義を信じて根気強く頑張って行き
ましょうと、伝えたい気分です。

各地の数値が現在どうなのか安価な測定器で比較的な
認識でしかありませんが、皆さんのところはどうか、
間違っても行政の公表しているのは信じる方が
大きな間違いだと言うことも確認しておきたいものです。

では、長くなったのでボツかも知れませんが・・(^_^;)

チェルノブイリでも3年は何もないようにみえた

【南相馬市の汚染 脳卒中発症率なんと3.4倍!!南相馬市立総合病院副院長 及川友好氏】
とある原発のブログ
http://blog.livedoor.jp/home_make-toaru/archives/7572812.html
http://www.youtube.com/watch?v=QS34wMR6ZBc&feature=youtu.be&t=2m11s
南相馬市立総合病院:副院長 及川友好(脳神経外科)氏が、証言。『私自身は脳神経科医です。【恐ろしいデータ】が出ています。我々の地域での脳卒中発症率が35歳から64歳の壮年層で3.4倍にまで上がっています。』
http://blog-imgs-51.fc2.com/j/y/o/jyouhouwosagasu/soumusyoujinnkoutoukei120901010.jpg
http://ameblo.jp/sunamerio/entry-11380553912.html
http://www.asyura2.com/12/genpatu25/msg/552.html#c610

あの時は異常事態でした…いまもそうかも、慣れただけで

>2011年、激しい余震が続く中、
多くのお母さんたちが、なぜか毎日毎日涙が出ていたという話を聞きます。

わたしもそうでした!あの頃、涙腺が壊れたかと思いました。ちょっとしたことでも泣けてきて… 市販の胃薬と安定剤を飲んでいました。
涙腺は半年くらいで治りました?が、3年たってもなお、前の記事にあるように加害者が曖昧模糊として全く追及されておらず、
国民同士で牽制しあう虚しさです。

国民の血税は肝心のところに回らず、無駄遣いばかりしているように見えます。

No title

ご苦労様です。感謝しています。

「伊達市にお住まいのシマアケミさんの手紙」文字おこしから

果たして日本政府は本当に放射性物質の汚染について全体日本の事で分からなかったのでしょうか?

全体日本→前代未聞 のようです。

上のコメントの方へ

書き起こしには〜
「果たして日本政府は本当に放射性物質の汚染について前代未聞の事で分からなかったのでしょうか?
広島長崎での原爆経験、チェルノブイリ原発事故、原水爆実験でのマーシャル諸島などでの被爆、
第5福竜丸事件も、世界にはもっともっと放射能汚染のデータがあったはずです。」

とあり放射性物質での健康被害のことでしょうね。
前代未聞ではありません。
世界には健康被害のデータは山ほどあります。
ちゃんと勉強していない、探そうとしていない、見ようとしていないだけでしょう。(日本政府)
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