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03.06
Thu
福島原発事故から3年 これでも罪を問えないのですか 被害者証言集会
2014/03/01



鏡石町から北海道へ家族で自主避難されているホンダジュンコさんからお話を伺います
2014030316.jpg

1:56:35 http://youtu.be/x4n14TcK79U?t=1h56m35s

私は福島県の中通り鏡石町から北海道札幌市に家族で自主避難しました。
私が避難を決断したのは娘の身体に異変が起きたからでした。
福島で原発事故が起き、その直後の4月から学校へ行き出した、
当時中学3年生の娘の顔じゅうに、今まで見たこともない様な赤い発疹が出て、
さらにとびひの様になり、
母親の私は驚いて病院へ連れていきました。
医師からこれは「とびひではない」と診断され、
後になってチャルノブイリの症例で、皮膚が弱い人に虫刺されのような症状が出ていたと尻愕然としました。

学校に電話をかけて
「放射能の被害が心配だから、地産地消の給食と屋外での活動を止めて欲しい」とお願いしましたが、
校長先生から「国が安全だと言っているので全く問題がありません」と説明されました。

「アトピーという理由ならば」と何とか了解をもらうのが精いっぱいでした。
そのような環境に子どもを置いておくわけにはいかないと判断し、
娘の健康被害を恐れ、事故から3か月後の6月に夫と娘が先に、
私は経営していた美容室の自宅兼店舗を閉め、支店へ御客様を1ヶ月で引き継ぎ、
7月に札幌へと移りました。

愛する故郷。
15年かけて人をにぎわせてきた美容室。
お客様、スタッフ、親友。
そして両親と●の別れ。
「考えたら避難なんかできない。何も考えず娘の将来だけを考えよう」と自分に言い聞かせました。

住み慣れた自宅の整理をたったひとりで行いながら、子どもたちが小さい頃に撮ったアルバムの写真を眺め、
「どうしてこんなことになってしまったのかな」と虚しさでいっぱいになりました。

生まれて初めて訪れた北海道の暮らしは、思っていた以上に辛く厳しい現実がありました。
夫は数カ月後に仕事が決まったものの、給料は月10万ほど。
私は一人で一から美容室を始めましたが、当然はじめは赤字からのスタートです。

美容室をオープンして1週間目に疲労が重なり全身が硬直して動けなくなり、丸1日寝込み自身を消失しました。
専門学校に通っていた息子の学費が払えなくなり、中途で学校を辞めてもらいました。
受験生だった娘は高校受験を控えての転校。
どんなにか心細かったでしょう。

私たち家族はお互いに涙を見せないように、毎日隠れて泣いていました。
右も左も分からない札幌での生活は、家族が協力しなければとてもやっていけない。
慣れない環境で180度変化した生活に、精神的にも肉体的にもギリギリの状態でした。

自主避難のため東電からの補償は無く、
激減した収入、貯金を切り崩しての生活、
持ってきた車を手放し、生命保険を解約して、
最低限の生活を維持するためにほとんどの財産を捨てました。

避難してから1年後には残してきた支店もローンの残した●も手放しました。
福島に残るスタッフや近所の人との関係もぎくしゃくしていき、
友人や両親と簡単に会う事も出来ない
放射能への考え方からお互いの心に溝を作ってしまいました。

私が避難した事に対し地元では
「経営がうまくいっていなかったから避難したんだろう」と噂になっていると聞きショックでした。

あまりの辛さに東電に電話して泣きながら怒鳴り散らしたことも何度かありましたが、
電話の後には相手を傷つけてしまった罪悪感に落ち込みました。

札幌では、今動かなければ国や東電に原発事故の被害をもみ消されてしまうという思いもあり、
やったこともないラジオやテレビ取材を受け、避難体験を話すイベントなど
自分がやれる事は全て受けました。
デモも行きました。
東電への訴訟や原発告訴へも加わりました。
生活もままならない中、●がこえていました。

何故私たちはこんな思いをしなければならなかったのかと、
怒りと悲しみで苦しくて毎日毎日眠れない夜が続きました。
笑っていないと今にも崩れていきそうで、
人の前では笑って、心の中では泣いていました。

避難してから2年半が過ぎ、なんとか生活も落ち着き、やっと心から少し笑えるようにもなってきましたが、
それでも福島の時の様に安定した生活を取り戻すことはもう無理だと思います。

私には国や東電に対する強い不信感があります。
子どもの甲状腺検査にしても国の対応があまりにも遅いため、自費で検査をしましたが、
1年前に検査した時よりも甲状腺ののう胞が増えていたこともあり、
医師は「大丈夫」と言いますが、私はまったく安心できません。

最近では避難した当初の話を聞いてくれた札幌の人達も、
メディアで報道されないためか、「もう原発は落ち着いた」と思っている人
「そんな暗い話はもう3年も経つし聞きたくない」という、言えない雰囲気が漂ってきました。

私は本当の被害はこれから出てくるのではないかと危惧しています。
母子避難者である友人の中には、私の知り合いの中だけで4人も離婚した人がいます。
やはり放射能に関する考え方の違いで、ずっと家族がぶつかってきた結果選択せざるを得なかったのでしょうが、
どれだけの苦しみをみんなが味わってきたのだろうと想像します。

しかし、私はもう泣かないと決めました。
悲しみや怒りの感情は自分自身の細胞を傷つけ、
負の感情は大切な家族や周りの人をも傷つけてしまいます。

何のために避難したのか?
わが子を守るために避難したのだから、病気になったのでは意味がない。
泣いて暮らす事よりも動く事が大事。
笑って動くしかない。と、苦しみぬいた時間から答えをもらいました。

私が強くなれたのは、ある意味この体験があったからだと思います。
だからといって、私たちの平穏な生活を奪い、原発事故の被害を隠蔽し、
子どもたちを被ばくさせ続ける国や東電を許すことはできません。

人として間違った道を歩む国と東電に対して、
私たちは大人が言わなくて誰が言うのでしょうか。





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【「自分でヨウ素剤を飲んだ連中」が今一番「放射能は安全だ」って言ってる連中なんだよね!人間じゃないよ】事故直後,福島医大の医師たちはヨウ素剤を飲んでいた!!以下は,福島バッジプロジェクト(FUKUSHIMA Badge Project)さんからの引用です。http://blog.livedoor.jp/home_make-toaru/archives/7561240.html
福島県のフクシマン・マサです。・・・福島では原発事故以降、3000人に1人の割合で、子供たちが、甲状腺がん、もしくはその疑いあり(手術を待っている状態)と診断されています。原発事故前は、小児甲状腺がんにかかる割合は、100万人に1人以下とも言われていましたので(国立がんセンターの10歳児以下の統計)現在の発生率は、事故前の300倍にも上ります(※現在約27万人のフクシマの子供たちの甲状腺検査が行われ、75人が甲状腺がん、もしくはその疑いありと診断されている)。これらの甲状腺ガンは安定ヨウ素剤を飲んでいたら防げていたかもしれません・・・この問題は、本来であれば、福島民友新聞や民報新聞などの地元紙や、全国のマスメディアが報道をするべき、大きな問題だと思います。もしも、この問題をメディアはもっと取り上げるべきだと思ってくださる方がいらっしゃたら、お近くの新聞社やテレビ局に連絡してみていただけますでしょうか。・・・今回の記事の全文は、現在、発売されています。【~3.11から3年 フクシマの真実~「安定ヨウ素剤を飲んでいた県立医大医師たちの偽りの『安全宣言』」(FRIDAY 2014年3月7日号)】※参考資料として、福島民報新聞・福島民友新聞の連絡先を、添付しておきます。よかったらご活用ください。福島民友新聞編集局報道部(記事に対する意見)メルアド hodo@minyu-net.com 総務部(民友新聞に対する意見)メルアド somu@minyu-net.com 報道部 TEL024ー523ー1390
真実の追究 | 2014.03.06 09:30 | 編集
【セシウム汚染限界は箱根の山を越えました!!】
とある原発のブログ(3月6日)
http://blog.livedoor.jp/home_make-toaru/archives/7572825.html
続研究日誌モンテカルロ(2014年3月2日日曜日)
http://uklifememo.blogspot.jp/2014/03/blog-post_2.html
セシウム汚染限界はどこにあるのか?:関東平野の西側の場合(1)箱根宮の下
【1】福島第一原発からやってきた放射能プルームは東京そして関東平野を汚染し西進した。私が2012年に調べた・・・少なくともLB2045で検出できる数十ベクレル/キロを境とする「汚染限界線」がどこにあるかと問えば、それは関西と関東の間のどこかということになる。・・・その結果は、静岡にはセシウム汚染の兆候が確認できるが、名古屋には見られないというものだった。しかし、限界線に近い地域の汚染はかなり弱く、微妙な判定が求められた。・・・【2】だが、今はLB2045の生成する数値データにアクセスできるようになったので、限界線近傍の微妙な判定をより正確に下せるようになった。そこで、これらの地域の再分析を試みようと思う。まずは、2年程前に協力者から提供された箱根の宮ノ下(ここは神奈川県)の土壌の分析をやってみよう。・・・この結果、誤差は±3Bq/kg、検出限界は9Bq/kg弱と結構な精度の測定となった。測定の結果、算出された放射能レベルは112.1 Bq/kgであった。スペクトルを見てみると、きれいな「セシウム三兄弟」が確認できる(つまりCs-137の660keVのピークを真ん中にして、両脇に低めのピークを持ったCs-134の606keVおよび796keVの2つが立っている構造)。箱根の宮ノ下のセシウム汚染は微妙どころか、明瞭だったことにある意味驚いた。汚染限界線は天下の嶮である箱根の山々を越えていってしまったことがこれではっきりした。
真実の追究 | 2014.03.06 11:15 | 編集
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