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「 もしも福島市に避難指示が出されていたら...」FTV報道特別番組3/11 (内容書き出し)

FTV報道特別番組
もしも福島市に避難指示が出されていたら...

)
2014年3月11日



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若槻麻美アナウンサー:
孤独死や震災関連死の原因となっているのが避難指示です。
混乱を極めた大地震と原発事故のあと、人口およそ30万人の福島市では、
多くの方が避難生活を送る一方で避難を加速しました。

あの日、「福島市にも避難指示を出すべきかどうか」政府内でギリギリの議論が進められていました。


福島市 検討された避難指示
線量急上昇 その時政府は住民は



2011年3月12日、ライフラインが分断された福島市も混乱を極めていました。

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多くの人が食料や水を求めて長い列を作り先の見えない現実と向き合っていました。
混乱の中で続いた余震。

福島市から60kmほど離れた福島第一原発では
1,3,4号機の原子炉建屋が爆発し、極めて深刻な事態に陥っていました。

菅首相(当時)会見 2011年3月15日
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20km以上30kmの範囲のみなさんには
今後の原子炉の状況を勘案しますと、
外出をしないで、自宅や事務所など屋内に退避するようにしていただきたい。
(「3号機付近で毎時400ミリシーベルトを観測」「<福島第一原発>4号機で火災発生中」のテロップ)


3月14日 放射線量が急上昇
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避難先の福島市で多くの住民が受けた放射能検査。
その福島市内でも急激に放射線量が上昇していました。


これは放射性物質の拡散を予測するスピーディーを再現したものです。
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3月15日、原発から北西方向にある福島市でも、多くの放射性物質が拡散していました。
この日は午後7時、福島市の放射線量は毎時24マイクロシーベルトまで上昇したのです。

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多くの人が行きかうJR福島駅前です。
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福島市は福島第一原発から60km以上離れていますが、
3年前の原発事故直後30万人の福島市民を避難させるべきかどうか?政府内では検討されていました。


官房副長官を務めていた福山哲郎参議院議員。
当時官邸内で行われていた議論をこう振り返ります。

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福山哲郎元官房副長官:
「福島市の方を全員避難していただくには一体何日くらい要するのか」とか、
最悪の事態を想定すれば、検討しない方がおかしいですね。


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あの日、福島第一原発に向かった菅元総理。
避難指示の拡大はギリギリの選択だったと話します。

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菅元総理:
当時はですね、まだ、かなり後までメルトダウンは起きていないというような方向でしたから、
実は当時の認識以上に危ない状況だったわけです。
一方で、厳しい基準で避難してもらいたいという思いと同時に、
一方で、やはり地域社会が、こう…、なんていうかな、成り立たなくなるというですね、
そういう心配を、あの、…県の中のみなさんも持たれてましたので、
ま、やはりそういうところの判断は、あの非常に、あの苦しみました。


政府が福島市に避難の指示を出すかどうかの判断を迫られたのは
東京電力が示唆した福島第一原発からの「撤退」の二文字でした。

当時首相補佐官を務めていた寺田学さんです。

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寺田学元首相補佐官:
「撤退をする」という意味自体を理解するのに時間がかかりましたね。
もしそれ(原発)がそのまま放置された時には、
ま、「日本がどうなるか」というか、「世界がどうなるんだろう」というぐらいの深刻さを持ってたと思います。


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自衛隊と消防が行った上空と地上からの放水活動。
これがなければ30万人に避難指示が出された恐れもあったのです。


寺田学元首相補佐官:
コンクリートポンプ車、いわゆるキリンと呼んでいましたけれども、
キリンがあった事で本当に助かりましたね。
もう、直接上からダイレクトに注ぎ込めるという事は、革新的な違いがあったと思います。

福山哲郎元副官房長官(当時):
もし線量が飯舘や川俣の様に高い場合は、
躊躇なく福島市も避難指示を出してたと思いますし、お願いをしていた筈です。
ただそれはあくまでも、一部としての高いところはありましたけれども、として高かったわけではないので、
そこは避難指示を思いとどまったというのが当時の、僕は考え方だったと思います。


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あの日、放射線量が上昇する中、多くの人が福島をあとにしました。
事故から3年。
福島市に避難指示が出されていたら、どうなっていたのでしょうか?

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あの小さな町ですら結構なパニック状態にもなってた中で、
こんなに人が多いところで、もしそんなだったらもっと大変だし、
復興にも時間がかかってたんじゃないかなと思いますね。

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会社とか、社会が稼働している限りは絶対避難って難しかったじゃないですか。


Q:福島市に避難指示が出ていたらどうなってたと思います?
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福島に避難指示が出てたらもう…、おそらく東北全部ダメだったんじゃないかね。



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延増惇アナウンサー:
本当にぎりぎりの選択だったという事がわかります。
福島に限らず、避難指示が出される事は、これは住民や企業にとって大変なことになりますよね。

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久保田直監督:
そうですね、まあ、あの経済全体が本当にダメになるっていう事は、
もうそこから人がいなくなるっていう事自体が、大体大変な事ですから、

延増惇アナウンサー:そうですね。

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【番組概要】
2014年3月11日(月)16:52~17:54に放送されたFTV報道特別番組

【出演】
延増 惇(FTVアナウンサー)
若槻麻美(FTVアナウンサー)
ゲスト:久保田 直(映画監督)




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コメント

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No title

私がいわき市の北部の四倉高校の体育館に避難していた 3/15、
例の3号機の大爆発のプルームと、ヨウ素基準で言えばそれ以上の数値の2号機からのプルームが通った直後ですが、
文科省の専門の職員がふっ飛んでやってきて、地区の区長が一体ここはどうなっているのか、と聞くと、0.3mSv/h と答えています。300 μSv/h。
区長がいちいちメモしていて、こちらも確認しています。
それで、体育館は一つの入り口以外は完全に戸締まりをして黒いカーテンで覆いました。
降雨がなかったので土壌沈着は少なくて済みましたが、外に出ていた人や動物は吸い込みました。
津波で家がやられた人は昼間はずっと片付けに戻っていたわけです。
この2号機のプルームは関東まで達したやつです。
このリスクが全く語られていません。
いわき市は、ヨウ素の被害が大きいことが分かっているのに、甲状腺検査が一番最後に回されています。
それで、今の森まさこ大臣には、放出総量と、近距離なので濃厚なままの危険な核種がどこにどう落ちているか知れないことを考えれば住民の移住しかないだろうと、二度膝詰めでやりましたが、電話が来たふりをして逃げられ、結局、大臣の椅子で買収され。

放射能被爆を放置容認

寺田や福山カン等は自公(ソウカ)“合体”政権が長く続けている
原発推進の陰に隠れているけど、「犯罪者」の定義づけにも位置
づけにも難題を持つけど、犯罪者です。福山なんかズブズブの
市場原理至上主義者です、他もそうですが。

「避難」をネガティブにしか受け取っていない住民だけだという
キャンペーン報道だったとしたら、これもまた放射能被爆を放置
容認の犯罪です。

福島住民が心配していないのなら、ましてや他のところでは放置
容認しない方がおかしいということなんでしょう。何も難しいことを
流しているわけではないんです。

と、いうことを伝えたい・・ですよね(^_^;)

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