池田さんはマラソン大会で米兵相手に1位を争うほど
たぶん、小さい子どものころから体力には人一倍自身があって、運動能力が高くて、
そして鍛えて一般の同じ年齢の男性よりもずっと頑強な身体を持っていたんだと思います。
なのに、米軍のバスに轢かれ、ろくな治療も受けず、何の補償もなく、放置され、
その上、嫌がらせを受け職を失い、いまは一日のほとんどを寝て過ごし、
ちゃんとした食事をすることもできず、痛みに耐え生活保護を受けているという。
なんか…どう考えても納得がいかない。
けれど、これが現実。
自衛隊は国の機関だから、
自衛隊員になにかあれば、当然その隊員はきちんと国から補償してもらえるんだと私は思っていました。
けど、そんなことはなかったんだと・・・
今までの私の中の「当たり前」と思っていた事が
どんどんガラガラ崩れていきます。
知らなかった事が多すぎる
ーーーー
2014年3月20日(木)16:00~
元イラク派遣空自隊員と問う、集団的自衛権
池田頼将氏(元イラク派遣空自隊員)、
川口創氏 (自衛隊イラク派兵違憲訴訟弁護団)
志葉玲氏(フリーランスジャーナリスト)
動画はこちら→http://www.ustream.tv/recorded/45089862
47:34~
志葉:
それでは、みなさんに池田さんに何が起こったのか大体分かって頂いたところで、
池田さんに話を振っていきたいと思います。
事故にあった直後、まさにその時の事をちょっと振り返って頂けますか?

池田:
とりあえずは、アメリカが独立記念日だったので、
先着何名とかに入賞すると記念のTシャツがもらえるので、その記念Tシャツをもらうために僕は参加して、
そして1等賞をとったらもっといいTシャツが、米軍の方から貰えるという感じだったので
7月4日は体調を万全にして、早く寝て、そして朝6時にスタートしました。
そして、5kmマラソンなんですが、ありあり・・・、ちょっと舌が回らないのですが、
ありありあるむ基地内でのマラソン大会で、
5kmは、片道2.5km走って、給水があって、
先頭集団を走っていて、先頭集団は後続集団よりも何100mも先に先頭集団。
米兵2人と僕1人と、その3人で上位決戦になるのかなと思って、
で、その時に給水ボトルで2.5km付近、
Uターンの時に給水ボトルを無事に2~3回飲んで、
「よし、これで米兵2人追い越すぞ」という考えを持って走った瞬間にドスンっ!という音とともに気を失って、
それから、さっきも説明があった通り、
気が付いた時には米軍の医務室でした。
志葉:
その時、「全身血まみれだった」というふうに前聞いたんですけど、
池田:
その時はもう、痛くて、興奮というかアドレナリンみたいなものが湧いていて、痛いのが先にあって、
それで米軍の●、小指の第一関節位ある大きい、すごく、日本で見た事のない錠剤を4錠飲まされました。
志葉:痛み止めなんですかね?
池田:それは眠らせようと。
志葉:睡眠薬
池田:
睡眠薬だと思いますけど、
それを飲んでから僕は全く記憶がありません。
それで次に目が覚めたのが23時間後の自分の自室のベットの上でした。
志葉:で、ひどいのが、米軍が「お前たいしたことない」と言ったわけですよね。
池田:そうです。
志葉:
いや、バスに轢かれたんですよ。
さらにひどいのは、自衛隊も「米軍が言うんだから大したことないんでしょ」
そういうふうな事を言われた訳ですよね?
池田:そうです。
志葉:
で、何度も「治療を受けさせてくれ」だとか、「日本にいったん帰らせてくれ」だとか、
池田さんは言ったんですよね?上司に、何回も。
池田:はい。何度も上司にお願いしました。
志葉:その時の空自の最高責任者も派遣部隊の最高責任者もその事は知っていた。
池田:知っていました。
志葉:お見舞いに来たんですよね。

池田:
イラク復興支援隊長が「具合はどうだ?」という事を僕に聞きににきて、
僕はソファに横になって仕事をしてたんですけど、
「何とか仕事ができる状態です」とはしゃべりました。
志葉:そうですね、通信兵なので指先がかろうじて動けば、という感じなんですかね。
池田:
はい、その通りです。
二人で勤務するので、チームとなって、僕の後輩がほとんど仕事をして、
最終確認は僕がソファで横になりながら間違いがないかチェックしてそれを日本の航空幕僚に送る仕事でした。
志葉:
普通はそういった事故とかが起きるとすぐ日本に連絡が行きますよね、防衛省の●の方に。
池田さんの事件はどうだったんんですか?
池田:
僕の場合には・・、
僕は通信員で一番良く分かっているんですけど、
クエート内の事故で、3日目ぐらいに韓国軍のテポンド―の練習で、
勝手にその人が練習していてアキレス腱を切った人がいるんですよ。
そのアキレス腱を切った人は、もう即日本に帰国させてもらえました。
そして僕の場合は、多分イラク復興支援隊長が2回もこういう事故が続くと、
イラク復興支援隊長も自分の階級出世にも関わると思って、
僕は隠されたんだなと、80%はそう思います。90%思いますね。
そして僕は通信員だから、全部事故とか、事故速報とかは、東京の市ヶ谷の防衛省に全部FAXを流すんですけど、
そのアキレス腱を切った人は即事故速報として流して、本採用になってて、
で、僕の事故速報は航空幕僚長には一切流しませんでした。
それで僕は通信員だから、もうそれは事故を隠しているというのは確信に変わりました。
以上です。
志葉:
まさに轢かれたという、民間ウェッジ(WEDGE)企業、
米軍関係の民間ウェッジ企業にまさに轢かれたという事自体が本当にひどい事ですけれども、
その後の対応がもう本当に、聞けば聞くほどひどいみたいな感じで、
で、なんとか日本に帰れたのが、任務が、派遣期間が終わるまで結局帰れなかったんですよね?
池田:はい。その通りです。
志葉:それで、その間はずっとコルセットをしていた訳ですよね。
池田:
ずっと、ずーっとコルセットを首に巻いたまま、
あと痛み止めの湿布を貼って、
それで、顎がどうしても斜めに開くのがつらかったので、
ご飯食べる時も、あの、
一応クエート内では日本人の料理人がいて、朝ごはんと、
朝食はご飯とパンと選べるんですけれども、僕はみそ汁とご飯を取って、
ご飯に味噌汁をかけてとにかく噛まないように飲み込むような感じで食事をしていました。
志葉:顎を動かすと「パキンッ」という音がして、すごい激痛が走るみたいな、
池田:
そうです。
そうです、顎がもう2cmぐらいしか開かなかったので、その時。
志葉:その後病院に通う中で、結局顎の蝶つがいの部分を取ってしまったんですよね?
池田:
あのー、左半分の、米兵のバスから左半分を後ろからドスン!と轢かれたので、
撥ねられているから、左の軟骨円盤というやつが前方に転移していたんですよ。
志葉:
ここにある骨の事ですよね。
これが前にグワーッって出たっていう事
池田:
軟骨円盤が前に転移してたんです。
そしてそのために顎がまっすぐ開かなくなり、斜めに開くようになって、
それがものすごく、本当に口を開けるとすんごい激痛が走るんです。
だけど、もう…、本当にみそ汁だけとか、噛まないでいい様な牛乳とかで栄養をとりながらという感じでした。
志葉:
で、その顎の状態は、その後残念ながらますますひどくなってしまったというか、
軟骨円盤を取ってしまったので、顎が動かなくなってしまったと。
池田:
はい、そのとおりです。
新潟へ転勤する前は、新潟大学の顎の関節、顎関節っていわれるんですけど、
その両側の軟骨円盤を切除したがために、ますます、あの。
最初の1~2ヶ月3ヶ月は普通にまっすぐ開いて食事はとれてたんですけど、
だんだん、だんだん、軟骨がないので骨と骨が癒着してくるっていう、
骨と骨が引っ付いてきて、結局はもう最後までものを食べられなくなりました。
志葉:
今は、池田さんは、
これは今、普通に喋ってらっしゃいますけれども、
実はですね、顎自体はほとんど動いていないんですよね。
中で舌が動いているのと、あと唇が動くという状況で、
ですので、池田さんがどうやってお食事を取られているのかというと、
こういった、いわゆる流動食というか、液状のものを歯の隙間から流し込んで食べてらっしゃるんですよね。

池田:
その通りです。
液状の流動食のラコールというのがあるんですけれども、
このラコールを「一日4本まで」って医者から決められているんですけど、
僕は一日10本ぐらいラコールを飲みます。
もうどうしてもお腹が空いてたまらないし、たまにテレビでステーキとか出たらすごく食べたくなるし、
だからテレビの食事の番組はもう、見ないようにしています。
志葉:
この前池田さんと話をしていた時に、
年末になるとみんなで集まって、ご飯を食べたりすることもあるんだけど、
池田さんだけ、やっぱりご飯が食べられないから、
それがものすごく辛いという事をおっしゃっていましたね。
その、単純に「食べられない」という事だけでも大変だと思うんですけれども、
この前、ご自宅に取材に行った時も、
すごく部屋をあったくして、ジャンバーを着込んでいらっしゃいましたよね、それはどうしてですか?
池田:
流動食に代わってから、すっごく寒がりになって、
体温がすごく低くて、もう外にも出れない位の寒がりで、
寝るときなんかもエアコンをずーっと付けて、でもなんか良い方法はないかなと、
僕は一日24時間あったら20時間はずーっと家で横になっている身体なので、今の症状は、
20時間横になっているので、
電気毛布もある方から頂いて、その電気毛布でくるまって寝ると、寒さが和らぐっていうか、
だけどもう、冬は本当にもう、ラコールだけじゃ体温も上がらないんです。
お米とかお餅とか、そういうのを食べると身体が温まるんですけど、
正月にお餅を、親から、お餅を本当に融ける状態にして、だし汁と一緒に飲んだ時は、
やっぱりお腹に入って、あの、やっぱり体がほてってくるっていう感じが良く分かりました。

志葉:
初めて私が池田さんと会ったのは、まだ池田さんが新潟に住んでらっしゃった頃なんですけど、
新潟は寒かったですね、本当に。
池田:
本当に寒いです。
もう●だったら死んでいます。
いま新潟にいてたら死んでましたね、完全に。
志葉:だからそういう寒い時はほとんど家にいて外に出ない状態ですね。
池田:そうです。全く外に出ていません。「ひきこもり」ってやつですね。
志葉:
そしてやっぱり、悪いのは顎だけじゃなくて、
いろんな、体が痛いとかそういう症状があると。

池田:
はい、
もう痛いのは、特に痛いのは、今日は雨の日なので、
目の僕からみて左の、左目の眼球の奥がガンガンガンガンして、
それで次に腰ですね。
腰が痛くて。
一番痛いのは頭痛です。
その次にこの首の頸椎。
頸椎からもう、すごく痛いです。
もう頭を支える力がないのか、事故の後遺症なのかちょっと分からないんですけど、
もう本当に頸椎とか腰とか、
特にこの雨の日は本当に最悪な身体になります。
志葉:
雨の日にかり出しちゃって申し訳ないんですけれども、
あの、だから寝るときなんかも大変ですよね。
私が取材に行ったときなんかも睡眠薬を飲まれてたと思いますけれども、
結構強いのを飲んでらっしゃるみたいで、これ見せていただいたやつですね、前に新潟に行った時に。
もう睡眠薬なしでは眠れないような状況ですか?

池田:
睡眠薬がなかったらもう、心臓がバクバクして息苦しくなってもう絶対に眠れない。
身体が睡眠薬を欲しがるんですよ。
それでお医者さんからは1日これ1包だぞって言われている強い睡眠薬を一日2回飲まないと
僕は身体の呼吸困難を止める方法はそれしかないんですよ。
だから毎回早めに病院に行く事が多々あります。
志葉:
池田さんがイラクから帰国されて、いろいろパワハラというか、嫌がらせというか、
という様な事が何度かあったと思うんですが、
その「原因は何だったのかな?」というのと、
その中で一番つらかった事というのはどういう事だったんでしょうか?
池田:
僕のパワハラの原因は、まず最初に、
僕は仕事で、電話で●に注文をしていたら、
後輩の隊員が、僕が35歳ぐらいでまだ25位の後輩の隊員が
「うるさいから外でしゃべって下さい」って言って、
だけど、その部屋で型番を見ないと●できないので、
型番を見て電話を切って、その「うるさいから外でしゃべって下さい」って言った人間を、
中川っていうんですけど、中川を呼んで、電話を切った後、
「うるさいとはどういう事や」
「これ仕事で僕は、仕事でやっているのに、どういうこどだ」って言ったら、
中川の同級生の友達は「徒手格闘」という自衛隊で人を殺す格闘技があるんですよね。
徒手格闘ってテロ活動でやるんですけど、徒手格闘っていう。
で、徒手格闘の教官がいきなり入ってきて、
僕の胸を手のひらで思いっきりドーンッ!と押して、僕は2m位吹っ飛んだんです。
それで僕はすぐ、すぐに胸が苦しくなって、痛くなって、
病院にすぐ、通院で行きました。
そして通院して帰ってきた時に、もう、隊長を含め基地のナンバー1、ナンバー2、
隊長、副隊長、総括班長、あと人事幹部、6人か7人対僕で、
通信隊長もいましたけど、
「全部池田が悪いんだ」「全部池田が悪いんだ」と言われて、
僕も納得いきませんから、じゃあ、自衛隊にある「警務隊」という警察と一緒なんですよ。
自衛隊は警察に届けて被害届を出せないんですよ、警務隊じゃないと。
で、「警務隊に僕は連絡しますから」そうい言うと、
救難隊長という一番お偉いさんが、あの、あの
「池田、警務隊長に電話した瞬間に池田は自衛隊におられんようにしてやることになってる」と言われて、
それで翌日の朝自分の、
自分は通信員だから、テンキーという暗号のパスワードを打たないと部屋に入れないんですけど、
2回間違えて、「あれ、おかしいな」と思って、
3回間違えたらちょっと危ないので、もう一回変えないとダメになるので、
それでピンポンを鳴らしたら僕の後輩がまた出てきて、
「池田さんはもう通信班には入れませんよ」という事を聞かされて、
「え?」と思って。
なにも僕、僕に前もって話も無かったのに、「入れませんよ」という事になって、
僕は何処に行けばいいのか?
宙ぶらりん状態になっていろいろ探したら、
本当に仕事がキツイ基地業務小隊という、なんでもする仕事なんですけど、
もうその仕事は半端なくしんどくて、
志葉:重い物とか運んだりする
池田:
そうなんです。
段ボールが必要だったら段ボールを、もう体が痛くて持てないのに、無理やり「運べ」とか、
その上司が無理やり「走って来い」とか、
「なんでこんな所でゆっくりしてるんだ」とか、すっごい嫌がらせをとことん受けて、
「もうこれはダメだ」と思って、僕は依願退職に至ったんですけど、
結局は僕は●でたたかれたのは、
警務隊が捜査してくれて僕は完全に白だったんですよ。
他に一切手を出していなくて。
相手は認めたんですよ。
だけど認めたけれども、もっと偉いさんがきて、「示談にしよう」というとになって、
僕は納得が絶対にいかなかったんですけれども、
「おまえのためにわざわざ飛行機に乗って、埼玉県の入間基地から来てるんだぞ」
という事を上司達から言われているので、
「もうこれは仕方がないな」って。
それも、その、「飛行群司令」というんですけれども、
「飛行群司令」もわざわざヘリコプターで来なくても、ヘリで来なくても輸送で来れば、
ヘリできた方がお金もかかるし、これも税金なのに、ちょっと矛盾してるかなと思って、
それでその人隊長と、殴った人間の前で、「示談」という事で。
僕は殴られて1万払わされました。それだけです。
志葉:
自衛隊ってかなり上下関係が厳しいですよね、先輩後輩。
そのきっかけとなった後輩の人がですね、「うるさい!」
普通はそういう口は利かないと思うんですけれども、
そういう口を利かれるような状況が帰国してからあったという様な感じなんですか?
池田:
新潟基地に行った時にはまだそれほどでもなかったんですけど、
症状がだんだん悪化して行くうちに、だんだんだんだん、なんか嫌がらせとかが。
それで僕が身体障害者の手帳を交付してから、
それからもう、特にひどくなりました。
志葉:
川口先生もちょっとその事に触れていたけれども、
その「お前の怪我は治ったんだ」という事を執拗に求められた訳ですよね?
池田:そうです。
志葉:
「大したことないんだ」
「治癒したんだ」という事を。
池田:はい。
志葉:
で、これは前見せてもらった診断書なんですけれども、
「政治的な理由により回復」みたいなね。
「政治的圧力により回復」みたいな、すごい事がカルテに書いてあったんですよね。

池田:
はい、僕は無理やり自衛隊の方から「治癒しろ」という提案を、幹部二人が来て、
1回目に来て症状を聞いて、
2回目にはもう診断書を「こういうふに書く」という診断書を医者に、
顎の方と肩と、頚椎の方も医者に書いてもらうよう出したんですけど、
その時に個室から幹部二人に出てもらって、医者の先生と二人で話し合いまして、
「池田さん、これでもいいんですか?」って言われたんで、
「政治的圧力により治癒」という一文を残して下さいと、二つの病院にお願いしました。
納得いかなかったからです。
志葉:
まず、撥ねられてからこっち、その、無かった事にしよう、無かった事にしようというね、そういう圧力があって、
その中で症状が悪化するし、
自衛隊の中での立場はどんどんどんどん悪くなっていくし、というようなことで、
正直…まぁ、自殺を考えた事もあったと聞きますが、
やっぱり辛かったですよね。
池田:
はい。
自殺は何回も考えました。
もうこの先、生きとっても夢も希望も無いと。
「自衛隊に勤めとっても、おまえは射撃、銃も撃てないし、体力測定も受けられない身体だから、
階級は一切上がる事は無い。給料も一切上がらない」
と上司にさんざん言われ続けてきて、
この中からやりたいものも、もう無くすし、もうこんな目にあっているし、
もう本当にきつい仕事に最後は回されて、辞めるしかないなと決断して、依願退職に至りました。
志葉:
池田さんの事件の直前ですよね。
陸上自衛隊がイランのサマワから撤退して、
それで当時の小泉純一郎首相がテレビとかでもこういう様な事を言っていたのが、演説したのが映っていましてね、
「ひとりの犠牲も無く、よくぞ無事に帰って来た!」みたいなね。
多分池田さんが戻ってきてもそういったパレードというか、式典があったと思うんですけれども、
そういうセリフを聞いてどう思われました?
池田:
自衛隊はもう完全に嘘の組織、嘘の集団。
もう、嘘の塊で塗りつぶされた集団だと思いました。
もう本当にそれを聞いて憤りを感じました。
志葉:
んー、やっぱりお話を聞いていると本当にもう、ヒドイ、ひたすらヒドイとしか言えないんですけれども、
どうでしょうね、どう思われますか?
たとえば今後ね、自衛隊がどんどん海外派遣に出るようになって、
かなり危険な紛争地というか任務に就くようになって、
ま、そういうようなことになったら、
「もしかしたら池田さんみたいな人がこれからも何人も出てしまうんじゃないかなぁ」
と私は懸念しているんですけれども、
池田さん本人はどう思われますか?
池田:
僕自体は、あの、僕みたいな人間がまた第二第三と莫大に被害者が出ると思います。
日本の自衛隊は完全武装してってなってそういうふうになれば、
僕は死人も出ると思うんですけど、
国は多分死人に対しても大した慰謝料の何も払わないと思います。
志葉:
ちょっと、立場的に言える事と言えない事があるんじゃないかと思うんですけど、
イラクにいた時もですね、いろいろそういう、池田さん以外のそういう話があったというような事は、
前にちらっと聞いた事があるんですが、
差し支えない範囲でちょっと
池田:
僕は通信で、事件とか事故とか、速報ですぐに航空幕僚長の方に情報を送るんですけど、
いろいろな、いろいろな事件事故が相当起こっていました。
事件事故、言える範囲のはあんまりもうないんですけど、もっと話すとちょっと僕も罰せられるので、以上です。
志葉:
えーまぁ、押して知るべしというような状況ですよね。
まぁ、私も取材している中で、なかなかね、確証をつかめないんですけど、
こうやって証言してくれる方がほとんどいないですから、なかなか掴めないんですけれども、
たとえばその、私が聞いた話の中では、
たとえば、「米軍と撃ち合いになってしまった」とか、
それは「お互い間違えて」という事ではあるんですけれども、そういうふうな事があって、
その時のトラウマで少しおかしくなってしまった人がいるとかいないとか、
ちょっと、あくまでもあの、確証の無い話ではあるんですが、
そういうふうな事を聞いたりはしています。
ただ、池田さんは守秘義務があるので、今ここで全部話してしまう訳にはいかない所もあるんでしょうけれども、
ま、「察してくれ」という事でしょうね。
戦場に行けば当然いろいろな事が起きるというような事ですね。
1:24:42
近藤昭一先生
1:30:58
質問1:
いま生活支援というお話が出たんですけれども、
向こうへいらしてこれだけ体が動かなくなって、とっても痛い思いをしているのに、
生活だとか、体の治療に関してとか、それから今後の生きて行くためのお金とか
そういうものは一切支援がないんでしょうか?

川口弁護士:
先程の私の説明の中で今の状況をお伝えしていなかったのですが、
池田さんは今、開口量が1ミリですね、口の開口量が1ミリとその他いろいろな障害が残っていまして、
いまお住まいはご実家がある出身地の大阪の方に移られてお一人で生活されていますが、生活保護を受けています。
で、裁判を起こす前から、症状の等級を打ち切った。
症状の等級が認定されないとお金が出てこないので、
ずっとほったらかしにされていたものですから、提訴する前の段階で入間基地の方に私たち弁護士が行ってですね、
「はやく等級を出せ」という事をせまって、
裁判になった後もずっとせまっていて、「もうじゃあ裁判を起こすぞ」と。
「別の裁判を起こすぞ」と言っていた時に、去年の12月にやっと障害の等級が出ました。
10級という、かなり低いものでした。
こちらとしては3級相当だという事で請求している訳ですけれども、
かなり低い「一時金で終わり」という事で、
一時金の金額は申し上げられませんが、出てもですね、生活保護のお金を受給する以上、
条件として裁判で入ったお金があれば、その治療費とかそういうので
生活保護で使ったお金に全部返せという条件が付いていてですね、
一時金をもらってもそっちにいって生活保護に返さなければいけないと。
今後も生活保護を受けて行く中で、ここから裁判で勝ってもですね、
過去の生活保護の需給のお金を返さなければいけないという事になっていて、
なんとか生活保護ということではなくて、なんとか池田さんが自立できる道は無いかなと思っているところで、
生活を支えていただける事はありがたいんですけれど、
なかなか、ここにおいでのみなさんはカンパ義務があると思うんですね、どんどんカンパしていただく。
いろいろあるのでなかなか難しいかもしれませんが、
そういう形で大阪や名古屋とかでささえようとは努力はしていますけれど、
お金の形でなくてもかまいませんので、いろいろな形でこういう声を広げていただくということを
今の状況としては生活保護のお金で全部、裁判で入ったら、
今回の一時金も入ったらそれで補てんという事になっちゃうので、
いろいろ厳しい状況にあることは事実です。以上です。
質問2:
この自衛隊の派遣の流れ、
自衛隊の内部から行きたくないとかそういう事は言いづらいと思うんですが、
そういった場合に市民の方で「行くな行くな」と、「行かせられない」という声は、
自衛隊の内部の人達にとっても実はありがたいことになったりするんでしょうか?
池田:
自衛隊に入ると、そもそも「上官の命令に従う義務」というのがあるんですよ。
だから上官が「どこに行け」夜中だろうがなんだろうが、
上官が「トラックで飛行機の部品を運べ」って言ったら絶対にやらなきゃいけない。
それに「いやだ」と言っちゃいけない義務があるんです。
上官の命令に服従に。
自衛隊の7大義務の中の一つです。
これで、わかりましたかね。
志葉:
拒否権は無いという事ですよね。
ですから、それが、たとえ命がかかっている話でもということですね。
池田:はい、そうです。
志葉:
だからまぁ、自衛隊をどこに派遣するのか?というのは主に防衛省のさらに上の総理大臣とかそういった、
要するに政府ですよね、政府がどう動くかという事によって決まるわけであって、
自衛隊員一人一人はもうそれは、その命令に従うしかないわけですね。
日本は民主主義国家ですから、例えば「政府がどういう安全保障政策を取るのか」とか、
そういった事はですね、結局は国民一人一人の意志と決定に基づくものだと思うんですよ。
ですからやっぱりですね、結局は我々がひとりひとりが頑張らないといけないという事なんですよね。
川口弁護士:
今のちょっと補足というか、反論するつもりはないけれど、
単純に民主主義じゃなくて違憲民主主義ですよね。
憲法で決まっているから今自衛隊は海外で戦争をしない訳ですよ。
まさにアメリカの戦争につき従って自衛隊がどんどん出されようとしているんです、憲法を壊すためにね。
憲法のたがを外されたらそういう事になってくる訳ですから、
今一番危ないよと言っているのは、
民主主義で私たちが決める。
憲法なんか関係ないと。
国民が選んだのは私たち(安倍政権)で、
「私たちが必要だって言うんなら何でもできるんだ」という発想なんですよね。
そうじゃなくて、憲法のたががちゃんと今、はまっているはずなんですよ。
それを憲法のたがを外して戦争できるような国にしようとしているわけですから、
まさにその、池田さんの様な犠牲者を今後作らないためには、憲法の縛りをきちっとさせていくんだと。
だから、憲法を壊してしまうという様な事にはきちんとあらがっていかないといけないでしょ。
というところだと思うので、是非池田さんの様な方を出さないように、
自衛隊は海外に行くなとか戦争に戦地に行くないう声を出すのは、まさに決められる前。
今です。
憲法を壊されようとしている今こそ声を上げて、
そういう国にしないように憲法を壊さないんだという戦いを作っていかなければいけないと思うので、
是非、国会の中でも立憲主義という事をきちっと、壊される事にあらがう議員も沢山いますので、
そういう議員の方達と連携しながら憲法被害にあらがっていく。
それが池田さんの様な人を出さない事に繋がっていくと思うので、
そういう意味でも声を上げていくことが非常に大事なんじゃないかなと思います、以上です。
集団的自衛権関係ブログ
<集団的自衛権>
「そもそも憲法解釈の変更は改憲よりも軽い事なのだろうか?」
~憲法解釈変更はどんな法律も作れるようになる~2/27そもそも総研(内容書き出し)
<集団的自衛権:柳澤協二さん(1)>
解釈改憲そのものに平和の問題だけではなく日本の民主主義の根幹にかかわる問題が内在している
2/28(文字起こし)
<集団的自衛権:柳澤協二さん(2)>抑止だけが戦略ではない2/28(文字起こし)
<集団的自衛権>「2分で分かる!集団的自衛権 ほぼ AtoZ」明日の自由を守る若手弁護士の会
<集団的自衛権>元イラク派遣自衛官の警告~イラク派遣により在職中に死亡した隊員は35名もいた!
たぶん、小さい子どものころから体力には人一倍自身があって、運動能力が高くて、
そして鍛えて一般の同じ年齢の男性よりもずっと頑強な身体を持っていたんだと思います。
なのに、米軍のバスに轢かれ、ろくな治療も受けず、何の補償もなく、放置され、
その上、嫌がらせを受け職を失い、いまは一日のほとんどを寝て過ごし、
ちゃんとした食事をすることもできず、痛みに耐え生活保護を受けているという。
なんか…どう考えても納得がいかない。
けれど、これが現実。
自衛隊は国の機関だから、
自衛隊員になにかあれば、当然その隊員はきちんと国から補償してもらえるんだと私は思っていました。
けど、そんなことはなかったんだと・・・
今までの私の中の「当たり前」と思っていた事が
どんどんガラガラ崩れていきます。
知らなかった事が多すぎる
ーーーー
2014年3月20日(木)16:00~
元イラク派遣空自隊員と問う、集団的自衛権
池田頼将氏(元イラク派遣空自隊員)、
川口創氏 (自衛隊イラク派兵違憲訴訟弁護団)
志葉玲氏(フリーランスジャーナリスト)
動画はこちら→http://www.ustream.tv/recorded/45089862
47:34~
志葉:
それでは、みなさんに池田さんに何が起こったのか大体分かって頂いたところで、
池田さんに話を振っていきたいと思います。
事故にあった直後、まさにその時の事をちょっと振り返って頂けますか?

池田:
とりあえずは、アメリカが独立記念日だったので、
先着何名とかに入賞すると記念のTシャツがもらえるので、その記念Tシャツをもらうために僕は参加して、
そして1等賞をとったらもっといいTシャツが、米軍の方から貰えるという感じだったので
7月4日は体調を万全にして、早く寝て、そして朝6時にスタートしました。
そして、5kmマラソンなんですが、ありあり・・・、ちょっと舌が回らないのですが、
ありありあるむ基地内でのマラソン大会で、
5kmは、片道2.5km走って、給水があって、
先頭集団を走っていて、先頭集団は後続集団よりも何100mも先に先頭集団。
米兵2人と僕1人と、その3人で上位決戦になるのかなと思って、
で、その時に給水ボトルで2.5km付近、
Uターンの時に給水ボトルを無事に2~3回飲んで、
「よし、これで米兵2人追い越すぞ」という考えを持って走った瞬間にドスンっ!という音とともに気を失って、
それから、さっきも説明があった通り、
気が付いた時には米軍の医務室でした。
志葉:
その時、「全身血まみれだった」というふうに前聞いたんですけど、
池田:
その時はもう、痛くて、興奮というかアドレナリンみたいなものが湧いていて、痛いのが先にあって、
それで米軍の●、小指の第一関節位ある大きい、すごく、日本で見た事のない錠剤を4錠飲まされました。
志葉:痛み止めなんですかね?
池田:それは眠らせようと。
志葉:睡眠薬
池田:
睡眠薬だと思いますけど、
それを飲んでから僕は全く記憶がありません。
それで次に目が覚めたのが23時間後の自分の自室のベットの上でした。
志葉:で、ひどいのが、米軍が「お前たいしたことない」と言ったわけですよね。
池田:そうです。
志葉:
いや、バスに轢かれたんですよ。
さらにひどいのは、自衛隊も「米軍が言うんだから大したことないんでしょ」
そういうふうな事を言われた訳ですよね?
池田:そうです。
志葉:
で、何度も「治療を受けさせてくれ」だとか、「日本にいったん帰らせてくれ」だとか、
池田さんは言ったんですよね?上司に、何回も。
池田:はい。何度も上司にお願いしました。
志葉:その時の空自の最高責任者も派遣部隊の最高責任者もその事は知っていた。
池田:知っていました。
志葉:お見舞いに来たんですよね。

池田:
イラク復興支援隊長が「具合はどうだ?」という事を僕に聞きににきて、
僕はソファに横になって仕事をしてたんですけど、
「何とか仕事ができる状態です」とはしゃべりました。
志葉:そうですね、通信兵なので指先がかろうじて動けば、という感じなんですかね。
池田:
はい、その通りです。
二人で勤務するので、チームとなって、僕の後輩がほとんど仕事をして、
最終確認は僕がソファで横になりながら間違いがないかチェックしてそれを日本の航空幕僚に送る仕事でした。
志葉:
普通はそういった事故とかが起きるとすぐ日本に連絡が行きますよね、防衛省の●の方に。
池田さんの事件はどうだったんんですか?
池田:
僕の場合には・・、
僕は通信員で一番良く分かっているんですけど、
クエート内の事故で、3日目ぐらいに韓国軍のテポンド―の練習で、
勝手にその人が練習していてアキレス腱を切った人がいるんですよ。
そのアキレス腱を切った人は、もう即日本に帰国させてもらえました。
そして僕の場合は、多分イラク復興支援隊長が2回もこういう事故が続くと、
イラク復興支援隊長も自分の階級出世にも関わると思って、
僕は隠されたんだなと、80%はそう思います。90%思いますね。
そして僕は通信員だから、全部事故とか、事故速報とかは、東京の市ヶ谷の防衛省に全部FAXを流すんですけど、
そのアキレス腱を切った人は即事故速報として流して、本採用になってて、
で、僕の事故速報は航空幕僚長には一切流しませんでした。
それで僕は通信員だから、もうそれは事故を隠しているというのは確信に変わりました。
以上です。
志葉:
まさに轢かれたという、民間ウェッジ(WEDGE)企業、
米軍関係の民間ウェッジ企業にまさに轢かれたという事自体が本当にひどい事ですけれども、
その後の対応がもう本当に、聞けば聞くほどひどいみたいな感じで、
で、なんとか日本に帰れたのが、任務が、派遣期間が終わるまで結局帰れなかったんですよね?
池田:はい。その通りです。
志葉:それで、その間はずっとコルセットをしていた訳ですよね。
池田:
ずっと、ずーっとコルセットを首に巻いたまま、
あと痛み止めの湿布を貼って、
それで、顎がどうしても斜めに開くのがつらかったので、
ご飯食べる時も、あの、
一応クエート内では日本人の料理人がいて、朝ごはんと、
朝食はご飯とパンと選べるんですけれども、僕はみそ汁とご飯を取って、
ご飯に味噌汁をかけてとにかく噛まないように飲み込むような感じで食事をしていました。
志葉:顎を動かすと「パキンッ」という音がして、すごい激痛が走るみたいな、
池田:
そうです。
そうです、顎がもう2cmぐらいしか開かなかったので、その時。
志葉:その後病院に通う中で、結局顎の蝶つがいの部分を取ってしまったんですよね?
池田:
あのー、左半分の、米兵のバスから左半分を後ろからドスン!と轢かれたので、
撥ねられているから、左の軟骨円盤というやつが前方に転移していたんですよ。
志葉:
ここにある骨の事ですよね。
これが前にグワーッって出たっていう事
池田:
軟骨円盤が前に転移してたんです。
そしてそのために顎がまっすぐ開かなくなり、斜めに開くようになって、
それがものすごく、本当に口を開けるとすんごい激痛が走るんです。
だけど、もう…、本当にみそ汁だけとか、噛まないでいい様な牛乳とかで栄養をとりながらという感じでした。
志葉:
で、その顎の状態は、その後残念ながらますますひどくなってしまったというか、
軟骨円盤を取ってしまったので、顎が動かなくなってしまったと。
池田:
はい、そのとおりです。
新潟へ転勤する前は、新潟大学の顎の関節、顎関節っていわれるんですけど、
その両側の軟骨円盤を切除したがために、ますます、あの。
最初の1~2ヶ月3ヶ月は普通にまっすぐ開いて食事はとれてたんですけど、
だんだん、だんだん、軟骨がないので骨と骨が癒着してくるっていう、
骨と骨が引っ付いてきて、結局はもう最後までものを食べられなくなりました。
志葉:
今は、池田さんは、
これは今、普通に喋ってらっしゃいますけれども、
実はですね、顎自体はほとんど動いていないんですよね。
中で舌が動いているのと、あと唇が動くという状況で、
ですので、池田さんがどうやってお食事を取られているのかというと、
こういった、いわゆる流動食というか、液状のものを歯の隙間から流し込んで食べてらっしゃるんですよね。

池田:
その通りです。
液状の流動食のラコールというのがあるんですけれども、
このラコールを「一日4本まで」って医者から決められているんですけど、
僕は一日10本ぐらいラコールを飲みます。
もうどうしてもお腹が空いてたまらないし、たまにテレビでステーキとか出たらすごく食べたくなるし、
だからテレビの食事の番組はもう、見ないようにしています。
志葉:
この前池田さんと話をしていた時に、
年末になるとみんなで集まって、ご飯を食べたりすることもあるんだけど、
池田さんだけ、やっぱりご飯が食べられないから、
それがものすごく辛いという事をおっしゃっていましたね。
その、単純に「食べられない」という事だけでも大変だと思うんですけれども、
この前、ご自宅に取材に行った時も、
すごく部屋をあったくして、ジャンバーを着込んでいらっしゃいましたよね、それはどうしてですか?
池田:
流動食に代わってから、すっごく寒がりになって、
体温がすごく低くて、もう外にも出れない位の寒がりで、
寝るときなんかもエアコンをずーっと付けて、でもなんか良い方法はないかなと、
僕は一日24時間あったら20時間はずーっと家で横になっている身体なので、今の症状は、
20時間横になっているので、
電気毛布もある方から頂いて、その電気毛布でくるまって寝ると、寒さが和らぐっていうか、
だけどもう、冬は本当にもう、ラコールだけじゃ体温も上がらないんです。
お米とかお餅とか、そういうのを食べると身体が温まるんですけど、
正月にお餅を、親から、お餅を本当に融ける状態にして、だし汁と一緒に飲んだ時は、
やっぱりお腹に入って、あの、やっぱり体がほてってくるっていう感じが良く分かりました。

志葉:
初めて私が池田さんと会ったのは、まだ池田さんが新潟に住んでらっしゃった頃なんですけど、
新潟は寒かったですね、本当に。
池田:
本当に寒いです。
もう●だったら死んでいます。
いま新潟にいてたら死んでましたね、完全に。
志葉:だからそういう寒い時はほとんど家にいて外に出ない状態ですね。
池田:そうです。全く外に出ていません。「ひきこもり」ってやつですね。
志葉:
そしてやっぱり、悪いのは顎だけじゃなくて、
いろんな、体が痛いとかそういう症状があると。

池田:
はい、
もう痛いのは、特に痛いのは、今日は雨の日なので、
目の僕からみて左の、左目の眼球の奥がガンガンガンガンして、
それで次に腰ですね。
腰が痛くて。
一番痛いのは頭痛です。
その次にこの首の頸椎。
頸椎からもう、すごく痛いです。
もう頭を支える力がないのか、事故の後遺症なのかちょっと分からないんですけど、
もう本当に頸椎とか腰とか、
特にこの雨の日は本当に最悪な身体になります。
志葉:
雨の日にかり出しちゃって申し訳ないんですけれども、
あの、だから寝るときなんかも大変ですよね。
私が取材に行ったときなんかも睡眠薬を飲まれてたと思いますけれども、
結構強いのを飲んでらっしゃるみたいで、これ見せていただいたやつですね、前に新潟に行った時に。
もう睡眠薬なしでは眠れないような状況ですか?

池田:
睡眠薬がなかったらもう、心臓がバクバクして息苦しくなってもう絶対に眠れない。
身体が睡眠薬を欲しがるんですよ。
それでお医者さんからは1日これ1包だぞって言われている強い睡眠薬を一日2回飲まないと
僕は身体の呼吸困難を止める方法はそれしかないんですよ。
だから毎回早めに病院に行く事が多々あります。
志葉:
池田さんがイラクから帰国されて、いろいろパワハラというか、嫌がらせというか、
という様な事が何度かあったと思うんですが、
その「原因は何だったのかな?」というのと、
その中で一番つらかった事というのはどういう事だったんでしょうか?
池田:
僕のパワハラの原因は、まず最初に、
僕は仕事で、電話で●に注文をしていたら、
後輩の隊員が、僕が35歳ぐらいでまだ25位の後輩の隊員が
「うるさいから外でしゃべって下さい」って言って、
だけど、その部屋で型番を見ないと●できないので、
型番を見て電話を切って、その「うるさいから外でしゃべって下さい」って言った人間を、
中川っていうんですけど、中川を呼んで、電話を切った後、
「うるさいとはどういう事や」
「これ仕事で僕は、仕事でやっているのに、どういうこどだ」って言ったら、
中川の同級生の友達は「徒手格闘」という自衛隊で人を殺す格闘技があるんですよね。
徒手格闘ってテロ活動でやるんですけど、徒手格闘っていう。
で、徒手格闘の教官がいきなり入ってきて、
僕の胸を手のひらで思いっきりドーンッ!と押して、僕は2m位吹っ飛んだんです。
それで僕はすぐ、すぐに胸が苦しくなって、痛くなって、
病院にすぐ、通院で行きました。
そして通院して帰ってきた時に、もう、隊長を含め基地のナンバー1、ナンバー2、
隊長、副隊長、総括班長、あと人事幹部、6人か7人対僕で、
通信隊長もいましたけど、
「全部池田が悪いんだ」「全部池田が悪いんだ」と言われて、
僕も納得いきませんから、じゃあ、自衛隊にある「警務隊」という警察と一緒なんですよ。
自衛隊は警察に届けて被害届を出せないんですよ、警務隊じゃないと。
で、「警務隊に僕は連絡しますから」そうい言うと、
救難隊長という一番お偉いさんが、あの、あの
「池田、警務隊長に電話した瞬間に池田は自衛隊におられんようにしてやることになってる」と言われて、
それで翌日の朝自分の、
自分は通信員だから、テンキーという暗号のパスワードを打たないと部屋に入れないんですけど、
2回間違えて、「あれ、おかしいな」と思って、
3回間違えたらちょっと危ないので、もう一回変えないとダメになるので、
それでピンポンを鳴らしたら僕の後輩がまた出てきて、
「池田さんはもう通信班には入れませんよ」という事を聞かされて、
「え?」と思って。
なにも僕、僕に前もって話も無かったのに、「入れませんよ」という事になって、
僕は何処に行けばいいのか?
宙ぶらりん状態になっていろいろ探したら、
本当に仕事がキツイ基地業務小隊という、なんでもする仕事なんですけど、
もうその仕事は半端なくしんどくて、
志葉:重い物とか運んだりする
池田:
そうなんです。
段ボールが必要だったら段ボールを、もう体が痛くて持てないのに、無理やり「運べ」とか、
その上司が無理やり「走って来い」とか、
「なんでこんな所でゆっくりしてるんだ」とか、すっごい嫌がらせをとことん受けて、
「もうこれはダメだ」と思って、僕は依願退職に至ったんですけど、
結局は僕は●でたたかれたのは、
警務隊が捜査してくれて僕は完全に白だったんですよ。
他に一切手を出していなくて。
相手は認めたんですよ。
だけど認めたけれども、もっと偉いさんがきて、「示談にしよう」というとになって、
僕は納得が絶対にいかなかったんですけれども、
「おまえのためにわざわざ飛行機に乗って、埼玉県の入間基地から来てるんだぞ」
という事を上司達から言われているので、
「もうこれは仕方がないな」って。
それも、その、「飛行群司令」というんですけれども、
「飛行群司令」もわざわざヘリコプターで来なくても、ヘリで来なくても輸送で来れば、
ヘリできた方がお金もかかるし、これも税金なのに、ちょっと矛盾してるかなと思って、
それでその人隊長と、殴った人間の前で、「示談」という事で。
僕は殴られて1万払わされました。それだけです。
志葉:
自衛隊ってかなり上下関係が厳しいですよね、先輩後輩。
そのきっかけとなった後輩の人がですね、「うるさい!」
普通はそういう口は利かないと思うんですけれども、
そういう口を利かれるような状況が帰国してからあったという様な感じなんですか?
池田:
新潟基地に行った時にはまだそれほどでもなかったんですけど、
症状がだんだん悪化して行くうちに、だんだんだんだん、なんか嫌がらせとかが。
それで僕が身体障害者の手帳を交付してから、
それからもう、特にひどくなりました。
志葉:
川口先生もちょっとその事に触れていたけれども、
その「お前の怪我は治ったんだ」という事を執拗に求められた訳ですよね?
池田:そうです。
志葉:
「大したことないんだ」
「治癒したんだ」という事を。
池田:はい。
志葉:
で、これは前見せてもらった診断書なんですけれども、
「政治的な理由により回復」みたいなね。
「政治的圧力により回復」みたいな、すごい事がカルテに書いてあったんですよね。

池田:
はい、僕は無理やり自衛隊の方から「治癒しろ」という提案を、幹部二人が来て、
1回目に来て症状を聞いて、
2回目にはもう診断書を「こういうふに書く」という診断書を医者に、
顎の方と肩と、頚椎の方も医者に書いてもらうよう出したんですけど、
その時に個室から幹部二人に出てもらって、医者の先生と二人で話し合いまして、
「池田さん、これでもいいんですか?」って言われたんで、
「政治的圧力により治癒」という一文を残して下さいと、二つの病院にお願いしました。
納得いかなかったからです。
志葉:
まず、撥ねられてからこっち、その、無かった事にしよう、無かった事にしようというね、そういう圧力があって、
その中で症状が悪化するし、
自衛隊の中での立場はどんどんどんどん悪くなっていくし、というようなことで、
正直…まぁ、自殺を考えた事もあったと聞きますが、
やっぱり辛かったですよね。
池田:
はい。
自殺は何回も考えました。
もうこの先、生きとっても夢も希望も無いと。
「自衛隊に勤めとっても、おまえは射撃、銃も撃てないし、体力測定も受けられない身体だから、
階級は一切上がる事は無い。給料も一切上がらない」
と上司にさんざん言われ続けてきて、
この中からやりたいものも、もう無くすし、もうこんな目にあっているし、
もう本当にきつい仕事に最後は回されて、辞めるしかないなと決断して、依願退職に至りました。
志葉:
池田さんの事件の直前ですよね。
陸上自衛隊がイランのサマワから撤退して、
それで当時の小泉純一郎首相がテレビとかでもこういう様な事を言っていたのが、演説したのが映っていましてね、
「ひとりの犠牲も無く、よくぞ無事に帰って来た!」みたいなね。
多分池田さんが戻ってきてもそういったパレードというか、式典があったと思うんですけれども、
そういうセリフを聞いてどう思われました?
池田:
自衛隊はもう完全に嘘の組織、嘘の集団。
もう、嘘の塊で塗りつぶされた集団だと思いました。
もう本当にそれを聞いて憤りを感じました。
志葉:
んー、やっぱりお話を聞いていると本当にもう、ヒドイ、ひたすらヒドイとしか言えないんですけれども、
どうでしょうね、どう思われますか?
たとえば今後ね、自衛隊がどんどん海外派遣に出るようになって、
かなり危険な紛争地というか任務に就くようになって、
ま、そういうようなことになったら、
「もしかしたら池田さんみたいな人がこれからも何人も出てしまうんじゃないかなぁ」
と私は懸念しているんですけれども、
池田さん本人はどう思われますか?
池田:
僕自体は、あの、僕みたいな人間がまた第二第三と莫大に被害者が出ると思います。
日本の自衛隊は完全武装してってなってそういうふうになれば、
僕は死人も出ると思うんですけど、
国は多分死人に対しても大した慰謝料の何も払わないと思います。
志葉:
ちょっと、立場的に言える事と言えない事があるんじゃないかと思うんですけど、
イラクにいた時もですね、いろいろそういう、池田さん以外のそういう話があったというような事は、
前にちらっと聞いた事があるんですが、
差し支えない範囲でちょっと
池田:
僕は通信で、事件とか事故とか、速報ですぐに航空幕僚長の方に情報を送るんですけど、
いろいろな、いろいろな事件事故が相当起こっていました。
事件事故、言える範囲のはあんまりもうないんですけど、もっと話すとちょっと僕も罰せられるので、以上です。
志葉:
えーまぁ、押して知るべしというような状況ですよね。
まぁ、私も取材している中で、なかなかね、確証をつかめないんですけど、
こうやって証言してくれる方がほとんどいないですから、なかなか掴めないんですけれども、
たとえばその、私が聞いた話の中では、
たとえば、「米軍と撃ち合いになってしまった」とか、
それは「お互い間違えて」という事ではあるんですけれども、そういうふうな事があって、
その時のトラウマで少しおかしくなってしまった人がいるとかいないとか、
ちょっと、あくまでもあの、確証の無い話ではあるんですが、
そういうふうな事を聞いたりはしています。
ただ、池田さんは守秘義務があるので、今ここで全部話してしまう訳にはいかない所もあるんでしょうけれども、
ま、「察してくれ」という事でしょうね。
戦場に行けば当然いろいろな事が起きるというような事ですね。
1:24:42
近藤昭一先生
1:30:58
質問1:
いま生活支援というお話が出たんですけれども、
向こうへいらしてこれだけ体が動かなくなって、とっても痛い思いをしているのに、
生活だとか、体の治療に関してとか、それから今後の生きて行くためのお金とか
そういうものは一切支援がないんでしょうか?

川口弁護士:
先程の私の説明の中で今の状況をお伝えしていなかったのですが、
池田さんは今、開口量が1ミリですね、口の開口量が1ミリとその他いろいろな障害が残っていまして、
いまお住まいはご実家がある出身地の大阪の方に移られてお一人で生活されていますが、生活保護を受けています。
で、裁判を起こす前から、症状の等級を打ち切った。
症状の等級が認定されないとお金が出てこないので、
ずっとほったらかしにされていたものですから、提訴する前の段階で入間基地の方に私たち弁護士が行ってですね、
「はやく等級を出せ」という事をせまって、
裁判になった後もずっとせまっていて、「もうじゃあ裁判を起こすぞ」と。
「別の裁判を起こすぞ」と言っていた時に、去年の12月にやっと障害の等級が出ました。
10級という、かなり低いものでした。
こちらとしては3級相当だという事で請求している訳ですけれども、
かなり低い「一時金で終わり」という事で、
一時金の金額は申し上げられませんが、出てもですね、生活保護のお金を受給する以上、
条件として裁判で入ったお金があれば、その治療費とかそういうので
生活保護で使ったお金に全部返せという条件が付いていてですね、
一時金をもらってもそっちにいって生活保護に返さなければいけないと。
今後も生活保護を受けて行く中で、ここから裁判で勝ってもですね、
過去の生活保護の需給のお金を返さなければいけないという事になっていて、
なんとか生活保護ということではなくて、なんとか池田さんが自立できる道は無いかなと思っているところで、
生活を支えていただける事はありがたいんですけれど、
なかなか、ここにおいでのみなさんはカンパ義務があると思うんですね、どんどんカンパしていただく。
いろいろあるのでなかなか難しいかもしれませんが、
そういう形で大阪や名古屋とかでささえようとは努力はしていますけれど、
お金の形でなくてもかまいませんので、いろいろな形でこういう声を広げていただくということを
今の状況としては生活保護のお金で全部、裁判で入ったら、
今回の一時金も入ったらそれで補てんという事になっちゃうので、
いろいろ厳しい状況にあることは事実です。以上です。
質問2:
この自衛隊の派遣の流れ、
自衛隊の内部から行きたくないとかそういう事は言いづらいと思うんですが、
そういった場合に市民の方で「行くな行くな」と、「行かせられない」という声は、
自衛隊の内部の人達にとっても実はありがたいことになったりするんでしょうか?
池田:
自衛隊に入ると、そもそも「上官の命令に従う義務」というのがあるんですよ。
だから上官が「どこに行け」夜中だろうがなんだろうが、
上官が「トラックで飛行機の部品を運べ」って言ったら絶対にやらなきゃいけない。
それに「いやだ」と言っちゃいけない義務があるんです。
上官の命令に服従に。
自衛隊の7大義務の中の一つです。
これで、わかりましたかね。
志葉:
拒否権は無いという事ですよね。
ですから、それが、たとえ命がかかっている話でもということですね。
池田:はい、そうです。
志葉:
だからまぁ、自衛隊をどこに派遣するのか?というのは主に防衛省のさらに上の総理大臣とかそういった、
要するに政府ですよね、政府がどう動くかという事によって決まるわけであって、
自衛隊員一人一人はもうそれは、その命令に従うしかないわけですね。
日本は民主主義国家ですから、例えば「政府がどういう安全保障政策を取るのか」とか、
そういった事はですね、結局は国民一人一人の意志と決定に基づくものだと思うんですよ。
ですからやっぱりですね、結局は我々がひとりひとりが頑張らないといけないという事なんですよね。
川口弁護士:
今のちょっと補足というか、反論するつもりはないけれど、
単純に民主主義じゃなくて違憲民主主義ですよね。
憲法で決まっているから今自衛隊は海外で戦争をしない訳ですよ。
まさにアメリカの戦争につき従って自衛隊がどんどん出されようとしているんです、憲法を壊すためにね。
憲法のたがを外されたらそういう事になってくる訳ですから、
今一番危ないよと言っているのは、
民主主義で私たちが決める。
憲法なんか関係ないと。
国民が選んだのは私たち(安倍政権)で、
「私たちが必要だって言うんなら何でもできるんだ」という発想なんですよね。
そうじゃなくて、憲法のたががちゃんと今、はまっているはずなんですよ。
それを憲法のたがを外して戦争できるような国にしようとしているわけですから、
まさにその、池田さんの様な犠牲者を今後作らないためには、憲法の縛りをきちっとさせていくんだと。
だから、憲法を壊してしまうという様な事にはきちんとあらがっていかないといけないでしょ。
というところだと思うので、是非池田さんの様な方を出さないように、
自衛隊は海外に行くなとか戦争に戦地に行くないう声を出すのは、まさに決められる前。
今です。
憲法を壊されようとしている今こそ声を上げて、
そういう国にしないように憲法を壊さないんだという戦いを作っていかなければいけないと思うので、
是非、国会の中でも立憲主義という事をきちっと、壊される事にあらがう議員も沢山いますので、
そういう議員の方達と連携しながら憲法被害にあらがっていく。
それが池田さんの様な人を出さない事に繋がっていくと思うので、
そういう意味でも声を上げていくことが非常に大事なんじゃないかなと思います、以上です。
<集団的自衛権:元内閣官房副長官補柳澤協二さん(2)>抑止だけが戦略ではない2/28(文字起こし)
私がよく申し上げているのは
自分が経験したイラク派遣でありますけど、
撤収の際に小泉総理が記者会見をする、その時に総理に私が申し上げたのは、
「総理、この自衛隊は1発の弾も撃たずに見ずに、ま、交通事故はあったけど、
一人のけが人も出さずに無事に帰ってきた。
これがすごく大事なことで、なかなか簡単にできる事じゃないんです」という事を申し上げたら
小泉さんも「うん、そうだ」という事で、記者会見で盛んにそれを強調しておられた。
元イラク派遣自衛官池田さんに関するブログ
<集団的自衛権>元イラク派遣自衛官の警告~イラク派遣により在職中に死亡した隊員は35名もいた!
志葉玲さんによる池田さんインタビューの記事、他
1.「集団的自衛権の先にあるリアルな事を私たちが考える非常にいい機会を与えて下さっている」
川口弁護士3/20元イラク派遣空自隊員と問う集団的自衛権(文字起こし)
2.診断書には「政治的圧力により治癒」
池田頼将氏3/20元イラク派遣空自隊員と問う集団的自衛権(文字起こし)
集団的自衛権関係ブログ
<集団的自衛権>
「そもそも憲法解釈の変更は改憲よりも軽い事なのだろうか?」
~憲法解釈変更はどんな法律も作れるようになる~2/27そもそも総研(内容書き出し)
<集団的自衛権:柳澤協二さん(1)>
解釈改憲そのものに平和の問題だけではなく日本の民主主義の根幹にかかわる問題が内在している
2/28(文字起こし)
<集団的自衛権:柳澤協二さん(2)>抑止だけが戦略ではない2/28(文字起こし)
<集団的自衛権>「2分で分かる!集団的自衛権 ほぼ AtoZ」明日の自由を守る若手弁護士の会
<集団的自衛権>元イラク派遣自衛官の警告~イラク派遣により在職中に死亡した隊員は35名もいた!
- 関連記事
-
- Bさん「戻りたくないのに『戻れ』というのはちょっと」〜自主避難の現状〜東京電力福島第一原発事故避難者の声
- Aさん「カエルの卵みたいなのがうじゃうじゃありました」〜自主避難の現状〜東京電力福島第一原発事故避難者の声
- <子ども脱被ばく裁判>「4ヶ月の間に私も1.9ミリシーベルト被曝させられた。被曝手帳をいただきたい」5/21自主避難者のお話(文字起こし)
- 「私は被ばく者です」11/22脱原発をめざす女たちの会(文字起こし)
- <原告の母>私は、枝野官房長官が「直ちに影響はありません」と連呼されたあの言葉が今も忘れられません8/29第二次ふくしま集団疎開裁判会見(文字起こし)
- <元日本兵の証言>谷口末廣「自衛権というのは『軍隊を持つ』という事だけじゃないんですよ」8/8報道するラジオ(文字起こし)
- <鹿児島2区>広瀬隆さん4/18ありかわ美子候補4/19(文字起こし)徳田毅前衆院議員の辞職による鹿児島2区衆院議員補選
- 2.診断書には「政治的圧力により治癒」池田頼将氏3/20元イラク派遣空自隊員と問う集団的自衛権(文字起こし)
- 【手紙:伊達市】 「今日ここに言葉を寄せる事でさえ身構えてしまいました。 それだけ相手は大きいのです」 福島原発告訴団3/1(文字起こし)
- <差別と分断>原発事故放射能に対する対策というのは全て差別で成り立っています12/15森田省一さん(音声・文字起こし)
- 秋山豊寛さん「事故がいったん起これば、その地域の人達は捨てられるんですよ!」11/10福岡(音声・文字起こし)
- 「高汚染地帯の無駄な除染と帰還をやめ、 汚染物は原発周辺において汚染者負担のもと処理を行うよう強く求めます」10/13和田央子さん(文字起こし)
- 3.「私は逃げた事がありません。1日も役所を閉鎖することがありませんでした」桜井勝延南相馬市長8/6 未来への福島、そして脱原発(内容書き出し)
- <2.長崎>「核兵器は“核”という事でね、綺麗な核もね、汚い核も無い」谷口稜曄氏8/9 岩上安身氏インタビュー(文字起こし)
- <1.長崎原爆>大変有名な被ばくした少年の写真・谷口稜曄さん8/9 岩上安身氏インタビュー(文字起こし)
コメント
マラソンで池田氏を撥ねたのは、もしかしてルーズベルト並みの差別主義者じゃないのかなぁ?イエローモンキー(日本人)の自衛隊員が優勝なんかしたら「承知しねえぞぅ」ってバスで後ろから襲ったんじゃないの。どうもそんな気がするんだけど。
そして自衛隊の上層部もそれに気付いて居て、彼にパワハラを仕掛けたんじゃないかな。「お前だけが気づいていないんだよ。困るんだよ。アメリカ軍がやったマラソン大会で、お前が勝っちゃな。ちょっとは考えろよ。」ってね。
それが政治的完治って表現なんだと思うよ。
まぁ、長いものには巻かれろってことだね。しかしこれを許しては、全てがドンドン拙い方向に進んじゃうんだよね。原発もそうだし、改憲解釈もそうだよね。ここで阻止しなきゃ早急に大きな悲劇が起きるんだろうなぁ。
それにもう一つ、集団的自衛権で気がかりなのが、後方支援だった筈なのが先駆けにされる心配なんだ。アメリカ日系二世442部隊と同じ弾避けってことね。
そして自衛隊の上層部もそれに気付いて居て、彼にパワハラを仕掛けたんじゃないかな。「お前だけが気づいていないんだよ。困るんだよ。アメリカ軍がやったマラソン大会で、お前が勝っちゃな。ちょっとは考えろよ。」ってね。
それが政治的完治って表現なんだと思うよ。
まぁ、長いものには巻かれろってことだね。しかしこれを許しては、全てがドンドン拙い方向に進んじゃうんだよね。原発もそうだし、改憲解釈もそうだよね。ここで阻止しなきゃ早急に大きな悲劇が起きるんだろうなぁ。
それにもう一つ、集団的自衛権で気がかりなのが、後方支援だった筈なのが先駆けにされる心配なんだ。アメリカ日系二世442部隊と同じ弾避けってことね。
hotaka43 | 2014.03.23 20:55 | 編集
こんにちは。
先ほど木下さんのページを見ると、給食について書かれておりました。
http://blog.goo.ne.jp/nagaikenji20070927/e/6aaa7593a31203017c04919d5d5e2973
前々から皆さん危惧しておられましたものね・・・
きっとこれから微細な変化が出てくるのだろうと思います。
しかし、なぜもっとダイレクトに大きな変化が出ないのだろうと思ってしまいます。
甲状腺がんにしても、当事者になってしまうと本当に大変な思いをするわけですが、
発症しない人の数が多すぎます。
言葉はまずいですが、死ぬ人や病気になる人の数が本当に少ない。
大勢が助かるために、少数は見殺しにする、が日本の文化と教育を貫いていますので、この原発と汚染の問題は本当に難しいです。
日本の病理にすら感じてしまいます。
先ほど木下さんのページを見ると、給食について書かれておりました。
http://blog.goo.ne.jp/nagaikenji20070927/e/6aaa7593a31203017c04919d5d5e2973
前々から皆さん危惧しておられましたものね・・・
きっとこれから微細な変化が出てくるのだろうと思います。
しかし、なぜもっとダイレクトに大きな変化が出ないのだろうと思ってしまいます。
甲状腺がんにしても、当事者になってしまうと本当に大変な思いをするわけですが、
発症しない人の数が多すぎます。
言葉はまずいですが、死ぬ人や病気になる人の数が本当に少ない。
大勢が助かるために、少数は見殺しにする、が日本の文化と教育を貫いていますので、この原発と汚染の問題は本当に難しいです。
日本の病理にすら感じてしまいます。
八王子在住者です | 2014.03.24 13:28 | 編集
こんな重大な問題が大マスコミに全く報じられないとは。
もっともっと採り上げられていいはずです。
小泉シニアの「一人もけが人出さずに帰れた」は大嘘だったことになりますね。
もっともっと採り上げられていいはずです。
小泉シニアの「一人もけが人出さずに帰れた」は大嘘だったことになりますね。
AS | 2014.03.24 21:33 | 編集
様々な病気が福島原発からの放射性物質のせいで起きるから問題、ととらえているうちは補償問題も被曝対策も何も進まないと思います。
病気の原因特定は困難で、いくらでも言い逃れ出来るからです。
現に、三年間それで何も進みませんでした。
水俣や広島長崎も未だに全解決していません。
これからは武田教授がブログで書かれているように、法定限度を超えた線量を被曝させられたことそのものを被害と考える、海外の認識に合わせて社会も個人も考えていったほうが良いのではないでしょうか。
病気の原因特定に拘るのは加害側なのです。
病気の原因特定は困難で、いくらでも言い逃れ出来るからです。
現に、三年間それで何も進みませんでした。
水俣や広島長崎も未だに全解決していません。
これからは武田教授がブログで書かれているように、法定限度を超えた線量を被曝させられたことそのものを被害と考える、海外の認識に合わせて社会も個人も考えていったほうが良いのではないでしょうか。
病気の原因特定に拘るのは加害側なのです。
| 2014.03.26 13:06 | 編集
自衛隊はセクハラや自殺が多い職場と聞いてはいましたが、なるほど、こういう事だったのかと、具体的に理解出来ました。
このような弱い者虐めを組織的に行う集団が民間人を守るというのも疑って掛かりたくなります。
太平洋戦争時に満州で関東軍が民間人を犠牲にして逃真っ先に逃げ出したことや、やはり沖縄で民間人を犠牲にして自分達だけが生き延びようとした軍の有り方を考えると、軍というものは国民の命を守らず、国体だけを守ろうとする組織なのでしょう。
民間人にとっては百害あって一利程度有る位のものなのかもしれませんね。
このような弱い者虐めを組織的に行う集団が民間人を守るというのも疑って掛かりたくなります。
太平洋戦争時に満州で関東軍が民間人を犠牲にして逃真っ先に逃げ出したことや、やはり沖縄で民間人を犠牲にして自分達だけが生き延びようとした軍の有り方を考えると、軍というものは国民の命を守らず、国体だけを守ろうとする組織なのでしょう。
民間人にとっては百害あって一利程度有る位のものなのかもしれませんね。
kei | 2014.03.26 16:17 | 編集
海 自いじめ訴訟、国側が上告断念 7300万円賠償判決確定へ
http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG2501U_V20C14A4CC0000/
http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG2501U_V20C14A4CC0000/
| 2014.04.26 02:21 | 編集
このコメントは管理人のみ閲覧できます
| 2014.05.10 15:10 | 編集