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千葉県市原市の核燃料物質施設~水俣病

平成23 年(2011 年) 政府発表資料
東京電力(株)福島第一・第二原子力発電所事故(東日本大震災)について
平成23年5月23日(17:00)現在
                                        原子力災害対策本部


P75
○文部科学省
3月11日
16:45 文部科学省原子力災害対策支援本部設置
22:50 核燃料物質施設である千葉県市原市のチッソ石油化学株式会社五井製造所
      より、隣接するコスモ石油千葉製油所における火災が、同事業所内の核燃
      料物質(劣化ウラン)の保管施設に延焼する恐れがあるとの連絡あり

3月12日
02:16 地元消防による消火活動により、鎮火確認。劣化ウランは不燃物質であり、不燃性壁に囲まれた倉庫に保管されているが、倉庫の状況については未確認

エッ!!!(゚ロ゚屮)屮と、驚いた私は
早速千葉県市原市のチッソ石油化学株式会社五井製造所を調べてみました



チッソ石油化学株式会社

2011年3月、東日本大震災に伴い五井製造所で火災発生。
            鎮火したが、政府発表資料において劣化ウランの状況は不明とされている。


調べてみたら・・・ものすごい事がどんどん出てきて
長くなってしまったので・・・・・
続きを読むに記載します



チッソ石油化学株式会社
(チッソせきゆかがく、Chisso Petrochemical Corporation)は日本の化学メーカー。
JNC株式会社の完全子会社。


1962年6月、チッソ石油化学株式会社、資本金1億円で設立。
1973年10月、ポリプロピレン製造設備爆発事故発生。
2003年9月、四日市ポリプロ株式会社を吸収合併し、四日市工場とする。
2005年6月、無届の劣化ウラン入り廃触媒(劣化ウラン765Kg)を五井製造所で保管していることが明らかになる。
2011年3月、東日本大震災に伴い五井製造所で火災発生。
            鎮火したが、政府発表資料において劣化ウランの状況は不明とされている。
2011年3月31日、チッソの事業再編に伴い、チッソの子会社からJNC株式会社の子会社に。

ポリエチレン樹脂、ポリプロピレン樹脂、有機溶剤、可塑剤、液晶化合物、その他有機化学工業製品を製造している。
チッソ連結売上高のうちの約4割をしめる。


チッソ石油化学株式会社
市場情報 未上場
本社所在地 千葉県市原市五井海岸5番地の1
設立 1962年(昭和37年)
業種 化学
事業内容 化学製品の製造
代表者 代表取締役社長 岡田 俊一
資本金 20億円
主要株主 JNC株式会社(100%)



JNC株式会社

JNC株式会社は、日本の化学メーカーである。
チッソの子会社として設立された後、
2011年(平成23年)3月31日にチッソから事業譲渡を受けて翌4月1日に営業を開始した。

現在のところ、本社所在地、会長、社長はいずれも、チッソのそれと同一である。
チッソによると、JNCには「Japan New Chisso」の意味が込められている

事業

JNCは、チッソの事業再編計画に基づいて、
チッソの事業のうち、水俣病補償業務(患者センターなど)以外の全部の譲渡を受け、
化学品の製造販売の事業を行っている。
同計画に基づいて、チッソ石油化学などチッソ子会社・関連会社もJNCの子会社・関連会社となった。

計画

チッソの事業再編計画によると、
JNCグループは毎年度250億円(2011年度)から280億円(2014年度)の連結経常利益を計上し、
その中から毎年度80億円程度の配当金を株主であるチッソに支払う
当面、チッソはこの配当金を原資として水俣病関連の補償と公的借入金の返済を行う。
将来的には、チッソは環境大臣の承認を得てJNCの株式を売却し、
売却代金で公的借入金を完済するとともに、
補償業務を引き継ぐ別法人(水俣病被害者救済支援財団)に賦課金を納付することが予定されている。



JNC株式会社
本社所在地 〒100-8105
東京都千代田区大手町2-2-1 新大手町ビル
設立 2011年(平成23年)1月12日
業種 化学
事業内容 化学品の製造販売
代表者 代表取締役会長 後藤舜吉、代表取締役社長 岡田俊一
資本金 311.5億円
従業員数 約3,000名(連結)
主要株主 チッソ(100%)



チッソ

チッソ株式会社 (CHISSO CORPORATION) は、日本の化学工業の会社。
戦後の高度成長期に、水俣病を引き起こしたことで知られる。
旭化成、積水化学、積水ハウス、信越化学工業、センコーの母体会社でもある。

液晶事業において、ドイツのメルク社と並び世界のトップシェアを誇り事業の柱としている。
バイオテクノロジー・電子部品部門も展開する一方、旧来からの肥料事業・農事産業部門も継続する。

石油化学部門では、三菱化学の石化セグメント子会社日本ポリケムとのポリプロ事業統合などで、事業のさらなる展開を図っている。

主な子会社として、
チッソ石油化学(事業所:千葉県市原市)
九州化学工業(工場:福岡県北九州市)
チッソポリプロ繊維(事業所:滋賀県守山市)や、
ポリプロピレン事業合弁会社の日本ポリプロなどがある。
また、国内の合弁相手に吉野石膏や同社とは同根である旭化成がある。

1906年、野口遵によって曾木電気株式会社が創業される。
      鹿児島県伊佐郡羽月村(現在の伊佐市)に曽木水力発電所を建設。
1914年、水俣工場でカーバイドを原料とする石灰窒素法による硫安の製造開始。
      ヘドロが海に流れ出し漁業被害が始まる
1932年、水俣工場でアセトアルデヒドの製造開始。
1941年、水俣工場で日本最初の塩化ビニール製造開始。工程には塩化第二水銀・昇汞が含まれた
1943年、ヘドロにより水俣湾の漁場が荒廃し、被害漁場の漁業権を買い取る
1958年、日窒電子化学株式会社(のちの三菱マテリアル野田工場)を設立しシリコンウェハー事業に参入する。
1955年、労災事故多発のため熊本の労働基準監督署から安全管理特別指導事業場に指定をされた
1963年1月、労働争議が終結。会社がロックアウトを行ったため減産の結果に終わった。
      チッソポリプロ繊維株式会社を設立しポリプロピレン繊維の製造を開始する。
      五井工場でポリ塩化ビニルの製造開始
1964年、五井工場でアセトアルデヒドの製造開始
      1965年にはチッソ株式会社へと改称している。
1968年5月、水俣工場でアセトアルデヒドの製造中止。
1971年3月、水俣工場で少量の有機水銀を排出していた、アセチレン法ビニル工程の稼働を中止。
1973年、五井工場のポリプロピレンプラント爆発事故で死者4名、重軽傷者9名を出す
2005年、五井工場で核燃料物質を含む廃触媒を保管しているが、
      核燃料物質を含む廃棄物の管理状況についての報告が1992年以降行われていないことが明るみに出た

2010年12月15日、環境大臣が事業再編計画を認可。
2011年1月12日、事業子会社として「JNC株式会社
      (Japan New Chissoの略・資本金1億5千万円)を設立、登記する。
2011年2月8日、環境大臣がJNC社への事業譲渡を許可。
2011年3月31日、機能材料分野、化学品分野、加工品分野等において営む事業をJNC社に譲渡
      チッソ株式会社はJNC社の持株会社(完全親会社)として、同社の経営、財産を管理・監督するとともに、
      同社からの配当により水俣病患者への補償を行なうこととなる。
主要子会社 チッソ石油化学(100%)


水俣病

同社の水俣工場が触媒として使用した
無機水銀の副生成物であるメチル水銀を含んだ廃液を海に無処理でたれ流したため、水俣病を引き起こした。

1960年代に電気化学から石油化学への転換が遅れたことに加え、
1962年7月から翌1963年1月まで続いた労働争議の影響で製品の販路を失うなど経営状態が悪化し、
1965年には無配になった。

水俣病裁判での敗訴後は被害者への賠償金支払い、第一次オイルショックなどにより経営がさらに悪化。
債務超過・無配継続により1978年に上場を廃止した。

その後株式は店頭管理銘柄(現在はグリーンシートオーディナリー区分に編入)となり、
制約つきで流通している(株式の取り扱いはみずほ証券のみが認められている)。
同社は現在では実質上、国の管理下にある。

水俣病問題は発生から数十年経過した現在でも未だに解決を見ていない。
なお、水俣工場は現在も操業を継続している。

日本興業銀行から転じた江頭豊
1964年から1971年にチッソ社長、1971年以後は同会長、同相談役を務めた。

社長時代には一旦謝罪したが、その後被害者と対峙するようになり、水俣病被害者との話し合いは進まなかった。

この時期のチッソの対応が、水俣病問題の解決を遅らせたとする声も多い。

現在でも鹿児島県と熊本県には6000人以上の水俣病認定申請者がいる。


水俣病関連

少なくとも1953年頃より、
水俣湾周辺の漁村地区などで猫などの不審死が多数発生し、
同時に特異な神経症状を呈して死亡する住民がみられるようになった。

1956年5月1日、新日本窒素肥料水俣工場附属病院長の細川一
新奇な疾患が多発していることに気付き、「原因不明の中枢神経疾患」として5例の患者を水俣保健所に報告した。

1959年、熊本大学医学部水俣病研究班が水俣病の原因物質は有機水銀であると公表

1970年11月28日、株主総会を大阪厚生年金会館で開催。
会場正面入口近くに配置された特別防衛保障の警備員により、
株式を取得して総会に出席しようとする水俣病患者・家族・支援者(1株株主)の入場が妨害された。
会場に入場出来た1株株主の発言も総会屋の野次によって妨害された。

総会は5分で閉会した。

総会前の11月13日、「一株運動」について、当時のチッソ専務は、
「株主総会に出席する趣旨が反体制運動とか政治的なことだったら違った方法をとらざるを得ない」
「一株運動を封じるために総会屋を雇うようなことはしない」と発言していた。

1976年に熊本地方検察庁が、
吉岡喜一元社長と西田栄一元工場長を業務上過失致死傷害罪で熊本地方裁判所に起訴した。

1988年3月に最高裁で有罪が確定した。


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チッソが1958年に設立した三菱マテリアル野田工場にもチッソ石油化学株式会社五井製造所のように核燃料のにおいがプンプンしてます。
文部科学省←三菱マテリアルで検索したら沢山出てきました
トラブル対応事例/核燃料物質等の管理の徹底について


2003/10/31核燃料物質の発見について

2004/08/18三菱マテリアル株式会社総合研究所における放射性物質の発見について

2004/10/12 第2報

2004/08/18 第1報


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千葉県市原市のチッソ石油化学株式会社五井製造所がなぜ核燃料物質施設を知りたいだけで調べたら
芋づる式にどんどん出てきました
もっと調べればもっと沢山の事が出てきそうだけど
とりあえずこの辺でやめておきます

けれど・・・

国民の健康を考えない会社は
名前を変えても子会社を作っても
何年たっても・・・・・・・・><;


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