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宝田明「間違った選択をしないよう、国民は選挙を通じて、戦争をしようとする人ではなく、そうでない方向の人を選ぶべき」&[わたしの戦争体験]俳優宝田明(文字起こし)

「間違った選択すれば戦争」…宝田明氏の発言にNHK大慌て
日刊ゲンダイ 2014年12月8日

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発言、ごもっとも(右はNHK山本アナ)/(C)日刊ゲンダイ

故・菅原文太氏に続き、芸能界の大物がまた「反安倍」の狼煙を上げた――と話題になっている。東宝を代表する二枚目スターとして活躍し、12年に文化庁芸術祭大衆芸能部門大賞を受賞した俳優の宝田明氏(80)だ。

宝田氏は3日夕方に放送されたNHKの「ゆうどき」に生出演。幼少時代に旧満州でソ連侵攻を体験し、命からがら引き揚げてきた悲惨な過去を振り返りつつ、「人間の起こす最も大きな罪は戦争」「戦争を起こしてはいけないというメッセージを発信し続けたい」と戦争反対を主張。その上で、噛み締めるように「無辜の民が無残に殺されることがあってはいけない。間違った選択をしないよう、国民は選挙を通じて、そうでない方向の人を選ぶ(べき)……」と訴えたのである。

宝田氏が集団的自衛権行使容認にヒタ走る安倍政権を念頭に発言したのは明らかで、NHK番組で「反安倍」を“公言”したのも同然。放送後、ネット上では「よくぞ言ってくれた」「男気を感じる」と拍手喝采だ。

逆に非難囂々なのは、NHKの山本哲也アナウンサー宝田発言を慌てた様子で「各自、それぞれが思うことがあるでしょう。いろいろな考え方もありますから……」などと遮ったからで、「戦争肯定派か」と物議を醸している。
山本アナは安倍首相の地元の山口県出身。「おらが町の首相」の心情をおもんぱかったかどうかは分からないが、戦争反対を訴え、そのために選挙で有権者は正しい選択をしよう――と「正論」を唱えることが、それほどいけないのか。元NHK政治部記者の川崎泰資氏もこう嘆く。

悲しいことだが、安倍政権のメディア介入の“効果”が表れているのでしょう。局内で政権批判自粛のムードが蔓延しているのだと思う。例えば、沖縄の仲井真知事が退任直前に(知事選で争点になった)辺野古の工法変更を承認したニュースの扱いを見てもそう思います。本来は民意を裏切る行為であり、トップニュースで扱うべきなのにNHKはマトモに取り上げていない。由々しき事態です

このまま自民大勝なら「皆様のNHK」が「安倍政権のNHK」になる。断固阻止しないとダメだ。



「ゆうどき」2014年12月3日(水)の放送
人生ドラマチック「俳優 宝田明さん80歳」

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故・菅原文太さんに続き、声をあげる俳優・宝田明(80)さん、
タレント・大橋巨泉(80)さんの覚悟と決意

より、一部抜粋

途中から見たのだが、宝田さんは「私は80年の人生と、そこでの体験から、二度と戦争は起こしてはならないと考えています。」と仰っていた。

初代ゴジラの主演を務めた宝田さんは、ゴジラに関して、「戦争によって、核兵器によって無辜(むこ)の民の命が犠牲になった。人間が起こした核戦争、核開発によって世界が小さくなってしまった。その後、核開発に力を貸した原子力物理学者たちが、『もし核を使用すれば世界が滅亡する』と発表して、7人委員会がつくられた。
しかし3・11事故で、日本で再び核の放射能汚染がひろがる辞退となった。命の大切さ、命がおろそかにされてしまうような事態が、戦後70年もたっているのに、いまだに続いている。」と語った。
また「戦争のこと、日本で派生してきた時代、明治、大正、昭和の歴史を研究して、どうやって戦争に入ったのか、是々非々でもいいから、若い人にもっと知ってもらう必要がある。」とも述べる。

そして、「無辜の民が犠牲となる無残な戦争を、一握りの人間にもてあそばれてやることはあってはならない。間違った戦争を繰り返してはならないと思います。最近、ややもすると、キナ臭い動きが国内にも、周辺国にもあります。戦争を助長することも、加担するような動きもしてはいけないと思います。」として「日本が間違った道を選択しないように、選挙で、戦争をしようとする人ではなく、そうではない人を選ぶことが大事です」と選挙にも踏み込んだときだった。
すかさず、聞き手のNHKキャスターの山本哲也氏が、あわてたように「各自、それぞれが思うことがあるでしようし、いろいろな考え方もありますから……」と宝田さんの話しを否定するようにして割って入った。
しかし、宝田さんは、それでも再び、「声を大にして言いたい。戦争をおこしてはいけないというメッセージを発信し続けていきたい。」と力を込めて述べた。




メールで教えていただいた情報 Mさん

夕方帰宅して何気なくTVをつけたら、宝田明さんがGODZILLAの話をしていました。
「ゴジラはただの怪獣ではなくて、GOD、神からの警告なんです。核兵器への。アインシュタインや湯川秀樹が物理学者として委員会も作りましたよね。」
「長年、子どもたちと『葉っぱのフレディー 小さないのちの旅』というミュージカルを続けていますが、子どもたちにいのちを考えてほしいんです。」
「明治、大正、昭和と軍国主義への流れを、教科書でしっかり学ばなければなりません。」

「いま日本では震災、原発とか放射能で、子どもたちがですね、こういうことを選挙でしっかりかえていかないと・・」

突然アナウンサーが「まあいろいろ考えはありますから」とさえぎってしまいました。




2009年NHKで宝田明さんが戦争体験を語っている動画がありました。
その部分を文字起こししました。


[わたしの戦争体験]
俳優 宝田明・戦争体験

放送日 2009-03-29
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2009年に「わたしの戦争体験」と題して著名人の戦争体験を放送しました。その番組を公開いたします。
この回は、旧満州でソ連侵攻を体験し、苦労して日本に引き揚げてきた俳優の「宝田明」さんです。
東宝の看板映画俳優として、またテレビでも活躍してきた宝田明さんは、旧満州今の中国東北部での過酷な体験を潜り抜けて日本に引き揚げてきました。宝田さんは、父親が南満州鉄道で働いていたことで、2歳からハルビンに住み、そこで昭和20年8月の終戦を迎えましたが、満州に侵攻したソビエト軍は、8月20日ころハルビンを占領、宝田さんの家にもソビエト兵が押し入って略奪を受け、宝田さん自身、ソビエト兵の銃撃を受け大けがをしました。



ナレーション:
私たち日本人が体験した戦争。
今も忘れることができない記憶があります。

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宝田明:
戦争の実体験、証言をしていらっしゃる方。
そしてこれは虚構の話じゃなくて、人間の長い歴史から見ればたかが半ページ先のことでもない。
同じページに書かれているぐらいのことなんです。
それを60何年前のことをいうと「なんだ、古いことを言って」と一笑に付されてしまうのが、
僕はとっても嫌です。

ナレーション:
俳優宝田明さん。
旧満州、現在の中国東北地方にいた宝田さんは終戦後数々の困難に遭遇し、やっとの帰国を果たしました。
宝田明さんは昭和9年、当時日本の植民地であった朝鮮半島に生まれました。
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2歳の時、南満州鉄道で働くようになった父と共にハルビンに移り、そこで育ちます。
終戦の6日前、昭和20年8月9日、ソ連軍は日ソ中立条約を一方的に破棄し、満州に侵攻します。
この時満州を守るべき関東軍の主力はすでに南方の戦場へと移動していました。
ソ連軍がハルビンを占拠したのは、8月20日前後と言われています。
ソ連軍による摂取や、一部の兵士による略奪や暴行が始まりました。


宝田:
ソ連軍がいつ入ってくるかわからないから、玄関に大きなこんな太い木で閂(かんぬき)を作ってですね、
それで2階3階には缶からを二つ三つ付けて、神社の鈴みたいに。
それがカランカランと鳴って、窓から顔を出して、
「あ、ここに住んでいる家族のものだ」と思うと、閂を開けてそれで入れるんですけど。

どうしてかね、夜つかつかっと私のところに、食事をしていましたら、
ソ連の兵隊が靴のままドッと入ってくるんです。
「あら?誰がどうして開けたんだろう?」と、いうことで、
しかし我々も微動だにせず、もう何されるかわかりませんから。
時計をだーって(腕にたくさん)しているのでね、
もう既に何処かの社宅に入ってぶんどってきたんですね。
だから袋に、こんな大きなのに電気コンロが入っていたりしているんですけど。
もちろん私のところもそういった、彼らが見たこともないだろう家庭用品や化粧品等等。
それでちょっと別室でしばらくいましたけれど、
まぁ、何をされたのかね。
母には、もう亡くなりましたけれど、死ぬまで「あの時どうされたの?」っていうことは、
残念ながらそれは聞くことができずじまいでした。


ナレーション:
宝田さんは兄弟とともにソ連軍に駆り出され、石炭を運搬する労働を命じられました。
ある日のこと、兄が働きに行ったまま戻ってきません。
軍人と間違われられ、シベリア行きの列車に乗せられたのではないか。
宝田さんは兄を探すため列車へと近づきます。

宝田:
見張りをしていたソ連の兵隊にダダダダーッと撃たれましてね、
うちへ帰ってきたら血だらけになっている。
痛いも痒いもないんですよ、ただ生温かくて、血で濡れているんですよ。
それでま、とにかくオキシフルをどんどんかけるしかない。
あるいは赤チンをつけるぐらいで。
ところがですね、翌日から、実は腐ってきましてね。

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すごく化膿が激しいんです。
で、昔軍医さんだっていう方が、麻酔も何もせずに裁ちバサミで突き刺して、
ザクッザクッて肉を切ってですね、そしたら膿がバーーーッて出たんですよ。
出てですね、それで裁ちバサミでこうつまんだら、弾頭っていうか、弾が出てきたんですよ。
鉛の弾だったんです。
それは「人間に入ったらすぐに腐る」ということで禁止されていた弾なんですけれども、
ま、それだったんですね。
ですからすぐに腐ってきちゃったっていうことで、
結局縫うこともできず、ただそのままにしていたらずーっとこうなって(くっついて)きて、
ですから未だにちょっとペコペコしているんですが、
まともに入っていたらおそらく死んでいたかもしれません。


ナレーション:
ようやく日本へと引き揚げることができたのは終戦の翌年でした。
大陸生まれの宝田さんにとって、初めて踏む祖国の土でした。
大荷物を抱えて大阪までたどり着き、
親戚の家へと向かう電車に乗った宝田さん一家に、思わぬ罵声が浴びせられます。


宝田:
電車が混んでましてね、ダダダダーッと中に押し込まれて、
それで「こんなに混んでるのか」と、ガタガタ揺られたので、
「なんや」俺初めてあんな大阪弁聞いた、
「なんやな!荷物降ろさんかい!」
「あれ、俺どこの国に来ちゃったんだろう?」と、「今なんて言ったんだろう?」
「なんやお前、降ろさんか!」ってこう。
いまだにこの言葉は忘れられない。
ムカムカきてね、もう12歳、小学校6年っていったらね、
なに、このやろう俺はソ連の兵隊に玉食らっているんだぞ、
お前らみたいなもの何このクソッタレと思っちゃうわけです。
「引揚者で荷物がないと帰れませーん!」って怒鳴ったの、電車の中で。
そしたら、シーンとしたんですよ。
そして駅を降りて、電車はタカタカタカッと田んぼ道をずっと。
で行ったあと踏切を渡って目指す方向にいくんでしょうな、父の後を我々は付いているわけですから。
それでもう、むしゃくしゃむしゃくしゃしているところへ、
フッと見たら向こうに果物屋さんと野菜屋さんみたいなのがあったんですよ。
そしたらなんかこんなね、黄色く赤い果物があって
「あれは満州で見たことがないな、なんなんだろうな、なんなんだろうな、美味しそうだな、どんな味がするんだろうな」
と思いながらこうやってこう見て、フッとまた歩いて行ったら、後ろから、
「ちょっと、お待ちなさい」とか言われてね。
そしたら白い割烹着を着たおばさんがね、
そういえば果物屋の中にいた人だなって思ったら、
「どこから帰ってきはりました?」って言いながら僕の飯ごうの中に柿を4つポンと入れて、
大きい柿なんですよ。
4つポンと入れてくれてね。
もうそれで、それまでの満州終戦からの、引き揚げの時からの船でのこと、今電車の中で受けた嫌な言葉、
全部かき消してくれる、その「どこから帰ってきはりました」と、入れてくれたんですよ。
よほど俺が物欲しそうに見て行ったんでしょうかな。
もう私入れてもらった飯ごうを落っこどして、ワーワー、ワーワー泣きました。

ナレーション:
12歳までの多感な少年時代を過ごしたハルビン。
そこは終戦直後の辛い記憶が刻まれた故郷です。




【内容情報】(「BOOK」データベースより)
私たちは次の世代に、どんな明日を、どんな未来を手渡すのかー医師・俳優・作家として活躍する三人が憲法九条への思いを綴る。

【目次】(「BOOK」データベースより)
明日の世代のためにー今私が願っていること(澤地久枝)(一人の存在として声を上げる/密約/原発事故は人災 ほか)/憲法九条は世界の宝(宝田明)(「九条の会」とのご縁/ミュージカル『葉っぱのフレディーいのちの旅』/ハルビンの少年時代 ほか)/勇気をもって「ノー」と言おうー真の愛とゆるしのために(日野原重明)(戦争は人間を鬼に/尊敬する医師に学ぶ/「いのちの授業」 ほか)

【著者情報】(「BOOK」データベースより)
日野原重明(ヒノハラシゲアキ)
1911年生まれ。聖路加国際メディカルセンター理事長、聖路加国際大学名誉理事長

宝田明(タカラダアキラ)
1934年生まれ。俳優として舞台・映画・テレビで幅広く活動

澤地久枝(サワチヒサエ)
1930年生まれ。ノンフィクション作家。「九条の会」呼びかけ人(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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