スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

<帰還のすすめ>「不安や 絶望や 悲しみや 憎しみや 孤独から ”そつぎょう”するために福島に帰ります」3/8NO NUKES DAY松本春野さん&ブレない鎌仲ひとみさん(文字起こし)



あれ?

2015年3月8日  NO NUKES DAY 松本春野さん

よろしくお願いします。
ちょと鎌仲さんの後で、あの、違った視点、違った解釈の話をさせていただくので、
ちょっとみなさんに受け入れて頂けるか少し不安ですが。
あのー、今まであのー、登壇者さんたちが、原発についての問題点というのは本当にたくさん語ってくださったので、ここではわたしは、
わたしは絵本作家なんですけれども、2011年に震災が起きて、夏から取材を続けて2冊の絵本を出しています。

「ふくしまからきた子」という絵本で、2012年2月に1冊目を出しました。
それは福島県から広島に母子避難した子供を書きました。
そして、今年(2015年)の2月にその続編「ふくしまからきた子 そつぎょう」という、
今度は広島から福島に戻ってくるという、主人公が戻ってくるという話を書きました。

その中で、取材の中で私が感じたこと、見てきたことを話させていただきたいと思います。

たびたび、福島県の学校で子どもたちと一緒に給食を食べたり、休み時間は一輪車や逆上がりをしたり、いきいきした子どもたちと接してきました。

3.11からもうすぐ4年。
福島を訪れるたび、目の前の子どもたちを一番に考え、見えない放射能について学び、測り、慎重な対策を重ね、暮らしを立て直してきた大人たちの姿に福島県の中でたくさん心を打たれてきました。
そして、その背中を見て立派に成長してきた子どもたちをこの目でしっかり見てきました。
私が取材してきた福島県に暮らす人々は、精神も状況も2011年のままではありません。
あるお母さんの言葉が印象的でした。
「福島県民とわかると、悲しい顔をしている方が喜ばれるんです」
たしかにつらいことはたくさんあったし、いまだに続く困難もあります。
けれども、あの震災から、必死で学び、考え、測り、対策し続ける日々の中、
「一歩ずつ前に進むたびに彼女たちは歓声を上げ、手を叩いて喜び合ってきた」ということをたくさん語ってくれました。

また、「同じように脱原発を望んでいるのに、放射能のこと以上に県外の反原発運動の動きに心折られることが多い」という言葉もたくさんもらいました。
東京に住む私はその言葉を重く受け止めています。

放射能と向き合うことを強いられた福島の人たちは、私達よりはるかに放射能について知っています。
膨大なデータを持っています。
国で出してきたデータを、自分たちの暮らしを守るため、再チェックする機能も充実させてきました。
小さい子どもを預かる保育園のチェックなどは、びっくりするくらい細かい注意を払っています。

地道に確実に集められたデータと実践の積み重ねから、
福島で暮らすこと、福島のものを食べることを、自主的に選択している人々がたくさんいることを、
もっと知ってもらいたいし、応援してもらいたい
と、取材すればするほど思うようになりました。

しょうがなく住んでいるのではなく、選択して住んでいる人々が大勢います。

それは、自主避難の生活を選んだ人たちと同じで、また、私が東京で生まれ育ち、今も東京に暮らし続けている選択と変わりません。
お互いに尊重されなくてはならない生き方の選択なのです。

私達は、もっと、福島に暮らす人々の声から学ぶべきなのではないのでしょうか。

ある被災地の小学校の校長先生がおっしゃった言葉をご紹介します。
物の支援も保養の支援もお金の支援もたくさんいただき、本当に感謝しています。
けれども、私たちののぞむ一番の支援は、子どもたちに会いに来ていただく支援です
」と。

福島県への子どもの支援で、県外からのメジャーなものが保養です、先ほどお話がありましたが。

けれども、保養は、参加できない子どもはいつまでも参加できないままという現実が有ります。
障害がある子ども、アレルギーがある子ども、低年齢だと親が働いていて、同伴できない子ども。
また、保養の声がかかるたび「福島で暮らすことを否定されている気持ちになる」という親御さんも多数聞きました。

3.11から4年経とうとしている今、今度は私達が、福島へ出向き、現地の暮らしを知る中で、福島の方たちが困っていることを補う、そんな支援の段階に来ているのかもしれないと思っています。

原発が憎い気持ちは変わりません。
見えない放射能が引き起こす人間関係の分断、補償の難しさ、風評被害、処理や対策へ気が遠くなるほどの手間と費用がかかることを4年経っても痛感するからです。
多くの家族がいまだ分断されています。
生活が戻らないままです。
差別に苦しんでいます。
処理の仕方もわからない核廃棄物は貯まる一方です。
すぐには、難しいのかもしれませんが、原発に頼らない電力にシフトしていってほしいという思いは、取材をしていく中では募る一方でした。
福島県に暮らす人々の生活の改善を応援し、共に喜び、一緒に進んでいく脱原発運動がひろがっていったら、と心から願っています。
私自身、自分の言葉で、絵本で、声を上げていくことをやめないでいきたいです。
ありがとうございました。




1冊目
原発事故をきっかけに母の実家、広島市にひっこしてきたまや。原発と、私たちの未来をかんがえる絵本。

(いわさきちひろさんの息子と孫娘)

脱被曝から卒業したようです。
なにがあったのか?
最初の絵本「ふくしまからきた子 (えほんのぼうけん)」のカスタマーレビューを読むとその理由が少し見えてくるような気がします。

何となくムカッ腹が立つのは私の心が曲がっているからか, 2012/6/4
投稿者 しまようこ (福島県) - レビューをすべて見る
レビュー対象商品: ふくしまからきた子 (えほんのぼうけん) (大型本)
福島在住。小学生の子供もいます。
本屋で立ち読みしました。
うまく言えないのですが、この絵本を読んで、福島県の子供達がかわいそうだね、とか話し合われるのかと思うとなんかイヤ。
何でこんな題名なのかな?

42 人中、35人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。


短絡的, 2014/2/25
投稿者 イチジクニンジン (東京都) - レビューをすべて見る
レビュー対象商品: ふくしまからきた子 (えほんのぼうけん) (大型本)
広島=福島=かわいそう→原発をなくそう という感情的な短絡思考を感じました。

原子爆弾を投下された被害と今回の原子力発電所の事故による放射能の拡散やそれによる被害の問題は異なります。
また、福島といってもかなり広いのであって、被害の程度は地域によっていろいろです。
さらに、原発をなくせばそれで済むのか?というのはエネルギー政策に関する複雑な議論の必要な問題で、簡単に断じることはできません。

「どうしたらいいのか?」と問う子どもに対して「総理大臣じゃないからどうしようもない」みたいな答え方をする大人もどうなんでしょう?
そういうことを言う大人はもちろん普通に沢山いるとは思うんですが、わざわざ絵本に記すほどの教育的な言葉でもないし、市井の人々の示唆に富んだ鋭い一言ってわけでもないですよね・・・。
たいじゅ君はこの一言から総理大臣になろうと考えるわけで、絵本の筋の中では重要な発言なんですが・・・民主主義を教えるのにもやや不適切な表現なのではと思え、ちょっと残念です。

子どもに読ませるには少し教育的配慮に欠けているように思います。
参考文献が武田邦彦氏、、というのも、眉唾なものを信じて疑わない、いい加減な大人が作った本なのだということを表していますね。
自分の子に理科や社会を得意になってもらいたければ、読ませない方がいいかと思います。
逆に、単純な反原発活動家とか、革マル中核派とか、そっち系のジャーナリストにでもになってもらいたいのなら、まあいいんじゃないでしょうか。。
子どもに偏った思想を植えつけようとする意図を持った絵本だと感じました。

24 人中、20人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。




精一杯彼女(松本春野さん)に好意的に考えてみれば、
きっと、他にも直接いろいろなことがあったのでしょう。
避難できない人の方が多い。
(松本春野さんの言葉を借りれば避難できないのじゃなく”自らしない”らしが)
汚染地域で生活するしかない人のことを思うと、避難しましょうという声を上げ続けることのエネルギーは相当なものだろう。
今の日本の状態から言えば、「住んでいても大丈夫」という方がとても簡単だ。
被曝、避難、甲状腺に関することについては思いもかけない反応がどっと押し寄せてくる。
脅されたのかもしれないし、恐かったのかもしれない。
だから「そつぎょう」を書かなければいけなかった。
そんなふうに私は彼女の本心に思いを巡らしてみるけれど、

どっちにしても松本春野さんは
被曝による子どもの健康被害を直視することから逃げて
体制派の方に見事に寝返ったヒトで間違いない


松本春野さんの直前に登壇した鎌仲ひとみさんのスピーチと比べてみましょう。
真実を語る人は意見をコロコロ変えません。ブレません。

20150308 NO NUKES DAY 鎌仲ひとみ監督


みなさんこんにちは、映画監督の鎌中です。
菅(かん)さん、浜岡原発を止めてくださってありがとうございます。
今度は全原発を「廃炉」にしていきたいと思っております。

昨日から渋谷にありますシアターイメージフォーラムで私がこの間「東日本震災」というふうにマスコミは呼んでいますけれども、私は「原発震災」と言いたいと思っているこの災害から、この4ん年間ずっと作ってきた「小き声のカノン」昨日から劇場公開が始まりました。

先ほどから「原発反対」そして「原発をゼロにしろ」って言う声がここにこだましています。
私は昨日、福島に行ってまいりました。
福島の劇場と東京の劇場で同時公開になっているんですけれども、福島の劇場は満杯でした。
東京の劇場はガラガラでした。
皆さんで埋めていただきたいと思っていますが。

「なぜ東京で埋まらないのか?」福島の皆さんに問いかけました。
福島の方たちは、被爆の現実を生きています。
3つの原発がメルトダウンし、
2つが爆発し、
そこから出てきた膨大な放射性物質が、今も福島の中に、
もうあちこちにホットスポットを作っています。

私の映画の中に出てくる汚染地図によれば、158万人以上の人たちが、本来住んではいけない放射線管理区域と同レベルの被曝を今も受けながら4年経ちました。
その中に、子供たちもいるんです。

そんなことをやっておきながら、この日本政府は今まで「1mSv以上被爆してはいけない」と言っていたのに、「なぁになぁに20mSvまでは大丈夫だから」と20mSvまで上げてしまいました。
そんなの安全なわけないんです。

4年間被曝したら20mSv×4で80mSvですよ。

被曝はお正月が来たからといってリセットしてゼロにはならないんです。


ね。
だから「4年経ったから大丈夫」とか、
今日も内堀福島県知事がテレビやラジオに出て「復興しておりますよ」と。
「福島の生産物を食べてください」
「観光に来てください」と言っていました。

私はもしそれが十分に低いレベルであれば喜んで食べますし、福島が復興することを願っていますが、
「その前にやるべきことがある」と思うんです。

それは今被曝し続けている子供達をきちんと被曝防護し、
117人もの甲状腺癌が出ている子供達のきちんとした医療保障をですね、
医療保障というか、ま、医療保障はされているんです、18歳以下は無料なので。
だからと言って、じゃあ18歳以上になって発症したらどうするんですか?

子供達が被曝から守られているという現実は福島の中にはありません。

で、お母さんが子供を連れて避難したら
おじいちゃんおばあちゃん、そして夫は福島に残されています。
家族一緒に暮らしたいけれども、それを許す補償は東京電力も政府もやる気がないんです。


でも、福島の人たちはそのことを声に出すのが怖いんですね。

「どうして声に出さないんですか?」と私が問いかけると、
「怖い」と。
そういう小さな声すら出すのが怖いんです。

なぜならそんな空気がどこにも無いからなんです。

とても異常な状態が当たり前のように続いています。
常識がひっくり返っていると思います。
ここにいらしている方たちの思い「原発を止めなければいけない」
なぜなら、もう本当に取り返しのつかないことが起きるし、もうすでに起きたんです。

答えが無いんです。
福島に住み続けようとしたら被曝は必至なんですよ。
だけど福島に住みたいわけです。

11

でもそれと同じことがチェルノブイリベラルーシでおきました。
私の「ちいさき声のカノン」は、ベラルーシでお母さんたちがこの25年間、時間差がある原発事故の後、どうやって子供たちを守ったか?そしてどれが成功体験なのか?という事をつぶさに報告しています。

みなさん「保養」という言葉を知っていますか?
子供達の被曝は「保養」によって軽減するんです。


避難できなくても、せめて福島にいる36万人、北関東にいる100万人近くの被曝を受けている子供達を保養させる取り組みが必要なんです。

子供被災者支援法に予算をゼロにしてきた現政権がようやく3億6000万つけました。
福島の子供達一人一人に配るとたったの1000円なんです。


たったの1000円なんです!

それなのに海外に行って沢山、何千億円もばら撒き、余計なことをいっぱいやっています。

オリンピック。
ポイティブでいいね。
だけど、福島の人たちが救われていないのに、そこにお金を使っていいのか?と思いませんか?

使うべきところが間違っているんです。

「子供を守れ」という言葉をみなさんが叫ぶなら、
「子供達がいかに守られていないか」ということをリアルに知っていただきたいと思ってこの映画を作りました。
だからぜひ見に来ていただきたいんですね。
優しいやさしい映画です。
誰にもわかるように私が全力を込めて作った映画を皆さんにぜひ見ていただきたいです。
お待ちしております。
ありがとうございました。







2冊目 
母子避難した広島から福島に戻ってくる話

この本には西田敏行のメッセージが書いてある帯が付いています。
西田
「 ふくしまからきた子は 避難先の ひろしまから
胸いっぱいに 希望や 喜びや 友達や 家族や 幸せを感じながら 福島に帰ります。
不安や 絶望や 悲しみや 憎しみや 孤独から
”そつぎょう”するためにー


西田敏行すごいですね。
ゾッとしました。
今現在やむなく避難している人々は、これを見てどう感じるでしょうか?
まるで、避難していることがいけないことのようです。
まだ、福島第一原子力発電所から放射性物質がで続けている今、
避難先から帰ることの方が”不安”ではないか、と私は思うのだけど。



いわさきちひろさんが生きていたら息子や孫の変化をどう思ったでしょう?
今現在も汚染されているのは事実だし、今後もいつ何が起こってもおかしくない状況です。
子供達が避難先から戻るのは、福島第一原子力発電所の各号機からの溶け落ちた燃料取り出しが完了してからの方ががいいのではないか、と私は思います。


<福島第一原発>
危険注意!!「30カ所のモニタリングポストが一斉に不具合」
〜2号機の温度急上昇も温度計の故障!?


<福島第一原発2号機>「温度急上昇について」東京電力記者会見4/9(文字起こし)

水道水
<それでも安全です>楢葉町木戸ダムの底にはセシウムが1万5000ベクレル/kg






2015年1月
今現在も常時福島第一原子力発電所から放出され続けているセシウムの量1/29東京電力公表
東京電力が2015年1月末に発表したセシウムのみの試算です。
今現在も毎日毎日
1920万ベクレル/日〜2160万ベクレル/日
福島第一原子力発電所から空気中に放出されています






続きを読むに 超ロングインタビュー
松本春野さんが大手メディアを使って長々と言い訳している様子↓






「フクシマを描く善意が差別や偏見を助長したかも」 絵本作家の松本春野さん
毎日新聞 2015年04月07日

20150407mog00m040007000p_size8.jpg
まつもと・はるの 1984年、東京都生まれ。絵本作家、イラストレーターとして活躍。「モタさんの“言葉”」(講談社)シリーズの絵を担当した=2015年3月12日、石戸諭撮影。


 ◇福島で生活する人から学びたい

 絵本作家、松本春野さん(31)の新作絵本「ふくしまからきた子 そつぎょう」(父の松本猛さんとの共著、岩崎書店)が話題を呼んでいる。東京電力福島第1原発事故後、福島から広島に母と避難することを選んだ主人公の少女「まや」が、自分が通っていた福島の小学校の卒業式に戻ってくるという物語だ。反原発運動に参加する松本さんは、福島での取材を通じて「(反原発運動は)もっと福島で生活を送る人の声から学ぶべきだ」と感じたという。絵本作家、いわさきちひろの孫として注目された松本さんが福島での取材で何を感じ、どう考えが変化したのか。思考の軌跡をロングインタビューでお届けする。【聞き手・石戸諭/デジタル報道センター】

 ◇「福島」と「広島」 象徴的に重ねたが……

 −−「ふくしまからきた子 そつぎょう」は前作「ふくしまからきた子」の続編です。前作から「そつぎょう」までの3年間、松本さんの間でどのような意識の変化があったのでしょう。

 松本さん 2011年の夏に、私は福島県飯舘村から避難した小学校に取材に行きました。原発事故後の混乱や避難の話を聞いたのが前作の取材でした。母子避難をした子供たちの話を聞く中で福島から広島に母子避難を選ぶ主人公の姿が決まってきた。

 前作は「ふくしまからきた子」と呼ばれた、まやが友人に受け入れられ、「まや」と呼ばれるまでの物語です。主人公はサッカーが好きな少女だけど、事故で傷つき、ボールを蹴ることに消極的になる。登場人物の男の子が2011年に活躍していたサッカー選手の名前を挙げながらリフティングをするシーンを冒頭に入れました。これは2011年の作品であることを強調するためです。物語全体のトーンも暗く、うつむいている子供の顔を表紙にしています。原発事故で、子供たちの心に与えた影響や不安を表現している作品といえるでしょう。

 当時、私も混乱していました。初めて聞く、ベクレルやシーベルトといった単位に驚き、困惑し、そもそも「安全」なのか「危険」なのか。極端な情報が飛び交い、まったく判断ができない。その中で「子供」に向かって作品を描き続ける絵本作家として「福島の子供たち」を守る作品を作る。それが自分の使命だと思っていました。

 今から思えば「ふくしまからきた子」というタイトル自体、「福島への差別を助長する」と思われても仕方ないですね。福島は広いし、放射性物質の汚染状況も違う。一律に語れないのに、私の意識の中で「『福島』に住んでいるのは危ない」「避難したくてもできない人ばかりなんだろう」「みんなが避難を選択したほうがいいのではないか」という思いがあった。それがタイトルや作品ににじんでいます。

 避難を選択した方からは「よく描いてくれた」「自分たちのことを描いてくれた」と共感の声も寄せられました。一方で県内の人からは「つらくて表紙を開けない」「福島に残ることを否定されているようだ」という声も寄せられました。この声はずっと心に残っていました。

 −−広島に避難するというのも象徴的です。

 松本さん 「見えない放射能」「被ばく」というという事実から「広島」と「福島」を象徴的に重ねて描くという手法を採りました。当時はこれが最善だと思っていましたが、今では重ねられることで見えなくなる問題もたくさんあったと思います。

 福島からの声を聞いて「もっと福島のことを知らないといけない」と思い、前作出版後に父と機会を見つけて、福島取材を続けました。

 ◇福島の人は「真実を知らないだろう」と思っていた

 −−どのように取材を進めたのでしょうか?

 松本さん 父が関わる「ちひろ美術館」のスタッフにたまたま福島出身の人がいて、そのお子さんの担任だった先生を訪ねることから取材を始めました。その先生は当時、伊達市立富成小学校の校長先生だったのです。その先生が伊達市や川俣町、飯舘村などいろんな学校の先生を紹介してくれた。そこから一人一人を訪ねて、子供たちの状況や学校の対策を聞いて回りました。

 その他にも福島市渡利地区の「さくら保育園」、ツイッターでつながった福島市や二本松市のお母さん、美術館の職員や図書館の司書さん、反核・反原発運動に関わる人……。関係を作って、お話を伺いました。

 これも今から思えば、前作を出版してからも私は取材でずいぶんと失礼なことを重ねたと思っています。「普通の生活を取り戻した」という話はメモを取らず、生活を取り戻すための努力に関心を示さなかった。「まだ、大変なことがあるのでは」としつこく聞いていました。「放射線に対する不安」が出てくると熱心にうなずき、「不安」に対処するために放射性物質を徹底的に測るという対策については共感を示さない。福島の人が悲しい顔をすることを期待していたんですね。そういう心の動きが顔に出ていたと思う。ひどい話です。

 自分で認めるのはつらいのですが、心のどっかで福島の人を見くびっていたのでしょう。「たぶん、真実を知らないのではないか」「放射線に慣れてしまっただけでないか」と。

 ◇「福島に住む人は無知じゃない」 足りなかった想像力

 −−「見たい福島の姿」だけを見ていた?

 松本さん そうそう。でも、福島に関するデータがだんだん明らかになってきましたよね。

 安斎育郎先生(立命館大名誉教授、放射線防護学。国の原発政策に批判的姿勢をとる)が除染や放射性物質の計測をアドバイスしてきたさくら保育園でも、国が出すデータを最初から信用せずに徹底的に再計測していた。そういう姿をみると、だんだん疑問も湧いてくるわけです。「あれ、なんか違うぞ」って。すごく詳しく計測の仕方を教えてくれるし、データについての解説も細かい。「国にだまされて、安全だと思い込まされているから福島に住んでいる」わけじゃないんですよね。

 ある図書館の司書さんは涙を流しながら話してくれました。彼女の家庭にも小さなお子さんがいる。夫と一度は福島市内から避難を検討していた。でも、自分は図書館の鍵を最後に閉めるのが仕事だと。子供たちがいる中、自分から先に避難するわけにはいかない。放射線について勉強し「いまの線量なら避難はしない」と決断したそうです。

 この決断を不勉強だと誰が責められるのか、と深く考えてしまいました。

 福島に住むと決めた人は無知だから決めたわけじゃない。私たちが考えていたことよりたくさん勉強して、考えていた。当たり前ですよね。そんな当たり前のことすら私の想像力は及んでいなかったのです。

 私が唯一、良かったのは「福島に何かを与えよう」というスタンスを取らなかったことです。特定の目的を持って福島に入らず、「福島の現実をみて学ぼう、福島から持って帰ろう」と。そこはぶれなかったですね。

 ◇「現場は複雑」 安易に考えていた

 −−松本さんの考えが「ここで変わったな」という場所やエピソードはありますか?

 松本さん 福島県中通りのある小学校でプールを再開した話ですね。当時の校長先生から伺った話です。除染が終わって線量が下がった時点で、プールに入れるかの判断を迫られた。この小学校は山あいの学校で、当時線量が高かった。そこの学校は授業として近くの林にワラビ採りに行くんですよ。自然環境を生かした中で教育活動をするのが特徴なんですね。これは原発事故後、できなくなった。山の木々が放射性物質で汚染され、線量が高いからです。学校が大事にしてきたものが奪われ、その上プールにまで子供を入れないのか。

 線量が低い近くの小学校は(児童の)人数がとても多く、保護者がまとまらなかったからプール再開を見送っていた。でも、その小学校は幸いにして少人数の学校でした。保護者と教職員が話し合いを重ね、専門家による勉強会も開いた。徹底した除染を行った上に、数値の計測を重ねて、みんなで納得した上でプールを再開する決断をしたのです。つらい事故だったのは間違いない。でも、除染を重ね、プールが再開できるところまでこぎつけた。とても喜ばしいことだったでしょう。

 しかし、これがニュースになり、報道されたとき、状況を知らない外の人たちから批判的な電話があったといいます。「福島の水を使うなんてとんでもない」「子供を守っていない」という趣旨だと思います。当時は私も「大丈夫かな」と思っていたので、こうした意見を批判できませんが。

 でも、さくら保育園の先生方も強調していましたが、「鉛の箱で子供は育たない」のです。閉じ込めているだけでは子供たちの精神は参ってしまう。これも現実です。きっと福島のいろんな保育園や学校であった一歩一歩の前進が理解されない。

 子供が遊べる環境があることが最善です。それを取り戻すため学校と保護者が協力してきた学校がある。一方で、みんなの納得や合意を積み上げるには時間がかかります。学校ごとに違う課題があり、考えながら決断している。どの学校の判断が正しいかという話ではなく、現場はとても複雑であり、慎重な判断をしているということを強調したいです。批判にありがちな「福島を安全だとアピールしたいから」といった単純な話ではない。過度に単純化してきたことについては私も同じです。想像力を使って、先生方や保護者の気持ちを考えると当時、安易に考えていた自分を責めたくなります。

 −−「そんな場所なら避難をすればいい」という声も聞きますね。

 松本さん 正直、私もそう思っていた時期はありました。私は東京で生まれ育っていますし、転勤も身近なものでした。「家」や「土地」に縛られない考え方の家庭で育ちました。

 でも、取材で訪れた福島県伊達市の霊山地区に古くからある家の方を訪ねたとき、家にずらっとご先祖の写真を並べてあるのを見て、感じるものがありました。土地や家の持つ意味はそれぞれに違う。避難すればいいってものじゃない。線量や計測を重ねて、その土地に暮らすことを選択した人がいるという事実は、私が単純に考えていたより重いものなのです。

 県内の先生たち、職員、メディア関係者もみんな「当事者」なんですよね。職場を離れたら、親であり、生活者です。子供や親……といった自分以外の誰かを考えるのは当たり前なんですよね。だから東京で暮らす私が疑ってかかることなんて、みんなとっくに疑っている。だから自分で数字と向き合い、決めてきた。決断の積み重ねが今なんです。

 ◇子供のはじける笑顔を描くことは難しい

 −−取材を通じ「事実」を知って考えが変わった。そこで描かれた「そつぎょう」にはさまざまな意味が込められている、すごく象徴的な言葉です。

 松本さん 一つは文字通り、まや、そして同級生が小学校を「そつぎょう」していく。それも笑顔で卒業する。この話を描くときに私の中で、一つだけ決めていたことがありました。前作はうつむいた顔が中心だったけど、取材に行った小学校で子供たちは日常を取り戻そうと努力を重ねる親や先生たちの背中を見て、とてもいい笑顔を浮かべていたのです。その笑顔を描こう、と。

 言い方は悪いけど、子供のうつむいた顔を描くのって実は楽なんです。社会問題を扱った作品に限っていえば「かわいそう」だと思われる絵の方が受け入れられることが多い気がします。

 逆にはじける笑顔はとても難しい。技術的にも難しいし、このテーマなら「原発事故を軽く考えている。何もわかっていない絵本作家」という批判は避けられない。でも前作を描き、いろんな福島の子供を取材した以上、作家として責任があります。そこからは逃げられない。

 母子避難を選んだまや、家族にとって原発事故はやっぱり悲しい思い出です。だから、事故を思い出す場面はモノトーンになります。原発が爆発したニュースを見守るまやの母親はおばあちゃんの背中をさすっています。家族がつながっていたまやの一家にとって、避難は苦渋の選択だったのです。

 ◇「おかえり」に込めた思い
20150407mog00m040009000p_size8.jpg

「ふくしまからきた子 そつぎょう」より、主人公まやを福島の小学校の同級生たちが「おかえり」と迎える場面
 −−主人公まやを福島の小学校の同級生たちは「おかえり」と迎えます。その場面は印象深いページです。

 松本さん まやだって避難した小学校に受け入れられるか不安だったと思います。「あの時期に逃げたと思われないか」と。一方で避難先では「ふくしまからきた子」と呼ばれ、自分の名前で呼ばれないつらさを味わった彼女にとって、この小学校は「まや」と呼んでもらえる大事な場所です。

 子供たちにとっても、久しぶりに見るまやの姿はうれしかったのでしょう。みんな、走って駆け寄り、抱きしめながら「おかえり」といって迎え入れた。避難も一つの選択であり、帰ることも一つの選択です。いろんな価値観があり、人それぞれの選択がある。どんな選択も肯定する。そうした思いを込めました。だから、まやの帰宅は一時的なのか、もう広島から戻って中学校は同じところに通うのか。そこは想像にお任せしています。ぜひ、お読みいただいた上で、思い描いてほしいなと。

 「おかえり」は大事なんですよ。さきほどお話しした司書さんのところにも、避難から一時的に戻ってきた子供を持つ親から相談があるそうです。「子供が『(避難した)自分が図書館に行っていいかわからない』って悩んでいる」と。司書さんは「みんな一度は悩んだことだから気にせずおいで」って答えたと話してくれました。子供たちの気持ちは私たちが考えている以上にずっと繊細なんですよね。子供たちにとって「おかえり」がどんなに大事な言葉か。わかってもらえると思います。

 −−モデルの一つになった富成小学校の卒業式にも実際に出席しましたね。

003_20150409171923cca.jpg
父の猛さん(中央)と一緒に伊達市立富成小学校の卒業生に絵本を手渡す松本春野さん(右端)=福島県伊達市で2015年3月23日、石戸諭撮影

 松本さん お世話になった先生は別の小学校に異動してしまいましたが、その先生が実際に卒業式で語った言葉を絵本の中に使いました。実際に描くときにモデルになった子供たちが笑って卒業していく。保護者でも先生でも、職員でもないけど印象深いです。11人の卒業生、一人一人に絵本を手渡せて本当に良かった。みんなのおかげで描けた、ありがとうって思いました。

 「そつぎょう」では学年ごとの思い出を見開きのページごとにまとめているのですが、ハイキングの川遊びなんかは実際に子供たちの声を聞いて、様子を想像して描いたものです。子供たちの声は絵本にかなり反映されています。

 ◇「善意」のつもりが差別や偏見を助長と痛感

 −−「そつぎょう」という言葉は、「偏見」を持って接していた松本さんの姿勢にもかかっている。

 松本さん そうです。私の4年間は原発事故に怒り、悲しみ、そこから学ぶ4年間だったといえるでしょう。イメージの「フクシマ」から現実の「福島」の姿を描くための4年でもあった。4年前の事故直後からイメージする「フクシマ」と「福島」は違います。

 私の前作は「フクシマ」を反核の象徴として描くという意味合いを持たせてしまった。それはそれで一定の意味を持っていました。

 しかし、もっと大事な日常の「福島」の姿を描かず、避難という選択を「フクシマ」を描くために利用してしまったかもしれない。あまりに旧来的な描き方をしてしまった。

 こうした描き方は長年、福島県内で反核運動や反原発運動に取り組んできた人たちからも批判されました。善意のつもりが、差別や偏見を助長する役割を果たした側面もあるのでは、と痛感します。

 先にお話しした福島からの反応がすべてでしょう。もう、そういうことはやめにしたい。

 ◇福島に住むことに「罪悪感」を抱かせるような運動でいいの?

 −−「そつぎょう」を描き終えた後、参加した反原発運動の集会で行ったスピーチ(http://www.harunomatsumoto.com/blog/2015/03/38-no-nukes-day.html)もすごく反響がありました。課題は個別にあるにもかかわらず、ひとくくりに「福島」を語ってしまう。そんな語り方への疑問であり、「おかえり」の場面に象徴されるように分断を乗り越えたいという松本さんの意志を感じます。

 松本さん 主催団体から頼まれてから、かなり悩んだんですよね。言うべきことを整理するために、原稿を書いて持っていこうと思っても、直前まで書けなかった。覚悟を決めて、これだけは言おうと思ったことを書き連ねました。

 私は当初から反原発デモにも参加していますし、政治的な立場で言えば「脱原発」。事故が1回起きたら取り返しがつかないし、分断も深まるし、面倒な問題をいっぱい起こす。他のエネルギーに替わってほしいと思っています。

 でも、反原発運動の中に「福島は住めない」「福島県産食品は危険だ」といった差別的な表現があったのは事実です。それは今でも残っています。私はそこには絶対、賛同できない。

 「私たちは、もっと、福島に暮らす人々の声から学ぶべきなのではないのでしょうか」と呼びかけました。複雑な問題を理解することは時間がかかります。でも、同じように原発に反対する気持ちを持ちながら、福島の方に「県外の反原発運動の発信を見ていると心が折れる」と言わせてしまう。福島の内と外で分断を深めているのは誰なのか。もっと私たちは問わないといけないと思います。

 反原発のために広大な福島を住めない土地にする必要はありません。浜通り、中通り、会津の地方ごと、自治体ごと、地区ごと、個人ごとに問題は違います。福島に住むことに罪悪感を抱かせるような運動でいいのか。そこをもっと問わないといけない。

 差別や偏見を助長するような運動からも「そつぎょう」が必要なのです。

 ◇「個別の声」に耳を傾けよう

 −−反原発運動に限らず、福島をどう語るかは常に見直しが必要です。

 松本さん 生まれたときには亡くなっていましたが、私がいわさきちひろから学んだことがあります。それは「北風と太陽」があるなら、ちひろがそうであったように私も「太陽」の立場を取りたいということです。批判は大事ですが、強く、激しい言葉だけで人はつながれない。語り方は常に考えないといけません。

 運動に関わる人は少数派(マイノリティー)の存在は尊重されないといけないと考える人が多い。私も基本的にそうした考えに賛同しています。だから「福島に残って生活している人の声も避難した人の声も多様だ。でも、全国にまだ十分に届いていない。『福島の声』は日本全体から見れば『少数派の声』なのだから、まずは耳を傾けよう」と呼びかけていきたいです。

 多様なはずのものを一つにまとめていくようなやり方ではなく、個別に耳を傾ける。そして、福島に実際に行く。私も、継続的に福島に関わっていきたいと思います。






関連記事

コメント

非公開コメント

ネガティブな事象を情に訴えて美談にする、日本人お得意の無責任な偽善ですね。
そのうち、「好きで福島に住んでるのだから、それは住民の自己責任だ。」との声が出てきかねない…

私は福島から関東に嫁いで30年になります。大切や友人や老親が暮らす福島に、週一度帰っています。
鎌仲さんの「小さき声のカノン」を福島で見ました。絵本「そつぎょう」も読みました。うまくいえないのですが、鎌仲さんも松本さんもそれぞれの優しさと正義感をもって真剣に、「そうせざるをえない」福島と向き合ってくださっていると思います。それぞれの作品から同じ方向性が感じられるのですが…
きっこさんは映画をご覧になりましたか?絵本を手にとって読まれましたか?猛さんが書いた絵本の長い長いあとがきを熟読されましたか?

結局はお金の問題

美談だとかあとがきを熟読されたかとか、
結局は「お金」の問題なのよ。

福島へ帰還する人も「お金」の問題。
福島へ帰還させたい国も「お金」(予算)の問題。
絵本を売りたい松本さんも「お金」の魅力に飛びついただけ。

善意で活動しているように見えて、
みんな「お金」のためなんですよ。

「食べて応援」、
これも農家への補償を国が抑えたいだけ。
国が補償してくれないんだったら、
農家は自分のお金を守るために、
必死で「ふうひょう・ひ・が・い」と叫びますよ。

ただそれだけの話しです。
「猛さんが書いた絵本の長い長いあとがきを熟読」してみても、現実は変わりません。



上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。