<子ども脱被ばく裁判>「4ヶ月の間に私も1.9ミリシーベルト被曝させられた。被曝手帳をいただきたい」5/21自主避難者のお話(文字起こし)

柳原敏夫「子ども脱被ばく裁判-福島の最大の問題を正面から問うた裁判」ほか

2015年5月21日  UPLAN



福島から神奈川へ避難している原告の方の話


まず、私がどうして今自主避難しているのか、という経緯からお話しさせていただきたいと思います。
2011年3月11日の東日本大震災、3月12日の福島第一原発の爆発によって、
かなりの不安と、何が起こっているのかわけがわからずいるなか、
ちょうどその当時小学校6年生だった次女を、東京の妹のところに、
もしかすると福島が危険かもしれない、ということで避難をさせました。

当時、福島に山下俊一という方がいらっしゃって、
「福島は大丈夫だ」と、「放射能は怖くない」ということを、
盛んにラジオなどで話されている
のを聞いて、
ま、一時的のことなのか、と思いつつ、
ただ、なぜ大丈夫なのか?
「大丈夫だ」としかお話しをなされないので、
いろんな中で個人的に調べていく中、
子供福島ネットワークという事故後立ち上がった団体のメーリングリストがあるということで、
私はそこに入れさせていただきて情報を、どういうふうになっているのか共有するために入らせていただいて、

その中で、郡山市。
福島第一原発から50km〜60km離れた郡山市も、一番中心のところにいたのですけれども、
やはり、かなり汚染されたということで、
子供をとにかく守らなければ。

で、そのうちに、
私は子供が二人いるんですけれども、
上の子はその当時はもう成人していましたので、一緒には生活しておりませんでしたけど、
次女の娘がだんだん体調を崩していくんですね。

その前に同僚の息子さんたちが、前回鼻血問題がありましたけれど、
そのような感じで鼻血が出るということをかなり心配しているなか、
うちの娘も鼻血を出しているという状況になって、
やはりこのままではよくないということで、
私は7月に、2011年7月に、夏休みを待たずして、
当初のメーリングリストから、3月に神奈川県が民間借上の募集をするということで、
私はそこにとにかく、無我夢中でそこに応募して、
7月に娘と一緒に神奈川に自主避難という形で避難して、現在に至っています。

今現在でいうと、娘も少しずつこちらの生活に慣れて、今は高校2年生になりました。

娘的には、福島に戻りたい気持ちも……、
言いませんけれども、あると思います。

私も、福島しか知らないでずっと育ってきたものですから、
できれば、戻りたいという気持ちもあります。

ただ、現実がそうではないということを、やはりこちらでいろんな勉強会や、
当時ここに一度、勉強会に来ているんですね。
その時にやはり、「信じたくはないけれど、現実を知らなくちゃいけない」という思いで今に至っています。

ただ東電は、東電も県もそうですけれど、
福島は、もう、復興という名の下に子供達の…、なんていうんでしょう、
命というものに関しては、何も手立てをしてくれていないのが現状だと思います。

今回第二回の甲状腺の検査を、娘が6月7日に検査をします。
一回目の判定は「大丈夫でした」という話でしたけれども、
今甲状腺の被害があって、甲状腺癌という子供達がどんどん増えているのが現状なんですね。

でも、私は今、そうですね…
できればですね、今訴えたいことは、
もう私達は、福島県は年間1mSvという被曝以上の被曝をさせられたということで、
できれば、広島長崎の方ではないですけれども、被曝手帳をいただきたいと。
子供達にはその権利があると思っています。

私は民間借上を借りていますけれども、
2016年度、2017年の3月で打ち切りということが、東京新聞に掲載されていましたけれど、
そういう日が必ず来るとは思っていたんですけれども、
まだまだ、東電や国は何も賠償していないし、誰も責任を償っていないんですね。
その現状をやはり、一人でも多くの、
私達みたいな自主避難者や、福島にとどまって子供を守りたいけれどもいろんな事情があって避難できない人達もたくさんいるんですね。
そういう現状をみなさんにわかっていただいて、
できるだけ早期に、子供達を被曝から、少しでも放射線量の少ないところに避難させてあげたいという気持ちがあります。

これは私の、ま、疫学的に証明されないと思うんですけれども、
私も2年前から、かなりの高熱と体調不良のために…、調べたところ、膠原病ということが判明して、今治療している最中なんですけれども、
これはやはり、原因としては、先生は、
「膠原病の中でも●症候群という病気で、原因は3種類あるんだけれども、あなたはその原因に値していない。
その原因がわからないんだけれども、間違いなく膠原病だ」ということで、
ステロイド治療が始まり、今はリュウマチの方の薬を飲みつつ経過をみている
ところです。
これは、私は、やはり被曝の原因があるのではないかと疑っております。

それは証明されないと思いますが、
私は当時、郡山市ではなくて福島市に仕事に行っておりましたから、
福島市は郡山市よりも、
福島市の駅周辺はかなり、後で知るんですけれど、放射線量が高かったらしいんですね。

私は県から、
3月11日から7月11日のあなたの外部被曝実効線量はおよそ1.9ミリシーベルトです
という、外部被曝実効線量推計結果のお知らせというのをいただきましたけれども、
この4ヶ月の間に1.9mSvと。

これは私がその当時の行動記録を書いてた情報をもとにして提示された数字なんですけれど、
これはあくまでも行動記録をしたもので、
記憶を辿っても自分の行動を辿って書いたものにもかかわらず、
こういう1.9ミリシーベルトを出してきた福島県立医大に対して、
どういう気持ちで、どういう考えでこういう数字を出したのか?
専門家の方が出したんでしょうけれども、
4ヶ月の間に娘も1.8ミリシーベルト。
私も1.9ミリシーベルト被曝させられたと。

むやみに、被曝しなくてもいいものを被曝させられてしまった、ということに対して、
まだまだ、ふくしまは終わっていませんし、これからも私は訴えていきたいと。

今回子ども脱被ばく裁判の原告として、私も一緒に戦っていこうと思っております。
6月23日に裁判が行われるんですけれども、
これは、福島だけの問題ではなくて、これからも再稼動させようとしている国や東電、電力会社ですけれど、
そういう人達にもっと強く訴えていかないと、
福島だけではなくて他の、本当にまだまだこれから成長時期のお子さんに影響が起きるんじゃないかと、の気持ちでいます。

4年。
いろいろ、この間NHKでも廃炉の番組をやっていましたけれども、
原発はかなり廃炉に年数がかかる。私が生きている間には福島の原発は廃炉になるのか?
私はそこのことは見ることはできないと思います。

これからますます、甲状腺癌ではなくて、
私のような、目に見えない小さな病気に苦しむ人たちが一人でも増えないために、
私は声を上げて、こういう機会があるごとにお話しさせていただきたいと思います。

〜14:55


質問15:15〜
https://youtu.be/bvNW1f_doio?t=15m15s

質問:裁判では何を訴えたいか?

応答:
私たちは被爆したということを自覚し、被曝手帳をいただきたい。
子供達に真実を、とにかく話していただいて、子供達を少しでも低線量、というか、あの、
線量の低いところに避難させていただきたいということを強く訴えたいと思います。


質問:娘さんがいらしたクラスで避難された方はどのくらい?

応答:
私は一度、中学校になる前に避難させて、中学に上がるということで戻すんですけれども、
いろんな周りの状況を聞く中で、自分の娘が鼻血を出したり、下痢をしたり、早退してくる中で、
…私の娘が一番早かったと思います。
なので、娘が通っていた郡山の中学校では娘が早かったので、
その後私もすぐに避難してしまったので、そこの状況はわかりませんけれども。
ただ、娘に聞くと、その当時鼻血を出していたのは自分だけではなかったという話は聞いております。

通っていた中学の道路を挟んで反対側の郡山の薫小学校というところでは、当時早めに120人が自主避難したということを私は聞いております。


質問:
双葉未来学園ができて、福島の子供達も未来を目指して頑張るんだとか、県も観光キャンペーンをしていますが、
身近に入る方はどういった話をされているでしょうか?
例えば「いろんな話を聞くと、あんまり被曝の心配はしなくてもいいみたいだよ」とかありますか?


応答:
それは多分あります。
福島にとどまっている方たちの中には「(自主避難なんて)何を言っているの?」という人たちの方が多いかもしれないです。
当初、自主避難した時もそうであったように、今はもう、
「そろそろ4年経ったし、何も変わっていないんだから、そろそろ帰ってきたらどぉ?」
と言う友達もたくさんいます。
ですから、私が声を上げて言えば言うほどギャップというか、
私が異常なのではないか、というような感じにはなると思います。

で、今回原告になった人たちは、その中でやっぱり危ないんだと。
いろいろと勉強していくうちに、やはり被曝は決して子供には良くないと。
大人にも良くないんですけれども、決していい状況ではない。
郡山もやはり6万ベクレル、ですか、
「汚染されている」ということは知っていらっしゃる方もたくさんいますし、
ただ県もできれば福島に戻って欲しいんですよね。

目に見えるものでもないし、匂いもしませんし、
測ればわかると思うんですけれど、測らなければ何も変わらないんですよね。
そこで生活している人もたくさんいますし。

だからこの溝というか、
私たちみたいに声を上げている人間と、そこで生活していかなければならない人間との間に、
かなりの…、なんていうんですか、差はたくさん、まだまだ。
4年経って、これだけ情報がこんなに蔓延しているにもかかわらず、
やはり「信じたくない」という人たちの方が多いと思います。



質問:
福島の方で何回も電話をくださる方がいるんですが、
彼女は「危ない」というのはわかっているんですね、放射能で。
原告にはなっていないんですが。
疎開裁判のチラシも100枚200枚近所に隠れて配っているらしいんですが、
皆さんにいうと「何言ってるの」っていう感じで言われてしまって、
避難していた人たちが、ものすごく最初注意していた人たちが、
やっぱり気持ちの挫折と、子供が精神的に参ってきたので、
最近みんなが帰ってきているんですね。

それが本当にすごい思いで避難していたのに、
帰ってきて、今まですごく思っていたのとは逆に、
学校に帰ってきたら、部活も外でするようなことになってしまったり、
前に言っていたことと全然違っちゃって、流されて「どうしちゃったんだろう」ってその人は言うんですけど、
そんな風に帰ってくる人も、みんな諦めて、
行く前はすごく注意していたのに、帰ってきたら「もう仕方がない」っていう感じで、
部活もさせるし、給食も食べさせるし、
知り合いは送り迎えは車で、給食じゃなく弁当も持たせていて、プールもやらせないんですけど、
帰ってきた人たちは、すごい思いで避難して行ったのに挫折感が大きいらしくて、
周りにもあんまりこの方は言えないし、
「私だけが頑張ってもしょうがない」って言っているんですけど、
「あなたは間違っていないから大丈夫よ」といつも励ましてはいるんですけど。
周りはみんなそうだということで、どうしたらいいかわからないということで、
どうしたらいいんでしょう?


応答:
難しい問題なんですよね。
これが目に見えるものだったら、多分もうみんな居なくなると思うんですけど、
私も「なんでこんなことをしていなくちゃいけないんだろうか」とすごく、
当時1年ぐらいの間は本当に無我夢中で、
どのくらいの被曝っていうか汚染されてしまったのか、というのを知るために、
とにかくいろんな方の、勉強をしました。
私も病院に従事しているので、放射線被曝ということに関して、少し知識はありましたから、
放射線は、いろんな方法で、骨折をしたり肺炎になったりしたときのために放射線をしますけれども、
そこは管理区域になっていて、私たちが入るときは、必ずプロテクターを着るんです。
それはどういうことかというと、被曝を最小限にとどめるためですよね。
で、お腹に子供がいる人とかには決して放射線を浴びさせることはないと思うんです。
ただ、命に関わる脳出血とか、今にも、という時には、止むを得ずCTを撮ったり放射線を浴びるということはありますけれども、
うちの医院んは、やはり「被曝ということは消すことはできないんだ」と。
「積算量になるので、子供にはなるべく受けさせたくない」とおっしゃいます。

なので、「福島県はもう汚染された」ということを、みんなが自覚をすることなんですよね。
それをやはり勉強会とか学習会をして、みんなで共有し合って。
だからと言っていろんな生活がありますから、
わかっていても避難が出来ない環境にいる方もいますし、
私も実際、たまたま運良く民間借上を借りることができてましたけれども、
民間借上が借りられなかったら、二重生活で、多分途中半ばで、家はありますし、
だから、帰っていたかもしれないですよね。

なのでこの悩んでいる人たちのためにもっと学習会を行って、
より一層、悩んでいる人たちに少しでも。
「知りたくない」という人たちの方が多いんですよね。
「知ってもどうすることもできない」というか。

東京とは違って、私もそうでしたけど、
後々は野菜を育てて生活をしていこうという、
福島はそういう土地柄があるので、
その土地を離れて生活をするっていうのは、かなりの決断力がないと出来ないと思います。
ですからせめて子供達をということを間に、私たち市民が学習会をしていくということで少しずつ、
溝というか、そこで悩んでいるお母さんたちに、
そうやって勉強していくしかないんじゃないかなと私は思うんですけど。


質問:
県民健康管理調査委員会でも、被災者にどういう風に説明をしているのか?
例えば、検討委員会で内容を発表する前に学会で発表してしまっていることについて、どういう説明をしているのか?と記者が聞いたら、交代した担当者が「一般的な治療を受ける程度の説明をしています」等の答えだったが、
実際はどういう説明をされているか?
主体でやっているのは県で目的は何か?
県はどういう説明をしているのか?


応答:
県は全然、説明という説明はしていないと思います。
行動調査に関しては、していない方の方が多いかと思います。
さっき私が行った行動を書いてくださいというのは多分福島県民全員に出していると思いますが、
私と娘は出しましたが、主人と上の子は出していないし、私の知り合いも「その当時の行動はそんなに細かく書けない。だからこんなのは書かない」という方の方が多かったと思います。
その当時私は娘と避難することを考えていたので、必ずこれは何かの証明になると思って、
私は、もう何ヶ月もたった自分の行動を事細かに書いたんですけれども、
ただ、本当に県からはこういう用紙一枚ぽろっと封筒に入ってきただけです。
2
なのでなぜこのような管理をするかという説明は、みんなわかっていないと思います。


質問:すくなくとも、「調査研究目的のためにやっている」とは思っていないですよね?

応答:
そうです。と思います。
私の認識は山下俊一という、当時アドバイザーとして長崎からいらした方が、
「全然危なくないんです」
外に出ても構わないし、布団も。
あの当時、5月の頃はお母さんもとても心配して、
「汚染されているから外で子供を遊ばせちゃいけないんじゃないか」とか、
疑問に思う方もたくさんいて、みんな聞きに行ったんですね。
チェルノブイリの研究をした偉い方が健康アドバイザーということで、
その方の意見を聞きたいと思って、お母さんたちは、かなり真剣にあの方のお話を聞いたと思うんです。
でもあの方は、今はどういう話しをしているかは分からないですけれども、
「全然問題ないんです」と。
だから、あの当時彼の方がはっきりしたことを言ってくれていたら被曝していなかったと思うんですけれども、
被曝させられたということがあって、あの人の研究材料になったんじゃないかと、
私は個人的には思っています。

なので、あの方が「子どもだけでもやはり危ないから」と注意していただけたなら、
あの当時盛んに、
私の家の隣には高校があるんですけど、
そこでテニスをしたり野球をしたり、していました。
その後になってからなんですよね、校庭の土を剥いだりしたのは。
あれはなんだったんだろう?と私は思うんです。

あの当時あんなに学生が、甲子園のためにとか、盛んに練習していたんです、校庭で。
それなのに、それから何ヶ月も経ってから校庭の土を剥ぐっていうことは、
いったい、な、なんなんだろう?って、みんな不思議に思うんです。

汚染されていなければ除染する必要もないし、校庭を剥ぐこともないと思うんですよね。
だから言っていることとやっていることの差があるので、
多分父兄はすごく半信半疑で、
私たちはモルモットではないですけれども、どういう状態になるのか?というのを研究材料にされるんじゃないかと思う父兄は私だけではないと思います。



質問:
先週新宿で福島エートスを応援する東京の人が集会をやったんですね。
100人ぐらい集まっていました。
そこで、伊達市に住んでいる主婦の方が、お母さんが呼ばれてお話ししていて、
その方は最初青森に逃げたんだそうですが、戻ってきて。
大家族を失いたくないというので「逃げなくていいための勉強に必死になった」と言うんですね。
で、その時「ちゃんと勉強するとね、子どもでも怖くないということがわかるんですよ」とおっしゃるんです。
それで、伊達市にも山形の方から最近戻ってくるお母さんたちがいるんですって。
戻ってきても本心では放射能が心配で、「私と話しが合わないの」。
「そういう時どうするんですか?」って会場から質問があった時、
「特に話しをしません、世間話だけします」と。
「やはり環境にだんだんと慣れていくうちにご自分で悟るはずです」っておっしゃるんです。
つまり今まで放射能を心配しすぎていたことを反省するだろう、という意味のことをおっしゃるわけです。
私はそれを聞いて、あんまり「ひどいな」とは思わなかったんです、申し訳ないんだけどね。
やっぱり人それぞれ自分が今やっていることを自分で納得するために勉強するっていうことになると、
問題なのは汚染が問題でね。
学ふには問題はないんだけど、教える側の情報になってしまうことはしょうがないとある程度思います。
それで、この裁判が、逃げてきた方と福島にまだ住んでおられる方と、両方が原告になっているということが、
これはものすごく素晴らしいことだなと思っているんです。
話しが合わないところもあるんでしょうが、何を見据えていくのかというところで裁判をするということでものすごく期待をしていますし、応援をしたいと思います。


質問:
放射能を測った時、危険といった時に、周りの反発とかは?

応答:
私の住んでいた郡山市だと60kmだと思います。
なぜか中通りが、郡山市と福島市と、
当時どのくらい高いのか?ということで、機械を借りて測ったんです。
自分の家の玄関のところが2.7マイクロシーベルトあって、
玄関から入って、茶の間が0.42ぐらいですね。
二階が、寝ている寝室が高くて、2マイクロシーベルトあったんですね。
これがどういうことか、その当時測った時は分からなかったんですけど、かなり高い線量だったと。
そのうち、薫小学校というところが、一番最初に土を剥いだんです。
その時に私は、テレビではなくネットで見たんですけど、その時に薫小学校は8マイクロシーベルトあったということで、除染を、土を剥いだということを、Youtubeで私は聞きました。

この8マイクロシーベルトというのがどういう値なのか、私は見当がつかなくて、
いろんな、小出先生の話を聞きに行ったりして、あと、矢ケ崎先生の話を聞きに行ったりしているうちに、
「かなりの線量だった」と。
それを県は分かっていたと思うんですけれども、なぜか公表しなかったんです。

普通の、民間が見るテレビやラジオでは一切流すことはなかったです。

測るのは、私がいるところは、
「薫小学校があったところは120名避難した」ということを聞いていただくとわかると思うんですけど、
比較的地元の人ではない人たちが多かったんですね。
なので「何を測っているのか」とか、そういうことを言われたことはなかったです。
もしくは、町内会の会長さん自ら測って、
「ご心配でしょう」ということで、子供のために測っていただいたというのが現実です。

なぜあそこがホットスポットになってしまったのかは、ちょっと私はわかりませんけれども、
坂が多いところなので谷間になってしまったのか?

私がいるところというのは学校が多いんですね。
小学校、中学校、高校と周りにたくさんあって、校庭も近いところなんです。
ですから体育館のところに被災された方たちがかなり逃げていらっしゃっていて、
体育館がいっぱいなくらいに避難されていたところなんですね。

なのでどうしても、うーん、これはどうなんでしょうね。
どうしてそこがホットスポットになってしまったのか
というと…

私たちのところにはそんなに大きな山はなくて、
そこから南の方に行くと山というか、大きい高台のところはありますけれど、
郡山市は比較的そこからすると地形が低いのかもしれないです。

福島市の方がもっとぐっと谷間になっていますけど、
郡山市も比較的土地としては低いのかもしれないです。

22

一番赤いところが飯舘でそこから避難してきた人たちがいた。
雪が降ったり雨が降ったりしましたから。
それでかなり落ちたということはないでしょうか?




質問:
地図の一番上のちょっと緑色のところからきているんですが、宮城県の北部です。
指定廃棄物の最終処分場があって、そこの南の、同じように緑がかかっている上町の田代岳、山間で地崩れがしたところなんですけれども、宮城県民の命の源みたいなところで、汚染はされているんだけれども山の上の方は汚染されていないんですよ。
私が測ってみてわかるんですけど。
そういうふうに未汚染地にやって、そこでまたそういうところで広がってくるという、
被曝の強要という面では全く同じだと僕たちは考えているんですけど、
なかなか地元でも、ここの問題と結びつけているというのはなかなか。
努力はしているんですが、
同じような問題だということで被害、健康の問題と指定廃棄物の問題を結びつけようとやっていますけれども、
一つ聞きたいのは
学校の先生たちの反論だとか、医療関係者とか、自治体の保険関係とか、
もっと身近に守るべき人がどういう動きをしているのか?不思議でならないので教えていただきたい。



応答:
私がいろいろなことを調べたわけではないんですが、
私が本当に知っている限りでは、
中学校も小学校も、私が「放射線による被曝のことが心配で転校させていただきたい」と学校に申し入れた時に、
かなりポカンとした反応だった
ことを覚えています。
やはり福島県が何か強い力を持っているのか、
当初の、同僚の子供が鼻血を出して「どうしてもおかしい」と言って病院に行っても、
「大丈夫だ」「思い過ごしだ」という感じで、
「本気になって指導してくれるというか、説明してくれる先生はいない」ということは聞きました。

私も娘が鼻血を出しましたけど、私は医者には連れて行っていないんですね。
なので、どうしてですか?って言われるとお答えするのが難しいんですけれど、
多分「連れて行ってもきちんとした検査をしていただけないだろうな」という気持ちがあって、連れて行かなかったと思います。

それはやはり、先ほど何度も話していると思うんですけれども
山下俊一という方がかなりの、あの当時本当に、3月4月は。
3月は水とか食料を確保するのにかなり大変だったんです。
やっと落ち着く頃の翌月の4月11日にまた地震があって、
わたしも福島市に通っていたものですから、避難民にもなって生活するような時だったので、
やはりあの山下俊一さんの強い言葉に委ねたいという気持ちで、
みんな「大丈夫なんだ」と。
「福島第一原発から60kmも離れているんだから心配することはないんだ」と。
「長崎から来た偉い人が言っているんだから何も騒ぐことはない」というふうな気持ちでいたのと、
なぜ、何の理由で大丈夫だというのか?わからない半信半疑があって、
やはり、福島はそういう風土になってしまって、
医師に自分の命を預けるという気持ちにまでは至らなかったと思います。


質問:他の人は預けてしまった、ということ

応答:
そうだ…、と思います。
やはり、なんていうんでしょう、やはり土地柄があると思うんです、田舎ですし。
先生という名のつく方がおっしゃることは信じたいと思う気持ちがあると思いますので、
私みたいに信じていない人間もいるかもしれませんけれども、
ま、信じた方たちが多かったんじゃないですか。





柳原敏夫弁護士 55:27〜
https://youtu.be/bvNW1f_doio?t=55m27s






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コメント

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お涙頂戴の自公“合体”政権へ投票

これが「福島の最大の問題を正面から問うた裁判」ですかぁ??

問題意識も言動もふらふらでぶれまくりで情けなくって
涙が出て来ます。お涙頂戴に載っかってしまい、楽しいです。
一案として以下のサイトのこんな記事でも参考になるのでは
ないでしょうか(^_^;)

刑務所なら三度三度メシが出て来る
http://my.shadowcity.jp/2015/06/post-7212.html

内部被曝

6月8日の毎日新聞に、広島の爆心地から4.1km離れた場所で黒い雨を体験し多重癌に罹った女性の肺にウランが残存していたことが報道されている。
http://mainichi.jp/select/news/20150608k0000m040111000c.html?inb=fa
これは以下のことを再確認させる。
1.黒い雨が内部被曝をもたらしたこと。
2.ICRPが癌リスク算定の拠り所としていた広島、長崎の研究は、内部被曝を全く調査できていないこと。これは爆心地から2km以上に住む人がコントロール(比較ための対照)になっていたことから明らかだ。

福島で被曝し不幸にも亡くなられた方の肺の組織に放射性物質が含まれていれば、この裁判の大きな助けになるだろう。