国の指示で役場とすべての住民が町ぐるみで避難した原発周辺の7つの町と村では初めて
東大で「楢葉産米」食べて! 松本町長が利用協力を要望
(2015年9月4日 福島民友トピックス)
五神総長に要望書を手渡す松本町長(右)
楢葉町の松本幸英町長は3日、東大を訪れ五神真総長と面会し、楢葉産米の利用協力を要望した。
楢葉町と東大は、放射性物質汚染の測定や除染などで連携・協力する協定を結んでいる。同町では、5日の避難指示解除後、営農再開に向けた動きが本格化する。町は、同町の農作物に対してのイメージアップと消費拡大に向け、学内での利用促進と関係団体への利用促進の呼び掛けを依頼した。
松本町長が同大本郷キャンパスで五神総長に要望書を手渡した。松本町長は「コメの全量・全袋検査により安心でおいしいコメを作れるよう努力する」と述べた。五神総長は「楢葉町の復興に向け継続的な支援を考えている。科学的な見地から安心をアピールしたい」と要望書を受け取った。
福島・楢葉町 原発事故に伴う避難指示解除
NHK 2015年9月5日 0時50分
東京電力福島第一原発の事故で、福島県内に出された避難指示のうち、楢葉町のほぼ全域に出されていた避難指示が、5日午前0時に解除されました。原発事故に伴う避難指示の解除は3例目ですが、役場とすべての住民が避難していた自治体での解除は初めてです。
福島第一原発の事故で避難指示が出されている地域のうち、楢葉町はほぼ全域が原発から20キロの距離にあり、早期の帰還を目指す「避難指示解除準備区域」となっていました。
政府は、国による除染が終わるなど自宅に戻って暮らす環境がおおむね整ったとして、5日午前0時に避難指示を解除しました。原発事故に伴う避難指示の解除は、田村市都路地区と川内村の東部の一部地域に続いて3例目ですが、国の指示で役場とすべての住民が町ぐるみで避難した原発周辺の7つの町と村では初めてです。
避難指示の解除で、楢葉町では7300人余りの住民が住み慣れた自宅での暮らしを再開できるようになるほか、これまで許可が必要だった商店や企業などの事業が自由に行えるようになり、復興に向けた動きが活発化することが期待されます。
一方で、放射線への不安をどう解消していくかに加え、買い物や医療などの町の機能を4年半ぶりに再開させて、住民が安心して戻れる環境をどう整えていくかが大きな課題となります。
福島第一原発周辺では、今も9つの市町村、およそ7万人の住民に対して避難指示が出されています。政府はできるだけ早く元の生活を取り戻せるよう、除染を終えるなど生活環境がおおむね整った地域から、避難指示を解除していく方針です。
ろうそくに火をともし町の再生誓う
原発事故による避難指示が解除された福島県楢葉町で、復興への思いを込めて、およそ3000本のろうそくに火が灯され、住民たちが町の再生へ気持ちを新たにしていました。&&&。この催しは、避難指示が解除された楢葉町の復興に向けた思いをろうそくの明かりに込め、住民の思いを1つにしようと町が開きました。役場の担当者や住民、それに県外から訪れたボランティアの大学生たちが4日夕方から町の総合グラウンドに集まりました。用意されたおよそ3000本のろうそくには、「笑顔あふれるならはが続きますように」とか「大好きな町楢葉」などと、避難を続けてきた住民たちの思いが、メッセージとして書かれています。参加した人たちは1本1本地面に並べ、震災後に楢葉町がキャッチコピーとしてきた「こころつなぐならは」ということばをろうそくで作りあげ、日暮れとともに火をともして町の再生へ気持ちを新たにしていました。そして避難指示の解除の時刻となった午前0時には、松本幸英町長が最後の1本に火を灯しました。
松本町長は「すべての町民が避難した町としては、初めての解除なので、けん引役としても一歩一歩着実に復興に向けて取り組んでいきたい」と話していました。
いわき市に避難している63歳の男性は「うれしさと今後への不安が半々ですが明るく頑張っていきたい」と話していました。
被災地復興の「試金石」として注目
今回の楢葉町の避難指示解除は、今後の被災地の復興の「試金石」として注目されています。
東京電力福島第一原子力発電所の事故で福島県内では多いときで11の自治体に避難指示が出され、去年から解除の動きが始まりました。初めて避難指示が解除されたのは去年4月、田村市の都路地区で、去年10月には川内村の一部の地区でも避難指示が解除されましたが、いずれも自治体の一部で、対象は合わせて600人余りでした。
今回の楢葉町は、避難指示の解除としては3例目ですが、対象は町のほぼ全域の7300人余りに上り、役場とすべての住民が避難していた自治体での解除は初めてのケースです。楢葉町では去年6月以降、役場の機能を段階的に元の庁舎に戻し、行政機能はすでに再開しています。一方、4年半近く町ぐるみの避難を続けてきたため解除の時点では町に医療や福祉のサービスを受けられる施設はなく、買い物のできる商店も少ないなど、住民が安心して帰還できる環境が整うにはまだ時間がかかるとみられています。
楢葉町の解除のあとも、福島県では9つの市町村で避難指示が出されていますが、現在、南相馬市と川俣町、それに葛尾村の3つの市町村が来年春の避難指示解除を目指しています。
また、政府はことし6月、放射線量が比較的高い「帰還困難区域」を除き、避難指示を再来年の平成29年3月までに解除する指針を閣議決定しています。
こうしたことから福島県では今後、各地で避難指示の解除が続く見通しで、楢葉町が、買い物や医療、それに教育や産業などといった生活の基盤をどう整備し、住民の帰還と復興を進めていくか関心が集まっています。
楢葉町:全域避難を解除…すぐに帰還1割未満、再生険しく
毎日新聞 2015年09月05日 00時09分(最終更新 09月05日 07時23分)
楢葉町の位置
政府の原子力災害対策本部(本部長・安倍晋三首相)は5日午前0時、東京電力福島第1原発事故で全域避難となった福島県楢葉町の避難指示を解除した。解除は田村市都路地区と川内村東部に続き3例目で、全域避難した県内7町村では初めて。国は今後、楢葉町を拠点に沿岸部に広がる避難指示区域の除染やインフラ整備を進める。一方、放射線への不安や病院などの生活基盤の不備などから、すぐに帰還する住民は約7300人のうち1割に満たないとみられ、町再生への道のりは険しい。
◇財源確保が課題
国は2017年3月までに放射線量の特に高い「帰還困難区域」を除き、県内の避難指示を解除する方針だ。3段階ある避難指示区域の中で最も放射線量が低い「避難指示解除準備区域」(年間積算放射線量20ミリシーベルト以下)の楢葉町を「復興の拠点」と位置づけ12年9月から除染に着手。道路などの整備も14年度中にほぼ完了した。
国によると、楢葉町では宅地の空間線量が1時間当たり平均0.3マイクロシーベルト(昨年7〜11月)に低下。国は「年間被ばく量が帰還の目安の20ミリシーベルトを下回ることが確実になった」として、町や住民らとの協議を経て、解除を決定した。医療や買い物への不安を緩和するため、病院への無料送迎バスの運行や町内のスーパーによる宅配サービスも始まる。
町内には福島第1原発の収束作業や除染を請け負う大手ゼネコンの作業員の宿舎が急増。しかし、住民の転出が相次ぎ、町の人口は事故前の8100人前後から約1割減少した。
町の税収も減り、震災前に6割を超えていた自主財源率も3割程度と低迷が続く。一方、復興関連事業費は膨らみ、今年度の当初予算は10年度の5倍となる過去最高の200億円を突破。復興の財源確保は解除後の大きな課題だ。
復興庁が昨年10月実施した帰還意向調査(回収率55.6%)では、「すぐに戻る」「条件が整えば戻る」と答えた町民は46%で、うち帰還時期を避難指示解除から「1年以内」と答えた人は37%だった。しかし、今年4月に始まった「準備宿泊」に登録した町民は約780人にとどまった。17年4月に同県いわき市の仮設校から町に戻る町立小中学校に「通学する」とした児童生徒数も、町のアンケート調査で就学対象者の7%しかない。【栗田慎一、小林洋子】
【楢葉町避難指示解除】
「今日が始まり」「希望は、ないね」 交錯する住民らの思い
2015.9.5 21:22 産経ニュース
避難指示が5日午前0時に解除された福島県楢葉町。避難先のいわき市から帰宅し除草作業を行い、妻のシゲコさん(76)さんとともに休憩する米農家の山内忠良さん(78)。原発事故の影響で農作物が作れないなか、先祖代々の土地を守り続けるという=5日福島県楢葉町 (大西正純撮影)
東京電力福島第1原発事故の影響で福島県楢葉町に出ていた避難指示が5日、全域避難の自治体では初めて、約4年半ぶりに解除された。住民の帰還と町の復興を願い、町内で祈念式典が開かれ、松本幸英町長が「(事故以来)止まっていた時計の針が再び動き始めた」とあいさつ。県警双葉署も同町での駐在所業務を再開した。思いを新たに故郷での生活を再開させる住民がいる一方、帰還をあきらめる人も。思いが交錯する町内を歩いた。(野田佑介、緒方優子)
■「やっぱり、ここが好きだなぁ」
「あぁ、久しぶりー」「お帰りなさい、元気だった?」-。5日昼、静かな住宅街の一角に、再会を喜ぶ声がこだました。
東日本大震災の発生直後に避難所として使われた楢葉町営団地区の集会所では、5世帯10人ほどが集まり、バーベキューでささやかな祝杯を上げた。数カ月ぶりに会う顔、数年ぶりに会う顔。近況報告や子供の話に、話題は尽きない。
同地区の区長だった橋本盛一さん(67)は「自然があって、みんながいて、穏やかに時間が流れる。やっぱり、ここが好きだなぁ」とつぶやいた。
同地区の約90世帯は原発事故後の避難でばらばらになったが、「帰町の日に、久しぶりに集まろう」と提案された。
かつて50人ほどが集まっていた宴席に比べて、この日のテーブルの数は5分の1程度と、まだ寂しい。それでも、橋本さんは「今日が始まり。これから、徐々に大きくなっていけばいい」と笑顔を見せる。
■「仮設が本当の家って言うんだよ」
「ドルちゃんにご飯あげてもいい?」
生後まもなく1年になるラブラドルレトリバーの小屋の前で、小学1年の孫、根本あかりさん(6)がそう尋ねると、祖母の根本里子さん(61)は笑顔で、「いいよー」と返す。あかりさんは、掃除や洗濯のときも、里子さんのそばを離れようとしない。
原発事故前までは楢葉町の自宅であかりさんの両親ら家族7人で暮らしていた。4月から始まった準備宿泊で、里子さんは帰還。4畳半2間しかない仮設住宅では、隣近所に気を使い大きな音を立てないようにしてきたが、わが家では誰に気兼ねすることもなく、のんびり過ごせる。
だが、あかりさんらは戻らず、一緒に過ごせるのは週末だけ。原発事故当時、2歳だったあかりさんに楢葉の家の記憶はほとんどない。「ここで過ごしたんだよって言っても、仮設が本当の家って言うんだよ」
■「スタートにしては寂しいな」
「正直なところ、解除はピンと来ないな」。町北部に自宅のある無職の男性(69)は力なく、つぶやいた。
避難指示の解除に先立って4日夜に行われた灯籠に火を灯す記念イベントの会場に妻(67)と2人で足を運んだ。夫妻はすでに、故郷に「戻らない」と決断している。
「どれぐらいの人が来るのか見たくてね。でも、これじゃあな。スタートにしては寂しいな」
福島第2原発にほど近い自宅は東日本大震災で半壊。震災直後は修復して故郷に戻るつもりだった。原発事故で避難し、現在はいわき市内の仮設住宅で母親と3人で暮らす。楢葉町の自宅は「ねずみにやられて住める状態じゃない」といい、解体することを決め、いわき市に新居を建てた。
記念イベントがあった陸上競技場は、消防団の出初め式で何度も足を運んだ場所だ。芝生のグラウンドを眺めていると、当時のことがよみがえった。新たな町のスタートを喜ぶ催しだったが、「希望はないね。ただの明かりにしか見えないよ」との妻の言葉に、男性は静かにうなずいた。
楢葉町避難解除 住民帰還のモデルにしたい
2015年09月06日 03時05分 読売
福島第一原子力発電所の周辺地域の再生に向けた一つの節目である。
原発事故により、町の大半が避難指示解除準備区域に指定されていた福島県楢葉町の避難指示が解除された。自治体ぐるみで避難した区域では、初の解除だ。
第一原発周辺では、なお9市町村で避難指示が続いている。楢葉町のケースが本格的帰還のモデルとなるよう期待したい。
楢葉町内では生活圏の除染が完了し、電気や水道などのインフラも復旧した。それでも、帰還に備えた長期宿泊の登録者は、解除直前で約780人にとどまった。町の人口の1割強に過ぎない。
多くの住民が戻ろうとしないのは、不自由なく暮らせる環境が整っていないためだ。買い物ができるのは仮設スーパーとコンビニだけで、小中学校も当面は再開しない。帰還を軌道に乗せるには生活環境の整備を急ぐ必要がある。
雇用創出も不可欠である。
昨年秋に行われた町民の意向調査では、高齢者には帰還の希望が強いが、40歳代以下では「戻らない」「今は判断できない」が7割以上を占めた。働き口がなければ、震災前からの高齢化や人口減に拍車がかかるのは避けられまい。
政府は、補助金を出して企業の進出を促すといった支援策を講じてきた。避難中の商工業者の相談に乗る政府や県の職員らによる合同チームも発足したが、帰還の進捗しんちょく状況次第では、対策の再検討を迫られるだろう。
原発関係の仕事に就く人が多かったこの地域で、雇用創出のカギを握るのが第一原発の廃炉だ。関連する事業所や研究施設の集積を図り、若者を呼び戻したい。
政府は、放射線量が極めて高い帰還困難区域を除く全域で、2017年3月までに避難指示を解除する方針を掲げる。8月末には南相馬など3市町村で長期宿泊が始まっている。
一方で、第一原発が立地する双葉町や大熊町には帰還困難区域が広がる。古里の近くに戻りたいと願いながら、帰還時期を見通せない住民の受け皿となることも、楢葉町などには求められよう。
復興庁が設けた有識者検討会は7月、第一原発周辺自治体の将来像に関する提言を公表した。行政機関や商業施設を各自治体の復興拠点に集めるコンパクトな街づくりや、市町村の枠を超えた公共サービスの提供などが柱だ。
各自治体が別々に取り組むのではなく、連携して地域の再生を図る視点が大切だろう。
除染や生活基盤に不安 福島・楢葉町で避難指示解除
2015/9/5 0:31日本経済新聞 電子版
今年4月から始まった準備宿泊で町に戻った住民からは、生活環境の整備の遅れや除染への不安などを指摘する声が上がっている。
「もう農機具はすべて売り払った」。7月にいわき市から自宅に戻った稲作農家の男性(80)は水への不安から営農の再開を諦めたという。自宅前に広がる田んぼは雑草が生い茂ったままだ。
心配の種は水源となっている木戸川。環境省の調査で、上流にあるダムの湖底の泥からは高濃度の放射性物質が検出された。政府は「表層の水は安全」として泥の除染はしない方針だが、男性は「今は水道水を飲まず、ミネラルウオーターを買っている」と話す。
商店や公共施設などの再開も大きな課題となっている。楢葉町商工会に所属する242事業所のうち、町内で営業を始めたのは58事業所。スーパーは縮小営業中の仮設店舗のみだ。医療機関は10月以降、小中学校は2017年春の再開を見込んでいる。
小中学生の子供2人を持つ女性会社員(40)は解除後も、いわき市の借り上げ住宅から週末のみ自宅に戻る生活を続ける。「子供の学校や買い物のことを考えると、ずっと楢葉で生活するのは無理かもしれない」
治安面に不安を感じる高齢の町民も多い。一時帰宅した町民の家財道具が盗まれる事件が起きているほか、町中にやってくるイノシシの存在も生活を脅かす。町によると、準備宿泊の開始後、イノシシと車の衝突事故などのトラブルが毎月10~15件起きている。
4月に埼玉県の避難先から戻った男性(64)は8月、体長1~2メートルほどのイノシシ6匹に愛犬を殺された。「もし人を襲ったらと思うとぞっとする。高齢者ばかりだと自分たちの身を守ることもできない」と話す。
空き家を有効活用 楢葉町バンク事業
2015年09月01日火曜日 河北新報
東京電力福島第1原発事故による避難指示が5日に解除される福島県楢葉町が「空き家・空き地バンク事業」を実施する。賃貸借や売却が可能な町内の物件を登録・公開し、有効活用を図る。県宅地建物取引業協会と31日、物件調査や仲介に関する協定を結んだ。
楢葉町では、住民の帰町の遅れや町外での住宅再建、荒廃家屋の解体などで空き家・空き地の発生が見込まれている。「バンク」は、町内での転居や他自治体からの移住などの受け皿を整えるとともに、無秩序な利用を防ぐのが狙い。一般社団法人「ならはみらい」に事業を委託する。
所有者が同法人に依頼すると、宅地建物取引業者が物件を審査。合格物件はバンクに登録され、法人のホームページで公開される。賃借や購入の希望があった場合、法人から連絡を受けた取引業者が仲介業務に当たる。既に物件の募集を始めている。
協定書に調印した松本幸英町長は「バンク事業で家屋の老朽化や治安の悪化も防ぎ、美しい町づくりを進める」、県宅建協会の安部宏会長は「避難している人には一戸建てに住みたいとの希望も多い。安全安心な物件を提供し、復興を後押ししたい」と述べた。
楢葉町公式ホームページ2015年9月5日現在


病院一覧
現在楢葉町は、東京電力福島第一原子力発電所事故により、避難中のため、町内の医療機関は休診中です。
避難先自治体及び避難先の医師会のホームページ等をごらんください。

休日当番医
現在楢葉町は、東京電力福島第一原子力発電所事故により、避難中です。
避難先自治体及び避難先の医師会のホームページ等をごらんください。
水道水中における放射性物質のモニタリング結果
「不検出」の文字が並ぶ
※「不検出」とは、一定の条件で測定機器が検出できる最小値(1.0Bq/kg)未満であることを示しています。 分析装置:ゲルマニウム半導体検出器
東日本大震災:
福島第1原発事故 楢葉あす避難解除 救急搬送時間1.5倍 郡内の2次病院ゼロ
毎日新聞 2015年09月04日 東京夕刊
来年2月に開設される県立診療所の予定地=福島県楢葉町で2015年8月30日、三上剛輝撮影
福島第1原発周辺の2次救急病院
東京電力福島第1原発事故によって全町避難している福島県楢葉町の避難指示が5日午前0時に解除され、住民の帰還が始まる。だが、周辺の双葉郡(同町を含む8町村)の医療態勢は元に戻っておらず、救急搬送に要する平均時間は震災前に比べ約1・5倍に延びている。住民帰還を前に、救急医療関係者が危機感を募らせている。【三上剛輝】
双葉郡8町村は、楢葉町のほか、浪江町や大熊町など全域避難の5町村、川内村(一部に避難指示)、広野町。震災前の郡人口は約7万2800人だったが、現在は1割に満たない。震災前は郡内に病院・診療所が54あり、うち重症患者を受け入れる2次救急病院は3病院あったが、現在は病院・診療所が五つあるだけで、2次救急はゼロだ。
双葉地方広域市町村圏組合消防本部によると、震災前の2010年の年間搬送者は2454人だったが、14年は396人と激減した。
一方で住民や除染などの作業員が増加しており、15年は500人を超えそうという。
搬送先は、10年は郡内が63%だったが、14年は23%に減少。いわき市や郡山市など郡外への搬送が増加し、通報から病院搬送までに要する平均時間は10年の36・8分から、14年は55・8分と19分長くなった。県全体の平均43・6分(14年の速報値)より12・2分、全国平均の39・3分(13年)より16・5分遅い。
同本部の大和田仁次長は「一分一秒を争う救急現場では命取りになる可能性がある。綱渡りの状況だ」と危機感をあらわにする。特に郡内の2次救急病院がゼロになり、「施設が整った病院が近くにないことが不安だ」と話す。同本部は当面の対策として、救急救命士を順次増員し、これまで救急車に1人だけ乗っていた救急救命士を、2人体制にする方針だ。
県などによると、来年2月に楢葉町に県立診療所(常勤医師1人)が新設されるなど、帰還に合わせて郡内の診療所は徐々に増える見込みだ。ただ、県地域医療課は「住民がどこにどれくらい帰るかが見通せない中、病院開設の時期や場所の決定は難しい」と話し、今月7日に国や県、8町村による検討会議を初めて開く。
楢葉町からいわき市の仮設住宅に避難している主婦(75)は当面、自宅に戻るつもりはない。10年冬、買い物中にめまいで倒れ、大熊町の県立病院(現在は閉鎖)に救急搬送された。脳の血管が詰まりかけていたという。「万が一の場合に頼れる病院が近くにないと、戻りにくい」と話す。
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