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11.08
Sun


https://youtu.be/3J3kDNbnctM?t=15m28s

中野晃一(上智大学教授)
中野晃一(上智大学教授)

第一部で皆さんのスピーチを聞いていて、非常に頷いて拍手していたんですけど、大澤茉実さんのところで壇上の先生方みなさんが涙目になってる。
そういう私も号泣していたんですけど、
長谷部先生の後を受けてお話しさせていただきます。
長谷部先生とさっきお話ししていたら簡単デモクラシーができないからお願いできませんか、というふうに言われまして、じゃあそれで行こうということで今決めたところなんですけど。
一応政治学者ということであるんですが、私自身はこの一連の流れの中、っていうのは、たまに国会前で話している時も言っているんですけれども。
ま、正直言って父親として動いているところで。
この間ようやく初めてママの会に呼んでいただいて、一番自分のところに来た、という感じがしているところなんで、本当は私は学者というような立場ではいないと思っています。

本当に「子供の世代の人たちにどういう社会を残していくのか?」ということに関して、
自分の世代でこういうことが起きてしまうというのに何もしなかったというのでは、本当に死んでも死に切れないな」と思って今動いているということでやってきました。


というのはちょっと個人的な話にさせていただく、自分自身の目でしか見ていないといいますか、政治学者としてこういうことが起きているということを分析するほど冷静な距離感というのを今のところ正直持っていないので、自分から見たところで、という話をさせていただきます、

私自身のつながりということで言えば、2013年の春、初夏ぐらいだったんですが、96条の会というのが、樋口陽一先生とか長谷部先生とか山口さんとか、だいたい似たような仲間で始まったというのが始まりでして、今思い返せばですけれども、安倍さんはその時から裏口入学をしようと非常にやっていたわけで、その頃から樋口先生やみなさんで立憲主義を危うくするものだということを、学者としてこれは許すことはできない都いうことで発言が始まったということがあると思うんですね。

その時に96条の会発足のシンポというのをたまたま上智大学でやるということになりまして、何百人という部屋を用意したんですけれども、蓋を開けてみたらその始まる何時間も前から、のちの目撃情報によると、「午後の一番最初の授業の時から、どうもその教室に座っていたおじいさんがいたらしい」という話になりまして、出口先生の朝日新聞の夕刊の記事を手にしてウロウロされている方がたくさんいらして、開始時刻の前から正門の外まで人が並んでしまうような状況になりまして、「これは大変なことが起きている」と思いまして、いろんなところに頭を下げて教室を開けてもらって、今日も中継をしてくださっているIWJが、中のネットワークも繋いでくださって、本当に来てくださった方には準備がアレで困ったんですけれども、小さな教室を結局9つかなんか開けて、1000人の規模の方が集まったということで。
普通そういうことは無かったんですよね。
これまでそんなことが起きるとは思いもしなかったので、「これはすごいな」と思ったのと、やっぱり「とんでもない事が起きている」と。
これほどまでにみなさんお考えになっているし、自分の足を運んで考えたいという事でおいでになっているという事で、非常にあれは、少なくても私にとっては歴史に残るモーメントだったという風に記憶をしております。

その後2014年に入って「今度は集団的自衛権の解釈改憲を狙っているらしい」という事で、年の頭の方に今度は立憲デモクラシーの会を作ろうという事になっていったわけですね。
だいたい同じようなメンバーを中心として、また違った形で活動を始めたというのが今回の流れでいうと、直接な事に私の場合なるんですけど、ま、そうは言いながら閣議決定されてしまったと。
ただやっぱり最初から立憲デモクラシーの会という名前をつける時に、冒頭で樋口先生がご指摘されていたように、立憲主義と民主主義、これは矛盾のない●の関係ではないというふうな事の議論がやっぱり内部であったんですね。
それでもやっぱり立憲デモクラシーの会という名前をつけようという事で、私なりの解釈ではそこに込められた思いというのは「立憲主義を守ろう」と。
ただ結局我々は金も力も無い単なる大学の教員ですから、結局デモクラシーの力に頼るしかないという事で、市民社会を信頼して、そこにアピールしていこうという事がその名前に込められた思いだったと思うんです。

そこでやっぱりきているのは、デモクラシーというのは、民主主義だとやっぱり漢字が並んでいかにもわかりにくいというのがあったんですけど、デモクラシーの方がより直接的に 、デモとクラと民衆の力ということで、議会政治がおかしくなっている、小選挙区制の作用であるとか、違憲状態という判決が何度も出ている一票の格差とか、そういうことにもかかわらず、「私が最高責任者だ」ということでいろんな形で裏口入学、あるいは小林節先生の表現だと「憲法泥棒」を図ろうとしているということで、「これに対抗するにはやっぱり、力を呼び覚ます民衆の力以外にないんだ」ということがあったように思います。

そうは言いながらも、閣議決定というのは内部で勝手にやっちゃうものですから、勝手にやられちゃってですね、その頃から山口二郎さんと私が、当初は声をかける形で集団的自衛権に反対する諸団体と連携をしてきた方がいいだろうということになりまして、連絡会議というものを。
これはあんまり公の場では言っていなかったんですけれども、別に秘密にしていたわけではなくて、単にそういう連絡会議というのは持った方がいいだろうということで、確か去年の8月が第一回だったんじゃないかと。
7月にやったかもしれませんが、そんな形でいろんな団体と。
それは今総がかり行動となったながれ。
そして日弁連の方とか、明日の未来を守る若手弁護士の会であるとか、SEALDsにも途中から声をかけて、学者の会にも途中から声をかけて、一番最近になってはママの会にも入ってもらおうということになッ田ということで、様々な団体との連携ということを図ってやってきました。

そういったことへの蓄積というのはその段階から始まって、やっぱりこう顔を見合わせて、単に意見交換、情報交換をするだけなんですけれども、そういう形というのができてきたというのは後々になって効いてきたのかなとは思っています。

で、私自身、個人的なことになるんですが、SEALDsのメンバーと最初に会ったのは割と後だったんですね。
東京デモクラシーグループに連れてこられる形で、その時は東京デモクラシーの子分が来たのかなぐらいに思っていた。
若者って言っても彼はそんなに若くないから(笑)

ーー:連れてこられてって、「来たい」って言ったの

そうそう、来たいって言って「あ、学生も来るんだ」ってちょっと驚いたのもあったんですけれども。
個人的なことでいうと、私はその時「あ、こういう子もいるんだ」と思ったんですが、自分から積極的に、なんというか「仲良くしようよ」みたいなのは全然なかったんですね。
というのは、全然「嫌だったから」とかそういうのじゃなくて、(笑)
「何で来るんだろう?」と思ったんですよ、正直言って。
だって、学生で自分たちでやるって言うんだったら自分たちでやっているから、なんで、僕は世代的にも学生の時は立派なことは一つもやっていなかったので、特に教えることも何もないし、「なんなのかな?」って正直思っていたんですね。
そういう距離感があって、実際今は奥田君とか言ってますけれども、結構最近までは奥田さんとか本間さんとか千葉さんとか、いちいち言ってたんですね。
というのは自分の中でどうしても教員だと学生に対して権力的な関係にあって、それこそ長谷部さんがおっしゃったようにテストする側ですから。
で、ね、やっぱり礼儀正しい人たちだから、「先生、先生」って言ってくれるから、どうしても威張っちゃうっていうのがあるんで、一応節度を保とうと思って「さん」付けでやってたんですが、個人的に親しくなるとなんか、バカバカしくなってきて(笑)。
最近は「君」呼ばわりになって。

いずれにしてもそういったことが地味にあって、やっぱり、潮目が変わったのはみなさんもそう思われると思うんですが、今年の6月の憲法審査会における小林(節)先生、長谷部先生の違憲発言だったと思うんですね。

そこで一気に立憲主義だとか違憲なんだということがわっと広まっていって。
逆に言うとこれまでも言っていたのになんであんなに広まらなかったんだろうって。
やっぱりあのインパクトですよね。
それで小林先生はもちろん兼ねてから非常にパワフルな方ということは皆さんご存知だと思うんですが、やっぱり長谷部先生があの場であんなことをおっしゃったというのはかなり衝撃的なことだったと思います。

そこがやっぱり、個人の勇気といいますか、鼻っぱしの強さといいますか、やっぱりそれを言ってのけちゃうというのはすごいことだと思うし、それでさらに路上に人が来るようになったと思うんです。
そこでやっぱり今回の運動でSEALDsもそうだし、総がかり行動は木曜日ということで、非常に画期的だったと思うのは、総がかり行動も結局昔の言い方でいうと代々木系と非代々木系とか、そういうのと一緒になっているんですね。

それをやったのはなんでかというと、自分たちだけではダメだから一緒にやらなければならない。
それだけじゃなくて輪を作るということをやったんですね。

SEALDsの場合はやっぱり場を作るとうこと。
人が来れるような場を作る。
個人で来れるような場を作るということにしたということが。
それが行きたいなという気持ちにさせてやろうということで一生懸命やってくれたんですね。

それだから、上智大学で96条の会の時に「来ちゃった」というのとはやっぱり違うんですよ。
招待状を出したのに来てくれないと寂しいじゃないですか。
でも勇気を持って個人が立ち出して、「あなたたちも主権者なんだから来てよ」ということを言ったということによって、それに応えて人が来た。
一人一人が勇気を持ってきたということが非常に画期的だとおもうんですね。

一人で立つというのは、やっぱり最初に立つのはすごい勇気がいると思うんですよ。
私はそういう意味では総がかりであるような、もうずっと我々が平和主義だとかなんだとかあんまり考えていなかった時にも地道にやっていた人たちっていうのは、やっぱり本当にすごいと思うんですね。

やっぱり、誰もが無視している中で、なんの注目も受けない中で立ち続けるのって苦痛ですから。
誰も受け取らないビラを配るのって苦痛ですから。

でもそれをやっていた人たちがいて、しかし自分たちでもっと違ったやり方をしたら自分たちの形と呼べるんじゃないかと思ってそれをやった人たちが出てきた。
そしたら本当にそれを見て自分も行ってみようかと思った人たちが出てきた。
そういうのが形になってきたというのが非常に画期的なことだったと思うんです。

実は私どもも、私どもって立憲デモクラシーの会ですが、9月16日にシンポジウムをやろうということで教育会館を押さえてやっていたんですね。

ただ16日というと、19日の未明が強行採決ですから、かなり日程的に詰まってきていて「ここはやっぱり路上に出ないとまずいだろう」ということで提案をしたんですね。
それはやっぱりこの段階になって屋内に人を入れるだけではないということで申し上げたら、実は石川健治先生が東京大学の憲法学者の石川健治先生が真っ先に「そうでしょう、路上に行きましょう」とおっしゃって、長谷部先生も「路上に行きましょう」とおっしゃって、会場を借りた山口先生だけが「えーっ」っていう感じで(笑)

憲法学者が「行こう」となって、石川先生という人はグーグルで石川健治で検索するとそのあとに「天才」と出るんです。
私を検索しても「左翼」としか出ませんから(笑)
「天才」と出る人ですよ。
本当にやってみてください。
それ見た時にはびっくりしたんですけど。
「羨ましいな」と思いましたけれど、その人が「路上に出ましょう」というんです。

何が起きているか?というと、これは長谷部先生も同じだと思うんです。
気づいた方もいらしたかと思うんですが、今最初に簡単デモクラシーは任せたとおっしゃりながら市民社会のことで始めてらっしゃるんですよ。
でやっぱり、僕は正直言って憲法学者の方たちが感動したんだと思うんです。
自分たちがとにかく一生かけて勉強してきて研究してきた憲法立憲主義っていうことに、それが大事だと思って訴えたら、こんなに市民の方たちが自分たちの生活で忙しいのに出てきてくださっている。
それにやっぱり感動したんだと思っているんです。

そこで言いたいのは、「安保学者、お前は一体どこにいるんだ」っていう話なんですよ。
結局「原発村」と同じで「安保村の住民」っていうのは最後まで我々に語りかけることはできなかった。
それはやっぱり論拠がないからなんですね。

「論拠があるなら出てこい」っていう話なんです。

ちょっと時間をオーバーしたのでここでやめますが、そういうことが起きているということで、ありがとうございました。








10/25学者と学生によるシンポジウムの文字起こしブログ

「空気を読んでいたら空気は変わらないのです」大澤茉実さん(大学生)10/25学者と学生によるシンポジウム(文字起こし)

「日本が近い将来大規模な軍事衝突に巻き込まれるリスクが本当にあると政府が考えているのであれば、私は第一にやるべきことは原発をやめることだと思います」長谷部恭男早稲田大学教授


「結局「原発村」と同じで「安保村住民」も私たちに語れない。それは論拠がないから」中野晃一上智大学教授10/25(文字起こし)




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comment 1
コメント
>自分たちがとにかく一生かけて勉強してきて研究してきた憲法立憲主義っていうことに、それが大事だと思って訴えたら、こんなに市民の方たちが自分たちの生活で忙しいのに出てきてくださっている。
 ココが武田武彦中京大教授と違う所。
一生かけて、というのは自分の身を削ってという事ですよね。
 生活で忙しい一般市民が出て来た。漸く出て来たのに、それを武田やさだまさしなどは「遅い」と一笑に付したんですね。
 違うんですよ!こうやって学者も結構前から、安倍政治の泥棒的雰囲気を危機として訴えていたのに、メディアなどが中々取り上げなかっただけなんですね。その為広まらなかった、それだけの事なんですよねぇ、、。
じゃあ何故広まらないようにしてきたのか?それこそが安倍達の策略に乗ったメディア側の忖度なんでしょう。
 安倍達が何年も前から入念に仕掛けて、ココまで持ってきた破壊行為に漸く一般国民も気付いた所なんですね。
 ですから小林氏みたいに改憲論者でさへも皆と声をあわせているんです。
 そういう対応に批判的な人間は、今の体制を壊されたくない、という側に居る、と思った方が良いと思いますよ。
武尊43 | 2015.11.08 11:02 | 編集
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